2013年1月28日月曜日

パティ・スミスのコンサート

パティ・スミス(東京渋谷オーチャードホール:1月24日)

pattilive.jpg・パティ・スミスのコンサートに出かけた。2回目だが前回は1997年だから15年ぶりということになる。当日のチケットが残っていると聞いて、急遽行くことにした。2000席ほどの会場でどのくらい埋まるのか気になったが、7割ぐらいは入っていた。

・パティはパンクの女王と形容されるが、僕は最良の女性ロック・ミュージシャンだと思っている。ミュージシャンである以前にビートニクの流れを受け継ぐ詩人であり、政治や社会に対して痛烈な発言をするプロテスト・シンガーだが、ステージでのパフォーマンスそのものもまた、ロック・ミュージシャンとして最高だと思うからだ。

・今回のツアーは仙台から始めている。東京で2回の後、名古屋、金沢、大阪、広島、福岡と10日間で8回の公演が予定されている。僕より二つ年上なのにこんなハードなスケジュールがこなせるのだろうかと心配になったが、ステージは元気いっぱいだった。オーチャード・ホールは一昨年のキース・ジャレット以来二回目だが、ロックでもやっぱり音響がいいのがすぐわかった。

・仙台についての即興的な歌から始まって、去年出たアルバム"Banga"からの曲が続いた。和太鼓奏者が紹介されて’Fujisan'が演奏されると、もうアリーナは総立ちで、パティに応えて手を振り上げる者、踊り出す者などで盛り上がった。ツナミのことや原発事故のことを歌ったが、開演前にはカンパの呼びかけもしていて、途中で抽選をして一人にプレゼントを渡したりもした。ちょっと興ざめの気がしないでもなかったが、仙台から始めて広島でもやるというツアーには、彼女のなりの意図や思いもあって、それはそれでわかる気もした。

・後半はライブではおなじみの曲が続き、ラストは 'Power to the People' で、アンコールは 'Gloria' だった。' Power to the People' は88年のアルバム "Dream of Life"で 'Gloria'は75年のデビュー作の "Horses"で発表された歌だ。もう37年になるし、もともとはヴァン・モリソンの曲だが、歌詞は彼女なりに変えていて、彼女の変わらない姿勢を表明する内容になっている。


Patti-Smith-Horses.jpg
キリストは誰かの罪を背負って死んだ
でも私じゃない
私の罪は私自身
それは私が背負うものだ
人は私に気をつけろと言う
でも私は気にしない
そのことばは私には
規則と規律と一緒だから

・コンサートの翌日にあった官邸デモにパティが来るという噂が流れたようだ。実際には現れなかったが、「行きたかった」ということばと「ファッキン・ニュークリア!」というメッセージが届いたそうだ。原発にファックなどしたくはないから、この場合は「くそったれ!原発」か、いや「放射能たれ!原発」だろう。

2013年1月21日月曜日

今年の卒論(2012年度)

 

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・今年の4年生は9名です。3年生の時は12名いましたが、4年生になると3名がいなくなっていました。卒論について、3年生の時点で5000字書くという課題が重荷だったのかもしれません。来るものは拒まず、去る者は追わず。数年続いた大所帯から一転して、今年は少人数になりました。一人一人に目が行き届いて、いい作品が出来上がった、と言いたいところですが、やる気が今ひとつ見えませんでした。理由はもちろん、就職状況の厳しさにありました。けれども、早くに内定を取った学生からも、次は卒論といった気迫が感じられませんでした。

・笛吹けど踊らず。今年は本気で、卒論集をやめてしまおうかと思いました。昨年度に学部長を務めて2年生のゼミを持たなかったために、3年生のゼミは5人だけでしたから、卒論集もちょうどいいやめどきだったのかもしれません。

・ところが、2年生のゼミで夏休みの宿題にした「自由研究」に力作があって、これを修正させて、卒論集に載せることで、少しやる気が湧いてきました。大震災直後に入学した学生たちだからでしょうか。今年の4年生が2年生だったときとは、ゼミに対する積極性がまるで違います。ですから彼/彼女たちが卒論を書く再来年までは、少なくとも、この卒論集を続けることになると思います。


