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2024年4月29日月曜日

地震対応に見るこの国のお粗末さ

 



taiwan14.jpg台湾の花蓮で4月3日にマグニチュード7.7の大きな地震があった。ビルが傾いたりして被害の大きさが報道された。僕は2012年に台湾一周旅行をして、花蓮にも数日滞在し、太魯閣峡谷に出かけている。海でできた分厚い石灰岩が大理石に変成し、隆起した後に、長い年月をかけて雨によって削られた場所で、何千万年という時間が作り出した絶景だった。ところがこの地震で一番人的被害が多かったのがこの地域で、がけ崩れで埋まった人やトンネルに取り残された人、あるいは交通遮断で孤立した人たちなどが多数いたのである。一度行ってその景観に圧倒されただけに、その峡谷が崩壊したらと考えただけで恐ろしくなった。

しかし、もっと驚いたのは花蓮で避難所を設置する様子で、それほど時間が経っていないのに、体育館にずらっと個室が並んでいたのである。まだ被災者がほとんどいないのに食べ物や衣料など、必要なものも整えられているという報道だった。日本では正月に能登の地震があって、相変わらずの体育館に雑魚寝の様子が伝えられていたから、その違いに驚かされた。

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花蓮は最近でも2018年と22年に大きな地震に見舞われていて、その度に大きな被害を受けている。だから地震に対する備えが出来ていたのだろう。報道では、台湾の災害対応は1999年の地震以後に日本から学んだということだった。花蓮では2018年の地震でうまく対応できなかったことを反省して、必要なものの備蓄を整え、人々の訓練も行われてきたと報じられた。傾いたビルの撤去がすぐに始まったことにも感心させられた。花蓮では23日にも大きな余震があってビルが傾くなどの被害があった。おそらくまた迅速な対応をしているのだと思う。

ところが日本では能登地震から4ヶ月が過ぎようとしているのに、未だに避難所生活をしている人がいる。家が住める状態だとしても、上下水道が普及していないところが多いようだ。仮設住宅の建設もほとんど進んでいないのである。倒壊した建物や、破損したクルマがそのままに取り残された光景を見ると、4ヶ月も経っているのに、いったい何をしているんだろうと怒りたくなる。

もっともテレビは、そんな普及の遅さを批判的に伝えたりはしない。水道が使えないのにレストランやカフェを営業しているなどといった事例を美談のようにして紹介するものが多いのである。政府や県の対応のまずさ、というよりはやる気のなさが目立つのに、強く批判するメディアがほとんどないという現状には呆れるばかりである。ネットでフリーのジャーナリストの現地報告を何度か聞いたが、能登の人たちがまさに棄民状態に置かれたままであることを一様に話していた。被災した人たちの政府や自治体、そしてメディアに対する不信感はかなりのものようだ。政治もダメだがジャーナリズムもダメ。この国のお粗末さは、いったいどこまでひどくなるのだろうかと空恐ろしくなる。


2024年3月18日月曜日

株だけが高いのはなぜ?

 



kabuka.gif 日本の株価がバブル期を超えたと大騒ぎになった。これまでの最高値は1989年の12月29日につけた3万8957円44銭で、これはバブルがはじける直前に出た値である。株価はその後急落して2003年の4月には7607円88銭まで落ち込んでいる。その後少し持ち直したものの、リーマンショックや民主党政権の成立で1万円以下で推移し、安倍政権誕生とともに急上昇を始めて、2万円を超える額になった。それが21年には2万5000円、23年5月に3万円を超え、この3月には一時4万円を超えたのである。

en.gif 株価については円と関係があって、株が上がれば円安になり、円高になれば株が下がるといった特徴がある。これは日本の経済が輸出に依存しているからで、円安になれば輸出産業の売り上げが増すと予測されるからである。その円のレートは80年代の前半は1ドル200円台で推移していたが、後半には急激な円高になって、株が最高値をつけた89年には130円前後になっている。バブルがはじけて株が急落しても、円は100円台の前半を推移して、民主党政権が成立した2010年以降には円高が進んで2013年には79円になった。それが円安に転じるのは安倍政権以降のことである。

このような経過をグラフで見ると株価と円の関係が対照的になるのは安倍政権以降であることが分かる。株価が上がったのは「アベノミクス」によるもので、そこには日銀や年金機構が株価を買い支えるといった操作が顕著であった。実際国内の最大の株主は日銀で、保有する時価は70兆円で、年金機構の額も30兆円以上だと言われている。これは日本の株式全体の6分の1にもなる額で、極めて不自然なものである。もう一つ、円安を誘導したのが日銀のゼロ金利、さらにはマイナス金利政策であったことも加えておく必要がある。

日本の経済の実態はバブル期を境に下がり続けていて、失われた30年と言われている。日本のGDPが戦後の経済復興によってアメリカに次いで世界2位になったのは1968年のことである。それが2010年には中国に抜かれ、去年の23年にはドイツに抜かれて4位に下がった。新興のインドが急速な経済成長を遂げているから、そこにも抜かれて5位になるのは時間の問題だと言われている。あるいは、一人当たりのGDPで言えば、日本はすでに先進7カ国の最低で、世界全体では37位に下がっていて、韓国と台湾にはさまれた位置にある。

このように見れば、現在の株高が経済の実態とはかけ離れたものであることがわかるだろう。最近の円安がインバウンド増の要因と言われているが、円そのものの値よりは、この30年間、物価が上がらなかったことで、日本にやって来る人には、何でも安いと感じられるからである。もちろん、その間、個人収入もほとんど増えていないし、パートやアルバイト、あるいは契約といった形で働く人が増えて、貧富の格差が大きくなっているのである。株高が外国人投資家によるとも言われているが、そこにもやはり、割安感があるのだろう。

現在の株高は、日本の経済とは関係ないものだから、いずれは暴落すると言う人もいる。ゼロ金利政策を是正したい日銀は、株価が急落しないようにして、それを改めなければいけないが、それはおそらく至難の業である。もっとも日銀は国債の5割以上を保有しているから、金利をマイナスから0、そしてプラスに上げれば、今度はその利子の支払いに苦慮することになる。それもこれも「アベノミクス」が招いたことだから、安倍元首相の罪はとんでもなく大きいのである。


2024年1月29日月曜日

災害対応のお粗末さに想うこと

 

能登の地震から一ヶ月近くが過ぎました。真冬の季節の中、未だに一万人以上の人たちが体育館などの避難所で過ごしているようです。生活していた土地を離れて金沢などに二次避難する人が増えているようですが、土地や近隣の人たちから離れることを拒否する人も多いようです。高齢者ばかりの小さな集落が多いという特徴が、今後の復興にも大きな影響を持つかもしれません。誰もいなくなった集落が廃墟になっていく。それが現実にならないよう願うばかりです。

能登半島には一昨年の10月に出かけました。主に海岸沿いの道を先端の狼煙灯台まで行きましたが、黒い屋根瓦の家が点在する風景が印象的でした、ところが地震によって倒壊した家のほとんどがまた黒瓦の家だったようです。いかにも重そうな感じがしましたし、地震に備えた補強もしていなかった家がほとんどだったようです。能登の地震はすでに何年も前から群発していて、大きな地震も数回ありました。その時に倒壊した家もあったわけですから、なぜ、その後に対応しなかったのかと、行政の怠慢を非難したくなりました。実際大きな地震が起きる危険性があることは、以前から指摘されていたことなのです。

新幹線が金沢まで延伸されて、金沢をはじめ能登も観光客で賑わっていました。風光明媚で温泉もあり、食材も豊かな土地ですから、観光客の増加を目指す気持ちはわかります。しかし今回の被害の大きさやその特徴を見ると、しっかり対応しておけば、もっと小さなものにできたのではと思いました。経済重視の政治の無策がまた露呈したわけですが、復興に全力投入するために万博は中止という声は、少なくとも政治家からは聞こえてきません。停止中だったために大きな被害をかろうじて免れた原発についても、相変わらず見直す動きは起こらないようです。自分の懐を肥やす以外に能のない政治家をのさばらしておいた結果というほかはないでしょう。

