2018年5月28日月曜日

最近見た映画

 

『モリのいる場所』
『ラッキー』
『ペンタゴン・ペーパーズ』
『ウィンストン・チャーチル』

・ここのところよく映画館に出かけている。もっぱら甲府で、メジャーな映画は「東宝シネマ」、マイナーなものは「シアターセントラルB館」だ。いつ行っても見ている客は僕等以外に数人だったのだが、『モリのいる場所』は珍しく20名以上いて、笑い声や話し声が聞こえた。

mori1.jpg・『モリのいる場所』は画家の熊谷守一のたった一日の生活を描いたものだ。演じるのは山崎努でその妻役は樹木希林。老夫婦の一日は朝食で始まり、昼食を挟んで夕食で終わるが、出入りする人の数は多い。出版社の編集者、カメラマン、若い画家たち、そして旅館の看板を書いてもらいに来た人などだ。そんな忙しいやりとりの中でモリはお構いなく、毎日の日課をこなす。
・彼が出かける場所は庭のあちこちで、そこで蟻や蝶やメダカを飽きもせず眺めている。彼はもう30年以上、家から出たことがないという。そんな大事な庭が近くに立った高層マンションで陽があたらなくなってしまう。家の塀にはマンション反対を訴える張り紙がいくつも並んでいる。しかし、夕御飯は、その現場で働く人たちを呼んでのにぎやかなすき焼きパーティだった。
・熊谷守一は文化勲章を辞退している。映画にはこれ以上来客が増えては困ると電話で断るシーンがある。盛りだくさんの話題を、小宇宙を巡るモリの日課と対照させて一日の物語にした。話としてはおもしろい。そんな感想を持った。

lucky.jpg・『ラッキー』は『パリ・テキサス』でトラビス役を演じたハリー・ディーン・スタントンが死ぬ一年前に撮った映画である。90歳を超えた老人が主人公である点で『モリのいる場所』と似ているし、毎日する事が同じだというのも共通していた。ただし、ラッキーは一人暮らしで、一日の大半を出かけて過ごしている。朝昼晩、同じ所に出かけて、顔なじみの人とおきまりのやりとりをする。家に帰って一人になってする事は、自分の人生を振り返ることと、もうすぐやってくる「死」について考える事だ。
・ラッキーはヘビースモーカーでしょっちゅうたばこを吸っている。やせ衰えた風貌は明らかに癌に犯されたもので、スタントン自身もこの映画を撮った一年後に肺がんで死んでいる。映画にはスタントン自身の体験にもとづく話も描かれていて、ラッキーはスタントン自身のように思えてきた。まさに遺作と呼べるものだろう。

pentagon.jpg ・『ペンタゴン・ペーパーズ』は、ベトナム戦争についての最高機密文書を巡る政府とメディアの戦いを描いている。監督はスピルバーグで、メディアとの戦いに明け暮れるトランプ大統領の存在に危機感を持って作られたようだ。この機密文書はベトナム戦争とトンキン湾事件に関して作られた政府報告書だった。その執筆者の一人であるダニエル・エルズバーグが全文をコピーしてニューヨーク・タイムズに渡した。
・ただし、映画の舞台はワシントン・ポストで女社主役のメリル・ストリープと編集主幹役のトム・ハンクスで、社運と報道の自由をかけた政府との戦いが描かれている。ワシントン・ポストはこの戦いに勝利した後、「ウォーターゲート事件」を暴露してニクソン大統領を辞任に追い込む働きもした。トランプを追い詰めて止めさせよ、というスピルバーグのメディアに対する叱咤激励のメッセージのように感じたが、日本のメディアの弱腰さを思い知らされる内容でもあった。

Churchill.jpg・『ウィンストン・チャーチル』の原題は"Darkest Hour"でチャーチルの名はない。『ペンタゴン・ペーパーズ』の原題も"The Post"で機密文書ではない。題名はその作品をもっとも良く表象するものだが、原題のままでは日本人には何の映画かよくわからないだろうと思う。原題と邦題の違いは時に奇妙な感じをもってしまうこともあるが、この二作は賢明な名づけだと思った。
・台頭するヒトラーのドイツがフランスに攻め込んで、加勢するイギリス軍が苦境に立たされている。イギリス議会はその苦難に対処するためにヒトラーに批判的なチャーチルを首相に選んだ。徹底抗戦を主張するチャーチルと、あくまで和平交渉で解決すべきだとする勢力とのせめぎ合いがこの映画の主題になっている。
・この映画では日本人のメイクアップ・アーティストがアカデミーを受賞した。しかし僕にはチャーチル役はフルシチョフのように見えた。また、映画を見ながら、カズオ・イシグロの『日の名残』の執事が、和平交渉派の貴族政治家に仕えたことなども思い出した。そのせいか、チャーチルを英雄視した国威発揚映画のように感じられた。

