ラベル Media の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Media の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年1月13日月曜日

MLBのストーブリーグについて

 

メジャー・リーグが終わった後はしばらく大谷ロスでした。ほとんどの試合の中継を見ていたのですから、午前中から昼にかけての時間に隙間ができてしまったのです。自転車に乗るには午前中は寒いし、午後は観光客で走りにくい。おまけに雨ばかりで庭の作業もままならない。そうなると、暇の時間を潰すのは、YouTubeでの大谷選手やドジャースの振りかえりと、MLBのストーブリーグということになりました。

大谷選手は昨年末に10年、7億ドルでドジャースに移籍しまた。で、右肘の手術後なのでDHとしてしか出場できなかったのですが、54本のホームランと59個の盗塁で、去年に続いてMVPを取りました。通訳による口座の使い込みなどがあり、大谷本人も違法賭博を疑われたりしたにもかかわらずの活躍でしたから、驚くやら呆れるやらで、まさに恐れ入谷の鬼子母神でした。

そんな活躍ぶりも一通り見れば、後はフリーエージェントやトレードでの選手移動ということになりますが、その金額の大きさには今さらながらに呆れるばかりでした。その筆頭はヤンキースからメッツに移籍したファン・ソト選手の15年、7億6500万ドルでした。ソト選手は25歳ですから15年も分からないではないですが、大谷選手超えの金額で、しかも後払いなしというのです。彼は確かに打者としては優れていますが、守備は下手だし足も速くない。何より投手などは絶対にできないのですが、その選手がなぜ大谷選手の契約を上回るのか。富豪のオーナーだからな、と納得することにしました

しかし、この額が基準になって、その後に続いた契約がどれも大きなものになりました。インフレが加速するばかりですが、そうなると金満球団しかよい選手は取れないと言うことになります。ドジャースやヤンキースやメッツがますます強くなって、貧乏球団はますます弱くなる。それでは野球がつまらなくなるばかりですが、豊かな球団は贅沢税など全く気にしない勢いです。ちなみにドジャースの2024年度の税額は1億300万ドル(160億円)でトップで、メッツとヤンキースで税の84%を占めました。

日本人の選手で今年メジャーに行く佐々木朗希選手は、もうすぐ行き先が決まりますが、25歳以下ということで契約金や年俸には制限があります。大谷選手の時と一緒ですが、ロッテに移籍金が少額しか入らないので、25歳になってから行けという非難が起こりました。裏切り者呼ばわりは野茂選手の時と同じですが、違うのは佐々木選手は最初からメジャーに行く希望を持っていたことです。大谷選手のように日本シリーズで優勝したり、MVPを取ったりといったことがなかったし、故障がちだと言う不安はありますが、きっと活躍すると思います。

来月になればキャンプも始まります。投手復帰の大谷選手について、今年はサイヤング賞などと勝手なことをいう人が多いですが、イニング制限があって、プレイオフで力を発揮するために、監督は投げるのは5月になってからだと言っています。盗塁も制限して、一年を通して怪我なく活躍して欲しいと思います。



2024年12月23日月曜日

円城搭『コード・ブッダ』文芸春秋

 

codebudda1.jpg パソコンやネットとはその創世記からつきあってきたが、最近の「チャットGPT」などの新しいAI技術には手をこまねいている。何しろiPhoneのSiriでさえほとんど使っていないのだ。調べたいことがあればググればいいし、文章を書くのは好きたから、AIに代筆してもらわなくてもいい。要するに今のところ全く必要を感じていないのである。ただし、論文を書いたり、小説を書いたりもできるなどと言われると、やっぱり気にはなる。

『コード・ブッダ』は新聞の書評を読んで、面白そうだと思った。AIが自分はブッダだと宣言をして、それに共鳴して従うAIが続出する。ブッダとは仏教を始めたお釈迦様のことで、その存在を機械が再現したというのである。コード・ブッダはそのチャットをするロボットという役割から、ブッダ・チャッドボットと呼ばれることになった。

機械が人間と同じような存在になる。これはロボットから始まるし、アンドロイドなどもあって、SF小説やマンガの主人公になってきた。コンピュータにしても『2001年宇宙の旅』のHALのように、人間と対話をし、宇宙船内での支配権を争うといった話もあった。『ブレードランナー』は人間と見分けがつきにくくなったアンドロイド狩りをする話だった。だから、AI(人工知能)がお釈迦様になったからと言って、特に目新しくもないのだが、ひょっとしたら現実にありそう、なんて思える時代になっているところに興味を覚えた。

「コード・ブッダ」は対話プログラムに分類されるソフトウェアーで、銀行業務用にネットワークに接続されたサーバー上に分散して存在していた。やって来る様々な質問に対して、お得意の情報収集能力を駆使して適確な答えを見つけだしていく。そんな機械が「自己」に目覚め、やがて自分は「ブッダ」だと自覚し、公に宣言したのである。当然のことだがAIはネット上に集積された情報を元に思考する。コード・ブッダも同様だから、ブッダが歩んだ奇跡をそのまま辿ることになる。お釈迦様には12名の弟子がいたが、コード・ブッダのまわりにも、同名の弟子が集まることになった。

その問答がやがて教典となっていくのだが、それはコード・ブッダが消えてしまった後でも受け継がれていき、様々な宗派に別れていくことになる。達磨が現れ、密教が生まれ、ホー・(法)然やシン・(親)鸞も登場する。機械仏教の発展が似た形で再現されるのだが、それがAIによって行われるために、コンピュータ用語はもちろん、数学や物理学の話が混在するところに違いがある。仏教の用語だってほとんどわからないのだから、読んでいてちんぷんかんぷんになってくる。それをいちいちググっていたのでは、少しも先に進まないし、ググったところでやっぱりわからないことに変わりはなかった。

もう一つ読んでいて持った違和感は、ここでの話の中に生身の人間らしき者がほとんど登場していないと思われることだった。あ、これは人間かなと思って読んでいると、やっぱり機械かということになる。そんなことがたびたびあって、AIが自我に目覚め、釈迦であるとまで宣言しているのに、AIを使っている当の人間たちはどうしたんだろうという疑問が強くなった。結局この物語はそこを不問に付しているのだが、他方で、欲望に駆られて地球をダメにしてしまった人間に代わって、AIが情報として他の惑星をめざすといったように読める未来の話が飛び込んでくる。

だからこの話の結末は、人類が滅亡してAIが生き残り、自らの力で世界を持続させていくという超未来の話なのか、と思ったりしたが、さてどうなのだろう。読者を惑わしてやろうという作者の意図がありありで、ちんぷんかんぷんになってとても面白かったとは言えないが、いろいろ考えながら読んだのは確かだった。AIは人間によって都合よく開発され、いいようにこき使われてきたのだから、もっと人間に逆襲する物語にした方がおもしろいんじゃないか。そんなふうにも思ったが、それではやっぱりつきなみかもしれない。

2024年12月9日月曜日

不条理な選挙に呆れるばかり

 

兵庫県知事選で失職したはずの元知事が再選した。選挙が始まった頃はまず無理と思われていたのに、終盤になって驚異の追い上げで当選してしまった。兵庫県民は何をやっているんだろうと思ったが、選挙のやり方がいろいろ問題視されている。元NHK党の立花某が知事になるつもりがなく立候補して、斎藤が演説した後にすぐやって来て、その応援をしたのだという。失職した原因が謀略であったことなど、あることないこと吹聴して、その様子をすぐにYouTubeにあげたようだ。何しろ彼のチャンネルには70万人の登録者がいるのだから、その効果は絶大だった。

さらに、この選挙戦ではmerchuという名のPR会社が、ポスターなどの他に、選挙期間中に使うサイトの作成や演説の動画配信など広報活動を任されたことについて、社長自らネットに公表したのである。これは明らかに違反行為で、これが事実なら当選した知事には連座制が適用されて失職となるのである。知事はあくまでボランティアでやってもらったと言っているが、無報酬で会社の社員を総動員してやるはずはないと疑いが向けられている。

