1998年10月21日水曜日

YES(大阪厚生年金ホール、98/10/14)


  • 厚生年金ホールでコンサートを聴くときには、近くの居酒屋「もだん」で腹ごしらえをすることにしている。開場時間になってから入口に行っても、開演までの時間をゆっくり迎えることができる。そんな予定だったが、今回は雰囲気が少しちがった。ホール前の公園に4列に並べというのである。確かに長蛇の列ができている。車に気をつけろとか、列を乱すなとか、持ち物の点検をするからバッグの口をあけておけとか、バイトの係員がことこまかな指示をしている。ぼくはあほらしいから入口脇の階段に腰掛けて列の様子を眺めていた。
  • これはロック・コンサートを聴きに来た人びとの集まりなのに、どうしてみんなこんなに素直なんだろう。これではまるで朝の電車のホームやバス停じゃないか。そういう日常から離れるためにロックを聴きに来てるんじゃないの。そんなことをぶつぶつつぶやきながら、結局、階段で30分近くも座り続けた。若い人が割に多くて、"YES"もまだまだ人気があるんだなー、と思いながら場内にはいると、1階席と中2階席がいっぱいになっただけで、2階席はがらがらだった。入口でのテープやカメラの検査はそんなに厳密ではなかったから、何でこんなに時間がかかったのか不思議な気がした。わざわざ手間をかけて、無駄なことをやっただけじゃないのか。せっかくビールでいい気持ちになったのに、はじまる前にすっかりさめてしまった。
  • ぼくの席は2階席の右の袖で前にかなりつきだしているから、すぐ下にステージが見える。数日前にチケットを買ったからだが、ぼくはこんな席が好きだ。とはいえ、9000円は高すぎる。最近聴きたいコンサートが少ないし、あっても、大阪ドームでやったりするから買ったが、こんな値段にすると、ますます客は集まらなくなる。ごく一部の一瞬の大物だけがドームを満員にして、あとは2000人も集まらない。こういう状況は、けっしていいことではない。もっともっと聴きたいミュージシャンはたくさんいて、その人たちが日本に来てくれることを願っているが、現実的には逆に難しくなるばかりなのかもしれない。
  • ところで肝心のコンサートだが、すごくよかった。昔のものから最近の曲までたっぷり2時間半もやって、ステージ・パフォーマンスもサービス精神にあふれていた。ぼくはプログレは割と好きでピンク・フロイドやキング・クリムゾンなどのコンサートにも行っている。どちらもしっかりとしたサウンドでよかったが"YES"もやっぱり職人肌の音楽集団だった。中心メンバーの二人(ボーカルとギター)以外は頻繁に交代してきたようだ。ジョン・アンダーソンのかすれた高音の声は50代の半ばをすぎたとは思えないほどみずみずしい。スティーブ・ハウは生ギターをもって何曲もソロでやったが、スパニッシュ風の曲("The Clap")の時には観客が総立ちになるほどだった。
  • ぼくがプログレのコンサートに好んでいくのは、席を立って踊り出す客が少ないからだ。邪道だと思うが、ぼくはロックは腰掛けて聴くのが好きだ。特に最近は、そうでなければ行く気がしない。学生たちに言うと馬鹿にされるが、足踏みや拍手程度で十分ノッた気がする。"YES"のコンサートではフィナーレとアンコール以外は誰も立とうとしなかった。それでも、客のほとんどがノッていることは会場の雰囲気でわかった。それも、楽しい時間を過ごせた理由だった。ジョンも今日の客はすばらしいというようなことを口にして「夕焼けこやけの赤トンボ〜」を歌って観客に一緒に合唱しようと呼びかけた。
  • というわけで、9000円も高くないかと思って会場を出たのだが、ひょっとしたら、気持ちのいい雰囲気は、言われるままに整列した若い人たちの素直さが作りだしたのかもしれないななどと考えて、ちょっと複雑な思いにとらわれてしまった。 

  • 1998年10月14日水曜日

    栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス) 大島豊『アイリッシュ・ミュージックの森』(青弓社)

