2006年12月30日土曜日

目次 2006年

12月

30日:目次

25日:Merry X'mas and Happy New Year

18日:伊豆天城

11日:Tom Waits "Orphans"

4日:1 万人が走る河口湖マラソン

11月

27日:60年代を語り継ぐ方法

20日:マネー・ゲーム報道にうんざり

13日:紅葉の山を歩く

6日:学生が聴く音楽

10月

30日:HPの10 年、ネットの10 年、そしてぼくの10年

23日:河口湖の秋

16日:世界を旅する仕方

9日:下層の暮らしをルポする手法

2日:SPAM 排除!

9月

25日:生きものの世界

18日:破れたジーンズの不思議

11日:Bob Dylan "Modern Times"

4日:富士登山をした

8月

28日:CM の日のCM 批判

21日:世界が老人ばかりになる

14日:富士・箱根・伊豆

7日:"LOHAS" なんて流行るわけがない

7月

31日:気仙沼と十和田湖

24日:ポートランドのデザイン工房

17日:初心を忘れず

10日:ビートルズ伝説への疑問

3日:民主主義の生まれたところ

6月

26日:Wカップで気づいたこと

19日:暑くないけど夏の朝顔の準備を

12日:古い人たちの声も聴いた

5日:最近のSpamメール

5月

29日:大欧州と世界共和国

22日:『コーヒーとシガレット

15日:石油の値段は高い?

8日:物置をつくった

1日:新しいものにも耳を傾けてみた

4月

24日:かわいいとクール

17日:遅い春は一気にやってくる

10日:野茂とイチロー

2日:古本屋さんからのメール

3月

28日:森にも春が来た

21日:シエスタという生活スタイ

14日:スペインについての本

7日:オリンピックにメダルが欲しいのは誰?

2月

28日:スペインの音楽

22日:スペイン便り・その2

19日:スペインの風景

16日:スペイン便り・その1

8日:ホリエモンのどこが悪いのか?

1月

31日:今年の卒論・修論

24日:やっと雪

17日:団塊世代本のいい加減さ

10日:正月のテレビのお粗末さ

3日:Cold Play 他

2006年12月24日日曜日

Merry X'mas!!

 



一年の終わりの恒例のページになりました
しかも、今年は「珈琲をもう一杯」の10周年
ふり返ることがたくさんあって
なにを取りあげていいやらという感じです

あっという間の10年という気がしますが
長い10年だったようにも思います

書評欄は100を越えました
おそらくとりあげた本は200冊を越えているでしょう
今年はとくに、一回に何冊も取りあげることが多かったです
CD評も90近くで、とりあげたのはやはり200以上
そのほかのコラムも100に近くなりました

読み返すと懐かしい
時の流れを感じますが
同じことばかり書いているとも感じます

40代の中年男が、ぼちぼち初老という時期になる
変わらないじぶんと、変わっていく私
そのずれや距離感が毎年大きくなるような気がします

同様のことは社会に対しても言えるでしょう
変わっていく社会と、変わらない社会に対する違和感
ぼくはいったいどんな世の中を望んでいるのか
今年は、そんなことを考え続けた1年でもありました

その結果を来年こそは形にしたいと思っているところです

Merry X'mas and Happy New Year!!

2006年12月18日月曜日

伊豆天城

 

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・忙中閑なしだが、以前から計画していた伊豆の温泉につかりに行った。場所は滝(たる)の連なる天城。その大滝(おおだる)を見ながら露天風呂に入れる旅館に一泊した。下の滝は散策して撮ったもので、風呂に入りながら眺めた大滝は、なかなかの絶景だった。滝の脇には洞窟の風呂があって長さは30m。薄暗かったが小さく平泳ぎができた。
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・伊豆半島は本州から突きだしているが、ここだけフィリピン海プレートにのっている。本州はというと、ちょうど北米プレートとユーラシアプレートの境目だという。地殻活動が活発なわけで、地震が多発するが、温泉地も多い。相模湾沿いの道を南下すると、湯煙の立つ有名な温泉が連続する。今回はその一つ、河津に出かけた。
・ここは早咲きの桜で有名だが、当然まだつぼみもない。その代わりにというわけではないが、紅葉がまだしっかり残っている、温暖の地とはいえ12月の中旬で紅葉というのは、今年がいかに暖冬かということだ。今日も雨上がりで上着がいらないほど暖かかった。露天風呂巡りも浴衣がけで寒くはない。ぼくは風呂嫌いだが久しぶりに長風呂して、すっかりのぼせてしまった。
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2006年12月11日月曜日

Tom Waits "Orphans"

 

waits8.jpg・トム・ウェイツのあたらしいアルバム"Orphans"は3枚組みである。前作の"Real Gone"からちょうど2年。3年前から作りはじめたというから、ほとんど休みなしに音楽作りをしていたということになる。もっとも、その2年前には"Alice"と"Blood Money"が同時に発表されているし、さらにその3年前には"Mule Variations"が出されている。その前6年ほどはなしのつぶてだったから、ここ10 年ほどの精力的な活動がとくに目立つ。好調の原因は前にも書いたが奥さんのキャスリーン・ブレナンとの関係にある。田舎での私生活だけではなく、アルバムも一緒につくっている。その関係は今度の"Orphans"でも変わらない。
・"Orphans"は全曲で3時間を超える大作である。それぞれに名前がついていて、1枚目が"Brawlers"(喧嘩好きたち)、2 枚目は"Bawlers"(騒ぎ屋たち)、そして3枚目が"Bastards"(くそったれたち)となっている。音や歌う調子からいえば、一枚目はにぎやかで二枚目はしっとり、三枚目はその混在といった感じで、ぼくは断然二枚目が気に入っている。
・トム・ウェイツの歌が物語りであるのは昔から変わらないが、ブレナンとの共作になってからは、それがいっそう目立っている。こんな馬鹿なやつがいた。あんなつらい人生がある。理不尽なこと、悲しいこと、腹立たしいこと、そしてちょっとだけ楽しいこと。たとえば、次のような話。

29年の洪水で、すべてをなくした
納屋は一マイルも続く泥の下に埋まった
一文無しになって、そのうえ汽笛と蒸気
あの娘が2時19分の列車で町を離れてしまう "2:19"

・逆にじぶんが出ていく話もある。

ふり返れば、線路が一番の友
きっとそうなると親父に言われた
その通りに、13になったときに、じぶんで生きると
ミズーリを出て、二度と戻らなかった  "Bottom of the world"