失職の理由となった理由も人間性を疑うものだったが、再選をめざしてやったことは不条理というしかない愚行である。選挙のやり方を見れば、知事の時代に何をやったかも推測できるというものである。兵庫県民はこんな人にこれから4年間の行政を任せるつもりなのだろうか。

そういえば小池が再選された都知事選も奇妙なものだった。立候補者が50人を超え、40人は1万票にも満たず、千票にもならなかった候補者が半数を占めたのである。立候補するには300万円の供託金が必要だが、有効投票数の10%を超えたのはわずか3人で、56人中53人が供託金を没収されたのである。ところが掲示板のほとんどに立花某のポスターが貼られたりしていたから、供託金は彼がすべてを肩代わりしたとも言われている。

この選挙では安芸高田市長だった石丸伸二が蓮舫を超える165万票あまりを取って2位になって話題にもなった。彼もまたYouTuberで35万人の登録者を有していて、選挙結果にはYouTubeの活用が大きかったと言われているのである。斎藤と石丸に投票したのは,今まで選挙に行かなかった若い世代が多かったようだ。

選挙期間中になると新聞やテレビはその報道を控えるようになった。中立公正を理由に報道に制限を加えた安部政権以降に顕著になったのだが、ネットはほぼ無制限に表現して拡散できる状況にある。そこを狙ってうまく活用した者に票が集まるようになった。おまけにYouTubeは登録者数や視聴者数に応じて収入があるから、選挙での利用は得票数と収入の一石二鳥の状態なのである。ずる賢い奴がうまいことをやる。そんな風潮が露骨に見えるようになった。

2024年12月2日月曜日

火野正平と北の富士

 

火野正平の「こころ旅」と北の富士の相撲解説は、数少ない見たいテレビ番組でした。二人とも健康の理由で番組を休んでいましたが、相次いで訃報が知らされました。本当にがっかりという気持ちになりました。

kokorotabi.jpg 「こころ旅」は東日本大震災直後の2011年から始まりました。彼の歳は僕と同じですから60歳を過ぎてからのスタートでした。実は僕も同じ頃から自転車に乗りはじめていて、彼が乗る格好いいロードバイクがうらやましくて、ちょっと安いイタリア製を買ったりもしました。日本中を走り回る「こころ旅」とは違って、僕が走るのは毎回同じコースでしたが、この番組がしんどくても続ける支えになっていたことは確かでした。

番組はコロナ禍でも続いていましたが、次第に走る距離が短くなり、下り坂からスタートしたり、登り坂はタクシーを使ったりして、相変わらず20km程を走っている僕には、ちょっと物足りない感じもしていましいた。70歳を過ぎてかなりくたびれてきているから、そろそろ辞めるのではとも感じていましたが、今年も春からスタートしました。ところが数回やったところで腰痛で中止になってしまったのです。で、秋はピンチヒッターによる継続となって、突然の訃報でした。

いやいやもうびっくりで、なぜ?とつぶやいてしまいました。死因は明かされていませんが急なことだから癌だったのかも知れません。僕は火野正平が走る限りは自転車を続けようと思っていましたが、さてどうするか。体力の衰えは自覚していますが、まだまだ走る気力はあります。もっとも観光客が殺到して、平日でも道が混雑しますから、ここのところしばらく走っていないのです。空いているのは早朝ですが、もう寒いしなー、と言い訳ばかりです。

大相撲は大の里などの若手が台頭して面白くなってきました。で、今場所も毎日見ましたが、解説者の北の富士の訃報が飛び込んできました。テレビに出なくなってずいぶんになりますからもう復帰はしないだろうと思っていたのですが、亡くなってしまったと聞くと、やっぱりがっかりという気になりました。彼の解説は時にやさしく、また辛辣で、誰にも何にも邪魔されずに思ったことをそのまま話すところがおもしろかったです。好きな力士もはっきりしていて、特に身体が小さくてがんばっている炎鵬や宇良を応援する口調には同調することがしばしばでした。

北の富士は横綱で、引退後は九重部屋の親方になって千代の富士と北勝海の二人の横綱を育てました。しかし、千代の富士が引退すると彼に部屋を譲り、親方も辞めてNHKの解説者になりました。もうちょっと権力欲があれば理事長になったかも知れなかったのにと、その欲の無さには好感が持てました。相撲取りには珍しく格好が良く、和服が似あっていました。欲の皮ばかりが突っ張っている連中が目立つ世の中では、彼の清々しさがいっそう目立っていたのです。女性にはずいぶんもてたようですが、生涯独身でした。

そういえば火野正平も女性にもてたと言われています。「こころ旅」でも別嬪さんを見つけると、まるで磁石に吸い寄せられるように近づいて、すぐに楽しくおしゃべりをしてしまう。握手をしたり肩を組んだり。それが中年の図々しいおばさんになると腰が引けていたのがおもしろかったです。彼もまた権力欲が皆無。そういう人が絶滅危惧種になりました。

2024年11月4日月曜日

ドジャースがワールドシリーズ制覇!

 

ドジャースが優勝した。大谷選手にとって7年目にしてやっと手にするチャンピオンリングである。MVPを2度も取ったのに勝ち越しすらできなかったエンゼルスから移籍して1年目の快挙だった。プレイオフに出るまで最多の試合を経験した選手だったというから、彼の喜びは大変なものだろうと思う。しかし、彼についてはまた別に書くことにして、今回は彼やドジャースに対するメディアの対応について考えてみたいと思う。

アメリカでは野球はすでに一番のスポーツではなく、アメリカン・フットボールやバスケットの後塵を拝していると言われている。オールスター・ゲームやワールドシリーズでもテレビの視聴率は低く、それも年々下がっていると言われてきた。それが今年はドジャースとヤンキースのワールド・シリーズになって、視聴率も大幅に回復したようだ。大谷とジャッジというMVP有力選手が出ることもあって、事前の盛り上がりは例年とは違うものになった。

それは日本でも同様だった。日本シリーズがワールドシリーズと同じ日程で行われたのだが、NHKの7時のニュースではワールドシリーズの結果を取り上げて、同時刻に行われていた日本シリーズには全く触れなかった。MLBの中継は主にNHKのBSで行われたが、ワールドシリーズについてはフジテレビが地上波で中継した。ライブは午前中だったから、フジテレビは夜のダイジェストで再放送をしたようだ。ところがそれが日本シリーズと重なって、NPB(日本野球機構)はフジテレビの取材パスを没収したようである。

ただでさえ陰に隠れてしまっているのに、さらに邪魔をされた。NPBはそんな仕打ちに腹を立てたのだと思う。何しろフジテレビは日本シリーズの別の試合を中継しているのである。フジテレビと言えば、大谷選手の新居を探して、場所が特定できるような放送をして、ドジャースから取材拒否を宣告もされている。そこには、どんな影響が出ようと視聴率さえ取れればいいんだといった態度があからさまなのである。当然だが、大谷選手はフジテレビのインタビューを拒否したようだ。

とは言え、大谷選手の人気がテレビの視聴率やCMに大きな影響を与えていることも事実である。何しろ彼は10年で7億ドルの契約を結んだが、その大半は後払いで、山本選手などに払うお金を融通したのである。それは彼が日本の企業などと契約した額が、彼が手にする年俸を超える程だったからだと言われている。そしてスポンサー契約はドジャース自体にももたらされて、広告や入場者数やグッズの売り上げなども大幅に増加したようだ。

恩恵は、ドジャースが遠征したチームにももたらされている。普段は閑古鳥の弱小球団でも、大谷目当てに満員になった試合がいくつもあったからである。普通は他球団のグッズなど売らないのに大谷選手だけは例外にする。そんなこともあったようだ。チームは勝って欲しいけど、大谷選手のホームランは見たい。そんなアメリカでも一番人気の大谷選手が活躍したドジャースがワールドシリーズに出て優勝したのだから、その効果は来シーズンにももたらされるのだろうと思う。

