2000年12月31日日曜日

目次 2000年

12月

30日:目次

25日:Tracy Chapman "Telling Stories"

18日:井上俊『スポーツと芸術の社会学』( 世界思想社 )

11日:"花はどこへ行った"

4日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その3;「孤独」について

11月

27日:BBはまだ当分だめのようだ

20日:やれやれ、で秋も終わり

13日:村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』( 文春新書 )

6日:M.Knopfler, The Wall Flowers

10月

30日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫)から その2;「生きること」について

23日:釣りとコスモス

16日:オリンピック・野球・サッカー

9日:AOL、NTT、Amazon、そしてMS

2日:井上摩耶子『ともにつくる物語』 (ユック舎)

9月

25日:H.D.ソロー『ウォルデン』(ちくま学芸文庫) その1

18日:嘉手苅林昌「ジルー」

11日:"Buffalo66'" "Little Voice"

4日:夏の終わりに

8月

28日: 鈴木慎一郎『レゲエ・トレイン』青土社 R.ウォリス、C.マルム『小さな人々の大きな音楽』現代企画室

21日:ジャンク・メールにつられて

14日:オリンピックのテレビはどうしようかな?

8日:HANABI! はなび!! 花火!!!

1日:Neil Young "Silver and Gold" Eric Clapton "Riding with the King" Lou Reed "Ecstasy"

7月

24日:伐採と薪割り

17日:多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他

10日:掲示板を作ろうかな?

3日:桑の実と木工

6月

26日:中山ラビ・コンサート 吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18

19日:村上龍『共生虫』講談社 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』新潮社

12日:高速道路で聴く音楽

6日:テレビと広告

5月

29日:携帯とメール

22日:仲村祥一『夢見る主観の社会学』世界思想社

15日:森の生活

8日:Buena Vista Social Club Force Vomit"The Furniture goes up" 猪頭2000 Fiona Apple"When The Pawn"

4月

27日:『うなぎ』今村昌平監督、役所広司、清水美砂 『菊次郎の夏』北野武監督

20日:プロバイダについてなど

12日:春を見つけた

5日:話すことと書くことの関係

3月

29日:鈴木裕之『ストリートの歌』世界思想社

22日:The Thin Red Line

15日:第3ステージのスタート

8日:Stereophonics "Word gets around" "Performance and cocktail"

1日:火に夢中 G.バシュラール『火の精神分析』せりか書房

2月

23日:最近見た映画

16日:インターネット・ビジネスって何?

9日:ポール・オースター『リヴァイアサン』新潮社

2日:冬の富士

1月

26日:忌野清志郎『冬の十字架』、頭脳警察『1972-1991』

19日:免許証更新で考えたこと

12日:清水学『思想としての孤独』講談社

5日:「御法度」

2000年12月25日月曜日

Tracy Chapman "Telling Stories"

 

・トレーシー・チャップマンのニュー・アルバムは"Telling Stories"という曲から始まっている。いつもながらの静かな歌い方とシンプルなサウンドで、いつもながらに語ってくれるのは、本当に深みのある「物語」だ。彼女のような人を吟遊詩人というのだなと、つくづく思った。

あなたの記憶のページの行間にはフィクションがある
書くのはいいけど、物語りじゃないなんてふりをしないで
あなたと私のあいだにはフィクションがあるんだから
あなたと現実のあいだにはフィクションがある
ありきたりでない毎日を生きるために何でも言えるしできるけれども
あなたと私のあいだにはフィクションがある
………
でも、時には嘘が最良のことだっていう時もある
"Telling Stories"

・現実は虚構とは違うけれども、現実はまた虚構なしには成り立たない。私という存在、私とあなたの関係、そして社会や世界の意味など、あらゆる現実は虚構によって支えられている。けれども、私たちはそのことを忘れるし、隠そうとする。現実と虚構の関係は、たとえば社会学でも一番の根源的なテーマだが、そんな問題をさらっと歌われると、今さらながらに歌の強さを思い知らされてしまう。トレーシーの声は穏やかだが、それだけに、聞くものの心の奥深くに訴えかけてくるようだ。


