・俳優の中山卓也が鉄道で旅する番組をよく見ている。シンガポールを出発して東南アジアを北上し、ラオスから中国に入って西に進み、中央アジア、東欧から最後はスペインのジブラルタル海峡まで行くという長い旅行である。番組タイトルは「地球旅」だが、もちろん一挙に旅するというわけではない。最初はシンガポールから中国の昆明までで4月から始まったが、11月からは中国をあちこち巡っている。このペースでは、辿り着くのは何年も先になるだろう。もちろん、中山にとっても、旅は細切れで進むということになるはずだ。・この俳優の気さくさが功を奏しているのか、鉄道の中でも街中でも、良く話しかけてその土地の様子をうまく聞きだしている。しかし話しかけることばは日本語で、返ってくるのが現地語だから、やっぱり違和感がある。なぜこの種の番組は通訳を登場させないのかといつも不思議に思うところである。 ・そんなふうにして、シンガポールからマレーシア、タイと北上してラオスに入ったのだが、昔ながらの鉄道に交じって新幹線に似た高速の長距離電車が走っているのに驚いた。しかしその驚きはラオスでさらに高まることになる。ラオスの首都のヴィエンチャンからは中国に通じる高速鉄道が敷かれていて、その建設資金は中国によってもたらされているというのである。まさに一帯一路である。 ・今は中国の主に内陸部を走る鉄道に乗って旅しているのだが、その大半は高速鉄道である。中国の高速鉄道は2007年以降に本格化したというからまだ20年も経っていないのだが、すでにその路線は中国全土に張り巡らされ、25年時点では5万キロに達しているそうだ。中国の鉄道網の総距離は15万キロと言われているから、その三分の一が高速化したということになる。中国が日本のGDPを抜いたのは2009年だが、現在ではほとんど停滞している日本の5倍に成長している。その急速な発展は、中山卓也が高速鉄道に乗って降り立ったどんな中小都市にも林立する高層ビルによってもよくわかるのである。ちなみに日本の新幹線の総延長は3300キロである。
・中国の鉄道を旅する番組は以前にも関口知弘が2007年に行っている。「関口知宏の中国鉄道大紀行」という名で2007年に、チベットのラサから西安までの春と西安からカシュガルまでの秋の2回にわけて放送された。そこで乗った36000キロにもなる鉄道旅のほとんどは電気かディーゼルの機関車が引っ張る列車で、乗客の中には人民服を来た人もいたし、降り立った町には昔ながらの風景が当たり前だった。経済成長の恩恵はまだ全土に行き渡るほどではなかったのである。その番組はNHKのアーカイブではもちろん、YouTubeでも見ることができる。・この二つの旅番組を比較して見て驚くのは、GDPが日本の5倍になった、この20年あまりの中国の変貌ぶりである。それを目の当たりにして思うのは、高市首相の発言とそれを支持する世論の浅はかさである。中国なんてやっつけちまえといった威勢の良さは、鬼畜米英と叫んで戦争に突き進んだ愚行の再現を感じさせるものでしかない。そんな不安すら覚えてしまいかねないのである。 ・中国は日本にとって最大の貿易国だが、そうなったのはやはり2007年だった。現在では輸出入総額の20%以上を中国が占め、アメリカは15%に留まっている。にもかかわらず日本はトランプの関税政策にはへつらった態度を取っているのに、中国には高飛車なのである。中国が本気になって貿易を制限しはじめたら、日本経済はどうなるのか。中国の現在の国力と、その関係の重要さについて、もっと冷静になって考えなければダメだな、と思わされた番組だった。ちなみに中国の輸出入総額に占める日本の額は7%に過ぎないのである。 |
2025年12月15日月曜日
鉄道旅に見る中国の変容
2025年10月20日月曜日
霧の穂高
・この欄はもう2年も更新していない。どこかに行かなかったわけではないが、短期間で、天気が良くなかったりして、写真が撮れなかったのが理由だ。で、そろそろ更新しなければと思ったのだが、また穂高になってしまった。理由は何度も泊まっているホテルが長期の休業になることと、そこの露天風呂つきの部屋がパートナーのお気に入りだったことにある。
