2020年8月31日月曜日

作る者と作られた者

 ポール・オースター
『写字室の旅』
『闇の中の男』
『オラクルナイト』

オースターをずっと読み続けている。といっても寝る前にベッドの中でだから、数分の時もある。面白くなってやめられなくなっても、1時間を過ぎたら寝ることにしている。前回も書いたが、すべて一度読んでいるはずなのに、ほとんどストーリーを覚えていない。健忘症もここまでくれば呆れるより感心してしまう。もっとも、初めて読むような気持ちになれるから、これはこれでいいのかもしれないとも思っている。いや、思うことにしている。老いを正当化して自己納得しているのである。

auster11.jpg 『写字室の旅』の主人公は奇妙な部屋に閉じこめられている。ミスター・ブランクという名の老人で、過去の記憶をほとんどなくしてしまっている。だからなぜ幽閉されているのかは、本人にもわからない。身の回りの世話をする女が毎日来るが、彼にはそれが同じ人であるかも不確かである。そんな彼の部屋に訪れるのは、彼がかつて、さまざまな理由でさまざまな場所に送り届けた人たちで、その任務で経験した苦難を吐き出して攻め立ててくる。そして、その人たちは、オースターが書いたこれまでの小説に出てきた人物だったりする。つまり、この本の主人公は、年老いたオースター本人であり、作品に登場させた人物から復讐されているのである。

小説は作家が作り出した世界であり、作家は登場人物の特徴はもちろん、その運命をどうにでもできる神のような存在である。生かそうが殺そうが作家次第で、その判断はあくまで、作品を面白く出来るかどうかにかかっている。しかし、登場人物の側に立てば、好き勝手にされてはたまらないという気持ちにもなるのもうなづける。

auster10.jpg たまたまだが、次に読んだ『闇の中の男』も同じような話だった。眠れない夜を過ごす老人が、ある物語を夢想する。オーウェン・ブリックという名の人物を設定し、彼を穴の中に入れる。さて話をどう展開させるか。舞台は同じアメリカだが、そこでは内戦が戦われている。突然そんな世界に置かれた主人公は、当然うろたえる。兵隊に見つけられて、穴から抜け出すが、彼には任務が与えられる。この内戦を終結させるために一人の男を殺せという命令だった。オーウェンがついさっきまでいた世界と、今いる世界は同じアメリカだが、二つの世界はまるで違う。そんなダブル・ワールドができてしまっているのは、一人の不眠症の老人の仕業で、内戦状態を終わらせるためには、その老人を殺す必要があったのである。

老人の夢想は、やはり眠れずにいる孫娘に聞かせる話として展開する。そして、二人がいる現実の世界にも「9.11」の惨事が起こることになる。彼女のボーイ・フレンドは志願してイラクに出兵して、捉えられて殺されるのである。

auster3.jpg 物語の中にもう一つの物語を作るのは、オースターの常套手段だといえる。そして次に読んだ『オラクルナイト』もそうだった。主人公は死を宣告されるほどの病から回復した作家である。今は最愛の妻の稼ぎに依存していて、新しい作品を書き始めようかと思っている。そんな彼が想像力を刺激されたのは、散歩の途中で見つけた、開店したばかりの文房具屋で買った、ポルトガル製の青いノートブックだった。

突然不慮の事故に襲われて、一命をとりとめたとしたら、その主人公はどう思い、それ以降の人生をどう生きるか。そんなモチーフから描き出されたのは、出版社に勤務する男が、歩いていて上から落ちてきたガーゴイルに当たるところから始まる。運良く助かった彼は、不意に、これまでの人生を捨てて、新しく生きることを決断する。飛行場に行き、乗れる飛行機に乗る。青いノートブックのせいか、物語は順調に展開するが、主人公がある部屋に閉じこめられたところで、ストップしてしまう。そこからどう脱出させるか、思いつかなかったからだ。この後、物語内物語は中断したままで、この作家と彼の妻との間で展開される物語が進行する。

