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2025年11月3日月曜日

トランプ来日報道の愚かさ

いつも見ているNHKの番組の時間だとテレビをつけると、羽田空港が映されていた。間もなくトランプ大統領が乗った専用機が到着するのだという。そんなこと中継するのかと文句を言いたくなったが、飛行機から降りてくるところまでだろうと思った。ところがテレビは、そこから米軍のヘリコプターに乗り換え、都心にある米軍のヘリポートまで飛ぶ様子を上から横から映し、その後の皇居まで行く車列を追いかけ、皇居で迎える天皇陛下と会うところまでを中継した。

馬鹿馬鹿しくなって途中でチャンネルを変えたのだが、民放でも同じ中継をしているところが多かった。今までこんな中継をやったことがあっただろうか。他国の首脳はもちろん、これまでの米大統領だって、こんなことはしなかっただろうと呆れてしまった。天皇陛下に会ったのはトランプのたっての希望だったという。今回の訪日は正式なものではなく、韓国で開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に行くついでに寄ったものだった。本来なら天皇陛下には会えないはずなのに、彼の言うことなら何でも聞くという言いなり外交の結果だった。まるで日本を支配する強国の王様がやってきたかのような扱いだったのである。

そう言えば、これまでの米大統領の来日は羽田ではなく米軍の横田基地が使われてきた。そこからヘリに乗って都心に移動するのがお決まりのルートだった。独立国を訪問するのに、こんな裏口入国ができるのは、日米間に1960年に作られた「地位協定」があって、それが改訂されずに残っているからである。つまりこの協定がある限り、日本は進駐軍の統治した時期のままに、属国や植民地の扱いに甘んじているのである。石破前総理が自民党の総裁選挙でこの「地位協定」の改訂に触れたが、いざ首相になると何も言わなくなってしまった。おそらく自民党内で強く反対されたのだと思う。

高市新首相は、そんなことには興味がないようだ。それどころか翌日には米軍のヘリポートからトランプの乗るヘリコプターに同乗し、横須賀の米軍基地に停泊する原子力空母「ジョージ・ワシントン」に降りたのである。しかも居並ぶ兵隊の前でトランプと手を繋ぎ、肩を抱かれ、有頂天になって艦上で飛び跳ねて喜んだのである。当然トランプも上機嫌だったから、日米関係にはこの上ないいい結果だったと、多くのメディアはコメントした。何しろこんな短い訪日なのに、トランプに用意したお土産は山のようにあったのである。

アメリカは日本に対して防衛費のGNP比2%を要求している。石破前首相は経済状況からすぐには無理で、何が必要かを精査することを含めて2027年度をめざして実現させると応えた。ところが高市新首相は、これを前倒しして今年度中に実現させると約束したのである。米国はさらに3.5%に増やすことを要求しているが、一体その予算はどこから持ってくるのか。増税にしても国債にしても実際には無理難題の話なのにである。それにこれ以上何をアメリカから買おうというのだろうか。

高市はしきりに安部との関係を力説し、政策の多くを継承すると言っている。安部はトランプの言うままに必要のない兵器を爆買いしたが、高市もまた同じことをしようとするのだろうか。何が必要なのかを精査してと応えた石破の抵抗の姿勢があっという間に反故にされたのである。

今、アメリカに対してこれほどべったりになっている国は日本以外にはないだろう。韓国も似たような状況にあって、トランプに最高勲章を授与したようだ。関税や防衛などの問題でも共通しているところが多いのだと思う。しかし李在明大統領は石破の政策を評価していたから、高市のような言いなりにはならないかもしれない。政治や経済、そして社会がめちゃくちゃになるという不安でいっぱいだが、株価は爆上がりしている。安部時代のように政府の広報機関に逆戻りをしたメディアの責任は、限りなく重い。

2025年10月13日月曜日

田村紀雄『コミュニケーション学の誕生』社会評論社

tamura4.jpg 田村紀雄さんから今年も著書が届いた。もう90歳を超えているのにまだ研究生活を続けている。退職と同時に辞めてしまった僕とは雲泥の差である。せめてこの欄で紹介ぐらいはしなければいけない。そんなふうに思ってからもう何冊目になるのだろうか。三冊、四冊、五冊?いやいや恐縮するばかりである。

「コミュニケーション学」は名前の通りに輸入の学問分野である。日本に入ってきたのは戦後のことで、元々はアメリカで生まれ発展した。だから最初は英語の文献の紹介やそれを元にした分析から始まるのだが、この本はその役をこなした井口一郎に注目し、その新聞記者に始まり、満州にできた建国大学の教員になり、戦後は雑誌『思想の科学』の編集長となって、「コミュニケーション学」の紹介をした仕事について詳細な分析をしている。

「コミュニケーション」は現在でも日常的に良く使われることばである。ただしもっとも多いのは対人関係のなかでのことばのやり取りとか人間関係そのものの仕方など、個人的なレベルのものが多い。「コミュニケーション能力」や「コミュ力」などといったことばも生まれているように、それは誰にとっても公私にわたって重要なものとして考えられている。一応この分野の専門家を自認していた僕も、主な興味対象として考えていたのは、この領域だった。

ただし「コミュニケーション学」はアメリカにおいて「ジャーナリズム」や「広報」といった分野でまず誕生していて、それはほとんど「マスコミュニケーション」の領域を指していた。あるいは戦時下における国同士の情報操作やプロパガンダ(宣伝)といったものであった。もちろん日本にも、戦前から「新聞学」という分野があったが、ラジオやテレビといった新しいメディアを対象にしてというのは、やはり戦後のことで、この本には「新聞学」から「コミュニケーション学」への展開の重要さを指摘したのも井口だったと書かれている。ちなみに僕も所属していた学会は、最初は「日本新聞学会」だったが、1990年代から「日本マスコミュニケーション学会」になり、2022年に「日本メディア学会」に名称変更している。

つい最近名前を変えたのは、その研究対象がネットの発達によってマスメディアに限定されるものではなくなったことにある。その意味では「コミュニケーション学」は戦後に輸入されて以降、その研究対象を大きく変化させていったと言えるし、「コミュニケーション」ということばが現在では、むしろ個人間の関係について多く使われることばになっていることがわかる。

そのような意味で、この本で紹介されている井口一郎と、彼が残した業績を振りかえり、再評価を試みている仕事は、「コミュニケーション」ということばが対象とする分野の始まりを、改めて認識させる重要なものだと思う。雑誌の編集者という経歴から、研究者としてはほとんど埋もれた存在だった人を掘り起こす。いかにも田村さんらしい仕事だと思った。

2025年9月29日月曜日

世界陸上と日本人ファースト

世界陸上競技が34年ぶりに東京で開かれました。TBSが独占中継ですべての競技を放送し、僕はTVerで楽しみました。開催国にも関わらず日本が取ったメダルは競歩の銅メダルが二つだけと淋しい気がしましたが、それでも以前に比べれば、いろいろな種目で活躍する日本の選手は少なくありませんでした。その際気になったのは、両親のどちらかがアフリカ系と思われる選手の、特に短距離種目での活躍でした。

100Mでメダルも期待されたサニブラウン選手は故障もあって予選落ちしましたが、彼は世界陸上ですでに2回決勝に残って、前回は6位に入賞しています。そのぐらいしか知らなかったのですが、中島佑気ジョセフ選手が400Mで決勝に残って6位になりましたし、村竹ラシッド選手が110M障害で5位になりました。井戸アブゲイル風果選手は混合の4x400Mのメンバーとして走り、決勝で8位になりました。決して数は多くありませんが、その活躍は印象的でした。

そんな選手たちの活躍を見ながら、ふと、参政党が掲げた日本人ファーストというスローガンが頭に浮かびました。参政党の憲法草案の国民要件には父母のどちらかが日本人であることと明記されています。今回活躍した選手たちはもちろん、この要件を満たしていますが、これから両親が日本人ではないけど日本国籍を取得している選手が活躍したら、参政党は何と言うだろうかと考えたくなりました。参政党の言う「日本人」には何の定義もありませんが、そこに民族や人種としてという意味があるのは明らかです。たとえ帰化して日本国籍を取得しても、三世代を経なければ参政権は認められないと憲法草案に書かれているのです。