・一昨年は上高地に行ったので、今回は乗鞍に行くことにした。道はマイカー禁止でバスで行くのだが、乗り場には上の畳平は濃霧で強風とあった。乗客は僕らともう二人だけ。行っても何も見えないとは言え、ひょっとしたら急に霧が晴れるかもと期待して、行くことにした。しかし、徐々に霧が濃くなり、畳平は雨が降って風も強く、とても歩ける状況ではなかった。仕方なく待合所にいてすぐにバスで下山した。・ホテルに着くと霧は下まで降りていて、部屋のベランダから見える山もかすんでいた。これでは明日のロープウェイも行っても無駄かと思ったのだが、翌朝にはすっきり晴れていて、これならとうれしくなった。
・ところがロープウェイに乗る頃になるとまた霧が立ちこめてきた。上に上がればと期待していた通り、霧は晴れたのだが、周囲の山には雲がかかっていて、やっぱりよく見えない。しかし雲は早く動き、日も差したりして、時折山が姿を見せることもあった。槍ケ岳は隠れたままだったが穂高岳やジャンダルムは見えたし、雲海に浮かぶ笠ケ岳も見ることができた。あたりの紅葉は見事で、これが青空だったらと思ったが、昨日の乗鞍岳に比べたらずっとまし、と納得することにした、
・帰りはいつものように八ケ岳の農場に寄って野菜を買った。まさに収穫を感謝するかのように、大小のカボチャが並んでいた。それにしても上高地から松本に行く158号線はいつ走っても怖い。暗くて狭いトンネルでのバスとのすれ違いなどヒヤヒヤものだ。何しろバスやダンプはセンターラインをはみ出して来るのである。そんなわけで、久しぶりの長距離運転は心底くたびれた。
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2024年12月2日月曜日
火野正平と北の富士
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・火野正平の「こころ旅」と北の富士の相撲解説は、数少ない見たいテレビ番組でした。二人とも健康の理由で番組を休んでいましたが、相次いで訃報が知らされました。本当にがっかりという気持ちになりました。 ・番組はコロナ禍でも続いていましたが、次第に走る距離が短くなり、下り坂からスタートしたり、登り坂はタクシーを使ったりして、相変わらず20km程を走っている僕には、ちょっと物足りない感じもしていましいた。70歳を過ぎてかなりくたびれてきているから、そろそろ辞めるのではとも感じていましたが、今年も春からスタートしました。ところが数回やったところで腰痛で中止になってしまったのです。で、秋はピンチヒッターによる継続となって、突然の訃報でした。 ・いやいやもうびっくりで、なぜ?とつぶやいてしまいました。死因は明かされていませんが急なことだから癌だったのかも知れません。僕は火野正平が走る限りは自転車を続けようと思っていましたが、さてどうするか。体力の衰えは自覚していますが、まだまだ走る気力はあります。もっとも観光客が殺到して、平日でも道が混雑しますから、ここのところしばらく走っていないのです。空いているのは早朝ですが、もう寒いしなー、と言い訳ばかりです。 ・大相撲は大の里などの若手が台頭して面白くなってきました。で、今場所も毎日見ましたが、解説者の北の富士の訃報が飛び込んできました。テレビに出なくなってずいぶんになりますからもう復帰はしないだろうと思っていたのですが、亡くなってしまったと聞くと、やっぱりがっかりという気になりました。彼の解説は時にやさしく、また辛辣で、誰にも何にも邪魔されずに思ったことをそのまま話すところがおもしろかったです。好きな力士もはっきりしていて、特に身体が小さくてがんばっている炎鵬や宇良を応援する口調には同調することがしばしばでした。 ・北の富士は横綱で、引退後は九重部屋の親方になって千代の富士と北勝海の二人の横綱を育てました。しかし、千代の富士が引退すると彼に部屋を譲り、親方も辞めてNHKの解説者になりました。もうちょっと権力欲があれば理事長になったかも知れなかったのにと、その欲の無さには好感が持てました。相撲取りには珍しく格好が良く、和服が似あっていました。欲の皮ばかりが突っ張っている連中が目立つ世の中では、彼の清々しさがいっそう目立っていたのです。女性にはずいぶんもてたようですが、生涯独身でした。 ・そういえば火野正平も女性にもてたと言われています。「こころ旅」でも別嬪さんを見つけると、まるで磁石に吸い寄せられるように近づいて、すぐに楽しくおしゃべりをしてしまう。握手をしたり肩を組んだり。それが中年の図々しいおばさんになると腰が引けていたのがおもしろかったです。彼もまた権力欲が皆無。そういう人が絶滅危惧種になりました。 |
