2020年4月27日月曜日

いつもながらの生活ですが

 

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 ・暖冬だったから、カタクリの発芽も早かった。ところが、3月末から4月にかけて3度も雪が降った。これではせっかく咲いた花が萎れてしまう。そんな心配をしたが、カタクリの花は強くて、しっかり実をつけるまでになった。しかも今年は花が100を超えた。毎年わずかだが増え続けている。庭一面のカタクリになるのはまだまだ先で、生きているうちには見ることができないだろうと思う。しかし、春を感じる何よりの喜びであることは間違いない。カタクリの花が枯れた後は、二輪草やイカリ草やスミレが咲き始めている。不順な天候だが、植物は確実に春を告げている。

forest166-3.jpg・松の木にいくつも穴が開いているのを見つけた。時々キツツキが来て、こつこつとつつく音を聞くことがあったが、10個以上もの穴を開けているのに全く気がつかなかった。虫を見つけるためなら、これほど深く開ける必要はないだろうし、巣にするのなら、こんなにいくつも作ることはないだろうと思う。なんとも不思議な穴だが、これが原因で松が枯れることはないのだろうか。あるいはほかの鳥が、ちゃっかり巣にするのではないか。そんな心配や期待を感じる穴である。

forest166-4.jpg・ところで、コロナ禍での生活だが、普段とほとんど変わっていない。3月はほぼ毎週、周辺の山歩きをしたし、4月に入ってからも。本栖湖から烏帽子岳、山の神社の千本桜、鹿留発電所と山王神社などに行った。どこに行っても出会う人はわずかで、桜を楽しむことができた。桜といえば河口湖畔も満開になったが、いつもと違って観光客はいないし、列をなして富士と桜を写すカメラマンもいなかった。自転車も3月から週に1、2度乗っているが、歩く人も、自転車に乗っている人もほとんどいない。もちろん、他府県ナンバーの車もわずかだ。

forest166-5.jpg・社会的接触を気にするような人ごみにはめったにでかけない。週一回のスーパーでの買い物ぐらいだが、欲しいものがあって出かけたホームセンターの人ごみにびっくりしてしまった。買いたいものをさっと済ませて退散したが、自宅待機で暇になった人が庭作りや日曜大工でも始めたのかもしれない。そう言えば、中年以上の男達が多かった。
・山梨県でも50人を超える感染者が出ているが、周辺ではまだ一人もいないようだ。検査数が少ないから怪しいが、地元の人たちの生活に、それほどの変化はない。湖畔のホテルや土産物屋、それにレストランなどをのぞけば、町の店の多くは開いているし、客もそれなりに入っている。僕はもともと、外食はあまりしないが、ここ最近は全くしていない。3食すべて自分たちで作り、デザートのシュークリームなども作っている。

・東京は大変なことになっているようで、母親がいる老人ホームにも2ヶ月以上訪ねていない。おそらく当分無理だろうと思う。認知症気味だから、忘れられてしまうかもしれない。ホームの近くの病院が多くの感染者を出したりして、心配だが仕方がない。それにしても、わずか100kmほどしか離れていないのに、こことは別世界になっている感がある。検査数があまりに少ないから、感染者は桁違いに多いのかもしれない。

・こんなふうに書いてきたら、連休中は山歩きもやめましょうといった声が聞こえてきた。人気の山は混雑するから、そうかもしれない。しかし、付近の山もにぎわうだろうから、連休中は家に閉じこもろうと思う。

2020年4月20日月曜日

コロナ禍に思うこと


・ここのところ毎週、コロナ禍について書いています。欧米では猛威を振るっていて、全世界で感染者数が200万人を超え、死者も10万人を超えました。他方で中国や台湾、そして韓国などの隣国は終息に向かっているようです。台湾では、無観客ながらプロ野球が開幕しましたし、韓国では、国会議員の選挙が行われました。ところが日本では、これから急増するのではと危惧されています。