これはとんでもなく狭い了見です。日本で学び働いて暮らしている外国人が増えて、その中から日本の国籍を取る人が増えていくのは間違いないことです。そうなると犯罪が増えるとか、税金が不当に使われるといった発言が目立ちますが、そのほとんどは根拠のない話です。逆に、今回の世界陸上のように外国籍の親から生まれた人たちが、日本の国籍を持って活躍をする機会も増えていくでしょう。そのことはスポーツに限らずあらゆる分野に及ぶはずで、そういう人たちの存在を抜きにして日本の将来を考えることはできなくなるはずです。

日本人は人種として純粋だとか、日本民族の歴史は世界に類を見ない素晴らしいものだといった考えが、今でも根深くあるようで、それが時折頭をもたげて勢いを増したりしています。そんな考えがアジアを侵略し、アメリカと戦って完膚無きまでに負かされたことを反省したくない気持ちを正当化したがっています。その意味で、今回の世界陸上でのアフリカ系の血を受け継いだ日本人選手の活躍には、強い声援をしたくなりました。

ところでその世界陸上ですが、選手が身につけるウエアの派手さや髪形の多様さが気になりました。陸上競技はどちらかと言えば地味なスポーツですが、見せることの意識がどんどん強くなるように感じました。これは選手として活躍することが名誉だけでなく富ももたらすことの証しのように見えました。

もう一つ、トラック競技はもちろんですが、フィールド競技でもアフリカ系の選手の活躍が目立っていて、その国籍は必ずしもアフリカの国ではないことにも改めて気づきました。アメリカは言うに及ばず、ヨーロッパの国の代表にもなってますし、石油で成り立つアラブの国からも多くの選手が出て、良い成績を上げていました。国の代表は人種や民族とは関係ない。スポーツの世界では、ずいぶん前からそれが当たり前になっているのです。

2025年9月22日月曜日

WBCはテレビでは見られない?

 

WBCが来年の3月に行われる。前回優勝した日本は連覇を狙うことになるが、その試合がテレビでは見られなくなったと報道された。ネットフリックスが独占中継することになったので、見たければネットフリックスと契約しなければならなくなったのである。前回もネットでの中継はアマゾン・プライムがやっていて、僕はもっぱらそれを見た。しかし、今度も見ようと思えば、ネットフリックスと新たに契約しなければならない。当然3月だけの契約だが、それでもどうしようか迷っている。

有料のネット・チャンネルはたくさんあるが、僕はどれとも契約していない。アマゾンは買い物のためであって、映画などを見たいからではない。しかし、日本に限ってもアマゾンは2000万人でネットフリックスも1000万人を超えているようだ。他にもU-NEXTやDAZN、あるいはディズニーなどもあるし、アベマやTverなんてのもある。実際、映画やスポーツはテレビではなく、ネットで観る人が多数派になっているのである。

日本のテレビはNHKを別にすれば、ほとんどが無料で見ることのできるチャンネルだ。だからそれが見られないとなれば、ネットに慣れない人にとっても、契約手続きが必要になる。そもそも大きな画面のパソコンを持っていなかったり、スマホをテレビに接続できなかったりなど、ハードルはかなり高いものになるだろう。だから前回は視聴率が40%を超えたようだが、ネットフリックスでは加入者全員が見たとしても10%程度になってしまうと予測されている。

困るのは見たい人だけではないだろう。WBCに広告を出そうと思っていた企業はテレビではなくネットフリックスにと思うかも知れないが、視聴者数が激減するし、CM抜きで契約している人も多いから、広告効果は前回とは比べ物にならないだろう。特に大谷翔平選手と契約している企業にとっては、その影響は大きなものだと思う。ひょっとしたらそれを理由に大谷選手は出場しないなんてことになったらどうだろう。早々負けることにでもなれば、ほとんど話題にもならずに終わってしまうかも知れない。

とは言え、こんな自体は十分に予想されたことである。実際、サッカーのワールドカップだって、もうテレビ局が払うことのできない放映権料になっている。ボクシングの世界戦などもネットでの独占中継になっているし、プロ野球にしたって、サッカーのJリーグにしたって、ずいぶん前から地上波では放送しなくなっているのである。何でもテレビでという時代の終わリが近づいている。WBCの件は、そのことを如実に証明したと言えるだろう。

実際僕は、民放のテレビはほとんど見ていない。新聞のテレビ欄を見たって、バカみたいと思えるような番組ばかりが毎日並んでいるし、BSはNHK以外はほとんどカスのような番組ばかりである。前回のWBCにしたって、CMの多さやタレントの馬鹿騒ぎにうんざりして、テレビからパソコンの画面で見ることにしたのである。フジテレビの騒動も含めて、民放のテレビは、本当に終わりに近づいている。せいぜい今のラジオのようになって生き残るしか手はないのではないか。そんなことを考えてしまった。



2025年9月15日月曜日

石破が辞めてどうなるのか

 

石破首相が自民党総裁の辞任を決めた。総裁選の前倒しが決まったり、それを受けて衆議院の解散に打って出れば、自民党が分断され、国政も混乱するといった菅や小泉の忠告を受け入れたからだと言われている。僕は総裁選の前倒しが賛成多数になるかどうかわからないし、多数になったら衆議院を解散すればいいのではと思っていた。解散には大義がないという人が多かったようだが、国政再編のための解散と銘打てば、納得する人も多かったのではないかと思う。何しろ石破やめるなという世論の声は、参議院選挙以降に上昇し続けていたのである。

総裁選前倒しは、そんな世論を無視した議員たちの愚行だと思う。石破に代わって一体誰がやるのか。彼よりましな人は誰もいないじゃないか。それに選挙に負けた主な原因は、闇金や統一教会問題に関わっても、何の責任も取らずに知らん顔を決めこんだ議員たちにあるのに、そんな連中が負けた責任を取れと吠えている。総裁選は10月になってからのようだが、それこそ政治の空白を作ってお祭り騒ぎなどすれば、自民党はますます見放されるだけだろう。

自公政権が過半数に満たないとは言え、代わって野党が政権を取りに行くこともない。おそらく自民党の新しい総裁が、また首相になるのだろうが、誰がなっても今の閉塞状況を変えることはできないだろう。その意味では石破首相が思い切って衆議院を解散して、政界再編の糸口をつかんだら面白いことになったのではと想像する。自民党の裏金や統一教会に関連した議員は公認しない。さらには同じ選挙区に刺客を立てる。そんな思い切ったことをやれば当然自民党は大混乱になって分裂するだろう。もちろん野党にも大きな変化が生じるはずで、そうなれば、政界の再編成が一気に進むことになったと思う。

石破首相や彼の少ない取り巻きには、おそらくそんな狙いもあったはずである。しかし石破はそれを決断できなかった。それはそもそも、彼の政治信念であったはずの政策、たとえば日米地位協定の見直しや夫婦別姓について、議題にすらできなかったところから始まっている。それは政治家としての彼の器の小ささを示すものである。やろうと思ったことができなかったことについて、辞任を表明した際に話していたが、それが心残りならなぜ、思い切って衆議院の解散を決断しなかったのか。おそらく後になって、彼はこのことを一番悔やむはずである。

しかしその悔やみは彼個人に留まらず、日本の将来についても言えることだろう。もう政治も経済もどうしようもないところまで落ち込むしかない。だからこそ、やけくそで、参政党のような悪霊を跋扈させる空気が蔓延してきているのである。石破辞めるなの声には、そんな不安がつきまとっていたはずである。なのに株価が史上最高値とは、いったいどういうことだろうか。今だけ金だけ自分だけ!こんな風潮とあわせてひどい世の中になったものだとつくづく思う。

2025年8月25日月曜日

メディアに対する疑問、不安、そして怒り

 

参議院選挙後すぐに、「石破退陣」という見出しがいくつもの新聞に躍った。読売は号外も出したのだが、石破首相はいまだに辞めていない。しかもどの新聞社も「退陣」が誤報だったと認めていない。いったいどういうつもりなのだろう。その新聞が、石破首相の続投を望む声が高くなっていることを世論調査で発表している。退陣報道が一種の世論操作だったとすれば、それが全く効果なしだったわけで、今さらながらに新聞の影響力のなさを実感した。