・ストーリー・テラーを歌った歌もある。"Lucinda"はかわいい娘ルシンダを追いかけて、アメリカ中はもちろん、アイルランドやガンジスまで行った話。牢屋に閉じこめられた囚人が脱獄の名人で、最後の食事に魚が出るという話。あるいは"Road to Peace"は、イスラエルであったバスの爆破事件で17人が死んだ話。ハマスによる報復自爆だった。平和への道はかぎりなく遠くて、どちらもまるで歩み寄る気配がない。アメリカ大統領のブッシュはというと、再選のための英雄のポーズと、ダメな政治家という将来のレッテルを恐れて何もしない。報道陣の前でポーズをとるが、平和への道のりは1万マイルもある。
・家を出る、家族を捨てる、あるいは捨てられる。そんな話が多いが、その描写がまたしゃれている。「テーブルには食べ物があり、頭の上には屋根もある。だが、それをみんな、ハイウェイのための明日と交換した。」"Long Way Home"
・出た後には放浪があって、楽しい出会いやひどい仕打ちがある。時には銀行強盗もやり、捕まって脱獄もする。人をだまし、だまされ、毒を盛られ、鉄砲で撃たれる。原因はどれもこれも、愛にある。で、夜に思いだすのは故郷のこと。何ともじぶん勝手な一節もある。

子どもたちみんなの面倒を頼む
ほっつき歩いて迷ったりさせないように
子どもたちみんなの面倒を頼む
俺はいつ戻れるかわからないから "Take Care of All My Children"

・ こんな歌が50曲以上も入っている。ただし、全曲オリジナルというわけではない。トラディショナルもあれば、レッドベリーやラモーンズの歌もある。あるいはブコウスキーの詩"Nirvana"の朗読はライブで笑いの連続だが、詩がついていないから内容はわからない。映画の挿入歌として提供した歌も多いようだ。『黄昏に燃えて』はジャック・ニコルソンが主演した、大恐慌後の不況の時代に生きたもと野球選手の落ちぶれた話だ。実は"Take Care of All My Children"も同名の映画のための曲である。ぼくは見ていないが映画紹介には「シアトルを舞台に、売春やスリなどをしながら暮らす十代の子供たちの生活を綴ったドキュメンタリー」とある。そのほか、「死刑」の問題をとりあげた『デッドマン・ウォーキング』やユダヤ人と人種差別の問題をテーマにした『リバティ・ハイツ』やディズニーの『白雪姫』の挿入歌などもある。
・ くりかえし聞いたらそれだけで一日が過ぎてしまう。けれども、また何回も聴いてみたくなる。これはまちがいなく、トム・ウェイツの代表作になるアルバムだと思う。

2006年12月4日月曜日

1万人が走る河口湖マラソン

 

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・河口湖マラソンは毎年11月の末に開催される。今年で31回目で、東日本では最大規模の市民マラソンである。今年の参加者は1万500人あまり。雪をかぶった富士山と紅葉に囲まれた河口湖を走るのだから、ランナーに人気があるのもうなずけるが、高地(800M)で記録は出にくいし、年によっては雪の中を走るといったこともある。けっして気楽に走ることのできるコースではないようだ。フルマラソンは湖を2周、ハーフが1周、それに10キロ程度のファンランのコースがある。

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・もう毎年のことなので、最近では湖畔まで見に出かけることもなかったが、息子が出場するというので、今年は前日の下見などにもつきあった。スタート地点には、スポーツ・メーカーや飲料、薬などいくつもの企業が出店していて、前夜祭も用意されていた。2万人ちょっとの河口湖町に1万人が来るのだから、当然賑やかで、道路は前日から渋滞だった。
・レースは早朝7時半のスタートで息子は6時過ぎにはひとりで車で出かけた。ぼくは近くの沿道に出て待つことにした。先導車が来てトップランナーが続き、遅れて有森祐子が笑顔でやってきた。その後は道を横切れないほどの人、人、人。息子の姿を見つけられるか心配だったが、向こうが先に気がついたようだった。2001年にはじめて見たときには仮装ランナーの多さに驚いたが、今回は少なかった。
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・ハーフを走った息子は10時前には走り終わったようだったが、駐車場から車が出せずに、家に戻ったのは1時を過ぎていた。年配でフルマラソンを走った人も多く、制限時間の6時間を過ぎてもゴールできなかった人がかなりいたようだ。帰ってきた息子も事前の練習をしていたようだが背中や足が痛そうだった。いつも思うけれども、マラソンはけっして身体によくはない。特に歳とってからやるものではない。せめてファンランに参加などとも思わないではなかったが、ぼくはハイキング程度で十分だと改めて感じた。第一、ふつうの日ならだれにも邪魔されずにただで走れるのに、参加費を5000円もはらってごみごみとしたなかを走る。この気持ちはぼくにはよくわからない。

2006年11月27日月曜日

60年代を語り継ぐ方法

 

小坂修平『思想としての全共闘世代』(ちくま新書),山口文憲『団塊ひとりぼっち』(文春新書),ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(文藝春秋)

・大学の市民講座で60年代の話をした。聴き手はぼくと同世代かそれ以上の人たちだから、当然、60年代については、それぞれの思い、思い出がある。だから、むしろ、最近語られる60年代の特徴について、その記憶、あるいは記録とのずれ、というよりは後から強調され、無視され、忘れられ、繰り返し再現されて歪められた言説について話すことにした。
・そうすると、話題はまず、「団塊の世代」ということになる。以前にも書いたが、このことばは堺屋太一の小説に由来するものである。発表されたのは1976年で、当の世代はすでに30歳間近という年齢になっていた。こんな歳になってじぶんの世代に名をつけられるのは、きわめて不愉快で、ぼくはけっして使わなかったが、いつの間にか定着して、最近はやたらに目につくようになった。逆にノスタルジーで固めた美化された60年代にまつわる伝説もふくめて、そのいい加減さを指摘したいと思った。

journal1-106-3.jpg・小阪修平の『思想としての全共闘世代』は自らの体験の問い直しである。全共闘運動は、大学の個別の問題に対する異議申し立てから始まったもので、それ以前の学生運動とは異質な性格を持っていた。だから、一時期大勢の学生の支持を得たのだが、メンバーが固定していたわけではなく、全国的な組織をもっていたわけでもなかった。テーマはバラバラ、出入り自由。著者自身も、集会やデモに出たり出なかったり、芝居をやっていて大学から遠ざかることもあったと書いている。
・そういう特徴は既存の学生運動組織からは軟弱さとして批判されたが、それは活動の趣旨からいって、あたりまえの違いだった。全共闘は何より「社会関係のなかでのじぶんの具体的なあり方を問題にした」思想を基本にする個人の集まりとしての運動であったのである。何より、じぶんを探すために行動する。学生運動は単にその一つに過ぎない。全共闘もその他の学生運動も一緒に語られてしまうから、そんな意識は無視されて、連合赤軍でおしまいということになる。
・小阪は大学を中退している。バイト生活をしながら映画を作り、写真を撮るといった道筋を歩いて、塾や予備校で教えながら評論活動をするという道を選んだ。それは学生運動をして卒業すれば一流会社の猛烈サラリーマンといったステレオタイプ的な団塊世代像とはずいぶん異なるが、ぼくじしんや当時の仲間を見ても、むしろ、著者のような道筋を歩いた人は少なくないはずだ。以前にも書いたが団塊世代の大学進学率は16%で、その中で学生運動に関わった人は、数回のデモ参加などを入れても、そのまた1,2割といったところだったろう。

