2012年12月30日日曜日

目次 2012年

12月

31日:目次

24日:クリスマスの日に

17日:スイスで出会った若者

10日:「食」の現実

3日:テレビと選挙

11月

26日:隣はとなり、家はうち

19日:「パイレーツ・ロック」

12日:拝啓、オバマ大統領殿

5日:続・悪夢の選択

10月

29日:雲と夕日

22日:秋の山歩き

15日:社会や政治を変えることは可能なのか

8日:「イッテQマッターホルン」

1日:傑作2枚

9月

26日:選挙は悪夢の選択

19日:レジャースタディーズとツーリズム」

12日:夏の終わりに

5日:世界遺産は何のため

8月

27日:アルプスの山を歩く

20日:アルプスから

13日:オリンピックどころではないのですが

6日:六車由実『驚きの介護民俗学

7月

30日:家について

23日:デモの勢い

16日:最近買ったCD

9日:久しぶりにMLBについて

2日:やっぱりアンテナを立てようか

6月

25日:父母が老人ホームに

18日:入笠山と上高地

11日:古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』

4日:原発再稼働なんてとんでもない

5月

28日:スカイツリーとAKB48

21日:ライ・クーダーのアンソロジー

14日:Do it yourself!

7日:原発事故についての2冊の本

4月

30日:介護制度について勉強中です

23日:インターネットでテレビを見る

16日:続・台湾旅行

9日:台湾旅行

2日:Eddie Vedder "Into the wild"

3月

26日:卒業式を壇上から

19日:森の恵み、木の力

12日:もう1年、まだ1年

5日:サヨナラ地デジ

2月

27日:拝啓、総務大臣様

20日:上野千鶴子『ケアの社会学』

13日:アムネスティとボブ・ディラン

6日:寒波と地震

1月

31日:うわー、地震だ!

23日:大河ドラマの見方

16日:今年の卒論

9日:消費者としての大学生

2日:続反原発の歌

2012年12月24日月曜日

クリスマスの日に


・2012年がもうすぐ終わる。その年の終わりに、自民党が超保守政権として復活した。経済の立て直しのために積極的に公共投資をして、原発の再稼働と新しい原発の建設も検討するという。竹島や尖閣諸島を巡る争いにも強い姿勢で臨むようだ。新しい年のことを考えると、暗い気持ちになる。

・どう考えたって、日本がさらに経済成長をする国になるとは思えないし、地震や津波でもう一度原発事故が起こることは絶対に避けなければならないし、小さなほとんど利用価値のない島の領有権を主張してナショナリズムを煽って、戦争などを起こしてはいけないのに、あえて、危険を冒して火中の栗を拾おうとする。それが勇気あることであるかのような思い違いをする内閣が誕生しようとしているのだ。

・僕は今年はせっせと山歩きをした。山登りにはかなり慣れて自信もついたが、そこで得た教訓は、登るよりは降りる方がしんどくて危険で難しいこと、しかし、周囲を見回したりする余裕も登りよりは降りの方が多いと気づいたことだった。五木寛之が『下山の思想』(幻冬舎新書)を出して、そのタイトルに共感して読んだ。思想と呼べるものはほとんどなくてがっかりしたが、下山を思想として考えるというヒントが得られたことは収穫だった。

・日本は戦後の経済成長からの登山が頂上に達して、すでに下山の途中にある。それに気づかずにまた登り始めようとしたり、疲れているのにすぐ次の新しい山に登ろうとするかのような行為は、遭難の危険性を大きくするばかりだろう。それよりは、下山の仕方をできるだけ緩やかに、降りることもまた山歩きの行程として楽しむ気持ちを持つことが大事なのだと思う。

・こんなふうに思えないのは、山ガールなどでブームになった山歩きをドキュメントするテレビ番組が、決まって登る行程だけを取り上げて、頂上に着いたところで終わることに典型的だ。そのことは、山歩きを登山や山登りということはあっても、下山や山降りとは言わない言葉遣いにも現れている。登れば必ず降らなければならない。それはけっして省けないことなのに、無視してしまう発想が、バブル以降を「失われた〜」という文句で片づけてしまおうとするのは明らかだ。

・日本はすでにアメリカに次ぐ経済大国になり、GDPで中国に抜かれたとは言っても一人あたりでは、まだ一桁違うほどの豊かさを示している。その蓄積した資産をなぜ、数字ではなく実感として経験できる豊かさに向けようとしないのか。「経済成長」はすでに先進国では破綻した「神話」にすぎない。それを認めないから、国債を発行して経済対策を実施して、借金ばかりを積み重ねる失敗をくり返している。

・将来の不安を取り除くためには、勇ましくて景気のいい話ばかりに耳を傾けるのではなくて、周囲や遠くの景色を自分の目でよく見つめることが必要だ。下山する先があたかも谷底であるかのような脅しには乗らないこと。少しずつ降って平地に降りる。そうしたら、後はフラットな道を散策したり、少しばかりの起伏を楽しんだらいい。今必要なのはこんな生き方なのだと思う。

2012年12月17日月曜日

スイスで出会った若者


journal5-114-1.jpg・夏にスイスのアルプスを歩いたときに、一部だけ山岳ガイドをした若者がいました。元気が良くて、ちょっとくたびれかけていた僕もメンバーたちも、彼の勢いに乗せられて、ロープホルンの山小屋まで楽しく登ることができました。しかし、それ以上に楽しかったのは、歩きながら、そして山小屋で話してくれた、彼がこれまで歩いてきた足跡と、現在や未来に対して考えている生き方でした。

・彼の名は太田拓野さん。現在「野外・災害救急法 ウィルダネスファーストエイド」を立ち上げて、災害時に負傷した人を助けるための術を日本で普及させるための活動をしています。スイスで山岳ガイドをしていたのは、資金稼ぎのアルバイトで、夏の3ヶ月ほどの仕事だったようでした。僕は大学の後期の講義で、「レジャースタディーズとツーリズム」という名の、毎回ゲスト講師を招いて話していただく今年だけの特別講義を担当していました。ところが予定していた講師の都合が悪くなって、代わりの人を探していたのですが、太田さんの話を聞いて、即座に「彼の話を学生に聞いてもらおう」と思いました。

・で、この講義も終わりに近づいてきた12月11日に、ゲスト講師をしてもらいました。彼は高校を卒業した後、アメリカの大学に留学しています。そこで経験した差別や極貧生活、そしてアメリカ大陸を自転車で北から南まで走り抜いたことを話し、カナダの大学に移って「災害救急法」の資格を取って、現在の活動に至っていることを熱っぽく語ってくれました。

・学生たちにはずいぶん刺激的な内容だったと思います。就職を中心にした自分の人生設計について、できる限り安全にと考える学生が多いのが最近の傾向ですから、太田さんの話は、そんな思いを根底から揺さぶるものでした。僕は日頃から、学生たちに、もっと視野を広げ、少しだけでも冒険をしてみたらと言ったりしてきましたから、彼の話は格好の援軍になりました。

・もっとも彼は、留学から始まって親に猛烈に反対されたこと、母親を何度も泣かしたことも話しました。そんな話に応えて、講義の最後で僕は、自分の息子たちがネクタイを締めてスーツを着て仕事をすることに憧れていて、それは僕がそうしなかったことに対する反面教師だったという話をしました。もっと冒険してほしかったと思ったとつづけましたが、もし太田さんが息子だったら、反対はしなくても、いつもいつも心配で気が気ではなかっただろうとも言いました。

・そんなご両親の心配は、今でも、そしてこれからも続くのだろうと思います。けれども、彼が最後に話した、今大きな地震が起こって、大勢の人が災害にあったときに、少しでもましな状態だったあなたに、ひどい傷を負った人に何ができますかという問いかけには、彼が今やっている活動に対する彼の思いの強さを感じましたし、それこそが今一番必要なことなのではないかとつくづく思いました。