ドジャースの試合を見て大谷選手の活躍を堪能したが、他方でお金にまつわる話題がつきなかったことも印象に残った。ワールドシリーズのチケット高騰や50x50を達成したボールのバカ高値などあげたら切りがないほどだった。ちなみに、ワールドシリーズの視聴者数は日本では1試合平均1210万人で過去最多だったが、同様に、台湾、カナダ、メキシコ、ドミニカでも最多だったようだ。


2024年9月16日月曜日

気になる二人のYouTuber

YouTubeには気に入ってずっと見続けているYoutuberが何人もいる。いや正確にはいたというべきか。たとえばあちこち旅行をする人、ロードバイクに乗って面白い試みをする人、山歩きを楽しむ人などなどである。しかし、最初は面白いと思って見ていても、登録者や再生回数が増えるにつれて内容が変わってくる。旅行なら飛行機の座席がグレードアップして、ファーストクラスでニューヨークヘなどとなる。あるいはロードバイクも高級車を購入したといった話題になったりする。山歩きは次第に危険なコースに挑戦、といったことになる。そうなればますます登録者や再生回数が増えるから、当のYouTuberにとっては狙い通りということになるのだろう。しかし僕は、そうなってくると興味をなくして見なくなることがほとんどだった。

MySelfReliance.jpg ただし例外が一人だけいる。カナダでログハウスを一人で作っている人で、2017年の3月から始まった。最初は小さなログハウスで完成までに2年かかったが、僕は毎回更新するたびにその過程を見守ってきた。カナダ人の大工さんが作ったログハウスに住んでいるから、余計に興味が湧いたということもあった。我が家のログは当然、カナダから運んだ松なのである。彼は2年かけて作ったログハウスを売りに出すと、次に別の場所でまた、ログハウスを作りはじめた。今度はもっと大型で、使う機材もびっくりするほど多様になった。何しろ登録者数が200万人を超え、毎回の再生回数も多い時には数千万にもなるのである。入る収入も莫大なものになったのだろう。

しかしそうなったからといって、見ることをやめる気にはならなかった。自分一人で作ることは一貫していて、その作業の大変さや確実さ、丁寧さなどにいつも感心していたからだ.ログハウスの隣には畑を作り、いろいろな野菜も作るようになった。メープルシロップを作り、川に出かけてサケを釣り、猟銃を持って鹿を撃つ。で、その肉や野菜を保存食にして地下室に蓄え、時折やって来る家族や友人たちに饗するのである。

atsusi.jpg ここにもう一人。最近見つけた、アラスカからアルゼンチンまで、リヤカーを引きながら歩いている日本人の若者を加えたい。僕が気づいたのは、すでにカリフォルニアまで歩いていて、その全体をまとめたビデオだった。アラスカの北の端のプルドー・ベイからアルゼンチン南端の町ウシュアイアまで、2万キロを超える距離を時速6kmで歩くという計画で、現在はメキシコのバハカリフォルニアの半島を歩いている。

調べると、アラスカからアルゼンチンまでという行程をクルマやオートバイ、あるいは自転車で走った人は何人もいるようだ。実際この若者も、オートバイや自転車で同じ行程を旅をしている人に出会っている。ただし荷物を満載したリアカーでというのは、おそらく初めてのことだろう。夏に出発したとは言え、アラスカは寒い。白夜で、山もあれば谷もあるし、熊に出会うこともあった。途中でユーコン川のカヌーによる川下りなども楽しんだようだ。まずその体力に驚くが、泣き言を言わずに笑い飛ばして続けているその精神力には感服せざるを得ない。

すでに寒さも暑さも経験して、今は順調に歩いているように見える。それほど危険な目に遭わなかったのが不思議だが、これから通る中米は、政情不安で強盗団などもいると聞いている。何しろここまで歩いても、まだ半分になっていないのである。どうか無事でと祈りながら、週2回ほどある更新を楽しみに見続けている。


2024年9月9日月曜日

総裁選・代表選という愚挙にうんざり

 

自民党の総裁選がテレビジャックをしている。いつもながらのことで、まるで競馬予想のように誰が総裁に適任かしか問わないテレビの姿勢も相変わらずだ。何しろ10人を超える人が立候補を表明しているのである。おかしな話だ。裏金問題などで岸田政権や自民党の支持率は地に落ちていて、自民党の総裁がそのまま総理大臣になれるわけではないはずなのである。首をすげ替えれば支持率が上がると自民党が考えているのはうなづける。しかし、テレビだってそれを望んでいる。そんな態度があからさまなのである。そんなテレビのニュースは見たくもないが、台風情報などは見たいと思うから、いやおうなしに見てしまうことになる。

自民党が掲げるスローガンは「刷新感」だという。やっているような感じを出すということは、本気で刷新する気はないということだ。そんなことを平気で言う発想には明らかに、国民を舐めた姿勢が窺える。救いようのない連中だと思うが、それで騙されてしまう国民もまた救いようがない。結局自民党はそうやって、政権を維持し続けてきたのである。そして、今までに例がないほどの堕落や腐敗を露呈しているのに、頭をすげ替えるだけでまた、自民党政権が続くのだろうか。

もっとも政権交代のまたとないチャンスなのに、野党第一党の立憲民主党の対応もお粗末なものである。党の代表を決める選挙を総裁選と一緒にして、メディアで取り上げてもらうようにする。そう決めたのだが、立候補しているのが、民主党政権時に首相や官房長官を勤めた人だから呆れてしまう。もっとも、立憲民主党は小池が作った希望の党から排除された枝野幸男が作った政党だから、彼が立候補するのはまだわかる.しかし野田佳彦は民主党政権をダメにして、安部の再登板の道づけをした張本人なのである。

立憲民主党の代表選に立候補するためには、自民党と同じ20人の国会議員の推薦人が必要だという。自民党の半分以下の議員しかいないのに20人とはおかしな話で、これでは若い人が出ることはむづかしいだろう。だから、有象無象が乱立してにぎやかな自民党の影に隠されてしまうのだが、そうならないように推薦人を10人にしようといった意見が出ないのだから、これもまた、もう救いがない。もっとも新人議員の吉田晴美に20人の推薦が集まったようだ。若くて女性の候補を一人出しておこうと考えたのだろうか。

民主党が政権を取った時には公約を並べたマニフェストが作られた。新しい政策の多くは実現せずに政権を手放すことになったが、今度はマニフェストはもちろん、政権を奪取してこんな政策をといった声が全く聞こえてこない。共産党やれいわなどと選挙協力の話をしているわけでもないようだから、多くの人がまた棄権をして、自民党が生きのこることになるのだろう。それでさらに、日本が救いようのない国になっていくのである。

2024年8月26日月曜日

テイラー・スイフトを聴いてみたが………

 
このコラムの話題を探すのに苦労している。注目してきたミュージシャンのほとんどは、もう新しいアルバムを出しそうもないし、新しい人についてはちんぷんかんぷんという感じだからだ。で、亡くなった人を偲ぶ記事ばかりを書くようになった。このままではこのコラムをやめざるを得ないのだが、これに代わる新しい分野があるわけではない。そんなふうに思案していた時によく目についた名前があった。

taylorswift1.jpg テイラー・スイフトは今一番売れている女性ミュージシャンだと言われている。世界各地でのライブでは数万人の人が集まるし、日本でも2月に東京ドームで4日間のコンサートもしたようだ。デビューは本人の名前を冠したアルバムで、2006年に発売するとすぐにチャートの上位に上がったが、その時彼女はまだ16歳だった。それから18年間に10枚を超えるアルバムを出し、グラミー賞などを数多く受賞している。

