2020年2月24日月曜日

『パラサイト 半地下の家族』

 

parasite1.jpg・韓国映画の『パラサイト・半地下の家族』が話題になっていることに気づいたのは、ひと月ほど前だった。カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞をとったことと、韓国の貧富の格差をテーマにしていることなど、その前年にパルムドール賞をとった『万引き家族』と似たもののように思えた。しかし、すぐに見に行く機会がなかったので、旅行から帰ってから見ようと思っていた。その間にアカデミー賞にノミネートされた6部門のうち4つで受賞をしたから、これはやはり見ておかねばと思った。

・『パラサイト』は、アカデミー賞では非英語映画で初めての受賞のようだ。それも作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞といった主要部門での受賞である。白人ばかりが取るという批判を受けて、ここ数年ではそうではない受賞も増えてきたが、字幕嫌いのアメリカでも高収益をあげての受賞は、画期的なものだと言えるかもしれない。

manbiki1.jpg・『パラサイト』と『万引き家族』は日本と韓国の貧困家族を扱ったものとは言え、二つの映画は全く違っていた。血のつながらない老若男女が身を寄せあって、つましく暖かい家族を作り出す。そんな『万引き家族』と違って『パラサイト』の家族は現状には満足せず、何とか上昇しようと考えている。ソウルに多い、北の攻撃に備えて建物に作られている半地下に住んでいる。窓からは立ち小便をする酔っ払いが見え、近所のWifiを借用し、どういうわけかトイレが一段高いところに、目隠しなしに作られている。

・そこから這い上がるきっかけは息子に来た家庭教師の話だった。高台に住むIT企業の社長宅で女子高生に英語を教える仕事だった。家族はそこから、娘も家庭教師として潜り込ませ、父親を運転手、そして母親を住み込みの家政婦として雇わせることに成功する。もちろん、それ以前にいた運転手や家政婦を追い出してのことである。大富豪の家に、まんまと家族ぐるみで寄生(パラサイト)できたというわけだ。

・うまくいったと祝杯をあげるが、そこから破綻が始まる。その意外な展開が面白いし、スピード感もあって、娯楽映画としての魅力も十分で、アメリカでも受けている理由がわかった。しかし、2年続けてパルムドール賞をとったアジアの映画には、同じ貧困をテーマにしたものとは言え、その動と静の違いや結末の両極端に驚かされ、考えさせられもした。

・『万引き家族』は文化芸術振興費補助金を2000万円受けて作られた。しかし、日本の恥部をさらすといった批判を受け、返上騒ぎを起こしている。『万引き家族』は45億円ほどの収益を上げたようだが、製作費は公表されていない。他方で『パラサイト』はサムソンから別れたCJグループのエンタテインメント部門が13億円ほどの製作費を出し、国の補助もあって、すでに200億円近い収益を出している。アカデミー賞を取ったから収益はさらに飛躍的に増えるだろう。

・財閥系の企業が、韓国が今抱える社会問題を取り上げ、それをブラック・コメディに仕立て上げて、全世界に向けて送り出す。そのような発想は、今の日本には全くないものであることを映画を見ながら実感した。是枝監督は自分が撮りたいテーマを撮りたいようにして作品を作った。地味だがそれが評価されて、日本はもちろん海外でも意外にヒットした。しかし『パラサイト』は始めから全世界、とりわけアメリカを意識して作られている。もちろん、どっちがいいかということではなく、二つの作品に見る対照は、日本と韓国の文化政策の違いそのもののように感じられた。

2020年2月17日月曜日

屋久島、縄文杉と白谷雲水峡

 