・先日、中央道の笹子トンネルでコンクリートの板が崩れ落ちるという事故があって、多くの人が亡くなりました。僕は通勤にこの高速道路を利用しています。笹子トンネルは通りませんが、トンネルを走るたびに、もし今地震が起きたらどうなるかといったことが頭をよぎって、ぞっとすることが少なくありません。とっさの対応、傷を負ったときの処置など、自分には何一つできることがないことを、改めて実感させられた話でした。

2012年12月10日月曜日

「食」の現実

岩村暢子『家族の勝手でしょ!』新潮文庫、『変わる家族、変わる食卓』中公文庫

iwamura1.jpg・「食」についての文献を探していて、ちょっとびっくりするような本を見つけた。現在の多くの家族が囲む食卓がいかに貧しく、でたらめなものか。呆れながら読んだが、だんだん憂鬱になった。飽食やグルメの時代なのに、というよりはだからこその貧しさやでたらめだから、問題は複雑で、改めることは難しいというのがこの本の指摘である。

・食べるものはその種類も、調理の仕方も豊富にある。素材から作ることはもちろん、冷凍や即席のもの、そしてすぐ食べられるできあいのものがスーパーやコンビニで売られている。だからこそ、「食」にかける時間やエネルギー、そして費用が節約されやすくなる。著者が家庭をフィールドワークして集めた「食の軽視」の意見で一番多いのは、「忙しい」「面倒」「大変」、そして「節約」だ。

iwamura2.jpg・「忙しいからできあいのもので」「面倒だから冷凍で」「旅行や遊びに使いたいから食費を節約して」といった発想は、食の軽視そのものだが、問題は手作りを指向する人たちにも及んでいる。誕生日やお客をもてなすときには自家製のケーキを作ったり、パンを焼いたりする人が、日常の食事には無頓着で、そこには楽しくできるものには積極的だが、毎日くり返しする家事としての料理を「面倒」と感じる傾向があるようだ。「気が向けば」「作りたい気分になれば」「何かきっかけがあれば」その気になって作ることもある。著者はこんな発想を「手作り」指向ではなく、「手作りしている私」指向だという。

・食べることは生きるために欠かせないいちばん大事なことである。活動するためのエネルギー源であることはもちろん、絶えず入れかわる身体組織のためにタンパク質やカルシウムやさまざまなビタミンといった栄養素を補給しなければならないからだ。肉、魚、野菜をバランスよく補給することは、身体の維持はもちろん、成長期の子どもにとっては最も大切なことのはずだが、そこに注意を払わなくてもいいという発想が常識化しているようなのだ。

・著者によれば、このような発想は1960年生まれを境にして、それより若い人たちに多いという。だいたい50歳が境目だから、そんな発想で作られた食事で育った人たちが、もう20代の後半になっているということになる。そう言えば、僕にも思い当たることがいくつかある。昼ご飯を抜いたり、ビスケットや菓子パンで済ます学生たちが目につくようになったこと、食べることよりはファッションやケータイにお金を使いたいという発言を耳にしたことなどである。

・そのたびに、食べることを軽視してはいけない。必ずそのツケが中年過ぎにやってくる。そんな説教をすることが面倒になるほど、若い人たちの食の軽視が当たり前になってしまっている。彼や彼女たちが結婚して家庭を持ち、子どもを育てるようになったら、おそらくその食卓は、もっと貧しく、でたらめになることと思う。日本は政治や経済や放射能だけでなく、自らの身体の中から衰退や崩壊が起こっている。そんな危機感を駆り立てられる内容の本である。

2012年12月3日月曜日

テレビと選挙

 ・衆議院選挙と東京都知事選挙が同じ日に行われる。都知事候補に弁護士の宇都宮健児が立候補し、衆議院では「卒原発」というスローガンで反原発を明確にした「(日本)未来の党」が旗揚げをした。自民や維新よりは民主の方がちょっとましと思っていたが、ここに来てかなりおもしろくなってきた。僕は都民ではないから都知事選には投票できないし、衆議院選の選挙区に投票したいと思う候補者はいそうもないが、これから投票日までの間に、大きな流れが生まれそうな気配が感じられて、希望が少しだけ見えてきた。

・で、メディアの対応だが、橋下と石原ばかり追いかけてきたテレビも、ここに来て、「未来の党」の嘉田滋賀県知事に時間を割くようになった。反原発の声を受け止める新しい党として注目するが、小沢一郎の存在をマイナス要素としてあげる説明が必ずある。「未来」の政策は「国民の生活」とほとんど同じで、それはまた「民主党」が3年前に掲げたマニフェストとあまり変わらない。だから嘉田知事は小沢一郎の傀儡で、失敗した民主党の政策の焼き直しに過ぎないといった批判だ。

・小沢一郎は前回の衆院選の直前に「西松建設疑惑」で党代表を辞任し、民主党が政権を取って幹事長になった後、「政治資金規正法違反」や「陸山会事件」の容疑で起訴されて、剛腕、壊し屋の上にダークな政治家としてのイメージが定着したが、起訴されたことはすべて無罪になっている。
・その小沢に対するイメージはマスコミによって強化されたものだから、メディアは自らがしてきた報道の中身について検証して反省や謝罪をして当然のはずだが、そんなことをしたところはほとんどない。そして、「未来の党」の黒幕としての小沢の危険性を強調して、「卒原発」という政策の持つ意味を軽くしようとしている。

・3.11以降、特に原発問題について、新聞やテレビの報道が政府の発表の垂れ流しであったり、各社の立ち位置に基づいて意図的に操作されることがあからさまになってきた。デモの無視や経済への影響をくり返してきたことがその好例だ。テレビはさらに、派手な話題に飛びつく傾向を強めていて、いちばん大事な問題が何であるかを見失わせる役割ばかりを果たしてきている。

・一方で、原発の廃止に賛成する世論を大きな政治勢力にする動きは進んでこなかった。やっと生まれた「緑の党」の活動は地味で、しかもいくつも乱立している感がある。小異にこだわってオリーブの木の苗も植えられない状態だった。そんな閉塞感に囚われたところでの「未来の党」だったから、テレビも新聞も、大きく取り上げざるを得なかった。ただし、テレビのニュースは各党党首の街頭演説や、ぶら下がりのインタビューを編集して短く放送しているだけだし、各党の代表を呼んで議論をさせる番組にしても、論点がはっきりするというよりは、かえってわかりにくいままで終わってしまうことが多い。

・安部自民党総裁の呼びかけで、ニコニコ動画で党首討論会が開かれた。大勢集まれば、それは「朝まで生テレビ」と一緒で、大きな声ばかりが目立つしかないが、ネットではおもしろい中継がいくつも見られた。山本太郎の出馬宣言、嘉田知事と小沢一郎の公開対談、そして宇都宮都知事候補の高円寺での応援会、あるいはkinkintvには小出裕章が出たし、「未来」の代表代行になった飯田哲也も、卒原発政策の説明に大活躍だ。選挙の規制で、公示された後はネットの動きは制限されるが、知りたいことをじっくり確認するのは、テレビではだめだということがよくわかる数日だった。

・今度の選挙は、「反原発」のシングル・イシューでやるべきだ。経済の後退や電気代の値上がりなどといった主張は原発をなくしたくない電力会社の弁護でしかないし、核兵器をもつ可能性を手放したくない人たちの隠れ蓑だ。原発事故と放射能の拡散という事実の重さは、風化させたり、なかったことにしたりすることができないことなのである。
・そのことをはっきりさせるためにはテレビや新聞よりはネットの方がいい。にもかかわらず、選挙が始まると、候補者はブログはもちろん、フェイスブックやツイッターの更新もできなくなる。法律を変えたくないのは政治家よりもマス・メディアであることは言うまでもないだろう。