2024年11月25日月曜日
やっと雪が降った
・やっと雪が降った、というのは富士山の話だ。もう11月の末だというのに、これまで、うっすら白くなってすぐに消えるという程度にしか降っていなかった。時には20度を超える日もあって、雨の日も多いのだが、山頂も暖かかったのだろう。初めての寒波がやって来て、冷たい雨が降ったから、我が家の薪ストーブにも初めて灯がともった。で、観測史上最も遅い本格的な雪景色である。
・家から近い河口湖湖畔に自然生活館がある。以前はひっそりしていたのだが、今では湖畔越しに富士山を眺める名所として人気になっている。レストランやカフェ、それに土産物屋などがたくさんある。ここ始発の新宿行きのバスもできて、友人家族をここで送り迎えをしたが、平日なのに観光客の多さにびっくりした。この日は富士山がよく見えた。
・母の納骨式が済んで、やっと一段落という気持ちになった。父も母の遺骨と隣り合わせになって喜んでいることだろうと思う。
2024年11月11日月曜日
レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社
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レベッカ・ソルニットの『ウォークス』は副題にあるように、歩くことの歴史を扱っている。歩くことは人間にとってもっとも基本的な動作なのに、それについて本格的に考察した本は、これまで見かけたことがなかった。山歩きが好きで興味を持って買ったのだが、500頁を超える大著でしばらく積ん読状態だった。この欄で何か取り上げるものはないかと本棚を物色して見つけて、改めて読んでみようかという気になった。そこには、最近歩かなくなったな、という反省の気持ちもある。
・人類は二足歩行をするようになって、猿から別れて独自の進化をするようになった。直立することで脳が発達し、手が自由に使えるようになったのである。アフリカに現れたホモサピエンスは、そこから北上してヨーロッパやアジア、そしてアメリカ大陸の南の果てまで歩いて、地球上のどこにでも住むようになったのである。それは言ってみれば二足歩行が実現させた大冒険だったということになる。
・『ウォークス』はもちろん、そんな人類の進化の歴史と歩くことの関係にも触れている。しかし、この本によれば、人間が歩くこと自体に興味を持ったのは、意外にも近代以降のことなのである。どこへ行くにも何をするにも歩かなければならない。だから馬や牛、あるいはラクダにまたがり、車を引かせ、船を造って海洋を移動できるようにしてきた。要するに歩くことは苦痛で、移動には時間がかかりすぎるから、人間たちは歩かずに済む工夫を長い歴史の中でいろいろ考案してきたのである。
・歩くことに意味を見いだしたのはルソー(哲学者)やワーズワース(文学者)だった。町中を歩き、人とことばを交わし、道行く人を観察する。あるいは山や川、あるいは海の美しさを再認識して、自然の中を歩き回る。そこにはもちろん、歩きながらの思考や発想の面白さがあった。ここにはほかにもH.D.ソローやキルケゴール、ニーチェ、あるいはW.ベンヤミンやG.オーウェルなどが登場するし、奥の細道を書いた松尾芭蕉にも触れられている。さらには風景画を描き始めた画家たちも入れなければならないだろう。
・そんなことが影響して、普通の人たちも、街歩きの楽しさや自然に触れる素晴らしさを味わうようになる。しかし、道路には歩くスペースがほとんどないし、山や野原は地主によって入ることが制限されていたりする。歩道を作り、屋根付きのアーケード(パッサージュ)ができる。あるいは散歩を目的にした公園が街の設計に欠かせないものになる。また私有地に歩く道を作ることがひとつの社会運動として広まったりもした。近代化にとって歩くことが果たした意味は公共性をはじめとして、あらゆる意味で大きかったのである。
