1996年11月30日土曜日

長田弘『アメリカの心の歌』岩波新書

 

osada.jpg・最初からアメリカの歌が好きだった。で、今でもアメリカの歌が好きだ。歌謡曲はほとんど聴かない。シャンソンもカンツォーネもロシア民謡も好きではない。最近はやりのワールド音楽なども、あまりぴんと来ない。クラシック音楽は子供の頃から嫌悪している。決してアメリカだけ、アメリカ人だけが好きだというわけではない。なのに音楽だけは、アメリカのものしか受け入れない。一体どうしてなのか。これは、ぼくにとっての一つの大きなテーマだ。

・『アメリカの心の歌』はそんなぼくにとってもなお、知らない音楽やミュージシャンがアメリカにいることを教えてくれた。「少年時代から非行を繰りかえし、塀の内と外を往復しながら成長」したディヴィッド・アラン・コー。ピーター・ラファージはディランが歌う『バラッド・オブ・アイラ・ヘイズ』の作者であることしか知らなかった。トム・T・ホール、マール・ハガード、ジョン・プライン、グラム・パーソンズ。誰もが本当にいい。ますますアメリカの歌が好きになってしまいそうな気がした。「アメリカは私にとって………音(サウンド)………匂い(スメル)………感触(タッチ」)(ウェイロン・ジェニングス)

・「歌というのは、つまりうたい方だ。うたい方というのは、つまり歌うたいの個性だ。個性というのは、つまりは人生に対する態度だ。そして、人生に対する態度がすなわち歌である秘密をどうにかして伝えようとしてきたのは、シンガー・ソングライターの歌だった。」
・アメリカの歌に共通した伝統。確かにそうだ。でもぼくがアメリカ音楽しか聴かない理由は、たぶんそれだけではないだろう。

1996年11月15日金曜日

Lou Reed(大阪フェスティヴァル・ホール、96/9/23)

 

・ルー・リードのコンサートを知ったのは、数日前の新聞広告だった。「当日券あり」。入らないんだろうな、と思った。最近、外国人のコンサートを大阪城ホールでやることが少なくなった。代わりに聞いたこともない日本人のミュージシャンがやっている。とはいえ、ミリオン・セラーを連発させている人気者ではあるらしい。輸入盤のCDを安売りする店が増えたとはいえ、ぼくの知っている学生たちの中で洋楽に関心を持っている者は少数派だ。60年代や70年代の音楽が好きなんていうのはかなりオタッキーな奴と思われている。

・で、開演直前に買った席は2階席の最前列。後ろにはほとんど客はいなかった。そのせいではないと思うが、ずいぶん手を抜いたコンサートだった。照明がシンプルというよりは、ほとんど変化がない。音のバランスが悪くて歌詞がほとんど聞き取れない。黒いTシャツから出た棍棒のような太い腕を動かして弾くギターはただ音が大きいばかりで声の邪魔をしているようにしか感じとれなかった。

・ひどいコンサートだな、アンディ・ウォホールの幻想やパンクに影響を与えたというカリスマ的な神話はどこへいった、とつぶやきながら聴いているうちに、あー、ルー・リードらしいなと感じはじめてきた。彼のアルバム『ベルリン』や『ニューヨーク』は明らかに、ライブ・ハウスで聴く種類の音楽だ。『ベルリン』はコンサート・ライブ盤だが、途中で赤ん坊の泣き声や幼児の「マミー」という声が入る。しかし、そんなことお構いなしに歌うルー・リードの迫力は圧倒的だ。

・せめて「クアトロ」、できれば「拾得」あたりで聴きたかった。そうすれば、もっと客席とのやりとりがあったかもしれない。だって、『ブルー・イン・ザ・フェイス』では、とぼけた顔してオシャベリしていたんだから。