2018年12月31日月曜日

目次 2018年

12月

24日:John Prine "The Tree of Forgiveness"

17日:A.R. ホックシールド『壁の向こうの住人たち』

10日:紅葉と暖冬

03日:『ボヘミアン・ラプソディー』

11月

26日:自動車を巡る騒動について

19日:米国の中間選挙について

12日:最後のジョーン・バエズ

05日:マイケル・ムーア『華氏119』

10月

29日:見田宗介『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書)

22日:戸隠・鏡池

15日:栗と薪

08日:沖縄と原発

01日:大谷君で久しぶりのMLB 三昧

9月

24日:言葉づかいが気になります

17日:フレッド・ピアス『外来種は本当に悪者か?』

10日:夏の終わりに

03日:何より駄目な日本

8月

27日:ボキャヒン、高音、わざとらしさ

20日:Chavera Vargas

13日:オリンピックはやっぱりやめましょう

06日:白神山地

7月

30日:佐々木裕一『ソーシャルメディア四半世紀』

23日:暑い!暑い!

16日:あからさますぎる情報操作

09日:ひどい政権をいつまで野放しにするのか

02日:<続>ジャック・ロンドンを読んでいる

6月

25日:ロジャー・ウォーターズとスティング

18日:自転車、車、山歩き

11日:寄る年波

04日:スポーツにまつわる不可解なこと

5月

28日:最近見た映画

21日:ジャック・ロンドンを読んでいる

14日:CDではなくYouTubeで

07日:千客万来のゴールデンウィーク

4月

30日:母の日記

23日:薄汚い政権の末路

16日:大谷の活躍にびっくり!

09日:司馬遼太郎『空海の風景』

02日:やっと春

3月

26日:退任記念号が出ました

19日:車と音楽

12日:政権が倒れない不思議

05日:「そうですね」に違和感

2月

26日:四国遍路その2

19日:四国遍路中です

12日:厳冬の日々

05日:記憶と記録、カズオ・イシグロの世界

1月

29日:日本発のアフリカと南米の音楽

22日:先生卒業

15日:『カズオ・イシグロをさがして』

08日:今年の卒論

01日:Happy New Year !!

 

 

 

2018年12月24日月曜日

John Prine "The Tree of Forgiveness"

 

prine3.jpg・ジョン・プラインはもう70歳を過ぎている。"The Tree of Forgiveness"のジャケットには、ご覧のように禿げあがって頬のたるんだ彼の顔が大写しになっている。裏は長年使ってぼろぼろになったギターだから、知らない人ならとても買う気にはならないだろう。実はぼくも買うかどうか迷った。何しろ彼は下のデビュー・アルバムのジャケットのように、格好いい好青年だったのである。しかし、昔からなじみがあって、あまり歳の違わないミュージシャンは、やっぱり買うべきだ。何しろ、引退したり、死んでしまったりする人がたくさんいるのだから、現役のうちはつきあわねばと思った。そう言えば、ぼくが持っているプラインのアルバムは、昨年出た"For better or Worse"を除けば、70年代のものばかりだった。

prine4.jpg・ジョン・プラインは1971年にデビューしている。しかしぼくが彼を知ったのはベット・ミドラーが歌ってヒットさせた「ヘロー・イン・ゼア」の作者であることを知った時からで、もうレコードがCDに変わってからだった。「ヘロー・イン・ゼア」が子どもを育て、年老いた夫婦を歌ったものであるように、彼の作る歌にはどれも物語があり、ベトナム戦争に反対するなどメッセージ性も強かった。ギター一本であまりバックもつけずに淡々と歌う曲を、ぼくは通勤途中の車の中で良く聴いた。

・"The Tree of Forgiveness"には、この名のついた曲はない。「寛容の木」とか「ご勘弁、あるいは、ごめんなさいの木」といった意味だろうが、これは「ぼくが天国に着く時」というアルバムの最後に収められた曲の中に出てくるナイトクラブの名前である。彼はそこで神様と握手をして、ギターを持ってロックンロールをやる。酒を飲み、かわいい娘とキスをし、ショウ・ビジネスを始める。そんな歌である。どの歌も主人公は老人になった彼自身で、先だった仲間を歌い、妻に限りない愛を求めたりする。多くの歌は共作で、フィル・スペクターなんていう懐かしい名前もある。バックでコーラスするのはパートナーのフィオナ・プラインの他にブランディ・カーライルなどがいる。