     

    irish1.jpeg・今一番行ってみたいのはアイルランド。そんなふうに思わせる本を2冊読んだ。ぼくにとってのアイルランドへの関心のきっかけはもちろん、ヴァン・モリソンやU2だが、紛争の絶えないぶっそうなところだから、行きたいなどとはちょっと前まで考えもしなかった。映画の『父の名において』とかNHKのドキュメントで見る限り、のんびり旅行者が出かけるようなところではない気がしていた。

    ・イギリスのブレア首相とIRAとの間で平和協定が結ばれた。少しは安全になったのかなといった程度のものとして考えていたが2冊の本を読んで、ずいぶんちがった印象をもった。一つは栩木伸明『アイルランドのパブから』(NHKブックス)である。

    ・仲間とパブへくりだしたばあい、あるいはその場で知り合ったどうしが三、四人で飲んでいるとしよう。ぼくの目のまえのグラスが空に近くなると友人のひとりが「もう一杯やるかい」とたずねてくる。こうたずねるのがエチケットだからだ。ぼくが「イエス」と答えると、彼はほかの友人たちにも同じことをたずね、バーまで立っていき、みんなの飲み物を買ってくる。次は誰か別の人物の番だ。………結局はおごりっこを順番にしながら、誰も損も得もしないことになっているのだ。

    ・このようなパブでの儀礼を「ラウンド」と呼ぶらしい。この本の最初のところで、著者はパブで隣り合わせた老人に「アイルランドでは宗教改革も産業革命も経験しておりません。近代化はついこのあいだはじまったばかり。ダブリンは都市に見えるかもしれませんが、じっさいは巨大な村ですよ。」と言われるたと書いている。『アイルランドのパブから』は、そんな巨大な村にいくつもあるパブで出会った人びとや人間関係や音楽、そしてもちろんギネス・ビールについての本である。著者はそれを「声の文化」と呼んでいる。知らない者どうしがすぐに知り合いになって、ビールをおごりあい、いつの間にかはじまる音楽に耳を傾け、一緒に歌う。アイルランドはまさにフォーク音楽が生きている世界である。ぼくは酒に強くはないし、ことばだって不安だ。それに、人見知りが激しいから、パブで知らない人と一緒にうち解けることはできそうもない。けれども、何となくいいなーと感じてしまうのも確かだ。

    ・しかし、アイルランドは一方では辛酸をなめ続けた歴史をもった国でもある。ノルマン人やヴァイキングの侵入、イギリスによる支配、 19世紀の中頃に起こった飢饉とアメリカへの移民によって、人口が一挙に3割ほどに減ってしまうという時代も経験している。中等教育が義務教育として制度化されたのがやっと60年代になってから、そして経済的な発展が本格化するのは、初の女性大統領メアリ・ロビンソンが登場してからである。

    irish2.jpeg・もう一冊の本『アイリッシュ・ミュージックの森』には最近のアイリッシュ・ミュージックについての記述が詳しい。ぼくはそのほとんどのミュージシャンや音楽を知らないが、次のような話には思わず、うなってしまった。

    ・ 1922年にアイルランドが独立したとき、政府は独立を支える文化的支柱を必要としたが、そこで使われたのはアメリカから輸入されたSP盤の伝統音楽だった。
    ・アメリカからのSP盤がほぼ全国的に伝統音楽のかたちを統一するほどの影響を及ぼしたのは、そこに録音されていた音楽が並外れて質の高かったものであったそのほかに、まずそれがすべて善きものの源泉アメリカからの到来そのものであったためであり、二つ目には教会の弾圧によって音楽の名手はみなアメリカに行ってしまったという残った人びとの劣等感が裏書きされたからだろう。

    ・さらに、アイリッシュ・ミュージックが一層盛り上がるのは、ロックンロールの流行と、その世界でのアイルランド出身のミュージシャンたちの活躍が引き金になる。このような経過を指摘しながら、著者はアイリッシュ・ミュージックを昔ながらの様式や素材に固執した伝統音楽ではなく、むしろ時代の流れに敏感に呼応するところから再生した音楽だと言う。「周縁ゆえに、辺境ゆえに伝統は『近代』の侵攻をこうむらず、その力を温存してきた。時を得て、伝統は『近代』のシステムを逆用し、新しい存在として生まれ変わる。」