・トレーシーは1988年にアルバム・デビューをした。その時の一曲目は「革命について語ろう」で「奴らが革命についてささやきあっているのを知ってる?福祉を受け、失業で時間を浪費して、それでも昇進を待っている人たち。その境目の外にいる貧しい人たちよ立ち上がれ!もっともっとよくなれる。テーブルを回転させて、革命の話をしよう。」(Talkin' bout A Revolution)アルバムにある写真はまるで少女のようで、そのしずかな歌い方とあわせて、強烈な歌詞との違いに驚いたことを今でもよく覚えている。ディランのデビュー30周年記念のコンサートに出演したときにはじめて彼女を見たが、「時代は変わる」を歌う姿に、ディランの後継者という感じを一番受けた。女性であることと黒人であることが、時代の流れをいっそう強く印象づけられた気がした。そのような意識や姿勢は、彼女の出したアルバムすべてに貫かれていて、"Telling Stories"でも顕在だ。

鏡に手をふれて、表面の水を拭った
そこに映ったのは虚飾を取り去った私の素顔
お金はただの紙とインク
私たちは合意できなければ壊れるだけ
世界はどうして変わってしまったの?
太陽を作ったのは誰?
海を所有するのは誰?
私が見ている世界はバラバラに切り刻まれている
"Paper and Ink"

・ぼくは音楽雑誌を読まないし、彼女の伝記も持っていないから、プライベートなことは何も知らない。それでちっとも物足りなくない。彼女の風貌はデビュー以来ほとんど変わっていないし、声も歌い方もサウンドも同じだ。ただ違うのは歌の中身。つまり彼女が語る物語だ。それを聴いていると、どこでどう生活しているのかいっさいわからなくても、今という時代をしっかり見つめて歌をつくっていることがわかる。こんなミュージシャンが自分のペースで歌い続けていられることは、現代ではおそらく奇跡に近いのかもしれない。
・RadioHeadのニュー・アルバム"Kid A"は対照的に、これまでとすっかり変わったサウンドだった。変わったというより、どう変わろうとしているのかわからない、混迷さに当惑してしまう感じだった。変わることへの強迫観念。「紙とインク」に目が眩んだのだろうか。少なくともぼくは、全然いいと思わなかった。もっとも、すっかり居直ってしまった感のあるU2よりは、揺れている分だけでもましなのかもしれない。Tracyと聴き比べると、彼女の確かさばかりが目立ってしまう。

2000年12月18日月曜日

井上俊『スポーツと芸術の社会学』( 世界思想社 )