journal1-106-4.jpg・そのことは、『団塊ひとりぼっち』を書いた山口文憲も同様である。かれは高校生の時にベ平連に入り、ベトナム戦争に反対する運動に加わり、新宿西口のフォークゲリラでは中心にいて歌う経験もしている。で、その後はやっぱり、いろいろなバイト仕事をやって、小阪よりはやわらかい文化的な評論活動をするようになった。海外を放浪した経験などから、旅の本を何冊も書いている。
・ぼくは、京都ベ平連の近くにいて(入ったわけではない)、関西フォークのミュージシャンたちとよくつきあっていたから、その周囲にいた人たちもふくめて、かれやかのじょたちが、大学をやめ、あるいは行かずに、いろんなバイト仕事をしたり、さまざまな試みをして、それなりに生きてきたことを知っている。だから、この『団塊ひとりぼっち』に書いてあることには、ものすごく距離の近さを感じた。実際ぼくじしんも、就職しない生き方はないものかと考え、大学にずるずる残り、出た後も、塾で教え、大学の非常勤講師をやり、雑文を書いたりして過ごした長い時間があった。
・団塊世代がもらう退職金は総額で10兆円だそうである。このお金を狙って、さまざまな業種が新商品を考えている。すごい金額だと思うが、仮にひとり1000万円だとすると、10万人に過ぎない。500万円にしても20万人だ。団塊世代は1947年から49年がその核だといわれていて、総数は700万人以上になる。ということは、話題の定年問題は「世代」の70分の1にしかあたらない話だということになる。それでも、ほかの世代にくらべたら数が多いという程度のことに過ぎないのである。

journal1-106-1.jpg・とはいえ、60年代に青春時代を過ごした世代には、ほかとは違う特殊な経験が共有されていて、そのことをずっと引きずって生きてきた人が少なくないはずだ。ぼくはそのことは、きちっと表現しておくべきことだと思う。そして、それをテーマに書いている人は日本人にはあまりいない。
・ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』は、ある大学の同窓会に集まったアメリカのベビーブーマー世代が、旧交を温めながら、当時から現在までの道筋をふり返る話だ。ティム・オブライエンはヴェトナム戦争を題材にした作品が多いが、ここでも、柱になっているのは、ヴェトナムに従軍して足を切断した男と、徴兵を逃れてカナダに移り住んだ男で、そこに同窓の女たちとの関係が絡みあってくる。
・ヴェトナム戦争に従軍したベビーブーマーは50万人で、5万人が戦死したといわれている。団塊世代との違いは何よりここが一番大きいことを今さらながらに実感するが、共感できるところも少なくない。たとえば、次のような台詞。


私たちは世界を変革しようとしていた。でも、それがどうなったと思う?世界が私たちを変革しちゃったのよ。

・けれども、じぶんの問題としては、それを認めたくない気持ちの人たちが少なからずいる。

2006年11月20日月曜日

マネー・ゲーム報道にうんざり

 

・西武の松坂が60億円でボストン・レッドソックスに落札された。年俸とあわせると総額で100億円を越えると言われている。驚き、というよりはあきれる数字だが、例によってメディアはその額だけに注目して、すごいすごいと囃したてている。で、来期のメジャーの注目は松坂対松井、松坂対イチローだということになる。観戦旅行、広告、グッズでの波及効果が何百億円と見積もりを立てたりしているが、そのお金を出すのはもちろん、日本人だ。
・こんな高額になった理由は何なのだろうか。松坂のヤンキース入りをレッドソックスが阻止したかったから、WBCのMVPになったから、野茂と同程度に活躍できるからといろいろいわれているが、納得できる説明はほとんど聞こえてこない。西武球団に支払われる60億円は、フリーエージェント前に譲渡してもらうための補償金だが、西武が被る損害期間はたった2年なのである。つまり、松坂がもう2年我慢すれば、西武には一銭も入らずに手放すほかはないわけで、この額を知らされた西武球団自体が、その信じられない額に驚き、慌ててしまったようである。
・60億円は日本の球団はもちろん、メジャーの弱小球団では選手全員の総年俸をまかなってしまう額である。ボストンは、そんなお金をどうやって回収するつもりなのだろうか。レッドソックスのホームはフェーンウェイ・パークという現存するもっとも古い球場である。ぼくは外側からぐるっと一周しただけだったが、小さくて汚いという印象だった。けれども、他球団が続々改修や新球場をつくっているのに、ボストンにはその気がない。収容人員はわずか 35000人に過ぎないから、全試合満員にしても年間で200万人をちょっと越える程度にしかならない。しかも、人気球団だから、何年間も満員が続いていて、チケットがとりにくい球場の一つだと言われている。
・メジャー・リーグが好景気に沸いている一番の原因は、テレビ放映権から得る収入にある。ネットワークの全国放送だけでなく、地域のケーブルテレビにお金を払って試合を見る人が増えているのである。野球への関心の復活といわれているが、逆に言えば入場料が高くて気楽に見に行けないと感じる人が多いということでもある。おそらく、日本で中継するための放映権も大幅にアップするのだろう。視聴料不払いに苦慮するNHKは来年以降も払い続けることができるのだろうか。あまりの高額になると、野球に関心のない視聴者の新たな不払いの理由になるかもしれない。
・松井やイチローの試合を見ていると、球場のバックネットに日本語の広告が乗っていることに気づく。フェーンウェイ・パークもそうなるのだろうか。イチローはいくつもCMに出ていて、オーナーの任天堂はもちろん、ユンケルやとんがりコーンなどの広告に奇妙な感じを覚えることが少なくないが、これから企業間でも松坂の争奪戦が始まって、球場のフェンスを賑わすことになるのだろうか。まさに、金、金、金という印象で、来シーズンが楽しみなどと脳天気に話す気が知れないという感じである。
・もっとも、ぼくは今年のメジャー・リーグの試合はあまり見ていない。松井がケガをしてイチローばかりだったせいもあるが、野茂がいないメジャーは本当に興味も半減で、見はじめてもすぐにやめてしまうことが多かった。井口や大塚や斉藤が活躍しても中継はないから、ネットで確認するだけで、プレイオフになってからやっと、田口のプレイを楽しむことができた。
・その野茂は、今年は一度もメジャーで投げなかった。右肩の故障だが、3年ほど前に手術をして以来ずっとかんばしくないようだ。もうすぐ 40歳で功成り名もあげたのだから引退してもいいのではと思うけれども、来年も現役を続けるつもりのようだ。回復して投げられるようになれば、もちろんできるかぎり試合を見て応援したいと思うが、どうだろうか。
・野茂は95年にドジャーズで新人王をとって、11年間メジャーで投げ続けた。好不調の波があり6球団を渡り歩いたが、その間に稼いだお金はもちろん、 60億円には届かない。たぶんその半分にもならないだろう。日米通算200勝をあげた去年はデヴィルレイズで1億円以下の年棒だった。松坂の年俸は15億円かそれ以上の複数年契約だと言われている。実際にやる前から、すでに野茂の生涯年棒を越える契約をするわけで、時代が変わったことを感じざるを得ない。
・来年は松坂のほかにも、岩村や井川など多くの選手がメジャーに行くようだ。野茂が切りひらいた道が踏み固められ、今や高速道路になった。そのことを自覚している選手や球団経営者がどのくらいいるのだろうか。野茂は日本の野球環境の悪化のために私財を使ってチームを作っている。それも都市対抗で活躍できるほどのレベルにまであがっている。野茂よりはるかに稼いでいるイチローや松井はそのお金を何かに還元しているのだろうか。たかが野球で一年に10億も20億円も稼ぐというのは、どう考えたって異常なことで、松坂にはそういう感覚を麻痺させないように願うばかりである。

