2016年2月29日月曜日

壁一面の書架作り

 

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bookshelf2.jpg・退職すれば研究室の本を家に持ち帰らなければならない。そのことがずっと気になっていて、壁一面の書架を作ろうと思っていた。1年後だからまだ少し早いが、ネットで見つけた「清く正しい本棚の作り方」や「壁一面の本棚の作り方」といったサイトを見ているうちに、春休みに作ろうかと思い始めた。
・その書籍化した『清く正しい本棚の作り方』(戸田プロダクション)を買い、部屋の寸法を巻き尺であちこち測り、サイズを決めて図面を作った。60cm幅で高さは上下2段で230から250cm。それを5つでワン・セットにして、最大で4セット作ろうということになった。

bookshelf3.jpg・木材はシナランバーという合板でと考え、ネットで18mmの厚さで3x6サイズ(約90cmx180cm)を探すと、北海道と九州の店に適当な品物があった。とりあえずワン・セットを作ることにして九州の店にカット図面を送って見積もりをしてもらうと、送料込みで5万円を超える額になった。4セット作ると20万円だが、作ってもらうと100万円を超えてしまう。
・それで注文しようかと思ったが、その前に、必要な工具や材料を買いに近くのホームセンターに出かけることにした。そうすると、ラジアタパインという集成材が大量にあるのを見つけた。シナランバーより少し高いが、木目がきれいで表面もなめらかだ。カット料も安いし、運送費もいらないから、総額では安くなる。偶然の幸運とさっそく購入して、車に積んで持ち帰った。

bookshelf4.jpg・作業はカットした木にドリルで穴を開け、そこにドライバーで木ねじを入れて側板と棚板をくっつけていく。その一つ一つに木工セメダインも付けていく。要するにただそれだけのことだが、手際よくできるまでには、何度も失敗した。しかし、とりあえずワン・セットを作って、仮に本を並べていくと、7割方の本が収まった。
・で、木材がなくならないうちにとホームセンターに行って、さらに2セット分を買ってカットしてもらった。きちんとカットしてもらったら、それで半分の作業は終わったようなものだ。ただここまで10日ほどかかっているからまだまだ終わらない。

bookshelf5.jpg ・ラジアタパインは白くてなめらかだから、そのままでもいいのだが、カビがついたり汚れが目立ったりしないようにと塗装もすることにした。で、すでに買ってある水性のペンキでと思ったのだが、パートナーの強い要望で、イギリス製のワトコオイル(亜麻仁油)にすることにした。Amazonで注文したのだがかなり高く、1Lで2600円(ホワイト)3.6Lで9000円(ウォルナット)もした。これで全部を塗れるかどうかわからないから、ホームセンターでももう1L(ナチュラル)を買った。材木より高い買い物だが、なかなかいい感じに塗れている。

bookshelf6.jpg・というわけで、まだまだ完成には時間がかかるが、毎日夢中になって作っている。外は寒いからなかで大工作業をし、少し暖かくなる午後に外で塗装をする。順調にいけばあと数日で完成だ。急ぐ必要はないがまだ薪割りも残っているし、暖かくなれば自転車にも乗りたい。もう1セットは、またラジアタパインを見つけた時までのお預けにしておこう。
・さて出来上がったら、研究室の本を車で運ぶことになる。いつからはじめようか。蔵書は1万とは言わないが5千冊は超えている。あまり早いと研究室が殺風景になるから、一年かけて少しずつやるつもりだ。

2016年2月22日月曜日

最近買ったCD

 

David Bowie "★"