2012年11月26日月曜日

隣はとなり、家はうち

 

forest104-1.jpg
毛無山・雨ヶ岳に沈む夕日を西湖から
  木曽の御嶽山に登った後も、毎週歩いている。この秋登った山を並べてみると次のようになる。木曽の御嶽山からは休みなく毎週歩いていて、しかも6時間以上歩くことも少なくなかったから、体力はかなりついてきた.先週登った白鳥山は500mほどの高度差で、登って昼食を取り、降りてくるまで2時間半しかかからなかった。
どこの山も秋真っ盛りで、これほど紅葉を満喫した年はなかった。天気にも恵まれて、遠くの山や海、あるいは島まで見通す景色を眺めると1000m以上も登ってきたかいがあったと思うことが多かった。しかし、冬は確実に迫っていて、大室山では小雪が舞った。これからは南の山を中心に年内も歩こうと思っている。

9月10日 北八ヶ岳横岳
9月21日 本栖湖・龍ヶ岳
10月5日 杓子山・高座山
10月18日 木曽御嶽山
10月25日 今倉山・二十六夜山
11月1日 瑞籬山
11月8日 朝霧高原・毛無山
11月15日 西丹沢・大室山
11月22日 富士川・白鳥山

forest104-2.jpg
毛無山頂上から富士山
forest104-4.jpg
大室山から相模湾と伊豆大島を望む
瑞籬山の岩場を登る
forest104-3.jpg

ところで、たった一人でログハウスを建てた隣人だが、その後も時折やってきて、今度はツリー・ハウスを作り始めた。足場も本格的に組んで夏から始めて最近完成した。こちらは仕事もあるし、山歩きもしていて、作業しているところはあまり見なかったから、いつの間にという感じだった。それでも、時に早朝から夕暮れまで金槌やのこぎりの音がしていて、せっせと作業している様子を感心しながら眺めることもあった。さて次は何をするのだろうか。今度見かけたら、聞いてみようと思う。

forest104-6.jpgforest104-5.jpg


forest104-7.jpg P.S.父母が老人ホームで暮らすようになって5ヶ月が過ぎた。売却した家も、つい最近壊されて、ご覧のような更地になった。ここには中学生の頃から京都へ行くまでの10年ほどしか住まなかったし、建てかえをしたから家に愛着があったわけではない。しかし、半年ほど前まで週に一度泊まりに来た家がなくなってしまい、ただの空き地になったのを見ると、やっぱり寂しさを感じた。「終の棲家もしょせんは仮の宿か。」そんなことをつぶやきながら、写真を撮った。ここでもまた、隣はとなり、家はうちだ。

2012年11月19日月曜日

「パイレーツ・ロック」


rock1.jpg・2009年に作られた映画なのに全然知らなかった。「パイレーツ・ロック」というタイトルで60年代のイギリスを舞台にしている。ビートルズやローリングストーンズに代表されるブリティッシュ・ロックが世界中を席巻した時代だが、不思議なことに、この種の音楽を放送するラジオ局はイギリスにはなかった。だから、イギリスの法律が届かない公海上に船を浮かべて、一日中ロック音楽をかける放送局が登場して人気を博した。映画はそんな時代の物語だ。

・海賊放送と言われたから「パイレーツ・ロック」なのだが、原題は"The Boat that Rocked"だ。放送をやめさせようとするイギリス当局のあの手この手の工作にもかかわらず放送を続けてきた船が、岩礁にぶつかって沈没してしまう。だからロックには音楽と岩の両方の意味がある。なるほどと思ったが、日本名の方がわかりやすい。もっとも、題名をつけた人の狙いはヒット作の「パイレーツ・オブ・カリビアン」にあやかろうとしたことは容易に想像がつく。良し悪しはともかくとして、原題と邦題の違いに対する違和感は、映画やポピュラー音楽の歴史を通して変わらずに続いている。

・映画は無数のファンたちの船がDJたちを助けるところで終わる。イギリスの放送は国営のBBCが独占していて、教養的価値のないポピュラー音楽は放送する価値がないと判断されてきた。ましてや、当時の大人たちの常識や礼儀、あるいは道徳観を無視したり否定することが当たり前だったロック音楽は、絶対に放送などしてはいけないものだと判断されてきた。また、BBCは組合に配慮して、音楽家たちの職場を守るために放送でレコードをかけることはせず、スタジオでのライブを基本にしてきた。映画に登場するDJたちも平気でセックスの話をくり返す。ただし"FUCK"だけは禁句で、これを言ったらイギリス当局の規制を許してしまうということだったようだ。連発が珍しくない昨今の映画やテレビになれてしまうと、昔日の感が一層強くなった。

・今から思うと嘘みたいな話ばかりだが、逆に言えば、イギリスに登場したロック音楽がラジオ放送なしで人気になり、ヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大流行したのは、この音楽とそれが主張するメッセージがが国境を越えて若者の心にいかに強く響いたかを物語っている。おそらく、この映画を見た若い人たちは、そんな感想を持つのではないかと思った。あるいは、存在感の薄くなったラジオの力を再認識する機会になるのかもしれない。

・で、さっそくサントラ盤を購入したのだが、高校生の頃に聴いた曲が多く、いくつかはドーナツ盤で買った記憶があるもので、懐かしい気がした。ビートルズもローリングストーンズも入っていないが、60年代後半のイギリスを中心にしたロック名曲集といった内容になっている。

・ところで、ロック音楽とラジオの関係についてだが、アメリカではイギリスとは逆に、ロックの誕生にはラジオの役割が大きかった。3大ネットワークがテレビ放送開始によって全米各地のラジオ放送局を売りに出して、その放送局が地域ごとに番組を作って放送した。ドーナツ盤やLPなどのレコードの新技術と相まって、DJがレコードをかけて番組を作る方式が定着し、そこに新しい音楽が生まれる下地ができたのである。イギリスの海賊放送が目指したのは、そんなアメリカ各地にあって若者たちに人気のラジオ放送だった。

・日本ではマスメディアとしてのラジオ放送局が深夜に番組を開始して、そこで欧米の新しい音楽をかけたから、ロックは日本でもラジオから流行したと言える。ただし、僕の経験で言えば、聴きたい音楽が最初に流れるのは進駐軍放送のFENだった。海賊ではなく進駐軍。共産圏への影響などもふくめて、ロックとラジオの関係を調べるのは案外おもしろくて、先行研究の少ない部分なのではないかと思った。

2012年11月12日月曜日

拝啓、オバマ大統領殿

 オバマ大統領殿

 大統領再選、おめでとうございます。選挙前の予想では、ほぼ互角でどちらが勝つかわからないと言われていましたから、選挙の結果は気が気ではありませんでした。
 4年前にあなたが、「チェンジ」とか「イエス、ウイー、キャン」といったことばでアメリカの若者たちの心をつかみ、新しいヒーローとして彗星のごとく登場したときのことを、今でもよく覚えています。就任の祝典には数多くのミュージシャンが歌い、ハリウッド・スターがスピーチをして讃えました。90歳になるピート・シーガーが歌う"This Land is Your Land"は、ほほえましくまた感動的でもありました。

 あれから4年弱、あなたは核軍縮を唱えてノーベル平和賞を受けましたし、保険制度の新設にも尽力されましたが、他方で白人保守層が巻き返しを狙って起こした「ティ・パーティ」の運動や、経済状況の悪化と失業率の増加、あるいは中間選挙で共和党に下院の過半数を占められたことなどによって、就任前に掲げた政策の多くを実現することができませんでした。支持率が落ち、批判や非難をされたのは当然ですが、しかし、イラクからの撤退やアフガニスタン問題も、リーマンショック後の経済の落ち込みも、ほとんどはブッシュ政権の失政の後始末で、そのことを共和党や保守勢力から非難されるのはお門違いも甚だしいと思いました。

