2009年7月27日月曜日

「ソーシャル・ビジネス」と「21世紀の歴史」

 

attali.jpg・ジャック・アタリの『21世紀の歴史』(作品社)は、「未来の人類から見た世界」という副題にあるように、今はまだ未来でしかない21世紀の中頃から、過去の歴史をふり返っている。だから、話は人類の誕生からはじまって、4大文明、ギリシャ、ローマ、そして近代化の中で中心となった都市(ロンドン、ニューヨークなど)の話を経て、21世紀の50年代へと進む。主な話題と視点は「市場と資本主義」である。
・壮大な物語だが、独特の切り口と口調で興味深く読んだ。書かれたのが2006年で翻訳されたのは08年の8月だから、サブプライムショックで一気に世界的な大不況が襲った直前だが、まるでそれを予告するような指摘もあって、フランスではずいぶん話題を呼んだらしい。しかし、この本のテーマはそこではなく、不況や社会的な格差、環境破壊を乗り越えて、人類がどうしたら、21世紀を生き抜くことができるかというプランを提案した点である。
・アタリの予測では、21世紀の前半はますます悲惨なものになる。市場の力が国家を超え、国単位では制御できなくなる。近視眼的な見方しかできない市場では、資源や食料、あるいは水や空気を巡る統制のきかない奪い合いが起こり、紛争や破綻の火種が世界中に発生する。で、そのままでは当然、世界は破滅ということになるのだが、そこまで行ってやっと、何とかしようという大きな動きが起こるという筋書きになっている。

sb2.jpg・アタリが希望を託すのは、社会的な公正や環境の改善を目的としたビジネスだ。そこには、破滅の前夜まで、富を廻って争いあうほど、人間は愚かではないという信頼がある。そううまくはいかない気もするが、動きは実際に目立ちはじめていて、そんな本も何冊か読んだ。それらはたとえば、「ソーシャル・ビジネス」「社会起業家」と呼ばれ、「ビジネス的な発想で貧しい人々のニーズを満たす」ことを目的にしている。その代表はバングラデシュで貧しい人たちに融資をする銀行(グラマン)を起業したムハマド・ユヌスで、彼は2006年度にノーベル平和賞を受賞している。
・「ソーシャル・ビジネス」はNPOとは違って、企業として利益を上げることを目的にする。その利益は企業や市場の拡大に向けて投資して、貧困や教育、あるいは衛生面の改善を進めることになる。それはもちろん、毎日の食べ物に飢え、路上で物乞いをする人たちを目の当たりにしたところから出発した活動だが、ビジネスとして成功することで、先進国の人たちに新しい発想を気づかせたり、大きな企業との合弁で起業するといった動きも作りだしている。「エヴィアン」で有名なフランスの「ダノン社」と「グラマン銀行」が合弁して作った「グラマン・ダノン社」は、子どもたちの栄養状態の改善を目指してヨーグルトをバングラデシュで生産して安価で売り、採算のとれるビジネスに成功させている。仕事を増やし、子どもたちの栄養状態を改善し、学校へも通える環境を増やし続けているというのである。

sb1.jpg・「ソーシャル・ビジネス」は利益を上げるけれども、投資家に配当を払うことはしない。投資家や出資者が得るのは、あくまで善行をしたという満足感と自らのイメージ・アップだ。その意味では、既存の企業にとっては新たな広告料として見なすことができる。たとえば、飛行機や鉄道、そしてCDのメガストアを経営する「ヴァージン」のリチャード・ブランソンは、2007年に2500万ドルの「ヴァージン・アース・チャレンジ」賞を設けて、「毎年、大気中から最低10億トンの二酸化炭素を取り除ける」商業的に実現可能な技術の開発を募りはじめた。それはなにより、彼や「ヴァージン」のイメージ・アップに差しだされた投資だが、現実に開発されれば、温暖化現象を緩和させる大きな一歩にはなるだろう。「大金持ちになった人間としてではなく、世界を良くするために、大きな貢献をした人として、歴史に名を残したい。」こんな発想が21世紀の主流になって、世界の政治や経済、社会や文化、そしてなにより環境や資源を持続可能なものにしていくことができるのか。信じにくいけど大事なこと、だと思いながら読んだ。

・テーマからはずれるが、読みながら気になったことがある。「ソーシャル」が「ビジネス」や「起業」「企業」の頭につくと、なぜ「社会貢献」といった意味になるのかという点だ。そう考えたら、「ソーシャル・キャピタル」が「社会関係資本」と訳されていることを思いだした。で、日本語の「社会」には「貢献」や「関係」という意味が含まれていないことに気づいたのだ。日本語で「社会」に対応し、「貢献」や「関係」を含むのは「世間」である。しかし、「世間」にあるのは、タテ関係に基づく「甘え」の意識であって、「個人主義」に基づく「自立の意識」と、それをささえる「互助の精神」ではない。日本人には馴染みにくい発想だろうなと、つくづく感じた。「貢献」や「関係」をわざわざ補わなければならないほど、日本人は「社会」に無頓着なのだから。