    ・ぼくはこの本で紹介されているCDがたまらなくほしくなった。またTower Recordで散財してしまいそうだ。

    1998年10月7日水曜日

    野球の後は映画

     

  • 今年の夏休みは、見るのも読むのも考えるのも書くのもメジャー・リーグばかりだった。その季節も終わると、今度はBSでおもしろい映画をやりはじめた。で、ここ二週間ほどは、毎晩のように映画を見ている。二本立て、三本立てなんて日も珍しくない。たとえば、最近見た映画でおもしろかったものをあげると、『セブンティーン』『すべてをあなたに』『フェイク』『ジャック』『バスキア』『バッド・デイズ』『エビータ』『ペレ』『私家版』『死と処女』『愛よりも非情』記憶の扉』『心の指紋』『ハーモニー』それに『理由なき反抗』や『大人はわかってくれない』なども見てしまった。もちろん、これは全部BSで放送したものばかりである。
  • これだけいっぺんに見ると、さすがにそれぞれの映画を一つずつ記憶しておくことは難しい。けれども印象に残ったものをいくつか。ちょっとでも書き留めておけば、後で思い出すことができやすくなる。今回はそんなメモのようなレビュー。
  • 『ペレ』にはマックス・フォン・シドーがでていた。スウェーデンからデンマークに少年を連れて出稼ぎにでる初老の男の話。いい暮らしができると子どもに話しながら職を探すが、やっとありついたのは農場の家畜の世話をする仕事だった。確かではないが20世紀の初め頃の話だと思う。福祉の行き届いた、世界で一番豊かだと言われる国とはとても思われない世界。一緒に働く農奴のような人たちの中には、夢をアメリカに託す者がいた。ヨーロッパからアメリカに渡っていった大勢の人たちの心が少しわかるような作品だった。
  • 特に選んだつもりはなかったのだが、青春映画が多かった。『セブンティーン』はハンガリーから父とアメリカにやってきた移民の少年の話。DJに憧れるが(the)の発音ができない。永住権をとるためにはしっかり勉強しなければならない。けれども、女の子は気になるし、ちょっと不良になってもみたい。『理由なき反抗』や『大人はわかってくれない』とどこか共通したテーマだが、それなりに現代の若者をうまく描き出していると思った。『すべてをあなたに』はトム・ハンクスが監督をした作品。田舎のロックンロールバンドが売れて一躍スターになり、仲間割れして解散するという話。たわいがないといえばそれまでだが、60年代の一風景をうまく描いていた。
  • 『愛よりも非情』はイタリアが舞台で主人公はサーカスの女拳銃使い。彼女は新聞記者と恋に落ちるが、不良たちに強姦され、その復讐に男たちを皆殺しにしてしまう。傷つきながらの逃避行。警察に包囲され、恋人に抱かれながらの死。フランチェスカ・ネリに一目惚れしてしまったせいか、見ていて腹が立つやら、可哀相になるやら、久しぶりに目が離せないほど見入ってしまった。『死と処女』はアルゼンチンの独裁政権時代に政治犯としてとらわれ、性的な拷問を受けた受けた女性が、復讐をする話。ポランスキーが監督。
  • 『記憶の扉』は『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレの作品。雨の中を歩いていた男が検問で引っかかって警察で尋問を受ける。そのやりとりだけの話で、最後になるまで不可解なのだが、主人公が自殺した作家本人であることがわかって納得。死んだ本人に自分が誰であるかをわからせるための検問と尋問、そして旅立ち。ぼくはどういうわけか村上春樹の小説を思い浮かべた。彼の映画は小説になりにくいと思うが、こんなふうに作ったら案外おもしろいかも、という気がした。
  • それにしても、さすがに目が疲れる。深夜映画を見て、明け方ぼーっとしながら家に帰った若い頃を思い出してしまった。