 実は日本でも、同じようなことが起こりました。長年続いた自民党政権に変わり、民主党が政権を獲得したのでした。鳩山首相は自民党とは違ういくつもの政策を掲げて大きな期待を抱かせましたが、沖縄の普天間基地問題でつまずき、わずか1年で退いてしまいました。多くの日本人は幻滅して彼をアホ呼ばわりしましたが、アメリカの力、というよりはアメリカの意向を気にした勢力によってつぶされたのだと言う人もいます。

 日本は未曾有の大地震と津波、そして福島原発の事故によって、大惨事を経験しました。この処理のまずさを強く批判されて、次の菅首相もやはり1年で失脚しましたが、普天間基地同様、原発を推進してきた張本人の自民党は、自分の責任を棚に上げて、民主党批判に終始してきています。国会はやはりねじれ状態で、民主党の掲げた政策のほとんどは実行できていません。

 民主党3人目の野田首相は自民党にすり寄って、政権の延命を図りましたが、そのためにすっかり国民の支持をなくし、自民党からは選挙をせよと脅されてばかりです。このままでは、あなたの国とは違って自民党が政権を奪い返すかもしれません。危険な原発を廃止すべきという声は、国民の大多数の意見です。その力に押されて野田首相は逃げ腰ながらも廃止を政策として掲げました。しかし、自民党政権になれば、そんな頼りない政策さえもつぶされて、日本中の原発が再稼働してしまうでしょう。

 そこであなたにお願いがあります。次の4年間の政策の中に、日本のアメリカ軍基地の縮小と、アメリカにおける原発の新設をやめ、既存のものも年限を決めて廃止することを掲げて欲しいのです。日本の戦後の政治はアメリカ追随を第一の政策として実行してきました。日本独自の政策を狙った政治家はことごとく、つぶされてきたと分析する人もいて、アメリカの力は国民の声以上に強いのだとつくづく感じています。

 もちろん、あなたはアメリカの大統領ですから、日本とは利害の異なる点について、たとえばTPPのように日本に強行に迫らねばと考えている政策もあろうかと思います。しかし、それについても、言いなりになる日本の政治家や官僚たちばかりでなく、反対し抵抗する人びとの声にも耳を傾けて欲しいと思います。何よりあなたはマジョリティではなくマイノリティを代表する初めてのアメリカ大統領なのですから。

2012年11月5日月曜日

続・悪夢の選択

 ・政治の世界はいつでも、しょうもないと思うしかないものだった。しかし、今はその中でも、とびきりしょうもないと感じる。その一番の対象は、東京都知事を突然辞めた石原慎太郎だ。もう老害としか言いようがないが、本人は若いやつがしっかりしていないから、自分がやるしかないと言い放った。

・なぜ彼は、都知事を辞めて国政に転身するのだろうか。もっともらしい理由はいろいろあるのだろうが、一番は息子が自民党の総裁になれなかったことにあるようだ。そもそもやる気がなかった4期目の都知事選に出たのも、自民党の幹事長だった息子に強く説得されたからだった。公私混同もはなはなだしいが、彼の罪はこんなものだけではない。

・尖閣諸島を国営化したことに対して中国で起こった反日デモのきっかけは、石原がアメリカでした「尖閣諸島を東京都が買う」という発言だった。多くの日系企業が暴徒化したデモ隊に荒らされ、略奪され、日本車が壊されたり、不買運動が起きた。その被害は尖閣諸島の購入費の比ではないし、日本と中国の関係をめちゃくちゃにした責任はきわめて重いとおもうが、彼には、そんなことに対する責任などを感じる気持ちはまるでないようだ。むしろ、ますます過激になって、戦争も辞さないと言ったりもしている。

・石原はまた、「一度の事故で原子力の活用を否定するのはひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為」だという発言もしている。しかし彼は、ディーゼル・エンジンの排ガスとは違って、放射能の被害に対する認識がない、家を捨てて暮らしている人たちが見えていない、重厚長大な産業を基盤とするシステムからの脱却という未来が描けていない、人の住まない島々の所有権を主張して起こる問題や被害に考えが及ばない、そして何より、オリンピックの誘致もあわせて、ナショナリズムを煽ることによって自らの存在を誇示しようとする以外に能がない政治家なのである。80歳になったこんなひどい政治家をマスコミはなぜたいした批判もせずに野放しにしているのだろうか。

・他方で、政治の話題は橋下大阪市長を中心にした「日本維新の会」にばかり向けられている。こちらの方にはマスコミもその出自を取り上げて批判をして、逆に抗議を受けたりもしている。「維新八策」では「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」をうたっているが、大飯原発の再稼働を容認したり、離党した国会議員を寄せ集めたり、いくつもの政党との連携を模索したりと、信用できない行動が目立ちすぎる。最悪の総裁選びをした自民党ともあわせて、こんな力が政権を取ったらどうなるのかと考えると、暗澹たる思いにとらわれてしまう。

・「3.11以降、世界は変わったのです。」京大助教の小出裕章さんがくり返し口にすることばだが、世の中の空気は「たいしたことではなかったことにしよう」という気持ちで充満している。幸か不幸か排気ガスと違って、放射能は目に見えないし臭いもない。ないことにするためにはきわめて好都合だが、それで危険がなくなるわけではない。そんな不安感や危機意識を持つ人たちのデモが数十万人にも増えたが、こと国政選挙については、それを争点にすることができないようだ。

・反原発の声は多数派なのに、それを受け止める政党がない。なぜ日本には「緑の党」ができないのか。いや正確には、あってもないに等しいほど目立たないのか。「反原発」で政策の一致した政党が「オリーブの木連合」を目指して動き出すといった話も全く聞こえてこない。このままでは「悪夢の選択」すらしようがなくなってしまう。

2012年10月29日月曜日

雲と夕日

 

photo63-1.jpg

・台風が過ぎた後の夕方に帰宅すると、きれいな夕焼けに迎えられることがある。朝は真正面から朝日を見て出勤し、帰りは夕日に向かって走る。まぶしいことこの上ないが、時折、思わず「きれいだ」とつぶやいてしまう光景に出会う。ほんの一瞬の美しさで、数分もすると薄暗くなってしまう。そんな瞬間を逃したくないから、カメラはいつも手放せない。

photo63-5.jpgphoto63-3.jpg
photo63-4.jpgphoto63-6.jpg

・散歩や自転車の時にもいい風景に出会うことが少なくない。心動くのはやっぱり、雲と太陽だ。いつもの風景がいつもと違って見える。たとえば富士には笠雲がかかることがある。(左上)天気の下り坂を教えてくれるしるしだが、頂上にできた雲が飛ばされて意外なところに浮かんでいたりもする。(右上)笠雲と言えばアイガーの周辺を歩いているときにも現れた。(左下)その前日泊まった山小屋からは村だけを覆う雲が見えた。(右下)

photo63-7.jpgphoto63-2.jpg
photo63-8.jpgphoto63-9.jpg

・雲と夕日がつくる風景を探してみたら、懐かしい写真が次々と見つかった。ポートランドで見たMt.クックには黒雲が重たく垂れ込めていた。(左上)イギリスの西端にあるSt.アイブスの夕焼け。(右上)親不知から見た日本海の夕日。(左下)、そして我が家から見た夕焼け。(右下)
photo63-10.jpgphoto63-11.jpg
photo63-12.jpgphoto63-13.jpg

