2006年9月25日月曜日

生きものの世界

 

forest54-1.jpg


・今年は雨の多い夏だった。からっと晴れた日は数えるほど。だから、じめじめして、家の中はかび臭くて、外でもあちこちでキノコを見かけた。見るからに毒キノコで、一つも食していないが、ひょっとしたら美味のものがあるのかもしれない。当然、カエルやミミズなども多い。庭を歩いたり、ハンモックに揺られていて、例年になく、蚊に悩まされもした。

forest54-2.jpgforest54-3.jpg
forest54-4.jpgforest54-5.jpg

・高温ではないが多湿な気候は虫にも好都合なのかもしれない。庭で見かける虫の種類も、例年になく多かった。生まれたばかりの芋虫。それが青葉をむしゃむしゃ食べる。成虫は交尾に夢中だ。どんな虫も、間近で見ると色合いが美しい。マクロで写真を撮ると、その色合いがいっそうはっきりする。技術のある写真家が高機能の高価なカメラを使ってはじめて可能になるような鮮明なショットが簡単にとれてしまう。デジカメの威力に改めて感心!。

forest54-6.jpgforest54-7.jpgforest54-8.jpg
forest54-9.jpgforest54-10.jpgforest54-11.jpg
forest54-12.jpgforest54-13.jpgforest54-14.jpg

・こうして並べると、森の生きものの多様さがよくわかる。けれどもこれらはどれも、目をこらしてはじめて見えてくるようなものばかりだ。当然、意識しなければ気づかない。それは花でも一緒で、野草が咲かせるのはどれも小粒で、近寄ってみなければ、その色合いや模様はわからない。だから、こういう世界にふれていると、余計に、派手さばかりを追いかける都市の暮らしや人びとの関心の向けどころにインチキ臭さを感じてしまう。
・もちろん、自然のものだけでなく、育てたものもある。朝顔は今年もきれいな花を毎日たくさんつけている。茗荷もたくさん出た。ただし、一週間だけの楽しみだった。今は秋海棠が満開だ。

forest54-15.jpgforest54-16.jpgforest54-17.jpg

2006年9月18日月曜日

破れたジーンズの不思議

 

jeans1.jpg・破れたジーンズが流行っているらしい。たしかに街中でも見かけるし、テレビタレントなどもはいている。何かの授賞式などにはいて出たりするのはおもしろいと思うし、女の子のチラリズムとしても悪くはないのかもしれない。けれども、わざわざ破れたものを買うということになると、ちょっと、おかしいんじゃない?と言いたくなってしまう。第一、ぼくにはそれがなぜ格好いいのか、その感覚が今ひとつよくわからない。もちろん、破れたジーンズなどはくなと言いたいのではない。実際ぼくが家ではいているジーンズは、ごらんの通り穴の開いたものである。

jeans3.jpg・ぼくはいつでも、どこでもだいたいジーンズをはいている。毎年1本新調して、3年ほどたってよたってくると、家での作業着にしている。京都に住んでいるころは膝が破けてくると夏用の半ズボンにして使っていたのだが、河口湖に来てからは、薪割りや大工仕事をするときのユニフォームになっている。去年の秋に、破れがひどくなったものを2本つなぎあわせて、薪を運ぶための背負子(しょいこ)を作った。ホームセンターで売っているものを見てヒントにしたものだ。

jeans4.jpg・こんな具合だから、ぼくのジーンズは、買ってから捨てるまで 10年以上も生きつづけることになる。丈夫で長持ち、汚れやほころびを気にせず着ることができるし、生地としてもほかに使い道がたくさんある。厚手の綿に藍染めをした生地は、もともと帆布や幌の素材として作られ、カウボーイや綿摘み労働者の作業着に転用されたものである。だから、もともと新品も中古もなく、破れて使えなくなるまで利用されたのである。
・その意味では、破れても汚れても平気で街中にはいていくというのは、ジーンズ本来のはき方として正しいのだと言える。けれども、新品にわざわざ穴を開けたり、ほころびを作ったりするのはどうなのだろうか。一度穴があくと、はいているときはもちろん、洗うたびにその穴が大きくなる。太い綿糸でざっくり織った生地だから、ほころんたデニムには念入りな補修が必要になる。その穴かがりに刺繍などをほどこしたら、高い値段になるのも十分に納得できる。