Eagles "The Studio Albums 1972-1979"
James Taylor "One Man Band"
Enya "Dark Sky Island"
Cold Play "Ghost Stories"

bowie1.jpg・同年代のミュージシャンがまた亡くなった。デヴィッド・ボウイはそれほど好きではなかったから、CDはほとんど持っていない。デビュー時の奇抜な衣装やグラムロックに反感を持ったからだと記憶している。彼がデビューした70年代初頭に興味を持っていたのは、ギター一本で内省的な歌を歌うミュージシャンが多かったのである。だからボウイについてはほとんど知らないと言っていい。
・ボウイの遺作である"★Black Star"は癌による死が公表された2日前にリリースされたものである。「自分の死という運命に向かいあって思いを巡らした作品」といった評価もある。たくさんアルバムも出してきたようだから、遅まきながら聴き直してみようかと思いはじめている。

eagles1.jpg・イーグルスもデビューは70年代初めで「ホテル・カリフォルニア」が大ヒットしたのは76年だった。そのメンバーだったグレン・フライが死んだというニュースを耳にして、イーグルスのCDもまた、ほとんど持っていないことに気がついた。ジャクソン・ブラウンが作った「テイク・イット・イージー」と「ホテル・カリフォルニア」ぐらいしか知らないからとAmazonで探すと、初期のスタジオ・アルバム6枚をまとめたボックス・セットが1983円で売られていた。懐かしさは感じたが、バンドとしては70年代で終わっているから、これ以上はもういらないと思った。

taylor2.jpg・対照的に、ジェームズ・テイラーはニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンなどと共に、70年代によく聴いていた。もちろん彼は健在で、新しいアルバムも出している。"One Man Band"は2007年に出されたライブ盤だが、2014年に再発売されている。初期のヒット曲から最近のものまで、聞き慣れた曲をギター一本で歌っている。歌の間にするおしゃべりもなかなかおもしろい。ボストン・レッドソックスのこと、キャロル・キングやジョニ・ミッチェルのこと等々。しかし、離婚したカーリー・サイモンの話はしなかった。

enya1.jpg・エンヤはいつも通りのエンヤだった。これだけ変わらない人も珍しい。買わなくても良かったかもしれないが、アイルランドに興味をもつきっかけになったのは、彼女とシニード・オコーナーだったから、出たらやっぱり買っておこうかという気になった。エンヤはアイルランドの風景を、そしてシニードはアイルランドの人びとを思い起こさせる。もちろん、アイルランドと言えばU2の方が有名だし、特別好きなミュージシャンであるヴァン・モリソンもいる。そう言えば、最近注目されているウォリス・バードも何枚か買ったが、まったくアイルランドの雰囲気がなかった。アイルランドだからケルト風というのが固定観念なんだということを感じさせる新しいミュージシャンだろう。

coldplay3.jpg ・最後はコールド・プレイ。ラジオヘッド以降、トラヴィスやスノー・パトロールなど、静かな曲をやるグループに興味を持ったのは20年ほど前だったか。コールドプレイも気に入っていたが、テレビでコマーシャルなどをやるようになって、聞く気がなくなっていた。 "Ghost Stories"は2004年に出たもので、やっぱりセールスを意識したような音作りをしている。この後、昨年"A Head Full of Dreams"が続けて出ているが、買いたいとは思わなかった。

2016年2月15日月曜日

中立公正とは政府に従うこと

・高市総務相が公正中立を欠く放送局には停波という脅しの発言をしました。政府に批判的なニュース番組に圧力をかけて出演者を辞めさせたのをいいことに、さらに停波という高圧的な態度をしはじめたのです。大臣の汚職があっても、株価が下がっても内閣支持率が上がるのですから、調子に乗るのもうなずけます。

・政府がマスコミに使う脅し文句は決まって「中立公正を欠く」ですが、ここにはいったいどんな意味があるのでしょうか。ニュース番組が報道するニュースひとつごとに課せられるのか、その番組全体なのか、あるいは放送局の番組全体から判断すべきなのか。政府の反応はニュースひとつ、番組出演者ひとりに対するものであることは明らかです。

・政府の批判はテレビだけでなく、すでに新聞に対しても執拗に行われてきました。そのことを国会で問われた時に、安倍首相は半ば冗談のように「日刊ゲンダイ」を例にあげ、萎縮などしていないと言いました。タブロイド判の夕刊紙ですが、僕もネットで愛読しています。しかし、言いたいことを言う新聞がほかにないから目立つのであって、それだけ言論弾圧が厳しいことの証拠じゃないのと反論したくなりました。

