2007年4月30日月曜日

春と生き物

 

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forest59-2.jpg・寒くない冬だったのに、少しも春らしくならない。とはいえ河口湖の桜は例年になく、4月のはじめには咲き始めた。ところが最低気温が零下になったりするから、花はなかなか増えない。で、満開になるまでに2週間近くもかかった。おかげで長いこと花を楽しめたのだが、満開になった桜に目白が何羽もやってきて、小さな花にくちばしをさして蜜を吸っていた。家の中からだが、その瞬間をうまくとらえることができた。
・春先には、ほかにも野鳥がやってくる。もう腐りかけた倒木にアカゲラを見つけた。一生懸命木をつついている。倒木には虫がいて、春の陽気で外に出てきている。それをつつき、ほじりだしている。

forest59-5.jpg・生ゴミを埋めるための穴を掘ったら、蝉の幼虫を掘り出してしまった。たぶん夏になったら出るはずだったのだろう。真っ白かったのに茶色に変わって、少し足がうごいている。もう一度埋めもどしたが、夏までもう一眠りというわけにはいかない。何年もかけて今年の夏を待っていたのに残念でした。ちょっと悪いことをしてしまった。このあたりで一番多いのはヒグラシで、夏の終わりではなく始めから鳴き始める。小さいからたぶんそうなのだろう。

forest59-3.jpg・森の山栗が2年つづけて実をつけなかった。周辺の栗もそうだとすると、この冬は動物にとってはひもじかったはずだ。だからだろうか、家の近くでイノシシや猿を見かけた。猿は集団で来て、家の周辺に半日ほどいた。外に出ても慌てて逃げるわけでもなく、悠然としている。ストーブの薪にする木を積み上げた上にすわってのんびりひなたぼっこ。痩せているわけではないから、食べ物を探しに来たのではないかもしれない。珍しいけど、居着かれたら困ると心配したが、この日以降には見かけていない。

forest59-4.jpg・18日に雪が降って、朝には5cmほど積もった。ベタ雪だからすぐ溶けたが、桜の花に白い雪というのは、はじめて見た光景だった。やっぱり今年の天気はおかしい。おかげで桜の花はいつまでも散らずに、1ヶ月近く楽しんだ。ソメイヨシノ、しだれ桜、八重桜、富士桜、大島桜とその種類も多い。森も日一日と緑を増している。昨日はなかったのに、今日は白樺や唐松が緑がかっている。付近の山も緑色のグラデーションが目立つようになった。これからしばらくは、一日ごとに変わる景色を楽しめる。

2007年4月23日月曜日

 

cale1.jpg・ジョン・ケイルの"Circus Live"は題名通りライブ版で、曲目には「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の時代から割と最近のものまである。ぼくは彼のベスト盤 "Seducing Down the Door: A Collection 1970-1990"をもっていて、今でも時折聴いているから、なじみの曲が多かったが、ほとんどが新しいアレンジで、新鮮な感じも受けた。付録についているDVDには練習風景が収められていて、バックのミュージシャンは若手ばかりだった。1942年生まれだからもう65歳になる。オフィシャルサイトを見ると、1月から3月までヨーロッパ中を連日コンサートしてまわったようだ。ずいぶん精力的だが、アルバムを聴くと、集大成の仕事をしたようにも思える。それほど目立った人ではないけれども、いい歌がすくなくないし、ほかのミュージシャンとの共作やアレンジにはしゃれたものが多い。

cale3.jpg・ケイルはウェールズ出身でロンドン大学でクラシック音楽を学んでいる。ニューヨークに出かけて、最初はバーンステインやジョン・ケージに認められたのだが、アンディー・ウォホルがプロデュースしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドにヴィオラの奏者として参加した。このバンドはルー・リードが中心で、今でも話題になるのは彼とヴォーカルのニコばかりだが、ケイルの存在は小さくなかったはずだ。ケイルはリードと仲違いして2年ほどで脱退しているが、ウォホルを追悼したアルバム"Songs for Drella"では、二人の関係だけでなく、ウォホルとの間もうまくいかずに絶交状態だったことが歌われている。人間的にはうまくいかなくても、音楽的なぶつかり合いなら、1+1が2以上になる。このアルバムには、そんなすばらしさがある。