2009年7月20日月曜日

テレビと政治

・政治ドラマにやっと区切りがつきそうな情勢になった。だらだらと続いた三文芝居のようなお粗末さで、とっくに愛想は尽きていたが、一方で、現実の社会はすっかりがたついていて、人びとの心には不安や不満が一杯だ。テレビはそんな空気を後ろ盾にして政党や政治家を批判するが、こんな状況をつくり出した原因のひとつがテレビであることにはまったく無自覚だ。それは、実はわが身の保身にしか興味のない政治家と同じレベルの意識だから、ニュースを見るのもうんざりしてしまう。

・テレビがいつも注目してくれると、自分が国民の支持を得ていて、きわめて影響力のある政治家だと勘違いしてしまうらしい。しかも、それが錯覚であることに気がつかない。宮崎県知事のそのまんま東はテレビが作った虚像だが、それだけに、宮崎県の広告塔としては、ずいぶん大きな効果を発揮してきた。ニュースだけではなくバラエティ番組にも頻繁に登場し、宮崎の宣伝に努めたから、宮崎県やその産物の知名度もずいぶん上がったと思う。しかし、それはあくまで、知名度やテレビへの露出が果たしたおかげであって、政治家としての手腕の結果ではない。

・自民党からの衆議院選挙への出馬というニュースは、彼の知名度に頼って得票数を何とか増やそうとした自民党の計算と、自分の政治家としての力を過信したそのまんま東とのズレが生んだ茶番劇だった。「総理候補にするなら出馬する」という発言は、その気がなければ、強烈なジョークとして、自民党をさらにおとしめ、彼の人気を高めた結果に終わっただろう。けれども、本気だったから、自民党も反発し、世論も呆れて見限った。その浅はかさは、やっぱり所詮は権力欲にとりつかれた芸人にすぎないことを暴露させたが、改めて、自分が政治家として実力も人気もあると思いこませたテレビの力に怖さを感じた。しかも、当のテレビには、そんな力を自省する意識はまるでないから、相変わらず、持ち上げては落として捨てるといった扱いを繰りかえしている。

・「有名人は有名だから有名なのだ」と言って、テレビが実体のない虚像をイメージだけでつくりあげることを指摘したのは、D.J.ブーアスティンで、テレビがまだ揺籃期だった半世紀も前のことだった。その『幻影の時代』(東京創元社)では見栄えのいいケネディが、はじまったばかりの大統領選挙のテレビ討論会で人気を博して当選したことが例にあげられたが、20年後には、ハリウッド・スターのレーガンが、その格好よさと演技で、大統領らしさを見事に演じて人気を得た。

・今年のMLBのオールスター・ゲームで、イチローがオバマ大統領と話をするところがニュースとして流された。オバマのサインをもらい、憧れのスターを目の前にした少年のように緊張していたイチローの姿がおもしろかった。彼はそのカリスマ性に圧倒されたようだった。オバマはアメリカ初の黒人大統領だが、それだけではなく、その演説のうまさと人を引きつける雰囲気をもっていることで人気を得て、支持された。アメリカの大統領として、世界をリードする責任を自覚して、ブッシュの時には敵対的だった国やその指導者の姿勢も変えさせてきた。

・一方で、そういった政治家の出現を目の当たりにすると、日本にはそれをせめてイメージだけでも感じさせる政治家やその候補さえいないことを思い知らされる。国民の反応である世論が大事で、そのためにはテレビに出て、愛想を振りまくことが必要だ。そんなことしか頭にない政治家ばかりが目立っている。国民はわがままで、気ままなのに、そこに自分の政治哲学や政策をぶつけて、人びとを納得させようと考える人がいないから、政治家も政治もテレビの無責任な取りあげ方に翻弄されることになる。この国の政治がダメなのは今に始まったことではないが、経済も社会も破綻しかけているから、その不信感は未曾有(みぞう)のもので、それを政治家もテレビも自覚しないから、怖い世の中になったなと、つくづく感じてしまう。

2009年7月13日月曜日

飛行機と自転車

 

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・今年から授業時間数が増えて、夏休みは8月になってからという信じられないスケジュールになった。文科省の指導だから、全国どこの大学でも同じで、9月も早くはじまるから、夏休みの期間は小中高校並みに短縮されてしまったことになる。大学生にもっと学力をつけさせよ、といった趣旨かもしれないが、大学は自分で勉強するところだから、学生はますます、授業さえ出ていればそれでいい、といった気になってしまう。百害あって一利なし。相変わらずの文科省の愚策だが、大学は素直に受けいれなければならないから、何ともしゃくに障ってしまう。