題名の「オラクルナイト」は物語内物語で主人公の男に持ち込まれた小説の題名である。つまり、物語内物語内物語だ。なぜそれがこの本の題名になったのか定かではない。しかし、「オラクル」は神のお告げ、神託といった意味だから、小説を書くという行為が、神のお告げのようなものだという意味が込められているのかもしれない。作家は神として、一つの世界を創造する。オースターは、そこに罪の意識を感じて自分を罰している。そんなふうに読んだら、確かに作家は罪深い人なのだと思えてきた。

2020年8月24日月曜日

Bonny Light Horseman

Bonny Light Horseman .jpg・未知のミュージシャンや新しいアルバムについては、これまでも中川五郎の「グランド・ティーチャーズ」というブログに教えてもらっている。ダミアン・ライスにリサ・ハニガン、そしてミルク・カートン・キッズといった人たちだ。あるいはジョーン・バエズの引退宣言もジョン・プラインの新しいアルバムも、このブログからだった。そこでボニー・ブライト・ホースマンという名のバンドを知って興味を持った。アルバム・タイトルは同名の『Bonny Light Horseman』だが、アルバムの中にはやっぱり同名の”Bonny Light Horseman”という歌があった。

・ボニー・ブライト・ホースマンは男2人、女1人の3人組みだ。楽器はギターが中心だが、YouTubeではベースとドラムがついていた。デビューしたばかりのグループとは言え、それぞれが既に長い音楽的なキャリアをもっていて、たまたま最近一緒にやることにしたようだ。中川五郎の解説によれば、きっかけは、2018年のオークレア・ミュージック&アーツ・フェスティバルへの3人そろっての出演だった。そこで「リハーサルを重ねるうち、イギリスやアメリカのトラディショナルミュージック、フォーク・ソングを自分たちなりの新しいやり方で取り組もうというはっきりとした方向性が定まった。」

・そうしてできたアルバムに収められた10曲はすべて、イギリスやアイルランド、そしてアメリカの古い歌である。「ジェーン、ジェーン」のように、中には大昔に聴いた懐かしい曲もあったし、「10000マイル」も聴いた覚えがあった。しかし、「ボニー・ブライト・ホースマン」をはじめ、多くの曲は知らないものが多かった。しかも、昔の歌のままではなく、シンプルだが独特で極めて新しい音で演奏され、歌われている。


おー、ナポレオン・ボナパルト、おまえが悲しみの元凶だ
我がボニー・ライト・ホースマンは戦争に行き
心を痛め、死んだのだから ”Bonny Light horseman"

輝く朝の星が昇り、一日が僕の心のなかで始まる
我らの親愛なる母たちはどこに行った
彼女たちは祈りに谷に降りた
我らの親愛なる父たちはどこに行った
彼らは天に昇って叫んでいる
一日が、僕の心の中で始まる "Bright Morning Stars"


・特に何が新しいとか変わっているというのではないのに、今まで味わったことがない音と雰囲気を持っている。しかも、そこで歌われ、演奏されているのが大昔の歌ばかりというから、さらに奇異な感じさえする。この3人組みは、果たして次のアルバムを出すのだろうか。また一人になって、それぞれ別々になってしまうのだろうか。そう言えば、Macに録音したら、『Bonny Light Horseman』ではなく、V.A.、つまり、さまざまなアーティストのコラボに分類されてしまった。バンド名もアルバム名も、そして代表曲も同じ名前だから、多分、この一枚限りのものなのだろうと思った。

・ちなみに3人は、アナイス・ミッチェル、エリック・D・ジョンソン、ジョッシュ・カウフマン。全く知らない人たちだったが、アナイスはもっとおっかけようかと思っている。

2020年8月17日月曜日

テレビとコロナ対応

 

・2週間北海道に行ったせいでテレビをほとんど見なかった。テレビがなければないで、何の不満もない。しかし、帰って1週間、またいつも見ているものを見るようになった。とは言え、相変わらず再放送が多い。よく見ている旅番組は取材ができないのだから仕方がないが、見方はいい加減になるし、途中でやめることも少なくない。だからテレビではなく、ネットで映画やYouTubeということになる。