1.「バナナ貿易の現実」 秋山加菜
2.「何故、ミュージカル『テニスの王子様』は人気が出たのか」 佐久間恵梨
3.「『ラジオ』と『若者』〜なぜラジオ離れが進んでいるのか〜」 平塚 貴大
4.「中央競馬の衰退」 猪瀬幸哉
5.「変わりゆく家族形態」 宮坂実穂
6.「日本の英語教育は間違っているか」 仁科翔太
7.「女子文化」 梅崎莉里香
8.「携帯電話の登場によるコミュニケーションの変化」 岩渕要
9.「 百貨店の誕生と歩み」 森川翔平

2013年1月14日月曜日

When I'm Sixty Four.

 

・誕生日が来て64歳になった。60代ももう真ん中かと思うと、ハッピーでも何でもないが、64歳には特別の思いがある。ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を出したのは1967年で、僕はその時18歳だった。その中に"When I'm Sixty Four"というタイトルの曲があって、他とは違う変な歌だと思ったことを覚えている。

・アルバム全体が前衛的なサウンドで作られている中で、この曲だけがほのぼのとしていた。しかしそれ以上に強かったのは、「なぜ、そんな先のことを歌うのか」とか「64歳に何か意味があるのだろうか」といった疑問だったのだろうと思う。

・そんなことを思い出して気にし始めたのは、自分が60歳になったときだった。日本では「還暦」という特別の年齢だが、僕には自分が64歳になる時の方が意味があるように思えてきた。その64歳になっても、特にどうということもないが、あらためて"When I'm Sixty Four"を何度か聴きかえしてみた。

beatles1.jpg ずっと先のことだけど
毛が抜けるほど歳とった時に
君はまだ僕に
バレンタインや誕生日のカードやワインを
贈ってくれるだろうか?

64歳になったときに
君はまだ僕を必要としているだろうか?


・この歌では、他にも「明かりが消えたら、僕はヒューズを直せるし、君は暖炉のそばでセーターを編んでいる」とか、「夏にはワイト島でコテージを借りて、膝には孫がいる」といったことが歌われている。何とものどかな話で、反抗の世代と言われた60年代後半の若い恋人たちでも、結婚を考えた恋人同士なら、こんな話をすることもあったのかもしれない。

・けれども僕には、こんな歌詞は想像する気にもならない、ほとんど意味のないものだった。半世紀も後のことを話す恋人などはいなかったし、バレンタインや誕生日のカードやプレゼントの交換なども、したことがなかったからだ。第一に、半世紀も先の、老人になった自分のことなどについて、考えるきっかっけもなかったのだと思う。

・ところが時間は確実に経って、想像もしなかった歳が現実にやってきた。この半世紀の間に平均寿命がずいぶん伸びて、60代ではまだまだ老けこむ歳ではなくなってきた。実際僕にはまだ両親がいて、その姿に、これから20年以上も先の自分を重ね合わせたりもしている。仕事ももうしばらくは続けなければならないから、老人であることを自覚する機会はほとんどないのである。

・ビートルズのメンバーは二人しか生き残っていない。けれども、同世代のミュージシャンたちの中には、今でも現役で、新しいアルバムを出し、ライブ活動を活発にしている人が少なくない。若いふりをする必要はないが、老けこむ歳でもない。64歳になって改めて思ったことである。

"When I'm Sixty Four"

2013年1月7日月曜日

モリソンとノップラー


・新しいアルバムを買って聴いても、すでに聞いたことがある曲ばかりではないのか、と思うミュージシャンが何人かいる。けれども、アルバムが出たといえば買いたくなってしまう。古いつきあいといえばそれまでだが、聴いていて、やっぱりいいなと思うのは、作品としてよくできているからだ。今回は、そんなミュージシャンを二人取り上げよう。