・自然の中を歩くことへの欲求は、次に山を登ることに向かうことになる。アルプスの山を競って踏破し、やがてヒマラヤなどの世界に向かう。歩くことは文学や美術に欠かせないものになり、またスポーツにもなるのだが、それはまた旅行の大衆化を促進することにもなった。
・歩くことはまた、近代以降の民主政治とも関連している。人々が何かを訴え主張しようとした時に生まれたのは、デモという街中を行進する行為だった。環境問題や性差別について発言する著者はサンフランシスコに住んで、そこで行われるデモに参加をしている。言われてみれば確かにそうだ。そんなことを感じながら、楽しく読んだ。
・もっとも、あまり触れられていない日本についてみれば、芭蕉以前に旅をして歌を詠んだりした人は平安時代からいたし、お伊勢参りや富士講は江戸時代以前から盛んになっている。修業で山に登った人の歴史も長いから、近代化とは違う歴史があるだろうと思った。
2024年9月16日月曜日
気になる二人のYouTuber
2024年6月17日月曜日
観光スポットに異変あり!
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・今、河口湖周辺は外国人観光客で大賑わいだ。最寄りの富士急行線河口湖駅に行くと、一体ここはどこの国かと思うほど、多様な外国人で溢れている。その駅近くにあるコンビニの上に乗っかるようにして富士山が見えるというので、それを写真に撮ろうと大勢の人が集まっているようだ。道に出て、あるいは向かいの歯科医の駐車場から撮ろうとするから、交通の妨げになるし、クルマも駐車できなかったりする。町は撮影できないように黒幕を貼ったが、そこに穴を開ける人が続出しているようだ。それが全国に報道されているから、知人からのメールの話題になったりしている。 ・もっとも、そんな流れに乗ったあざとい狙いも目立っている。たとえば、三ツ峠に上る登山道にある母の白滝近くの山の上に、右のような鳥居が突然できた。以前はそこも、訪れる人もまばらなところだったが、わざわざ歩いて登ってくる観光客を見かけるようになった、それだけではなく、付近の森を伐採してキャンプ場が出来たりしたから、細い山道をクルマや人が行き交うようになった。河口湖周辺では他にも、斜面にキャンプ場が造られたりして、反対運動も起こっている。この町に住んで四半世紀になるが、周辺の景観の変わりようにはがっかりすることが多いのである。 |
2024年6月3日月曜日
とんだ1泊旅行だった
・花畑が見られる時期に伊吹山に行こう。これは何年も前から考えていたことだった。で、今年こそと実現しようとしたのだが、とんでもない天候で行くことが出来なかった。庭の松の木の伐採が終わったら伊吹山に行こうか。そんな話をして宿の予約をしたのは半月ほど前だった。1週間ほど前の天気予報では雨マークがついていたが、何しろ僕ら夫婦は晴れ男と晴れ女で、めったに雨に降られたことがない。そう思って予報の変化を期待していたのだが、2日ほど前になっても雨は変わらなかった。それどころか大雨の予報である。さて、どうしようか。ちょっと高い宿を予約したからキャンセル料がもったいない。そんな気持ちも働いて決行することにした。
・最初の旅程は家から新東名に出て名神の関ヶ原インターで降りて伊吹山ドライブウェイを山頂まで行き、しばらく散策して郡上の山奥にある宿まで行くというものだった。2日目は高山から松本に帰るとしていたのだが、翌日が晴れだったから、伊吹山は2日目に行くことにした。宿までのコースだが、松本から高山を考えて、中央高速で出かけた。最初はそれほどの雨ではなかったのだが、諏訪湖に近づくあたりから土砂降りになって、これは高速を使った方がいいと思い、そのまま中央高速を走り、東海環状道から東海北陸道で郡上八幡で降りた。雨は断続的に土砂降りになり、時には前が見にくくなるほどだった。
・郡上八幡は一昨年に能登に行った帰りに通過したが、訪れるのは初めてだった。長良川と合流する吉田川沿いの谷間に出来た街で、雨にも関わらず観光客が大勢歩いていた。そば屋で自然薯入りの蕎麦を食べて、せめてお城ぐらいはと、傘を差して歩いたのだが、背中も足もびしょぬれになるほどの雨だった。そこからかなり早かったが、宿に向かい、2時前にはチェックインして温泉につかった。晴れていれば満天の星が見えるはずだったが、大雨で、すぐ近くも何も見えなかった。夕食時から警報を告げるチャイムが何度も鳴った。通って来た道路も通行止めになったようだった。