東日本大震災以来、熊本や能登と大きな地震に見舞われてきました。これからも大きな地震の危険があると言われている地域はいくつもあります。それに対して対策をという声は聞こえてきますが、今回の対応を見ていると、何度被災しても何も変わらないことが多すぎるという印象を持ちました。一番は被災者が体育館で雑魚寝をしているという相変わらずの風景でした。体育館などに敷き詰めるように作られた段ボール製の仮設小屋やベッドなどがあるようですが、なぜ備えておかないのでしょうか。各自治体が全国的に備えておけば、被災地にすぐに提供できるはずですから、避難所の風景はずい分違ったものになるはずです。

大きな地震には停電と断水がつきものです。暖房ができない、トイレが使えない、そしてもちろん風呂にも入れない。そうならないために何を用意しておいたらいいのか。地震大国の日本ですから、このような備えについてのノウハウがもうとっくに出来上がっていていいはずです。必要なものを全国的な規模で分散的に備蓄しておいて、災害が起きたらそれをどういう手段で被災地に運ぶかを考えておく。そんな備えがなぜできないのでしょうか。用もない兵器を爆買いしたり、隣国を敵視して有事を煽る前に、やらなければいけないことが山積みのはずなのです。


2023年12月18日月曜日

大谷選手のドジャース移籍に思ったこと

 

エンジェルスの大谷選手がドジャースに移籍しました。契約は10年で破格の7億ドル。もう引退するまでドジャースでやると決めたのだと思います。ただし、決まるまでの数日は、代理人から箝口令が敷かれたこともあって、憶測記事が氾濫してかえって大騒ぎになりました。日本のメディアも「すごい、すごい」と言うばかりですが、僕はこの経緯について、大きな疑問を持ちました。

ウィンター・ミーティングが始まって、大谷選手がジャイアンツのオラクル・パークに行ったというニュースが入り、その後にブルージェイズのキャンプ地を訪れたと報道されました。ここからトロントが注目されるようになって、カナダドルで10億ドル払うという記事が出て、一気にブルージェイズ有利という様相になりました。しかし、その数日後にドジャースに決まって7億ドルという契約額になったのです。ブルージェイズが出した額とほぼ同じだったわけで、代理人はブルージェイズを出汁に使ってドジャースに契約金の釣り上げを迫ったのかもしれません。

もちろん大谷選手のドジャースに対する気持ちは、今に始まったことではないのです。高校卒業時にメジャーに行くと宣言した時に念頭にあったのはドジャースで、栗山監督に説得されて翻意したのでした。メジャー・リーグに行く時もドジャースとは面談しましたが、ナショナル・リーグにDHがなかったことで、アメリカン・リーグのエンジェルスに決めたのでした。大谷ルールでナショナル・リーグもDH制になりましたから、ドジャースに行くことには、何の障壁もなくなったのです。

だとしたら、もっと早くにドジャースに行くと発表しても良かったと思います。それがなぜ、ここまで時間がかかったのでしょうか。考えられるのは、競合球団を募って契約額をあげようとした代理人の戦略でしょう。契約額は最初は5億ドルだろうと言われていました。右肘靭帯の手術で来年はDHでの出場しかできませんが、それは関係なかったようです。いくつもの球団が名乗り出て5億ではなく6億だと言われるようになり、最終的には7億ドルになりました。

選手の価値をお金で計るのはアメリカでは当たり前のことですから、代理人の手腕は褒められるだろうと思います。しかし、大谷選手はどうだったのでしょうか。もしこの先ケガをして、欠場が多くなったり、成績が落ち込んだりしたら、猛烈なバッシングを浴びることになるのは明らかです。エンジェルスにはレンドーン選手がいて、そのつらさを目の当たりにしていたはずです。決断の裏には、大谷選手の相当の決意があったことでしょう。もっとも大谷選手のことですから、ダメだと思ったら自ら契約を破棄してしまうかも知れません。

大谷選手にとって気がかりだったのは、自分が年7000万ドルももらってしまうことが、ドジャースの選手補強の妨げになるということでした。そこで彼が提案したのは、大半を契約が終了した後に先延ばしするというものでした。何しろメジャーの球団の中で年俸総額が7000万ドルに達しない球団が8つもあるのですから、その額が破格なのがよくわかります。払いを先送りすることで、ドジャースには、もっと選手を取る余裕が生まれましたから、7億ドル払ってもいいだろうということになったのです。ちなみに来年から10年間の年俸はわずか200万ドルということで、これは副収入が5000万ドルもあることから税金対策を考えてのことでしょう。

こんな顛末でしたから、僕はちょっとがっかりしました。すでに強いチームではなく、自分が入ることでプレイオフまで行けるチームを第一に考えるはずですから、僕はオールスター前からジャイアンツが最適だと思ってきました。ジャイアンツも最後まで残っていましたから、サンフランシスコもまたトロント同様にがっかりしていることでしょう。ちょっと興ざめですが、来年からも、彼の出る試合につき合うことにかわりはありません。くれぐれもケガをしないように。そう願うばかりです。

2023年11月20日月曜日

批判する気も失せたけれど

 

日本はもう壊れていると思ってから久しいけれど、それがますますひどくなっている。一度劣化しはじめると止まらない。その見本のような光景は、どたばた喜劇のようで面白い気もするが、それが私たちの生活や未来に関わってくるから、もう絶望的な思いに囚われてしまう。

大阪万博がどうしようもない状況に陥っている。中止の声が高まっているが、国も大阪府・市もやめる気はないようだ。で、予算ばかりが膨らんでいく。東京オリンピックの二の舞いだが、そのずさんさは、オリンピック以上のようだ。そのオリンピックだって、いったいいくらのお金がかかって、どこにどう使われたのか、事後の検証はまったくなされていない。やりっぱなしで後は知らんという態度である。

大阪万博の会場はゴミの埋め立て地で、軟弱で地盤沈下が激しいから高い建物は造れない。そんなところを会場にしようというのがそもそもの間違いなのだが、お構いなしに決めたのが維新の松井や橋下が安倍を口説いた酒の席だったと言われている。しかも本当の目的はカジノをメインにしたIRの設置だったのである。事前の入念なチェックもなしに決めてしまう。そんなところは他にもたくさんある。沖縄の辺野古基地や原発などで、どれも中止という決断ができないでいる。

アベノミクスは沈滞する日本の経済を活性化させるというふれこみで行われたが、その結果は惨憺たるものである。経済はますます落ち込み、国の借金が激増し、円安が加速化して、収入は増えないのに物価ばかりが上がっている。経済大国といわれた日本で、毎日の食事に窮する人がたくさんいるなどという現状をいったい誰が予測できただろうか。介護保険もがたがたになってきているから、将来に対する不安を感じる人も多いだろう。日本はすでに、貧しい国になっているのである。

健康保険証をマイナカードと一体化させるとしたが普及率は10%にも満たないようだ。デジタル化は避けられない世の趨勢だが、国のやり方はお粗末の限りだ。デジタル化は何であれ、アナログを残した形式で普及すべきだが、今までの無策を棚に上げて遅れを取り戻そうとするから混乱するのである。住基ネットなどの失敗がまるで生きていないのが何ともお粗末なのである。

賃金は上がらないのに、物価は高騰し続けている。しかもインボイスその他で、増税が進んでいる。すでに五公五民と言われて、収入の半分が徴収されているのに、国はさらに税を納めさせようとしている。「増税メガネ」などと言われて慌てて減税を打ち出しても、岸田の人気は下がるばかりである。欧米なら暴動が起きてもおかしくない状態だが、誰もがおとなしいのはどうしてなのだろうか。

