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2024年11月4日月曜日

ドジャースがワールドシリーズ制覇!

 

ドジャースが優勝した。大谷選手にとって7年目にしてやっと手にするチャンピオンリングである。MVPを2度も取ったのに勝ち越しすらできなかったエンゼルスから移籍して1年目の快挙だった。プレイオフに出るまで最多の試合を経験した選手だったというから、彼の喜びは大変なものだろうと思う。しかし、彼についてはまた別に書くことにして、今回は彼やドジャースに対するメディアの対応について考えてみたいと思う。

アメリカでは野球はすでに一番のスポーツではなく、アメリカン・フットボールやバスケットの後塵を拝していると言われている。オールスター・ゲームやワールドシリーズでもテレビの視聴率は低く、それも年々下がっていると言われてきた。それが今年はドジャースとヤンキースのワールド・シリーズになって、視聴率も大幅に回復したようだ。大谷とジャッジというMVP有力選手が出ることもあって、事前の盛り上がりは例年とは違うものになった。

それは日本でも同様だった。日本シリーズがワールドシリーズと同じ日程で行われたのだが、NHKの7時のニュースではワールドシリーズの結果を取り上げて、同時刻に行われていた日本シリーズには全く触れなかった。MLBの中継は主にNHKのBSで行われたが、ワールドシリーズについてはフジテレビが地上波で中継した。ライブは午前中だったから、フジテレビは夜のダイジェストで再放送をしたようだ。ところがそれが日本シリーズと重なって、NPB(日本野球機構)はフジテレビの取材パスを没収したようである。

ただでさえ陰に隠れてしまっているのに、さらに邪魔をされた。NPBはそんな仕打ちに腹を立てたのだと思う。何しろフジテレビは日本シリーズの別の試合を中継しているのである。フジテレビと言えば、大谷選手の新居を探して、場所が特定できるような放送をして、ドジャースから取材拒否を宣告もされている。そこには、どんな影響が出ようと視聴率さえ取れればいいんだといった態度があからさまなのである。当然だが、大谷選手はフジテレビのインタビューを拒否したようだ。

とは言え、大谷選手の人気がテレビの視聴率やCMに大きな影響を与えていることも事実である。何しろ彼は10年で7億ドルの契約を結んだが、その大半は後払いで、山本選手などに払うお金を融通したのである。それは彼が日本の企業などと契約した額が、彼が手にする年俸を超える程だったからだと言われている。そしてスポンサー契約はドジャース自体にももたらされて、広告や入場者数やグッズの売り上げなども大幅に増加したようだ。

恩恵は、ドジャースが遠征したチームにももたらされている。普段は閑古鳥の弱小球団でも、大谷目当てに満員になった試合がいくつもあったからである。普通は他球団のグッズなど売らないのに大谷選手だけは例外にする。そんなこともあったようだ。チームは勝って欲しいけど、大谷選手のホームランは見たい。そんなアメリカでも一番人気の大谷選手が活躍したドジャースがワールドシリーズに出て優勝したのだから、その効果は来シーズンにももたらされるのだろうと思う。

ドジャースの試合を見て大谷選手の活躍を堪能したが、他方でお金にまつわる話題がつきなかったことも印象に残った。ワールドシリーズのチケット高騰や50x50を達成したボールのバカ高値などあげたら切りがないほどだった。ちなみに、ワールドシリーズの視聴者数は日本では1試合平均1210万人で過去最多だったが、同様に、台湾、カナダ、メキシコ、ドミニカでも最多だったようだ。


2024年10月21日月曜日

CopyTrackにご用心!

 

このホームページは毎週一回更新している。いろいろな話題を探して書いているのだが、時にはその内容にあった画像が欲しくなる。著作権にふれないよう気をつけてネットから探していたのだが、突然、無断使用だから使用料を払えといったメールが飛び込んできた。「CopyTrack」という名称で、2枚の画像について、700ユーロ(11万円程)を払えという内容だった。悪いことをしたのだから払って当然という、極めて高飛車の文面で、ちょっと驚いてドキドキしながらネットで調べてみた。

そうすると同様のケースがたくさんあって、払った人、払わなかった人など様々だった。ネットに詳しい何人かの知人にもメールを出して、どう対処したらいいか相談したところ、よく調べてもらって、無視したらよろしいという返事だった。「CopyTrack」のサイトには、対象は営利の商用サイトであって、個人のサイトには要求しないとあった。だったら僕のホームページは対象外だから、要求には応えられないと返信した。

ところが、最初は日本語だったのに、今度は英語で、あなたの主張には応じられないとあって、同様の金額の請求が繰り返された。非営利の個人サイトであることを認めないのは大学のサーバーから発信しているせいかも知れないと思い、すでに退職して大学には所属していないこと、名誉教授の権利として、サーバーを使わせてもらっていることを書いて返信したのだが、やって来たのは問答無用の返答で700ユーロの要求を繰り返すだけだった。

文面には、払わなければ法的手段に訴えるとも書いてあったが、第二東京弁護士会 のサイトには「写真等の無断転載に関して金銭請求を代行する業者に注意を」というページがあった。それによると、無断転載に関する金銭請求には弁護士や認定司法書士の資格が必要で、それがなければ「非弁行為」として刑事罰の対象になると書いてあった。また「CopyTrack」のような非弁業者が弁護士に依頼して裁判に訴えることも違法だとあって、法的な手段を使うことはできないことがわかった。

copytrack.png「CopyTrack」からのメールは1ヶ月ほど続いたが、その後はぴたっと来なくなった。脅して払えばよし、払わなければ仕方がないが見逃してやる。この先また、何か起こるかも知れないが、今のところ、そんなやり方なんだと思っている。いずれにしても、画像の利用には十分に気をつけねばと反省した出来事だった。

「CopyTrack」にはプロの写真家やイラストレーターでなくても、誰でも登録できるようだ。たとえば僕のホームページにはすでに4000枚を超える画像が載っている。そのほとんどは僕が撮ったものだから、「CopyTrack」に登録すれば、無断で利用した人に使用料の請求がいくことになるだろう。そうすれば僕にもお金が入ってくることになるのだが、僕はプロではないから、そんな報酬が欲しいとは思わない。個人的に利用するのなら、どうぞご自由にというのが、僕の基本的な方針だからである。営利目的で使用したり、変な使われ方をしたことが分かれば、直接苦情を言ったり、損害賠償で訴えるといったことがあるかも知れないが、今のところそんなケースも見つけていない。いずれにしても、十分に気をつけること。今回の騒動で身にしみた戒めだった。

2024年8月5日月曜日

またTVはオリンピックばかりだ


オリンピックが始まって、テレビはどこも五輪一色になった。ただでさえ見るものがないと思っていたのに、TVをもうつける気もしない。それでもニュースなどを見れば、いやでもオリンピックを見させられることになる。そんな消極的な姿勢で見ていて気づいたことがいくつかあった。一つは前回の東京から登場したスケボーである。日本人選手が活躍してメダルをいくつも取ったためか、よく報道された。

まず気になったのは、きらきらネームの選手が多いことだった。吉沢恋(ここ)、中山楓奈(かな)、赤間凛音(りず)、開心那(ひらき・ここな)、小野寺吟雲(ぎんう)、白井空良(そら)、永原悠路(ゆうろ)などで、何と読むのかわからない名前ばかりだった。そう言えば、東京五輪でも歩夢とか勇貴斗、碧優、碧莉、椛などの名前があった。名前は親がつけるから、きらきらネーム好きはスケボー好きの人に共通した特徴なのかと妙な感心をした。

次に首をかしげたのは、その競技そのものだった。スケボーに乗って階段の手すりに飛び移り、数メートル滑って着地するというだけのもので、これが一つの種目として成立していることが不思議だった。おそらく難しいのだろうし、その中にいくつも技が使われているのだろうが、わずか数秒の試技は、町中で見られる若者の単純な遊びにしか見えなかった。そもそもこんな種目をオリンピックでやる意味がどこにあるのか。この大会から始まったブレークダンスをふくめて、若者を惹きつけるためにIOCが見つけた苦肉の策だと言いたくなった。