・つねに自然体。一人の自由な姿勢をくずさない。そして、時代の気温を親しい旋律にとどめて、ひとの体温をもつ言葉をもった歌をつくる。ほんとうに大事なものは何でもないものだ。かざらない日常の言いまわしで、なかなか言葉にならないものを歌にする。(長田弘『アメリカの心の歌』岩波新書)

・だから、今の自分の素顔を正面から写し出す。ディランもスプリングスティーンも一目置く希有なフォークシンガーだが、だからこそ格好もつけず、驕りもせず、隠しもしない。こういう人が元気でいるのは、アメリカにとって数少ない一つの光明と言える。もちろんぼくも、こうありたいものだとつくづく思った。

2018年12月17日月曜日

A.R.ホックシールド『壁の向こうの住人たち』(岩波書店)

 

hockschild1.jpg・A.R.ホックシールドは『管理される心』(世界思想社)の著者である。「感情労働」という概念を使って、主に接客サービスを仕事にする人たちが、外見だけの「表層演技」をするだけでなく、心のこもった「深層演技」を求められることに注目したものである。日本では「真心サービス」などと言われて、当たり前にする態度のように思われてきた。しかし、顔なじみならともかく、一見さんばかりの客に「真心」を持って接していたら、自分の心そのものが病んでしまう。そんな現代の病理に光を当て、原因を突きとめ対処する道具として、「感情労働」や「深層演技」はきわめて有効なものになった。「真心」を持って接する仕事は、介護や看護といった職種の中で、今後ますます必要になるものである。それだけに、ただ単に心を込めればいいとして片づけてはいけない問題だと思う。

・ホックシールドの研究スタイルは、インタビューを基本にしたものである。『管理される心』では主にフライト・アテンダントを被験者にしていたが、『壁の向こうの住人たち』でも、その内容の大部分は聞き書きされたものである。

hockschild2.jpg・壁の向こうの人たちとは、ホックシールドとは考えの違う、アメリカの右派、とりわけ「ティー・パーティ」と呼ばれ、トランプ大統領誕生に力を発揮したグループである。U.C.バークレーに所属して、リベラルであることを自認する彼女からすれば、とんでもない考え方をする人たちだが、その考えを一方的に批判するのではなく、一体なぜ、何を根拠にそんな考え方をするのかを突きとめようとした。そのためにフィールドに選んだのはジャズの町ニューオリンズで知られるルイジアナ州である。

・ルイジアナ州は綿花や大豆、サトウキビ、それに牛などを生産する農業州であるが、同時に石油や天然ガスの埋蔵量が豊富で、その油井やガス田、あるいは精製業が経済的な基盤にもなっている場所である。しかし、州の財政は厳しく政府からの多額の補助金をうけている。最近では度々巨大なハリケーンに襲われたし、メキシコ湾の油田から原油が大量に流出する事故も起きた。

・ルイジアナはアメリカの中でも貧しい州だが、ここに住んで「ティー・パーティ」を支持する人たちは、援助を含めて連邦政府の介入を批判する。石油その他の産業による海や川や土地の汚染が顕著なのにもかかわらず、環境保護運動にも反対する。直接被害を受けている人たちも、その加害者である企業の告訴はもちろん、非難することもない。そういった企業は、何より雇用を創り出してくれるものだからだ。当然、石油の消費に批判が向けられる「温暖化」も信用しない。失業率が高くて、失業保険や生活保護を受ける人も多いのだが、そういった人たちへの批判も手厳しい。

・リベラルの立場からはきわめて矛盾の多い態度だが、ホックシールドはその考えの根拠になるものを「ディープ・ストーリー」として描き出した。アメリカは自由や夢を求めて移り住んできた人たちによってできた国だ。そんな人たちが列を作って並び、勤勉さやフェアな競争によって上に、先に進もうとしてきた。多くは敬虔なクリスチャンで、開拓民やカウボーイの伝統を今でも大事なものとしている。