こうした現状をしっかり調査して国民に伝えるのがメディアの一番の仕事だが、そんなことを社是にしているメディアはほとんどない。政治家や経済界に忖度ばかりして、何も言わない態度である。しかもジャニーズの問題で明らかになったように、テレビは芸能プロダクションにまで忖度し続けてきたのである。それにしても吉本興業や宝塚など、芸能界も壊れているようだ。

と書いてきたら、もう止まらなくなった。しかし虚しくなるばかりだから、このぐらいにしておくことにしよう。

2023年10月30日月曜日

グレン・H・エルダー・Jr.『大恐慌の子どもたち』 (明石書店)

 

journal1-245.jpg 1920年代に未曾有の好景気を味わったアメリカは、1929年に大恐慌に陥った。その不況の嵐は世界中に及んで人々を苦しめたが、この本は子どもたちに注目して、その不況の時代だけではなく、それ以後の人生において、大恐慌の経験がどのように影響したかを辿ったものである。とは言え、最近出版された新しいものではない。最初の刊行は1974年で、日本語に訳されたのは86年である。その改訂版(完全版)であある本書には「その後」という章が追加されている。

監訳者の川浦康至さんは勤務していた大学の同僚で、一緒に退職したのだが、彼からはすでにパトリシア・ウォレス著『新版インターネットの心理学』 (NTT出版)もいただいている。このコラムでも紹介済みだが、そこで退職した後にほとんど何もしていない僕とは違って、しっかり仕事をしていると書いたが、また同じことを書かねばならなくなった。改訂版とは言え、何しろこの本は500ページ近い大著なのである。ご苦労様としか言いようがない。贈っていただいたのだから、せめて読んで紹介ぐらいはしなければ、申し訳ないというものである。

著者のグレン・H・エルダー・Jr.は1934年生まれだから、大恐慌を経験していない。その彼が大恐慌を経験した子どもたちに関心を持ったのは、博士課程在学中に図書館で見つけた資料と、その後に、それを作成したカリフォルニア大学バークリー校にポストを得たことだった。資料はポーランド移民の調査研究で有名なW.I.トマスが中心になって、大学近くのオークランドでおこなった調査だった。エルダーは当時の被調査者に再度面接し、第二次大戦やその後の経験を含めた聞き取りをして、『大恐慌の子どもたち』 にまとめた。改訂版にはさらにその25年後におこなった再調査が追加されている。

調査に協力したのは1920年から21年にかけてアメリカに生まれ、オークランドに住んでいた167人で、ほぼ男女同数の子どもたちだった。驚くのは、その後の調査にもほとんどの人たちが協力をしていて、100人を超える人たちの人生(ライフコース)聞き取っていることである。オークランドは湾をはさんで対岸にサンフランシスコがあり、北には大学町のバークリーがある。南はシリコンバレーとして70年代以降に急発展した街がある。ここにはパートナーの友人が住んでいて、数日滞在したことがある。湾に面した街の中では地味で寂れた感じがした。

大恐慌はオークランドに住む人たちの暮らしを大きく変えた。調査は、中間層と労働者層に分け、さらに影響の大きさによって二つに分けている。そこで、少年少女たちに訪れた生活の上での変化と、それによる心理的な影響について分析している。それが30年代後半の景気の回復や高等教育の有無、そして第二次世界大戦における兵役の経験へと繋がっていくのである。大学に行ったのか行かなかったのか、どんな職業についたのか、結婚と子どものいる家庭での暮らし方はどんなだったのか。そんな聞き取りが、一般的な調査や研究と比較されて分析されていく。

僕は浮気者だから、その時々に興味を持った対象をつまみ食いのようにして分析してまとめてきた。量的・質的調査もほとんどせずに、社会学や哲学の理論を援用して分析をするといった似非科学的な手法だった。だから、一つのテーマを聞き取りといった手法で追い続けるこの著者とこの本とは対照的な位置にいて、すごいな、と思いながら読んだ。自分にはできないが、研究とは、こういうふうにしてやるべきものだという見本であることを再認識した。

2023年10月16日月曜日

ジャニーズ騒動その後

 

ジャニーズ事務所についての問題が混迷を極めている。メディアもスポンサー企業も、今まで知らぬふりを決め込んできたのに、ジャニー喜多川による性犯罪が白日の下に晒されはじめた途端に、ジャニーズ事務所との決別を言い始めた。メディアもスポンサー企業もぐるじゃないかと疑われることを恐れての自己保身だと言わざるを得ない。

そんなふうに思っていたら,『日刊ゲンダイ』に興味深い記事があった。「ジャニーズ事務所のメディア支配…出発点はメリーによる弟ジャニーの『病』隠し」と題された記事で、そこにはジャニーの病を知っていた姉のメリーが、その病がまた、魅力的なアイドルを嗅ぎ出す特殊な才能であることに早くから気づいていたと書いてあった。そんなふうに見つけた少年たちを次々アイドルにして急成長した「ジャニーズ事務所」は、実質的な経営を姉のメリーが取り仕切ってきたというのである。

この記事を読んで、僕はトリフを見つけ出す犬のことを連想した。獲物がトリフだったらもちろん,罪はないが、相手が少年で,それが性的欲望をかなえる対象だったのだから、発覚すれば当然、大問題になる。姉のメリーにとって、弟のジャニーの性癖を野放しにすることと、それを徹底的に隠すことが、事務所の存亡にとって一番の課題になったのである。

「ジャニーズ事務所」から排出されたタレントが、やがてテレビの視聴率を左右するほどの力を持つようになると、ジャニーの性癖やその被害者のことを知っていても、テレビもスポンサー企業も、そのことを不問に付しつづけた。それは「週刊文春」がそのことを記事に書き,「ジャニーズ事務所」が訴えた裁判で、文春が勝ってジャニーの性犯罪が認められた時も、テレビはもちろん,大手の新聞も,そのことをほとんど取り上げなかった。

.ジャニーから性的被害を受けた少年は数百人に及ぶという。それ自体何ともおぞましいことで、僕は「ジャニーズ事務所」は別組織として出直すのではなく,即刻解散すべきだと思う。所属タレントたちはそれぞれ別の会社に所属すればいいのである。しかし,同じくらい重要なのは、テレビや新聞が罪深さを自覚して、反省することだと思う。そもそもこの事件はイギリスのBBCが明るみに出してやっと動き出したことなのである。

もう一つ,気になっていてうまく理解できないのは、ジャニーが性的欲望の対象にした少年たちが、アイドル・スターとして人気を博するようになっていったという事実である。そのスターたちに憧れ,ファンになった多くは少女たちだった。彼女たちにとっても、惹きつけられる要因は性的欲望だったのだろうか。そんな疑問は、そもそも日本に特殊に発展した「アイドル」という現象全般に繋がっていく。アニメが世界を席巻したことを含めて,極めて特殊日本的な特徴のように思う。それを読み解くのは、やっぱり「かわいい論」再考になるのだろうか。もう少し若かったらやって見たかったテーマだと思う。


2023年9月11日月曜日

万博って何なのか

井上さつき『音楽を展示する パリ万博1855-1900』(法政大学出版局)

2025年に開催される大阪関西万博が工事の遅れなどで話題になっている。そもそもなぜ今万博なのか。その意図がよくわからない。と言うより大阪市はカジノを中心にしたIR(統合型リゾート)を作ることを狙って、万博をその隠れ蓑にしたと批判されている。地盤がまだ安定していないゴミの埋め立て地だから、建物を造っても沈下してしまうし、交通手段もかぎられている等々、問題は山積みだ。