2006年11月13日月曜日

紅葉の山を歩く

 

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forest55-4.jpg・10月にはいって好天の日が続いたので、付近の山を歩きたくなった。日中はまだ20度近くなるから、少しのぼると汗をかくほどだが、空気は乾いているから、気持ちがいい。山道には枯れ葉が敷き詰められていて、歩くとサクサクと音がする。錦松梅をまぶしたおにぎりをもって、ここのところ毎週一度歩いている。
・西湖の南岸にある山は紅葉の名所として知られていて、その名も紅葉台という。山は河口湖の湖岸まで続いていて、途中に三湖台、五湖台という見晴らしのいい展望台がある。西湖民宿村に車を止めて、1時間弱登って、三湖台まで行った。朝のうちの晴天からしだいに曇りはじめ、着いた頃には雲行きが怪しくなって、富士山も雲に覆われるようになった。
forest55-5.jpg・展望台からは眼前の西湖しか見えない。西湖の北に続くのは御坂山系で、いちばん右端に三つ峠がある。そこから左に御坂山、黒岳などがあり、西湖のすぐ北にそびえるのは十二ヶ岳、鬼ヶ岳と毛無山。部分的には歩いているが、まだ歩いてないところがかなりある。左に見えるのは王岳でその下には精進湖がある。

forest55-6.jpg・三湖台の展望台でおむすびを食べていると道産子が登ってきた。山道を馬に乗るというのは楽なのかどうか。バイクで山道を走った経験からすると下りは地面が遠く見えて怖い気がする。隣の紅葉台までは車でこられるからか、91歳のおばあちゃんがやってきた。平日なのにさすがに紅葉の名所だけのことはある。
・などと感心してのんびりしていると、いきなり雷と雨。紅葉の青木ヶ原を真下に見ながら、慌てて下山をしたが、かなり濡れてしまった。

forest55-7.jpg・三つ峠からは西に御坂山系が連なり、それとは別にもう一つ、南西に河口湖の天上山までつづく尾根がある。その尾根に登って天上山から河口湖まで歩いた。今年はあちこちで熊が出没して襲われている。河口湖でも最近ニュースになっている。町中にも出てくるから、家にいても安心できないが、山歩きをするときは、出会うかもしれないと思わなければならない。幸い今のところ出食わしていないが、三つ峠への山道で「熊に注意!」という警告を見つけた。湖畔から天上山まではロープウエイがあって、観光客がたくさんやってくる。富士山の絶景ポイントで、裾野の全容が眺められる。

forest55-8.jpg・河口湖から甲府へ行くときには御坂トンネルをくぐる。その入り口から旧道に入り、三つ峠への登山道をすぎて登っていくと旧の御坂トンネルがある。その脇にあるのが、太宰治が投宿して『富岳百景』を書いた天下茶屋である。ここも紅葉の名所で、今は平日でも、車が詰まっている。ここの風景はすでに「写真館」で紹介したことがある。


forest55-9.jpg ・トンネルの脇から御坂山に登るルートがある。山頂までは険しくてかなりきついが、登ればあとは尾根伝いにパノラマの風景を楽しむことができる。黒岳から見る富士はもちろん、アルプスが南、北、それに八ヶ岳が見える。空気が澄みはじめた今が一番登り頃かもしれない。エネルギーがあれば次はここにしようかと思っている。もっとも、家からすぐに御坂山系に登ってはいる。パラグライダーのスタート台になっているところからの景色はなかなかいい。ただし、この写真は夏である。

2006年11月6日月曜日

学生が聴く音楽

 