・「公正中立」を欠くといってやり玉に挙げられてきたのは、もっぱら政府に批判的な新聞やテレビでした。それが功を奏して、ほとんどの新聞やテレビが萎縮し、自粛をしてしまっているのが現状でしょう。そうなると批判的な発言がますます目立つようになって、それさえ封じ込んでしまえと言いたくなる。最近の安倍や高市発言には、そんな奢りが露骨です。

・他方で安倍チャンネルやAHKと揶揄されるNHKや、政府以上に右寄りの読売新聞や産経新聞、その系列である日本テレビやフジテレビには、政府からの批判はほとんどありません。「公正中立」を欠いた記事や番組内容に埋め尽くされているというのにです。僕には、読む気にも、見る気にも、聞く気にもならない、反吐が出るほど偏向した内容でも、首相や大臣、あるいは官房長官には「中立公正」だと思えるのでしょう。「政府が右というのに左というわけにはいかない」といったNHK会長発言がいい例です。これこそ「停波」に値する偏向ではないでしょうか。

・それにしても自民党はひどすぎます。甘利とUR、そして贈賄をした建設会社の関係は国会で証人喚問すべき問題ですし、検察が動くべき事件です。なぜそのことをメディアは主張しないのでしょうか。育休を主張した議員が、妻の議員の出産入院中にタレントと自宅で浮気をしたなどというのは、自民党議員の質がいかに悪いかを証明しています。歯舞を言えない北方担当大臣、下着泥の前科のある大臣、失言癖のある新大臣、そして1ミリシーベルトは科学的根拠がないなどと非科学的な発言をした元女子アナの環境大臣等々、あげたら切りがないほどです。

・安倍政権は円安と株高によって維持されてきたと言われています。その円が急騰し、株が暴落をしています。だとしたら、政権の支持率もまた急落するのでしょうか。すでにただ同然だった預金の利子がさらに下がりました。日銀の総裁は銀行預金も今後マイナス金利になる可能性は否定できないと発言しました。預け賃を取られるようになるのですが、そうなったら取り付け騒ぎも起こるでしょう。預金封鎖が現実に起こるかもしれません。

・「公正中立」な立場に立って政治や経済、そして社会の現状を見れば、今政府がとっている政策がいかに危険なものか、ひどいものかは自明なはずです。それは海外から届く、日本に対する評価を見ればわかります。ただしそれも、メディアは取り上げませんから、ネットでこまめに探さなければなりません。バラエティの馬鹿番組やスキャンダルばかりを見ている場合ではないのです。

2016年2月8日月曜日

2016という年

 

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・いつまでも暖かい冬だと思っていたら、センター試験終わった17日の夜から雪が降り始めて、40cmも積もった。その後はずっと寒い日が続いて、少しだけれど、何度か雪が降った。薪割りもできないし、もちろん自転車にも乗れない。青い空と白い山は見飽きないほど美しい。この季節ならではだが、身体はなまってしまう。もっとも大雪だけはこれっきりにして欲しいと思う。雪かきのしんどさは薪割りや自転車の比ではないからだ。何しろ、一日中の仕事になるのだから。

・立春を過ぎたから、春になるまでもう少し。季節は確実に変わるが、世の中はどうか。幸福とか平和を基準にすれば、その対局に向かってまっしぐらにすすんでいるように思える。世界全体もそうだし、日本の国内もそうだ。

・安倍内閣の支持率が50%を超えたそうだ。信じられないと思うし、やっぱりな、とも思う。TPPを一手に引き受けて交渉してきた甘利明が建設会社からの金銭授受を暴かれて大臣を辞めた。支持率が上がったのはその直後で、野党の国会での追及もマスコミの論調も及び腰になっている。後任が石原伸晃というのも悪い冗談のようだが、それに対する批判や疑念も目立つほどではない。