この万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、サブテーマとして「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」と極めて抽象的でよくわからない。確かに温暖化は深刻だし、戦争や紛争はたえないが、そんな現実的な問題を具体的にテーマにしているわけではないようだ。

xpo1.jpg そもそも万博って何なんだ。そう思って、書架に読まずに積んであった万博関連の本を探してみた。井上さつきの『音楽を展示する』は19世紀中頃から20世紀初頭にかけて何度か行われた「パリ万博」について、主に音楽に焦点を合わせて論じたものである。万国博覧会は1851年にロンドンで初めて開催された。パリ万博は1855年に開催され、続いて1867年、78年、89年、そして1900年とほぼ10年ごとに開かれた。パリでの開催はこの後1937年で、その後は開かれていない。

パリ万博は産業革命を誇示したロンドン万博と違って、産業の他に芸術の展示を重視した。しかし絵画や彫刻と違って、音楽は、常設の展示ではなくコンサートという形で行われる必要がある。この本には、その音楽の展示方法の工夫や、演奏され歌われる音楽の種類、それらを聴きに来る聴衆の階層などが、開催年度によっていろいろと見直されてきたことがよくわかる。パリ万博といえばエッフェル塔ぐらいしか思い浮かばなかったが、パリが芸術の街と言われるようになる上で、万博が果たした役割が大きかったことを再認識した。

万博は産業の発展を目的に始まり、文化的な側面を追加して、人々に近代化による社会の変化を実感させることに役立ったが、その産業は20世紀になると二つの世界大戦を引き起こすことにもなった。1970年に開催された大阪万博は、大戦から立ち直った日本や世界の現状、あるいは宇宙への関心などを展示する上で大きな意味があったと言われている。しかし、その後の万博ははっきりいって、もうやる必要のないものになってきていると言えるだろう。今さら世界中から最新技術や文化的なイベントを一ヶ所に集めて開催される意味がどれほどあるのか、はなはだ疑問なのである。

だからこの本を読んでまず感じたのは、万博の意義はすでになくなっているということだった。クラシック音楽がコンサートホールで聴くものとして確立し、印象派やキュービズムなどの美術が美術館に展示され、高額の値段で売買されるようになったのは、まさに19世紀の後半の万博が華やかに開催された時期と重なるのである。あるいは20世紀になると映画やラジオやレコードといった技術が普及し、やがてテレビが登場するようになる。そして、20世紀終わりからのインターネットである。19世紀末から始まったオリンピックと併せて、こんなものを未だに当てにしている日本の政治家たちの古びた感覚に、もううんざりするしかないのである。

2023年8月28日月曜日

Xって何?

twitterx.jpg" 「Twitter」が突然「X」になった。何で?と思ったが、ツイート自体に変化はない。それにしても、長いこと馴染んできたロゴが消えて、謎の「X」になるとは。どうせイーロン・マスクの仕業だろうと思って、理由を調べることにした。

「X」はイーロン・マスクがこれまでも好んで使ってきた文字のようだ。彼がPayPalと合併して作った会社が「X.com」で衛星打ち上げ企業は「Space X」、さらにテスラにもモデルXがある。息子の名前にもXを使っているし、最近立ち上げた人工知能のベンチャー企業名も「xAI」だという。そして、単に「X」が好きというのではなく、彼には未来に向けた遠大な計画があるようだ。

 Xは、オーディオ、ビデオ、メッセージング、支払い/銀行業務を中心とした無制限のインタラクティビティの将来の状態であり、アイデア、商品、サービス、機会の世界的な市場を創造します。AIを活用したXは、私たちが想像し始めた方法で私たち全員を結びつけるでしょう
「Twitter」は鳥のさえずりを意味することばを使って名づけられた。日本語では「ピーチクパーチク」で、周囲にうるさくまき散らすイメージだが、どういうわけか「つぶやき」と訳された。「さえずり」は周囲に向けたコミュニケーションのやり方だが、「つぶやき」は独り言で、相手を意識しない。いかにも日本人的な発想で、始まった頃に批判した覚えがある。面と向かったやり取りではなく、独り言をつぶやきあう。もちろん、つぶやきに反応してつぶやくのだが、さえずりよりは発言の力が弱められて広がることになる。発言に対する責任回避のやり方だと思ったものだった。

しかし、「Twitter」が「X」になることで、やがてこのSNSは「さえずり」でも「つぶやき」でもない別のメディアになってしまうのだろう。イーロン・マスクの野心には、そんな危惧も持つ。「X」は、これから彼が経営する他の「X」と名のつく企業と連携させて、よりビジネスに傾斜したものにするつもりだからだ。もうそうなったら、僕には用がないなと思ってしまう。

そう言えば、最近は「Twitter」をチェックすることも減っていたし、「FaceBook」などは、ほとんど見なくなっていた。どっちにしても、自分で書き込むことは、もう何年も前からやめていたが、最近では書き込む人の数もずいぶん減っていた。それに、どちらにしてもCMが多くなって、開けてもうんざりして、ろくに見もしなくなっていたのだ。

ネット上で面白いなと思ったメディアが人気になると、やがて買収されてビジネスの道具になる。その途端にCMが溢れ、面白さが失せていく。YouTubeもCMばかりだし、Amazonプライムも値上げをした。テレビに続いてネットも面白くなくなったら、何を見て毎日を過ごそうか。そんな不満を感じることが少なくない。


2023年7月30日日曜日

旅行者には円安がよくわかるはず

大谷選手の試合を見にロサンジェルスまで行った人たちがYouTubeに観戦記を載せています。おもしろいのは、球場までの乗り物について説明したり、球場内のストアでユニフォームや帽子などを物色したり、食べ物や飲み物を買ったりする様子で、一様に値段の高さに驚いています。

たとえば球場内でのビールの値段は16ドルで、円に換算すると2200円ほどになります。大きいとは言え紙コップ一つですから、買うのを躊躇したりする人も多いです。バイキング形式のレストランは35ドルですから5000円にもなりますし、スタンドで買う食べ物も2000円ぐらいはざらのようです。大谷選手のユニフォームは150ドル前後しますし、帽子だって50ドルもします。入場料を払い、飲食をして、お土産にユニフォームをということになると、一人でも数万円で、家族で行ったりすれば、10万円を超える出費になってしまうのです。

アメリカは好景気が続いていますから、物価の上昇はすさまじいようです。しかし、収入も増えていますから、暮らしている人たちにとっては、それほど驚くことではないでしょう。ところが日本人にとっては円安で1.5倍ほど多く払わなければなりませんし、上がりはじめたとは言え、日本の物価はここ10年以上、ほとんど変わらなかったのです。もちろん賃金だって上がっていませんから、実質的には、ここ数年で、日本人にとってアメリカの物価は4倍にもなったということになります。

逆に日本にやって来る旅行者たちにとっては、日本の物価の安さが大きな魅力になります。何しろ1コインで昼食が食べられたりして、しかもおいしいときたら、いろいろ食べ歩きもしたくなるでしょう。コンビニは24時間開いていて、いろいろな品物が満載です。100円ショップも驚くほどの値段と品数です。

アメリカに住む友人家族が来た時にも、日本の物価の安さが話題になりました。ちょっといいとか面白いと思ったものを次々と買って、こちらは驚くやら呆れるやら。コロナ前には中国人の爆買いが話題になりました。それをインバウンドによる景気回復などと言って喜んでいていいのかと思いました。

もちろん、裕福な外国人観光客目当てに、ばか高い値段をつけるといったこともあるようです。河口湖周辺のホテルや旅館でも、1泊4、5万円といった料金を付けるところがあります、他方でコンテナを改造した宿泊施設なども増えて、観光客も様々になっています。毎週通うスーパーのレジの人と話をすると、外国人の客が増えているようです。素泊まりの安いところに泊まって、食事はスーパーで調達。若い人たちにとっては、安く旅行が楽しめることでしょう。

