2010年10月25日月曜日

最近買ったCD


Bob Dylan"Witmark Demos"
"How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan"
Brian Wilson"Reimagines Gershwin"
Bobby Charles"Timeless"
Mose Allison "The Way Of The World"

dylan-series9.jpg・特に欲しいと思ったわけではないがディランのブートレグ・シリーズ9の"Witmark Demos"が出た。1962年から64年にかけてのデモ版でお馴染みの曲ばかりだが、このシリーズはすべて買っているからと、アマゾンに予約をした。二枚組で47曲も入っていて、値段はわずか1548円だ。聞き慣れた曲ばかりだから、今さらどうということもないが、ジャケットの若い顔を見ながら聴くと、最近のディランとの違いと比べて、やっぱり「若いなー」とつぶやきたくなった。もっとも最近では、今の声の方がずっといいと思うようになっている。

dylan-black.jpg・"Witmark Demos"を予約した時に"How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan"というアルバムが気になって、これも一緒に注文することにした。黒人のミュージシャンが歌ったディランの歌を集めたものだが、ディランの雰囲気はきれいさっぱり消えていて、R&Bやジャズ、それにラップになっている。やはりディランの歌はディランでなければぴんとこないと思ったが、何度か聴いているうちに、馴染んできた。それにしても、このアルバムに収められている20曲を歌うミュージシャンで名前を知っているのがニーナ・シモンとブッカー・T.ジョーンズの二人だけで、改めて、黒人ミュージシャンに疎いことに気づかされた。

brian-gershwin.jpg ・ブライアン・ウィルソンの"Reimagines Gershwin"は20世紀前半のアメリカのポピュラー音楽を代表するガーシュインの歌を歌ったものだ。ガーシュインには「サマー・タイム」や「アイ・ガット・リズム」など、多くの人が歌い続けてスタンダードになった歌がいくつもあるが、このアルバムでは、そんな有名な歌がほとんど網羅されている。それでも、聴いているかぎりはブライアン・ウィルソンそのもので、自分の歌にしたところはさすがだと思った。ただし、ディランやライ・クーダーが積極的にやっている、20世紀前半に歌われた埋もれた歌やミュージシャンの掘り起こしではなく、最もポピュラーなガーシュインであるところに、ブライアンの政治感覚があらわれている気がした。

Bobby-Charles.jpg ・ボビー・チャールズは今年1月に急逝したミュージシャンで、 "Timeless" は遺作だが、僕はこの人の名前を、このアルバムではじめて知った。ザ・バンドやドクター・ジョンと親交のあった人だと言うから、もっと早くに知っていてもよかったのにと思ったが、こういう人がまだいくらでもいるのかもしれないとも思った。。聴いていてまず思ったのはザ・バンドによく似ているということだ。アメリカの南部や西部、そしてメキシコのことが歌われていて、ラブ・ソングが多いが、いかにも男っぽい感じもする。ザ・バンドとはウッドストックに住んでいる頃のつきあいと言うから、ディランとも親交があったのかもしれない。ザ・バンドの引退コンサートを記録した「ラスト・ワルツ」にも出たようだが、まったく気づかなかった。

Mose-Allison.jpg ・最後はモーズ・アリソンの"The Way Of The World"だ。彼も50年代から活躍しているジャズ・ミュージシャンで80歳を過ぎた今でも、現役でコンサート活動をしているというが、僕にとってはこのアルバムが初対面だった。興味を持ったのはヴァン・モリソンやトム・ウェイツが彼の歌を歌っていることを知ったからだが、アルバムを聴いて、その楽しそうに歌い演奏する様子がすっかり気に入ってしまった。最後の「This New Situation」は娘とのデュエットのようで、特に楽しげだ。ネットで調べると、彼の影響を受けたロック・ミュージシャンは60年代から数多くいるようだ。予定されていた日本公演は体調不良で中止されたようだが、オフィシャルサイトを見ると、ロンドンのクラブでライブをやっている。しかし、何と言っても80歳を過ぎてなお、新しいアルバムを出すところがすごい。戦争を繰りかえす人間に対するシニカルな見方をつぶやく歌もあって、その反骨精神もなかなかだ。今頃になってと思うが、追いかけてみたいミュージシャンがまた一人増えた。