他方で野球は参加国が少ないという理由で不採用になった。次回のロサンゼルスでは復活してMLBの選手も参加できるのではと言われている。パリでの不採用はおそらく、球場をいくつも作らなければならないことが最大の理由だったのだと思う。昨年のWBCにヨーロッパの国も参加していたが、フランスという名は見かけなかった。それに比べればスケートボードやブレークダンスの会場は、ほとんどお金をかけずに作ることができる。低予算でそれなりに人気を呼べる種目で、これまでオリンピックに興味を持たなかった人を引きつけることができる。IOCのそんな目論見が露骨に感じられるのである。

低予算といえば開会式も型破りだった。国立競技場を新たに作ったのにコロナで無観客になった東京と違って、パリではセーヌ川の両岸に特設の席を作り、各国の選手が遊覧船に乗って手を振るというものだった。歌や寸劇、あるいはファッションショーなどが、橋の上や岸辺に作られた舞台で演じられた。詳しく見たわけではないが、フランスの歴史、とりわけ革命などがテーマになって、陳腐だった東京とは対照的だったという意見も耳にした。各競技に使われる会場もほとんどが既存のもので、その意味でも、予算規模は東京とは比べ物にならないほど小さなものであるようだ。

東京オリンピックは当初の予算の何倍も浪費した大会で、汚職が事件になり、疑惑が渦巻いたひどいものだった。今回のパリ五輪を契機に、その違いを取り上げて欲しいものだが、そんな気骨のあるメディアは日本からは消えてしまっている。そもそも東京五輪にどれほどのお金がかかり、その詳細がどうだったかは、未だに隠されたままなのである。しかも同じ失敗をまた大阪万博でやろうとしている。メダルを取って大はしゃぎのテレビをうんざりしながら見ていて思うのは、選手たちの頑張りとは対照的な、日本という国のダメさ加減ばかりである。

2024年7月29日月曜日

保険料金の高さにびっくり!

 75歳になって、今年から後期高齢者の保険料が追加されたが、その額が17万円ほどになっていることに驚いた。もちろん、これ以外に国民健康保険も5万円ほどとられている。その他に介護保険料が夫婦二人で15万円ほどだから、合わせて一年に37万円もとられたのである。しかも額が大きく、これを国民年金で収めることができないから、直接振り込んでくれというのだった。

僕は時折歯医者に行く以外には、もう20年以上病院に行ったことがない。その間ずっと社会保険料を払い続けてきたから、総額ではもう何百万円にもなるはずだが、その恩恵はほとんど受けていない。ただしパートナーが10年ほど前に脳梗塞を患って、その後も薬を飲んでいるから、それなりの恩恵は受けてきたことになる。しかし、パートナーが75歳になれば、保険料は一人づつになって、その額は国保の二人で5万円から30万円超になるから、年金暮らしの身には、とんでもない高負担が請求されるのである。

ちょっとひどいんじゃないかと思って調べると、それでも高齢者自身の負担は1割で、あとは国や自治体、そして若い人たちが収める保険料で負担されるとあった。団塊の世代が後期高齢者になって、その医療費や介護費が増加している。そのために当事者にもそれなりの負担をお願いするというのが、国や自治体の説明だった。確かに増大する一方の医療費や介護費を捻出するためには、ある程度の本人負担が求められるのも仕方がないだろう。しかし、75歳になったからはい増額というのは、お役所仕事といわざるを得ないだろう。国民年金しか収入のない人は、一体どうやって払うというのだろうか。

後期高齢者保険料の通知には、ほかにも気に入らないことがあった。マイナカードを取得して、保険証に使えるよう速やかに登録せよというお達しである。僕はマイナカードは持っていないし、持つつもりもないから、今までの保険証を使い続けるつもりである。そのためには資格確認書を取得しなければならない。そういう国の意に従わない者には自分で手続きをしてもらう。河野担当大臣はそんな脅しめいた発言をしていたが、ネットで確認すると、何もしなくても送られてくるようである。

マイナカードはあらゆる手続きのデジタル化をめざして作られたことになっている。しかし、デジタル化というのはスマホなどで用が足せるようになるということであるから、マイナカードは何とも中途半端な制度だと言わざるを得ない。住基ネットなどで失敗しているのにまた同じことをやっている。しかも今度は普及させるために金で釣り、脅しをかけてのことだが、その普及率はなかなか上がらないのである。

お札が新しくなったが、僕はまだ手にしていない。使うお金のほとんどはクレジットカードだし、必要なものの多くはネットで買っているからだ。しかしスーパーなどで見ると、現金で買っている人が多いから、お札の利用状況はまだまだ高いのだろう。未だにハンコを要求されることが多いことも含めて、日本人の多くはデジタルではなくアナログに馴れたままなのである。この意識や行動をどうやって変えて行くか、それは何年も前から国や自治体が本気になってやるべきことだったはずである。

話がずれてしまったが、医療費の高騰を避けるために一つ考えていることを最後にあげておこうと思う。それは終末医療の問題で、延命治療には保険を適用しないという制度を実現させる必要があるということだ。『欧米に寝たきり老人はいない』でも書いたが、僕の母親は今、意識がないままに延命治療を受けている。咳払いをして痰を飲み込んだり、手を握ると握り返してきて、しっかり生きていると実感できるが、これをいつまでも続けてはいけないとも思っている。僕自身はもちろん、多くの日本人にとって延命治療をやめる決断はしにくいことだが、その膨大な医療費を考えたら、どこかで、国民が納得する方策を国が提案しなければならないが、そんな勇気ある決断は誰もやらないだろうとも思っている。

2024年7月1日月曜日

国会が終わり、都知事選が始まったけれど………

 

国会が終わり、都知事選が始まった。政治資金規正法改正だけの国会だったが、それも結局ザル法のままだった。円安が止まらず、貿易収支も赤字で、実質賃金は減り続けているというのに、ほとんど対応策がとれないままに、国会が終わったのである。岸田政権の支持率はずっと下がり続けていて、調査によっては17%という数字になっている。本来なら倒れていて当然の数字だが、当の首相は全く気にしていないようだ。

一番の要因はメディアの批判の甘さだろう。政権が支持されていないこと、政治資金規正法が手ぬるいと非難されていることを、世論調査を根拠に指摘しても、新聞が自ら、厳しく批判することはどこからも起こらなかった。自民党は最近の選挙でほぼ全敗している。世論調査でもその点ははっきりしていて、政権交代を希望、あるいは予測する人は半数を超えている。ただし、立憲民主党が政権奪取に向けて本腰を入れているわけではないから、衆議院選挙をしても、自民党が下野するところまでは行かないだろう。

そんな曖昧な状況はメディアにとっては好都合だということかも知れない。政府に頭を押さえられたNHKは言うまでもなく、民放はスポンサーと電通頼りだし、大手の新聞社だって、基本的には政権交代を望んではいないのである。日本は一体どこまで落ちるのか。改善策を見つけられない八方ふさがりの状態なのに、政治家も官僚も、そしてメディアも、自己保全のことしか考えていない。そんな態度や姿勢ばかりが目立つのである。

都知事選は小池百合子が3選をめざしている.蓮舫が立候補して二人の争いになっているが、調査では小池が圧倒しているようだ。大きな失政はないとは言え、先の選挙で公約した7つのゼロの多くは実現していない。神宮外苑の開発問題もあるし、何より学歴詐称の一件もある。しかしここでもまた、メディアはこのような点について強い批判を浴びせてはいない。フリーのジャーナリストを締め出した記者会見が当たり前になっていて、そこでは小池がいやがる質問は、ほとんど出ないようだ。非難を浴びせられる都内の街頭演説は避けて、八丈島や奥多摩に出かけている。集まる人は少ないが、テレビのニュースではトップに報道するから、それでも効果は絶大だろう。