最低賃金がやっと1000円を超えたといったニュースがありました。最近の物価高で食事も満足にできない人が増えていると言われています。外国人には安いと驚かれる品物も、収入がさほど増えない人にとっては、最近の物価高で死活問題になっているようです。税収をどうやって増やすかばかり考えている政府にとっては、目に入らない存在なのでしょう。

2023年5月8日月曜日

一角獣とユニコーン

 

unicorn.jpg" 「ユニコーン」は角の生えた馬のような伝説上の生き物です。力強く勇敢で足が速いということから、一昨年以来、大谷翔平選手の活躍を讚える時の敬称として使われています。ヨーロッパに伝わる伝説上の生き物で,もちろん,実在したわけではありません。しかし、ギリシャの古典文学や旧約聖書、あるいはケルトの民話などに登場する,極めてポピュラーなものでもあるのです。確かに打って,投げて,走ると何役もこなして、しかもすべてが超一流という大谷選手にはふさわしい呼び名かも知れません。とはいえ、日本では馴染みのあるものではなかったので、「ユニコーン」だと言われても,あまりピンと来ませんでした。

その大谷選手は,WBCでの躍動以降、今年も投打にわたって絶好調です。4月の月間MVPは取れませんでしたが、それは投手と打者の二部門に別れているためで、両方で活躍しているのは彼だけですから、総合すれば毎月MVPをとってしまうのだろうと思います。まさに「ユニコーン」ですが、今年も彼のような二刀流の選手が現れてこないところを見ると、これは彼にしかできないことなのかもしれません。フリー・エージェントになってどこに行くのかといったことが連日騒がれていますが、ケガをしないで,このまま元気で活躍してほしいものです。

ところで「ユニコーン」は日本語では「一角獣」と訳されます。それに見合う伝説や物語はありませんが、先週紹介した村上春樹の『街とその不確かな壁』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には壁に囲まれた「世界の終わり」という名の街に住む生き物として登場します。決して強くはなく,むしろ穏やかで弱く,冬には寒さと食べ物の不足で多くが死んでしまうのです。この街に住むためには、街の入り口で影を切り離さなければなりません。その影はやがて衰弱して死んでしまうのですが、「一角獣」がしているのは、その影が持っていた「心」を吸い取ることなのです。

この本を読みながら思ったのは,今の日本の社会そのものではないかということでした。「日本の終わり」という街では、徐々に衰えているのが事実なのに,人々はそのことに無関心です。もちろん,落日の経済大国で、生活が苦しくなっているのは明らかですが、そのことに目を向けないようにすることが、暗黙の了解事項であるかのようなのです。まるで「心」を「一角獣」に吸い取られてしまったかのように見えるのです。

他方で,この「日本の終わり」という街を支配する人たちは強欲で、壁の外に対する敵対心も強烈です。まさにやりたい放題ですが、それを批判する声は挙がりませんし、行動も起きません。こんな状況を見た時に思い当たるのは,「一角獣」とはメディアと教育システムではないかということでした。校則を厳しくして、自由な発言を制限する教育制度や、政権に忖度して、現実を見えないようにしているメディアこそが、人々の「心」を育てないように、失わせるように働いている。「ユニコーン」と「一角獣」が似て非なるものであることに、改めて気づかされた思いです。

2023年3月27日月曜日

WBCが終わって思ったこと

 

wbc1.jpg" WBCで日本が優勝しました。大谷対トラウトで終わるというマンガのような展開でした。まさに大谷の、大谷による、大谷のためのWBCだったと思いました。自分が望むヒリヒリするゲームを経験したでしょうが、見ている者にとっても、ハラハラドキドキや感嘆の連続で、見ていてぐったり疲れてしまいました。このままシーズンに入って、今年こそはポスト・シーズンでも活躍できるよう望むばかりです。

WBCはMLB(メジャー・リーグ機構)が主催する大会ですが、メジャーの各球団はこれまで決して積極的ではありませんでした。チームの看板選手を出して、ケガでもされたらかなわない。そんな考えで、これまでは一流選手の出場はかぎられてきました。しかし、今回はトラウト選手がいち早く参加を宣言して呼びかけたこともあって、多くの選手が参加する大会になりました。その意味では、日本の優勝は今回こそが真の世界一だといえるかも知れません。

そんな大活躍の日本チームの表の主役は大谷選手でしたが、裏で支えたダルビッシュの献身的な努力があったからこそ、というのも間違いないと思います。彼はパドレスのキャンプに参加せずに、宮崎キャンプに最初から参加しました。そして若い選手たちに投球の仕方はもちろん、練習の仕方や食事のとり方など、質問されれば丁寧に答えることを繰り返しました。国の代表であることに緊張する選手たちに、そんなことなど気にせず楽しくやろうと呼びかけ、食事会を何度も催したようです。

しかし、ダルビッシュ選手は最初からWBCに積極的だったわけではありません。彼は再婚ですが、オフシーズンには子供の世話やら家事をパートナーと五分五分でやっているようです。しかもその生活に十分満足しているのだとも言いました。それを犠牲にして参加を決めたのは大谷選手の強い誘いだったようです。参加するなら最初からとことんつきあってやる。そんな決断は決して簡単ではなかったと思います。栗山監督は、でき上がったチームを「ダルビッシュ・ジャパンだ」と言いました。

予選から決勝戦まで十分すぎるくらい楽しみましたが、中継をアマゾンがやってくれたのは大助かりでした。テレビはテレ朝とTBSが中継しましたが、我が家ではどちらのチャンネルも見られなかったのです。なぜメジャー中継をやるABEMAではなくアマゾンだったのか。理由は分かりませんが金銭的なものだったことは推測できるでしょう。ただ、スマホやパソコンからテレビに繋ぐと音声だけしか聞こえなかったのは残念でした。番組によってそうなるのはよくありますが、どういう規制が働いているのでしょうか。

WBCの収益金はすべてMLBに入ります。どれだけのお金かは発表されていませんが、その大部分がMLBに行って、満員の東京ドームで予選を行った日本にはわずかしか返ってこないようです。収益金の多くを野球の世界振興のために使うといった大義名分があるとも聞いていませんから、このことははっきりするよう、日本のプロ野球機構は問いただすべきだと思います。日本チームの選手は強いメジャー選手にも気後れすることなく立ち向かって王者になりました。プロ野球機構の従順さはもちろんですが、日本の政治家や官僚たちにも、今回の日本チームの頑張りを見習って、アメポチといった屈辱的な姿勢を改めるきっかけにしてほしいと強く思いました。もちろん、そんなふうに思う政治家や官僚はほとんど皆無だろうと思っての願いです。

2023年2月13日月曜日

棄民政策がまかり通っている

 

コロナ禍に襲われて3年が過ぎました。今は第8波で、感染者数も死者数も段違いに多いのですが、政府の態度は、もう終息したかのようです。5月にはインフルエンザと同じ5類にするという方針が出されました。確かに若くて健康な人にとっては、風邪の一種ぐらいで済んでいるようです。けれども高齢者や疾患を持っている人にとって、重症化や死の危険がある感染症であることにはかわりはないのです。このような現状を見た時に思うのは、この国は社会の役に立たない弱者や高齢者は切り捨ててもいいという方針を暗黙の了解事項にしたのではという懸念です。

現在の日本は超高齢化社会で、2021年の平均寿命は女が世界1位の87.57歳、男は81.47歳で3位です。.コロナの影響で2020年より下がったようですが、2022年度はもっと下がるでしょうし、23年度にはさらに下がるのは明白です。何より第8波で死んだ人の大半は高齢者で、老人ホームなどでの集団感染が多かったと言われています。それを大変なことだと考えないのは、政府が健康保険や年金の制度を破綻させないためには良いことだと思っているからだと言われても仕方がないことでしょう。