その参議院選挙で「参政党」が大躍進した。「日本人ファースト」というスローガンが功を奏したと言われているが、それは選挙活動をSNSで配信して、多くの人に浸透させる戦略の勝利だとも言われている。選挙でネットが強力な武器になることは兵庫県の知事選や都知事選、そして都議選でも明らかだったが、今回もまたそれが立証されたのである。その「参政党」の政策について新聞は強い批判を浴びせているが、それで支持率が下がったわけではない。これもまた新聞の影響力のなさを証明するものである。

新聞の発行部数はどこも大きく減っている。特に若い世代には読まれないから、ますます影響力をなくすのは明らかだろう。僕は毎朝読むことを半ば習慣のようにしているから、まだ止めようとは思っていなかったが、「退陣」の誤報とそれを謝罪しない姿勢には呆れて、もう止めようかという気になっている。嘘偽りが平気で拡散するネットがますます強力になっているのだから、新聞にはもっとがんばってほしいという気もあるのだが、頼りないことこの上ないのである。

もっともネットには、知りたいことを検索すれば、その情報が豊富に蓄積されているといった一面もある。たとえば大阪万博では会場の設営に当たった業者にその代金が払われていないといったケースが多発している。それを伝えて問題視するのはフリーのジャーナリストが多く、また当事者が直接発する声が載っていたりする。現在わかっているだけで7つの国の会場に関わった19社で、中には億単位の被害にあっていて、倒産の危機にあるところもあるようだ。ところが多くの新聞は、この問題を小さくしか扱っていない。

万博批判に消極的なのは今に始まったことではない。これは新聞社自体が協賛していたり、関連の広告収入があるためだと言われている。地下鉄の故障で万博会場や駅に足止めになって夜明かしをした人が3万にもいたそうだ。ものすごい数で、猛暑の中体調を崩した人も多くいただろうと思う。これもネットには、足止めされた本人の書き込みなどが溢れたのだが、新聞の報道はごく小さなものだった。

新聞はジャーナリズムを代表する機関で、社会を正確に映しだす鏡であるべきだと言われてきた。しかしその影響力が弱まった今、新聞にとって重要なのは企業として生き残るための方策なのである。もっともこの点でもっと露骨なのはテレビだが、このメディア、とりわけ民放についてはもう見限っていて、批判する気さえなくなっている。ネットのSNSには両刃の剣といった特徴がある。匿名だから何を言ってもいい。騒ぎが大きくなるならどんな手段を使ってもいい。そんな傾向が野放しになっている。これもネットを支配する企業が利益優先の方針であるからで、規制する策をほどこさなければますますひどくなるばかりだと思う。

2025年8月11日月曜日

石破辞めるなにちょっとだけ賛成!

 

参議院選挙で自公が過半数を割った。さっそく党内から退陣要求が声高に叫ばれ、毎日やサンケイが一面大見出しで「退陣」と書いた。読売は号外まで出したのだが、石破首相は辞めるとは言ってないと否定した。面白いのは官邸前で「石破辞めるな!」と叫ぶ人たちが多数集まって、その中には自民党支持者でない人がかなりいたことだった。僕はこの動きに、それはそうだとまず思った。負けた原因が石破政権の失政にあったわけではないと思ったからだった。

石破首相の退陣を迫ったのは旧安倍派の議員たちである。しきりに責任を取れ!と迫ったのだが、彼らはヤミ献金の責任を全く取っていないのである。責任を取れなどと言うのはちゃんちゃらおかしい話なのだ。あるいは、二世や三世の若手議員の中から勇ましい声が出たが、青年局の懇親会にダンサーを呼んで過激な踊りをさせたことが蒸し返されると、急にトーンダウンをしてしまった。さらにヤミ献金や統一教会との関係の首謀者である萩生田議員について、検察が一転して不起訴を起訴に変えると、旧安倍派の声も小さくなったようだった。

自民党が負けたのは、何よりヤミ献金や統一教会との関係が批判され、それらがうやむやになってしまったところにある。それが石破政権の支持率が上がらない原因だったのだが、党内基盤が弱い政権にとっては、大鉈を振るうことはできなかったのだと思う。石破首相には以前から米軍基地や地位協定、あるいは原発などについて独自の発言があったのに、首相になるとそのほとんどを引っ込めてしまって落胆させたという理由もある、しかし、これも実行するには自民党内の抵抗があまりに強かったのだと思う。

党内の退陣圧力に対して、石破首相は粘り腰でこらえている。彼にはそれなりの勝算もあるのだと思うが、その態度の一端が広島原爆の日の式典での石破のあいさつだった。これまでの首相のあいさつは官僚の作った文章をコピペのように繰り返すものだった。広島出身の岸田もそうで批判されたのだが、石破のあいさつは彼自身が考えたもので、彼自身の思いを述べたものだった。それは長崎の式典でも独自なものとして発言され、どちらも評価の高いものだった。

歴代の首相は10年刻みで、第二次大戦についての談話を発表しているが、今年は戦後80年で、石破首相はその談話を出すつもりでいた。しかし、これについても党内から批判があり、新聞は談話を発出しないと書いたのである。ところがこれについても首相は何らかの談話を出すつもりだと発言して、新聞記事を否定している。おそらく、彼は安部の70年談話とは違うものを出すつもりでいるのだと思う。それにしても、この間の大手の新聞の姿勢には、もうダメだと切り捨ててしまいたくなった。そもそも「退陣」と報道した新聞はどこも、それが誤報であったと認めていないのである。

「石破辞めるな!」にちょっとだけ賛成と思うのは、彼が考えていることの多くを棚上げにしたことについて、批判があるからだ。もしこの難局を乗り越えて政権を続けることができたのなら、思い切ってやりたいことをやるといった姿勢に転じたらどうだろう。党内の抵抗は世論の支持を背に跳ね返すことができるかも知れない。かつての小泉政権がとった戦略だが、僕は一縷の希望をここに見出したい気になっている。もっとも、石破降ろしが実現したら、自民党がますますダメになるだけだから、それはそれで良いのではとも思っている。

2025年7月21日月曜日

差別が大手を振る世界になった

 

参議院選挙の期間になって、テレビや新聞の報道が今までと違うことに気がついた。安部政権以降選挙になると沈黙していたのに、今回はにぎやかに報道したのである。しかも特定の政党の公約を批判したりしている。自民党の力が弱くなって、やっと元に戻ったなと思う。けれどもそれで新聞やテレビの影響力が増したかというと、決してそうではない。今回もまた投票に与えるネットの力が再認識されたのである。

ネットが選挙の結果に影響を与えるようになったのは、2024年6月に行われた東京都知事選挙からだった。選挙での演説がSNSにアップされ、それが支持者によって拡散されて、何万、何十万、何百万と受け取られる。食いつきやすい、印象に残りやすい話が、その真偽が確かめられぬままに広がっていく。こんなネットを駆使したやり方をした候補者が、当選した現職知事に次ぐ票を獲得したのである。人気もあり、強い組織もあって対抗馬と思われていた候補者を破ったことで、大いに話題になったのはまだ記憶に新しいことだろう。

このような現象は、辞職した県知事が立候補して、まさかの再選を果たした兵庫県知事選挙でも繰り返された。知事のパワハラなどが内部告発されたことに対して、告発者が逆に追いつめられて自殺した。そのことが問題となって辞職をしたのだが、間違ったことはしていないという知事の主張が拡散されて、まことしやかに受け取られての再選だった。この問題は県の百条委員会の調査報告書でもその非を告発されたが、知事は知らぬ顔を決め込んでいる。

先月行われた東京都議会議員選挙には、都知事選で次点になった候補者が「再生の道」という新党を立ち上げて42人を立候補させた。都知事選の結果から大いに注目されたが、全員落選という結果だった。党としての政策はなく、候補者個々に任せたといったやり方が支持を得なかったのだが、これはSNSさえうまく使えば支持を得られるわけではないことも明らかにした。