都知事選には56人が立候補したようだ。中にはヌードのポスターを貼ったりする人もいて、一体何のためにと疑ってしまう。売名行為なのか、YouTubeやInstagramでのアクセス数を狙っているのか。そう言えば、衆議院議員の補選では他候補の邪魔をして逮捕された候補者もいて、YouTubeではかなりのアクセス数を獲得したようだ。こんな話ばかり耳にすると、もう世も末だと思わざるを得ない。どうせ誰が何をやったって、日本はもう経済的に復活などしない。だったら今だけ金だけ自分だけ。面白おかしく楽しくやろう。他人を傷つけたって構わない。そんな空気は何より最近のテレビにも溢れている。


2024年5月27日月曜日

田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』 クロスカルチャー出版

 

tamura5.jpg 監修者の田村紀雄さんはもう米寿になる。毎年のように本を出しているが、今年も送られてきた。いやいやすごいと感心するばかりだが、この本は50年前からほぼ10年おきに調査を重ねてきた、その集大成である。彼と同じ大学に勤務している時に、同僚や院生、それに学部のゼミ生を引き連れて、調査に出かけているのは知っていた.その成果は大学の紀要にも載っていたのだが、半世紀も経った今頃になってまとめられたのである。

調査をした場所は岐阜県で郡上村となっているが、このような村は今もかつても存在していない。場所や人を特定されないための仮称で、現在は郡上八幡市に所属する一山村である。田村さんはなぜ、この地を調査場所として選んだのか。それは一つの小さな集落が、電話というメディアが各戸に引かれることで、それ以後の生活や人間関係、そしてその地域そのものがどのように変化をしていくか。それを見届けたいと思ったからだった。始めたのは1973年で、まさにこの村にダイヤル通話式の電話が引かれるようになった年である。そのタイミングのよさは、もちろん偶然ではなく、情報が田村さんの元に届いていて、長期の調査をしたら面白いことがわかるのではという期待があったからだった。

「郡上村」は長良川の支流沿いにある谷間の山村で、この時点の世帯数は1200戸ほどだった。村には手広く林業を営む家があり、そこがいわば名主のような役割をしてきた歴史がある。この家にはすでに昭和4年に電話が引かれていたが、それは個人で費用を負担したものだった。戦後になって1959年に公衆電話が設置され、村内だけで通話ができる有線放送も63年からはじまったが、村外との個別の通話が可能になったのは1973年からだった。

被調査に選んだのは数十戸で、調査の対象は主として主婦だった。この村ではすでに村内だけで通話ができる電話があって、村内でのコミュニケーションには役立っていたが、村外とのやり取りが当たり前になるのは、10年後、そして20年後に行った調査でも明らかである。ここにはもちろん、仕事や学業で家族が外に出る。あるいは外から婚姻などでやって来たり、外に嫁いでいくといったことが一般的になったという理由もあった。日本は1960年代の高度経済成長期から大きな変貌を遂げ、人々が都市に集まる傾向が強まったが、この村でもそれは例外ではなかったのである。

ただし、人々の都市集中や人口の減少で、眼界集落が話題になり、最近では市町村の消滅が問題にされているが、「郡上村」の人口は現在でも、大きく減少しているわけではない。そこには電話や今世紀になって一般的になったスマホやネットだけでなく、クルマの保有や道路の整備などで、近隣の都市に気軽に出かけることが出来るようになったという理由がある。あるいは工場が誘致されて、働き口が確保されたということもあった。

しかし、この半世紀に及ぶ調査で強調されているのは、結婚によって外からやってきた女性たちの存在だった。その人たちが、村の閉鎖的な空気を開放的なものに変えていった。面接調査を主婦に焦点を当てて行ったことが見事に当たったのだった。

2024年5月20日月曜日

SNSはもうやめた

 

SNSについては今まででも熱心ということはなかった。やっていたのはTwitterとFacebookだけで、lineもInstagramにも無関心だった。Twitterは、政治や社会に対して同意できたり、参考になったりする発言をリツイートするぐらいで、自分からツイートすることはほとんどなかった。だから、フォローする人も少なかったし、フォローしてくれる人もほとんどなかった。Facebookはすでに知っている人だけに限定して、知らない人と友達になることはなかったし、「いいね」で反応することもほとんどしなかった。

そんな程度のつきあいだったから、TwitterがXに変わったことをきっかけに、アクセすることも少なくなった。FacebookはCMが増えて、商業主義的な色合いが強くなり、やたら友達候補を並べるのにうんざりして、ちょっと前から全く見なくなった。もうどちらもやめてしまってもいいのだが、やめる手続きをすることも面倒だから、そのままにしている。

そんな具合だから、自分では見たことがないのだが、有名人を騙って投資を呼びかける投資詐欺が話題になっている。警察庁の調べによれば24年1月〜3月だけで1700件が確認され、被害額は200億円を超えているそうである。よくあるのは著名人の画像を貼りつけ、本人になりすまして投資の勧誘をするというもので、本人だと思った人が、言われるままに投資して、それをだまし取られるというものである。

自分の名前をかたった詐欺で被害を受ける人がいることに怒った著名人が、lineやFacebookに対応を求めたようだが、その反応は極めて消極的だったようだ。そもそもこの手の詐欺は、広告として掲載されているからサイトの大きな収入源になっているのである。これでは詐欺の片棒を担いでいるといわれても仕方がないのだが、今のところ取り締まる法律が整備されていないから、野放し状態のようである。

詐欺といえば電話を使った〔オレオレ詐欺」が有名で、その被害も未だになくなっていない。実際僕の家の電話にも、それらしいものがよくかかってくる。迷惑電話防止モードにして「お名前を仰ってください」と告げるようにしているから、何も言わずに切ってしまうことがほとんどだが、うっかりでたら、その話に乗ってしまうことが多いのだろうと思う。

SNSは地縁や血縁の関係が弱くなった現在の社会のなかで、それに変わる人間関係の持ち方として発展してきた。それを使っていい関係を作れる場合が多いのはもちろん、否定しない。しかし-このままでは、電話に変わる詐欺の手段として使われるようになってしまうだろう。くわばらくわばらである。一番の対応策は、SNSをやめることで、そのことで不便さを感じることはなにもないだろうと思う。


2024年4月29日月曜日

地震対応に見るこの国のお粗末さ

 



taiwan14.jpg台湾の花蓮で4月3日にマグニチュード7.7の大きな地震があった。ビルが傾いたりして被害の大きさが報道された。僕は2012年に台湾一周旅行をして、花蓮にも数日滞在し、太魯閣峡谷に出かけている。海でできた分厚い石灰岩が大理石に変成し、隆起した後に、長い年月をかけて雨によって削られた場所で、何千万年という時間が作り出した絶景だった。ところがこの地震で一番人的被害が多かったのがこの地域で、がけ崩れで埋まった人やトンネルに取り残された人、あるいは交通遮断で孤立した人たちなどが多数いたのである。一度行ってその景観に圧倒されただけに、その峡谷が崩壊したらと考えただけで恐ろしくなった。

しかし、もっと驚いたのは花蓮で避難所を設置する様子で、それほど時間が経っていないのに、体育館にずらっと個室が並んでいたのである。まだ被災者がほとんどいないのに食べ物や衣料など、必要なものも整えられているという報道だった。日本では正月に能登の地震があって、相変わらずの体育館に雑魚寝の様子が伝えられていたから、その違いに驚かされた。

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花蓮は最近でも2018年と22年に大きな地震に見舞われていて、その度に大きな被害を受けている。だから地震に対する備えが出来ていたのだろう。報道では、台湾の災害対応は1999年の地震以後に日本から学んだということだった。花蓮では2018年の地震でうまく対応できなかったことを反省して、必要なものの備蓄を整え、人々の訓練も行われてきたと報じられた。傾いたビルの撤去がすぐに始まったことにも感心させられた。花蓮では23日にも大きな余震があってビルが傾くなどの被害があった。おそらくまた迅速な対応をしているのだと思う。

