2004年2月16日月曜日

野村一夫『インフォアーツ論』(洋泉社)

 

info-arts.jpeg・僕のメールには毎日たくさんのジャンク・メールがやってくる。大半はアメリカからのもので、ヴァイアグラやアダルトサイト、ダイエット、あるいは株などの投資の宣伝だ。便利なメールが、これではかえって邪魔になる。どうしてこんな状態になってしまったのかと腹立たしく思う。他にも詐欺や違法コピー、匿名の誹謗中傷行為、あるいは自殺の呼びかけなど、インターネットが問題視される話題は少なくない。

・野村一夫の『インフォアーツ論』は、そのようなインターネットの現状についての批判と提案の書だ。彼はインターネットの初期から「ソキウス」というサイトを立ち上げて、ネット社会の将来についてリーダーシップをとってきた人だ。その彼が、この本の中ではかなり立腹している。

・インターネットは大学間の交信などからはじまった。個々のネットワークがたがいを結びあう形でおこなわれたから、基本には、自発的でボランティア的な発想が生まれ、「ネチズン」(ネット市民)とか「ネチケット」(ネット・マナー)といった意識が共有されるようになった。八〇年代から九〇年代にかけての話である。

・インターネットやホームページ、あるいはメールが話題になりはじめたのが九〇年代の後半で、ブロードバンドやiモードが登場したここ数年で一挙に一般的なものになった。その気があれば、誰もが容易に活用し、参加できるメディアになったが、その急速な普及や使用の安易さがまた、さまざまな問題を引き起こしてもいる。

・たとえば、車を運転して道路を走るためには運転免許証を取得しなければならない。運転は道路交通法にしたがわなければ罰金を取られてしまう。もちろん、事故の危険性が常にあって、人やものを傷つけたり命を奪ったりもしかねない。ところが、インターネットには免許はいらないし、道交法のような法律もない。せめてネチケットぐらいはわきまえてほしいものだが、それを身につける機会もほとんどない。

・『インフォアーツ論』が注目するのは高校ではじまる「情報教育」で、著者はインターネットを利用する前に、その仕組み、そこでできることを教え、参加者としてのマナーやネットを支える一員であるという意識を植えつける必要があるという。ところが、現実のカリキュラムはIT(インフォテック)の授業ばかりで、「インフォアーツ」といった側面がまったく欠落しているというのである。

・インターネットは、個々の人々が利用者であると同時に、支える者としての自覚を持たなければ、やりたい放題の危うい場になってしまう。といって国や国際的な取り決めによってがんじがらめにされたのでは、その可能性が消えてしまう。
・著者が提案するのは、今こそ初心に戻ってインターネットの意味を自覚しなおすことで、特にこれから参加する若い世代の人たちに伝える必要があるという。まったくその通りだが、教育の場にはそのような自覚が乏しいし、人材もまた少ないようだ。

(この書評は『賃金実務』1月号に掲載したものです) (2004.02.16)

2004年2月9日月曜日

ボウリング・フォー・コロンバイン

 

・マイケル・ムーアはドキュメント映画の監督で、「ボウリング・フォー・コロンバイン」は去年のアカデミー賞に選ばれている。授賞式はアメリカ軍のイラン侵攻から4日目のことで、彼はそこで次のような発言をした。

われわれは作り物の理由でわれわれを戦争に送るような男がいる時代に生きている。戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ

・アメリカ人であれば戦争批判を躊躇するのがふつうの時期にした、きわめて率直で、当たり前の発言。ブッシュの強引な開戦理由にうんざりし、小泉の追随姿勢にあきれ、イラクの戦況に憂鬱になっていたから、痛快な気持になった。で、どんな映画なのか見たいと思った。もっとも、彼の作品が「最優秀ドキュメンタリー賞」を取ったのは、こんな時期だったからで、アカデミーの良心の表明なのではないか、といった気がしないでもなかったから、それほど期待もしていなかった。
・Wowowがマイケル・ムーアの特集(1月31日)をして、彼の作品を3本とテレビ番組を放映した。僕はその大半を見たが、作品の主張はもちろん、ムーア自身の存在感の強さに圧倒された。巨体で行動的、辛辣だがユーモアにもあふれている。カメラを持ってどこにでも出かけ、誰にでも会い、いきなりカメラを向けて、核心をつくインタビューを試みる。それはデビュー作からの一貫した、彼の姿勢と手法だった。
・彼のデビュー作は『ロジャー&ミー』。生まれ故郷のミシガン州フリントは世界最大の自動車メーカー「GM」創設の地だ。住民の大半はGMの工場で働いているのだが、輸入車に対抗するための海外への工場移転で、職を失ってしまう。ムーアは寂れていく街の様子や人々の暮らし、そしてGMの会長(ロジャー・スミス)を追い続けて、一本の作品にした。
・「ボウリング・フォー・コロンバイン」も手法はまったく同じだ。扱ったのはコロラド州のコロンバイン高校で1999年に起きた二人の生徒による銃の乱射事件で、彼らは13人を殺した後に自殺をしている。現場に行き当事者に会ってインタビューをする。そこに学校内に設置されたビデオカメラが撮ったできごとの様子を挟みこむ。そうして彼が問いつづけることは、子どもたちの信じられない行動を非難することではなく、銃とそれに対するアメリカ人の思いだ。
・アメリカには2億5千万丁の銃(国民一人に1丁)があり、それによって毎年11000人を超える人が殺されている。銃による殺人はイギリスでは68人、日本では39人で、銃の所持が厳しく制限されていることを考慮すればその少なさも納得できる。しかし、ムーアが問題にするのは、同じように銃の所持が簡単なカナダでも、それを使った殺人は米国とは比較にならないほど少ない点だ。
・彼はそこに、弱者や貧者に対する姿勢の違い、コマーシャリズムの度合いの違い、そして、アメリカの豊かな者たちの心に潜在する不安や恐怖心の大きさに注目する。その象徴として追いかけ回すのが「全米ライフル協会」の会長であるチャールトン・ヘストンだ。自分の命や財産は自分で守る。そのために銃は不可欠。銃は保険であり、精神安定剤でもある。頑丈な柵と塀に守られた豪邸に住み、襲われた経験のないヘストンだが、銃の必要性を信じて疑わない。そんな彼の姿勢が次第に恐ろしく、また滑稽に感じられてくる。
・ムーアの故郷フリントでは6歳の男の子が6歳の女の子を撃ち殺す事件が起きた。そのことをあげてヘストンを問いつめると、彼は不愉快な顔をして「もう時間をオーバーしている」とインタビューを拒否しはじめる。この時のヘストンの表情はけっして正義のガンマンではなく、「正義」や「悪」を好んで口にする時のブッシュの間抜けな表情によく似ていた。
・コロンバイン高校の事件の後、その原因としてやり玉に挙げられたのは、犯人の高校生がよく聴いていたロック・ミュージシャンのマリリン・マンソンだった。ムーアはマンソンにもインタビューをするが、このやりとりはきわめて率直で自然だ。ステージ上のおどろおどろしいマンソンとは違うふつうの青年の一面が見えた。
・ムーアは犯人の聴いていたロックが問題なら、犯人が好きだったボーリングだって問題だろうと言う。何しろ犯人の高校生は銃を乱射する直前まで、ボウリングをしていたのだから。アメリカでは、ボーリングのピンは射撃の訓練の標的によく使われている。理由は人間の身体に似ているから。ボーリングのピンを倒し、ストライクの痛快さを味わいながら、それが生きた人を倒す妄想に発展する。そんなことだってあるんじゃないか。「ボーリング・フォー・コロンバイン」というタイトルにはそんな意味が込められている。
・だったら、なぜ高校生はボーリングのピンを倒すように、同じ高校の生徒に銃を向け乱射したのか。銃があまりに手近にあり、それに頼り、それによって不安を拭おうとする大人たちが身近にいる。貧しい者、弱い者、持たざる者への蔑みと不信感。ムーアの主張はきわめてわかりやすくて、また説得力もあるが、そんな神経症的な不安感を世界中に振りまかれたのではたまったものではない。笑いながら同時に背筋が寒くなった。

2004年2月2日月曜日

氷の世界

 

forest31-5.jpeg・今年は暖冬で雪も全然降らなかったが、1月17日に20cm積もると、19日には10cmと続いた。17日は久しぶりの除雪機で、うきうきと雪かきをしたが、19日は出講日で、仕事前の一汗を余儀なくされた。続くと途端にしんどくなる。ましてや仕事の日となると、気が重い。

・雪はサラサラで箒ではいてもいいほど軽い。しかし一晩放っておくと、車に踏みつぶされたところが凍ってしまう。凍れば春先まで残る。で、きれいにした甲斐があって、アスファルトの道になったのだが、1週間後の26日にまた雪。今度は3cmほどで、試験監督で早めに出かけなければならなかったから、除雪はせずに出かけた。

forest31-8.jpeg・そうしたら、翌日には路面はすっかりアイスバーン。森の外は乾いているから、この道に入ってきた車は、一瞬躊躇して停車、それからそろそろと動き始める。スノータイヤを履いていなければ、ハンドルもままならないから、訪問客には、気をつけるように言わなければならない。

・ここ数日は最低気温が-10度前後になっている。河口湖も氷が張り始めた。寒さがこのまま数日続けば全面に広がるだろう。精進湖はすでに全面結氷しているというので出かけてみた。途中の西湖はまるで凍っていない。水温が違うのは、たぶん深さのせいだろう。河口湖と精進湖に比べると西湖ははるかに深い。行かなかったが本栖湖にも氷はないだろう。精進湖は、氷の上に雪が積もってまだらになっているが、確かに氷に被われている。しかし、氷にのってワカサギ釣りというほどには厚くない。↓


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・西湖の野鳥の森公園では、今年も氷のモニュメントが作られている。水をかけて少しずつ大きくするのだが、最高気温が氷点下の日が続かないとなかなか形にならない。今年はまだもう一歩で迫力に欠けるのだが、ライトアップした夜ならば、幻想的な風景に魅了されるかもしれない。しかし、それは寒いから遠慮して昼頃に出かけてみた。


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