1997年10月26日日曜日

A.リード『大航海時代の東南アジアI』

 

・東南アジアと呼ばれる国々にはインドシナ半島とインドネシアやフィリピンなどがふくまれる。最近ではASEANと呼ばれて、これからの成長が期待されている地域である。しかし、一部の国を除けば、現状では、政治的には不安定で、経済的には貧しいと考えられるのが一般的だ。つまり豊かで平和な環境は、何よりこれからの近代化にかかっているという発想である。僕も漠然と、そんなふうに考えていたが、『大航海時代の東南アジアI』を読んで、認識を変えなければと思わされた。
・リードによれば、15-16世紀の東南アジアは、きわめて豊かで平和な地域だったようだ。たとえば、熱帯地域だから食べ物は豊富だし、当時のヨーロッパにくらべて寿命も長く、生む子どもの数も少なかった。幼児の死亡率が低かったから、一人の子どもに長い時間をかけて愛情を注ぐようにできたようである。母親は子どもが2歳をすぎるまで母乳を与えていたという。衛生観念、薬草や医学についての知識、住居は熱帯の植物をつかった簡単なもので十分だったし、衣服も必要ないか、薄着でよかった。
・あるいは、戦争における穏やかさ。「敵を殺すためではなく、威嚇するために空や地面に向かって発砲し、傷つけないで自分の領域に追い込もうとする。」それはヨーロッパ人には「天使の戦争」のように見えたということだ。そして性についての開放的な意識と、女性の地位の高さ。「性において女性が持っていた強い立場をもっとも具体的に示すものは、女性の性的快感を強めるために男性が苦痛を耐えて行なったペニスへの手術である。ここでも、東南アジア中のこの習慣の普及には驚くべきものであり、同じような習慣は世界の他の部分には見られない。」婚前交渉の相対的自由、一夫一婦制と結婚内での貞節。比較的容易な離婚。女性は商業の部分では男よりも重要な存在であった。この本の中には、このような話が次々とでてくる。しかも、そこには、入念に集められた資料やデータの裏付けがある。
・驚くことはまだまだある。たとえば、リテラシー(読み書き能力)について、リードはヨーロッパの中世とは違って、大多数の人が文字を読み、かつ書くことができたという指摘をしている。普通はリテラシーの向上は近代化のなかでの学校教育や活字メディアの普及が前提となるのだが、東南アジアでは、むしろ、それはリテラシーの低下を招いたというのである。つまり、豊かで平和な東南アジアの国々を変えたのは、イスラム教などの宗教と、ヨーロッパ人の渡来、そして植民地化にほかならないというわけだ。
# 確かに、ヨーロッパに近代化をもたらしたのは、インカやマヤの金銀財宝であり、じゃがいもやとうもろこしであり、植民地化したアジアやアフリカから収奪したもろもろのものであったことはすでに周知の事実である。アメリカは移住していったヨーロッパ人が原住民たちをほとんど全滅させるやり方で作り上げた国である。ヨーロッパ人たちは、収奪し絶滅させた人びとを野蛮人として扱ったが、彼らには、ヨーロッパ以上に成熟した文化がすでに存在していた。このような歴史はすでに、アメリカ大陸の近代化の過程についての指摘のなかで教えられてきたことだが、東南アジアという日本から近いところでの話として指摘されると、あらためて、西欧の近代化とは何だったのかといった疑問を感じざるをえないし、ちょっと単純だが、腹を立てたくもなってくる。
・先日NHKのBSでインドネシアのある島で捕鯨によって生活している人びとのドキュメントが放送された。男たちが鯨を捕まえるとそれを村で平等に分け、女たちが干して、山の村に、塩などと一緒に頭の上に乗せて持っていく。それをとうもろこしと変えるのだが、その様子は、まるでこの本の中にでてくる話そのままだった。あるいは、これは東南アジアではなくチベットだが、やっぱりBSで、ラマ教の僧が同時に薬草に精通した医者でもあって、その知識が教典に書かれていて、現在でも若い人の教育に使われていることを知った。そんなわけで、ここのところつづけて、アジアについて何もわかっていないことを、実感させられた気がした。