それは公にはされない棄民政策ですが、別の事柄で同じような発想を公言する政治家や官僚が後を絶たないのも事実です。同性婚は生産性がないと言った政治家が役職を解かれましたが、今度は首相秘書官が同性婚は気持ちが悪いとオフレコ発言をして更迭されました。岸田首相は同性婚の法制化には消極的ですが、今回の発言が海外で問題視されたことに慌てて、広島サミットまでに法制化しようかなどと言い出しています。何しろサミットに出席する国で同性婚を認めていないのは日本だけですから、議題に挙げられたら、世界の恥さらしになってしまうのです。

物価高騰を受けて、賃金を上げることが喫緊の課題になっています。しかし、そこでも4割にもなった非正規雇用の人たちは後回しにされています。一体時給が1000円に満たない収入で、どうやって暮らしていけと言うのでしょうか。これでは若い人たちが結婚などできないし、子供も作れないと思うのは当然でしょう。出生数の大幅な減少を受けて、慌てて子供の養育費などを考えても、もう手遅れという他はないのです。

人口減少に対応して雇った外国人労働者に対する扱いもひどいものだと言えるでしょう。あくまで一時的で、定住されたり、子供を作られたりしては困る。そんな身勝手なルールがまかり通っています。「技能実習制度」というのは、現実には認められていない非熟練労働をやらせるための隠れ蓑で、単純労働では、何の技能も身につかないのが実態です。それに苦情を言ったり逃げたりすれば、強制送還というのですから、人として扱わないと言われても仕方がないでしょう。

こんなふうに、今の日本には暗黙の「棄民政策」が溢れていますが、他方で権力者たちの私利私欲を求める行動が見過ごされてもいます。国会議員は一体いつから殿様になって、世襲が当たり前になったのでしょうか。最近の首相の多くは2世、3世議員ですし、その子どもたちが、当たり前のように後継だと言われています。ひどい国になったものだとつくづく思います。若い人たちはこんな国を見限って海外に出たらいいし、外国の人には見向きもされなくなったらいい。ほとほとあきれて、そんなことも言いたくなりました。

2022年12月5日月曜日

円安とインバウンド

 

アメリカのポートランドに住む知人一家が3年ぶりに我が家に来た。日本でやるべきことがあったのだが、コロナにかかわる規制が緩んでやっと実現できたのだった。僕らはワクチンを打っていないので、どうしようか迷ったのだが、歓迎することにした。総勢4人が我が家に泊まって、にぎやかに過ごした。最初はマスクをしてと思ったが、それもすぐにやめてしまった。今のところ、症状は出ていないから大丈夫だったのではないかと思っている。

いろいろ話をしたが、彼らにとっての驚きは、物価の安さだった。何しろ円は去年まで110円前後で推移していたのに、今年になって急激に円安になって、一時は150円にもなったのである。3年前に来た時に比べて、2割以上も安くなっている。彼らにとっては何でも安くて大助かりだが、日本人にとっては輸入品の価格が高騰して、さまざまなものが値上がりしはじめていて大変なことになっている。しかも物価の上昇は、これからさらにひどくなると言われているのである。

日本の物価はここ20年、あるいは30年ほとんど上がってこなかったが、日本人の収入は逆に減り続けてきた。正規の勤め人は、それなりに定期昇給があったが、非正規が4割にもなって、貯蓄がほとんどなく、生活に困窮している人が増えている。食事も満足にできない子どものいる家庭もあって、民間の援助が盛んに行われているが、国はほとんど手当てをしていないのである。

他方で裕福な人もいて、国はその人たちに旅行を勧める支援を復活させてもいる。「Go to トラベル、イート、イベント、ショッピング」などといったおかしな和製英語の話などもしたが、政治のお粗末さは、ことば以上のおかしさなのである。おかげで紅葉の季節には、河口湖には大勢の人が訪れて、外出を控えるほどだった。

知人たちが久しぶりに日本に来たように、海外からの旅行者も増えていて、河口湖でも目立つようになった。しかし主流は欧米からの人たちで、コロナ前に目立った中国を始めとしたアジアからの人はまだ少ないようである。何より団体で押しかける中国人の姿が見当たらないが、これはゼロコロナ政策で、旅行が制限されているためのようである。他方で韓国からの旅行者は復活しているようだが、多くは九州などの西日本に来ているから、関東ではあまり目立たない。

コロナが収まったわけでもないのに、インバウンド復活を積極的に支援する国の政策はどうかと思う。円安を生かしてなどと言うが、そもそも円安を是正するためにどうするかを考えないことのほうが問題なのである。輸出立国として成長した日本が、今、輸入超過の赤字国に転落している。インバウンドで補っても焼け石に水にしかならないことなのに、これしか方策がないのだから、もうお先真っ暗な現状なのである。

2022年5月30日月曜日

バイデンは横田から日本に入った

 

バイデン米大統領が横田から日本に入った。首都東京に迎える外国の要人が使うのは、通常では羽田か成田だが、トランプ前大統領に続いて今度もまた、米軍基地の横田からだった。メディアの多くはそのことに批判を向けることもせず、歓迎のメッセージを並べ立てた。日本の中にある米軍基地とは言え、そこから大統領が日本に入るのは、ずいぶん失礼なことだと思う。玄関からではなく、専用の裏口からというのだから。占領時にマッカーサーが厚木に降りたのと変わらないのである。

同様のやり方で基地のある自治体、とりわけ沖縄が大きな被害を受けたことが、あったばかりなのである。米軍基地に配属される米兵等が、コロナの検査を受けずにやってきて、基地と町を自由に行き来したために、沖縄の感染者数が激増した。それが明らかだったのに、日本の政府はアメリカに対して、強い態度を示せなかった。日米間の地位協定を理由に挙げたが、これを機に改訂しようとする動きも起こらなかった。アメリカには何も言えない。そんな卑屈な態度があからさまになったが、たいして議論にもならなかった。

バイデン大統領と岸田首相との会談で、日本の防衛費を増額することを認めてもらったといった趣旨の報道があった。倍増せよといった主張が出たのはロシアのウクライナ侵攻があって以降で、安倍元首相がしきりに強調し、自民党内から賛同者が出て,首相も前向きに検討することにしたのだが、それがアメリカからの要請であることも明らかだった。台湾を守るために対中包囲網を敷くというアメリカの戦略に、日本政府はしっぽを振って賛成してきたのである。

日本は中国との国交回復の際に,台湾を中国の領土だと認めている。だから中国と台湾の関係は内政問題なのだが、政府の対応はこれを無視しているかのようだ。また、現在日本の経済関係を見れば、貿易相手国の一番は中国であって、対アメリカの1.4倍にもなっている。しかも輸入についてはアメリカの2倍以上になっている。何を買っても中国製といった現状からみれば、関係がこじれて貿易が止まれば、困るのは日本の方なのである。

仮に、中国が台湾に侵攻して、アメリカが台湾に加勢し、日本も参戦したとしたら、一体どうなるのか。戦場になるのは台湾だけではなく、中国本土と朝鮮半島、そして日本ということになるだろう。敵基地攻撃の必要性などといった発言が目立つが、日本がウクライナのようになることを想定しているとはとても思えない。国が焦土と化し、多くの人々が傷つき、死に、飢える様子が、なぜ想像できないのだろうか。

安倍政権以降の政府の姿勢が、アメリカの傘の下で、戦前回帰と思われるほどのナショナリズムをあからさまにしていることは言うまでもない。憲法を変え、核兵器を持ち、中国に対抗できる国にする。今回のバイデン訪日は、それが何よりアメリカにとって好都合な戦略であり、属国である日本が当然受け入れるものであることを、あからさまにした機会だった。しかし、こんな声が野党からもメディアからも聞こえてこないのは、何とも恐ろしい限りだ。