・もっとも、ネットでしか見られないテレビ番組もある。たとえばTVerではわが家では見られないテレビ東京やテレビ朝日の番組を見ることができる。「ぽつんと一軒家」「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」などだし、「情熱大陸」などの夜の遅い番組もいくつかある。何しろ山梨県では民放が二つ(NTV系とTBS系)しか見られないのである。だから、テレビを見る時間は減り、そのぶん、パソコンを見つめることが多くなった。

・コロナ禍で中断していた火野正平の「心旅」が再開された。しかし、そのコロナ対応の仕方には首をかしげることが多かった。女好きの彼が、美人やかわいい娘を見つけると、磁石に吸い寄せられるように近づいていく。反対に中年過ぎのおばさんには後ずさりする。そんな対応がこの番組の魅力の一つだったのだが、社会的距離をとるために制限された。

・それは仕方がないのだが、自転車を走らせる時にマスクをつける姿には「なぜ?」と言わざるを得なかった。あるいは、昼食が弁当ばかりというのも、やり過ぎではないかと感じた。「安全」ではなく「安心」。それも視聴者からの疑問や批判を避けるための過剰防衛なのだろうか。だから当然、面白くない。三重から始まり静岡で中断され、神奈川から再開されて茨城で終わり。さて、秋に北海道から始められるのだろうか。

・「ぽつんと一軒家」は新しいところではなく、以前に訪ねたところをリモートで再訪という形式をとっている。それなりに面白いが、再放送の部分が多いから中だるみしてしまう。それでも視聴率は相変わらず高いようだが、いつまで続けられるか。この番組にかぎらないが、コロナ対応がテレビ離れを加速させるとしたら、それに合わせた新しい形式の番組が必要で、製作者たちの頭を悩ましているのだろうと思う。

・MLBが7月の末に始まった。わずか60試合で、ポスト・シーズンを拡大させた変則のシーズンだ。無観客で席には顔写真が並び、人工的な歓声などの工夫がされている。相変わらず感染者が多いから、客を入れることは難しいようだ。カージナルスなど感染者の多いチームは試合をできないようだから、この後どうなるんか見通しが立たないだろうと思う。DAZNを再開しようと思ったが、MLBの中継をやらないので解約をした。NHKは大谷一辺倒だから、ほかの選手の試合を観ることができない。その大谷は右腕の筋肉を痛めて今期は打者専任で行くことになった。

・それにしても暑い。コロナ禍がなければ今頃はオリンピックが終わったはずである。酷暑で大変だったから、延期になって良かったと思う。もちろん、来年だってできるわけはないし、やってはいけないだろう。ところがテレビは来年のオリンピックを話題にした番組を作り、ニュースを流している。コロナに猛暑の二重苦で、できるのだろうか、やっていいのだろうか、などといった発言が皆無なのが恐ろしい。そう言えば、モーリシャス沖のタンカー座礁事故は重油を大量に流出させて大きな出来事になっているのに、日本のメディアはほとんど報道していない。いやなことを隠す体質が、あちこちで露骨になっている。

2020年8月10日月曜日

久しぶりの北海道、その2

 

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hokkaido-2.jpg・旅も7日目になり,キャンプ生活にもくたびれたので、知床ではキャンプ場をキャンセルして、知床のホテルに続いて羅臼の旅館に泊まることにした。この日は船で知床岬まで行っただけだった。この船にはもう半世紀近く前に乗ったことがある。大学生の時に友達二人と小さなテントと寝袋を担いで、列車に乗った旅だった。旭川駅を拠点に夜行列車で知床に行き、そしてまた夜行列車で旭川に戻る。次はまた夜行列車で稚内に行き、また夜行列車で旭川に戻る。当時はもちろん蒸気機関車だった。そんなことを懐かしみながらの岬巡りだった。
・そう言えば、その時にも大雪山に登っている。やっぱり旭川駅からバスに乗り、ロープウェイに乗って、旭岳から黒岳に縦走をした。そしてまたバスで旭川へ。元気だったなとつくづく思った。