2012年10月22日月曜日

秋の山歩き

 

forest103-1.jpg

・9月に出かけたのは北八ヶ岳の横岳、本栖湖の南にある龍ヶ岳で、10月になってからは富士吉田の東にそびえる杓子山に登り、先週は木曽の御嶽山に行ってきた。スイスで山小屋に泊まりながら歩くことになれたから、これからは国内でもという気になり始めている。とは言え、車で、ケーブルやロープウェイでできるだけ上まで行ってという横着な癖がついたのも確かだ。

forest103-2.jpg・北八ヶ岳の横岳はロープウェイで2237mまで上がることができる。坪庭という名の溶岩台地が広がり、南に広がる八ヶ岳の峰々が望めるから、ほとんど歩かなくても山登りをした気分になる。ロープウェイにはバスに乗ってきた団体客がたくさん乗っていて、そんな人たちの間を、僕は山頂まで行くんだよと言いたげにかきわけて行く。ただし、山頂は2480mだから登るのは250mほどにすぎない。楽勝だと思ったのだが、道は溶岩のがれきで足場が悪かったから、結構くたびれてしまった。

forest103-3.jpg・龍ヶ岳はクリスマスから暮れにかけてダイヤモンド富士が見られることで、最近人気になった山だ。僕はそのダイヤモンド富士を見ようと、この山に数年前に登ったが、霧が立ちこめていて途中で引き返したことがある。今回は前回とは違うルートから登り始めたのだが、天気が良かったのに、頂上に近づくとまた霧に包まれてしまった。何も見えない頂上は味気ないものだったが、植生の豊かさも実感して、この霧のおかげなのかもしれないと思った。

・立ち枯れしたブナの木にびっちりとキノコが生えていて、食べられるものとわかったら持って帰るのに、と残念な気がしたが、野生のキノコはまた、放射能の影響を受ける植物だから、摘んで帰って食べたりしないほうがいいな、とも思った。ちなみにこのキノコはムキタケという名でたべられるもののようだった。

forest103-4.jpg・山の幸ということでは、僕には秘密の栗の木がある。去年は実をつけなかったが今年は大豊作で、右のようなたくさんの栗を収穫した。自転車で坂道を登っていて、もう歩こうかと下を見たときに道路に転がっている栗に気がついたのが最初だった。

・栗はその日のうちに皮をむき、一日水につけて渋皮をむく。拾うときは夢中で楽しいだけだが、後の作業は簡単ではない。実は今回は2度出かけて、同じくらいの量の栗を収穫した。だから、皮むき作業も大変だったのだが、そのほとんどを冷凍保存にした。スープにしたり、あんこにしたりして、最後は正月の栗きんとんにする。面倒だけど秋の一番の楽しみである。

・で、先週は木曽の御嶽山に登った。3000mを超える山だが2100mまで車で行くことができる。とは言え、登山道はがれきと階段できわめて歩きにくく、快晴だったが吹き飛ばされそうなほど風が強かったから、頂上に着く前からへとへとになってしまった。指先の感覚がなくなるほど寒く、高山病の症状もでて頭痛がしたが、雲一つない眺めは素晴らしかったし、紅葉も美しかった。


forest103-5.jpgforest103-6.jpg
forest103-7.jpgforest103-8.jpg

2012年10月15日月曜日

社会や政治を変えることは可能なのか

孫崎享『戦後史の正体』創元社
小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書

・3.11以降、政治の動きやメディアの対応について、その裏側が見えるようになり、一つの動きやそれに関わる情報操作が、どんな力によって、どんな意図のもとに行われているのかがわかりやすくなった。たとえば原発の廃止という国民の世論に対して反対するのは電力会社はもちろん財界もだが、アメリカや英仏も即座に反応したようだ。しかし、そのようなニュースは、実は、欧米という虎の威を借りた日本の狐が発信源だったりして、しかも、メディアはそんな意図など関係ないかのように、無批判に垂れ流してしまっている。そんな仕組みが露呈されているのになお、同じことをくり返す政治やメディアの現状は一体どうすれば変えることができるのだろうか。

magosaki.jpg ・孫崎享の『戦後史の正体』は最近のベストセラーで、戦後史の裏側を政治家や官僚の回顧録や公文書を読み解きながら暴露した内容になっている。おそらく3.11以前ならば、一つの裏話として読まれたのかもしれないが、現在の状況と照らし合わせると、きわめて説得力のある政治史として読むことができる。

・第二次世界大戦に敗北した日本は、連合国に対する無条件降伏とアメリカによる占領政策によって戦後の時代を歩き始めた。憲法はもちろん、何から何までがアメリカの意向によって決められ、それに逆らったり抵抗したりすれば、政治家は公職追放になり、また何らかの罪をきせられて投獄されたりもした。戦後の日本の政治は、「アメリカ追随」と「自主」という二つの路線を巡って争われ、そこにアメリカが時に正面から、そしてまた時には裏面から介在して圧力をかけて操ってきた。この本が主張しているのは何よりその点にある。

・たとえば、そのような視点から歴代の首相が行ってきた政策や人物に対する評価を見直すと、世に言われてきたものとはずいぶん違った解釈ができるようになる。汚職や醜聞で失脚したり、無能だと酷評された政治家には例外なく、アメリカの意にそぐわない発言や行動をしたという共通性があるからだ。そのことは陸山会事件で起訴された小沢一郎や、普天間基地を巡って迷走した鳩山元首相まで一貫したことである。

・アメリカの力という点では、自衛隊や米軍基地はもちろん、領土問題や原発政策でも同様だ。ポツダム宣言で日本の主権が認められた領土は北海道、本州、四国、九州と連合国が認めた諸小島だが、アメリカはソ連の参戦を促すために国後、択捉の領有を認めておきながら、戦後になると日本に対してそれらを「北方領土」としてソ連に返還要求をするよう圧力をかけたようだ。同様のことは尖閣諸島についても行われていて、孫崎は、アメリカのそのような政策を、日本がソ連や中国と対立して、独自の外交を行わせないようにするためだったと解釈している。


oguma.jpg ・戦後の日本は、そのアメリカの占領政策によって、「自由」と「民主主義」を教えられた。急速に経済成長を成し遂げるきっかけも朝鮮戦争だった。小熊英二の『社会を変えるには』は、3.11以降に顕在化したさまざまな問題について、多くの人びとがその対応を政治家や官僚には任せておけないと感じ始めたこと、マスメディアを無批判に信用してはいけないと気づき始めたこと、そして、デモという直接行動やソーシャル・メディアを使った発言にその解決策を見つけ出したことなどを出発点にして、「社会を変える」方策を探ろうとしたものである。

・この社会を変えるためには、やはり、現在の社会がどのような道筋を通って現在に至ったのかを知らなければならない。この本はそのことを「工業化社会」から「ポスト工業化社会」に変わってきた日本の現況と、その過程の中で、国の政策に反対し、抵抗してきた社会運動の歴史を振り返ることから始めている。そして、「自由」と「民主主義」あるいはそれを具体化する「代議院制度」について、ギリシャまでさかのぼり、近代化の中で重要な役割を果たした多くの思想や哲学に触れながら、これから取るべき方向性を探ろうとしている。

・日本人にとって「自由」や「民主主義」は自らの手で勝ち得たものではなく、天から降るようにして与えられたものである。だから選挙で投票して政党や議員を選び、その代表者たちに政治を任せることを「民主主義」の唯一の方法だと思い込んできた。しかし、そのようなシステムでは、自分の意見が反映されないし、任せておけないと多くの人が感じるほどに不安感や不信感が蔓延するようになった。

・そんな思いをどのようにして具体化していくか。小熊は「自分がないがしろにされている」という実感から出発することが大事だという。それは個々さまざまに現れて、時に差別意識や嫉妬心を増長させて、特定の人びとへの攻撃に向かう危険性を持っているが、「原発問題」には大きな「われわれ」意識となって、国を動かす力になる可能性がある。そのことは今年の夏を頂点に、東京だけでなく全国で起こった反原発デモで垣間見ることができたことである。この運動をどのように持続させ、もっと大きな「われわれ」意識にしていくか。