jeans2.jpg・その破れや汚しのテクニックをテレビで見た。グラインダーで青い縦糸だけ削って、白い横糸を残す。もちろん、どの部分にどんな穴を開けるかには、専属のデザイナーがいて、作業をする人はその指示に従って正確に処理をする。さらには、刷毛でペンキを散らす。だから、仕事着として乱暴にはいてついた破れや汚れとはちがうのだという。試しにグーグルして、穴あきジーンズの作り方を調べてみた。そうしたら、たしかにいくつもあって、読んでいると、へーと驚くことばかりだった。穴あきジーンズはたしかに、ただ破れているわけではない。それは一つの刺繍であったり模様であったりする。こういうものを見ていると、それをおもしろいとかかっこいいと感じる感覚も、わからないではない気になってくる。

jeans5.jpg・しかしである。それを新品で、しかも付加価値のある高い商品として買うという発想はどうなのだろうか。個性的というのなら、せめてじぶんでやってみるぐらいの自発性がほしい。新品を破りたければチェーンソウで薪切りをしたらいいし、ペンキのシミをつけたければ、家の壁でも塗ったらいい。流行の始まりはたぶん、そんなことをあたりまえにやっているアメリカやイギリスの人たちからなのだと思う。だから、そういう行動とは無縁な男の子や女の子たちの格好は、ぼくにはとってつけたような、何とも似合わないものに見えてしまう。

2006年9月11日月曜日

Bob Dylan "Modern Times"

 

dylan9.jpg ・ディランのあたらしいアルバムは「モダン・タイムズ」という。チャップリンの映画と同じで古くさい感じがするが、収録された曲にも昔懐かしいブルースやカントリーやジャズの雰囲気がある。マディ・ウォーターズ、ハンク・ウィリアムズ、そしてジョニー・キャッシュとのジャムセッションという感じで、いかにも楽しそうだ。いうまでもなく、みんな、この世にはいない人たちばかりだ。

・それは、ポピュラー音楽として近代化されるきっかけになった音楽の再現といってもいいかもしれない。スーパースターがこれ見よがしにじぶんを印象づけようとするのではなく、顔見知りのストリート・ミュージシャンが集まってジャム・セッションをやる。そんなサウンドに仕上がっている。だからだろうか、ディランは録音技術に文句をつけて、スタジオで聴いたサウンドがCDでは再現されていないと批判している。ディランがこのアルバムに盛り込みたいものは、ディジタル録音では漏れてしまう。おそらく、そう言いたかったのだろうと思う。

・インタビューでは続けて、「不法なダウンロードをして、ただで音楽を手に入れる風潮に音楽産業が手を焼いているが?」という問いかけに「なぜだめなんだ?どうせ価値のないものじゃないか」と答える部分がある。日本では、ここが「最近のミュージシャンの作る音楽にろくなものはない」といったニュアンスで伝えられたが、インタビューを読むと、ディランはディジタル化の批判しているだけのようにも読み取れる。「スタジオの方が10倍もよかった。CD には何の価値もない。」

・たしかに、録音時の熱気とか高揚感といったものが記録されなければ、のびたラーメンのようなものなのかもしれないと思う。けれども、聴いていてひどいとは感じない。アナログのレコードならば、それが盛り込めるのだろうか。残念ながら、ぼくには、そんな微妙な差異はよくわからない。

夜、神秘な庭を歩いていると
傷ついた花がつるから垂れ下がっていた
向こうの冷たい透明な泉を通り過ぎたとき
だれかが背中をたたいた
しゃべるな、ただ歩け
この疲れ果てた悲しみの世界でも
心が燃え、願い続けるようなことがある
それはまだだれも知らないこと
(Ain't talikin')

・"Festival Express"というドキュメント映画をWowowで見た。1970年にカナダのトロントからカルガリーまで、列車をチャーターしておこなったコンサート・ツアーで、ジャニス・ジョプリンやザ・バンド、あるいはグレイトフル・デッドが出演している。コンサートそのものより、列車内でのセッションが中心で、まるでお祭り騒ぎの盛り上がりだが、コンサート会場での入場券を巡る客と主催者のやりとりもおもしろかった。