1997年10月20日月曜日

『デッド・マン・ウォーキング』ティム・ロビンス(監) スーザン・サランドン、ショーン・ペン


  • 二人組の男が、男女のカップルを遅い、女の子をレイプした後、二人を撃ち殺す。二人組は捕まるが撃った男には有能な弁護士がついて死刑を免れ、もう一人には死刑が宣告される。この映画は、その死刑囚マシュー(ショーン・ペン)からカトリック修道女のシスターであるヘレン・プレジーン(スーザン・サランドン)に手紙が届くところから始まる。
  • マシューには自分のやった行いに対する反省の気持ちが強くある。けれども、もう一人にそそのかされてつきあっただけの自分が死刑で、撃ち殺した張本人が終身刑になったことに対する怒りもある。母親や兄弟が受ける仕打ちも気がかりだ。彼は定期的に面会をはじめたヘレンに、そんな複雑な気持ちを打ち明けはじめる。彼女は刑の軽減を申し出る機会を作ろうと動きまわる。
  • マシューは被害者の親たちに謝りたいという。けれども、被害者の親たちは、そんなヘレンの話を聞こうともしない。子どもを殺された親にすれば、子供を失った悲しみや怒り、あるいは悔しさを鎮めるきっかけは、犯人が死刑になることでしか生まれない。「加害者と被害者の両方にいい顔をしようったって、そうはいかない」と追い返されてしまう。
  • あるいは、マシューの母親と兄弟たちを訪ねる。母親は、当然そっとして置いてほしいという。ヘレンに動かれたら、また話題になってしまう。しかし、最初は冷淡だった母親も、息子が会いたがっていることを聞くと、子どもたちをつれて面会に行くことを承知するようになる。刑の軽減を審理する場で証言すること決心する。
  • 犯罪に対するもっとも重い刑が死刑であることにはさまざまな議論がある。僕は、どんな理由であれ、人の命を絶つことを正当化することはできないと考えるから、基本的には死刑には反対だ。殺したヤツは殺されて当然だ、といった発想には与することはできないし、罪を償うやり方はほかにもあるだろうと考えている。
  • たとえば、日本では死刑の次に重いのは無期懲役だが、刑の軽減の機会があって、これが20年とか30年で出所できたりしてしまう。だから、そのあいだの落差は甚だしいといわざるをえない。なぜ懲役100年とか、500年とか、あるいは1000年といった判決ができないんだろう。そんなことを以前からよく考えた。これなら、どんな恩赦があっても、二度と社会にはでられない。死の恐怖は確かに恐ろしいものだが、死ぬまで刑に服することには、また違った辛さがあるはずである。
  • けれどもまた、そのような態度が、自分が当事者でないからこそできるものかもしれないといった思いも感じている。神戸でおきた事件に数日前に家裁から裁定が下された。加害者の少年に対して精神的な治療を愛情をかけて行うということだった。慎重に出された判断だと思うが、新聞には被害者の父親の「加害者ばかりを優先した審判ではなく、被害者の心情をより考慮した審判がなされてもよいのではないかと思う」というコメントが載せられていた。
  • マシューはヘレンや母親、あるいは被害者の親たちの立ち会いのもとで、薬物によって処刑される。その時点では、もちろん彼は犯罪を犯したときとはまったく別の人間に生まれ変わっている。被害者の親の中には、そのことに理解を示す余地を見せはじめ、埋葬にまで参列した人もいたが、しかし、許せない気持ちは、けっしておさまったわけではなかった。加害者の心情と被害者の心情。その両立しがたい思いをどうやって調停するか。この映画はそんな人を裁くことの難しさを垣間みさせてくれた。
  • 1997年10月17日金曜日

    "Kerouac kicks joy darkness"


    kerouac.jpeg・ジャック・ケルアックはビート世代を代表する小説家である。作品には『路上』『地下街の人びと』などがある。今年は同世代のA.ギンズバーグが死んだし、僕の知人の中山容さんも死んだ。ビート世代が注目されたのは50年代だが、それをリードした人たちが、ぽつりぽつりといなくなりはじめている。
    ・ビート世代の登場は、たとえばジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド、あるいはエルビス・プレスリーといった若いヒーローの誕生と重なっている。彼らや彼らを支持した人たちにくらべたら、ビート世代は文学中心でロックンロールではなくモダンジャズを好んだ。ハイブロウでアンチ・マスコミ、反商業主義的だったが、二つはどこかでつながっていた。「接合」の条件は「若者」という世代への社会の注目かもしれないし、それを可能にした第二次大戦後の豊かな社会、あるいは戦争への嫌悪感なのかもしれない。
    ・だから、60年代になると、ロックンロールとビート詩、モダン・フォーク・ソング、あるいはブルースやモダンジャズの影響も受けたロックという新しい音楽が登場することになる。その音楽を支持したヒッピーと呼ばれた人たちのライフスタイルは、ビートそのものだった。ヴェトナム反戦や黒人の公民権運動、ドラッグと性の解放、ポップ・アート、そして、新しい巨大な市場としてのポピュラー文化。
    ・"Kerouac kicks joy darkness" には40人を越える人びとが登場する。作家、詩人、ロックミュージシャン、映画俳優、ジャーナリスト。それにケルアック本人。さまざまな人たちがケルアックの書き残したことばなどを朗読したり歌ったりしている。同時代の詩人であるA.ギンズバーグ、ローレンス・ファーレンゲッティ、ウィリアム・バロウズ。ロック・ミュージシャンではパティ・スミス、ジョン・ケイル(「ヴェルベット・アンダーグラウンド」)、スティーブン・タイラー(「エアロ・スミス」)、ジョー・ストラマー(「クラッシュ」)、それにフォーク・シンガーのエリック・アンダーソン。もちろんケルアックはすでに1969年に死んでしまっているが、若い人の参加も少なくない。たとえば、「REM」のマイケル・スタイプ、「パール・ジャム」のエディ・ベダー、「カム」『バスケット・ボール・ダイアリー』のジム・キャロル、映画俳優のマット・ディロン。そんな多様な人たちの多様なパフォーマンスを聴いていると、ケルアックやビートの影響が現代にも深く、広く及んでいることがよくわかる。
    ・日本版には中川五郎、高木完の二人が訳をつけている。ポピュラー音楽の訳詞は時にとんでもなくひどいものがあるが、二人の訳はなかなかいい。けれども、木本雅弘の写真など日本版につけ加えたものは完全に蛇足だ。