・今年も「音楽文化論」の最初に、学生たちからいちばん好きなミュージシャンと、いちばん好きな歌詞を聞いた。一昨年と同じ形のアンケートだったが、かなり違いが出ておもしろかった。ただし、ぼくはほとんどJポップを聴かないから、その傾向などについては、ゼミの学生に教わりながら話しあった。
・まず、変わらない傾向からいうと、洋楽ファンがほとんどいないということ。100人を越える回答者のうち、洋楽をあげていたのはわずかに 3名だった。洋楽を聴かない傾向はもう90年代からずっと続いているが、マニアックなファンも少なからずいて、ぼくのゼミにはそういう学生が来たりしていた。ところが最近は目立たない。夏の野外フェスティバルなどでは数万人も集まってそれなりに盛況のようだから、ここの学生の特徴なのかもしれない。洋楽好きには男子学生が多いように思うが、そういえば、毎年女子学生の比率が上がっていて、席を見渡しても、それが目立つようになった。
・好きだと選んだ歌詞の内容にも、ほとんど変化はなかった。自分探し、応援や励ましの歌、そして癒し。こんな内容の歌が相変わらず新曲として出され、それなりに受け止められているようだ。ただ、その歌い手やミュージシャンになると、おやっと思える変化があった。一昨年は一番多かった浜崎あゆみが0票で、その次に多かったミスター・チルドレンも2票だけだし、ゆずも一人のみ。しかも、複数票を獲得した歌手やミュージシャンはCoccoや鬼束ちひろなど数人しかいなかった。
・理由をゼミの学生に聞くと、今は倖田來未がいちばん売れているが、それは歌詞がいいというわけではなくて、パフォーマンスの魅力だという。ようするにエロカワってやつだが、男ばかりでなく女にも好評らしい。そう言えば、今回のアンケートには倖田來未は1票もなかった。
・売れ筋にめぼしい歌詞がなかったとしても、なぜこんなに分散するのだろうか。ぼくにはほとんどの歌やミュージシャンの名がちんぷんかんぷんだから、これも学生に聴くと、割と古い人が多くあがっているという。たぶん中学生から高校生の頃に聴いていいと思っているものをあげたのではないか、というのである。実際、そういうミュージシャンに出会うと何年もつきあって聴くというパターンが多いようだ。もちろん、大学生でも最近デビューした人を聴かないわけではない。しかし、大学生にはすでになじみのミュージシャンがいるから、おもに飛びつくのは中高生というわけである。
・だとすると、ミュージシャンはデビューしたときについたファンと一緒に年を経ていくということになる。見崎鉄の『Jポップの日本語』(彩流社)には浜崎あゆみの歌詞の変化について1人称の単数(わたし)から複数(わたしたち)へという指摘がある。わたしはがんばる、たえる、強く生きるから、みんなも、君たちも、ともにがんばろう、強く生きようという変化だというのである。ここには、自己実現に成功して富も名声も手に入れたものが、手をさしのべるから君もがんばれとする傲慢さが垣間見えるという。そういう変化と、音楽に対する興味が減る年代が重なって急速に人気を失っていく。そういう分析もできるのかもしれない。
・こんなふうにみてくると、Jポップは10代の中頃の子どもたちの感受性に訴えかける音楽だといえそうである。それを引きずって20代前半頃までは聴く。だから、ミュージシャンは、その後も続けようと思えば、新しいファンをつかまなければならないが、それはきわめてむずかしい。もっとも、こんな傾向は、最近始まったものではないだろう。人気が落ちてもがんばって続ければ、やがて懐メロ歌手として再生する。そんなケースは歌謡曲の時代から無数にあったのだから。
・団塊の世代がいろいろ話題になったためか、吉田拓郎や南こうせつが「嬬恋」の感激をくり返してノスタルジーに浸っている。聴いているのはもちろん、仕事や子育てに忙しかった同世代のおじさんやおばさんたちだ。いい年して今さら「結婚しようよ」も「神田川」もないだろうと思うが、歌う側にはそれしか曲がなく、聴く側にも、聴きたいものがそれしかないのだから、しょうがないといえばしょうがない。
・もう何度も書いているけれども、日本人のミュージシャンには歌や音楽で食えなくなれば俳優やタレントに転身してというケースが多すぎる。歌は芸能界への、人気者への足がかりに過ぎない。そんなふうに軽いものとみなされている。ローリングストーンズやエリック・クラプトンやマドンナなど、定期的に日本にやってきては金儲けして帰るミュージシャンは数多いが、それに匹敵できる人は誰もいない。彼や彼女たちはもう何十年も、歌を作り続けている。そのまねができないのは音楽や歌が軽くみられていて、それ相応の才能が集まらないせいなのかもしれない。
・学生たちが「いい」とか「すき」としてあげる歌詞は、はっきり言って、どれも他愛がない。花鳥風月に思春期の淡い恋心、あるいは漠然とした人生への不安や悩み。これでは、20代の後半になったら、ちょっとあほらしくなってしまう。そして50代にもなると、その昔懐かしいうぶな心を持った時代を再度味わいたくなってくる。その間の時間をなぜ歌にして歌えないのか、それを聴きたいと求めないのか。Jポップの不思議である。

2006年10月30日月曜日

HPの10年、ネットの10年、そしてぼくの10年

 

・「珈琲をもう一杯」が開店10周年を迎えた。Yahoo Japanのサイトから半年遅れの開設だから、HPとしてはかなり早かったと思う。何しろYahooに登録したときにはYahooカテゴリーの「社会学」の欄には10件も並んでいなかったと記憶している。それが今では、「社会学」の欄には、24の分野があり、それぞれに数十のサイトが並んでいる。それだけでも隔世の感があるが、Yahoo Japanを運営するソフトバンクは今やプロ野球のホークスを所有し、ボーダフォンを買収して、NTT に対抗しようとしている。ポータルサイトが現在のような巨大企業に成長するなどとは夢にも思わなかった。
・「珈琲をもう一杯」はYahooカテゴリーでは、「情報学とメディア」と「文化社会学」にある。眼鏡つきのクールサイトになっているが、これは老舗であることからつけられたもので、アクセス数が多くて人気があるということではない。現在のアクセス数は一日70〜80平均で、多い日でも 100をちょっとこえる程度だ。数年前には一日に200なんて日も珍しくなく、週に1500なんて時もあった。最近の減少はたぶんブログの普及のせいだと思う。まとまった内容より、毎日のこまめな更新が必要で、週一回の更新では間が開きすぎているのかもしれない。

・「珈琲をもう一杯」は前に勤めていた追手門学院大学で1996年11月にはじめた。いちはやくはじめた平野秀秋さんに触発されて、その年の夏からHTMLを勉強して、10月にはパイロット版をつくり、11月はじめに公開したのだが、はじめるとすぐにおもしろくなって、読んだ本の書評や聴きに行ったコンサート評や買ってたまりつつあったCDのレビューを次々と書いた。しばらくすると、毎週一回の更新に落ち着いて、現在にいたっている。週一回というのはけっして楽ではないが、今のところ休載した週はない。どんなに忙しくても、体調が悪くても、話題がなくても、とにかくなにかを更新する。それがぼくの毎週の生活のリズムをつくっているといってもいい。

・現在のサイトは1999年4月からはじめている。7年半でカウントはもうすぐ26万になる。ものすごい数だとあらためて驚いてしまうが、コラムの数も500を越えた。よくもこれだけ書いたと感心するが、これをやらなければ、その間に本を数冊書けたかもしれないとも思う。同様のことは最初から感じていて、開店一周年のコラムには、次のように書かれている。

・ホームページを公開して一年が過ぎた。あっという間だったような気がするが、かなりの時間を費やし、エネルギーを使い、知恵も絞った。ホームページがなければ、僕にはこの一年でもう2本ぐらいの論文が書けたかもしれない。そんなふうに考えると、正直いってもうやめとこうかとも思う。けれども、ホームページ作りは論文とは比較にならないくらい楽しい。だから、ついついホームページのことを考えてしまう。この魅力はいったい何なのだろうか?