・どの会場でも、主催者やミュージシャンたちはフリーのコンサートにしろと抗議して押しかける人たちに詰め寄られる。その理由は、共感して、自分にとって大事な曲、バンドだから、金など払わずに見る資格があるというものである。こういう発想は何とも懐かしいし、グレイトフル・デッドのガルシアが別の会場でフリーのセッションをやったりするのも、時代の空気を思いださせてくれる気がした。第一、このドキュメントの中心は列車での移動中にミュージシャンが集まって、寝る間も惜しんで歌い、演奏し続ける、その高揚感にある。ここでは、音楽は共感の道具であって商品ではまったくない。

・確かに、70年代の初めまでは、こういう雰囲気があったのだが、いまではすっかり忘れられている。その代わりに、ロックはいまでは何より商品で、有名なミュージシャンはメジャーのレコード会社と契約し、コンサートも巨額な費用と手間暇をかけることがあたりまえになっている。お金ではなく、気持ちで買う(評価する、共感する)。そんな側面は70年代以降急速に薄れ、何万枚売って何億ドル稼いだかがミュージシャンの価値評価の基準になった。

・いまでは、新しく生まれるものだけでなく、どんな古い音源もディジタル化されて売り出されている。ディランの新しいアルバムは3年ぶりだが、その間に出されたリメイク盤や海賊盤の本物盤は数知れないほどだ。そのほとんどを手にしているぼくからすれば、確かに、最近のミュージシャンの作る音楽やメッセージは、屁みたいなもので何の価値もないと言いたくもなる。けれども、ディランは何より、自分のつくってきた音楽が取っかえ引っかえして売り出されることに嫌気がさしているのかもしれない、とも思う。

・ たとえば街中で歌を歌い楽器を演奏する人たちを見かけることがよくある。ちょっと立ち止まって耳を傾け、手拍子をたたいたり、知ってる曲なら口ずさんだりもする。こういう場に参加するのにお金はかからないが、小銭をはらうことが礼儀となっている。フリー(ただ)だがシェア(共有)したのだから、それなりの代価を払う。それはコンピュータの世界にまだ残る、「フリーウエアー」と「シェアウェア」のソフトに共通する。そして、両者の根っこにある発想は同じものである。

・ ディランの"Modern Times"はそんなフリーとシェアの関係が作り出した音楽の再現をめざしているといえるだろうか。だとすれば、このCDが売れようと売れまいと、無断でダウン・ロードされようと、それはディランにとっては、どうでもいいということになる。音質は気に入らないかもしれないが、ディジタル化とネットは、音楽の伝わり方にフリーとシェアを再現させる可能性をもっている。それが音楽を商品以上のものにするのか、以下のものにするのか。音楽の世界を豊かにするのか貧しくするのか。それはミュージシャンと彼や彼女がつくる音楽と、それを受け止める聞き手の関係の再構築にかかっている。 (06/09/11)

2006年9月4日月曜日

富士登山をした

 

photo37-1.jpg

photo37-2.jpg・富士山はしょっちゅう見ているのだが、なかなか登る機会がなかった。で、山登りなど少しも興味を示さない息子に声をかけると、どういう風の吹き回しか、行こうという返事があった。ボクシングをやる体力自慢の友人のT君が一緒だという。何とも心強い。ぼくは大学生の時に一ヶ月、山小屋でアルバイトをしたから、登れば35年ぶりということになる。もっとも、そのときも、山小屋と五合目の往復はなんどもやったけれども、頂上までは行ってない。だから、今回が初登頂ということになる。

photo37-9.jpg・ここのところ、家のデスクやソファーやハンモックで読書とパソコンの毎日で、ほとんど運動らしきものはしていない。だから、その前に何度か予行演習で、付近の山登りもした。そうしたら、急坂を登ると10Mも登らないうちに息切れがしてしまう。貧血気味になってあたりが真っ暗なんて状態になったからどうなることかと思ったが、休み休みで何とか歩き通した。平地を歩くことには今でも自信があるが、山登りはそうはいかない。五合目から頂上までは1400mあるから、これは簡単ではないと多少不安があった。

photo37-3.jpg・もう一つの心配は天気で、今年は雨が多いし、雷もよく鳴る。天気が悪ければキャンセルだし、途中でもやめるということにしておいたが、当日の天気予報は何とも悩ましかった。家の周辺は薄曇りで山頂は快晴。ところが息子から、東京は土砂降りだという電話が入った。予報を確認すると夕方から富士山周辺は雨で、明日も天気はよくない。しかし、一応でかけることにした。天気は河口湖周辺でもめまぐるしく変わり、日が差したり、雨が降ったりで、五合目までのスバルラインに入ると大粒の激しい雨になった。  
 