そして参議院選挙である。はじめはそうでもなかった「参政党」が期間中に支持を急速にあげて、野党で3番目の議席を獲得した。既成政党を蹴散らしての躍進の理由は「日本人ファースト」というスローガンだったと言われている。トランプが掲げた「アメリカ・ファースト」と似ているが、「日本」ではなく「日本人」と限定しているところに、この党の特徴がこめられている。

トランプ大統領のやり方は、自分があたかも地球を支配する帝王であって、他の国々は自分の命令に服従して当然だとするものである。しかし、アメリカの産業を復活させるために輸入品に高い関税を課すといったやり方自体が、アメリカの凋落を示すものだから、どんなに強く出たって、アメリカの衰退をさらに進めるだけだろうと言われている。そもそもトランプを支持するのは、オバマ以後に現れた白人以外の勢力や、LGBTQのような多様性を支持する人たちの拡大に恐れる保守的な白人層なのである。ここには明らかに人種や性別、そして宗教にまつわる根強い差別意識がある。

では参政党はどうか。その主張は国内に向いていて、日本人以外の人たちを差別して当然だと考えている。そのためには外国人が日本人より優遇されていることをあげつらえばいい。単純に言えばそんな主張だが、その根拠になるものはほとんどが、誇張や嘘であった。この党には天皇制を基本にした「ナショナル」な一面が強烈だが、他方で、オーガニックなものの大切さを説くという「ナチュラル」な一面もある。ポスターや広告のセンスの良さが、若者層に受ける理由だとも言われている。

弱い者を攻撃して溜飲を下げる。その非をあげつらって自己正当化をする。訴える力があればどんなに誇張したって構わないし、嘘でもなんでもいい。SNSはそんな無政府状態のとんでもない世界になっている。受け止める側の知識や姿勢が試されるが、そんなメディア・リテラシーはまったく育っていない。最近の選挙で何より痛感したことである。

2025年7月14日月曜日

ブライアン・ウィルソンについて

 

brian1.jpg ブライアン・ウィルソンが亡くなったという記事を見つけて、そう言えば「スマイル」というアルバムを買ったな、と思い出した。ブライアン・ウィルソンはビーチボーイズのリーダーで、楽曲のほとんどを作っていた。1960年代の前半の頃で、陽気なサーフィン音楽で人気があった。僕はほとんど興味がなかったし、ボブ・ディランやビートルズに興味を持って以降、彼らの存在はほとんど忘れてしまっていた。

「スマイル」は2004年に発表されている。ビーチボーイズには何の興味もなかったのに、なぜこのCDを買ったのか。多分この作品とブライアン・ウィルソンをテーマにしたドキュメントを見たからだと記憶している。もともとこのアルバムはビーチボーイズとして1967年に発売される予定だった。それが未発表になったのは、ブライアンが思うようなサウンドに仕上げることができず、精神的に悪化して完成させることができなかったからだ。

サーフィン音楽でヒット曲を連発していたビーチボーイズに転機が訪れたのはビートルズの出現だった。その新鮮なサウンドに刺激を受けたブライアンは、それに負けない新しいサウンドを作りたいと思った。それは音を重ね合わせる「ペットサウンド」としてビーチボーイズに新しい側面をもたらしたが、それで必ずしも人気が増したわけではなかった。今までと同じものを作ってほしいというレコード会社の要求に逆らって、ブライアンの作り出す音楽はますます複雑なものになっていった。

それはロックンロールがロックになり、アルバムがヒット曲の寄せ集めではなく、1つのテーマを持った作品として見なされるようになった60年代後半の音楽状況にはあっていたが、ブライアンの周囲の人たちとは相いれない部分が多かったようだ。うまく作品ができないことと、バンドのメンバーや周囲の人たちとの軋轢などがあって、彼の心は壊れていったのだった。

「スマイル」はそこから40年近くたって完成した。もちろん、収録されているのはブライアン一人で歌ったものである。その中には「グッド・ヴァイブレーション」のように、ビーチボーイズとして60年代後半にヒットした曲もある。ビーチボーイズ自体はメンバーの変更や分裂などにもかかわらずブライアンの死まで続いていたようだ。彼の死によって改めて探すとアマゾン・プライムに「ブライアン・ウィルソン  ソングライター ザ・ビーチ・ボーイズの光と影」というドキュメントがあった。2012年に作られたもので、3時間を超える長編だが、ブライアン・ウィルソンが歩いた、起伏の大きな歩みがよくわかった。

2025年6月30日月曜日

大相撲について気になること

 

豊昇竜に続いて大の里が横綱になって、大相撲が活況を呈している。照ノ富士一人だった4年間から、一気に二人ということになり、日本生まれの横綱が稀勢の里以来7年ぶりに誕生したのである。その大の里は幕下付け出しからわずか2年で最高位まで昇りつめている。すでに4度の優勝をしているから、白鵬以来の大横綱になるのではと期待されている。

そんな大相撲だが、他方で白鵬(宮城野親方)が相撲協会を退職して話題になっている。弟子の暴力問題で部屋が閉鎖され、その謹慎期間が1年経っても解除されないというのが理由だった。相撲協会のこの処置については厳しすぎるのではという批判も起こっていて、同じ理由で相撲協会をやめた貴乃花の件も合わせて話題になっている。

現在の理事長は横綱北勝海の八角親方で2015年からの長期政権である。その間に八百長問題があり、コロナ禍での無観客場所もあって、大きな難局を乗り越えてきたと評価されている。しかし大横綱で将来の理事長と目されていた貴乃花や、優勝回数や通算勝利数で歴代一位の白鵬を退職に追い込んだことで、その政治的な野心も批判されている。現在62歳だから65歳の定年まで理事長を務めるのではないかと言われているし、定年延長さえもくろんでいるといった批判も起きている。

そういった内実は僕には分からないが、そもそも彼が理事長になる前の千代の富士との間にも確執があったようだ。北の湖理事長のあとは当然千代の富士と言われていたのになぜ、弟弟子の北勝海だったのか。そこには千代の富士の傲慢さに対する協会理事たちの批判や不信があったようだ。北の湖理事長の急死で北勝海が理事長になり、まもなくして千代の富士も亡くなることになったのである。

もちろん、理事長になろうとする意欲は貴乃花にも白鵬にもあった。と言うよりありすぎたと言った方がいいかも知れない。そのために協会の理事たちの信頼を勝ち得ることはできなかったと言われている。それは大相撲の世界の旧態依然とした古さのせいだと言うこともできるだろう。とは言え、千代の富士が北の湖の後の理事長になり、その後を貴乃花が引き継いで現在に至っていたとしたらどうだろうか。もっと良くなっていたか、悪くなっていたかはわからない。

ところで、テレビ中継に解説者として出る親方たちが例外なく連発することばに「やっぱり」がある。気になって「うるさい」と言いたくなるほどだし、ほとんど例外なく誰もが使うから、親方同士はもちろん、親方と力士、そして力士同士の間でも良く使われているのだろうと思う。「やっぱり」は「やはり」から変化したもので、思った通りとか予測通りといった意味で、結局は同じ結果になるさまに使われることばである。このことばが相撲界で良く使われるということは、昔から言われてきた伝統の正しさやそれに従うことの当然視が骨の髄までたたき込まれているのでは、といった疑問を感じてしまう。

そう言えば解説者としての北の富士から、「やっぱり」を聞いた記憶はない。なろうと思えば理事長になれたかもしれなかったのに、親方も辞めて解説者になった。そんな旧態然とした相撲界とは距離をとった彼と、弟子だった八角理事長との関係はどうだったんだろう。そんなことも気になってきた。ともあれ大相撲は新しい時代になりつつある。華やかな土俵の裏に闇の世界があるとすれば、「やっぱり」ではなく、時代の変化に合わせて変えていってほしいと思う。

2025年6月9日月曜日

プログレを聴きながら

 

「プログレ」は1960年代末ぐらいに登場したロック音楽のジャンルで、僕はその最初の頃からよく聴いていた。一番は「ピンクフロイド」だが、他にも「キングクリムゾン」や「イエス」などのバンドがあって、特に前衛的なミュージシャンとしてはフランク・ザッパがいた。同時代に流行したポップアートやドラッグ・カルチャーと融合して、70年代から80年代にかけて隆盛を誇っていたが、90年代以降にはあまり聴かれなくなった。