ところが日本では能登地震から4ヶ月が過ぎようとしているのに、未だに避難所生活をしている人がいる。家が住める状態だとしても、上下水道が普及していないところが多いようだ。仮設住宅の建設もほとんど進んでいないのである。倒壊した建物や、破損したクルマがそのままに取り残された光景を見ると、4ヶ月も経っているのに、いったい何をしているんだろうと怒りたくなる。

もっともテレビは、そんな普及の遅さを批判的に伝えたりはしない。水道が使えないのにレストランやカフェを営業しているなどといった事例を美談のようにして紹介するものが多いのである。政府や県の対応のまずさ、というよりはやる気のなさが目立つのに、強く批判するメディアがほとんどないという現状には呆れるばかりである。ネットでフリーのジャーナリストの現地報告を何度か聞いたが、能登の人たちがまさに棄民状態に置かれたままであることを一様に話していた。被災した人たちの政府や自治体、そしてメディアに対する不信感はかなりのものようだ。政治もダメだがジャーナリズムもダメ。この国のお粗末さは、いったいどこまでひどくなるのだろうかと空恐ろしくなる。


2024年3月18日月曜日

株だけが高いのはなぜ?

 



kabuka.gif 日本の株価がバブル期を超えたと大騒ぎになった。これまでの最高値は1989年の12月29日につけた3万8957円44銭で、これはバブルがはじける直前に出た値である。株価はその後急落して2003年の4月には7607円88銭まで落ち込んでいる。その後少し持ち直したものの、リーマンショックや民主党政権の成立で1万円以下で推移し、安倍政権誕生とともに急上昇を始めて、2万円を超える額になった。それが21年には2万5000円、23年5月に3万円を超え、この3月には一時4万円を超えたのである。

en.gif 株価については円と関係があって、株が上がれば円安になり、円高になれば株が下がるといった特徴がある。これは日本の経済が輸出に依存しているからで、円安になれば輸出産業の売り上げが増すと予測されるからである。その円のレートは80年代の前半は1ドル200円台で推移していたが、後半には急激な円高になって、株が最高値をつけた89年には130円前後になっている。バブルがはじけて株が急落しても、円は100円台の前半を推移して、民主党政権が成立した2010年以降には円高が進んで2013年には79円になった。それが円安に転じるのは安倍政権以降のことである。

このような経過をグラフで見ると株価と円の関係が対照的になるのは安倍政権以降であることが分かる。株価が上がったのは「アベノミクス」によるもので、そこには日銀や年金機構が株価を買い支えるといった操作が顕著であった。実際国内の最大の株主は日銀で、保有する時価は70兆円で、年金機構の額も30兆円以上だと言われている。これは日本の株式全体の6分の1にもなる額で、極めて不自然なものである。もう一つ、円安を誘導したのが日銀のゼロ金利、さらにはマイナス金利政策であったことも加えておく必要がある。

日本の経済の実態はバブル期を境に下がり続けていて、失われた30年と言われている。日本のGDPが戦後の経済復興によってアメリカに次いで世界2位になったのは1968年のことである。それが2010年には中国に抜かれ、去年の23年にはドイツに抜かれて4位に下がった。新興のインドが急速な経済成長を遂げているから、そこにも抜かれて5位になるのは時間の問題だと言われている。あるいは、一人当たりのGDPで言えば、日本はすでに先進7カ国の最低で、世界全体では37位に下がっていて、韓国と台湾にはさまれた位置にある。

このように見れば、現在の株高が経済の実態とはかけ離れたものであることがわかるだろう。最近の円安がインバウンド増の要因と言われているが、円そのものの値よりは、この30年間、物価が上がらなかったことで、日本にやって来る人には、何でも安いと感じられるからである。もちろん、その間、個人収入もほとんど増えていないし、パートやアルバイト、あるいは契約といった形で働く人が増えて、貧富の格差が大きくなっているのである。株高が外国人投資家によるとも言われているが、そこにもやはり、割安感があるのだろう。

現在の株高は、日本の経済とは関係ないものだから、いずれは暴落すると言う人もいる。ゼロ金利政策を是正したい日銀は、株価が急落しないようにして、それを改めなければいけないが、それはおそらく至難の業である。もっとも日銀は国債の5割以上を保有しているから、金利をマイナスから0、そしてプラスに上げれば、今度はその利子の支払いに苦慮することになる。それもこれも「アベノミクス」が招いたことだから、安倍元首相の罪はとんでもなく大きいのである。


2024年1月29日月曜日

災害対応のお粗末さに想うこと

 

能登の地震から一ヶ月近くが過ぎました。真冬の季節の中、未だに一万人以上の人たちが体育館などの避難所で過ごしているようです。生活していた土地を離れて金沢などに二次避難する人が増えているようですが、土地や近隣の人たちから離れることを拒否する人も多いようです。高齢者ばかりの小さな集落が多いという特徴が、今後の復興にも大きな影響を持つかもしれません。誰もいなくなった集落が廃墟になっていく。それが現実にならないよう願うばかりです。

能登半島には一昨年の10月に出かけました。主に海岸沿いの道を先端の狼煙灯台まで行きましたが、黒い屋根瓦の家が点在する風景が印象的でした、ところが地震によって倒壊した家のほとんどがまた黒瓦の家だったようです。いかにも重そうな感じがしましたし、地震に備えた補強もしていなかった家がほとんどだったようです。能登の地震はすでに何年も前から群発していて、大きな地震も数回ありました。その時に倒壊した家もあったわけですから、なぜ、その後に対応しなかったのかと、行政の怠慢を非難したくなりました。実際大きな地震が起きる危険性があることは、以前から指摘されていたことなのです。

新幹線が金沢まで延伸されて、金沢をはじめ能登も観光客で賑わっていました。風光明媚で温泉もあり、食材も豊かな土地ですから、観光客の増加を目指す気持ちはわかります。しかし今回の被害の大きさやその特徴を見ると、しっかり対応しておけば、もっと小さなものにできたのではと思いました。経済重視の政治の無策がまた露呈したわけですが、復興に全力投入するために万博は中止という声は、少なくとも政治家からは聞こえてきません。停止中だったために大きな被害をかろうじて免れた原発についても、相変わらず見直す動きは起こらないようです。自分の懐を肥やす以外に能のない政治家をのさばらしておいた結果というほかはないでしょう。

東日本大震災以来、熊本や能登と大きな地震に見舞われてきました。これからも大きな地震の危険があると言われている地域はいくつもあります。それに対して対策をという声は聞こえてきますが、今回の対応を見ていると、何度被災しても何も変わらないことが多すぎるという印象を持ちました。一番は被災者が体育館で雑魚寝をしているという相変わらずの風景でした。体育館などに敷き詰めるように作られた段ボール製の仮設小屋やベッドなどがあるようですが、なぜ備えておかないのでしょうか。各自治体が全国的に備えておけば、被災地にすぐに提供できるはずですから、避難所の風景はずい分違ったものになるはずです。

大きな地震には停電と断水がつきものです。暖房ができない、トイレが使えない、そしてもちろん風呂にも入れない。そうならないために何を用意しておいたらいいのか。地震大国の日本ですから、このような備えについてのノウハウがもうとっくに出来上がっていていいはずです。必要なものを全国的な規模で分散的に備蓄しておいて、災害が起きたらそれをどういう手段で被災地に運ぶかを考えておく。そんな備えがなぜできないのでしょうか。用もない兵器を爆買いしたり、隣国を敵視して有事を煽る前に、やらなければいけないことが山積みのはずなのです。


2023年12月18日月曜日

大谷選手のドジャース移籍に思ったこと

 