・アベノミクスはすでに破綻している。株価は下落しているし、それを支えようとして年金資金を投入して、すでに何兆円もの損失を出している。デフレは脱却できていないし、経済成長もしていない。借金財政の改善どころか、ばらまき政策によってますます借金を膨らませている。そんな現実を隠すために安倍首相は「一億総活躍社会」などという気持ちの悪い政策を持ち出した。国会の施政方針演説でも、「挑戦」を何度も繰り返して、みんながんばろうと鼓舞している。まるでヒトラーのようだと思ったが、演説の巧拙は比較するまでもない。

・また安倍は、去年の「戦争法案」の可決とその反対の声の静まりに気をよくしたのか憲法改正を明言し始めた。自衛隊が違憲だというなら、9条を変えればいいといった趣旨だった。しかし、その代わりにアメリカ軍にはお引き取り願って、駐留基地を縮小、あるいは廃止するなどとはけっして言わない。沖縄の辺野古基地については翁長知事を先頭にした反対の声には、まったく聞く耳を持たない姿勢を貫いている。そもそも自民党の憲法改正案は、国民の権利ではなく義務を強めたもので、明治憲法に逆戻りといったひどいものなのである。

・そんな現状に対しても、世論は静観したままである。安倍内閣に対する支持も積極的なものではなく、ほかに代わりがいないからというものが一番多い。憲法の改正(悪)には反対だし、収入が減って生活は楽ではないし、原発の再稼働には不安ばかりだが、と言ってこの現状を変える政治的な動きはまったく見えてこない。だから、現政権を支持するしかないし、悪い方向に行くのではといった不安や懸念は思わないように、考えないようにする。そんな空気が蔓延しているようである。

・その意味では、清原もSMAPもそしてベッキーも、現実から目を背けさせる格好の材料だったと言える。こんな連中のことになぜ、メディアは大騒ぎをするのか。官邸と警察とメディアが共謀してやった情報操作ではないか。今の政権なら、それは朝飯前のことだろう。

・他方でアメリカでは、大統領選挙を巡って右と左の対立が際立つような展開になってきた。共和党はトランプにしてもクルーズにしても右翼同士の戦いだが、民主党は確実と言われたクリントンへの支持が下がって、代わりに社会主義者を自認するサンダースが台頭してきた。8年前のオバマを思い起こさせるが、サンダースはすでに70歳を過ぎた老人である。「チェンジ」というには歳を取りすぎている気もするが、彼を支持するのは主に若者層で、ミュージシャンや著名人も支持の声をあげはじめている。

・そのスローガンは「革命に参加せよ(Join The Revolution)」と言った激しいもので、その「12の政策」には「1:インフラ再建、2:気候変動を抑制、3:ワーカーズコープ(労働者共同体)設立、4:貿易組合運動の育成、5:最低賃金の引き上げ、6:男女平等賃金、7:アメリカ人労働者のためになる通商政策、8:誰でも大学に通えるように(公立大無料化)、9:ウォール街への挑戦、10:人権としての医療保険、11:最も弱い立場の人を守る、12:真の税制改革」があげられている。

・サンダースが大統領になったらアメリカはどうなるか。興味津々だが、カナダにはすでに似たような政策を掲げたトリュドー首相が誕生している。この流れが世界を大きく変えていくかどうか。2016という年は、これからの世界の方向を大きく左右する一年になりそうだ。であるとすれば、日本にサンダースやトリュドーが現れる可能性はあるのだろうか。はなはだ疑問だが、日本の現状のひどさを見れば、諦めてはいけないことだと思う。

2016年2月1日月曜日

職業としての小説家

 

村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング

加藤典洋『村上春樹はむずかしい』岩波新書
内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング

haruki2.jpg・村上春樹は僕が一番好きな日本人の小説家だ。歳が一緒だし、考え方や感じ方に共鳴することが多い。何より奇妙な世界に引っ張り込む、そのストーリー・テラーとしての力に魅了されてきた。ついでに言えば、二人とも国分寺に縁がある。最初に読んだのは『羊の冒険』で、そこからほとんどの作品を読んできた。そのいくつかは、この欄でも紹介してきている。

