2013年5月26日日曜日

漠と渡とグッドマン


高田渡他『貘-詩人・山之口貘をうたう』
"Steve Goodman Tribute"

・山之口漠は沖縄出身の詩人である。20世紀の初めに生まれ60年代の前半に死去したが、漠の詩は高田渡によって歌われていてる。たとえば「生活の柄」は進学のために上京した漠が極貧の生活の中で経験した、野宿と食うや食わずの境遇を歌ったもので、大正から昭和にかけての時代に作られたものだが、それは高田渡の代表作にもなっている。


歩き疲れては夜空と陸との隙間に潜り込んで
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ寝たのですが
眠れないのです

baku.jpg・その高田渡が中心になってトリビュート・アルバム『貘-詩人・山之口貘をうたう』が作られたのは1998年で、僕は最近このアルバムを見つけて買った。歌っているのは高田渡の他に、沖縄出身の佐渡山豊や大工哲弘、それに沖縄民謡の代表的歌い手だった嘉手苅林昌の息子の嘉手苅林次などが参加している。
・このアルバムでは「生活の柄」は大工哲弘が歌っていて、三線の弾き語りには高田渡と違った趣がある。山之口獏が沖縄出身であることをあらためて実感できる歌になっている。同じことは嘉手苅林次が歌う「告別式」でも感じたが、彼の父、嘉手苅林昌についてはこのコラムでも「ジルー」というアルバムを紹介したことがある。そこで書いたのは、沖縄の民謡を集めたものであるのに、沖縄出身の彼より若いミュージシャン達との繋がりが感じられたということだった。

・理由の一つは、沖縄の歌が歴史や時事的な物語の語り部として生き続けていること。それは、沖縄の自然や神話、あるいは昔話に触れ、戦争について歌う。古い言い伝えが生き生きとよみがえり、悲しい歴史が反芻される。あるいは何より多い恋歌は、どれもが春歌のようで開放的だ。沖縄の若いミュージシャンは、新しいリズムや楽器を取り入れ、時代に合わせたメッセージや物語を歌にするが、歌う姿勢に何ら違いはない。そんな印象が強い。

・このトリビュート・アルバムを聴いていて思うのは、山之口獏が沖縄の心の歌を書いた詩人だということだ。今の沖縄の心の歌を歌うミュージシャン達が高田渡の呼びかけで集まって、もう半世紀も前に亡くなった詩人の歌を歌う。どこであれ、誰であれ、「心の歌」にはそこから遡って辿ることのできる先達の歌がある。「トリビュート」と名のつくアルバムには、そんな「遡行」という方向性が共有されているものが少なくない。

goodman1.jpg ・長田弘の『アメリカの心の歌』を読み直して買ったCDにスティーブ・グッドマンをトリビュートするアルバムがあった。グッドマンは僕と同い年で1984年に白血病で死んでいる。地味なミュージシャンで僕も全く知らなかったが、彼の作った歌は多くのミュージシャンにカバーされている。たとえばジョン・プラインが歌った"Souvenirs"は大ヒットしているし、アーロ・ガスリーが歌った「"City of New Orleans"は、その後ウィリー・ネルソンなど多くの人に歌われている。
・そのグッドマンのトリビュート・アルバムにはジョン・プラインやアーロ・ガスリーの他にリッチ・ヘブンズ、ボニー・レイト、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、そしてデビッド・ブロンバーグなどが参加している。作られたのはグッドマンが死んだ翌年の1985年で、僕はそのアルバムを28年後に手にして聴いている。うん、なかなかいい。

2013年5月20日月曜日

春の山歩き

 

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・今年は3月になって急に暖かくなった。卒業式には桜も咲いて、ぼちぼち山歩きをという気になった。で、京都の個展が終わって新学期が始まる前の4月はじめから歩き始めた。最初は伊豆の金冠山と達磨山から。暖かいところからと思ったのだが、駿河湾から吹き上げる風は冷たかった。次週は箱根の明神が岳。天狗で有名な最乗寺からの登りはだらだらと長かった。桜は咲いていたが、凍えるほどに寒かった。連休前の4月末は家の近くの十二ヶ岳に登った。距離は短いが絶壁や吊り橋のある難コースで頂上に着いたときには思わず万歳が出た。