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photo87-2.jpg・旅の7日目は奄美大島から屋久島への移動だった。一旦、鹿児島に戻り、また屋久島に引き返す。なんとも無駄なように思えるが、移動手段はこれしかなかった。しかも鹿児島空港で3時間待ちだったから、この日は、移動のみで一日が終わった。今日は一日天気がいいはずなのに、屋久島に着くと土砂降りの雨。タラップを折りて、傘を差して空港ターミナルに歩いた。しかし、その雨もすぐに上がって、天気はすぐに回復した。屋久島には亜熱帯から亜寒帯までの地域があり、高い山によって局地的な雨が降る。さっそく、その洗礼を受けた。

photo87-3.jpg・8日目はいよいよこの旅のクライマックスである縄文杉までのトレッキングだった。金作原原生林の悪路で胃にストレスをかけて以来、ほとんど何も食べていない。一応朝と昼の弁当を持ったが、とても食べる気にはなりそうもなかった。朝5時にホテルの前でガイドと待ち合わせ、車で登山口まで行き、トロッコ道を歩き出す。行程は往復22キロで10時間から11時間、ガイドのペースは僕には早足で、ついていくのに懸命だった。まだ暗い同時刻に出発したのは、およそ30人ほどだった。シーズンだったら、これが300人にもなると言う。二代杉、三代杉、トロッコ道には鉄橋がいくつもかかっていて、ひたすら歩いて2時間半。しかし、ここまではまだ余裕があった。

・山道に入ると雪が積もっていた。ゴツゴツした岩と木道の階段は登りにくく、体力の消耗が一気に訪れた。ウィルソン株、翁杉、夫婦杉、大王杉、そしてゴールの縄文杉。もう一歩も登れないほど疲労困ぱいしたが、左右の展望台の階段を登ってカメラを向けた。しばらく休んで、今度は復路。雪の積もった木の階段は滑りそうで怖い。疲れもあってひざは震えっぱなしで。バランスをなくすこともしばしばあった。何とかトロッコ道に戻り、5時間ぶりにトイレに行く。頻尿なのによく持ったものだと感心した。戻ると、おいていたリュックにヒメネズミが乗っている。弁当の匂いに引き寄せられたようだ。下りのトロッコ道は自然に足が出て楽だったが、時折つまずいて転びかけた。登山口に戻ったのは11時間後で、安堵感と疲労で虚脱状態だった。弁当もほとんど食べずに、よく歩けたものだと、われながら感心した。

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・9日目は車で屋久島を一周した。いくつかの滝を見て、西部の林道では猿の群れや鹿に出会った。狭くて上り下りが多い道だったが、対向車は3台だけだった。少しだけ食欲が出て、ホテルの朝食を食べ、昼もパスタとデザートを少しだけ、夜はスーパーで買った寿司とサラダを口にした。

・10日目はもう一つのイベントである白谷雲水峡のトレッキングだった。この日はパートナーと一緒で、ガイドをつけての行程だった。おしゃべりのガイドさんで、行く先々で細かな説明を楽しくしてもらった。ぼくのiPhoneを預けたら、往きだけで電池が無くなるほどに撮ってくれた。「もののけ姫」の舞台になったところで、ずいぶん外国人に出会って、アニメの力の大きさを実感させられた。この日の予報は雨で、濡れることを覚悟していたが、幸い雨は少なく、森の中ではほとんど濡れることもなかった。時折陽が差して、なかなかの景色が多かった。

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photo87-14.jpg・この日も夕食はスーパーの寿司で、だいぶ食べられるようになった。焼酎で乾杯し、無事旅も終わったと思ったのだが、帰りの飛行機の欠航のメールが早朝にあった。高速艇に乗り換えたのだが、鹿児島空港からの便との接続が1時間半しかなく、タクシーを予約して走ってもらった。慌てていたせいか、焼酎などの入ったお土産袋を空港に忘れたが、帰って電話をすると届いていて、着払い便で送ってもらった。やれやれ………。