・『職業としての小説家』は、小説家としてデビューする前から現在までの道程をふり返り、小説を書くことや小説家であること、文学賞や批評に関することなどについて、けっして激しくはないが確信的な口調で語っている。芥川賞を取れなかったこと、ノーベル賞に毎年名前が挙がっていることは、彼にとってはどうでもいいことなのに、周囲の騒がしさにはうんざりさせられているようだ。文壇とはつきあわないし、何度も外国暮らしをしている。その距離の持ち方は徹底している。

・小説家には誰でもなれる。学校で勉強する必要がないし、訓練して資格を取ることが義務づけられているわけでもない。少しばかりの才能があれば、誰にでも小説のひとつぐらいは書くことができる。それが特に優れたものであれば、文学賞を獲得することもある。しかし、その後小説家として作品を出し続けるためには、才能だけでは足りない。不断の努力はもちろんだが、書くことについての好奇心を持続させることが必要で、それを実行できている小説家は芥川賞を取った者でも、ごく一部に過ぎない。文学という世界に対する謙虚だけれど辛辣な批判だと思った。

・僕は社会学やコミュニケーション論、あるいは現代文化論などをテーマにしている。研究者になるためには作家と違って大学で勉強する必要があるし、学位といった資格を取る必要もある。しかし、おもしろい仕事をするためには、ミルズが言った「社会学的想像力」のようなある種の才能が必要だし、対象に対して好奇心を持ち続ける持続力も不可欠だ。そのような意味で、物書きとして共通する要素も多いと言える。もっとも「文学的想像力」に欠けている僕には小説など書くことはできない。

tenyo2.jpg・小説は書けないが、小説(家)の批評なら書けるし書いたことがある。これまでにジョージ・オーウェルやポール・オースターについて、社会学的視点から論じたことがあって、村上春樹論も書きたいなとずっと思ってきた。視点を見つけるのが難しくてなかなか実現できないが、他方で、村上春樹を追いかけ続けて、いくつもの批評を書いてきた人がいる。その加藤典洋が『村上春樹は難しい』を書いた。確かにそうだと思うが、彼の村上春樹に対する執着ぶりとその深読みには改めて感心し、また日本と世界における村上春樹の位置づけの歪みに対する解釈にはなるほどと思った。

・村上春樹は文学的には評価できないが、大衆受けするベストセラー作家である。日本の文学の世界ではずっとこのように評価されてきた。ところが、世界中で彼の小説が読まれるようになり、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がるようになって、そんな批判が影を潜めるようになった。しかし、村上春樹の成功にあやかろうとするような論評はあっても、文学的に再評価しようとする動きはあまり見られない。

・村上春樹は近現代の日本文学の異端者である。それは村上本人が自覚し明言していることで、実際、彼の小説の魅力は、それまで多くの作家が戦ってきた日本のローカリティに対して、最初から離脱してしまうという位置づけにあった。それが村上批判の根本だが、だからこそ、世界中に多くの読者を持つことにもなったのだと言える。ところが加藤がこの本で試みているのは、改めて村上を、日本の近現代文学の枠内に位置づけることなのである。

taturu2.jpg・もう一冊、内田樹の『村上春樹にご用心』は村上大絶賛といった内容だ。読んで一番興味を持ったのは、フランス語に訳された作品を彼自身が日本語に訳すと、村上の原文とほとんど同じになったという点である。村上春樹は高校生の頃から英文で小説を読み、翻訳も多く手がけてきた。しかし、その日本語的ではない文体は、自然に身についたのではなく、意識して作り上げたものである。一度書いたものに何度も繰り返し手を入れる。その作業の大切さやおもしろさは、『職業しての小説家』でも詳しく語られている。

・内容的にも文体的にも、日本のローカリティやそこに立つ近現代文学から「離脱」(デタッチメント)する。そんな姿勢から「関わり」(コミットメント)に変わったのは阪神淡路大震災とオウム事件がきっかけだった。また東日本大震災と福島原発事故についても、折に触れて発言をしている。そんな変化が、小説の中でどのように現れているのか。もう一回、村上春樹の小説をすべて読み直してみようか、という気になった。