・最近、テレビやパソコンでも映画をよく見るようになった。暇になったおかげで、今のところ「毎日が日曜日」を満喫している。それにつけても、「働かせ改革」は企業の側に立ったひどい法案だと思う。

2018年5月21日月曜日

ジャック・ロンドンを読んでいる

 

『どん底の人びと』(岩波文庫)
『ジャック・ロンドン放浪記』(小学館)
『火を熾す』(スイッチ・パブリッシング)

jacklondon1.jpg・ジャック・ロンドンを最初に読んだのは『どん底の人びと』だった。20世紀初めのロンドンのイースト・エンドに入り込んで、そこで労働者や浮浪者と生活を共にする。陰りが見えたとは言え、大英帝国の首都にかくもひどい貧民窟があるということを、若いアメリカ人が体験的にレポートしたものだった。僕はこの本を2006年に取りあげている。バーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド』(東洋経済新報社)を書評した時に、「下層の暮らしをルポする手法」と題して、ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドンどん底生活』(晶文社)と一緒に紹介した。オーウェルの体験的なエッセイは70年代に読んで、ずい分影響を受けたが、オーウェルにとって手本になったのがロンドンの『どん底の人びと』だったことは、それまで知らなかった。で、ジャック・ロンドンの外の作品に興味を持ったのだが、数冊買っただけで、読まずに放っておいて、ほとんど忘れてしまっていた。

・次にジャック・ロンドンを思い出したのは、柴田元幸が翻訳した『火を熾す』を見つけた時だった。彼はアメリカ人の作家で一番好きなポール・オースターのほとんどの作品を訳していたから、ぜひ読んでみたいと思って購入したが、すぐに読まないうちに忘れてしまっていた。実はそれ以前に『白い牙』や『ジャック・ロンドン幻想短編傑作集』も買ってあったのである。で、まとめて読むことにした。

jacklondon2.jpg・ジャック・ロンドンはサンフランシスコの下町に生まれ、貧しい家を助けて幼い頃から仕事をしたり泥棒をしたりして成長した。アザラシ狩り船の水夫をしたり、ホーボーになってアメリカ北部やカナダを放浪した。『ジャック・ロンドン放浪記』は、鉄道をただ乗りし、物乞いをし、盗みまでやったその仕方を詳細に書いている。あるいはホーボーであるという理由だけで収監された刑務所での生活についても、その描写は具体的だ。
・ホーボーは鉄道をただ乗りして旅する人だ。冒険心に溢れ、自由に憧れる多くの若者たちを虜にした。その姿はウッディ・ガスリーを初めとしたフォーク・シンガーに歌われ、映画でもくり返し描かれてきた。この本は、そのホーボーを描いた初めての作品で、ヒーローにするきっかけになったものだと言われている。青年時代の一時期を放浪者として過ごすのは、50年代のビートニクや60年代のヒッピーといった若者文化にも受け継がれ、文学や音樂、あるいは映画などに描かれるアメリカ文化の特徴にもなった。その意味で、ジャック・ロンドンは重要な作家だと改めて思った。

jacklondon4.jpg ・ジャック・ロンドンはまた多くの小説を書いている。『火を熾す』は短編集だが、そこに描かれる世界はどれも、極限状況における人の有り様といったものだ。極寒のアラスカを犬と歩き、徐々に衰弱して死んでいく者。食べるものもない貧しいボクサーが、それでも金を稼ぐためにリングに上がる話。群がるサメに臆せずロブスターをとり続けるハワイの少年の話。透明人間になることを競う二人の友達の間で、そのエスカレートに戸惑いながらつきあう少年の話。あるいは、メキシコの革命軍に資金を提供する若者もまた、賞金稼ぎのボクサーで、打たれても撃たれても倒れず、強い相手を打ちのめす話等々である。
・どの物語も、その状況がすぐ想像できて、引き込まれてしまう。極限状況の中で、人や動物、そして自然現象と命をかけて戦う。その描き方もまた、訳者が書くように、剛速球投手の投げる球そのものである。

つづく

2018年5月14日月曜日

CDではなくYouTubeで

 

・これまで何十年もCDは、大学からもらう研究費で買ってきた。書籍ではなくCDがなぜ、研究費として認められるのか。そんな疑問に対して、音楽を研究対象にしていて論文も書いていることを説明したのは、もう30年程前のことだ。おかげで書斎には2000枚程のCDが貯まっている。そのCDも、ずいぶん前から、買ってすぐにパソコンにコピーしたら、ほとんど聴くこともなくなってしまった。iTunesに入れた音樂はiPodやiPhoneやiPad、そしてSDカードなどにコピーして、車を運転しながら、自転車に乗りながら聴いている。家でも聴くのも、大概ステレオに接続したiPodや使わなくなったスマホばかりである。だからもうCDで買う必要はなくなっているのである。