・ 日本の感染者数と死者数の少なさには、ずっと違和感を持ってきました。理由はPCR検査自体の桁外れの少なさにありました。たとえば東京では3月末から感染者数が激増して200人近くになった日もありましたが、検査実施人数は多くても一日に500人といったところでした。つまり、極めて陽性の可能性が高い人にかぎって検査をしてきたのです。

・これでは、陽性だけど無症状という人の数はわかりませんし、熱や咳などの症状がある人のなかに、どれだけ感染した人がいるのかもわかりません。日本の感染者は1万人を超えたところですが、この数字はほとんど意味がありません。死者数についても、肺炎で亡くなった方の検査をしていれば、その数はずっと増えているはずです。何しろ日本では毎年、誤嚥性も含めて肺炎で亡くなっている人が13万人もいるのです。

・WHOが検査を勧めるよう警告を発し、世界中のほとんどの国が検査に力を入れているのに、なぜ日本だけが検査を抑えているのでしょうか。感染者が増えたら軽症の感染者の入院で病院がパンクしてしまうというのが、一番の理由のようです。しかし、中国は武漢に数千床の病院を数日で作りましたし、他の国でも、体育館やイベント会場、そしてホテルなどを軽症の患者用に用意するところが多くありました。

・クルーズ船での集団感染騒ぎから2ヶ月が過ぎているのに、政府は何をやってきたのでしょうか。感染者を入院させるベッドが不足しているとか、医師や看護師が装備するマスクや防護服が底をついたとか、今さら何を言っているのかと思います。感染拡大を予測して用意をしてこなかったのでしょうか。マスクは店頭でも相変わらず品薄です。だから首相の提案で一軒に2枚の布製マスクを配布というのですが、いったい何を考えているのかと呆れてしまいました。

・その首相は緊急時多宣言を4月6日に出しました。外出を極力控え、密な接触を避けるようにという要請で、仕事はテレワークを、食事の提供は持ち帰りやケータリングを、そして歓楽を目的とする営業は自粛をといったものでしたが、それに伴う、売り上げや収入減の補償については、ほとんどなしというものでした。欧米の国ではすでに補償の給付が始まっているところが増えていているのですが、多くの批判にもかかわらず、日本の政府は30万円だの10万円だのと、もたもたうろうろしています。

・世界一斉のコロナ禍で何よりはっきり見えたのは、各国のリーダーの姿や言動でした。芸術活動も含めて素早く補償などを宣言したドイツのメルケル首相。自ら感染して入院したことで、目が覚めたように真剣になったイギリスのジョンソン首相。台湾の蔡総統の対応は見事でしたし、韓国の文大統領の指揮は決然としていました。その他、ニュージーランド、アイスランド、ノルウェイなど、女性のリーダーが目立っています。それに比べて日本の安倍首相は、専門家会議から進言があったわけでもない小中高の一斉休校を突然出したり、効果の薄い布マスクを配ったりと、何をしているのかという感じです。

・ところがそんな政権でも、未だに4割前後が支持しているのですから、この国はどうなってしまったのかと唖然とするばかりです。一番の原因は、本気になって批判をしたり、実態を正確に報道する気のないメディアにあります。こんな様子を見ていると、なぜ日本が無茶な戦争を始めて、原爆を落とされるまでやめられなかったのか。3.11で原発をなぜ止められなかったのか。その理由がわかる気がしました。このままではアジアはもちろん、欧米が鎮静化してもなお、日本は深刻な状況のままだということになりかねない気がします。アベノリスク、アベノウィルス。このことに一刻も早く気づくべきです。

2020年4月13日月曜日

ジョン・プラインの死

 

prine5.jpg・ジョン・プラインがコロナ・ウィルスで死んだ。感染して症状が重いことは知っていたが、死の知らせはやっぱりショックだった。入院していることを知ってから、持っているCDやYouTubeで彼の歌を聴き、インタビューなども聞きながら、回復して欲しいと願っていたが、残念だった。73歳。僕より二つ上だった。