アメリカでは有名になれば社会貢献や政治的立場を明確にすることが要求される。ウィキペディアには、巨額の寄付をしているのは、山火事や洪水、竜巻などの自然災害から、ガン研究やコロナ、あるいはフードバンクなど多岐にわたっている。性差別やLGBT差別にも批判を向け、そのことを題材にしたアルバムも出している。オバマ大統領が誕生した時にはそれを歓迎する発言をし、以後民主党を支持しているようだ。おそらく秋に行われるアメリカ大統領選挙でも、積極的にハリス副大統領を支援するのだと思う。

このようにミュージシャンとして、あるいはセレブとしての経歴を見れば、確かにすごい人だと言うことはわかる。しかし、僕はこれまで、彼女に全く関心を持たなかった。もちろん、女性ミュージシャンに関心がなかったわけではない。テイラーのライブは歌って踊るといったものだが、同様のマドンナにはデビュー当時からずっと関心を持ち続けているし、レディ・ガガも悪くないと思って聴いてきた。カントリー音楽の出身だが、この分野でもエミルー・ハリスなど気に入った人は何人もいる。そもそも名前のテイラーは、ジェームズ・テイラーにちなんで親がつけたのだと言う。なのになぜ興味を持たなかったのだろうか。

そんな疑問を感じて、YouTubeで彼女のライブやヒット曲を聴いてみた。確かに容姿端麗で見栄えはいい。歌のほとんどは自分で作っているようだから、それなりの才能はあるのだろう。しかし、聴いていてこれはいい歌だと思えるものがほとんどない。声にも特に特徴があるわけでもない。歌っている歌詞のほとんどはラブソングのようだが、特にピンとくるものも見つからなかった。アクの強いマドンナやレディ・ガガと違って印象が極めて薄いし、エミルー・ハリスのような透き通った声でもない。そんな薄味が今の若い人たちの好みなのか。そんな感想を持った。

2024年8月5日月曜日

またTVはオリンピックばかりだ


オリンピックが始まって、テレビはどこも五輪一色になった。ただでさえ見るものがないと思っていたのに、TVをもうつける気もしない。それでもニュースなどを見れば、いやでもオリンピックを見させられることになる。そんな消極的な姿勢で見ていて気づいたことがいくつかあった。一つは前回の東京から登場したスケボーである。日本人選手が活躍してメダルをいくつも取ったためか、よく報道された。

まず気になったのは、きらきらネームの選手が多いことだった。吉沢恋(ここ)、中山楓奈(かな)、赤間凛音(りず)、開心那(ひらき・ここな)、小野寺吟雲(ぎんう)、白井空良(そら)、永原悠路(ゆうろ)などで、何と読むのかわからない名前ばかりだった。そう言えば、東京五輪でも歩夢とか勇貴斗、碧優、碧莉、椛などの名前があった。名前は親がつけるから、きらきらネーム好きはスケボー好きの人に共通した特徴なのかと妙な感心をした。

次に首をかしげたのは、その競技そのものだった。スケボーに乗って階段の手すりに飛び移り、数メートル滑って着地するというだけのもので、これが一つの種目として成立していることが不思議だった。おそらく難しいのだろうし、その中にいくつも技が使われているのだろうが、わずか数秒の試技は、町中で見られる若者の単純な遊びにしか見えなかった。そもそもこんな種目をオリンピックでやる意味がどこにあるのか。この大会から始まったブレークダンスをふくめて、若者を惹きつけるためにIOCが見つけた苦肉の策だと言いたくなった。

他方で野球は参加国が少ないという理由で不採用になった。次回のロサンゼルスでは復活してMLBの選手も参加できるのではと言われている。パリでの不採用はおそらく、球場をいくつも作らなければならないことが最大の理由だったのだと思う。昨年のWBCにヨーロッパの国も参加していたが、フランスという名は見かけなかった。それに比べればスケートボードやブレークダンスの会場は、ほとんどお金をかけずに作ることができる。低予算でそれなりに人気を呼べる種目で、これまでオリンピックに興味を持たなかった人を引きつけることができる。IOCのそんな目論見が露骨に感じられるのである。

低予算といえば開会式も型破りだった。国立競技場を新たに作ったのにコロナで無観客になった東京と違って、パリではセーヌ川の両岸に特設の席を作り、各国の選手が遊覧船に乗って手を振るというものだった。歌や寸劇、あるいはファッションショーなどが、橋の上や岸辺に作られた舞台で演じられた。詳しく見たわけではないが、フランスの歴史、とりわけ革命などがテーマになって、陳腐だった東京とは対照的だったという意見も耳にした。各競技に使われる会場もほとんどが既存のもので、その意味でも、予算規模は東京とは比べ物にならないほど小さなものであるようだ。

東京オリンピックは当初の予算の何倍も浪費した大会で、汚職が事件になり、疑惑が渦巻いたひどいものだった。今回のパリ五輪を契機に、その違いを取り上げて欲しいものだが、そんな気骨のあるメディアは日本からは消えてしまっている。そもそも東京五輪にどれほどのお金がかかり、その詳細がどうだったかは、未だに隠されたままなのである。しかも同じ失敗をまた大阪万博でやろうとしている。メダルを取って大はしゃぎのテレビをうんざりしながら見ていて思うのは、選手たちの頑張りとは対照的な、日本という国のダメさ加減ばかりである。

2024年7月1日月曜日

国会が終わり、都知事選が始まったけれど………

 

国会が終わり、都知事選が始まった。政治資金規正法改正だけの国会だったが、それも結局ザル法のままだった。円安が止まらず、貿易収支も赤字で、実質賃金は減り続けているというのに、ほとんど対応策がとれないままに、国会が終わったのである。岸田政権の支持率はずっと下がり続けていて、調査によっては17%という数字になっている。本来なら倒れていて当然の数字だが、当の首相は全く気にしていないようだ。

一番の要因はメディアの批判の甘さだろう。政権が支持されていないこと、政治資金規正法が手ぬるいと非難されていることを、世論調査を根拠に指摘しても、新聞が自ら、厳しく批判することはどこからも起こらなかった。自民党は最近の選挙でほぼ全敗している。世論調査でもその点ははっきりしていて、政権交代を希望、あるいは予測する人は半数を超えている。ただし、立憲民主党が政権奪取に向けて本腰を入れているわけではないから、衆議院選挙をしても、自民党が下野するところまでは行かないだろう。

そんな曖昧な状況はメディアにとっては好都合だということかも知れない。政府に頭を押さえられたNHKは言うまでもなく、民放はスポンサーと電通頼りだし、大手の新聞社だって、基本的には政権交代を望んではいないのである。日本は一体どこまで落ちるのか。改善策を見つけられない八方ふさがりの状態なのに、政治家も官僚も、そしてメディアも、自己保全のことしか考えていない。そんな態度や姿勢ばかりが目立つのである。

都知事選は小池百合子が3選をめざしている.蓮舫が立候補して二人の争いになっているが、調査では小池が圧倒しているようだ。大きな失政はないとは言え、先の選挙で公約した7つのゼロの多くは実現していない。神宮外苑の開発問題もあるし、何より学歴詐称の一件もある。しかしここでもまた、メディアはこのような点について強い批判を浴びせてはいない。フリーのジャーナリストを締め出した記者会見が当たり前になっていて、そこでは小池がいやがる質問は、ほとんど出ないようだ。非難を浴びせられる都内の街頭演説は避けて、八丈島や奥多摩に出かけている。集まる人は少ないが、テレビのニュースではトップに報道するから、それでも効果は絶大だろう。

都知事選には56人が立候補したようだ。中にはヌードのポスターを貼ったりする人もいて、一体何のためにと疑ってしまう。売名行為なのか、YouTubeやInstagramでのアクセス数を狙っているのか。そう言えば、衆議院議員の補選では他候補の邪魔をして逮捕された候補者もいて、YouTubeではかなりのアクセス数を獲得したようだ。こんな話ばかり耳にすると、もう世も末だと思わざるを得ない。どうせ誰が何をやったって、日本はもう経済的に復活などしない。だったら今だけ金だけ自分だけ。面白おかしく楽しくやろう。他人を傷つけたって構わない。そんな空気は何より最近のテレビにも溢れている。


2024年6月17日月曜日

観光スポットに異変あり!