・今はもう、これほどの魅力は感じていない。なのに毎週更新しつづけるのは、じぶんでつくった記録と戦っているつもりなのかもしれないとも思う。まるで野球選手の連続試合出場のようだが、別に1,2週休んでもだれからなにかを言われるわけではない。いつ休んでもいい、いつやめてもいい。だけど、さしたる理由がないなら、もう少し続けようか。最近は、こんな気持ちになっている。ただし、ブログのように毎日更新なんてことは、全然やる気にもならない。もっともぼくのパートナーはすっかりブログにはまっていて、その「陶芸ノート」を毎朝画像入りで更新している。多い日はあっという間に100を越えるアクセス数になったりするから、ブログの盛況を実感するばかりだ。

・この10年のあいだに、ネットもずいぶん様変わりした。ブロードバンドになり、ビジネスが本格化して、もう一つのマス・メディアという性格が強くなった。ぼくはネットの可能性を巨大な影響力や金もうけとはちがうところに考えていたから、現在のような展開には批判したいことがたくさんある。いずれ、そのことはじっくり調べて考えたいと思っている。

・個人的なことについてみても、10年という時間をふりかえると、ずいぶんかわったなと改めて感じてしまう。職場が変わり、住む場所が変わった。関西から東京、しかし生活の場は都会から田舎へだ。親子4人の暮らしが、夫婦2人になったこともあって、生活の仕方は激変した。そのあたりのことを、今まとめている本の最後に書こうと思っている。約束の締め切りが過ぎて、少々焦り気味だが、のんびりと落ち着いた生活を志向する話だから、慌てないで書こうと思っている。

2006年10月23日月曜日

河口湖の秋

 

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photo38-2.jpg・もう毎年のことだけれど、夏が終わって秋が来ると、やっぱり新鮮な驚きを感じることが少なくない。今年は特に雨が続いて、どんよりした空模様ばかりだったから、抜けるような空になると、心も晴れ晴れした気になってくる。ひんやりした空気のなか早朝に散歩をすると、湖には釣りをする人のボートが一艘、二艘。薄暗いうちから漕ぎ出して、水に浮かんでひととき過ごすのは、きっと気持ちいいだろうな、などと思いながら、しばし眺めてしまった。


photo38-3.jpg・富士山が初冠雪というニュースを聞いのだが、残念ながら笠雲がちょうどその部分をおおってしまっていた。あたりは秋の気配なのに、植物の少ない富士山はまだ夏山の姿をしていて、あたりの山とは対照的な色合いになっている。家の近くの畑ではやっと稲刈りが始まった。とっくに黄色くなって、倒れている稲穂も多かったのに、雨が続いて刈り取りができなかったのだ。

 

photo38-4.jpg・ふだんはほとんど車のない農道に軽トラが並んでいる。一家総出で稲刈りなのだろうか。役目の済んだ案山子がわきで並んで立っていた。来年の夏まで納屋でお休みといったところだろうか。このあたりには、雀はもちろん、さまざまな野鳥がいる。きっとしごとは重労働だったのだと思う。ご苦労さんでした。

 

 

photo38-5.jpg・夏に雨が多くて不快な思いをしたが、意外な収穫もあった。家の周囲の森にシメジが大発生したのである。隣人に食べられる「ハタケシメジ」だと教わって、こわごわ食すと、香りはあるし、しゃきしゃきと歯ごたえがあって、市販のシメジよりもずっとおいしかった。毒ついでというわけではないが、淡い紫色の可憐な花を咲かせるこの植物は、殺人事件で有名になった「トリカブト」である。家の周囲では見かけないが、富士山の麓にはあちこちで群生している。


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2006年10月15日日曜日

世界を旅する仕方

 

・飛行機嫌いを乗り越えて、去年から今年にかけて4回も海外に出かけたせいか、旅番組を捜してテレビを見るようになった。もちろんその種の番組は以前から好きだったが、最近は特にその傾向が強い。出かけた土地が映されればまた行きたい気になるし、まだのところも行ってみたくなる。しかし、名所旧跡といった有名なところにはあまり関心はない。ゲストが出てクイズなんて番組も見る気はしない。街の様子や人びとの生活模様などが身近に感じられること。テーマが歴史や自然なら、できるだけ具体的で掘り下げたものを。そんなエンターテイメントなしの基準で探しても、興味深い番組が結構ある。

journal3-81-1.jpg・NHKの『世界ふれあい街歩き』は地上波でもBSでもやっている。ひとつの街を朝早くから日没まで、ただぶらぶらと歩く番組である。レポーターはいないから、出会った人はカメラ(マン)に話しかける。もちろん、ディレクターや通訳がいるのだが、あたかも自分がそこを歩いているかのようにして見ることができる。この番組に最初に気づいたのは、スペインに行ってきた直後にセビリヤ(セビージャ)の紹介をしたときだった。記憶もまだ新鮮な時で、しかも歩かなかったあたりだったから、食い入るように見て、それからやみつきになってしまった。
・番組のサイトを見ると2005年3月のベネチアから始まって、世界中にでかけているようだ。スペインはセビリヤのほかにグラナダとトレドはみたがバルセロナはみていない。アイルランドのダブリンは街の中心を流れるリフィ川沿いを歩いていて、何度かうろうろしたぼくにはとてもよくわかった。出かけたところ、まだ行ってないところ、見た番組、みていない番組にかかわらず、このサイトは街の地図に歩いた行程をしめし、出会った人を記録し、街についての説明も付記している。下手な旅行案内よりはずっと役に立っておもしろい。できれば、古いものも再放送してもらいたいのだが、放送時間が夜遅くだったり、昼時だったりするから、見逃してしまうことも多い。
journal3-81-2.jpg ・この番組の魅力は、また、大都市ばかりでなく、はじめて聞くような小都市にも出かけているところにある。たとえば、最近みたハンガリーのショプロンはオーストリアとの国境に位置していて城壁に囲まれた歴史のある街だが、ベルリンの壁崩壊の時には、東ドイツから西側に渡る入り口になったそうである。そんな出来事をちりばめながら、何百年も変わらない街並みを歩き、そこに住んでいる人に声をかけて、家の中に招き入れてもらったりする。こんな旅ができればいいな、と思わせる、うまい作り方をしている。続いてみたチェコのチェスキークルムロフは、湾曲する川に沿ってつくられたボヘミア地方のきれいな街だった。
・テレビ番組はどんなに短時間のものでも、あるいは脚本のない行き当たりばったりのようなものでも、かなりの準備と、収録のための時間を使う。実際に取材を受けたり、収録風景を見物していると、そのことにあきれてしまうほどだが、この番組も事前の準備は毎回周到なようだ。番組は1時間足らずだが、収録時間は早朝から日没まで行われている。それこそ何日も街を歩き続けて一回の番組が作り上げられる。何より、食事をしたりショッピングをしたりといった、他の番組が中心にするイベントがまったくないのがいい。