・ジョン・プラインは日本ではあまり知られていない。ウィキペディアも日本語版には載っていない。しかし彼は今年のグラミー賞で生涯功労賞を受けているし、1991年の"The Missing Years"と2005年の"Fair & Square"で、グラミーの"Best Contemporary Folk Album"を受賞している。18枚のアルバムを出して9枚が同賞などにノミネートされているから、その実力の程は飛び抜けていたと言っていい。

・とは言え、彼は地味なミュージシャンだった。格好もつけず、驕りもせず、隠し事もしない。「つねに自然体。一人の自由な姿勢をくずさない。そして、時代の気温を親しい旋律にとどめて、ひとの体温をもつ言葉をもった歌をつくる。ほんとうに大事なものは何でもないものだ。かざらない日常の言いまわしで、なかなか言葉にならないものを歌にする。」長田弘が『アメリカの心の歌』(岩波新書)で書いた評ほどプラインを言い当てたものはない。僕はこれを読んで、それまでは興味を持たなかった多くのミュージシャンを聴くようになったが、プラインもその一人だった。ちなみに、僕はこのホームページを1996年から続けているが、最初に書いたのは、この長田弘の『アメリカの歌』だった。

John Prine.png・プラインは1998年と2013年に二度の癌手術をしている。しかし少しの中断期間はあっても、コンスタントに音楽活動はしていて、2016年 "For Better, or Worse" 、2018年 "The Tree of Forgiveness"とアルバムを出して、健在ぶりを示していた。僕はこの2枚とも、このコラムで取り上げている。亡くなったと聞いてまず聴いたのは、遺作になったアルバムの最後に収められた「僕が天国に行く時」 という曲だった。神様と握手をして、ギターをもってロックンロールをやる。酒を飲み、かわいい娘とキスをし、ショウ・ビジネスを始める。そんな歌のように今ごろは天国に着いて、この歌を実現させているのかもしれない。

・このアルバムには、すでに死んでしまった音楽仲間を歌ったものもある。そう言えばウィリー・ネルソンの最新作の "Last Man Standing"(最後の生き残り) も、すでに死んだミュージシャンをあげて、次は誰かと歌っていた。そんな気持ちは僕も同じなのかもしれない。最近このコラムで取り上げた中にも、難病に苦しむジョニ・ミッチェルのことや、引退を宣言したジョーン・バエズなどがあった。そのバエズはプラインがコロナに感染したことを聞いて、彼を励ますためにYouTubeで"Hello in There"を歌っていた。4月に来て、ライブハウスで数多くのコンサートをこなす予定だったボブ・ディランの来日も中止になった。感染したと伝えられたジャクソン・ブラウンは軽症のようだが、どうしたのだろうか。なお、ジョン・プラインの死を追悼してブランディ・カーライルも"Hello in There"を歌っている。

・プラインが感染したのは、ひょっとしたら小さな会場でのライブだったのかもしれない。最近でもそんなところでライブをやっていたようだ。日本でもライブハウスが感染のクラスターになって、行ってはいけないところの代表に上げられている。確かに密閉された空間に大勢の人が集まって、一緒に歌ったり、掛け声をかけたりするから、感染しやすい場所であることは間違いない。二度も癌の手術をしたという自分の体調を考えれば、感染を恐れて自重したらよかったのにと言いたくなるが、彼はやっぱり歌いたかったのだろうと思う。何しろ、天国に行っても歌うぞと宣言していたのだから、本望だと納得するほかはないのかもしれない。

2020年4月6日月曜日

こんな時にこそ、読みたい本

 エドワード・T.ホール『かくれた次元』みすず書房
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下』岩波書店
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』亜紀書房