君はお金を手にし、ぼくは時を得た
君は自由を欲しがったが、ぼくはそれを自分のものにした
君は関係を手にし、ぼくはアートを見つけた
君はぼくの関心を引きつけ、ぼくは君の視線を好んだ 
ぼくはとるべきスタイルを身につけ、君はそれを人びとに受け入れさせた
"The Style It Takes"

cale4.jpg・もっとも、ケイルにはほかのミュージシャンとの共作がたくさんある。自我をあまり出さずに、相手のよさを引きだしながら、自己主張もしっかりする。そんな才能は他のミュージシャンを見回してもあまり見つからない。例外的に思いつくのは、ブライアン・イーノぐらいだろうか。イーノもデヴィッド・バーンやキング・クリムゾンのロバート・フリップなど数多くのミュージシャンとアルバムをつくっているが、ケイルとの共作の"Wrong way up"は、ケイルらしさと歌を歌っていた初期のイーノの感じがうまく一緒になっていて、楽しい仕上がりになっている。多くのミュージシャンがアルバムの制作にふたりの力を借りようとするのもうなずける一枚である。

・"Circus Live"にはケイルを中心にした一枚の絵が挿入されていて、2まいのCDと1枚のDVDのカバーには、その絵の一部を拡大したものが描かれている。描いたのはデイブ・マッキーンで、オフィシャルサイトを訪ねると、その絵がケイルのキャリアを表現したもので、拡大して細部が確認できるようになっている。頼りなげに宙を舞うアンディ・ウォホルはよくわかるが、ルー・リードはどこにいるのかわからない。全体にピカソを思わせる絵で、それらしいものも描かれている。ギターにヴィオラをもったケイル。絵を見ていると、やっぱり集大成としての作品という印象がますます強くなってきた。

2007年4月16日月曜日

梅田望夫『ウェブ進化論』ほか

 

web1.jpg・インターネットにおけるグーグルの力がよく取りざたされている。NHK でも特集を組んで、そのさまざまな分野への影響力が説明されていた。単なる検索サイトがなぜ、といった疑問を感じがちだが、実際、なにを調べるにも、まずグーグルからといった行動は、ぼく自身にとっても習慣的なものになっている。
・グーグルは世界中にあるあらゆるサイトをチェックしている。だから、なにを検索しても、数多くのサイトが出てくる。専門的で細かなことを知りたいときには、それらを丹念に確認することはある。けれども、そうでなければ、たいがい最初のページに載ったものだけですませてしまうことが多い。だから、なにを検索しても、その最初のページに載るようにすることが、ビジネスにとっては不可欠で、収益や社運を大きく左右しはじめているらしい。トップ5に入らなければ、存在しないも同然。NHKの特集では、そんな意識によって生まれるライバル社間、あるいはグーグルとの攻防が紹介されていた。これでは世界全体を市場にするようになったネットが、巨大資本の力で制圧されてしまう。そんな危惧を抱くが、ことは必ずしも、それほど単純には進んでいないようである。

・梅田望夫の『ウェブ進化論』には、インターネットが大きな地殻変動を起こして変容しはじめていることが力説されている。その第一はグーグルの台頭だ。高速のパソコンが安価で手にはいるようになって、ネットの利用者が激増している。この膨大な数の人びとをいかにして大量に効率よく引き寄せるか。その手段としての検索サイトの重要性が目立つのだが、他方で、検索サイトは、巨大な頭の部分だけでなく、長いしっぽのように後ろに続く部分にも可能性をもたせるのだという。

・グーグルは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」を使命にして起業された。ここには世界中の情報をすべて集積させて管理しようとする野心がある。すべてというのは、情報の取捨選択をしないということであり、言語のちがいも関係なく集めるということである。そのためには巨大なサーバーが必要で、グーグルは世界中の誰にでも無償で、個人メールなどを蓄積させる場所を提供しているし、世界中の詳細な地図や衛星写真を提供してもいる。現実には実現不可能な「世界共和国」をヴァーチャルな世界で実現させようというわけだが、世界中を可視化させたり、私的なメールまで集めてしまうといった発想には、どうしても、オーウェル的な全体社会のイメージが重なりあってしまう。グーグルはビッグブラザーになりたがっている。こんな批判がおこるのも当然だが、世界中の情報を集めて評価し、利用するのはあくまで機械であって人間ではない。グーグルはそこに、ウェブ上での世界大の民主主義を構想するのである。サイト間のリンクの様子、アクセス数などをくまなく調べて全体を管理する。そこから、無数の小さなサイトやそこから発信される多様な情報が、埋もれることなく生かされる、多様な世界が実現することになるというのである。