・だから、平等意識の高まりによって自分の前に割り込んでくる人たちには我慢がならない。黒人や遅れてやってきた移民、難民、そして女性やLGBTを公言し始めた人たちだ。もちろん、彼や彼女たちは差別意識を公言したりはしない。そうではなく、政府が決めた法律によって、自分たちが不当に列の後ろに追いやられてしまっていることに腹を立てているのである。アメリカ初の黒人大統領の登場が「ティー・パーティ」の人たちに強い危機感を抱かせたことはもちろんだし、次が初の女性大統領ではたまらないと思ったこともうなづける。だからこそ、トランプに光明を見出し、飛びついたのである。

・「ディープ・ストーリー」」は、リベラルから無知蒙昧なレッド・ネックと馬鹿にされ、経済的にも文化的にも「異邦人」のような扱いを受けていると感じてきた人たちが共有する物語である。トランプは、そんな自分たちこそ、本来のアメリカ人なのだという思いに火をつけた。ホックシールドはトランプを支持する何人もの人たちと長時間つきあって話を聞くことで、彼や彼女たちを理解し、壁を透明なものする努力をしてきて、そこから、壁そのものに穴を空けるにはどうしたらいいかを考えている。壁は強固で崩れそうにないが、ホックシールド自身が取った態度のなかにこそ、その突破口があるように思った。

2018年12月10日月曜日

紅葉と暖冬

 

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forest154-2.jpg・今年の冬は暖かい。紅葉は色が鮮やかでなかったが、いつまでも落ちずに残っていた。だから、紅葉見物の観光客がにぎやかで、自転車で出かけるのを面倒にも感じた。撮るのに夢中で道のまん中に出て来たりするから、スピードを落として注意しなければならなかった。もっとも去年は12月になると零下になる日が続いて、自転車にもほとんど乗らなかったから、今年の方がずっと走っている。頑張っても少しも減量できなかったが、御飯の量を減らしたら、順調に体重が減り始めた。さて、この冬はあと何回走れるだろうか

forest154-3.jpg・もちろん、薪割りもせっせとやっている。ただし、暖冬で燃やす薪の量が少ないから、薪を積む場所ができない。もう一回原木を運んでもらうのだが、暖冬が続いて消費量が少なければ、少し減らしてもいいかもしれない。最低気温が5度以上だと、薪ストーブでは暑すぎて、寝苦しいほどになってしまう。この週末に初めて零下になったが、この調子で寒くなるのだろうか。切って割る量が少なくなるのは楽で結構だが、冬らしくないのは今ひとつおもしろくない。寒ければ寒いで文句を言い、暖ければ暖かいで物足りないと言う。勝手だなと、我ながら思う。

forest154-4.jpg・パートナーが積極的になったので、山歩きも始めた。10月の末に紅葉台に登ってから、毎週水曜日におにぎりを持って、富士山の大室山、都留アルプス、山中湖大平山、そして精進湖パノラマ台と歩いてきた。4km、5kmと頑張ってきて、コースタイムの倍かかっていたのが、1.5倍で歩けるようにもなった。さすがに足腰が痛くて音を上げるようになったが、暖冬のままだったら、これからも続けようと思っている。何しろ、しばらく行っていない海外旅行を早く再開したいと思っているから、体力的にも大丈夫だと、自信をつけてもらわなければならないのだ。

forest154-5.jpg・アメリカのポートランドに住む友人のKさんが、一人でごらんのような大きなリュックを担いでやってきた。2週間であちこち旅行をして、最後のところで我が家に1泊した。ぼくと同い年だが元気いっぱいで、手料理で歓迎してにぎやかに話した。パンプキン・プディングを久しぶりに作ったのだが、レシピ通りだとカボチャより卵の味が勝ってしまうので、量を三倍にして、裏ごしも念入りにした。御得意のかき揚げ天ぷらも、最近では蕎麦粉と白身で揚げている。粉の量が少なくなって、さくさく感があるから、小麦粉よりはずっとおいしい。彼女はそのどちらも「おいしい、おいしい」と言って食べてくれた。