エンジェルスの大谷選手がドジャースに移籍しました。契約は10年で破格の7億ドル。もう引退するまでドジャースでやると決めたのだと思います。ただし、決まるまでの数日は、代理人から箝口令が敷かれたこともあって、憶測記事が氾濫してかえって大騒ぎになりました。日本のメディアも「すごい、すごい」と言うばかりですが、僕はこの経緯について、大きな疑問を持ちました。

ウィンター・ミーティングが始まって、大谷選手がジャイアンツのオラクル・パークに行ったというニュースが入り、その後にブルージェイズのキャンプ地を訪れたと報道されました。ここからトロントが注目されるようになって、カナダドルで10億ドル払うという記事が出て、一気にブルージェイズ有利という様相になりました。しかし、その数日後にドジャースに決まって7億ドルという契約額になったのです。ブルージェイズが出した額とほぼ同じだったわけで、代理人はブルージェイズを出汁に使ってドジャースに契約金の釣り上げを迫ったのかもしれません。

もちろん大谷選手のドジャースに対する気持ちは、今に始まったことではないのです。高校卒業時にメジャーに行くと宣言した時に念頭にあったのはドジャースで、栗山監督に説得されて翻意したのでした。メジャー・リーグに行く時もドジャースとは面談しましたが、ナショナル・リーグにDHがなかったことで、アメリカン・リーグのエンジェルスに決めたのでした。大谷ルールでナショナル・リーグもDH制になりましたから、ドジャースに行くことには、何の障壁もなくなったのです。

だとしたら、もっと早くにドジャースに行くと発表しても良かったと思います。それがなぜ、ここまで時間がかかったのでしょうか。考えられるのは、競合球団を募って契約額をあげようとした代理人の戦略でしょう。契約額は最初は5億ドルだろうと言われていました。右肘靭帯の手術で来年はDHでの出場しかできませんが、それは関係なかったようです。いくつもの球団が名乗り出て5億ではなく6億だと言われるようになり、最終的には7億ドルになりました。

選手の価値をお金で計るのはアメリカでは当たり前のことですから、代理人の手腕は褒められるだろうと思います。しかし、大谷選手はどうだったのでしょうか。もしこの先ケガをして、欠場が多くなったり、成績が落ち込んだりしたら、猛烈なバッシングを浴びることになるのは明らかです。エンジェルスにはレンドーン選手がいて、そのつらさを目の当たりにしていたはずです。決断の裏には、大谷選手の相当の決意があったことでしょう。もっとも大谷選手のことですから、ダメだと思ったら自ら契約を破棄してしまうかも知れません。

大谷選手にとって気がかりだったのは、自分が年7000万ドルももらってしまうことが、ドジャースの選手補強の妨げになるということでした。そこで彼が提案したのは、大半を契約が終了した後に先延ばしするというものでした。何しろメジャーの球団の中で年俸総額が7000万ドルに達しない球団が8つもあるのですから、その額が破格なのがよくわかります。払いを先送りすることで、ドジャースには、もっと選手を取る余裕が生まれましたから、7億ドル払ってもいいだろうということになったのです。ちなみに来年から10年間の年俸はわずか200万ドルということで、これは副収入が5000万ドルもあることから税金対策を考えてのことでしょう。

こんな顛末でしたから、僕はちょっとがっかりしました。すでに強いチームではなく、自分が入ることでプレイオフまで行けるチームを第一に考えるはずですから、僕はオールスター前からジャイアンツが最適だと思ってきました。ジャイアンツも最後まで残っていましたから、サンフランシスコもまたトロント同様にがっかりしていることでしょう。ちょっと興ざめですが、来年からも、彼の出る試合につき合うことにかわりはありません。くれぐれもケガをしないように。そう願うばかりです。

2023年11月20日月曜日

批判する気も失せたけれど

 

日本はもう壊れていると思ってから久しいけれど、それがますますひどくなっている。一度劣化しはじめると止まらない。その見本のような光景は、どたばた喜劇のようで面白い気もするが、それが私たちの生活や未来に関わってくるから、もう絶望的な思いに囚われてしまう。

大阪万博がどうしようもない状況に陥っている。中止の声が高まっているが、国も大阪府・市もやめる気はないようだ。で、予算ばかりが膨らんでいく。東京オリンピックの二の舞いだが、そのずさんさは、オリンピック以上のようだ。そのオリンピックだって、いったいいくらのお金がかかって、どこにどう使われたのか、事後の検証はまったくなされていない。やりっぱなしで後は知らんという態度である。

大阪万博の会場はゴミの埋め立て地で、軟弱で地盤沈下が激しいから高い建物は造れない。そんなところを会場にしようというのがそもそもの間違いなのだが、お構いなしに決めたのが維新の松井や橋下が安倍を口説いた酒の席だったと言われている。しかも本当の目的はカジノをメインにしたIRの設置だったのである。事前の入念なチェックもなしに決めてしまう。そんなところは他にもたくさんある。沖縄の辺野古基地や原発などで、どれも中止という決断ができないでいる。

アベノミクスは沈滞する日本の経済を活性化させるというふれこみで行われたが、その結果は惨憺たるものである。経済はますます落ち込み、国の借金が激増し、円安が加速化して、収入は増えないのに物価ばかりが上がっている。経済大国といわれた日本で、毎日の食事に窮する人がたくさんいるなどという現状をいったい誰が予測できただろうか。介護保険もがたがたになってきているから、将来に対する不安を感じる人も多いだろう。日本はすでに、貧しい国になっているのである。

健康保険証をマイナカードと一体化させるとしたが普及率は10%にも満たないようだ。デジタル化は避けられない世の趨勢だが、国のやり方はお粗末の限りだ。デジタル化は何であれ、アナログを残した形式で普及すべきだが、今までの無策を棚に上げて遅れを取り戻そうとするから混乱するのである。住基ネットなどの失敗がまるで生きていないのが何ともお粗末なのである。

賃金は上がらないのに、物価は高騰し続けている。しかもインボイスその他で、増税が進んでいる。すでに五公五民と言われて、収入の半分が徴収されているのに、国はさらに税を納めさせようとしている。「増税メガネ」などと言われて慌てて減税を打ち出しても、岸田の人気は下がるばかりである。欧米なら暴動が起きてもおかしくない状態だが、誰もがおとなしいのはどうしてなのだろうか。

こうした現状をしっかり調査して国民に伝えるのがメディアの一番の仕事だが、そんなことを社是にしているメディアはほとんどない。政治家や経済界に忖度ばかりして、何も言わない態度である。しかもジャニーズの問題で明らかになったように、テレビは芸能プロダクションにまで忖度し続けてきたのである。それにしても吉本興業や宝塚など、芸能界も壊れているようだ。

と書いてきたら、もう止まらなくなった。しかし虚しくなるばかりだから、このぐらいにしておくことにしよう。

2023年10月30日月曜日

グレン・H・エルダー・Jr.『大恐慌の子どもたち』 (明石書店)

 

journal1-245.jpg 1920年代に未曾有の好景気を味わったアメリカは、1929年に大恐慌に陥った。その不況の嵐は世界中に及んで人々を苦しめたが、この本は子どもたちに注目して、その不況の時代だけではなく、それ以後の人生において、大恐慌の経験がどのように影響したかを辿ったものである。とは言え、最近出版された新しいものではない。最初の刊行は1974年で、日本語に訳されたのは86年である。その改訂版(完全版)であある本書には「その後」という章が追加されている。

監訳者の川浦康至さんは勤務していた大学の同僚で、一緒に退職したのだが、彼からはすでにパトリシア・ウォレス著『新版インターネットの心理学』 (NTT出版)もいただいている。このコラムでも紹介済みだが、そこで退職した後にほとんど何もしていない僕とは違って、しっかり仕事をしていると書いたが、また同じことを書かねばならなくなった。改訂版とは言え、何しろこの本は500ページ近い大著なのである。ご苦労様としか言いようがない。贈っていただいたのだから、せめて読んで紹介ぐらいはしなければ、申し訳ないというものである。