・こういった発想には、たとえば書店のアマゾンの売り上げのかなりの部分が、ベストセラーでも新刊書でもない、半ば埋もれた書籍の販売によってしめられているといった現状が根拠になっている。巨大な頭ではなく長いしっぽが大事というわけである。あるいは、ネット上で役に立つシステムやソフトを閉じた形で商品化して儲けるといったやり方ではなく、そのソースを公開して、世界中の人の知恵と時間とエネルギーを参加させるといった姿勢も欠かせない。リナックスの成功で有名な点だが、パソコンの世界には、その初期からフリーやシェアといった発想が重要なものとしてあった。

・『ウェブ進化論』では、そのあたりの変容が、もっぱらビジネスを念頭にして語られている。けれども、今ビジネスとして成功したものや、これから成功をめざすもののなかに、パソコンやインターネットの黎明期にあった発想や思想が根強く生きている。たまたまハワード・ラインゴールドの『ヴァーチャル・コミュニティ』(三田出版会)やテッド・ネルソンの『リテラリー・マシン』(アスキー出版局)、あるいはフィリップ・ケオの『ヴァーチャルという思想』(NTT出版)を読んでいたから、特にそんなことが気になった。パソコンもインターネットもアメリカ発のもので、世界大のものになったとはいえ、相変わらず、新しい動きの大半はアメリカから起こっている。その最大の理由は、黎明期の発想や思想が忘れられることなく伝えられていることではないか。そんなことにあらためて気づかされた。

2007年4月9日月曜日

「お父さん」ってだれのこと?

 

・最近にはじまったことではないが、テレビを見ていて妙に気になることがある。レポーターが見知らぬ人に出会って話しかける第一声が「お父さん」や「お母さん」であることだ。最初だけならまだ気にならないが、話を通してそう呼びつづけて、名前を聞きもしない。呼ばれた方も返答しつづけているから、どちらも違和感をもっていないのかもしれない。けれども、ぼくには何とも奇妙に聞こえる。
・「お父さん」や「お母さん」は実の子どもが親に対してつかう呼称であって、見知らぬ人からかけられるものではない。それが、それらしい年代、たぶん40〜50代に対してつかわれている。60代以上なら「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのだろうか。しかし、テレビではあたりまえだが、日常生活ではどうなのだろうか。

・昔、子どもが中学生の頃によく電話があって、出ると、「お父さんですか?」と言われたことがある。塾や家庭教師の勧誘だが、あまりに頻繁だから意地悪して、「だれの?」と応えたことが何度かある。そうすると、相手は思いもかけない返事にまごついて、しばし沈黙、なんてことになった。その意味では、見知らぬ人に「お父さん」「お母さん」と呼びかけるのは新しいことではないが、この場合には、勧誘したい子どもの父親であることを確認しようとしているのだから、「お父さん」には、それなりの必然性があった。けれども、見知らぬ相手からいきなり「お父さん」と呼びかけられるのは、すくなくともぼくにとっては、気分のいいものではない。といって、「おじさん」「おっちゃん」あるいは「おじいちゃん」などとも呼ばれたくはない。
・たとえば英会話の最初のレッスンは、「あなたの名前は?」「私の名前は〜」からはじまる。つまり、人の出会いは、英語の文化圏ではたがいに名を名乗ることからはじまるのだが、日本人のやり方はけっしてそうではない。仕事上の出会いなら、名乗らずに名刺の交換だし、偶然で一時的なら名乗ることもない。たがいに名前を知らなくても、日本人はあまり困らずに話をすることができる。だいたい、英文を訳すときに注意するのは、I やYouといった主語をいちいち訳さないことだから、日本語には、私やあなたやだれがといったことは必要なく会話ができてしまうという特徴があることになる。
・道ばたで見知らぬ人に声をかける必要があるときには、「すみません」とか「あのー」と言えば、相手との関係ははじめられる。それで、名前を名乗ったり聞いたりしなくても、用事は十分に済んでしまう。電話ではそういうわけにはいかないから、「〜と申しますが」といった後で、「〜さんですか」となるのだが、先に紹介したように、用件によっては「お父さん」といった呼びかけが出てくることになる。