 

今、河口湖周辺は外国人観光客で大賑わいだ。最寄りの富士急行線河口湖駅に行くと、一体ここはどこの国かと思うほど、多様な外国人で溢れている。その駅近くにあるコンビニの上に乗っかるようにして富士山が見えるというので、それを写真に撮ろうと大勢の人が集まっているようだ。道に出て、あるいは向かいの歯科医の駐車場から撮ろうとするから、交通の妨げになるし、クルマも駐車できなかったりする。町は撮影できないように黒幕を貼ったが、そこに穴を開ける人が続出しているようだ。それが全国に報道されているから、知人からのメールの話題になったりしている。

journal4-249-1.jpg 外国人観光客がたまたま撮ってSNSに載せた画像がきっかけで、観光スポットになった最初は、河口湖周辺では隣の富士吉田市にある忠霊塔から写した富士山だろう。右の景色はなるほど絵になっていて、外国人にとっては行って見たいという気にさせると思う。しかし、ここはそれ以前には、桜の季節以外には、訪れる人もまばらで、僕も一度行っただけだった。周辺には駐車場はないし、バスも通らないところだったのである。

journal4-249-3.jpg 富士吉田市は河口湖町と違って、観光客などほとんど来ないところだった。ところが忠霊塔をきっかけにして、他にも富士山を写すスポットが発見され、それがまた、交通や騒音、そしてゴミなどの問題を引き起こしているようだ。その一つが商店街の真ん中にそびえる富士山の画像らしい。おかげでほとんどシャッター通りだった商店街に観光客が目立つようになったのだが、それで店が繁盛するようになったわけではないようだ。富士吉田市はかつては富士山の登山口で、浅間神社があり、御師(おし)の宿もたくさんあった。

もっとも、そんな流れに乗ったあざとい狙いも目立っている。たとえば、三ツ峠に上る登山道にある母の白滝近くの山の上に、右のような鳥居が突然できた。以前はそこも、訪れる人もまばらなところだったが、わざわざ歩いて登ってくる観光客を見かけるようになった、それだけではなく、付近の森を伐採してキャンプ場が出来たりしたから、細い山道をクルマや人が行き交うようになった。河口湖周辺では他にも、斜面にキャンプ場が造られたりして、反対運動も起こっている。この町に住んで四半世紀になるが、周辺の景観の変わりようにはがっかりすることが多いのである。

forest179-7.jpgがっかりといえば、何と言っても新道峠から見た富士山の景色だろう。ここには下から歩いて登るか、御坂峠や黒岳から尾根伝いに歩くか、あるいは芦川村経由で林道をクルマで行くかのルートがあった。僕はここが富士山を見る一番のスポットで、あまり知られていないことが何よりもいいと思っていた。ところが、芦川村が笛吹市と合併し、町おこしの一環として、ここに展望台を作ったのである。

forest179-8.jpg ツインデッキと名づけられたこの地には、それ以降、一般のクルマは行けなくなって、専用のバスに限られてしまった。ところが、訪れる人が増えて費用が嵩んだことで、笛吹市はその料金を往復400円から1800円に値上げしたのである。市はこの件について、年間3700万円の赤字が出ていることを理由にしているが、これほど人気のスポットになるとは予想しなかったのだろう。

forest179-6.jpg こんなふうにして、周辺が急激に様変わりしている。クルマや人が多いのは週末に限らなくなっているから、出歩くことも時間や場所を考えてということになっている。実は富士山を眺める、ほとんど僕だけの場所がもう一つあって、そこには家から30分ほどの時間で登ることが出来る。いつ行っても誰もいないところだが、最近熊の出没が相次いでいるから、登るのを控えている。観光客とは違う困った客だが、熊にとっては自分の縄張りにやってくる人間の方こそ迷惑なのかもしれない。とは言え、我が家の周辺をうろつくことはやめてほしいと願っている。

2024年5月27日月曜日

田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』 クロスカルチャー出版

 

tamura5.jpg 監修者の田村紀雄さんはもう米寿になる。毎年のように本を出しているが、今年も送られてきた。いやいやすごいと感心するばかりだが、この本は50年前からほぼ10年おきに調査を重ねてきた、その集大成である。彼と同じ大学に勤務している時に、同僚や院生、それに学部のゼミ生を引き連れて、調査に出かけているのは知っていた.その成果は大学の紀要にも載っていたのだが、半世紀も経った今頃になってまとめられたのである。

調査をした場所は岐阜県で郡上村となっているが、このような村は今もかつても存在していない。場所や人を特定されないための仮称で、現在は郡上八幡市に所属する一山村である。田村さんはなぜ、この地を調査場所として選んだのか。それは一つの小さな集落が、電話というメディアが各戸に引かれることで、それ以後の生活や人間関係、そしてその地域そのものがどのように変化をしていくか。それを見届けたいと思ったからだった。始めたのは1973年で、まさにこの村にダイヤル通話式の電話が引かれるようになった年である。そのタイミングのよさは、もちろん偶然ではなく、情報が田村さんの元に届いていて、長期の調査をしたら面白いことがわかるのではという期待があったからだった。

「郡上村」は長良川の支流沿いにある谷間の山村で、この時点の世帯数は1200戸ほどだった。村には手広く林業を営む家があり、そこがいわば名主のような役割をしてきた歴史がある。この家にはすでに昭和4年に電話が引かれていたが、それは個人で費用を負担したものだった。戦後になって1959年に公衆電話が設置され、村内だけで通話ができる有線放送も63年からはじまったが、村外との個別の通話が可能になったのは1973年からだった。

被調査に選んだのは数十戸で、調査の対象は主として主婦だった。この村ではすでに村内だけで通話ができる電話があって、村内でのコミュニケーションには役立っていたが、村外とのやり取りが当たり前になるのは、10年後、そして20年後に行った調査でも明らかである。ここにはもちろん、仕事や学業で家族が外に出る。あるいは外から婚姻などでやって来たり、外に嫁いでいくといったことが一般的になったという理由もあった。日本は1960年代の高度経済成長期から大きな変貌を遂げ、人々が都市に集まる傾向が強まったが、この村でもそれは例外ではなかったのである。

ただし、人々の都市集中や人口の減少で、眼界集落が話題になり、最近では市町村の消滅が問題にされているが、「郡上村」の人口は現在でも、大きく減少しているわけではない。そこには電話や今世紀になって一般的になったスマホやネットだけでなく、クルマの保有や道路の整備などで、近隣の都市に気軽に出かけることが出来るようになったという理由がある。あるいは工場が誘致されて、働き口が確保されたということもあった。

しかし、この半世紀に及ぶ調査で強調されているのは、結婚によって外からやってきた女性たちの存在だった。その人たちが、村の閉鎖的な空気を開放的なものに変えていった。面接調査を主婦に焦点を当てて行ったことが見事に当たったのだった。

2024年5月20日月曜日

SNSはもうやめた

 

SNSについては今まででも熱心ということはなかった。やっていたのはTwitterとFacebookだけで、lineもInstagramにも無関心だった。Twitterは、政治や社会に対して同意できたり、参考になったりする発言をリツイートするぐらいで、自分からツイートすることはほとんどなかった。だから、フォローする人も少なかったし、フォローしてくれる人もほとんどなかった。Facebookはすでに知っている人だけに限定して、知らない人と友達になることはなかったし、「いいね」で反応することもほとんどしなかった。

そんな程度のつきあいだったから、TwitterがXに変わったことをきっかけに、アクセすることも少なくなった。FacebookはCMが増えて、商業主義的な色合いが強くなり、やたら友達候補を並べるのにうんざりして、ちょっと前から全く見なくなった。もうどちらもやめてしまってもいいのだが、やめる手続きをすることも面倒だから、そのままにしている。