・やり方はいろいろであっていいし、主張もいろいろであっていい。「『デモをやって何が変わるのか』という問いに『デモができる社会が作れる』と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。『対話して何が変わるのか』といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。」(pp.516-517)

2012年10月8日月曜日

「イッテQマッターホルン」


imoto.jpg・夜の地上波はタレントを集めて馬鹿なことをやる番組ばかりで全く見る気がしないが、一つ、というよりは一人だけ、気になるタレントが出る番組がある。だからその番組の、そのタレントが出るところだけ見ようと思うのだが、早すぎたり、遅すぎたりして、見逃すことが多い。今回は特番で、3時間の後半部分だったから、すべてを見ることができた。とは言え、事前に知っていたわけではなく、たまたまつけたらやっていたのである。

・番組名は「「イッテQマッターホルン」 で、お目当てのタレントはイモトアヤコである。平板な顔に太いつけまつげをつけ、女子高生のセーラー服姿で世界中を飛び回って、危ないことや恥ずかしいことをやらされる。そんな役回りだが、見ていて最初に感心したのは、5000mを超えるアフリカ最高峰のキリマンジェロの登頂に成功した時だった。その後彼女はモンブランに登り、アンデス山脈のアコンカグアに挑戦して、今回のマッターフォルンとなった。いずれも番組の特番として放送されたものだが、アコンカグアとモンブランは見逃している。

imoto2.jpg・実は、彼女のスイス出発は、僕が出かけた二日後だった。だから番組で映るマッターフォルンは、僕が現地で見たのと同じ日だったりもした。僕はマッターフォルンの回りを3日間、東から西にかけて半周ほどしたから、マッターフォルンの美しさを方向を変え、時間を変えて見ることができたが、同時に、登ることがいかにきつく危ないことかもよくわかった。フォルンとは角のことだが、名前の通り角のように突ったっていて、もっとも一般的な登坂ルートでも、刃先のように尖ったところを登るのである。

・番組自体はおふざけ半分で、ちょうど僕が歩いた道に大樽の風呂を4つおいて、森三中とイモトがそれぞれ入るといった場面を入れたりもした。マッターフォルンを背景にした即席の露天風呂のためだけに森三中をスイスに連れて行ったりするのが、バラエティ番組のどうしようもないところだと思うのだが、そんなシーンがなければ視聴者は本当に退屈してしまうのだろうか。だとすれば、登山をなめた番組作りだというほかはない。

・とは言え、登山計画自体は当然だが、きわめて慎重で、準備も念入りだった。事前に別の二つの山でトレーニングをやって、イモトアヤコがマッターフォルンに登れるかどうかを現地のガイドに判断してもらっていて、番組はその様子にかなりの時間を割いていた。その期間のスイスは観測史上最高という暑さで、リュックに詰めたセーターなども、ほとんど使わずじまいだったが、僕の旅が終わりになる頃には天気が崩れはじめて、マッターフォルンには雪が降って岩壁にへばりついたようだった。

・登山は条件次第で予定を変更したり、キャンセルしたりすることがよくある。だからこの番組のクルーも足止めを食って、登頂は9月に入ってからになってしまったようだ。訓練のきつさや、待たされている間に感じる不安などがイモトの様子からもよくわかった。時におどけ、時に真顔になる。そんな様子はNHKが得意にするドキュメントタッチの登頂番組とは違って、素人でもわかり共感することができた。

・そんなことを思いながら感じたのはイモトアヤコというパーソナリティのユニークさと、うまく成長すれば日本を代表するアルピニストにもなれるのではないかという期待だった。今山歩きをすると、「山ガール」で溢れている。悪い気はしないが、山をよく知り楽しむ術を身につけた人として続けるのだろうかと疑問に思うこともある。一時の流行ではなく、レジャーの一ジャンルとして定着するのは、彼女の今後の成長次第かもしれないなどとも思ってしまった。

2012年10月1日月曜日

傑作2枚


Bob Dylan ”Tempest”
Ry Cooder "Election Special"

dylan12.jpg・ディランの新しいアルバムが出た。2009年のクリスマス・ソング以来で3年ぶりだが、このコラムでは今年もトリビュート・アルバムについて取り上げているから、それほど久しぶりだと思わなかった。デビュー50周年で71歳になるのにコンサート・ツアーもこなしていて、その精力的な活動には驚くばかりだ。しかも、このアルバムが、アメリカはもちろん世界中で大絶賛されている。

・タイトルは"Tempest"だから大嵐とか大騒ぎといった意味になる。アルバム・タイトルになった曲は沈没したタイタニック号の物語を14分もの長さで語っている。もっとも語っているのはこの歌に登場する「彼女」である。アルバムの収められた曲にはこのほかにも、物語風に仕立てられたものが多い。最後の"Rll on John"(急げジョン)はジョン・レノンを語っている。


急げジョン、雨や雪にめげずに進め
右手の道を取って水牛が集まるところに行け
君が気づく前に奴らは待ち伏せして罠を仕掛けるだろう
今となっては家に引き返すには遅すぎる  "Roll on John"

・今年ディランはオバマ大統領から「大統領自由勲章」を授与された。その様子はyouTubeで見ることができる。オバマはディランが「音楽に社会意識を与え、次に続く道を切り開いたこと」を讃え、現在もなお精力的に活動していて、自分も大ファンであると語っている。ディランは例によってサングラスで無表情だが、居心地が悪いというふうでもない。こんな場にもすっかりなれてしまったせいだろうか。

・彼はすでにオスカーもピューリッツアも受賞しているし、名誉博士号もいくつもの大学から授与されている。フランスの文化勲章。スウェーデンのポピュラー音楽賞と外国でもらったものも少なくない。後残るのはノーベル賞ぐらいで、これも以前から何度も話題になっている。しかも、彼の活躍は21世紀に入ってからも衰えていない。前作の"Together through Life" は初登場で米英で1位を記録したし、その前の"Modern Times" は200万枚を超える売り上げだ。おそらく、今度のアルバムも売れるだろうと思うが、日本ではいつでもほとんど話題にならない。

ry8.jpg ・もう一枚はライ・クーダーの "Election Special"(選挙特集)だ。全曲、11月に行われるアメリカ大統領選挙に向けて、共和党候補のロムニーを批判し、現職のオバマ大統領を再選すべきだというメッセージが込められている。たとえば、1曲目の "Mutt Romney Blues" はロムニー候補がケージに入れた愛犬を自分の車の屋根に縛りつけて12時間も走り、動物愛護団体から非難されているといった内容だ。

・ほかにも昨年大騒ぎになった「ウォール街を占拠せよ」を応援する "Wall Street Part of Town" 、アフガニスタンで捕らえられた捕虜が送られる「グァンタナモ基地」のひどさを歌った "Guantanamo" などなど、共和党批判に溢れている。とは言え、曲自体はバラエティに富んだアレンジをしているし、ギターさばきもいつもながらすばらしい。

・この2枚のアルバムを聴いていて思ったのは、いつもながら、ポピュラー音楽がもちうる力のことだった。で、やっぱりつづいて思うのは、他のポピュラー文化に比較して、日本の音楽状況がなんと貧弱なことかということだ。映画や文学やアニメではかなりのレベルのものが作られているのに、音楽はくずばかり。もうとっくにあきらめて見捨てているが、しかし、なぜそうなのかを考える価値はあるのだろうと思う。

2012年9月24日月曜日

選挙は悪夢の選択

 ・民主党の代表選で野田首相が再選された。自民党の総裁選ももうすぐ結果が出る。いつ行われるのかわからないが、次の衆議院選では自民党が第一党になって政権を取り返すだろうと言われている。それを見越してなのか、テレビ局はどこも、総裁選に多くの時間を割いて、候補者に熱弁を振るわせていた。尖閣諸島の問題で中国各地で大規模なデモが続いて、候補者の主張はもっぱらナショナリズムを煽ることに終始して、原発については全員何も言わなかった。