2020年2月10日月曜日

奄美大島に来た


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・奄美大島は初めてだ。これも初めての静岡空港から飛び立って、鹿児島で乗り継いでやって来た。さっそくレンタカーに乗り島内を巡り始めた。天気はあいにくの雨。この時期は雨が多いのだそうだ。それでも珊瑚礁は青く見える。時季外れか、誰もいない浜辺で海を眺めて過ごした。最初の宿は土盛海岸近くだったが、泊まり客は僕らだけ。地元の料理を並べた奄美御膳を食した。

amami6.jpg ・ 二日目は田中一村美術館に行った。子どもの頃の作品から晩年まで、多くの作品があって見応えがあった。一村が好んで描いたアダンの実はどこにでもあったが、食べてもおいしくないようだ。大島名物の鶏飯を食べ、名瀬まで移動して一村の終焉の住処を探した。移築されたものだが、質素な暮らしがわかる家だった。極貧の暮らしの中で描いた作品が、今、立派な美術館に陳列されている。そんな対照が印象深かった。

amami7.jpg ・ 三日目は名瀬から瀬戸内町まで。マングローブの群生地に寄って、ほのほし海岸へ行った。火野正平が自転車で走った道路は、上り下りの連続で、本当に走ったのか疑わしくなった。奄美大島は山がちで、道路は上り下りを繰り返す。下った入り江に小さな集落があるのだが、集落間の交流は山越えよりは海からだったのかも、などと思った。瀬戸内町は魚の養殖が盛んで、クロマグロは日本一だそうだ。そのほかにも鯛や車エビなどがあった。

amami8.jpg ・ 四日目はフェリーで加計呂麻島へ。すぐに東端の戦跡公園に行き、大戦中の弾薬庫などが残る一帯を歩いた。高台から海が眺められるが、ここで米軍の船や潜水艇を待ち構えていたのだが、その装備はひどく貧弱なものだったようだ。ここから諸鈍デイゴ並木へ。寅さんシリーズがここでロケをしたという。リリー(浅丘ルリ子)が出ていたというが、見た記憶がなかった。その後、また上り下りして西端の実久まで移動した。入り江はコバルトブルーできれいだが、実久は特にきれいだった。その後、島尾敏雄の記念碑と墓に行った。

amami9.jpg ・ 五日目はまたフェリーに乗って瀬戸内町にもどり、宇検まで。奄美最高峰の湯湾岳(694m)に行ったが、あいにくの雨で何も見えず。マテリアの滝まで山道を走って、宇検に引き返した。有名ではないが、宇検の手前にあったアランガチの滝の方が滝としてはよかった。宿にチェックインした後、黒糖焼酎を造る工場を見学した。サトウキビの果汁や黒糖、そして焼酎を試飲して、気に入ったものを二本買った。宿はコテージで広々として快適だった。焼酎のメーカー直営のようで、さぞ儲かっているんだろうなと思った。よる風雨が強くなる。

 

amami10.jpg ・ 六日目は名瀬に戻る。宇検から東岸沿いを北上して奄美野生生物保護センターに寄った。残念ながら生きた動物は見られなかったが、黒ウサギやアカショウビンなどの剥製は見ることができた。生態的には固有種が多い島のようだ。その後、山に入って金作原(きんさくばる)の原生林を目指した。細い山道で、時折対向車もあって大変だったが、最後は未舗装で岩のごつごつした道になった。車を止めるところも少ないので、そのまま別の道で名瀬を目指した。そうすると、どこまで行ってもでこぼこ道で、時折、水たまりもあって緊張しっぱなしの運転をしなければならなかった。ガソリンスタンドで車の汚れを洗ってもらうと、ただでいいという。それでは申し訳ないので、ガソリンを入れることにした。返却する前に近くのスタンドで入れるつもりだったが、対応したのが明るい青年でお礼をしなければと思った。