hokkaido-3.jpg ・そんなわけでホテルと旅館で2泊して、8日目は羅臼から野付半島、別海町を通って屈斜路湖へ。ここではまたキャンプ場のキャビンに泊まった。キャンプ場に着くといろいろ張り紙に書かれていて、キャンプ場ではマスク着用、ゴミは持ち帰り、車もキャビンに横づけ出来ずにリヤカーで運ぶなど、ほかとは違う様子だった。料金は一番高く、しかも前金で払うことを要求されていた。トイレや炊事場もお粗末で、ちょっと腹立たしかった。
・今日は初めての雨で、野付半島から16kmの距離にある国後島は見えなかった。北方領土ということばが目についたが、今ではロシアから、北方領土は存在しないと宣言されていて、政府もことばを使わなくなっている。 別海町で乳製品や肉などを仕入れて、屈斜路湖に向かった。

hokkaido-4.jpg・9日目は摩周湖、阿寒湖を経由して釧路湿原へ。朝はまだ雨が降っていたのに、出発する頃には上がって、摩周湖に着いた時には晴れ間も見え始めていた。で、摩周湖は霧ではなくはっきり見ることができた。阿寒湖は観光地化されていて、駐車場が有料だったので、素通りして湖畔の道を行き止まりまで走らせた。湖畔に出られる道をやっと見つけて一時過ごして、釧路湿原まで。湿原ではカヌーに乗った。北海道では車が皆スピード・オーバーで走っている。50km制限のはずなのに70kmぐらいは当たり前で、その車をさらに追い越す輩が続出した。中には大型のトラックがあったりしたから、事故が多いのもうなづける気がした。高速道路も整備されてきたようだが、あまり必要ないのではとも思った。この日は達古武湖畔のキャンプ場だったが、屈斜路湖と違って素晴らしかった。

hokkaido-5.jpg・10日目は釧路の町から池田町、帯広を通って富良野まで。毎日ひたすら走っている。この日は湿原の展望台以外には見るところもなかった。富良野では朝食付きのログハウス・キャビンで2泊した。
・11日目は旭岳に登るつもりだったが、台風崩れの温帯低気圧で、朝から暴風だった。当然ロープウエイは運休だったが、とりあえずは行ってみることにした。ビジターセンターで旭岳周辺の山々のビデオを見て、近くの天人峡へ行ったが、温泉のホテルは廃屋で、羽衣の滝に行く道にはゲートがあって、熊出没で危険と書いてあった。行くのはやめて、美瑛の丘や富良野のラベンダー畑等を見ながら宿に戻った。

hokkaido-6.jpg・12日目は日高の美術館に立ち寄って、サラブレッドを生産する牧場が続く道を走ってフェリーに乗る苫小牧まで。競馬はやらないからわからないが、名馬を産出した牧場や種牡馬になった有名馬がいる牧場もあるんだろうななどと思いながら車を走らせた。港に着くと出港にはまだだいぶ時間があるのに、車が並び、バイクが集まり始めていた。コロナ禍とは言え、北海道に来ている人が大勢いることを実感した。フェリーは大洗まで20時間ほどかかるが、ほとんど個室で過ごした。旅に出てから夕食を食べるとすぐに睡魔が襲ってきて8時過ぎには寝てしまっていた。この日も船の揺れなど気にせず爆睡で、朝目が覚めた時には宮城の金華山沖だった。午後2時には下船して、河口湖には5時過ぎに戻った。
・13日間の旅が終わった。事故もなく感染もせず(?)無事帰宅できたことを感謝して、眠りについた。家はかび臭かったが、掃除や洗濯は当然、後回しだった。

2020年8月3日月曜日

久しぶりの北海道 その1

 