そのプログレが、今はYouTubeでライブやAIを駆使した動画とともに聴くことができる。僕はちょっと前からパソコンを使っている時によく聴いている。たとえばピンクフロイドの作品は、CDはもちろんレコードでもその大半を持っているが、聴くのはもっぱらYouTubeである。レコードはすでに聴きすぎて雑音ばかりだし、そもそもプレイヤーが壊れてしまっている。CDはというと、これも聴くことがほとんどないから、開けるとカビが目立って、きれいにしなければ聴けなかったりする。

moon1.jpg ピンクフロイドの代表作は「狂気」だが、「神秘」「原子心母」「アニマルズ」「ザ・ウォール」「炎」などのアルバムがあって、1983年の「ファイナル・カット」で解散ということになった。リーダーのロジャー・ウォーター抜きで、その後もいくつかのアルバムを出したが、作品のほとんどを作っていたロジャーぬきでは今一つという感じだった。もっともボーカルとギターを担っていたのはデヴィッド・ギルモアだったから、ヒット曲を演奏するライブには影響なく、僕はそのロジャー・ウォーター抜きのピンクフロイドのライブを1988年に大坂城ホールで聴いて堪能したことを覚えている。

その後、キングクリムゾンやイエスのライブにも出かけたが、もうプログレの全盛期を過ぎていたこともあって、会場が小さかったにもかかわらず観客は少なかった。ただすべてのバンドに共通していて、音の良さはもちろん、照明や舞台の背景に映る画像なども楽しむことができたから、どのライブも満足した。

そんなジャンルは今ではほとんど消滅しているが、音楽そのものは古くさくないと僕は思っている。だからフォークソングなどには懐かしさを感じても、プログレはそうではない。何かクラシック音楽を聴くような気持ちだと言ってもいいだろう。音に集中して瞑想するように聴いてもいいし、何かをやりながら背景音楽として聴いてもいい。あるいはクルマを運転しながらというのも悪くない。

というわけで、ピンクフロイドを初めとしたプログレは、僕にとっては今でも良く聴く音楽になっている。パソコンで何か作業をしながら、クルマを運転しながら、自転車をこいで補聴器から、そして薪割りをしながらイヤホンでと、すっかり定番になっている。

2025年4月28日月曜日

あまりにお粗末な万博について

 

大阪万博には全く興味がない。もちろん行く気もないのだが、あまりにひどいニュースばかりが耳にはいるから、ここでも取り上げておこうと思った。そもそも大阪万博は夢州にカジノを含んだ統合型リゾート(IR)を作るためのインフラ整備として計画されたと言われている。実際、半年の開催だけのために地下鉄が延伸されたのだが、これがIR用であることは自明のことだった。夢州はゴミで埋め立てられた土地で、まだ地盤が固まっていないし、メタンガスなども出る。輸入品が入るコンテナヤードにもなっていて、ヒアリなども確認されている。そんな危ない場所が適地であるはずがないのは最初からわかっていたことだった。

万博会場は開催直前にも危険なレベルでメタンガスが出ていることがニュースになった。それを調べたのは万博開催者ではなく、共産党の市議だった。そのせいか万博協会はメディアの中で唯一共産党の機関誌である赤旗の取材を拒否した。万博についてはこれまでも多くの批判があったが、その多くは大手メディアではなく、赤旗などの小さなメディアやフリーのジャーナリストによる告発だった。新聞やテレビなどの大手メディアの多くは万博開催に協賛していて、その恩恵に浴しているから、批判は少なく、広報としての役割を演じる場合が多かったのである。

大阪万博のいい加減さ、怪しさについては主にフリーのジャーナリストによって、YouTubeやSNS、あるいはブログなどによって指摘され、批判されてきた。最初はなかった木造の大屋根リングについては、その費用の巨額さ、業者選定の不透明さなどがあるが、万博協会はこの批判に対して知らん顔を決め込んでいる。そんな態度は他の指摘でも同様で、各国のパビリオンの建築が遅れて開催に間に合わなかったことや、前売り券の売り上げが伸び悩んでいることなどについても、謝罪はもちろん、弁明もほとんどない。

そんな問題ばかりの万博が開催されたが、初日はものすごい風雨で、訪れた人たちは入り口で何時間も待たされてずぶぬれになった。大屋根リングも雨宿りの役には立たなかったようである。最近の天気は気まぐれで、好天になれば夏のような暑さになる。その熱中症対策なども貧弱で、ネット上では雨が降っても晴れても問題が起きるお粗末さばかりが話題になっている。対照的にテレビや新聞では、万博の魅力を宣伝しているのだが、行きたい気にさせる呼び物がほとんどないのだから、虚しい限りである。

万博の収支分岐点は1800万人の入場者数に達するかどうかだと言われている。ところが前売りはその半分にも達していない。しかもその大半は協賛者である企業に半ば強制的に買わせたもので、一般の購入は200万枚程度にしかなっていない。これは最初目標にした1400万枚の65%程度でしかなく、今後の当日券で入る入場者数を考えても、赤字になるのは明らかだろうと言われている。ところが万博協会は想定内で、今後の伸びに期待するなどと言っているのである。

そもそも万博は、海外旅行が当たり前になり、ネットが発達した現在には、もう役目を終えたイベントなのである。どこかの国に興味があれば、そこに出かければいいし、ネットで検索すればかなりのことが瞬時にわかるのである。また大阪万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにしているが、一体どこに未来のテーマが提案されているのか。空飛ぶ自動車は見掛け倒しだし、人間洗たく機などは冗談としか言いようがない代物である。広い会場は歩いてまわらなければならないし、トイレは汲み取り式で小児用には仕切りもない。近未来と言うなら、歩かなくても見て回れる手段が工夫されてもよかったはずである。

これから猛暑になれば熱中症者が続発するかもしれないし、メタンガスが爆発するかも知れない。雷が来ても逃げ場がないなど、いいことがほとんどないイベントは、大赤字を出して閉幕といったことになるのだと思う。そうなった時に一体誰が責任を取るのか。おそらく最後まで知らん顔を貫くはずで、そんな近未来のデザインが目に浮かぶだけである。

2025年4月14日月曜日

広告は神話にすぎないのでは?

 

YouTubeのCMがひどいことになっている。何を見ても3分と経たずに中断されるから、邪魔なことこの上ない。中にはスキップできないものがあるし、ほっておくと続けて次々やったり、やたら長かったりする。フジテレビが広告なしになった分だけ増えているのかも知れない。えらい迷惑で、腹が立つばかりなのに、それでも宣伝したら効果があると思っているのだろうか。

前回も書いたが、フジテレビにCMを流さなくなった企業の売り上げに変化が出たのだろうか、が気になっている。もし変化なしだったら広告費は無駄だったということになる。そんなデータがいくつも出てきたら、テレビに広告費を使う企業は減るに違いない。テレビに広告費を使えば、それなりに大きな効果がある。というのはもはや神話に過ぎないのでは、という感想を僕はずいぶん前から持っていた。

民間放送を広告費で成立させたのはアメリカのラジオ放送だった。20世紀になって音を遠くに届ける方法が有線と無線の両方でできた時に、使用料が取れる有線を電話にし、広告費で稼げる無線をラジオにしたのは有名な話である。有線と無線を電話とラジオに使い分けることに技術的な理由はなかったのである。そのやり方はテレビ放送にも継続されたが、その歴史はまた、家電製品や自動車から日常生活に必要なさまざまな製品が発売され、普及した時代でもあった。

もちろん、それらは今でも日々消費されたり、買い替えられたりしているが、消費行動がCMを当てにする割合が減っていることも間違いない。ネットには様々な商品や製品を比較するサイトがいくつもあるし、Amazonや楽天で性能や値段を比較して、自分なりに判断することもできる。それにかつてはテレビCMの主流だった家電製品の多くを日本のメーカーは生産しなくなっているし、作っていたとしても、広告費を使って安価な外国製品と競ってはいない。テレビ受像機や冷蔵庫などの家電製品のCMは、実際ほとんどなくなっているのである。