・ 来年は海外旅行を再開して、まずはポートランドに行こう。そんな約束をしてお別れした。シアトルで大谷も見たいからいつにしようか。そんな楽しみが増えて、今から待ち遠しくなった。

2018年12月3日月曜日

『ボヘミアン・ラプソディー』

 

queen1.jpg・『華氏119』を見た時に『ボヘミアン・ラプソディー』の予告編をやった。なぜ、今「クイーン」かと思ったが、見たい気にもなった。で、勤労感謝の日に出かけると満席でびっくりしてしまった。何しろこれまで見た映画はどれも、数人の客しかいなかったからだ。祭日とは言え、わけが分からないと思ってネットで調べると、大ヒット中だという。30年も前に活躍したロック・バンドだが、若い人たちにも人気のようだ。なぜ、と思ったら、上映中に一緒に歌ったり足踏みや手拍子を叩く、新しい見方が魅力なのだと朝日新聞の天声人語に書いてあった。天声人語で話題にするぐらいだから、社会現象化しているのかもしれないと思った。

・出直して平日の昼に見たのだが、それでも客席の半分ほどが埋まっていて、ヒットしていることはよくわかった。ただし、客席は最初から最後まで静かなままだったから、一緒に歌ったり足踏みや手拍子をすることはできなかった。年配の人が多かったかもしれないし、やってもいいという許しがなかったせいかもしれない。ひさしぶりにクイーンの歌を聴き直し、YouTubeでもチェックしていたのだが、自分から率先してやる勇気はなかった。

・呼び物は、アフリカの飢餓救済に多くのミュージシャンが立ち上がった「ライブエイド」でのパフォーマンスの再現で、歌や楽器の弾き方はもちろん、コスチュームや舞台上での動きまでもそっくりそのままに演じていることだった。サッカーで有名なロンドンのウェンブリー・スタジアムを観客で一杯にしたのも同じだった。そこで「ボヘミアン・ラプソディー」や「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」、「レイディオ・ガガ」、あるいは「ウィー・ウィル・ロック・ユー」などをたっぷりやったから、観客が参加したのはこの場面だったのかもしれない。

・しかし、物語そのものはフレディ・マーキュリーを中心に、バンドの誕生から、彼がエイズで亡くなるまでを割とシリアスに追ったものだった。フレディはインド系イギリス人で、アフリカで生まれ、少年時代をインドの寄宿制の学校で過ごした後にイギリスに移住している。両親はゾロアスター教の信者だった。厳格な家庭で育ち、学校も技術専門学校やアート・スクールに通ったが、「クイーン」でデビューしてからは、奇抜なスタイルや奇行が目立ち、女性と結婚したが、自分がゲイであることに気づいて、悩み、苦悩することもあった。

・「クイーン」は結束の固い「ファミリー」のようなバンドだったが、それぞれに幸せな家庭を持つメンバーとの間には齟齬が生まれ、孤独を感じることもあった。そんな折にソロとして契約する話が持ちかけられ、バンドを抜ける宣言もして、メンバーとは絶縁状態になった。そして、自分がエイズに感染したことに気づくことになる。まさに波瀾万丈の人生で、移民と人種、エイズやLGBTなど、現在の大問題の多くを抱えながら突っ走った生き方への共鳴も、ヒットの要因なのかなと思った。

・ところでぼくは「クイーン」を好きだったわけではない。同時代にはイギリスでも「U2」やスティング、マーク・ノップラーなどのほうに魅力を感じていた。コスチュームやパフォーマンス、あるいはビデオ・クリップを重視したところに反発を持ったりもした。それを批判したマーク・ノップラーの「マネー・フォー・ナッシング」に共感したりもしていたからだ。ただし、10年ほど前にロンドンで、たまたまミュージカルの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を見て、いい歌があるなと思って、ベスト盤のCDを買ったりもした。ずい分遅くなってから好きになったバンドで、こんな例がたくさんあることを、あらためて実感した。