・とは言え、ダウンロードで買った事はほとんどない。CDにはジャケットもライナーノーツも歌詞もついていて、それも含めて一つのアルバム(作品)だと思うからである。もっとも、本当に欲しいと思うもの以外は買わないようになった。大学を辞めて研究費をもらえなくなったこともあるが、欲しいと思うものがめったにないこともある。音樂を材料に論文を書く気もなくなったから、そんなものなのかな、とも思うし、新しい音楽やミュージシャンの中に、気に入ったものを見つけることが出来なくなったとも感じている。若者のロック離れとギターが売れなくなったことが話題になっている。ギターの老舗ブランドのギブソンが倒産したのは、音楽の好みが変わったことが原因だとも言われている。

youtube1.jpg・そうなると、すでに所有している音楽だけをくり返して聴いていると思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。最近の発見は、YouTubeなどにCDとしてはほとんど持っているミュージシャンのライブを中心にしたビデオクリップがたくさんあることだった。たとえばボブ・ディランには"Sad Eyed Lady Of The Lowlands"という名のチャンネルがあって、古いものから最近のものまで、ライブを中心にした動画や音源がリストアップされている。画像も音質もさまざまだが、毎日のように新しいものがアップされるから、追いかけるだけでも忙しい。

・しかもそんなチャンネルは無数にある。たとえばピンク・フロイドはその初期の作品を作ったロジャー・ウォーターが脱退して、著作権を巡る争いもあったのだが、それぞれが別々に行ったライブや、一緒に行ったものなどが大量にある。ピンクフロイドのコンサートは、音だけでなくステージに映し出される映像も魅力だったから、ただ聴くだけでなく同時に見入ってしまうことも少なくない。

・YouTubeのチャンネルには、ミュージシャンがオフィシャルとして出しているものもあるし、そうでないものもある。ヴァン・モリソン、U2 、ジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ライ・クーダー、パティ・スミスなどなど、探しているとおもしろいものが次々見つかって飽きることがない。これではもう買う必要もないかも、と思ってしまうほどである。

youtube2.jpg・ 怪我をして去年の日本公演をキャンセルしたエド・シーランの4月のライブが、さっそくアップされた。大阪でのもので、2時間弱、たった一人でギター一本でやるパフォーマンスは、まるで会場に行っているような迫力があった。オフィシャルではないから、映像は最前列の右に固定されていたが、音も映像もすごくよかった。このチャンネルには外のミュージシャンの日本公演を撮ったものが数多くある。

2018年5月7日月曜日

千客万来のゴールデンウィーク

 

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forest149-2.jpg・花が咲き、若葉が出て、いい季節になった。真っ青な空のもと、歩いたり、自転車に乗ったり、カヤックをしたりと悠々自適な生活をしている。ゴールデン・ウィークには孫が始めてやってきて、一緒に遊んだ。三ヶ月ぶりなのに、急にことばが達者になって、「おじいちゃん」と呼ばれたり、文になったことばで話しかけられたりして驚いてしまった。彼の大好きなシュークリームを作って、おいしそうに食べるのを、爺馬鹿だなと思いながら眺めたりした。最近、パンプキン・プディングなどケーキ作りに興味を持っていて、孫がチョコレートを食べるようになったら、ガトー・ショコラを作ろうと思っている。

forest149-3.jpg ・観光客でごった返している河口湖は避けて、孫を西湖に連れていった。小石を湖に投げて、飽きもせずくり返すから、じいちゃんもやめるにやめられない。ことばも同じで、反復こそが習熟への道なのだと、あらためて納得もした。電車に夢中の孫はトーマスランドにも出掛けたが、これはパス。彼は新幹線の種類も見分けることが出来るのだが、そもそも、なぜ電車に興味を持ったきっかけははっきりしないようだ。男の子だから電車や自動車が好きというのは、チンパンジーの子どもでもあるようだから、必ずしも、動機づけとは関連しないのかもしれない。

forest149-4.jpg・後半の連休には関西から友人が三人でやってきた。彼女たちも西湖に連れていったが、湖畔にはテントがいっぱいだし、釣り客も見たことがないほど多かった。カヤックを組み立てて、オールの使い方を教えて乗り出したのだが、風が強くてカヤックは言うことを聞かず、釣り客の中に突っ込んだり、岸に辿り着けなかったりで、「右に漕げ!、もっと深く漕げ!」と叫んだり、釣り客に謝って廻ったりと、大変だった。僕は家から自転車で西湖まで行き、カヤックを組み立て、又分解して、レストランで昼食を取り、家まで自転車で帰った。くたびれて午後は昼寝。

forest149-5.jpg ・連休の間の雨を挟んで、この一週間は良く晴れた。そのせいもあって、河口湖周辺は大混雑で、幹線道路は大渋滞だった。ふだんは誰もいないような秘密のポイントにも他府県ナンバーの車が並んでいたりした。ネットの情報によるのだろうが、ゴールデンウィークが終われば、また静かになる。ところが河口湖畔はもういつでも混雑していて、あちこちで渋滞に出会ってしまう。ここ数年のことだから、これからますますひどくなるのかもしれない。ちょっと、いやかなり、うんざりしている。