2020年2月3日月曜日

駅伝とピンクの靴

 ・年末から正月にかけて一番人気のあるスポーツ番組は駅伝だ。高校、大学、実業団、そして都道府県対抗といろいろあって、京都や箱根、広島や群馬などで行われている。もちろんこれはテレビで中継されていて、どれも視聴率を稼いでいる。中でも箱根は大晦日の紅白歌合戦に続く、正月番組の目玉になっている。それらのすべてではないが、僕もその競走を楽しんで見た。今年はどれも大会新記録続出で、その理由の一番が履いている靴にあることに、大きな疑問を持った。

pink2.jpg・ 選手がはいていた靴はナイキ製で底が厚く、カーボンが入ったものである。それで弾力が増してスピードが出るそうで、この靴によってマラソンでも2時間を切る記録が出たし、設楽や大迫選手が日本記録を出したときも履いていたようだ。そして、この靴が使用禁止になるのではというニュースも流れた。スポーツと用具の関係は、その善し悪しを判断しにくい難しい問題だが、僕は駅伝を見ていて、このピンクの靴はダメだろうと感じた。底の厚さはともかく、弾力を増すカーボンを入れて記録を出しても、それは用具によって出たものにすぎないと思ったからである。

・ 禁止された用具には、これまでにも競泳の水着やスキー・ジャンプのユニフォームなどがあった。その理由は不公平になることと、人間の身体能力を超えた記録に対する不信感だったと思う。記録は用具によって超えられてはならない。日本や世界の記録が意味を持つのは、それが鍛練や練習方法、あるいは栄養などの改善によって更新されてこそ価値があるのであって、用具に頼るのはドラッグと同じだと考えられるからである。

・もちろん、記録が重視されないもので、公平さが求められれば、用具の改善には、それほどやかましく言わなくてもいいのかもしれない。たとえば自転車は70年代までは鉄製であったが、それがアルミになり、今はカーボンになっている。それによって自転車の重さは半減して、スピードが飛躍的に増し、選手の負担も軽減された。しかし自転車競技の多くは記録を競うものではないし、大会によって距離も高低差も道路状況もまちまちである。そして勝負を左右する用具の技術革新が、この競技の魅力の一つだったりもする。用具メーカーがチームを作り、競い合う。それはアルペン・スキーやモーター・スポーツにも言えることである。

・記録を争う陸上競技でも、用具によって記録が著しく伸びたものはある。たとえば竹の棒からグラスファイバーに変わった棒高跳びがいい例だが、逆にやり投げは飛びすぎて重心の位置を変えたりもした。あるいは、踵が離れるスピード・スケートのスラップ・スケートなどもある。スケートの記録はリンク・コンディションでずいぶん違うから、選手全員が履けば問題ないとされたのかもしれない。そう言えば、陸上のトラックも土からアンツーカー(レンガをくだいたもの)、タータン(合成ゴム)と変わり、今ではポリウレタンガ使われている。水はけと弾力性に優れていて、選手の記録更新には大いに寄与している。

・そんなふうに見てくると、厚底でカーボンを入れた靴もいいのではないかと、考えを改めたくなる。しかし、何の規制もなく、メーカーの競争に任せたのでは、やっぱり公平さに欠ける。靴の違いで勝ち負けが決まるのはおかしいし、新記録を出しても靴のせいだと思われては選手はもちろん、見るほうも評価が半減してしまう。そう言えば、メジャー・リーグでも昨年はホームランが飛躍的に増えて、ボールのせいだと疑問が出た。サイン盗みの問題などもあって、大騒ぎだが、ドーピング同様に基準を明確に決めるべきだと思う。

・ここまで書いて終わりにしようと思ったら、世界陸連が現在市販されているナイキの靴を認めたというニュースが流れた。すでに大量に売れ、多くの選手が履いているのだから、もう禁止できないと判断したのかもしれない。開発段階で陸連に判断を委ねるべきだったと思うが、開発競争は極秘で行われるものであるから、難しかったのだろう。しかしあらかじめ明確な規制基準を設けなければ、また新しい靴が開発されて、あっという間に広まってしまうことにもなりかねない。新記録の意味がなくなったのでは、元も子もないのだから。