  • 井上俊さんに出会ったのはぼくが大学院生の時だから、もう30年前になる。新進気鋭の社会学者の授業を受けるというので、興味津々で教室で待ち受けていたが、その若くて華奢な姿に驚いてしまった。そんな記憶が今でも鮮明に残っている。権威のかけらもない姿勢につられて、好き勝手な話ばかりした気がするが、一方で英語の文献をしっかり読む習慣もつけてもらった。大学の教師には教員免許が必要ではないし、教育実習もない。しかし、ぼくにとっては井上さんが学生と接する仕方のモデルになったことはまちがいない。
  • 手本にしたのはそれだけではない。ちょうど最初の著作である『死にがいの喪失』(筑摩書房)が出て、その一見平易な文体と緻密な論旨に感心して、それを自分のものにしたいとまねをした。当時は読む価値のある本は難しいものだという常識があって、その難しい中身をどれほど理解しているかが、良くできる学生のバロメーターであるかのような風潮があった。何度読んでもわからない本に自信を失うことも多かったから、井上さんの本には救われた気がした。
  • そんな井上さんが柔道をやっていると聞いたのは、それからしばらくたってのことで、およそかけ離れている気がして、黒帯姿などはとてもイメージできなかった。柔道は体育会系の中でもとびきりの単細胞で右翼チックな連中のやることと思っていたからだが、この本を読んで、高校生の時に有名な三船十段と知り合ったのがきっかけだと知って、何十年ぶりかで疑問が解決した。
  • 柔道について再認識した点をもう一つ。柔道は日本の伝統的なスポーツと考えられているが、実は極めて近代的なものであり、嘉納治五郎がつくった講道館柔道が柔術の近代化を意図してできたものということ。
    柔道は、単に近代にふさわしいマーシャル・アートであるにとどまらず、近代化にともなう社会の変動のなかでなおかつ変わらない日本人の民族的アイデンティティを象徴する身体文化としての性格もあわせもつことになった。その意味で、柔道は「近代の発明」であると同時に、E.ホブスボウムらのいう「伝統の発明」の一形態であったといえよう。(100-101頁)
  • そう、「伝統の発明」。たとえばブルースだって、フォークソングだって、伝統の中に埋もれていた音楽が再発見され、時代に合うよう作り直されたもので、新たな発明という要素がなければ、埋もれたままでしかなかったのである。嘉納治五郎が目指したのは、本書によれば、日本の近代化とその世界への認知。それは彼が日本のオリンピック参加の推進役になったことでも明らかである。近代国家としての日本を欧米に認識されるために重要な役割を果たしたのが柔道だったという指摘は、おもしろいと思う。柔道に日本的な精神主義が付加されたのは軍国主義以降のことだったのである。
  • 本書のテーマにはスポーツの他にもう一つ「芸術」がある。ただしここで問われている芸術は美術や音楽といった狭い範囲のものではなく、文学、あるいはスポーツをも含む広いものとして扱われている。そこでキイワードとなるのは「物語」である。日常の経験と物語は違う。しかし「人間の経験は物語の性質を持つ」。日常生活を意味づけ確かなものに感じさせるのは、古くは神話や伝説であったし、今では小説や映画、あるいはテレビドラマがある。そのようないわば「文化的な要素としての物語」は次に、私たちが自らを認識したり、他者に示して見せたり、また他者を理解したりするために必要な「相互作用としての物語」に影響する。私たちのなかには例外なく、自分をよりよいものとして他人に見せたいという欲求がある。「自己創出的な相互作用儀礼」。実人生のなかでも、人はドラマを演じるものなのである。
    まず人生があって、人生の物語があるのではない。私たちは、自分の人生をも、他人の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る。あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく……そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。この意味で、私たちの人生は一種のディスコースであり、ディスコースとしての内的および社会的なコミュニケーションの過程を往来し、そのなかで確認され、あるいは変容され、あるいは再構成されていくのである。(163頁)
  • 現代はしっかりとした神話や伝説が失われた反面、様々な物語が氾濫する世界。自己を縛る古くさい慣習からは解き放たれたが、それに代わる自分なりのアイデンティティを見つけなければならない社会。生きられる私を意味づける材料には事欠かないが、逆に確かなものは見つけにくい。文学や音楽や映画、そしてスポーツが、魅力的な物語を供給する手段であり、それが私を物語るための材料になることは間違いないが、それで私のすべてが語りつくされるわけではない。だから次々と新しい物語を必要とし、片端から消費して捨てられる。多様な物語に満ちた世界はまた、私の経験そのものをも確かなものにしにくい世界なのかもしれない。
  • 不確かな物語に依拠して示される自己や他者やその関係は、たえず、そのほころびを露呈する危険につきまとわれる。だから私はいつでも自分が嘲笑や不信の原因になることにおそれと不安感をいだく。若い人たちに感じる言葉遣いや相手との距離の取り方には特に、そんな心理を感じることが多い。しっかりしろと言いたくなるがしかし、そこに向けられる井上さんの視線はきわめて優しい。
    物語への感受性はまた、物語の裂け目やほころびへの感受性でもある。どんな巧みな物語も、多様なバージョンも、人とその人生の全体を覆いつくすことはできない。たしかに私たちは、物語によって相互に理解しあい、関係をとり結んでいるが、同時に一方では、物語によってというよりはむしろ、互いに語りあう物語の裂け目やほころびによって、かえって深く結びつくことも少なくないのである。(164頁)
  • 2000年12月11日月曜日