・翌日は天気が回復して、伊吹山に行けると思ったのだが、カーナビで行き先をセットすると100
km先に通行止めがあるいう。ちょうど伊吹山の辺りで、スマホで調べるとドライブウェイで土砂崩れがあって終日通行止めと出てきた。それでは仕方がないと、高山経由で帰ることにした。時間的に余裕があるから下道を北上すると、長良川最上流の夫婦滝という表示を見つけた。水量が多くて豪快な滝だったが、普段は二つに分かれていて、だから夫婦滝というのだということだった。そのすぐ先には太平洋と日本海(富山湾)に別れる分水嶺があった。小川とも言えないほどの小さな流れで、それが左右に別れている。本当かどうか疑わしいほどの流れだが、きっとそうなのだろうと思うことにした。
2023年10月9日月曜日
上高地と穂高
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・恒例のパートナーのバースデーの小旅行は,一昨年行った穂高になった。内風呂つきの部屋が気に入って,ロープウェイ近くのホテルに1泊したのである。ロープウェイに乗って西穂高口まで行って、少し歩こうかと思ったのだが、前日にチェックすると、何と緊急点検で休止だという。それでは乗鞍岳にしようとしたら、ここも道路が全面封鎖で,バスは運行していないという。となったら,上高地しかない。と言うわけで朝6時に出発して、平湯温泉までクルマを走らせた。天気は快晴でバス乗り場に着くと,駐車場はすでに満杯。上高地の人気に改めて驚かされた。バスは満員で,上高地に着くと,やっぱり人でいっぱいだった。もちろん,平日のことである。 ・新穂高温泉に移動して,せっかくだからと途中まで運行しているロープウェイに乗った。前回は天気が悪くて何も見えなかったが,今度は笠ケ岳がよく見えた。ダケカンバの森を少し歩いて宿に戻り,さっそく内風呂に入った。硫黄の臭いがきつかったが、最近痛めた足のふくらはぎをマッサージして、長湯につかった。夕食に食べた飛騨牛はさしが多くてあぶらっぽかった。赤身の方がおいしいのに,何でさしをもてはやすのだろうか。 ・翌日は前回思いがけない雪で引き返した安房峠を通って松本まで走らせた。安房トンネルができるまではこの道を観光バスが通ったのだ,と改めて驚いた。峠にはお地蔵さんがいて、紅葉にはまだ早かったが、つづら折れの道はなかなか走りごたえがあった。この日は夜中からの雨で、何も見えなかったが,上高地に行くバスはひっきりなしだった。一昨年寄った飛行場近くの農園で、前回は遅くてなかった栗と林檎や野菜を買って帰宅した。 | |||||||||
2023年8月7日月曜日
東北太平洋岸を北上した
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・河口湖から宮古まで片道800kmを6日間で往復した。それにしても暑かった。クーラーがなくても30度を超えないところに住んでいる者にとっては、35度超なんていう温度はとても耐えられない。だから、クルマから降りるのを躊躇する。そんな旅になった。 ・初日は平まで。日曜日だったから高速は空いていて、ほとんど渋滞なしに4時間ほどで小名浜に着いた。まずは水族館を見学したのだが、とにかく暑い。トドと潮目の海が売り物なのだが、それほど驚くほどではなかった。細々とした展示が多くて、暑いせいかほとんど素通りという感じだった。マンタやさめが泳ぐ沖縄の「美ら海水族館」とは比べるまでもないが、ちょっとがっかりだった。 ・6日目は福島から我が家まで。東北道はスムーズだったが圏央道に入って鶴ケ島から八王子まで大渋滞。途中のパーキングでトイレ休憩をすると気温は何と42度。まるでサウナブロで、車に逃げ帰った。それにしても圏央道はいつでも渋滞している、大型トラックが多くて嫌いな道だが、都心を抜けるともっと時間がかかってしまう。6時間ほどかかってやっと我が家に着いた。28度でホッとした。 | |||||||