・ヴァン・モリソンは1945年生まれだから、もうすぐ70歳になる。北アイルランドのベルファスト出身で1964年にゼムというバンドでデビューした。しかし、66年には脱退をして、後はずっとソロで音楽活動をしてきている。これまで発表したアルバムは40ほどで、僕はそのほとんどを持っている。ロック、ブルース、ジャズ、そしてケルトと音楽的には多彩でいくつもの楽器を弾きこなすが、僕は何より、彼の声が好きだ。ディランとは違って若い頃からほとんど変わらない。その最新アルバムは”Born To SIng"で、スプリングスティーンの”Born To Run”とは対照的な表現だと思った。その歌のメッセージは、おおよそ次のようなものだ。
morrison9.jpg


歌うために生まれてきたからには
パッションこそがすべて
歌い始めたら心の奥底まで踏みいって
もう止めることはできない
バンドがスイングを始めたら
すべてがわかってくる
歌うために生まれてきたのだから

・ヴァン・モリソンの歌は、残念ながら生で一度も聴いたことがない。聴きたいと思う一番のミュージシャンだが、飛行機嫌いで日本には来ることはないから、こちらから出かけて行くしかないのだろうと思う。彼のオフィシャルサイトを見ると、1月もベルファストでライブをやっているようだ。元気で歌っている間にぜひ聞きに行きたいものだと思っている。

knopfler4.jpg ・もう一人はマーク・ノップラーで、新しいアルバムの"Privateering"は2枚組だった。彼の音楽にもケルトの臭いがするが、生まれはスコットランドのグラスゴーだ。しかし、名前からわかるとおり、父親はユダヤ系ハンガリー人で、ナチを逃れてスコットランドに移住して、アイルランドの女性(母)と結婚した。ダイヤー・ストレイツという名のバンドを初めて聴いたのは1978年で、ディランの声にそっくりというのが第一印象だった。その後、このバンドはもちろん、ソロや共作(エミルー・ハリスなど)のアルバム、そして多く手がけている映画のサウンドトラックもほとんど買っている。

・彼の声も、デビュー当時からあまり変わっていない。エレキ・ギターを指で弾くフィンガー・ピッキング奏法が独特の音を出すし、ケルト音楽もよく使う。新作にもそんなサウンドが一杯だ。聴いている限りはノップラーの世界だが、アルバムタイトルの"Privateering"の意味が気になった。Privateeringは戦争に雇われる私掠船のことで、この題名の着いた歌の歌詞にはブリタニア(ローマ帝国時代のイギリスの名)が私掠船を必要とするたびに戦争に出かけ、敵を全滅させて褒美をたくさんもらいバーバリー(アフリカ北部)にやってきた、といった描写がある。ネット上でレビューを探して読んでも、そのことについて触れているものがないのは、何とも気になるところだ。

・僕も何度も行ったことがあるシアトルを歌った歌詞には「シアトルは愛の雨が降る」といった一節がある。憂鬱な気分にさせる秋の長雨だが、おもしろい表現だと思った。

2013年1月2日水曜日

新年に思うこと

 

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新しい年の初めですが
まずは去年を振り返ることから

両親が老人ホームに入居して
実家というものがなくなりました
売却された家が壊されて更地になったのを見て
人間が作るものの儚さをつくづくと感じました

それに比べて、山歩きで見る景色には
どこに行ってもその不動さに圧倒されましたが
長いスパンで見れば
褶曲や造山活動によって
海底から高山になったりもしたのです

3.11以降、世界は変わったというのに
何事もなかったかのような空気に包まれています
目先の電気や経済を優先して
数千、数万年にも及ぶ被害の影響を軽視するのは
現代人のエゴイスティックな考えですが
その超近視眼的な視線が見つめるのは
ほんの数ヶ月先までに限られるようです

とは言え、ぼくも学生からおじいちゃんと見られる歳になりました
この先何年生きて、どんな生き方をしていくのか
その大きな節目を強く意識するようになりました
どうやら本当のおじいちゃんにもなりそうで
自分が生きられる時間よりもずっと未来のことまで
考え、行動する必要があるようです