2010年10月18日月曜日

秋が遅い

 

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・富士山がうっすら雪化粧をしたのは9月の末だった。猛暑の割には例年通りの初冠雪で、いよいよ秋かと思ったが、それ以降はまた、暖かい日が続いている。もちろん、富士山の雪もあっという間に溶けて、今は跡形もない。とは言え、最低気温が10度前後まで下がると、朝晩は灯油のストーブが必要になる。木々の紅葉もちらほらと見かけるようにはなった。

・そんな朝、高速道路を走って東京に着くと、すでに気温は20度を越え、生暖かさというよりは、夏の名残のむっとした暑さを感じる。いつもながらのことかもしれないが、今年はいつまでも暑い気がする。だから、教室はもちろん、研究室でも、いまだに冷房をかけている。家では暖房、職場では冷房。移動の自動車では、行きが暖で始まって冷に切りかわり、帰りが冷から暖に切りかわる。そんな違いにからだがうまく対応できない。歳のせいかもしれないが、今年はそんな変化が一層強く身にしみる。

forest79-5.jpg ・自転車での河口湖や西湖一周は、毎週続けている。天気がよければ2度、3度とがんばったから、体力にはかなりの自信がついた。と思ったのだが、10月はじめに十二ヶ岳に登って、足を痛めてしまった。
・新しくできた若彦トンネルを抜けて芦川村まで車で送ってもらい、大石峠に登って、そこから御坂山塊の尾根を歩いて、節刀ヶ岳、金山、十二ヶ岳、毛無山と巡って家まで下って帰る行程だった。10キロで6時間以上かかること、山のガイド本では十二ヶ岳は危険度が3ということもあって、今まで登らずにきたのだが、山男の義兄を誘って登ることにしたのである。

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forest87-5.jpg ・十二ヶ岳は上や右の画像のように、梯子あり、吊り橋ありの難コースで、ロープを頼りに上り下りする崖は、雨上がりで濡れていることもあって、足場に気をつかう行程だった。しかも、十二ヶ岳という名前の通り、十一、十、九と一ヶ岳まで続き、そのたびに下っては登るという面倒くささだった。もちろん、頂上では眼下の西湖から富士山の頂上まで見渡せて、東西の見晴らしも開けた素晴らしい眺めだったから、いつものように、登ってきてよかったと思ったのだが‥‥‥。毛無山から家までのルートは終盤の急な下りの連続で、途中から太ももに張りが出て、最後はもつれて転ばないようにするのに神経を使った。

forest87-6.jpg ・おかげで、その後四,五日は階段の上り下りにも苦労するほどで、しかも、変な歩き方をしたせいか、その後、持病の腰痛がでた。この秋最初の山歩きで、もうちょっと軽いコースを先に歩いておくべきだったと反省したが、すでに後の祭りである。自転車もしばらく休むことにして、ここのところ、去年見つけた秘密の栗の木から収穫した栗の皮むきに精出している。収穫した栗は全部で、右の画像の四倍ほど。あちこちに配り、栗ご飯も炊き、栗のあんこも作ったが、残りは一年間楽しむために冷凍をした。

・もちろん、腰が治ったら、紅葉を見に、山歩きを再開しようと思っている。

2010年10月11日月曜日

イザベル・アジェンデ『精霊たちの家』河出書房新社

 

・今年のノーベル賞にペルーのバルガスリョサが選ばれた。僕はこの人を含めて、南米の作家の小説をほとんど知らなかった。と言うより、どんなジャンルであれ、南米の著者が書いた本を読んだことがないといった方がいいかもしれない。それだけなじみのない世界だが、アメリカに行った折りにシアトルの知人に勧められてイザベル・アジェンデの小説を読んだ。