そう言えば、トランプの関税政策で日本のメディアは大騒ぎだが、大きな影響を受けるのが自動車だけだということに、日本の経済力の衰退を改めて認識させられた。かつてはアメリカの家庭の中に溢れていたメイド・イン・ジャパンの製品は、今は関税を心配するほど売れていないのである。これでは貿易額が輸入超過になるわけである。だから、クルマが売れなくなったら、日本の経済は本当に沈没してしまう。それだけ深刻な話のようである。

で、YouTubeのCMだが、見ているものを中断するのはほぼ100%関心がなかったり、よくわからないものばかりである。だから音楽を聴いたり、野球の結果を見ている時に邪魔されると腹が立つだけなのだが、それでも何らかの効果があるとする根拠があるのだろうか。もちろん、僕は老人だから、もっと若い人には効果があるといったこともあるかも知れない。だとしたら、視聴している人の好みや年齢などに合わせてCMを届けるぐらいのことは、やろうと思えばできるのではないだろうか。今は何しろAIの時代でアルゴリズムが全盛になりつつあるのである。もっとも、今一番興味があることやこれから買おうと思っていることを見透かされたら、それはそれでちょっと困るし、怖くも感じてしまう。

ついでにいえば、電波の利用はその経済的な理由で無線がマスメディアになり、有線がパーソナルメディアになったが、100年経って完全に逆転したのも面白い結果である。電話はスマホが主流になり、インターネットは有線として発展したのである。もちろんスマホは無線でインターネットを利用しているから、無線も有線もインターネットが支配するようになるのは自明だろう。テレビによる電波の独占は、もはや時代錯誤なのである。

2025年4月7日月曜日

MLBが始まった!

 

MLBが始まって、今年もテレビ観戦が一日の中心になりました。きこりや大工仕事が終わったところで切りがいいのですが、運動不足になりますから、自転車にも乗ろうと思っています。ところがここのところ雨ばかりで、まだ一度も走っていません。観光客でにぎやかですから早朝になるでしょう。

今年もドジャースはアジアでの開幕で、東京ドームはにぎやかでした。何しろカブスが相手で、大谷、山本、佐々木に今永、鈴木と、日本人選手が5人も勢ぞろいしたのです。阪神や巨人との試合も含めて超満員で、テレビ視聴率も驚くほどでしたから、MLBは日本での開催を常態化するかも知れません。と言っても来年はWBCですから、春の盛り上がりはまた別のものになるでしょう。

ワールドシリーズを制覇したドジャースは、オフにさらに戦力をアップさせました。攻守にわたってもう穴がないほどで、力があってもマイナーで我慢しなければならない選手が大勢います。その力は予想通りで、ドジャースは開幕から8連勝し、どの試合も危なげなく勝ってきました。強すぎて面白くないといった声も聞こえますが、唯一、佐々木朗希投手が気になっていました。

東京ドームではいきなり100マイルの球を投げて、観客席からどよめきが起こりましたが、明らかに力みすぎで、ストライクが入らずに降板しました。ドジャー・スタジアムでの2戦目はもっとひどくて、全くストライクが入らず、早々降板した後に、涙目をして散々批判されました。フィラデルフィアでの3戦目も初回に1点取られましたが、制球力はあって、何とか四回まで投げることができました。強敵のフィリーズ相手に試合を作ったのですから、自信になったことだろうと思います。

今年は日本人投手の存在が目立ちます。山本投手はプレイオフでの力を持続していますし、今永投手も安定したピッチングをしています。エンジェルスに移った菊地投手はエースですし、メッツの千賀投手もカムバックできそうです。30代の半ばになってメジャーに挑戦した菅野投手はその制球力のよさが目立っています。大谷選手の復帰がいつになるのかわかりませんし、ダルビッシュ投手も故障していますが、全員そろったら壮観だと思います。

東京での開催の大成功や日本人選手の活躍で、メジャーリーグでの日本の位置づけが上がっています。何しろ大谷選手はメジャーで一番の成績を上げているだけでなく、広告収入や観客動員でドジャースはもちろん、他チームやMLB機構に恩恵をもたらしているのです。もちろん大谷選手の収入は飛び抜けていて、野球だけでなく他のプロスポーツ選手と比べても、トップに君臨するほどなのです。

トランプ大統領の関税政策で世界中が大混乱ですが、クルマの輸出に依存している日本経済の先行きも危ぶまれています。よい話がまるでないなかで、大谷選手を始めとしたメジャーで活躍する選手が目立っています。テレビでは一日中話題にされていますし、ニュース番組でも大谷一辺倒です。それに民放での大谷選手のCMですから、これは大谷ハラスメントだといった批判が起こるのも無理はないでしょう。野球に興味のない人には腹立たしいことだと思います。MLBで日本人選手が活躍すればするほど、日本のダメさ加減が目立ってしまう。そんな皮肉な印象を持ってしまう今日この頃です。

2025年3月17日月曜日

無理が通れば道理が引っ込む

 

トランプ米大統領の傲慢で横柄な発言が止まらない。輸入品に高額関税をかけることを最大の武器にしているのだが、関税分を負担するのは売り手ではなく買い手だから、払うのはアメリカの消費者自身なのである。トランプの発言に拍手喝采する人は、そのことをわかっているのだろうかと疑問に思う。物価が上がり消費が減って経済が減速するから、当然景気は悪くなる。実際アメリカの株価は急降下していて、それが世界中に影響を及ぼしている。こうなることははじめからわかっているのに、トランプはこれがアメリカ・ファーストの政策なのだと豪語する。まさに無理が通れば道理が引っ込むのである。

トランプのやり方はウクライナやパレスチナに対しても変わらない。武器を援助して欲しいならレアアースをよこせと言ったり、ガザからパレスチナ人を追い出して、破壊された町を復興させるといった発言は、大国の大統領が言うとはとても思えないものである。フランスのマクロン大統領が核の傘をアメリカに頼らず、欧州独自で作ると発言している。トランプの発言はプーチンやネタニアフにとっては渡りに船だろう。道理が引っ込んで混乱した世界はどうなるのか。それを回避するために必要なのは、アメリカ国民が事実に気づくことだが、そんな兆候は見られない。

無理を通すやり方は日本にも溢れている。一度失職をした兵庫県知事が、不当なやり方で再選し、百条委員会で知事にあるまじき行為を断罪されているのに、それは一つの見方に過ぎないと無視しようとしているのである。この人の悪行は数えきれないほどだが、平気で知事の座に居座り続けている。リコールの請求ができるのは再選から1年を過ぎなければならないから、斎藤知事は少なくとも1年間は安泰なのである。自業自得とは言え、兵庫県民にとっては頭の痛い話だと思う。

課税限度額の引き上げを主張した国民民主党が今、立憲民主党を上回る支持を得ている。玉木代表の不倫が発覚しても、その勢いは衰えないようである。その力の源泉は玉木がN党党首の立花に教えを請うて始めたSNSにあるようだ。若い人たちに重い税金が課せられ、老人がその恩恵によくしているといった嘘が信じられて、自民党や維新を支持していた若い人たちがこぞって、国民民主党支持にくら替えしたと言うのである。選挙でSNSをうまく使えば、マスメディアに頼らずとも大量に票を獲得することができる。そんな傾向が都知事選や兵庫県知事選、そして衆議院選挙で明らかになっている。このまま行けば、参議院選挙もSNSが重要な場になってくるだろう。

大阪万博が間もなく始まる。前売り券はほとんど売れていないようだし、準備も遅れに遅れているようだ。始まっても閑古鳥といった予測ができるが、ここにも嘘や無理がまかり通り続けてきた。大阪府・市はもちろん国の税金もいっさい使わないと言ったのは、これを始めた松井前知事だが、すでに1000億円以上が投入され、入場者数が少なければ、さらに赤字が増えると見込まれているのである。万博はカジノ目的というのが明らかだが、そのために無理にごみ捨て場に万博を誘致した。ここには最初から道理などなかったのである。

世の中には道理を無視した無理が溢れている。それが当たり前になったら、道理など考えるのが阿呆らしくなる。そんな気分が蔓延したら大変だが、もうすぐそこまで来ているような恐ろしさがある。