    <マクドーガル・ストリート・ブルース>
    イメージの海をかきわけて練り歩く
    イメージ、イメージ、見つめる
    見つめる.........
    そしてみんながが振り返って
    指さす
    見上げる者もいなければ
    覗き込む者もいない
    .............以下略................
            中川五郎訳

    <ウーマン>
    女は美しい
    けど
      君はふりまわされる
      ふりまわまわされる
      きみはまるで
      ハンカチみたく
        風ん中
          高木完訳

    1997年10月1日水曜日

    ジョン・フィスク『テレビジョン・カルチャー』(梓出版社)

     

    ・テレビはずっと二流のメディアと言われ続けてきた。ニュースは新聞、ドラマは映画や舞台、そして音楽は、コンサートやレコードとの比較で、いつでもけなされてきた。テレビは映画とちがって、俳優がそこで演技をする場所ではないし、コンサートともちがって歌や演奏によって自分の世界を表現する場でもない。どんな人でも、いわば素の顔で登場することを要求するし、そのつもりがなくとも裸にされてしまう。だからテレビには出ない俳優や歌手はアメリカにも日本にもかなりいた。

    ・そんなメディアに対する評価が変わりはじめたのは、日本ではたぶん八十年代になってからだろう。カラーの大画面、ヴィデオ、お金も手間もかかったおもしろいCM、ニュース番組の変化、種類も中継方法も多様化したスポーツ番組、そして衛星放送。ヒットする映画も音楽も、流行も、テレビが発信源である場合が少なくない。今やテレビなしには、文化はもちろん、政治も経済も語れない。そんな時代になった気がする。

    ・しかし、それはテレビというメディアから生産される番組が作品として充実してきた結果を意味するものではない。J.フィスクは『テレビジョン・カルチャー』のなかで、テレビの力は、テレビによってつくられるテクストの完成度によってではなく、むしろその未完成さによって生み出されるのだという。つまり、作品として完成させ、意味を確定するのは、最終的には視聴者に任されているのだという。

    ・たとえば、映画館にいる観客は、大きなスクリーン映像とスピーカーからの音響を集中して受け取り、それを一つの作品として味わう。あるいは小説の読者も、たとえ一気に読まなくとも、最初のページから読み始めて、最後に読み終わるまでを一つの作品として受けとめる。ところがテレビの視聴者は、たいがいテレビの前でじっとしてはいない。テレビから受け取るテクストは、視聴者にとって、現実の場におけるさまざまなテクストのなかの一部にしかなりえない。しかも視聴者は、気まぐれにリモコンで次々とチャンネルを変えたりする。すべてのチャンネルを一巡りさせるのに必要な時間は数秒だから、数分の間に何十回、何百回とチャンネルを変えることにもなる。視聴者にとって、一つの番組が一つの完結した世界であるという意識などは、最初からほとんどないに等しいのである。

    ・もちろんそんなことは制作者とて先刻ご承知である。というよりは、テレビ(商業放送)は、数分おきに挟み込まれるCMによって成り立つメディアとして始まったのである。CMの混入はシリアスなドラマであろうと、深刻なニュースであろうと関係ない。まさに「釈迦の説法、屁一つ」といったことが常態化しているのだ。だからもちろん、テレビは、社会的にはやっぱり、新聞にも映画にもレコードにもかなわない、ダメなメディアだとみなされている。ダメだといわれながらますます強力になるテレビ。

    ・フィスクはそのテクストとしての未完成さはまた、日常の世界で私たちがさまざまに人びとと関係しあったり、雑用仕事をしたり、ちらっと興味や関心、あるいは欲望を感じたりする、そのスタイルそのものだという。テレビは私たちの日常に、何の違和感もなく入り込み、そして私たちの日常そのものになってしまった、というわけである。

    ・ぼくはCMに邪魔されるのが嫌いで、BSで映画やスポーツやドキュメントばかり見ているが、たまに民放を見ると、やっぱり、リモコンが手から放せなくなってしまう。BSやCSとCMのはいらないテレビがますます増えてくると、テレビと視聴者の関係はまた、変わっていくのかもしれない。そんなことを考えながら、ぼくはわりと集中して今晩もテレビを長時間見てしまった。