2023年5月29日月曜日
長峰山から北アルプスを望む
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・ゴールデン・ウィークの喧騒もすんで気候も良くなった。で、どこかに出かけようということになって、桜の季節に新聞で紹介されていた光城山(ひかるじょうやま)と隣の長峰山から北アルプスを眺める計画を立てた。一番楽で横着なのは二つの山を車で走ることだが、残念ながら途中工事個所があって、車で行くのは長峰山だけにして光城山にはがんばって登ることにした。 ・天気は前日まで雨が降っていたのに,長峰山からの眺望はご覧の通り,素晴らしいものだった。山の名前はよくわからないが、北アルプスの北半分はきれいに眺めることができた。しかも前日までの雨で山は雪景色になったようだった。 ・光城山は頂上まで60分。登山道には桜の木が植えられていて、花の時期にはさぞ見事だっただろうと感じられた。ただ、あちこちに咲く花もあって、しんどさも程々だった。頂上には山の名前が分かる透明のシールドがあったが、残念ながら、雲に隠れて分からなかった。 ・ちなみに、甲府盆地から見えた南アルプスもきれいだった。桃の木の背後に、右から北岳、間ノ岳、農鳥岳。もう一つ,富士山も冷たい雨で雪化粧したが、森林限界に沿った波形ではなく、一直線に白くなったのは珍しかった。おそらく雪と雨の境界線だったのだろう。 | |||||||||||||
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・ インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにが...
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12月 26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)" 19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』 12日: いつもながらの冬の始まり 5日: 円安とインバウンド ...
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12月 22日 国会議員の定数より歳費の削減を! 15日 鉄道旅に見る中国の変容 8日 紅葉が終わった 1日 工藤保則『野暮は承知の落語家論』青弓社 11月 24日 『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』 17日 仕事を辞めて8年も経った? 10日 ドジャース...
・中国の鉄道を旅する番組は以前にも関口知弘が2007年に行っている。「関口知宏の中国鉄道大紀行」という名で2007年に、チベットのラサから西安までの春と西安からカシュガルまでの秋の2回にわけて放送された。そこで乗った36000キロにもなる鉄道旅のほとんどは電気かディーゼルの機関車が引っ張る列車で、乗客の中には人民服を来た人もいたし、降り立った町には昔ながらの風景が当たり前だった。経済成長の恩恵はまだ全土に行き渡るほどではなかったのである。その番組はNHKのアーカイブではもちろん、YouTubeでも見ることができる。
・一昨年は上高地に行ったので、今回は乗鞍に行くことにした。道はマイカー禁止でバスで行くのだが、乗り場には上の畳平は濃霧で強風とあった。乗客は僕らともう二人だけ。行っても何も見えないとは言え、ひょっとしたら急に霧が晴れるかもと期待して、行くことにした。しかし、徐々に霧が濃くなり、畳平は雨が降って風も強く、とても歩ける状況ではなかった。仕方なく待合所にいてすぐにバスで下山した。





・帰りはいつものように八ケ岳の農場に寄って野菜を買った。まさに収穫を感謝するかのように、大小のカボチャが並んでいた。それにしても上高地から松本に行く158号線はいつ走っても怖い。暗くて狭いトンネルでのバスとのすれ違いなどヒヤヒヤものだ。何しろバスやダンプはセンターラインをはみ出して来るのである。そんなわけで、久しぶりの長距離運転は心底くたびれた。