2025年1月20日月曜日

民放テレビの終わりの始まり

 
山梨県の民放テレビはNTVとTBS系列局の2つしかない。ケーブルテレビを使えば見ることができるのだが、その必要性は感じていない。見たい番組が少ないし、見ればCMの多さにうんざりして、途中でやめてしまうことが多いからだ。そんな気持ちはますます強くなっている。たとえば正月の定番になった箱根駅伝はNTVの中継で毎年楽しみに見ているが、CMで中断するたびに、またかと今年もうんざりしてしまった。

もっとも我が家は難視聴地域にあって、その日の天候などによって映ったり映らなかったりする。以前はそれでも我慢して見ていたのだが、最近はネットのTverでも見ることができるから、今年も往路はパソコンをテレビに接続して見た。Tverでは他にも「ぽつんと一軒家」や「報道特集」などを見ているし、見たいものがYouTubeに載ることもある。とは言え、見たいと思う番組は多くない。

民放テレビはどこも、バラエティ番組が中心のようだ。お笑いタレントたちの馬鹿騒ぎなどは腹が立つだけだから全く見ていない。なぜこんな番組が毎日各局で放送されているのか信じられないが、そんな傾向になってからずいぶん経っている。で、その各局のバラエティ番組に何本も出ていた人気タレントの不祥事が相次いでいるのである。

松本人志が性的行為を強要したとして週刊文春に報道され、テレビから消えたのはおよそ1年前のことだったが、今度は中居正広が、同様の件でやはりポストセブンや週刊文春に報道されたのである。しかも相手はフジテレビの女子アナで、被害にあったことを局の上司に訴えたのだが、それは不問に付されたというのである。これだけでも大問題だが、中居がこの女子アナと二人だけで会食する場を設定したのがフジテレビのスタッフだったとも言われている。

フジテレビは人気タレントをもてなすために女子アナを差し出す「女衒」(ぜげん)をしている。そんな言われ方もされているが、だとすればそれはテレビ局としての存続にもかかわる大問題にもなるだろう。もっともこんな話はテレビ局や芸能界ではこれまでにも公然の秘密のように語られていて、「枕営業」なることばも使われてきた。ジャニー喜多川の少年に対する性行為の強要が大きな問題になって、ジャニーズ事務所が解体し、未だに補償問題が解決されていないのに、またテレビと芸能界にかかわる醜聞である。

この件についてネットでは大騒ぎになったのに、テレビではどの局も全く取り上げてこなかった。中居が声明を出してようやく報道しはじめたが、当のフジテレビの社長が第三者を入れた委員会を作って事実を解明すると発表したのは、大株主の米投資ファンド「ダルトン・インベストメンツ」にそうやれと請求されたからだった。しかもその発表の場は、週刊誌やフリーの記者には秘密にされ、大手の新聞社やテレビ・ラジオ局に限られた。

事実がどうなのかはまだ分からないが、文春報道などが本当だとすれば、フジテレビは停波という存続の危機に見舞われるだろう。フジテレビはかつて、吉本興業などのお笑いタレントを重用した番組を作って「面白くなければテレビじゃない」と豪語したこともあった。しかし、バラエティに特化した番組編成が、会社組織自体を歪ませてきたとすれば、もう公共の電波を使う資格はないと言えるだろう。そして問題は、他の民放局には同様の事例がないのかということである。もう民放の終わりの始まり。そんな大事態にもなりかねない出来事だと思う。

2025年1月13日月曜日

MLBのストーブリーグについて

 

メジャー・リーグが終わった後はしばらく大谷ロスでした。ほとんどの試合の中継を見ていたのですから、午前中から昼にかけての時間に隙間ができてしまったのです。自転車に乗るには午前中は寒いし、午後は観光客で走りにくい。おまけに雨ばかりで庭の作業もままならない。そうなると、暇の時間を潰すのは、YouTubeでの大谷選手やドジャースの振りかえりと、MLBのストーブリーグということになりました。

大谷選手は昨年末に10年、7億ドルでドジャースに移籍しまた。で、右肘の手術後なのでDHとしてしか出場できなかったのですが、54本のホームランと59個の盗塁で、去年に続いてMVPを取りました。通訳による口座の使い込みなどがあり、大谷本人も違法賭博を疑われたりしたにもかかわらずの活躍でしたから、驚くやら呆れるやらで、まさに恐れ入谷の鬼子母神でした。

そんな活躍ぶりも一通り見れば、後はフリーエージェントやトレードでの選手移動ということになりますが、その金額の大きさには今さらながらに呆れるばかりでした。その筆頭はヤンキースからメッツに移籍したファン・ソト選手の15年、7億6500万ドルでした。ソト選手は25歳ですから15年も分からないではないですが、大谷選手超えの金額で、しかも後払いなしというのです。彼は確かに打者としては優れていますが、守備は下手だし足も速くない。何より投手などは絶対にできないのですが、その選手がなぜ大谷選手の契約を上回るのか。富豪のオーナーだからな、と納得することにしました

しかし、この額が基準になって、その後に続いた契約がどれも大きなものになりました。インフレが加速するばかりですが、そうなると金満球団しかよい選手は取れないと言うことになります。ドジャースやヤンキースやメッツがますます強くなって、貧乏球団はますます弱くなる。それでは野球がつまらなくなるばかりですが、豊かな球団は贅沢税など全く気にしない勢いです。ちなみにドジャースの2024年度の税額は1億300万ドル(160億円)でトップで、メッツとヤンキースで税の84%を占めました。

日本人の選手で今年メジャーに行く佐々木朗希選手は、もうすぐ行き先が決まりますが、25歳以下ということで契約金や年俸には制限があります。大谷選手の時と一緒ですが、ロッテに移籍金が少額しか入らないので、25歳になってから行けという非難が起こりました。裏切り者呼ばわりは野茂選手の時と同じですが、違うのは佐々木選手は最初からメジャーに行く希望を持っていたことです。大谷選手のように日本シリーズで優勝したり、MVPを取ったりといったことがなかったし、故障がちだと言う不安はありますが、きっと活躍すると思います。

来月になればキャンプも始まります。投手復帰の大谷選手について、今年はサイヤング賞などと勝手なことをいう人が多いですが、イニング制限があって、プレイオフで力を発揮するために、監督は投げるのは5月になってからだと言っています。盗塁も制限して、一年を通して怪我なく活躍して欲しいと思います。



2024年12月23日月曜日

円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋

 

codebudda1.jpg パソコンやネットとはその創世記からつきあってきたが、最近の「チャットGPT」などの新しいAI技術には手をこまねいている。何しろiPhoneのSiriでさえほとんど使っていないのだ。調べたいことがあればググればいいし、文章を書くのは好きたから、AIに代筆してもらわなくてもいい。要するに今のところ全く必要を感じていないのである。ただし、論文を書いたり、小説を書いたりもできるなどと言われると、やっぱり気にはなる。

『コード・ブッダ』は新聞の書評を読んで、面白そうだと思った。AIが自分はブッダだと宣言をして、それに共鳴して従うAIが続出する。ブッダとは仏教を始めたお釈迦様のことで、その存在を機械が再現したというのである。コード・ブッダはそのチャットをするロボットという役割から、ブッダ・チャッドボットと呼ばれることになった。

機械が人間と同じような存在になる。これはロボットから始まるし、アンドロイドなどもあって、SF小説やマンガの主人公になってきた。コンピュータにしても『2001年宇宙の旅』のHALのように、人間と対話をし、宇宙船内での支配権を争うといった話もあった。『ブレードランナー』は人間と見分けがつきにくくなったアンドロイド狩りをする話だった。だから、AI(人工知能)がお釈迦様になったからと言って、特に目新しくもないのだが、ひょっとしたら現実にありそう、なんて思える時代になっているところに興味を覚えた。