Allende1.jpg ・イザベル・アジェンデは1942年生まれのチリ人で、1973年にピノチェトのクーデターで倒されたアジェンデ大統領の姪に当たる。アジェンデは1970年に大統領に選ばれ、社会主義政権を実現させ、銅山の国有化や農地改革などを断行したが、アメリカのCIAやチリ国内の資本家や地主勢力が後押しする軍部のクーデターによって殺害された。1973年9月11日のことである。ピノチェトの軍事政権はは、アジェンデを支えた勢力を厳しく弾圧し、数千とも数万とも言われる多くの人びとが投獄され殺されたが、その中にはビクトール・ハラのようなフォーク・シンガーやノーベル賞を受けた詩人のパブロ・ネルーダもいた。

・『精霊たちの家』は1982年にスペインで出版されている。ピノチェト政権を強く批判する内容で、チリでは輸入はもちろん、個人が持ちこむことも禁止された。しかし、ヨーロッパやアメリカでは大きな反響を呼び、1993年に映画化され、メリル・ストリープなどが出演している。日本でもこの本は1989年に翻訳されて出版されている。僕は映画も翻訳も知らなかったが、知人から進められて読んで、その物語としての力に圧倒され、引き込まれてしまった。

・『精霊たちの家』はチリの名家に生まれ育った女たちと、たたき上げで大農場の経営者となり政界にも進出した男の物語である。物語の中で流れる時間は半世紀で、家族の物語はそのままチリの歴史を映しだしてもいる。特権階級と貧しい鉱山や農場の労働者、白人とインディオ、激しく対立しあう右と左の政治運動、そして詩人やミュージシャン、芸術家たち‥‥‥。その関係は当然、家族の中にも持ちこまれる。革命運動に走る息子や、小作人の子として生まれ、反体制のミュージシャンになった青年を恋する孫娘と、彼や彼女たちを許さない父(祖父)。アジェンデの社会主義政権が誕生し、家族の者たちはその支持、不支持を巡って激しく対立するが、それでも家族の関係は切れずに持続する。父は社会主義政権を打倒した軍部による独裁を支持するが、その圧政にも疑問を持つようになる。関係を引き裂いた娘の恋人(ミュージシャン)を国外に逃亡させることに尽力し、投獄されていた孫娘の釈放に懸命になる。

・物語は孫娘に抱かれながら男が死ぬところで終わる。孫娘は投獄されていたときのことを話し、祖父は彼女の恋人が国の外で生きていることを告げる。「祖父は私の話を聞いて、なんとも言えず悲しそうな顔をした。それまで立派なものだと信じきっていた世界が足もとから崩れ去ったのだから、それも無理はなかった。」祖父は家族とチリについて彼女に話し、その物語を書くように孫娘に勧める。孫娘は祖父のことばを頼りに物語を書きはじめる。

・『精霊たちの家』はイザベル・アジェンデの処女作で、彼女は現在に至るまで数多くの作品を書いている。けれども、日本語に翻訳されたのは、この一冊しかないようだ。チリという国が日本からはあまりに遠いせいなのかもしれない。しかし、精霊たちが家の中を徘徊し、奇妙な現象が現実のこととして起こる物語は、インディオの神話のように豊かだし、アメリカに操られてきた南米の政治や経済の歴史を家族の物語として描き出す筆致は鮮やかだ。ほかの作品も英訳版で読んでみたい。読み終わって一番に思った感想である。

・PS.チリで一番の話題は、落盤事故が起きて生き埋めにされた人びとを炭鉱から救出するトンネルが完成したというニュースだろう。2ヶ月あまり地下深く閉じ込められていた人たちが、もうすぐ地上に帰ってくる。しばらくはそのニュースで盛りあがって、日本人にとって遠いチリという国が近く感じられるに違いない。