2022年4月4日月曜日

円の凋落に思う

・円のドルレートが125円になった。それ自体は6年ぶりのことのようだが、1月に「実質実効為替レート」が1972年以来の低水準になったと発表されたのにはちょっと驚いた。つまり円安にあわせて、物価の低迷や賃金の停滞、さらには原油などの国際商品価格の高騰が重なった結果として、円の価値は実質的には半世紀前に戻ったというのである。ここにはさらに、ロシアのウクライナ侵攻による影響もつけ加えなければならない。これまでは国際的な緊張が起こった時には円高が当たり前だったのに、侵攻以降に円は急落したのである。日本の経済的凋落がいよいよ顕著になったわけだが、70年以上生きてきた者としては、円の価値の推移を見直しながら、自分の歴史を振りかえりたくなった。

 ・第二次大戦後に1ドル360円と固定された円が変動相場制に移行したのは1973年だった。戦後の50年代はアメリカが好景気に沸いた時代で、テレビで見るアメリカの生活は、日本人にとってまさに憧れになった。それが60年代になると、「三種の神器」と呼ばれたテレビと洗濯機、冷蔵庫が普及し、やがてカラーテレビとクーラー、そしてカーが「3C」とか「新三種の神器」と呼ばれて人びとの手に入るようになった。

 ・僕はその一つ一つを思い出すことができる。テレビが初めてわが家にきた時のこと、洗濯機や掃除機の形、あるいは家具調のカラーテレビや中古だった日産のサニーで初めて運転をしたこと等々である。それはもちろん家を離れて自立した後も続いていて、テレビを録画するソニーのBETAやビデオカメラ、最初のワープロ、パソコン、そしてバイクやスバルのクルマなど、あげたらきりがないほどである。当然だが、そのほとんどが日本製で、日本人の生活を大きく変えたと同時に、輸出品として、日本の経済成長に貢献した。

 ・対照的にアメリカは60年代になるとヴェトナム戦争や貿易収支の影響で経済が悪化し、70年代になるとドルの価値が下がりはじめた。いわゆる「ニクソン・ショック」で、変動相場制に移行すると円は300円から200円台に急上昇した。オイルショックなどで70年代から80年代にかけて200円台で推移した円は、85年の「プラザ合意」をきっかけにして円高に転じ100円台の前半になった。バブル景気に沸き立った時期はもちろん、それ以降も円高は続き、1995年には79円にまで上がった。それが輸出を鈍らせ、企業の海外生産を加速化させたのだが、円は100円前後で推移し続けた。

 ・民主党政権の時代に79円になった円が100円になり110円になったのは安倍政権の円安誘導政策によると言われている。「アベノミクス」で日本の経済力を回復させると豪語した政策だが、その間に日本人の賃金は停滞し、金利が0になって貯蓄しても利子がつかなくなった。輸出の目玉だった家電メーカーが次々傾きはじめたのもここ10年のことである。現在輸出を支えているのは自動車だが、EVの開発が遅れていて、数年後には家電メーカーと同じ道を歩むことになると危惧されている。

 ・日本はすでに輸入超過国になっている。だから半世紀前に戻ったと言っても、日の出の勢いだった70年代前半と現在では、その置かれた立場はずいぶん違う。それはまさに日没の状態で、もうすぐ夜になってしまうのではといった不安も感じてしまう。こんなふうに見ていると、戦後の日本の盛衰は、まさに自分の人生そのものと一緒だったと気づかされる。退職してコロナ禍もあって、毎日静かに暮らしているが、日本自体も無駄遣いなどせず、地道に生きる道を探るべきなのではと改めて思った。

2022年2月14日月曜日

国産品はどこへ行った?

・毎週買っていた熊本産アサリが、実は輸入品だったことがTBSの「報道特集」で放送されて、スーパーでの表記が中国産に変わった。小さくて食べにくいからと敬遠気味だったシジミに変えたが、これって本当に島根県産だろうかという疑問が湧いた。宍道湖だけで日本中に出回るシジミが取れるとは考えにくいからだ。そんなふうに考えると、あれもこれもと怪しくなるものが浮かんできた。 

・多少値段が高くても、できれば国産品がいい。そう思うのは、国産品に対する信頼感があるからだが、それが信用できないなら、何を基準に買い物をしたらいいのだろうか。アサリの産地偽装は、そんな疑問や不信感を募らせたニュースだった。それはともかく、食料品だけでなく他の商品でも、国産品が目立たなくなったなと思うことがしばしばある。

 ・冬の寒さをしのぐために、僕の家では薪ストーブと灯油のファンヒーターを一日中使っている。ストーブの上には大きな鍋を二つ置いて湯気を出し、その他に加湿器を2台つけっぱなしにしている。しかし今年の室内の乾燥があまりにひどいので、加湿器をもう1台追加することにした。そうすると、日立や東芝あるいは三菱といったメーカーのものはほとんどない。これがよさそうだと買ったのは中国製だった。 

・ 僕の家にある家電はほとんど国産メーカーのものだが、そう思って、アマゾンで調べると、もし壊れて新しく買い替えるとしても、大手の家電メーカーが作っていないものが多くなったことに気がついた。そう言えば、サンヨーはパナソニックに吸収されたし、シャープは台湾に身売りした。東芝は解体作業中だし、三菱や日立の業績もよくはないようだ。日本の経済成長を牽引した家電メーカーが総崩れだから、製品がないのも当然だと認識を新たにした。

 ・国産はよくて輸入品は粗悪だ。それが今でも一般的かもしれないが、実態はかなり違っている。スマホからはすでに撤退しているし、半導体も台湾のメーカーにお金を払って日本に工場をつくるようだ。先端技術から家電などの普及品まで、日本はすべてダメになってしまっている。これでは経済成長もしないわけだとまたまた納得をした。

 ・残るは自動車メーカーだが、これもEV開発に乗り遅れていて、斜陽産業になる危険性は十分にある。中国では廉価のEVが売れていて、すでに4割に達しているというニュースがあった。アメリカのテスラの時価総額がトヨタよりもはるかに高くなっているようだ。スバリストの僕は30年以上水平対向エンジンの車に乗ってきたが、次に乗り換える時にはやっぱりEVにしようと思っている。数年後にスバルが気に入ったEVを出しているのだろうか。そんなことまで考えてしまった。

 ・アサリから始まってあれこれ見渡した時に感じたのは、そんな日本の落日の様相だった。どう考えたって、もう経済成長する力はなくなっている。日本の底力などというテレビに騙されてはいけないのである。

2022年1月17日月曜日

楽曲の権利をなぜ売るのか?

 ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、そしてデビッド・ボーイが楽曲の権利を売却したといったニュースを聞いた。ボーイは死んでいるから本人の意思ではないが、今なぜ?という疑問を感じた。金額はボーイが2億6千万ドル、ボブ・ディランが3億ドル以上、そしてスプリングスティーンが5億ドルだという。すでに巨万の富を得ながら、まだお金が欲しいのかと批判したくなるが、その理由を知りたいとも思った。

楽曲の権利とは著作権のことで、ミュージシャンがレコード会社からCDとして公開した楽曲について持つ権利である。楽曲の作者はCDの売り上げに応じた収入を得る他に、それがラジオやテレビなどのメディアで放送されたり、楽曲が使われたりした時にも報酬を得ることができる。また、CDの購入者が個人的に聴く以外の利用をした時にも、支払う義務が生まれる。ジャズ喫茶店や音楽教室などでの利用をめぐって支払い義務の有無が争われたりしてきたことは、これまでにも話題になってきた。

その、本来は作者の有する権利を買ったのは、レコード会社である。ボーイの楽曲権はワーナー・ミュージック、ディランはユニバーサル、そしてスプリングスティーンはソニー・ミュージックエンタテインメントだ。売却によってディランやスプリングスティーンは、ライブで自分の楽曲を歌う時にも使用料を払わなければならなくなるのだろう。もうライブはあまりやらないことにしたということだろうか。ディランは80歳を超えたからそうかもしれないが、スプリングスティーンは70代の前半だ。

このような動きには高齢化した大御所ミュージシャンの「終活」だという解釈がある。今金が欲しいというよりは、自分の死後にもしっかりした企業に楽曲の管理をして欲しいと思うからだというのである。楽曲の購入や利用は今ではネットを介したストリーミングにあって、その市場は爆発的に拡大している。一つのコンセプトをもって作られたアルバムも、ストリーミング市場では細切れになって売買される。長期にわたって得られるかもしれない収入を自ら管理するのが面倒な状況にもなっているのである。

調べてみると、納得できる理由がいくつか出てきたが、音楽の現状にとってよくないことだとする意見も見受けられた。一つはストリーミング市場が一部の大物に偏っていて、若手のミュージシャンが育ちにくい環境にあることだ。スーパー・スターといわれる人たちにも、最初は売れない時代があって、徐々に才能を伸ばし開花させる土壌があったのに、今はそれがなくなってしまっているというのである。ここには、コロナ禍にあってライブ活動が制限されているという現状も重なっている。

20世紀後半はポピュラー音楽が花開いた時代だった。ディランやスプリングスティーンはその代表的なミュージシャンだが、彼らの終活とともに、この音楽も終わりを迎えてしまうのだろうか。そしていくつかがクラシック音楽として残されていく。利益優先の大企業の手に渡された音楽だけが化石のようにして生き残る。そんな近未来を想像してしまった。

2021年11月29日月曜日

AmazonはもうCDを売る気がないようだ

 Amazonのトップ・ページがAmazon Basicsという名称になって、書籍とCDの欄がなくなってしまった。最近あまり買わないせいもあるのかもしれないが、その他の欄にも見つからないから、お目当てのものを検索して探さなければならなくなった。対照的に、プライム会員なら本は読み放題だし音楽は聴き放題だという知らせがやたら目立つようになった。ところが、そこでは読みたいものも聴きたいものも、ほとんど見つからない。そう言えば、あなたにお勧めの本やCDとか、新刊本やニュー・アルバムを知らせてくることもなくなった。Amazonは本とCDを売る店として始まったのに、もう初心を忘れてしまったのかと思いたくなった。

僕はインターネットを1995年から始めている。最初は大学の研究室でしか使えなかったが、すでにAmazonは本とCDを売る店を構えていて、洋書や洋楽を手に入れるのに重宝した。特に英語の専門書は、洋書専門店から注文して1ヶ月以上待たなければ届かなかったし、円レートも高く設定されていて、ずいぶん高額なものになっていた。それが、その時々のレートで買えて、航空便で注文すれば1週間とかからずに届くようになった。同じことはCDにも言えたから、大学から毎年付与される研究費の多くが、Amazonでの本とCDの購入に使われることになった。

そんなふうにしてAmazonを四半世紀に渡って使い続けてきたが、AmazonはGAFAとして世界有数の企業に成長した。ぼくも最近では、本やCDだけでなく、探し物を検索してはありとあらゆるものを買うようになり、コロナ禍以後は特にその傾向が強くなった。Amazonは客の購入履歴に基づいて、それぞれページを作るようになっているから、本やCDが目立たなくなったのは、大学をやめてから、僕があまり買わなくなったせいなのかもしれない。しかしそれにしても、本とCDは目立たなすぎる。

ここにはもちろん、書籍もCDも売れない時代になったということもあるだろう。モノそのものではなくデータで購入することが当たり前になったこともあるが、それ以上に本もCDも売れなくなっている。ごく一部のベストセラー作家や人気のミュージシャンを除けば、文筆業や音楽活動だけで生計を立てることが難しくなっている。コロナ禍で講演会やライブ活動もできなくなったから、文化的な衰退はこれからますます顕著になるだろう。

Amazonは一部の売れ筋だけではなく、街では見つけることが難しいレアなものでも見つけられることが売り物だった。「ロングテール効果」などと言われて、僕もずいぶん便利に使ってきた。スマホの普及で、その効果自体はますます一般的になっているようだが、Amazon自体の方針は、逆に売れ筋のものに特化させるという方向に変わっているのかもしれない。Amazonのトップ・ページの変更は、何よりそんな違和感を持たせるものだった。

2020年12月14日月曜日

億や兆にマヒしてる

 

・コロナ禍で国は莫大な財政支出を強いられている。もちろんそれは借金だ。何しろ通常でも、国家予算100兆円のうち税収は60兆円で、足りない分は国債の発行で調達されていたのに、さらに数十兆円が追加されているのである。リーマンショックや東日本大震災があって、その時にも多額の赤字国債が発行されて、その借金の返済に税金が増額されている。当然、コロナ禍で使われるお金もまた、税金として返済されることになる。

・もちろん、予算の中には必要なものも多い。特別給付金として国民一人当たり10万円が配られたが、その総額は12兆円だった。また企業を助ける持続化給付金には5兆円が使われていて、この制度はまだ継続中である。あるいは、対応が遅いと非難されてきた医療関係への支援についても1兆円規模で行われているようだ。もっとも、医療従事者からは、ボーナスカットされたとか、仕事に見合う報酬ではないといった声も多く聞こえてくる。どれにしても、総額としては多額だが、受け取る側から見ればとても満足が行く額ではないのである。

・他方で、感染拡大の要因だとして非難されている「Go toキャンペーン」では、すでに2兆円を超える支出があって、さらに来年の6月まで延長することが決められている。観光業者や飲食店、あるいはイベント業などを支援する目的だと言われているが、中間搾取が大きくて、末端の小規模事業者には届いていないという声もある。さらに、もっとも批判すべきはオリンピック関連だろう。コンパクト五輪を謳った東京五輪は、すでに2兆円を超える支出があったとされている。それに延期に伴う追加費用に2000億円が必要というのだが、ここには、コロナ対策にかかる費用が含まれているわけではない。

・億や兆といったお金の話が飛び交っていて、その金額にマヒしてしまっている。だから数百万円程度では、誰も驚かない。安倍前首相が「桜を見る会」の前日に、後援会の人たちを集めたパーティで、その費用を穴埋めした。そのお金は数年分で800万円ほどで、安倍自身は知らぬ間に秘書が勝手に行ったということになって、略式起訴で決着になりそうだ。そして、国会で嘘を平然とつきまくったことには、何のおとがめもないという。

・こんな政権が8年も続いたせいか、自民党の議員による選挙でのお金のばらまきや、業者からのヤミ献金、そして政府に委託された業務の中間搾取や政治家へのキックバックやリベートといった問題も数多い。しかし、どういうわけか、大きな問題になる気配はない。菅総理や二階幹事長に関連しているのに、メディアは本気になって追求しないようだ。検察を動かすのは世論の力しかないのにである。

・できもしないオリンピックをやると言い続けていること、感染爆発に近い状態になっても「Go to ~」をやめようとしないことなど、政権がコロナ禍の実体や国民の窮状に目を向けていないことは明らかだ。休業や失業に追い込まれた人が続出して、借りている家を追い出されたり、今日明日の食事もできない人が多数いるというのに、そのような人たちへの救いの手は民間のボランティアに任されている。さすがに政権支持率が下がっているが、それでもまだ半数が支持している。勝ち組と負け組の分断、「今だけ金だけ自分だけ」の浸透。これは「災害ユートピア」ではなく「デストピア」である。