・一方で民主党は、30年代に原発ゼロの方針を出しながら、もんじゅは研究炉として継続とか、建設中の大間や東通は完成させるといったつじつまの合わない方針を出し、しかも経団連の会長に噛みつかれると途端にトーンダウンさせたりして迷走状態をくり返している。もういい加減にしろと言いたくなるが、しかし、自民党政権になったら、原発ゼロは撤回されてしまうから、それはそれで許してはいけないことだと思っている。

・マスコミは、だったらいっそ「維新」にという空気にも荷担している。ここには確かに、新鮮さや威勢の良さはあるのかもしれない。けれども、政策にしても候補者にしても、にわか仕立てだし、既成の政治家との結びつきを模索して駆け引きばかりやっているから、うさんくささばかりが目立っている。

・こんな状況だから、野田首相は衆議院の解散を「近いうちに」ではなく、任期切れまで引き延ばすのだろうと思う。何しろ約束をした谷垣総理が引きずり下ろされたのだから、約束をチャラにしたって文句を言われる筋合いはなくなったのである。日本の現実や将来のことをそっちのけにして、目先の権力闘争に明け暮れている様子を見ていると、暗澹たる思いに駆られてしまう。もう絶望するしかないのかもしれないが、それでもなお、少しだけましな方向を冷静に考える必要はあるだろう。それはつまり、言ってみれば「悪夢の選択」ということだ。


人生は、いわば悪夢の選択の連続である。私たちは、いくつかの選択可能な悪夢のうちから、せめて選択の余地があることに感謝しながら、いくらかでもましな悪夢を選んで、その中で生きてゆくほかはない。(井上俊『悪夢の選択』筑摩書房)

・中国で起きている大規模な反日デモの発端は石原東京都知事がアメリカでぶち上げた「尖閣を東京都が購入する」という発言だった。一体この騒ぎがどれほどの被害を及ぼしているのか、これからどんな方向に進むのか。おそらく知事は、こんな事態を予測していたわけではないだろうと思う。ところが、反省するどころか、ますますボルテージを上げて中国を批判するばかりだ。そして、彼を批判する人はあまりいないし、メディアも責任についてなどほとんど話題にしない。

・総裁選に立候補している知事の息子の石原伸晃は福島第一原発のことを「第一サティアン」と口走って失笑を買った。言い間違いだと弁明したが、はじめてではなかったようで、親が親なら子も子だなと、呆れてうんざりしてしまう。ただし、こんな人たちがもっと権力を握ったらどうなるのかと考えると、空恐ろしい気持ちになってくる。せめて「悪夢の選択」ができるうちはまだましかと考えると、迷走状態でぼろぼろの民主党に、何とかせよと叱咤激励するほかはないのかと思い始めている。

・脱原発は経済より既得権より、倫理として勧める必要がある。そんなことを明確に主張する政治家や政党が出てくることが望めないのならば、少しでもその方向性を示しているところを支持するほかはない。いくらかでもましな悪夢の選択のために。

2012年9月17日月曜日

「レジャー・スタディーズとツーリズム」

・後期から特別企画講義が始まります。タイトルは「レジャー・スタディーズとツーリズム」で1月まで14回、毎回ゲストを招いて講義をしていただく予定です。一般に公開された講義ですから、興味のある方は参加してほしいと思います。

*毎週火曜日五限(16:20〜17:50)教室(E101)

[講義予定]

1 (09/25) 「レジャー・スタディーズとは何か」(薗田碩哉)
2 (10/02) 「レジャーとツーリズム」(加藤裕康)
3 (10/09) 「音楽ツーリズム」(宮入恭平)
4 (10/16) 「19世紀のロンドンと音楽」(吉成順)
5 (10/23) 「ストリートとロック・フェス、そしてレイブ」(佐藤生実)
6 (10/30) 「映画とシンガポール」(盛田茂)
7 (11/06) 「東南アジアとエコツーリズム」(川又実)
8 (11/13) 「エンパワーメントとしての観光―ニュージーランド・マオリの事例から」(深山直子)
9 (11/20) 「レジャーとしてのお笑い」(瀬沼文彰)
10 (11/27) 「修学旅行の社会史」(三浦倫正)
11 (12/04) 「レジャーとカルチュラル・スタディーズ」(小澤孝人)
12 (12/11) 「世界を歩く」(太田拓野 )
13 (12/18) 「クール・ジャパンとコンテンツ・ツーリズム」(増淵敏之)
14 (01/08) 「レジャー・スタディーズの可能性」(宮入恭平)

・レジャー・スタディーズは日本では余暇研究という名で行われてきた分野です。それをわざわざ英語名にしたのは、「レジャー」が必ずしも「余暇」に限定されない、「自由」や「自発性」を持ったことばであるからです。その本来の意味に帰って「レジャー」を見つめ直すことが、今回の講義の最大のポイントになります。

・「ツーリズム(観光)」は「レジャー」の主要な要素で、近年では、いわゆる観光地への団体旅行だけでなく、多様な形態が現れてきています。それは音楽との関係であったり、映画とつながりがあったり、あるいはスポーツやエンターテインメント、さらには医療、そしてボランティアであったりするようです。そんな多様な旅のあり方について、その魅力や問題点をそれぞれのゲストの方に話していただく予定です。

・最近の大学生は内向き志向だと言われています。あるいは、大学に入る前から就職のことばかりを気にしていて、その役に立たないことには関心を示さない傾向も指摘されています。そんな視野の狭さを打ち破って、世界や自分の将来について広く深く考える場になればと思ってこの講義を企画しました。

・なお、教室(E101)は正門からまっすぐ歩いて一番奥にある5号館の1階です。

i_campus_map01.gif

2012年9月10日月曜日

夏の終わりに

 

forest102-1.jpg

・今年の夏は河口湖もいつになく暑かった。それでも、東京の猛暑にうんざりして帰ると、冷気を感じてほっとした。なにしろ大学の夏休みは高校はもちろん、中学や小学校よりも遅い。前期15回の授業を必ずやれという文科省の指導で、祭日を返上してもなお、夏休みは八月第一週までおあずけになった。

forest102-3.jpg・それに、老人ホームに引っ越した後の家を売りに出すために、家財道具の処分をする作業にも追われた。ものをため込む世代とは言え、処分しなければならないものは膨大な量で、それは冷凍冷蔵庫の中身一つとっても、何日もかかるものだった。とは言え、何もなくなった家は、ほんの少し前まであった生活の記憶すら不確かにする。両親はここに50年近く住んでいたのにである。


forest102-2.jpg・7月最後の日曜日に「国会大包囲」デモがあって参加した。この日も暑い一日だったが、集合場所の日比谷公園に集まった人の数はものすごくて、新橋方面に向かう行進が延々と続いた。東京電力本社前から経済産業前を通って日比谷公園まで戻り、そこからまた議事堂まで歩いたのだが、警察の規制が厳しくて、人びとが議事堂正門前の歩道にひしめくことになった。「病人が出るから道路を解放しろ!」といった訴えもあって、夕闇が迫る頃になってやっと、国会前の道路に人びとがあふれ出た。これだけの人が原発の廃止を訴えているのに、政府は目をそらせ耳をふさぐばかりだ。

forest102-4.jpg・8月の後半はマッターホルンやユングフラウの周辺をトレッキングするツアーに参加した。その準備に、毎週のように山歩きをし、発汗性のいい綿ではなく化繊のTシャツ、ポロシャツ、ズボン、それに毛糸の靴下などを買った。綿信奉者で化繊など買ったことがなかったが、山歩きでは確かに、軽くてすぐに乾く化繊がいいことを実感した。ただし、スイスは寒いからと持って行った厚手のセーターや靴下、帽子などは、一度も使わずじまいだった。ところが一週間後にスイスから届いたメールには、泊まった山小屋に雪が降ったと書かれていた。暑かったのはたまたまだったことを改めて、理解した。

forest102-5.jpg・家を離れたのが10日間だったから、帰っても時差に悩むこともなかった。しかし、毎日10kmも歩いたのに、体重が2kgも増えたのには驚いた。ビールかな、チーズかもと犯人捜しをしたが、量が多いのにがんばって完食を続けた結果で、要は食べる量が多かったのである。で、自転車で河口湖や西湖に出かけているし、腐って不安定になった庭への階段も作り直した。暑さもおさまってきたので、そろそろ周辺の山歩きも再開しようと思っている。今度の経験で、今まで以上にあちこち歩き回ることが楽しみになってきた。