・旅の魅力はもう一つ、交通機関にある。飛行機は狭い座席に拘束されてけっして楽しいものではないが、行った先で乗る鉄道やバスは十分に目的のひとつになる。去年出かけたイギリスとアイルランドでは鉄道で移動したが、そのきっかけになったのは『欧州鉄道の旅』だった。これもガイドはいず、車窓の風景や車中の様子、それに途中下車して歩く街の様子が番組の内容になっている。もう何年も再放送が続いて、みたものばかりになっていたが、最近あたらしいものにかわりはじめた。だから、やっぱり番組をみつけると、1時間、一緒に鉄道に乗った気分で旅行を楽しむことにしている。
・とはいえ、しばらくは海外旅行は楽しめそうにない。なかなか時間がとれないし、出かけるとなればかなりの費用がいる。次はいつどこに行けるか、行きたいか。予定は立たないし、行きたいところは増えるしで、みながらついついため息をついてしまう。けれどもまた、どうせ行くなら行き先の歴史などをもっと勉強してなどとも思う。世界中には知らないところがたくさんあって、その一つ一つに知らない歴史があり、現状があり、大勢の人が暮らしている。

・この夏休みはどこにも出かけなかったが、そのかわりにGoogleearthという世界地図、というより衛星写真をみつけて、世界中を飛び回ってしまった。実際出かけた場所で泊まったホテルまでわかってしまうほど詳細の地図が世界中のどこでも見つけられる。すごいものが出てきたと感心したり、驚いたりしたが、一軒の家が特定できるほど詳細な世界地図(写真)というのは、管理社会の極限ではないかとも思ったりもした。アメリカではいま現在飛んでいる飛行機が表示されたりもするから、テロに使おうと思えばかなり危険な情報なのではと心配になるほどである。大都市のおもな建物が3Dで作られていて、つぎつぎ新しいものが追加されてもいる。飛行機だけでなく、鉄道が実際に走ったりするのも近いうちには実現するのかもしれない。

・P.S.この文章をアップしたら、すぐにトルコで日本人観光客を乗せたバスが横転して死傷者が出たというニュースが入ってきた。トルコは行ってみたい国で、行けば鉄道やバスも利用するはずだから、人ごとではない気がした。スペインでは実際、JALバスに乗って、団体客と一緒にあるファンブラ宮殿などをみてまわった。乗り換えの心配もなしに数日間、名所をまわってもらえたから、その便利さは実感済みである。日本人ガイドの説明もあって、旅程の一部にこれを挟むスケジュールはなかなかいいと感じていた。
・JRの鉄道乗りつくしから最近では世界に出かけている関口知宏がトルコからギリシャまでの旅行を放送したのもこの月曜日だった。トルコへの観光客がまた増えるな、と感じただけに、この事故は、危険なことが旅にはつきものであることを改めて実感させた。

2006年10月9日月曜日

下層の暮らしをルポする手法

 

バーバラ・エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド』(東洋経済新報社),ジャック・ロンドン『どん底の人びと』(岩波文庫),ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドンどん底生活』(晶文社)

journal1-105-1.jpg・「下流社会」なんてことばがはやって、自分が中流にはいるのか下流なのかを測る尺度があれこれ持ち出されたりしている。それで、一喜一憂する人も多いのかもしれない。けれども、そういう尺度がなければどっちかわからない程度なら、まだとても下流などとはいえない暮らしをしているのだと思う。
・アメリカは20世紀の初め以来、世界でもっとも豊かな国であり続けているが、その貧富の差が世界一ひどいものであることも知られている。しかし、その差は、最近特にひどいようで、そのことを批判する本が何冊か出されている。バーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド』は、自ら低所得層の仕事について、その暮らしの厳しさを体験したレポートである。彼女は1941年生まれで、この体験取材をしたのは1999年だから58歳だったようだ。著名なジャーナリストでベスト・セラーなどもある。『「中流」という階級』という翻訳書もあって、その考察は社会学としても一級品である。そんな人がなぜ、と思ったが、若くないことも幸いして、ものすごくリアリティのあるレポートになっている。アメリカではもちろん、ベストセラーになったようだ。
・知らない土地に行って職探しをする。何の資格も、技術もない、50代後半の独身女性を採用する職種は、スーパーの売り子、レストランのウェイトレス、ホテルの客室掃除、あるいは、老人ホームなど、ごく限られている。時給は6ドルから7ドルで、アパートの家賃は500ドル。それで何とか数ヶ月がんばってみる、というプロジェクトで、フロリダとメーン州のポートランド、それにミズーリー州のミネアポリスを選んだ。
・こんな薄給の仕事でも、履歴書を書いて面接をして健康チェックを受ける。採用までには数日かかるから、同時にいくつか応募して就職先を選ぶと、仕事が始まるまでに1週間が過ぎてしまったりする。しかも、アパートはどこも空きが少なく、狭くて汚くて高い。で、見つかるまではモーテル暮らしだったりする。キッチンも冷蔵庫もなかったりするから、食事はファースト・フードか、パンを買ってただかじるだけだ。
・仕事はどれも肉体的にきついもので、しかも管理は厳しい。従業員同士のおしゃべりは厳しくチェックされ、休憩の時間はタイムカードに記録される。上司や客との関係では屈辱感を味わうことが避けられないが、従業員同士では助け合いもある。エーレンライクにとっては、すぐにも怒ってやめてしまいたいほどの仕事だが、そうはできないことを使われる者も、使う者も知っている。だから、冷淡さや意地悪がまかり通ってしまう。もちろん、やめて別の仕事に行く人も多い。だから慢性的な求人難なのだが、時給はちっとも上がらない。
・こんな境遇で懸命に働いても生活に困窮する人たちが3割もいる。アメリカで大人一人と子供二人の家族が最低限健康的で安心した暮らしをするためには年に3万ドル必要だそうだ。そのためには、時給は14ドルなければいけないのだが、その収入に達している人は4割に満たないようだ。アメリカは「働かざる者食うべからず」という考え方が強い。けれども、働いても食えないのが現在のアメリカの一面で、そのことをだれも強く指摘しないというのがエーレンライクの体験的取材のきっかけになっている。で、そのことを身をもって確認したのである。そのような状況は日本でも同様だろう。


私は「一生懸命働くこと」が成功の秘訣だと、耳にタコができるほど繰り返し聞かされて育った。「一生懸命働けば成功する」「われわれが今日あるのは一生懸命働いたおかげだ」と。一生懸命働いても、そんなに働けるとは思っていなかったほど働いても、それでも貧苦と借金の泥沼にますますはまっていくことがあるなどと、誰もいいはしなかったのだ。