    花はどこへ行った


    ・NHKのBSで「世紀を刻んだ歌・花はどこへ行った」を見た。「花はどこへ行った」はピート・シーガーの代表作だが、番組はこの歌にまつわるさまざまなエピソードと、現在でもなお集会に呼ばれて歌い続けるシーガーを紹介していた。次々とおこるブームや流行とは関係なく、主張を持った音楽に生き続ける老いたミュージシャンの元気な姿に、ぼくは感銘を受けた。
    ・実はこの番組はハイビジョンで数ヶ月前にも見た。で、そこで紹介されていた"Where have all the flowers gone, The songs of Pete Seeger"をAmazon.comに注文した。このアルバムはシーガーの歌40曲をさまざまなミュージシャンが歌っているもので、「花はどこへ行った」を受け持っているのはアイルランドのフォーク・シンガーであるトミー・サンズ。その他、ブルース・スプリングスティーンが"We shall overcome" を歌い、『仕事』や『アメリカの分裂』で有名なジャーナリストのスタッズ・ターケルが朗読もしている。
    ・アルバムを手にしてから何度も聞いていたこともあって、番組もまたくりかえしじっくり見てしまった。『花はどこへ行った』はシーガーがショーロホフの小説『静かなドン』からヒントを受けてつくった。しかし、小説に登場する少女の歌はコザック兵のあいだで歌われていたものらしい。ロシアのフォーク・ソングが小説に取り上げられて、そこからさらに、アメリカのフォーク・ソングに生まれ変わる。その経過に興味をもったが、さらに驚いたのは、シーガーがつくったのは3番目までで、その後はまた別の人がつけくわえたということだった。最初の歌詞は

    花はどこへ行った  少女が摘んだ
    その少女はどこへ行った  若い男と一緒になった
    その若い男はどこに行った  戦場に行って死んだ

    だけだったが、そこに次のようにつけたされた。

    死んだ兵士はどこへ行った  お墓に入った
    その墓はどこへ行った  花で覆われた

    つまり、これで元に戻るような構成になったわけだが、物語としては、このほうがずっと奥行きも広がりもでてくる。で、もちろんピート・シーガーはそれを受け入れて、5番目まで歌うことにした。
    ・この話を聞いて、これこそフォーク・ソングの出来方のモデルだと思った。つまり、一つの曲を互いには無関係な何人もの人が練り上げる。歌い継がれる過程で変容するのがフォーク・ソングの一番の特徴で、そこでは、オリジナリティとか誰が版権を持つといった所有権や利害は問題ではない。「花はどこへ行った」は、シーガーがこのようなスタイルを貫いた最後のフォーク・シンガーだったことを改めて証明した。そのことを一方に置けば、フォーク・ソングを源流の一つにするロックやポップがほんの一時だけ売れる金儲けのための音楽になりすぎていることがいっそうはっきりしてくる。
    ・テレビ番組はその他に、この歌にまつわる人たちの物語を取り上げた。たとえばマリーネ・デートリヒ、あるいはアイススケーターのカタリーナ・ビット。2人ともドイツ人で、デートリヒは第2次大戦、ビットはサラエボという2つの戦争について、その悲惨さを訴えて歌い、あるいは滑った。それはそれで、いい話しとしてつくられていたが、しかし、デートリヒはヒトラー、ビットは旧東ドイツの権力者に寵愛されたスターだった。彼女たちが反戦のメッセージを公言した裏には、そのような批判を払拭するという狙いがあったと言われているが、番組ではなぜか、このことにはふれなかった。だからその分、番組の主張がきれい事になってしまった気がした。
    ・実は「花はどこへ行った」のアルバムの他に、Amazon.comで見つけたものが他にもあって、その一つが60年代にフォーク・ソングの情報を伝える雑誌として有名だった『ブロードサイド』に紹介された歌を集めたアルバム。ぼくはこれが1988年まで出され続けていたことに、また驚いてしまった。アメリカ人は移り気で派手好きだが、しかし同時に地道で根気のいる活動もしている。前記した『花はどこへ行った』も含めて、日本でくりかえし出される『フォーク大全集』といった商品という意味しかないものとの違いを感じざるを得なかった。
    ・BSデジタル放送が始まった。あまり期待しないが、このような番組がつくられ放送されるとしたら、その存在価値は高まるだろうと思った。

    2000年12月4日月曜日

    H.D.ソロー『ウォルデン』その3「孤独」について

     