そんな具合だから、自分では見たことがないのだが、有名人を騙って投資を呼びかける投資詐欺が話題になっている。警察庁の調べによれば24年1月〜3月だけで1700件が確認され、被害額は200億円を超えているそうである。よくあるのは著名人の画像を貼りつけ、本人になりすまして投資の勧誘をするというもので、本人だと思った人が、言われるままに投資して、それをだまし取られるというものである。

自分の名前をかたった詐欺で被害を受ける人がいることに怒った著名人が、lineやFacebookに対応を求めたようだが、その反応は極めて消極的だったようだ。そもそもこの手の詐欺は、広告として掲載されているからサイトの大きな収入源になっているのである。これでは詐欺の片棒を担いでいるといわれても仕方がないのだが、今のところ取り締まる法律が整備されていないから、野放し状態のようである。

詐欺といえば電話を使った〔オレオレ詐欺」が有名で、その被害も未だになくなっていない。実際僕の家の電話にも、それらしいものがよくかかってくる。迷惑電話防止モードにして「お名前を仰ってください」と告げるようにしているから、何も言わずに切ってしまうことがほとんどだが、うっかりでたら、その話に乗ってしまうことが多いのだろうと思う。

SNSは地縁や血縁の関係が弱くなった現在の社会のなかで、それに変わる人間関係の持ち方として発展してきた。それを使っていい関係を作れる場合が多いのはもちろん、否定しない。しかし-このままでは、電話に変わる詐欺の手段として使われるようになってしまうだろう。くわばらくわばらである。一番の対応策は、SNSをやめることで、そのことで不便さを感じることはなにもないだろうと思う。


2024年4月29日月曜日

地震対応に見るこの国のお粗末さ

 



taiwan14.jpg台湾の花蓮で4月3日にマグニチュード7.7の大きな地震があった。ビルが傾いたりして被害の大きさが報道された。僕は2012年に台湾一周旅行をして、花蓮にも数日滞在し、太魯閣峡谷に出かけている。海でできた分厚い石灰岩が大理石に変成し、隆起した後に、長い年月をかけて雨によって削られた場所で、何千万年という時間が作り出した絶景だった。ところがこの地震で一番人的被害が多かったのがこの地域で、がけ崩れで埋まった人やトンネルに取り残された人、あるいは交通遮断で孤立した人たちなどが多数いたのである。一度行ってその景観に圧倒されただけに、その峡谷が崩壊したらと考えただけで恐ろしくなった。

しかし、もっと驚いたのは花蓮で避難所を設置する様子で、それほど時間が経っていないのに、体育館にずらっと個室が並んでいたのである。まだ被災者がほとんどいないのに食べ物や衣料など、必要なものも整えられているという報道だった。日本では正月に能登の地震があって、相変わらずの体育館に雑魚寝の様子が伝えられていたから、その違いに驚かされた。

jisin1.jpg jisin2.jpg


花蓮は最近でも2018年と22年に大きな地震に見舞われていて、その度に大きな被害を受けている。だから地震に対する備えが出来ていたのだろう。報道では、台湾の災害対応は1999年の地震以後に日本から学んだということだった。花蓮では2018年の地震でうまく対応できなかったことを反省して、必要なものの備蓄を整え、人々の訓練も行われてきたと報じられた。傾いたビルの撤去がすぐに始まったことにも感心させられた。花蓮では23日にも大きな余震があってビルが傾くなどの被害があった。おそらくまた迅速な対応をしているのだと思う。

ところが日本では能登地震から4ヶ月が過ぎようとしているのに、未だに避難所生活をしている人がいる。家が住める状態だとしても、上下水道が普及していないところが多いようだ。仮設住宅の建設もほとんど進んでいないのである。倒壊した建物や、破損したクルマがそのままに取り残された光景を見ると、4ヶ月も経っているのに、いったい何をしているんだろうと怒りたくなる。

もっともテレビは、そんな普及の遅さを批判的に伝えたりはしない。水道が使えないのにレストランやカフェを営業しているなどといった事例を美談のようにして紹介するものが多いのである。政府や県の対応のまずさ、というよりはやる気のなさが目立つのに、強く批判するメディアがほとんどないという現状には呆れるばかりである。ネットでフリーのジャーナリストの現地報告を何度か聞いたが、能登の人たちがまさに棄民状態に置かれたままであることを一様に話していた。被災した人たちの政府や自治体、そしてメディアに対する不信感はかなりのものようだ。政治もダメだがジャーナリズムもダメ。この国のお粗末さは、いったいどこまでひどくなるのだろうかと空恐ろしくなる。


2024年4月22日月曜日

散々な一日

 

河口湖の桜が満開になりました。自転車で湖畔一周と行きたかったのですが、ちょっと前から軽いぎっくり腰になってしまいました。その前も、雨が多くて、なかなか行ける日がなかったのです。腰の痛みもだいぶ取れ、天気も良かったので、一ヶ月ぶりに自転車に乗りました。ところが湖畔は人やクルマで大賑わいで、渋滞箇所もあちこちにあって、すいすいとはいけない状態でした。

止まっているクルマの脇を通り抜けようとした時に、溝にはまってこけてしまいました。足の擦り傷ぐらいでたいしたことはなかったのですが、タイツは破けてしまいました。クルマに乗っていた人が驚いて、「大丈夫ですか?」と声をかけてきて、かなり驚かしてしまっただろうと思いました。少し血が出ていましたが家に帰って、傷の手当てをしていると、肩が痛くなってきました。自転車は何ともなかったですし、この程度ですんでよかったと思ったのですが、自転車はしばらくやめることにしました。

virus1.jpg 夜になると肩の痛みがだんだんひどくなったのですが、パソコン(iMac)を開けるといきなり、画面がフリーズして、「あなたのパソコンに『トロイの木馬』というウィルスが侵入しました。すぐにAppleセンターに電話をしてください」という表示が出てきました。35年近くパソコンを使ってきましたが、ウィルスにやられたことはありませんでした。そこで疑えばよかったのですが、画面にある電話番号に電話をしてしまいました。

するとインド訛りの日本語を話す人が出て、「すぐに対応しないとパソコンが壊れます」と脅してきました。どうしたらいいと聞くと、修理に3万円かかります。至急コンビニで払ってくれれば直しますという返事でした。それでこれは怪しいと思い、いろいろやり取りをしましたが、相手はコンビニで3万円を繰り返すばかりでした。Appleはそんなことでお金の請求をするはずがありません。そう言って、コンビニに行く気はないとこちらも繰り返すと、結局相手が諦め、「30分後に再起動したら戻ります」と言って電話を切りました。再起動すると、確かに何事もなかったように立ち上がりました。

ほっと一安心ですが、パソコンのデータを抜き取られたのではと心配になりました。そこでAppleのサポートに電話をして、相談することにしました。待ち時間が長かったですが、親切に対応してくれ、まあ大丈夫だろうということになりました。ところが一緒に立ち上げていたMacbookがフリーズして動かなくなっていました。Apple サポートと画面を共有する作業をしている時にiMacではなく、Macbookが反応していましたから、これが原因だろうと思いました、もういちどAppleに電話をしたのですが、すでに9時を過ぎていて終了していました。この間、肩の痛みは忘れていたのですが、寝る時に寝返りできず、痛くて何度も目を覚ましました。散々な目に遭った一日でした。

翌朝もう一度、Apple に電話をしました。Macbookのフリーズは相談する直前に直ったのですが、他にもう一つ、古いIDで買ったソフトが更新できなくなったという問題がありました。詳細は省きますが、共有画面にして長時間あれこれ試みて、うまくいきました。こういう時のAppleの相談員は丁寧で感心します。それにしてもiMacは2012年製で、システムの更新もありません。主な使用はMacbookにしなければと思うのですが、大きな画面に馴れているのでなかなか決断できないのです。


2024年4月15日月曜日

エドワード・E.サイード 『オスロからイラクへ』『遠い場所の記憶 自伝』みすず書房

 