・で、夏休みはまだまだ遠いのだが、待ちきれない気がして、伊豆の神津島への短期旅行を計画した。木曜日に出発して土曜日に帰ってくる日程で、シュノーケリングとトレッキングを楽しんでくるという予定だった。天気予報は悪くないし、当日の朝も薄曇りで、早起きをして調布飛行場に出かけた。そうすると、神津島の飛行場は雲に覆われていて、出発のめどが立たないと言う。飛行機は20席たらずの小さなプロペラ機で、パイロットによる有視界飛行だ。そんなことがあるとは夢にも思わなかったから、ただ呆然という感じだった。
・飛行機は午後にももう一便あるので、とりあえず大学の研究室で待機して、もう一度飛行場に出かけた。今度は飛べるかもしれないと言うことだったが、いろいろ不安なことが思い浮かんだ。島についても今度は帰りの便が心配だ。島からの飛行機は、調布からの便の折り返しだから、島にやってこなければ戻ることはできない。それに何より、飛行機が小さすぎる。ここのところ欠航が多いし、着陸できなければ戻ってくると言われたので、あきらめて家にもどることにした。

forest76-2.jpg"・そんなわけで、この週末も、自転車で湖畔を走っている。暑くなったから、家に帰ると汗びっしょりになる。当然、ビールがおいしいし、食欲も出るから、体重はまったく減る気配もない。ただし、脚力は確実についている。去年は途中で断念した西湖一周も、今年は一度成功している。途中100m上がる急坂を自転車を引いて何とか登りきった。この次は漕いで登りきることに挑戦しようと思っている。
・今は一回に20 kmほどを1時間弱で走っているが、夏休みになったらもう少し遠出もするつもりだ。自転車は折りたたみだから、ドライブ旅行にも持っていく。最初は大げさでいらないと思っていたヘルメットを買うことにした。下り坂では速度が50kmを超えるし、最近自動車の数も多い。万が一転んだりしたらと考えると、少し不安になったからだ。

・河口湖は今花盛りだ。道路のあちこちに紫陽花が咲いているし、コスモスも咲き始めている。ラベンダーには観光バスでやってきた人がたかっているし、ブルーベリー畑やサクランボウも狩りをする人で溢れている。不景気だとは言え、客足は例年と変わらないように見える。ただし、我が家の工房に体験で来る人の数は、去年の秋からめっきり減ってしまった。土と戯れて、忙しさにくたびれた心を癒す。そんなつもりで来る人が多かったのかもしれない。仕事が暇だと、心を癒す必要もなくなるのか。そんなときこそ、のんびり、ゆっくりした楽しみ方をしたらいいのにと思う。

2009年7月6日月曜日

BlackberryとMacbook Air

 

blackberry.jpg・携帯は一応持ち歩いているが、ほとんど使うことがない状態だった。家族との間の連絡にしか使っていなかったからだ。あってもなくてもいいもので、買ってから機種変更も一度もしなかった。しかし、NTTのMovaはサービスが停止になるという知らせが頻繁に来るようになったことや、 iphoneが気になったこともあって、買いかえを考えるようになった。
・どうせ変えるなら、メールを全て受け取れるものをと考えると、選択はかぎられてくる。iphoneだとソフトバンクに変えなければいけないのが面倒だし、キーボード付きでないのが気に入らない。そんなふうに思ってNTTのサイトを見ると、気を引く機種がひとつあった。Blackberry baldという名で、小さいけれどもキーボードがほぼフルで備わっていて、デザインもなかなかいい。で、さっそくDocomoショップに出かけて現物を確認することにした。

・僕はモノの選択についてはあまり迷ったことがない。一目で気に入れば即座に購入するし、迷うようなら買わないことにしているからだ。 Blackberry baldは見た瞬間にいいと思った。キーボードも小さいくせに確実に打てる。今までの携帯に比べたら月々の払いは増えるが、その場で契約することにした。
・使いはじめて2ヶ月近くになる。最初の一ヶ月は7000円近くもとられてびっくりしたが、二ヶ月めは半額で治まった。ネットにつなぐのはなるべく大学の研究室(wifi)で、メールの受信は題名だけで受信拒否もこまめに設定する。と、何とか使い方が落ちついてきた。16ギガの microSDカードを入れたからビデオも画像も音楽もかなり入るが、そうなるとデジカメやiPodを一緒に持ち歩くのが無駄に感じられてくる。実は Zaurusも使っていて、道具に使われている気がしないでもない。

macbookair.jpg ・主に出かける時にと買ったPowerbook(12インチ)が5年目に入った。泊まりがけで出かける時には必須の道具で、重さが気になっていたから、ちょっと前からMacbook Airへの買いかえを考えていた。で、Powerbookは父親にプレゼントした。喜寿の祝いにプレゼントしたiMacとプリンターが、どちらもくたびれていて、ネットを見たり、写した写真を印刷するのがままならなくなってきたからだ。
・Airは軽くてキーボードも使いやすい。しかし、液晶画面が光って見にくいのは、最近のマックに共通した特徴だ。研究室用に去年購入した IMacも、作業している自分の顔がうっすら見えて、時にうんざりしてしまう。軽くなったおかげでいつでもバッグに入れて持ち運んでいるが、鞄にはその他にZaurus、デジカメ、iPod、そして小さなハードディスクがあり、腰にはBlackberry。さらに首にはUSBをぶら下げているから、何ともにぎやかで、何でこんなに必要なのかと首をかしげてしまう。なくてもいいけど、ないと不安。