2012年9月3日月曜日

世界遺産は何のため


佐滝剛弘『「世界遺産」の真実』祥伝社新書
ジョン・アーリ『観光のまなざし』法政大学出版局

・富士山を世界文化遺産にしようとする動きが本格化してきた。地元には反対もあるが。官民こぞって賛成という空気である。富士山はもともと世界自然遺産候補として話題になったことがある。それが頓挫した理由は、ふさわしくない建築物やゴミのせいだと言われている。だったら「自然」ではなく「文化」で行こうというのだが、富士山を文化遺産にすると言うのは、何か今一つぴんとこない、こじつけのように感じている。

journal1-154-1.jpg・佐滝剛弘の『「世界遺産」の真実』には、富士山が自然遺産にならなかったのは、ゴミのせいではなくて、富士山そのものが世界自然遺産として認められなかったからだと書いてあった。確かに、日本人にとって富士山は国土を象徴する山だが、世界には富士山と同じような形で、もっと高い山がいくつもあって、けっして珍しいものではない。だから、日本自然遺産のトップにはなっても世界と名をつけるのは難しいというのはもっともな話だと思った。

・とは言え、富士山は世界的にも有名で、外国からも大勢の観光客が訪れている。それなのになぜ、「世界遺産」にしなければならないのか。ニュースから聞こえてくるのは、観光地としてさらに活性化をさせたいという声が圧倒的に多い。つまり「世界遺産」になる目的は、世界一級の観光地としてお墨付きをもらうという一点にあるのだが、この本でも強く指摘されているように、ユネスコが「世界遺産」の認定を始めた理由を考えると、その変質ぶりには、首をかしげたくなる気がしてくる。

・世界遺産の登録は1978年のイエローストーン公園やガラパゴス諸島などが最初で、日本では1993年に屋久島、姫路城、法隆寺、そして白神山地が登録された。現在認められている世界遺産の数は962で、この条約を締結している国は189に及んでいる。文化遺産が圧倒的に多いこと(77%)、ヨーロッパに偏っていることなどの問題が指摘されていて、その改善に力を入れているようだ。

・この本によれば、一度認定されても、景観が変えられたり環境が悪化したりして取り消された事例があるようだ。住民にとって必要な建物や橋を作れなくなる。遺跡として認められたものの維持に多額の費用が必要になるなど、理由はいろいろあるようだ。確かに世界遺産として認定された状態を維持することは、その主旨から言って重要なことだろう。けれども、遺産として長く維持しようと思ったら、住んでいる人たちの都合や要望とある程度折り合いをつけて行くことは必要だろうし、維持するのにはお金や労力が必要なのだから、遺産としての価値があって、それができないところにこそ、積極的な認定と支援をすべきなのではと思う。

・「世界遺産」の認定がその理念とは異なって、観光地としてのステイタスに使われるようになったことは間違いない。日本における認定の運動には特にその傾向が強いが、富士山を文化遺産にという運動には、その性格が顕著だと言える。これでは一体何のための世界遺産かということになるのだが、それはまた、世界遺産の認定がツーリズムの大衆化、グローバル化と時期を同じくして盛んになったことに大きな理由がある。

journal1-154-2.jpg・ジョン・アーリの『観光のまなざし』によれば、イギリスにおける観光産業が大きく成長したのは80年代以降で、その特徴が「記号の消費」にあるということだ。世界的に無比のもの、特別なもの、典型的なものが記号として特化され、訪れてまなざしを向けたい対象として強調される。その仕組みは観光産業とマス・メディアによる合作だが、その戦略にとってユネスコの「世界遺産」認定が、きわめて好都合な材料であったことは間違いない。

訪れてみたい、経験してみたいと思わせるには、イマジネーションをかき立てる記号化が不可欠だ。大衆ツーリズムの歴史は観光産業がマスメディアと連携して、そのイマジネーション自体を次々と作り出して魅力的な商品に仕立て上げてきたプロセスだと言っていい。ユネスコの「世界遺産」は、自ら意図していようといまいと、その流れに大きな役割を果たしてきたことは間違いない。

2012年8月27日月曜日

アルプスの山を歩く

 

alps2-1.jpg

alps2-2.jpg・旅の後半はイタリア国境のツェルマットから電車で北上してユングフラウとアイガーのある中央部に移動した。実は最初はもっと鉄道に乗るツアーに申し込んだのだが、参加者が少なくて中止になって、山歩きだけのプランに変更したのだった。だから、貴重な鉄道体験になった。その鉄道を小刻みに乗り換えて着いたのはラウターブルンネンという町だった。そこからバスとロープウェイを乗り継いで、ユングフラウ、メンヒ、そしてアイガーを望むロープホルン小屋まで3時間かけて400m程登った。

alps2-3.jpg・もうこの頃には全員打ち解けて、お互いを気遣いあって登り、山小屋に着くとすぐにビールで乾杯が当たり前になった。男たちは旅行会社のリーダーをのぞけば、後は60代と70代。僕以外は定年退職して悠々自適の暮らしをする人たちだったが、女たちは、休暇が取れるのに取りにくい空気を変えてやろうと参加した人、休みが取れなくて辞めてしまった人など、感心するぐらいしっかりした人たちだった。そんなプライベートなことがお互いの口から自然に出るようになった。


alps2-4.jpgalps2-5.jpg
alps2-6.jpgalps2-7.jpg

・アルプスの景色はどこも壮大だった。季節を過ぎていたとは言え、高山植物をいくつも見ることもできた。けれども、動物を見かけることが少ないのは意外だった。鳴き声をよく聞いたのはマーモットだけだったし、他には雨上がりの朝にいっぱいいた黒いアルプス山椒魚ぐらいだった。鳥もくちばしの黄色いカラスと雀だけ。一見自然に見えるけれども、人の手がものすごく入っているし、現在はその保護に熱心でも、すでに乱獲して絶滅させてしまった生き物がたくさんある。のどかな牧草地が広がる風景も、おそらく数世紀前には鬱蒼とした森だったはずで、アイガーの中を掘って3500mまで鉄道を作ってから今年で100年になることとあわせて、現在のアルプスが人間にとって好ましいものへの作りかえや再生であることをつくづくと感じた。

・今夏のアルプスは観測史上最高の暑さで山頂の氷河もずくずくに溶けていた。その石灰岩を砕いて白く濁った冷水が流れる川には厚い霧がかかっていた。その流れを見ながら、アルプスの氷河はあとどのくらい持つのだろうかと思った。

・今回のツアーは山小屋とホテルに4泊ずつの行程で、一日平均10km前後を歩いたから、全部では7~80kmを歩いたことになる。上り下りのくり返しだから相当きつかったが、観光旅行では見えない世界をずいぶんたくさん経験することができた。街歩きもいいけど山歩きもなかなかいい。今見ておかないとなくなってしまう景色もたくさんあるに違いない。さて次はどこに行こうか。帰ったばかりなのに、もうそんなことを考えたりもしている。


alps2-8.jpgalps2-9.jpg