著者のグレン・H・エルダー・Jr.は1934年生まれだから、大恐慌を経験していない。その彼が大恐慌を経験した子どもたちに関心を持ったのは、博士課程在学中に図書館で見つけた資料と、その後に、それを作成したカリフォルニア大学バークリー校にポストを得たことだった。資料はポーランド移民の調査研究で有名なW.I.トマスが中心になって、大学近くのオークランドでおこなった調査だった。エルダーは当時の被調査者に再度面接し、第二次大戦やその後の経験を含めた聞き取りをして、『大恐慌の子どもたち』 にまとめた。改訂版にはさらにその25年後におこなった再調査が追加されている。

調査に協力したのは1920年から21年にかけてアメリカに生まれ、オークランドに住んでいた167人で、ほぼ男女同数の子どもたちだった。驚くのは、その後の調査にもほとんどの人たちが協力をしていて、100人を超える人たちの人生(ライフコース)聞き取っていることである。オークランドは湾をはさんで対岸にサンフランシスコがあり、北には大学町のバークリーがある。南はシリコンバレーとして70年代以降に急発展した街がある。ここにはパートナーの友人が住んでいて、数日滞在したことがある。湾に面した街の中では地味で寂れた感じがした。

大恐慌はオークランドに住む人たちの暮らしを大きく変えた。調査は、中間層と労働者層に分け、さらに影響の大きさによって二つに分けている。そこで、少年少女たちに訪れた生活の上での変化と、それによる心理的な影響について分析している。それが30年代後半の景気の回復や高等教育の有無、そして第二次世界大戦における兵役の経験へと繋がっていくのである。大学に行ったのか行かなかったのか、どんな職業についたのか、結婚と子どものいる家庭での暮らし方はどんなだったのか。そんな聞き取りが、一般的な調査や研究と比較されて分析されていく。

僕は浮気者だから、その時々に興味を持った対象をつまみ食いのようにして分析してまとめてきた。量的・質的調査もほとんどせずに、社会学や哲学の理論を援用して分析をするといった似非科学的な手法だった。だから、一つのテーマを聞き取りといった手法で追い続けるこの著者とこの本とは対照的な位置にいて、すごいな、と思いながら読んだ。自分にはできないが、研究とは、こういうふうにしてやるべきものだという見本であることを再認識した。

2023年10月16日月曜日

ジャニーズ騒動その後

 

ジャニーズ事務所についての問題が混迷を極めている。メディアもスポンサー企業も、今まで知らぬふりを決め込んできたのに、ジャニー喜多川による性犯罪が白日の下に晒されはじめた途端に、ジャニーズ事務所との決別を言い始めた。メディアもスポンサー企業もぐるじゃないかと疑われることを恐れての自己保身だと言わざるを得ない。

そんなふうに思っていたら,『日刊ゲンダイ』に興味深い記事があった。「ジャニーズ事務所のメディア支配…出発点はメリーによる弟ジャニーの『病』隠し」と題された記事で、そこにはジャニーの病を知っていた姉のメリーが、その病がまた、魅力的なアイドルを嗅ぎ出す特殊な才能であることに早くから気づいていたと書いてあった。そんなふうに見つけた少年たちを次々アイドルにして急成長した「ジャニーズ事務所」は、実質的な経営を姉のメリーが取り仕切ってきたというのである。

この記事を読んで、僕はトリフを見つけ出す犬のことを連想した。獲物がトリフだったらもちろん,罪はないが、相手が少年で,それが性的欲望をかなえる対象だったのだから、発覚すれば当然、大問題になる。姉のメリーにとって、弟のジャニーの性癖を野放しにすることと、それを徹底的に隠すことが、事務所の存亡にとって一番の課題になったのである。

「ジャニーズ事務所」から排出されたタレントが、やがてテレビの視聴率を左右するほどの力を持つようになると、ジャニーの性癖やその被害者のことを知っていても、テレビもスポンサー企業も、そのことを不問に付しつづけた。それは「週刊文春」がそのことを記事に書き,「ジャニーズ事務所」が訴えた裁判で、文春が勝ってジャニーの性犯罪が認められた時も、テレビはもちろん,大手の新聞も,そのことをほとんど取り上げなかった。

.ジャニーから性的被害を受けた少年は数百人に及ぶという。それ自体何ともおぞましいことで、僕は「ジャニーズ事務所」は別組織として出直すのではなく,即刻解散すべきだと思う。所属タレントたちはそれぞれ別の会社に所属すればいいのである。しかし,同じくらい重要なのは、テレビや新聞が罪深さを自覚して、反省することだと思う。そもそもこの事件はイギリスのBBCが明るみに出してやっと動き出したことなのである。

もう一つ,気になっていてうまく理解できないのは、ジャニーが性的欲望の対象にした少年たちが、アイドル・スターとして人気を博するようになっていったという事実である。そのスターたちに憧れ,ファンになった多くは少女たちだった。彼女たちにとっても、惹きつけられる要因は性的欲望だったのだろうか。そんな疑問は、そもそも日本に特殊に発展した「アイドル」という現象全般に繋がっていく。アニメが世界を席巻したことを含めて,極めて特殊日本的な特徴のように思う。それを読み解くのは、やっぱり「かわいい論」再考になるのだろうか。もう少し若かったらやって見たかったテーマだと思う。


2023年9月11日月曜日

万博って何なのか

井上さつき『音楽を展示する パリ万博1855-1900』(法政大学出版局)

2025年に開催される大阪関西万博が工事の遅れなどで話題になっている。そもそもなぜ今万博なのか。その意図がよくわからない。と言うより大阪市はカジノを中心にしたIR(統合型リゾート)を作ることを狙って、万博をその隠れ蓑にしたと批判されている。地盤がまだ安定していないゴミの埋め立て地だから、建物を造っても沈下してしまうし、交通手段もかぎられている等々、問題は山積みだ。

この万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、サブテーマとして「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」と極めて抽象的でよくわからない。確かに温暖化は深刻だし、戦争や紛争はたえないが、そんな現実的な問題を具体的にテーマにしているわけではないようだ。

xpo1.jpg そもそも万博って何なんだ。そう思って、書架に読まずに積んであった万博関連の本を探してみた。井上さつきの『音楽を展示する』は19世紀中頃から20世紀初頭にかけて何度か行われた「パリ万博」について、主に音楽に焦点を合わせて論じたものである。万国博覧会は1851年にロンドンで初めて開催された。パリ万博は1855年に開催され、続いて1867年、78年、89年、そして1900年とほぼ10年ごとに開かれた。パリでの開催はこの後1937年で、その後は開かれていない。

パリ万博は産業革命を誇示したロンドン万博と違って、産業の他に芸術の展示を重視した。しかし絵画や彫刻と違って、音楽は、常設の展示ではなくコンサートという形で行われる必要がある。この本には、その音楽の展示方法の工夫や、演奏され歌われる音楽の種類、それらを聴きに来る聴衆の階層などが、開催年度によっていろいろと見直されてきたことがよくわかる。パリ万博といえばエッフェル塔ぐらいしか思い浮かばなかったが、パリが芸術の街と言われるようになる上で、万博が果たした役割が大きかったことを再認識した。

万博は産業の発展を目的に始まり、文化的な側面を追加して、人々に近代化による社会の変化を実感させることに役立ったが、その産業は20世紀になると二つの世界大戦を引き起こすことにもなった。1970年に開催された大阪万博は、大戦から立ち直った日本や世界の現状、あるいは宇宙への関心などを展示する上で大きな意味があったと言われている。しかし、その後の万博ははっきりいって、もうやる必要のないものになってきていると言えるだろう。今さら世界中から最新技術や文化的なイベントを一ヶ所に集めて開催される意味がどれほどあるのか、はなはだ疑問なのである。