・テレビでの呼びかけには、多分に、「親しさ」のメッセージがふくまれている。かしこまらずにくだけた調子で必要な話にはいることができる。だから、テレビでの出会いと会話のやりとりは、日常の場ではおこりえないほど、すぐに親しげな空気につつまれることになる。それはそれで楽しげだが、ぼくが気になるのは、テレビタレントやテレビ番組そのものが、見知らぬ人をまるで隣人や親戚であるかのようにみなしている姿勢にある。出演者も制作スタッフも、だれもが知っているはずのぼくや私、だれもが見ているはずのこの番組、という前提を信じて疑っていない。有名人やセレブと見れば、だれもが胸躍らせて近づいてくると思っている。
・ぼくは街中に出かけないからチャンスがないが、「お父さん」と呼ばれたら、「だれの?」とか「どなたですか?」とか応えてみたい誘惑に駆られる。それが生番組だっりしたら、ちょっと見もので、そういうことをやる人がいたらおもしろいのにと思ってしまう。関係やコミュニケーションは互いの自明性を前提にする。これはエスノメソドロジーの基本で、今は自明性をテレビがつくりだしているから、それに迎合しないで、崩してやればおもしろいのに、と思うことがすくなくない。テレビが演出する親密な世界につきあって、「お父さん」「お母さん」役など演じることはないのである。

2007年4月3日火曜日

久しぶりの京都

 

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・京都はちょうど2年ぶり。前回もパートナーの個展の時だったから、それ以外には来ていないことになる。学会など来てもいい機会は何度かあったのだが、面倒な気がしてご無沙汰してしまった。その分、今回は懐かしさも増して、空いている時間に、昔なじみの場所を歩いてみることにした。
・まずは、泊まったホテルのそばにある最初に非常勤講師をした平安女学院の教会、そこから御所にはいると、しだれ桜が八分咲きで、日曜日だから人出も多かった。御所を西から東に縦断して寺町通りに出ると、結婚式をした洛陽教会がある。しかし、もう30年以上前だから隣の新島会館共々改築されていて、昔の面影とはずいぶんちがっていた。
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・鴨川に出ると桜は二分か三分なのに、やっぱり観光客がたくさんいた。で、少し路地にはいると、折から市議や府議の選挙の時期で、何台もの宣伝カーと遭遇、そのたびに手を振られ、よろしくお願いしますと頼まれた。残念ながらぼくはもう京都市民ではないのに、と思っても、選挙の当事者には、一票をもつ人ともたない人との区別はつきにくい。そのポスター掲示板を見ると懐かしい顔。ぼくもその選挙を手伝ったこともあったが、左京区の市議として20 年の実績を強調している。そんなにたったかとあらためて時間の流れを実感させられた。彼、今回は厳しいのではといった声も聞こえてくる。
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・京大もずいぶん新しい建物ができたが西部講堂は健在。駸々堂に入ってコーヒーを一杯。百万遍の近くに昔風だが昔はなかった「カフェ」があった。出町ではよく買った和菓子屋に長蛇の列。お花見のシーズンで桜餅を買い求める人たちだ。おいしかったが決して有名ではなかったのに、今では京の和菓子の老舗として有名になってしまったのかも知れない。kyoto07-5.jpg
・今出川通りを西に進むと「ほんやら洞」。もう12時に近いのにあいていない。甲斐さん、ちゃんとやってるのか。久しぶりに顔を見たかったのに残念。店の外観も相当古びた感じになってきた。さらに進むと、同志社大学。日曜日でキャンパスに人通りはない。昔ながらの風景だが、学館のあったところには巨大な建物が建っていた。kyoto07-8.jpg


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・京都の町は、小路を歩くと、まだまだ懐かしい店や町家がある。「装束店」「法衣店」「建具屋」「味噌屋」、パートナーの個展会場は元「丹定」という名の米屋さんだった。そこを改造して、ギャラリーにしてあるのだが、現実には多くの町家が解体され、駐車場やビルに変わっている。ここもつい最近隣の建物が壊された。町家は隣と壁を共有しているから、一面青いシートで覆われている。無惨というほかない景色。壊すことは簡単で、残すことはむずかしい。