・貧しい境遇にある人の生活をつぶさに見て、彼や彼女たちが持つ実感を知るためのいちばんの方法は、自ら体験してみることである。エーレンライクがとったこのような方法は、けっして珍しいものではない。たとえばG.オーウェルは自ら放浪者になって『パリ・ロンドン・どん底生活』を書いている。ビルマでの警察官の経験をもとに書いた『ビルマの日々』やいくつかの短編、あるいは炭坑町を取材した『ウィガン波止場への道』や義勇兵となって参戦して書いた『カタロニア讃歌』など、彼が書いた作品の多くは体験をもとにしている。じぶんで体験してみなければわからない感覚から考える。それはオーウェルのおもしろさや強い説得力の原点でもある。
・そのオーウェルが刺激を受けたルポルタージュを最近読んだ。ジャック・ロンドンの『どん底暮らし』で、20世紀の初めにロンドンのイーストエンドに入り込んで書いたものである。若いアメリカ人で栄華を極めた大英帝国の首都の東半分が劣悪な貧民街であることに驚愕する。襤褸(ボロ)服に着替え、救貧院で食事をもらうために半日並ぶ人の列に入り、何家族もが同居する汚いアパートの一室を住処にする。何とか職にありつこうと探し回るがまるでない。そんな状況をオーウェルやエーレンライクの体験と重ね合わせると、どんなに物質的に豊かな社会になっても、まったく改善されていないことに気づかされる。
・ロンドンもオーウェルも若いときに、若いからこそできた体験だが、エーレンライクのレポートは初老の独身女性という立場でやったからこそ描きだされた世界で、おなじ歳になっているぼくには、「わー、すごい!」としか言いようがないのが何とも情けない気がする。

2006年10月2日月曜日

SPAM排除!



迷惑メールは相変わらず、日に100通以上もある。とはいえThunderbirdを使いはじめてから、くりかえし来るメールは自動的にゴミ箱直行になって、煩わしさからはほとんど解放された。もっとも、初めてのものがいきなり迷惑メールになることは少ないから、やっぱり、毎日数十通に迷惑マークをつけることになる。そうすると、面倒くさいからどうしても、アルファベットの題名や送信者名のメールは、中身を確認せずにゴミ箱送りにしてしまうことになる。
ネットをはじめたころは、海外からもメールがあって、ディスコグラフィーにあるレコードを譲ってくれとか、留学している日本人の学生から、レポートや論文の相談をされたりといったこともあったのだが、最近は、いちいち確認もしないで捨ててしまっている。「あなたの大学に留学したい」といったメールのなかにうさんくさいのがあったり、プライベートを装うDMが増えたりしたからだ。
返事を書かないのは海外からのものにかぎらない。「リンクを張りました」「相互リンクをお願いします」といったメールにも、最近では反応しないことが多い。リンクは自由だから、断る理由はないし、相互リンクについては、リンクの頁を放りっぱなしで、何年もさわっていないから、承諾しましたと言いにくい。全面改装してという気もあるけれども、検索エンジンがこれだけ充実してきたら、個人の頁のリンクなど、ほとんど意味ないのではとも思ってしまう。実際、だれかの、どこかの頁のリンクを利用して、おもしろいサイトを発見するといったことが、ほとんどなくなってしまっている。
返事を出さないもう一つの理由は、学生や教職員とのメールでのやりとりが増えたこと、友人、知人、あるいは学会の連絡などもほとんどメールで済ますようになって、毎日処理するメールの量が多いことにある。だから、見知らぬ人からのメールはどうしても後回しになって、そのままにしてしまう。特に最近の迷惑メールには「相談があります」「お久しぶりです」「連絡をお願いします」などといった題名があって、ついついあけてしまうことがあるから、見知らぬメールには、最初から警戒心を持ってしまっているせいもあるだろう。

大学のサーバーが9月の末から迷惑メールをチェックするようになった。疑わしいものには題名の頭に[S_P_A_M] という表示がついて届けられるようになった。始まったばかりのせいか、表示されるのは2割ほどしかない。あるいは携帯からやってきた知人のメールに[S_P_A_M] とついていたりするから、やっぱり確認の必要がある。しかし、これが十分にはたらいてくれるようになれば、Thunderbirdと二重のチェックができて、作業はずいぶん楽になるし、いらいらせずに済むようになるだろう。
このコラムで迷惑メールについてはじめて書いた文章は1999年の11月で題名は「広告依頼とDMについて」となっている。ネット・ビジネスがまだ歩き始めたばかりの頃で、数通のメールに腹を立てていたことがよくわかる。それが1年後に書いた「ジャンクメールにつられて」になると詐欺まがいのサイトの話題になり、さらに1年後の2001年にはジャンクメールの山という話になっている。その意味では、5年間も迷惑メールに悩まされてきたわけで、これではメールの処理が煩わしくなるのも無理はない、とじぶんで納得してしまう。

2006年9月25日月曜日

生きものの世界

 

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・今年は雨の多い夏だった。からっと晴れた日は数えるほど。だから、じめじめして、家の中はかび臭くて、外でもあちこちでキノコを見かけた。見るからに毒キノコで、一つも食していないが、ひょっとしたら美味のものがあるのかもしれない。当然、カエルやミミズなども多い。庭を歩いたり、ハンモックに揺られていて、例年になく、蚊に悩まされもした。

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・高温ではないが多湿な気候は虫にも好都合なのかもしれない。庭で見かける虫の種類も、例年になく多かった。生まれたばかりの芋虫。それが青葉をむしゃむしゃ食べる。成虫は交尾に夢中だ。どんな虫も、間近で見ると色合いが美しい。マクロで写真を撮ると、その色合いがいっそうはっきりする。技術のある写真家が高機能の高価なカメラを使ってはじめて可能になるような鮮明なショットが簡単にとれてしまう。デジカメの威力に改めて感心!。

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・こうして並べると、森の生きものの多様さがよくわかる。けれどもこれらはどれも、目をこらしてはじめて見えてくるようなものばかりだ。当然、意識しなければ気づかない。それは花でも一緒で、野草が咲かせるのはどれも小粒で、近寄ってみなければ、その色合いや模様はわからない。だから、こういう世界にふれていると、余計に、派手さばかりを追いかける都市の暮らしや人びとの関心の向けどころにインチキ臭さを感じてしまう。
・もちろん、自然のものだけでなく、育てたものもある。朝顔は今年もきれいな花を毎日たくさんつけている。茗荷もたくさん出た。ただし、一週間だけの楽しみだった。今は秋海棠が満開だ。

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