だからこの本を読んでまず感じたのは、万博の意義はすでになくなっているということだった。クラシック音楽がコンサートホールで聴くものとして確立し、印象派やキュービズムなどの美術が美術館に展示され、高額の値段で売買されるようになったのは、まさに19世紀の後半の万博が華やかに開催された時期と重なるのである。あるいは20世紀になると映画やラジオやレコードといった技術が普及し、やがてテレビが登場するようになる。そして、20世紀終わりからのインターネットである。19世紀末から始まったオリンピックと併せて、こんなものを未だに当てにしている日本の政治家たちの古びた感覚に、もううんざりするしかないのである。

2023年8月28日月曜日

Xって何?

twitterx.jpg" 「Twitter」が突然「X」になった。何で?と思ったが、ツイート自体に変化はない。それにしても、長いこと馴染んできたロゴが消えて、謎の「X」になるとは。どうせイーロン・マスクの仕業だろうと思って、理由を調べることにした。

「X」はイーロン・マスクがこれまでも好んで使ってきた文字のようだ。彼がPayPalと合併して作った会社が「X.com」で衛星打ち上げ企業は「Space X」、さらにテスラにもモデルXがある。息子の名前にもXを使っているし、最近立ち上げた人工知能のベンチャー企業名も「xAI」だという。そして、単に「X」が好きというのではなく、彼には未来に向けた遠大な計画があるようだ。

 Xは、オーディオ、ビデオ、メッセージング、支払い/銀行業務を中心とした無制限のインタラクティビティの将来の状態であり、アイデア、商品、サービス、機会の世界的な市場を創造します。AIを活用したXは、私たちが想像し始めた方法で私たち全員を結びつけるでしょう
「Twitter」は鳥のさえずりを意味することばを使って名づけられた。日本語では「ピーチクパーチク」で、周囲にうるさくまき散らすイメージだが、どういうわけか「つぶやき」と訳された。「さえずり」は周囲に向けたコミュニケーションのやり方だが、「つぶやき」は独り言で、相手を意識しない。いかにも日本人的な発想で、始まった頃に批判した覚えがある。面と向かったやり取りではなく、独り言をつぶやきあう。もちろん、つぶやきに反応してつぶやくのだが、さえずりよりは発言の力が弱められて広がることになる。発言に対する責任回避のやり方だと思ったものだった。

しかし、「Twitter」が「X」になることで、やがてこのSNSは「さえずり」でも「つぶやき」でもない別のメディアになってしまうのだろう。イーロン・マスクの野心には、そんな危惧も持つ。「X」は、これから彼が経営する他の「X」と名のつく企業と連携させて、よりビジネスに傾斜したものにするつもりだからだ。もうそうなったら、僕には用がないなと思ってしまう。

そう言えば、最近は「Twitter」をチェックすることも減っていたし、「FaceBook」などは、ほとんど見なくなっていた。どっちにしても、自分で書き込むことは、もう何年も前からやめていたが、最近では書き込む人の数もずいぶん減っていた。それに、どちらにしてもCMが多くなって、開けてもうんざりして、ろくに見もしなくなっていたのだ。

ネット上で面白いなと思ったメディアが人気になると、やがて買収されてビジネスの道具になる。その途端にCMが溢れ、面白さが失せていく。YouTubeもCMばかりだし、Amazonプライムも値上げをした。テレビに続いてネットも面白くなくなったら、何を見て毎日を過ごそうか。そんな不満を感じることが少なくない。


2023年7月30日日曜日

旅行者には円安がよくわかるはず

大谷選手の試合を見にロサンジェルスまで行った人たちがYouTubeに観戦記を載せています。おもしろいのは、球場までの乗り物について説明したり、球場内のストアでユニフォームや帽子などを物色したり、食べ物や飲み物を買ったりする様子で、一様に値段の高さに驚いています。

たとえば球場内でのビールの値段は16ドルで、円に換算すると2200円ほどになります。大きいとは言え紙コップ一つですから、買うのを躊躇したりする人も多いです。バイキング形式のレストランは35ドルですから5000円にもなりますし、スタンドで買う食べ物も2000円ぐらいはざらのようです。大谷選手のユニフォームは150ドル前後しますし、帽子だって50ドルもします。入場料を払い、飲食をして、お土産にユニフォームをということになると、一人でも数万円で、家族で行ったりすれば、10万円を超える出費になってしまうのです。

アメリカは好景気が続いていますから、物価の上昇はすさまじいようです。しかし、収入も増えていますから、暮らしている人たちにとっては、それほど驚くことではないでしょう。ところが日本人にとっては円安で1.5倍ほど多く払わなければなりませんし、上がりはじめたとは言え、日本の物価はここ10年以上、ほとんど変わらなかったのです。もちろん賃金だって上がっていませんから、実質的には、ここ数年で、日本人にとってアメリカの物価は4倍にもなったということになります。

逆に日本にやって来る旅行者たちにとっては、日本の物価の安さが大きな魅力になります。何しろ1コインで昼食が食べられたりして、しかもおいしいときたら、いろいろ食べ歩きもしたくなるでしょう。コンビニは24時間開いていて、いろいろな品物が満載です。100円ショップも驚くほどの値段と品数です。

アメリカに住む友人家族が来た時にも、日本の物価の安さが話題になりました。ちょっといいとか面白いと思ったものを次々と買って、こちらは驚くやら呆れるやら。コロナ前には中国人の爆買いが話題になりました。それをインバウンドによる景気回復などと言って喜んでいていいのかと思いました。

もちろん、裕福な外国人観光客目当てに、ばか高い値段をつけるといったこともあるようです。河口湖周辺のホテルや旅館でも、1泊4、5万円といった料金を付けるところがあります、他方でコンテナを改造した宿泊施設なども増えて、観光客も様々になっています。毎週通うスーパーのレジの人と話をすると、外国人の客が増えているようです。素泊まりの安いところに泊まって、食事はスーパーで調達。若い人たちにとっては、安く旅行が楽しめることでしょう。

最低賃金がやっと1000円を超えたといったニュースがありました。最近の物価高で食事も満足にできない人が増えていると言われています。外国人には安いと驚かれる品物も、収入がさほど増えない人にとっては、最近の物価高で死活問題になっているようです。税収をどうやって増やすかばかり考えている政府にとっては、目に入らない存在なのでしょう。

2023年5月8日月曜日

一角獣とユニコーン

 

unicorn.jpg" 「ユニコーン」は角の生えた馬のような伝説上の生き物です。力強く勇敢で足が速いということから、一昨年以来、大谷翔平選手の活躍を讚える時の敬称として使われています。ヨーロッパに伝わる伝説上の生き物で,もちろん,実在したわけではありません。しかし、ギリシャの古典文学や旧約聖書、あるいはケルトの民話などに登場する,極めてポピュラーなものでもあるのです。確かに打って,投げて,走ると何役もこなして、しかもすべてが超一流という大谷選手にはふさわしい呼び名かも知れません。とはいえ、日本では馴染みのあるものではなかったので、「ユニコーン」だと言われても,あまりピンと来ませんでした。

その大谷選手は,WBCでの躍動以降、今年も投打にわたって絶好調です。4月の月間MVPは取れませんでしたが、それは投手と打者の二部門に別れているためで、両方で活躍しているのは彼だけですから、総合すれば毎月MVPをとってしまうのだろうと思います。まさに「ユニコーン」ですが、今年も彼のような二刀流の選手が現れてこないところを見ると、これは彼にしかできないことなのかもしれません。フリー・エージェントになってどこに行くのかといったことが連日騒がれていますが、ケガをしないで,このまま元気で活躍してほしいものです。

ところで「ユニコーン」は日本語では「一角獣」と訳されます。それに見合う伝説や物語はありませんが、先週紹介した村上春樹の『街とその不確かな壁』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には壁に囲まれた「世界の終わり」という名の街に住む生き物として登場します。決して強くはなく,むしろ穏やかで弱く,冬には寒さと食べ物の不足で多くが死んでしまうのです。この街に住むためには、街の入り口で影を切り離さなければなりません。その影はやがて衰弱して死んでしまうのですが、「一角獣」がしているのは、その影が持っていた「心」を吸い取ることなのです。