2010年10月4日月曜日

そうかな?って思うことばかり

・ここのところ、目にするニュースに首をかしげることが多い。僕がへそ曲がりのせいなのかもしれないが、どこでも、誰もが同じようなことを言い過ぎる。余りに儀礼的であったり、社交的であったりするし、また無礼であったり、偉ぶっていたりもする。だから、そのたびに、「そうかな?違うんじゃない?」とつぶやいてみたくなる。

・例えばイチローが今年も200本を越えるヒットを打った。ものすごい記録だと思う。しかし、彼が所属するマリナーズは今年も地区最下位で、早々と優勝戦線から脱落している。孤軍奮闘のように書かれたりするが、本当にそうなのだろうか。野球はチーム・スポーツだから勝つことが一番で、そのためにどう貢献したかが最大のポイントになる。イチローの今シーズンの成績は、安打数は一番だが四死球は60位以下、得点は50位台で安打数だけが突出していることがわかる。

・マリナーズに来ると成績ががた落ちして、よそに移るとまた活躍する。そんな選手が結構いる。理由はわからないが、マリナーズには優勝に向かって選手の気持ちを鼓舞して一つにするリーダーが見あたらない。それは誰よりイチローが果たすべき役割のはずである。もっとも、その役割を担ったWBC では、極度の不振と胃潰瘍に悩まされたから、彼の一番苦手なところなのかもしれない。

・白鵬が千代の富士の連勝記録を超えて、今場所も全勝優勝をした。朝青龍とは違って心技体の備わった名横綱だと賞賛されている。来場所には伝説的な双葉山の69連勝を越えるかどうかで大騒ぎになるのだろうと思う。しかし、朝青龍が辞めさせられずに続けていたらどうだったかと考えると、彼の記録は、朝青龍に浴びせられた非難や批判があったればこそではないか、と言いたくなってしまう。白鵬が強いのではなくて、他の力士が弱すぎる。だからニュースにはなっても盛りあがらない。先場所はともかく今場所も、客席は閑古鳥の日が多かった。

・相撲について気になることをもうひとつ。魁皇が今場所もやっと勝ち越して、次の九州まで首をつなぐことができた。その姿勢に大絶賛で、死力を尽くしてよくがんばったと言った声が繰りかえされた。しかし、彼はもう何年も前から8番程度しか勝てない大関で、引退した千代大海同様、相撲をつまらないものにした張本人でもあったのである。

・とは言え、一番首をかしげるのは、何と言っても政治に関連した出来事だろう。尖閣列島を巡る中国と日本のやりとりについて、中国の強硬さには驚きを感じたが、それに対応した日本政府のだらしなさを批判する声にも驚くやらあきれるやらで、その感情的で短絡的な反応におもしろさと怖さの両方を感じてしまった。確かに、船長釈放の後に「謝罪と賠償」を請求されたり、フジタの社員が拘束されたりと、日本がやられっぱなしと言う印象は明らかだ。けれども、中国の態度は日本に向けられているばかりでなく、それ以上に、国内にも向けられている。そのことの意味を感じ取らずに、ただただ負けて悔しい、恥ずかしいと言った反応ばかりがめだったようだ

・政治はドラマであり、またゲームである。中国をはじめとした旧共産圏の国では、そういった色彩が過度に強調されてきた。そのわざとらしさは現在の北朝鮮の様子を見れば一目瞭然だろう。それに比べて日本の政治は、ドラマとしては三文芝居のようにお粗末で、客席からはヤジのかけ放題だ。政治家を名指しで「アホ」呼ばわりし、腰抜けだとバカにする。確かに、今の日本にはまともな政治家はいないのかもしれない。しかし、逆に言えば、誰がなってもうまくはいかないほどむずかしいのだとも言える。

・日中の問題は、中国の強硬さに対する欧米の政府やメディアの批判によって、ちょっと局面が変わってきた様子だ。ひょっとしたら日本の弱腰が「負けるが勝ち」「損して得取れ」といった流れになるのかもしれない。そうだとすると、それは日本人の得意なパターンだが、最初からそれを狙っていたわけではないはずだから、政治家は相変わらず、バカにされる対象でしかないのかもしれない。