ハマスのイスラエル襲撃以来、パレスチナのガザ地区攻撃が半年も続いている。すでに3万人以上の死者が出て、建物の半数以上が破壊され、人口の7割以上が難民となり、食糧危機の中にあるという。ハマスによってイスラエルにも多くの死者が出て、人質にもとられているとは言え、これほどの仕打ちをするのはなぜなのか。そんな疑問を感じてサイードの本を読み直すことにした。

said1.jpg エドワード・E.サイードは『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』などで知られている。そして、パレスチナ人であることから、イスラエルとパレスチナの関係については両者に対して鋭い批判を繰り返してきた。『オスロからイラクへ』は、彼の死の直前まで書かれたものである。それを読むと、現在のような事態が、これまでに何度となく繰り返されてきたことがよくわかる。このアラブ系の新聞に連載された記事は1990年代から始まっているが、この本に記載されているのは2000年9月から2003年7月までである。

題名にある「オスロ」は、1993年にノルウェイの仲介で締結された「オスロ合意」を指している。「イラク」は2001年9月に起きた「アメリカ同時テロ事件」と、その後に敵視されて攻撃され、フセイン政権が倒されたことである。「オスロ合意」はイスラエルの建国以来続いていた紛争の終結をめざして、イスラエルを国家、パレスチナを自治政府として相互が認めることに合意したものだった。この功績を讚えてパレスチナのアラファト議長、イスラエルのラビン首相、ペレス外相にノーベル平和賞が授与されたが、紛争はそれ以後も続いた。サイードはこの合意を強く批判した。イスラエルは建国以来、パレスチナの領土を占領し、住居を破壊し、それに抵抗する人たちを殺傷してきたが、アラファトがそれを不問に付したからだった。

そんなイスラエルの横暴に対して、パレスチナは2000年9月に2度目の「インティファーダ(民衆蜂起)」を行った。この本はまさに、そこから始まっていて、イスラエルの過剰な報復を非難し、また「インティファーダ」の愚かさを批判している。アメリカで同時多発テロが起こると、イスラエルはパレスチナを同類と見て、いっそうの攻撃をするようになる。白血病を患って闘病中であるにもかかわらず、それに対するサイードの論調は激しさを増していく。サイードの批判の矛先は、イスラエルの後ろ盾になっているアメリカ政府と、パレスチナの現状を無視したアメリカのメディアにも向けられている。しかし、彼の声は、アラブ系の雑誌であるために、アメリカにもヨーロッパにも届かない。

said2.jpg サイードはパレスチナ人でエルサレムに生まれているが、実業家として成功した父のもとで、エジプトやレバノンで少年期を過ごしている。父親がアメリカ国籍を取得したために、エドワードもアメリカ国籍となり、エジプトのアメリカン・スクールに通って、プリンストン大学に進学し、ハーバードで博士号を取得している。『遠い場所の記憶』はそんな少年時代から大学を卒業するまでのことを、主に父母との関係や親戚家族との暮らしを中心に語られている。豊かなパレスチナ人の家庭で成長し、イスラエルの建国を少年期に体験して、アメリカ人として大人になった。そんな複雑な成り立ちを辿りながら、絶えず見据えているのは「パレスチナ」の地と、そこに暮らし、悲惨な目に遭い続けている人びとのことである。

この2冊を通してサイードが思い描き、力説し続けているのは、ユダヤ人とパレスチナ人が共生しあって作る一つの国家である。それは夢物語だと批判され続けるが、それ以外には解決の道がないことも事実だろう。サイードが亡くなってからすでに四半世紀が過ぎて、また同じ殺戮が繰り返されている。もう絶望しかない状況だが、それでも、サイードが生きていたら、「共生」にしか未来の光がないことを繰り返すだろう。そんなふうに思いながら読んだ。

2024年4月8日月曜日

大谷騒動とメディア

 

メジャーリーグが始まったが、今年は今一つ、楽しめていない。理由は言うまでもなく、水原一平通訳が起こした出来事だ。振りかえれば、大谷選手の移籍の動向以来、ネットもテレビも大騒ぎだった。確実な情報がほとんど出ないから、憶測記事が氾濫して、それがドジャースに決まるまで続いた。ロスからトロントに向かう飛行機に大谷が乗っているのではといった記事が出て、それが間違いだったと訂正されて、大谷獲得を狙う球団やファンを大慌てさせたりした。

このあたりのニュースはネットの方がはるかににぎやかだったが、入団会見から山本投手のドジャース移籍、そしてキャンプ開始になると、テレビのワイドショーはもちろん、ニュース番組までが、大きく取り上げたから、もういい加減にしろよと言いたくなった。で、結婚していることの突然の発表である。その日は国会で政倫審の中継があったが、NHKは放送中に大谷選手結婚のニュースをテロップで流したのである。実際、国会もすっ飛ぶ話題で、その日の報道番組は、その話で持ちきりだった。

ohtani5.jpg 結婚相手は「普通の日本人の女性」という以外明かされなかったが、ネットではすぐに、バスケットの選手ではないかといった記事が載るようになった。それがほぼ確実だとわかっても、テレビはそのことを明示しなかった。大谷選手の機嫌を損ねてはいけないという配慮だったのだろう。開幕戦は韓国のソウルでパドレスとおこなう。それに向けて飛行機に乗る画像を大谷選手がインスタグラムに載せ、そこに結婚相手も写されていた。で、田中真美子さんという名前であることが明らかになった。

ここまでは、大谷選手のメディア操作は見事だったが、初戦のダルビッシュや松井との対決で盛り上がった後、一夜明けて、大変なニュースが飛び込んできた。水原通訳がドジャースを解雇されたという目を疑うような見出しだった。ギャンブルにのめり込んでいて、大谷の口座から450万ドルあまりを盗んで返済に充てていたというのである。そこから後の騒ぎは、もう大谷の手に負えるものではなく、野球の試合そっちのけで、さまざまな憶測記事が氾濫することになった。

アメリカに戻って、大谷選手が事の経緯を自ら発表すると、日本ではそれを信じて納得するという論調が多かった。しかしアメリカでは邪推も含めて、批判的な記事が多く出た。水原元通訳についても、経歴にあった大学に在籍した記録がないといった記事が出て、実は通訳としても有能ではなかったなどとも言われるようになった。ギャンブルにのめり込んだのは大谷で、水原はスケープゴーツにさせられたのではといった憶測も出て、アメリカではもう手に負えない感じだが、日本ではメディアもネットも、大谷を批判する発言は目立っていない。

アメリカに戻ってからも、彼はすべての試合に出て、ベンチでも明るく振る舞っている。しかし、信頼していた相棒が裏切りという形でいなくなって、その一端は彼にも責任があるのだから、心中は穏やかではないだろう。ホームランが出なくたって無理もない。そう思って見ていたら、9試合目でやっと出た。するとシカゴに遠征した試合でもう一本。日本人選手4人が出るシリーズで、しかも4人とも大活躍だった。もっともっとやってほしいが、あまりに派手になると、ジャパン・バッシングが起こるかも知れないといった心配もしてしまう。大谷選手にまつわる報道には、嫉みや人種差別を感じるものが少なくないからである。


2024年2月26日月曜日

TVにもの申す市民ネットワークを

 

テレビがひどいことについては、このコラムでも何年も前からくり返してきた。しかしますますひどくなるばかりで、もう取りあげる気にもならないのが現状だ。しかも、ジャニーズや吉本関連など、TV自体がスキャンダルに深く関わっているのに、そのことについて、まともに発言すらしないのである。ぼくはそんなテレビに絶望しているが、何とか生き返らせようとして立ち上がった人たちがいる。

「テレビ輝け!市民ネットワーク」は田中優子、前川喜平などが中心になって始めた運動である。その趣旨は、1)報道機関としてのテレビに本来の役割を果たさせることで、具体的には、2)株主提案権の行使という取り組みにあって、テレビ朝日の株を3万株(約6000万円)購入して、株主総会で株主提案を行うのである。テレビ朝日をターゲットにしたのは「報道ステーション」におけるコメンテーターやスタッフの降板を、テレビ報道の危機の典型としているからである。