新コロナウィルスによって、世界が大混乱に陥っている。感染者や死亡者の多いイタリアでは「濃厚接触」を避けて「社会距離」を取ることが法律で規制されるようになった。ハグやキスを挨拶としてすることが習慣化している人たちにとっては、簡単なことではないのかもしれないと思った。もっとも、「濃厚接触」ということばは2009年に新型インフルエンザが流行した時に使われ始めたもので、その時に「マスクと濃厚接触」という題で触れている。

hole1.jpg エドワード・T.ホールの『かくれた次元』は、人びとが取りあう距離が、その関係に応じて物理的に違っていることを説いたものである。つまり私たちが他人との間につくる距離は、その親密さの程度に応じて「密接距離」(極めて親しい)から「個体距離」「社会距離」「公衆距離」(見知らぬ他人)と分類できるというものだった。「濃厚接触」はこの分類では「密接距離」や「固体距離」にあたるが、今回の騒ぎでは「社会距離」を取れということがしきりに言われている。
ただしこれらの距離感には、人種や国民性による微妙な差異がある。この本には、パーティの場で近づきたがるイタリア人と、それに圧迫感を覚えて後ずさりするイギリス人の例を挙げ、それが外交官同士なら、国の関係にも影響してしまうといったことが冗談として語られている。
今は多くの国で、法律の規制として2m以内に近づくことが禁止されているのである。もちろん屋内の密閉された空間では、「社会距離」をとっても感染する危険性がある。だからこその「テレワーク」だが、コロナ禍をきっかけに人びとの持つ距離感が大きく変わるかもしれない。そんなことを思いながら、読み直してみた。

naomi1.jpg データの改ざんや書類の隠蔽が日常化している安倍政権下では、新コロナウィルスについての情報は全く信用できない。感染者数や死亡者の少なさには、海外からも、オリンピックのために情報操作をしているのではという疑問が上がっている。
ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、惨事に便乗して政治や資本が、自分に都合の良い政策や投資を行うことを、極めて多くの事例をもとに告発したものである。戦争や紛争やテロ、台風や地震などの自然災害がその好例だが、さて今回のコロナ禍はどうか。各国の政治リーダーは感染の拡大を抑えることに全力投球していると言うだろう。実際雑念があったのでは、うまくいくはずはないのである。しかし、現実には。これを利用してと考える力も少なくないはずである。
ショック・ドクトリンの信奉者たちは、社会が破壊されるほどの大惨事が発生した時にのみ、真っ白で巨大なキャンパスが手に入ると信じている。(上巻28頁)
solnit.jpg 大災害が起きた時には買い占めや暴動などが起きるが、逆に被害者を助け、支える人たちやグループが生まれ、そこに一種のユートピアが一時的に出現することがある。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』は東日本大震災直前の2010年末に出版されていて、この欄でも取り上げたことがある。詳細はそちらに譲るが、ここでは、国家の災害対策が情報の統制や過剰な取り締まりによって、人びとの不安や恐怖心を募らせ、暴動などを生じさせる危険があることだけをあげておこう。
読み返してみて思うのは、人が集まることが規制されるコロナ禍では、人びとの間に相互扶助の気持ちが生まれ、「自生の秩序」ができる機会が極めて難しいという点である。外出や営業の自粛を求めても、そのために生じる損失を保証するとは言わない日本の政府の対応では、倒産したり、生活が困窮したりする人が大量に出現するのは明らかである。それを批判するデモや集会もできないから、ネットでということになるが、果たしてどんな動きが出てくるのだろうか。

ほかにも思いついた本はいくつもあった。しかし、ぱらぱらとめくってみて気づいたのは、伝染病の世界的蔓延を危機として取り上げたものがほとんどなかったことだった。コレラやペストなど、すでに過去のもので、人類が克服したものとして語られることはあっても、現在、あるいは未来に起こるかもしれない危機として指摘したものは見つからなかった。それだけ先例のない、予測や対処方法の見つけにくいものであることを再認識した。もっとも、気候変動による自然災害が急増しているように、新たな病原菌が続出する危険性だってありうることかもしれない。