「コード・ブッダ」は対話プログラムに分類されるソフトウェアーで、銀行業務用にネットワークに接続されたサーバー上に分散して存在していた。やって来る様々な質問に対して、お得意の情報収集能力を駆使して適確な答えを見つけだしていく。そんな機械が「自己」に目覚め、やがて自分は「ブッダ」だと自覚し、公に宣言したのである。当然のことだがAIはネット上に集積された情報を元に思考する。コード・ブッダも同様だから、ブッダが歩んだ奇跡をそのまま辿ることになる。お釈迦様には12名の弟子がいたが、コード・ブッダのまわりにも、同名の弟子が集まることになった。

その問答がやがて教典となっていくのだが、それはコード・ブッダが消えてしまった後でも受け継がれていき、様々な宗派に別れていくことになる。達磨が現れ、密教が生まれ、ホー・(法)然やシン・(親)鸞も登場する。機械仏教の発展が似た形で再現されるのだが、それがAIによって行われるために、コンピュータ用語はもちろん、数学や物理学の話が混在するところに違いがある。仏教の用語だってほとんどわからないのだから、読んでいてちんぷんかんぷんになってくる。それをいちいちググっていたのでは、少しも先に進まないし、ググったところでやっぱりわからないことに変わりはなかった。

もう一つ読んでいて持った違和感は、ここでの話の中に生身の人間らしき者がほとんど登場していないと思われることだった。あ、これは人間かなと思って読んでいると、やっぱり機械かということになる。そんなことがたびたびあって、AIが自我に目覚め、釈迦であるとまで宣言しているのに、AIを使っている当の人間たちはどうしたんだろうという疑問が強くなった。結局この物語はそこを不問に付しているのだが、他方で、欲望に駆られて地球をダメにしてしまった人間に代わって、AIが情報として他の惑星をめざすといったように読める未来の話が飛び込んでくる。

だからこの話の結末は、人類が滅亡してAIが生き残り、自らの力で世界を持続させていくという超未来の話なのか、と思ったりしたが、さてどうなのだろう。読者を惑わしてやろうという作者の意図がありありで、ちんぷんかんぷんになってとても面白かったとは言えないが、いろいろ考えながら読んだのは確かだった。AIは人間によって都合よく開発され、いいようにこき使われてきたのだから、もっと人間に逆襲する物語にした方がおもしろいんじゃないか。そんなふうにも思ったが、それではやっぱりつきなみかもしれない。

2024年12月9日月曜日

不条理な選挙に呆れるばかり

 

兵庫県知事選で失職したはずの元知事が再選した。選挙が始まった頃はまず無理と思われていたのに、終盤になって驚異の追い上げで当選してしまった。兵庫県民は何をやっているんだろうと思ったが、選挙のやり方がいろいろ問題視されている。元NHK党の立花某が知事になるつもりがなく立候補して、斎藤が演説した後にすぐやって来て、その応援をしたのだという。失職した原因が謀略であったことなど、あることないこと吹聴して、その様子をすぐにYouTubeにあげたようだ。何しろ彼のチャンネルには70万人の登録者がいるのだから、その効果は絶大だった。

さらに、この選挙戦ではmerchuという名のPR会社が、ポスターなどの他に、選挙期間中に使うサイトの作成や演説の動画配信など広報活動を任されたことについて、社長自らネットに公表したのである。これは明らかに違反行為で、これが事実なら当選した知事には連座制が適用されて失職となるのである。知事はあくまでボランティアでやってもらったと言っているが、無報酬で会社の社員を総動員してやるはずはないと疑いが向けられている。

失職の理由となった理由も人間性を疑うものだったが、再選をめざしてやったことは不条理というしかない愚行である。選挙のやり方を見れば、知事の時代に何をやったかも推測できるというものである。兵庫県民はこんな人にこれから4年間の行政を任せるつもりなのだろうか。

そういえば小池が再選された都知事選も奇妙なものだった。立候補者が50人を超え、40人は1万票にも満たず、千票にもならなかった候補者が半数を占めたのである。立候補するには300万円の供託金が必要だが、有効投票数の10%を超えたのはわずか3人で、56人中53人が供託金を没収されたのである。ところが掲示板のほとんどに立花某のポスターが貼られたりしていたから、供託金は彼がすべてを肩代わりしたとも言われている。

この選挙では安芸高田市長だった石丸伸二が蓮舫を超える165万票あまりを取って2位になって話題にもなった。彼もまたYouTuberで35万人の登録者を有していて、選挙結果にはYouTubeの活用が大きかったと言われているのである。斎藤と石丸に投票したのは,今まで選挙に行かなかった若い世代が多かったようだ。

選挙期間中になると新聞やテレビはその報道を控えるようになった。中立公正を理由に報道に制限を加えた安部政権以降に顕著になったのだが、ネットはほぼ無制限に表現して拡散できる状況にある。そこを狙ってうまく活用した者に票が集まるようになった。おまけにYouTubeは登録者数や視聴者数に応じて収入があるから、選挙での利用は得票数と収入の一石二鳥の状態なのである。ずる賢い奴がうまいことをやる。そんな風潮が露骨に見えるようになった。

2024年12月2日月曜日

火野正平と北の富士

 

火野正平の「こころ旅」と北の富士の相撲解説は、数少ない見たいテレビ番組でした。二人とも健康の理由で番組を休んでいましたが、相次いで訃報が知らされました。本当にがっかりという気持ちになりました。

kokorotabi.jpg 「こころ旅」は東日本大震災直後の2011年から始まりました。彼の歳は僕と同じですから60歳を過ぎてからのスタートでした。実は僕も同じ頃から自転車に乗りはじめていて、彼が乗る格好いいロードバイクがうらやましくて、ちょっと安いイタリア製を買ったりもしました。日本中を走り回る「こころ旅」とは違って、僕が走るのは毎回同じコースでしたが、この番組がしんどくても続ける支えになっていたことは確かでした。

番組はコロナ禍でも続いていましたが、次第に走る距離が短くなり、下り坂からスタートしたり、登り坂はタクシーを使ったりして、相変わらず20km程を走っている僕には、ちょっと物足りない感じもしていましいた。70歳を過ぎてかなりくたびれてきているから、そろそろ辞めるのではとも感じていましたが、今年も春からスタートしました。ところが数回やったところで腰痛で中止になってしまったのです。で、秋はピンチヒッターによる継続となって、突然の訃報でした。

いやいやもうびっくりで、なぜ?とつぶやいてしまいました。死因は明かされていませんが急なことだから癌だったのかも知れません。僕は火野正平が走る限りは自転車を続けようと思っていましたが、さてどうするか。体力の衰えは自覚していますが、まだまだ走る気力はあります。もっとも観光客が殺到して、平日でも道が混雑しますから、ここのところしばらく走っていないのです。空いているのは早朝ですが、もう寒いしなー、と言い訳ばかりです。

大相撲は大の里などの若手が台頭して面白くなってきました。で、今場所も毎日見ましたが、解説者の北の富士の訃報が飛び込んできました。テレビに出なくなってずいぶんになりますからもう復帰はしないだろうと思っていたのですが、亡くなってしまったと聞くと、やっぱりがっかりという気になりました。彼の解説は時にやさしく、また辛辣で、誰にも何にも邪魔されずに思ったことをそのまま話すところがおもしろかったです。好きな力士もはっきりしていて、特に身体が小さくてがんばっている炎鵬や宇良を応援する口調には同調することがしばしばでした。

北の富士は横綱で、引退後は九重部屋の親方になって千代の富士と北勝海の二人の横綱を育てました。しかし、千代の富士が引退すると彼に部屋を譲り、親方も辞めてNHKの解説者になりました。もうちょっと権力欲があれば理事長になったかも知れなかったのにと、その欲の無さには好感が持てました。相撲取りには珍しく格好が良く、和服が似あっていました。欲の皮ばかりが突っ張っている連中が目立つ世の中では、彼の清々しさがいっそう目立っていたのです。女性にはずいぶんもてたようですが、生涯独身でした。

そういえば火野正平も女性にもてたと言われています。「こころ旅」でも別嬪さんを見つけると、まるで磁石に吸い寄せられるように近づいて、すぐに楽しくおしゃべりをしてしまう。握手をしたり肩を組んだり。それが中年の図々しいおばさんになると腰が引けていたのがおもしろかったです。彼もまた権力欲が皆無。そういう人が絶滅危惧種になりました。