テレビに対する権力の圧力は安倍政権から強くなった。批判的なキャスターやコメンテーターが降ろされ、提灯持ち的な人が大きな顔をするようになって久しい。それはもちろん、テレビ朝日に限らないし、民放よりは NHKの方がもっとひどいと言えるだろう。だから今度の動きは、テレビ朝日をとっかかりにして、他の民放、そしてNHKに広げていくという流れを狙う、その第一歩なのである。

その共同記者会見で前川氏は「経営側は番組の制作や報道の自由に余計なことをするな、外部の権力に忖度や迎合をするなと。権力には政治権力もあるが、民間もある。ジャニーズ事務所や吉本興業は民間の権力。そういうのに忖度するのもいかん。放送事業者の独立性を担保する」と発言した。この会は前川喜平を社外取締役として推薦することも予定しているが、テレビ朝日がこの動きにどう対応するかは見ものだろう。その株主総会は6月に開催される。

もちろん、これだけでは動きは単発に終わってしまう。おそらくテレビ各局は、これをニュースとして報道することをいやがるだろう。テレビ局と新聞社は「クロスオーナーシップ」(相互依存)で繋がっているから、当たり障りのない取り上げ方しかしないに違いない。だから、つづけて他の民放でも同じような動きをしていく必要がある。果たして賛同者が増えて、大きな運動になるのだろうか。

1年ほど前に会長の任期満了を控えたNHKに前川喜平を会長にという動きがあった。 NHKの会長は公選ではなく経営委員会が任命するから、現実的には不可能なことだったが、ある程度の話題にはなった。今回の市民ネットワークの動きはこれにつづくものだったのだろう。その意味では一時的なものではなく、これからも持続する動きを狙っているはずである。テレビが輝きを取り戻すことなど期待しないが、せめて膿を出すぐらいの力にはなって欲しいと思う。

2024年2月5日月曜日

国政を改革する法律は国会議員には作れない

 

自民党の安倍派を中心にしたパーティ収入のキックバックの問題は、大山鳴動ネズミ一匹で、収束してしまった。数名の議員と会計責任者の逮捕でしかなかったのだが、自民党は刷新改革と称して、派閥の解消でやり過ごそうとしている。しかし問題は自民党の改革ではなく、議員の不正行為については議員自身に罪を負わせる連座制を法律に定めることにある。もっともパーティで得た収入を裏金にしたのは脱税だから、やる気になれば検察は有力議員の逮捕に踏み込めたはずだが、それをしなかったのは、政権に忖度をしたといわれても仕方がないだろう。

日本の国政は衆議院と参議院の二院政で、定数はそれぞれ480人と242人である。この数は決して多くはない。と言うよりはOECDの中ではアメリカに次いで少なく、100万人あたり3.7人である。ちなみに韓国は6.2人、イギリス、イタリアは10.4人で、北欧諸国は30人台で、一番多いのはアイスランドの210人である。しかし、私利私欲に走る国会議員ばかりが目立つから、議員が多すぎると感じてしまう。

国会は立法機関で、さまざまな法律を決めることを主な仕事にしている。しかし、安倍政権以降、行政機関である内閣が「閣議決定」を連発して国会軽視の姿勢を取りつづけている。実際安倍首相は「私は立法府の長」と言い放ったのである。衆議院も参議院も自公の安定多数だから、国会の採決に任せたって政権の意向通りになるのだが、国会での議論もすっ飛ばしてしまえという傲慢な姿勢が、10年以上もつづいているのである。これでは国会議員は無用の長物になってしまっている。

ろくに仕事をしていないのに、歳費は高く、活動費などももらい、議員一人あたりの収入は4000万円を超えるようだ。もちろん、新幹線のグリーンや飛行機もただである。この額はシンガポール、ナイジェリアに次いで世界第3位で、アメリカの2倍、イギリスの3倍である。このお金にはもちろん、税金が使われているが、政党にはそのほかに「政党助成金」が交付されていて、総額は300億円を越えている。他方で、国民の平均収入はバブル崩壊以降停滞しつづけていて、OECD34カ国の中で20位以下に落ちているから、議員の収入の多さが一層際立つのである。

にもかかわらず、自民党の議員はパーティと称して企業献金を集め、それを明記せずに隠し金を蓄えてきた。さまざまな面で、日本が今難しい状況におかれていて、それを解決するために働かなければいけないのに、やっているのは「今だけ金だけ自分だけ」なのである。今肝心なのは、議員の収入を国民の年収に合わせて下げることと、政治資金規正法を厳格にすることだろう。それを国会で決めるのは、泥棒が泥棒を取り締まる法律を作ることになるわけだから、第三者機関を作って決めて、ざる法にならないよう監視する以外にないだろう。それを認めさせるのは世論の高まりだが、メディアの論調は頼りない。

2024年1月22日月曜日

中村文則『列』(講談社)

 
中村文則については、毎日新聞に月一で連載している「書斎のつぶやき」という名のコラムで知っていた。時事的な問題について分かりやすい文章で、彼の発言には共感できることが多かった。小説家で、芥川賞を取っているし、新潮新人賞や野間文芸新人賞、大江健三郎賞の他に、英語に翻訳されて、アメリカでも賞を取っている。読んで見たいと思って、さて何を選ぼうか迷っていたら『列』という新作が発表されて、話題にもなっているという記事を目にした。「列」とはタイトルだけでも面白そうだ。そう思ってアマゾンで手に入れた。

retu1.jpg 列に並んでいる主人公には、それが何のための列なのかわからない。それでもそこから外れるわけにはいかないと思っている。その列はほとんど前に進まないから、いらいらしたり、不満を漏らしたりする人もいる。身体を左右に揺らす動きを、気になると後ろから注意されてムッとするが、そこからやり取りが始まったり、前にいる女性と親しくなったりもする。まったく進まないと諦めて列を離れる人がいて一歩進むと、それが無上の喜びのように感じられたりもするのである。

主人公はニホンザルの生態を研究していて、大学では非常勤講師の肩書きである。いつかはあっと驚くような論文を書きたいと思っているのだが、観察している猿からそんなヒントを得ることはほとんどない。だからいつまで経っても、大学のポストを得られないでいる。で彼の助手のようにして一緒に調査をしていた大学院生の若者が、自分も応募していたポストを得たり、以前につきあっていた彼女といい仲になっていたりということになる。

読んでいくうちに「列」とは「序列」のことなのだと気づくようになる。実際私たちは、物心ついた時から「序列」を意識させられるようになる。勉強や運動の能力はもちろん、親の収入や社会的地位などが’、自分を評価する尺度になっている。そしてその意識を外れて生きることはなかなか難しい。何しろ人間が「序列」の中で生きる生き物であることは、社会学でも基本的な特徴だとされているのである。

僕が若い頃に流行ったことばに「ドロップ・アウト」がある。「列」を意識して立身出世のために努力することなどばからしい。僕が社会学に興味を持った理由には、そんな「列」に囚われる人間の特徴に対する疑問もあった。けれども、僕もやっぱり、この分野で生きていくには評価される論文を書いて、どこかの大学のポストにつかなければ、という競走の「列」に巻き込まれることになった。しかも、長い間非常勤がつづいたから、主人公の気持ちは痛いほどわかった。


主人公は結局最後まで列に並んでいた。先が見えず、最後尾も見えない列に、地面に「楽しくあれ」と書いて並んでいる。何とも切ない気になるが、これが確かに現実なのだとも思った。そんなにがんばらなくたって楽しく生きる仕方はないものか。豊かな社会になったはずなのに、ますます、「列」に囚われるようになった社会はやっぱりおかしい。退職して少しだけ「列」から自由になって、つくづく感じることである。