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連休中は人混みを避けて家で大工仕事をして、連休明けに茅が岳に登った。日本百名山の名付け親で有名な深田久弥が最後に登って頂上近くで急逝した山である。女岩という意味深の岩壁があり、深田久弥終焉之地と書いた石碑があった。頂上はパノラマの風景だったが、残念ながら霞がかかってぼんやりとしか見えなかった。元気のいい山ガールたちが頂上でコッフェルを使って食事をしていた。
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先週は去年上高地に行ったときから考えていた奥穂高に行ってきた。と言ってもロープウェイに乗って頂上まで登り、まだ深い雪の残る周辺の散歩道を歩いただけである。西穂高、穂高、北穂高、槍ヶ岳、大ノマ岳、笠ヶ岳、そしてはるかに白山連峰まで見える景色は壮観だった。雪が溶けていて西穂山荘まで歩けば眼下に上高地まで見えたのにと残念だったが、欲はかかずにまた秋に来る楽しみにしておこうと思った。

前日は平湯で大ネズコの巨木を見に山に登り、大滝を見に沢を歩いた。ネズコはヒノキ科で成長が遅い木で、幹回りが7.6mもあるこの木は推定で樹齢1000年を越えているようだ。平湯大滝は落差が64mある。水しぶきがかかるほどのところまで近づくと、その高さがよくわかった。
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2013年5月13日月曜日

もう醜悪と言うしかない

 

・「アベノミクス」が好調で、株価が高騰しているようだ。テレビのニュースではそれに関連して、景気のいい話をよく取り上げている。高級品がよく売れているし、自動車業界も好調らしい。円安のおかげでソニーやパナソニックなど、傾きかけた大企業も明かりが見えてきたようだ。だから首相も強気になって、憲法改正や愛国的な道徳教育を声高に言いはじめている。

・「美しい日本」「強い日本」が安倍首相の持論で、占領軍に押しつけられた憲法を改正し、自衛隊を国防軍にして、真の独立国家にしなければというのである。しかし、押しつけられたものではないことは専門家の間では自明だし、世界中見渡してもこれほどに良くできた憲法は二つとないのだから、どう変えても改悪にしかならないのは火を見るよりも明らかである。第一、押しつけられたというのなら、未だに米軍のやり放題が通ってしまう「地位協定」こそ見直すべきなのに、このことを強く言う政治家は与党には見当たらない。

・円安になりインフレになって得をするのは輸出に頼る大企業だけである。株価が上がって儲かるのは、集めた資金を運用して利益を上げる機関投資家やグローバルに資金を運用するヘッジファンドだけである。富士山が世界文化遺産として認められそうだというニュースが流れると、地元の観光会社の株がストップ高になったそうだ。余り上下しなかった株が半年前の3倍にもなっている。観光客増に対する期待感からだろうが、こんな上がり方をするのはもう、バブルとしか言いようのない事態だろう。

・日銀が大量に発行する円は、国債として国の借金になる。その額がもうすぐ1千兆円を越えるという。この数字は国民一人あたりに換算すると800万円にもなる額で、空恐ろしい気がする。21世紀に入って倍増した借金が「アベノミクス」によってさらに急激に膨らんでいるのである。景気浮揚のカンフル剤は効き目がなければ劇薬として作用してしまう。その危険性を批判する声は、国会からもメディアからもあまり聞こえてこない。

・重要なのは目先のことであって、将来や未来にまで目を向けるのは理想論に過ぎない。こんな論調が今の日本の空気であるようだ。だから原発は再稼働が必要だし、TPPにも参加しなければならないし、原発をトルコやヴェトナム、そしてアラブ諸国にも売り込んでいく必要がある。もう醜悪としか言いようがない政策だが、安倍首相はさらに「主権回復の日」などというグロテスクなアイデアを実行した。それが沖縄にとって「屈辱の日」であることはまるで念頭になかったかのようであった。ちなみに僕は4.28というと「沖縄反戦デー」を思い出す。この日は大きな集会やデモが行われてきたのである。

・陳腐でグロテスクなものをもう一つ。「国民栄誉賞」は王貞治がホームランの世界記録を塗り替えたことを理由に設けられた。この賞は首相が独自に決めることができるもので、これまでスポーツ選手や芸能人が数多く受賞している。選考の基準が曖昧で選考委員会などが常設されているわけではないから、きわめていい加減に、その時々の空気や人気取りの狙いで決められてきた。