影富士 ■ 剣が峰と火口
photo37-4.jpg・雨は五合目手前で嘘のように上がりからっと晴れる。これはいいと思って、2時すぎに山登りを開始したが、六合目をすぎたあたりからまた雨になる。ずぶ濡れで手が冷たくかじかんでくる。雷も鳴るが、先を急ぐ元気はない。行けるところまで登ってしまおうと山小屋の予約はしていなかったが、結局予想していたなかの一番下の小屋に泊まることにした。もう6時過ぎで、一休みして食事をするころには真っ暗になっていた。8時就寝。蚕棚のベッドで体も冷えていたから眠れなかったと思ったが、息子にはイビキがうるさかったと言われてしまった。

photo37-8.jpg・翌日は1時前に目が覚めた。便所に行くと満天の星で、下界の夜景も見える。東京から帰ると河口湖でも星がきれいと思うが、その数も大きさもちがう。数分の間に流れ星が一つ、また一つ。ベッドに戻って息子たちに話すと、起き上がって確認にいった。頭が少し痛くて、食欲がない。夜中には少し吐き気もあった。軽い高山病だが、歩き始めたら頭痛は消えた。
・金曜日だったが、すでに山道は登山者でにぎわっている。時々渋滞したおかげでゆっくりしたペースで進んだが、それでも、すぐに息が上がってしまう。心配したT君にリュックを預けて身軽になると、かなり元気になった。山頂には5時過ぎに到着。気温は5度で風もあってかなり寒い。しかし、星が消えると真っ青な空になった。下界は見渡すかぎりの雲海で、東の一点が明るくなり始めている。元気なT君は食欲もものすごくて、昨晩はカレーライスを二杯とカップラーメンを食べたが、山頂でも早速800円の豚汁を注文した。

■ 最高峰"3776M"
photo37-5.jpg・無事御来光を見て、おはち巡りをした。360度のパノラマだが、どこまでも雲海で東京も相模湾も駿河湾も見えない。せめてアルプスと思ったがそれもだめ。富士山だけが雲の上に頭を出しているわけで、ここだけが快晴ということになる。火口を見おろし、剣が峰の最高地点まで行き、雲にうつる影富士を見た。火口は砂で埋まっているが、富士山そのものはかなり崩れている。火口のなかに登山客が石でつくったモニュメントがあった。ピースマークがなかなかいい。息子とT君もさっそくつくりはじめる。

photo37-6.jpg・つくったのは"IYF"。もう少し大きくして、丸く囲った方がいい。そう言ったのにT君はさっさとやめて山小屋に急いで行ってしまった。もよおして我慢できなくなったようだ。つられて息子も、そしてぼくも山頂での脱糞。強制ではないが使用料は200円。洋式で後は水鉄砲で流すきれいなトイレだった。
・8時に下山を開始したが、下りの道は何とも単調だった。ブルドーザーが通るジグザグ道で、何にもおもしろみがない。昔は砂走りを一気に駆け下りて楽しかったのだが、落石事故があってまったくちがうルートに変更したようだ。

重たいビールを頂上までかついで、"乾杯"
photo37-7.jpg ・富士山は登る山としても魅力に欠けるのに、何とも味気ないルートをつくったものだと思う。同じ調子で3時間も降りれば、足を悪くする人もでるはずだ。ぼくも最後には足が震えて階段を下りることがつらくなってしまった。とはいえ、一日目が4 時間で二日目が8時間の行程を、無事歩き通すことができた。70歳を過ぎた人たちのグループなども見かけたし、幼稚園の子どももいたから自慢はできないが、我ながらよく歩けたと感心した。しかし、日頃からもっと歩かねば、体力はますます衰えるということを身をもって実感もした。二人の若者に感謝!
・実は、落ちているゴミを拾って下まで持ち帰ることにしていたが、ゴミはほとんどなかった。富士山をきれいにというキャンペーンが徹底したせいだろう。湖畔のバーベキューやり放しでゴミ散乱といった光景とは対照的で、拍子抜けしてしまった。