    ・紅葉の季節が終わったら、あたりは茶色の世界になった。木の幹や枝、落ち葉、それに久しぶりに見せ始めた地肌。季節は色によって変わる。こんな感覚もずいぶん久しぶりに味わう気がする。色と言えば空。寒くなって乾いてきたせいか、本当に真っ青になった。急に気温が下がって、最低は氷点下。だから早朝は必ず河口湖でできた霧が、森にやってくる。ほんの一時期立ちこめて、さっと消えると、抜けるような青空。夏の間は聞かなかった鳥の鳴き声がまたするようになった。シベリアあたりから戻ってきたのだろうか。「久しぶりだね。元気で何よりでした。」と言いたくなってしまった。 森の中の生活は、冬になって訪れる人が少なくなっても退屈することがない。


    ほとんどの時間を一人で過ごすことは健康的だとぼくは思う。たとい相手が選りぬきの人でも、誰かといっしょにいるとすぐに退屈し、疲れてしまう。ぼくはひとりが大好きだ。孤独ぐらいつきあいやすい友にぼくは出会ったためしがない。自分の部屋から出ないときより、どんどん人中に出ていくときのほうが、ふつうはずっと寂しいものだ。考えたり働いたりしていると、人はどこにいようといつも一人だ。(『ウォルデン』206頁)


    ・もちろんぼくはここで一人で暮らしているのではない。しかし、パートナーはできたばかりの工房で、ほとんど一日中、土と戯れている。だから食事のとき以外は顔を合わすこともない。いっしょにすることと言えば、週に一回の町への買い物ぐらいのもので、後はそれぞれ好き勝手なことをやっている。ぼくは部屋でパソコンとにらめっこをしているか、ストーブにあたりながらのテレビか読書。そしてもちろん外に出て薪割り。親しくなったこの地区の管理人さんが近くで伐採した木を運んできてくれる。それを自分で運べる大きさにチェーンソーで切って、庭まで持ってくる。そんなことをしていると、冬の太陽はあっという間に山に隠れて、夕闇がやってきてしまう。本当に一日が短い。

    ・ここに引っ越してからパートナーはほとんど遠出をしていない。東京に仕事に出かけるぼくの車に同乗して、時には東京でショッピングや美術館周り、あるいは映画に食事。そんなことがたまにはあるのだろうと思ったが、全然その気にはならないようだ。実はぼくも、仕事に出かけるのがおっくうで、前日から「行きたくないな」などとつぶやいてしまう。行けば行ったで学生や、同僚とのつきあいはそれなりに楽しいのだが、どうしても行きたい楽しみというものではない。だから、数日間東京に滞在したりしていると、たまらなく森の生活が恋しくなる。


    交際の代価はふつうあまりにも安すぎる。ぼくらは相手のために何か新しい価値をまだ身につける時間もなかったくせに、ほとんどあいだを置かずに顔を合わせる。日に三度食事の時に顔を合わせ、黴くさい古チーズ同然のぼくら自身をまた新しく味わう。これだけ頻繁な出会いをなんとか辛抱できるものにし、たがいに敵同士にならなくてすむように、礼儀作法という名の一連の規則についてぼくらは合意しなければならなかった。(『ウォルデン』207頁)


    ・まったくその通り。特に大学というプライドの高い人の集まりは、角が立たぬようにするための配慮ばかりに気をつかう。もちろん夫婦という関係も、また難しい。一日をまるで違う世界で過ごして、それを共有し会う努力をしなければ、それは本当に形ばかりの関係になっていく。しかし、毎日一緒にいればまた、お互いの存在が鼻について煩わしくなりがちだ。同じ空気、同じ温度、同じ景色を共有しながら、それぞれが別々の世界で生活する。そこにももちろん、礼儀や工夫が必要になる。

    ・「孤独」は一人になれる時間や空間であって、けっして世界から孤立した寂しい状態ではない。それは一人になることで、逆に人とのつながりや他の生き物、あるいは世界との関係を自覚できる瞬間だ。ソローが言うように、森の中ので生活すると、そのことが実感としてわかるようになる。


    ぼくの家には実は仲間がわんさといるのだ。特に訪ねてくる者のいない朝のうちが賑やかだ。(『ウォルデン』208頁)


    ・それはもちろん生き物に限らない。東京にいるあいだに初雪が降った。ぼくのパートナーはそれを喜々として話した。「あー、会えなくて残念」。恋人とのデートに行きそびれたときよりもがっかり。ぼくはそんな気持ちになった。