・安倍首相は今年すでに、死去した大鵬に授け、さらに長嶋と松井を表彰した。長島についてはなぜ今という理由がわからないし、松井については受賞そのものに疑問符をつけたくなる。特に二人が最近大きな話題になったわけではないし、記録で言うなら長島や松井以上の選手はたくさんいる。とりわけ松井については、メジャー・リーグでの活躍と言うなら、その道を切り開いた野茂や記録を残しているイチローの足下にも及ばない。

・首相の気まぐれかと思っていたら、受賞祝いの会席に読売新聞の渡辺恒夫が同席したというニュースが入ってきた。これぞ醜悪の局地。政府と財界とメディアが結託し、足並みをそろえて進む道の先にあるのは、地獄でしかないように思えてきた。

2013年5月6日月曜日

長田弘『アメリカの心の歌』(みすず書房)

 

osada.jpg・この本は以前に岩波新書で出版されていて、ぼくはこのサイトを初めた時の最初の書評にこの本を選んだ。1996年の11月だからもう16年以上も前のことだ。同じ著者の同じ題名だが、本はハードカバーで出版社も変わっている。中身は同じかもしれないと思いながら買うことにした。

・読み返しながら改めて思ったのは、この本を読んで知ったミュージシャンの多さだった。ジム・クローチ、グラム・パーソンズ、ジョン・プライン……。地味だけどいかにもアメリカ的。それを著者は最初に「『私の生き方』を自ら問い直すための歌」と書いて、多くのミュージシャンについて語っている。歌を聴けば、その人の生き方と人生に対する態度が聞こえてくる。そんな人たちばかりを集めて、それがアメリカの心の歌だと言ったのは、16年経って読み返して、なお一層納得できると思った。

・歌というのは、つまりうたい方だ。うたい方というのは、つまり歌うたいの個性だ。個性というのは、つまりは人生に対する態度だ。そして、人生に対する態度がすなわち歌である秘密をどうにかして伝えようとしてきたのは、シンガー・ソングライターの歌だった。

・これはアメリカ人ではなくアイルランド人のヴァン・モリソンについて書いた章の冒頭のことばである。アイルランド人のヴァン・モリソンの歌がなぜ、アメリカの心の歌なのか。著者はそのことには何も触れていない。と言うよりは、アメリカの心そのものとしてヴァン・モリソンを評価している。そして僕も、そのことに何の違和感も持たない。

・それはアメリカの歌の源流がアイルランドからの移民たちにあるからだ。その移民たちの多くはジャガイモ飢饉があった19世紀中頃にアメリカに渡って、どん底の生活を生き延びた人たちだった。それでアイルランドの人口は激減し、歌もすっかり廃れてしまったのだが、アメリカで歌い継がれて、アメリカの歌になった。現在のアイリッシュ音楽は、アメリカから戻った人たちによって復活したものに他ならないのである。

・再販された本には「うたと誌の記憶」という部が追加されていて、そこではボブ・ディランやトム・ウェイツが取り上げられている。ディランはウッデイ・ガスリーをはじめ、多くの先達に影響されているが、1930年代に活躍した伝説のブルース・シンガーのロバート・ジョンソンについての既述は知らなかった。ディランはジョンソンについて、「彼の歌は私の神経をピアノ線のように震わせる」と言ったそうだ。「ロバート・ジョンソンを聴かなかったら、大量の詩の言葉がわたしの中に閉じ込められたままだった」とも。そこから、著者は次のように書く。

・歌を聴く楽しみあるいは悦びの一つは、その歌をいま、ここにみちびいただろうルーツをゆっくりと遡ってゆくことだと思う。歌は発展ではなく、遡行なのだ。遡ってゆくうちに見えてくる、歌にのこされた記憶の風景が好きだ。

・僕も全くその通りだと思う。そしてディラン自身やライ・クーダーの最近の作品には、はっきりと、遡行の大切さというメッセージが込められている。初心を忘れず、本質やルーツに目を向ける。そのことがまた、新しい歌や音楽が生まれる土壌になる。『アメリカの心の歌』を読んでつくづく思うのは、Jポップにはこの「心」がないということだ。懐古趣味はあっても遡行はない。

・この本を読んでまた、知らなかったミュージシャンを見つけた。スティーブ・グッドマンで1984年に白血病で死んでいる。38才で10枚のアルバムを残したようだ。そのうちの二枚をさっそく買って聴いてみた。当然だが、手に入るもの全てを買って聴きたくなった。