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photo88-2.jpg・コロナの第二波が始まり、「go to キャンペーン」などという自殺行為が実行されている。こんな時にと躊躇をしたが、以前から予定していた北海道旅行に出かけることにした。全行程車で移動して、主に道東のキャンプ場で過ごしている。北海道は感染者が多く、既に第二波も来ていたが、その多くは札幌や小樽といった都市部だったから、そこは避けて、ルートを作っている。車とキャンプでの北海道は30年ぶりである。
・1日目は盛岡まで。途中福島から仙台にかけては猛烈な雨だった。山形では最上川が決壊したようだ。日本海のルートを取らなくて良かったと思った。岩手県は感染者が0のままだったが、たまたま1号が出たようだった。道を歩く人のマスク姿は少なかったが、ホテルの人に聞くと、室内ではマスクをしているということだった。1号になるまいと、みんなプレッシャーがかかって、大変だったろうと思う。

photo88-3.jpg・2日目は青森まで走って、青函フェリーで函館へ。昨日までの雨が嘘のように快晴で、暑い。船はほとんどが大型トラックで、乗用車は10台ほどだったから、客席はがらがらだった。津軽半島と下北半島の間を通ると、まもなく函館。4時間ほどの時間だった。ホテルに着くと「go to キャンペーン」の手続きの話と、食事が一人2000円引きになる券をもらったが、使えないウニの専門の店に入った。
・3日目は函館から層雲峡まで、500km程だが、ほとんど高速で6時間ほどで着いた。もちろん札幌は素通りで、最寄りの上川町のスーパーで食料を仕入れ、キャンプ場で宿泊した。森の中で鳥の声などがしたが、アブとハエの大群には参った。ガスのボンベはあるのに肝心のコンロを忘れて、また上川町に戻り、ガスコンロを買った。長距離運転の疲れのせいか食欲がなく、軽い食事にした。

photo88-4.jpg・4日目は黒岳に登った。ロープウェイとリフトで7合目まで行ける楽々登山のルートのはずだったが、岩ばかりの急坂できつかった。好天とは言え、この辺りには珍しいほどの暑さで、汗びっしょりになって、やっと頂上へ。膝が笑うほどの急坂降りでへとへとになった後に温泉に入って、キャンプ場に戻った。寝袋と薄いマットだけでは寝つけなかったが、この日は、食事の後にはもう爆睡で朝までぐっすりだった。
・5日目はサロマ湖へ。紋別の町でオホーツク流氷科学センターでクリオネを見て、町を一廻りしてサロマ湖へ。サロマ湖はオホーツク海に繋がっている汽水湖で、北海道で最も大きく、日本でも3番目に大きい湖である。キャンプ場は湖口近くにあって、ほとんど原野と言ってもいいところにあった。ここまで来ているのだからと湖口まで行ったが、テトラポットばかりで、何の風情もなかった。放っておけばふさがってしまうほど川から流れ込む土砂が多いので、絶えず浚渫工事をしているようだった。実は、ふさがっていたものをわざわざ海と繋げた歴史があったのである。

photo88-5.jpg・6日目はサロマ湖から知床へ。まずはサロマ湖の反対側の砂州に回り、タンデム(二人乗り)自転車をレンタルして、新しく造った湖口と真水が出る「ワッカ原生花園」まで行った。初めての二人乗りでバランスが取りにくかったし、ロードバイクと違ってやたらに重かった。今日も好天で、汗をかくほど暑かった。網走の町に入ったら、急に車や人出が多くなり、道外の車も目立つようになった。知床に近づくと一層顕著になって、観光地とそうでないところの違いが如実だった。最も今日は日曜日だから、人出が多いのも頷けた。この日は久しぶりにホテルで過ごした。
・こんなわけで、老夫婦で弥次喜多を続けている。家に帰るのは1週間先で、これからは屈斜路湖や釧路湿原、そして富良野で過ごして、苫小牧からフェリーで大洗まで戻る予定にしている。30年前は小学生の子どもたち2人と一緒の旅行だったが、今回は二人。色々思い出しながらの旅になっている。