この本を読みながら思ったのは,今の日本の社会そのものではないかということでした。「日本の終わり」という街では、徐々に衰えているのが事実なのに,人々はそのことに無関心です。もちろん,落日の経済大国で、生活が苦しくなっているのは明らかですが、そのことに目を向けないようにすることが、暗黙の了解事項であるかのようなのです。まるで「心」を「一角獣」に吸い取られてしまったかのように見えるのです。

他方で,この「日本の終わり」という街を支配する人たちは強欲で、壁の外に対する敵対心も強烈です。まさにやりたい放題ですが、それを批判する声は挙がりませんし、行動も起きません。こんな状況を見た時に思い当たるのは,「一角獣」とはメディアと教育システムではないかということでした。校則を厳しくして、自由な発言を制限する教育制度や、政権に忖度して、現実を見えないようにしているメディアこそが、人々の「心」を育てないように、失わせるように働いている。「ユニコーン」と「一角獣」が似て非なるものであることに、改めて気づかされた思いです。

2023年3月27日月曜日

WBCが終わって思ったこと

 

wbc1.jpg" WBCで日本が優勝しました。大谷対トラウトで終わるというマンガのような展開でした。まさに大谷の、大谷による、大谷のためのWBCだったと思いました。自分が望むヒリヒリするゲームを経験したでしょうが、見ている者にとっても、ハラハラドキドキや感嘆の連続で、見ていてぐったり疲れてしまいました。このままシーズンに入って、今年こそはポスト・シーズンでも活躍できるよう望むばかりです。

WBCはMLB(メジャー・リーグ機構)が主催する大会ですが、メジャーの各球団はこれまで決して積極的ではありませんでした。チームの看板選手を出して、ケガでもされたらかなわない。そんな考えで、これまでは一流選手の出場はかぎられてきました。しかし、今回はトラウト選手がいち早く参加を宣言して呼びかけたこともあって、多くの選手が参加する大会になりました。その意味では、日本の優勝は今回こそが真の世界一だといえるかも知れません。

そんな大活躍の日本チームの表の主役は大谷選手でしたが、裏で支えたダルビッシュの献身的な努力があったからこそ、というのも間違いないと思います。彼はパドレスのキャンプに参加せずに、宮崎キャンプに最初から参加しました。そして若い選手たちに投球の仕方はもちろん、練習の仕方や食事のとり方など、質問されれば丁寧に答えることを繰り返しました。国の代表であることに緊張する選手たちに、そんなことなど気にせず楽しくやろうと呼びかけ、食事会を何度も催したようです。

しかし、ダルビッシュ選手は最初からWBCに積極的だったわけではありません。彼は再婚ですが、オフシーズンには子供の世話やら家事をパートナーと五分五分でやっているようです。しかもその生活に十分満足しているのだとも言いました。それを犠牲にして参加を決めたのは大谷選手の強い誘いだったようです。参加するなら最初からとことんつきあってやる。そんな決断は決して簡単ではなかったと思います。栗山監督は、でき上がったチームを「ダルビッシュ・ジャパンだ」と言いました。

予選から決勝戦まで十分すぎるくらい楽しみましたが、中継をアマゾンがやってくれたのは大助かりでした。テレビはテレ朝とTBSが中継しましたが、我が家ではどちらのチャンネルも見られなかったのです。なぜメジャー中継をやるABEMAではなくアマゾンだったのか。理由は分かりませんが金銭的なものだったことは推測できるでしょう。ただ、スマホやパソコンからテレビに繋ぐと音声だけしか聞こえなかったのは残念でした。番組によってそうなるのはよくありますが、どういう規制が働いているのでしょうか。

WBCの収益金はすべてMLBに入ります。どれだけのお金かは発表されていませんが、その大部分がMLBに行って、満員の東京ドームで予選を行った日本にはわずかしか返ってこないようです。収益金の多くを野球の世界振興のために使うといった大義名分があるとも聞いていませんから、このことははっきりするよう、日本のプロ野球機構は問いただすべきだと思います。日本チームの選手は強いメジャー選手にも気後れすることなく立ち向かって王者になりました。プロ野球機構の従順さはもちろんですが、日本の政治家や官僚たちにも、今回の日本チームの頑張りを見習って、アメポチといった屈辱的な姿勢を改めるきっかけにしてほしいと強く思いました。もちろん、そんなふうに思う政治家や官僚はほとんど皆無だろうと思っての願いです。

2023年2月13日月曜日

棄民政策がまかり通っている

 

コロナ禍に襲われて3年が過ぎました。今は第8波で、感染者数も死者数も段違いに多いのですが、政府の態度は、もう終息したかのようです。5月にはインフルエンザと同じ5類にするという方針が出されました。確かに若くて健康な人にとっては、風邪の一種ぐらいで済んでいるようです。けれども高齢者や疾患を持っている人にとって、重症化や死の危険がある感染症であることにはかわりはないのです。このような現状を見た時に思うのは、この国は社会の役に立たない弱者や高齢者は切り捨ててもいいという方針を暗黙の了解事項にしたのではという懸念です。

現在の日本は超高齢化社会で、2021年の平均寿命は女が世界1位の87.57歳、男は81.47歳で3位です。.コロナの影響で2020年より下がったようですが、2022年度はもっと下がるでしょうし、23年度にはさらに下がるのは明白です。何より第8波で死んだ人の大半は高齢者で、老人ホームなどでの集団感染が多かったと言われています。それを大変なことだと考えないのは、政府が健康保険や年金の制度を破綻させないためには良いことだと思っているからだと言われても仕方がないことでしょう。

それは公にはされない棄民政策ですが、別の事柄で同じような発想を公言する政治家や官僚が後を絶たないのも事実です。同性婚は生産性がないと言った政治家が役職を解かれましたが、今度は首相秘書官が同性婚は気持ちが悪いとオフレコ発言をして更迭されました。岸田首相は同性婚の法制化には消極的ですが、今回の発言が海外で問題視されたことに慌てて、広島サミットまでに法制化しようかなどと言い出しています。何しろサミットに出席する国で同性婚を認めていないのは日本だけですから、議題に挙げられたら、世界の恥さらしになってしまうのです。

物価高騰を受けて、賃金を上げることが喫緊の課題になっています。しかし、そこでも4割にもなった非正規雇用の人たちは後回しにされています。一体時給が1000円に満たない収入で、どうやって暮らしていけと言うのでしょうか。これでは若い人たちが結婚などできないし、子供も作れないと思うのは当然でしょう。出生数の大幅な減少を受けて、慌てて子供の養育費などを考えても、もう手遅れという他はないのです。

人口減少に対応して雇った外国人労働者に対する扱いもひどいものだと言えるでしょう。あくまで一時的で、定住されたり、子供を作られたりしては困る。そんな身勝手なルールがまかり通っています。「技能実習制度」というのは、現実には認められていない非熟練労働をやらせるための隠れ蓑で、単純労働では、何の技能も身につかないのが実態です。それに苦情を言ったり逃げたりすれば、強制送還というのですから、人として扱わないと言われても仕方がないでしょう。

こんなふうに、今の日本には暗黙の「棄民政策」が溢れていますが、他方で権力者たちの私利私欲を求める行動が見過ごされてもいます。国会議員は一体いつから殿様になって、世襲が当たり前になったのでしょうか。最近の首相の多くは2世、3世議員ですし、その子どもたちが、当たり前のように後継だと言われています。ひどい国になったものだとつくづく思います。若い人たちはこんな国を見限って海外に出たらいいし、外国の人には見向きもされなくなったらいい。ほとほとあきれて、そんなことも言いたくなりました。