2003年2月24日月曜日

TVの50年


・NHKがテレビ放送をはじめて50年。それを記念する特別番組がにぎやかだった。どれもこれもかつての人気番組を登場させるもので、それはそれで懐かしい気がしたが、またノスタルジーでおしまいでは何とも能がないとも感じた。テレビの50年、ということは20世紀の後半という時代を、テレビを軸に考え直してみる。NHKにはそんな意欲があってもいいし、考える責任があると思った。
・テレビが茶の間に欠かせないものになったのは60年代。そのテレビに対して大宅壮一が「一億総白痴化の時代」と警鐘を鳴らしたのは、あまりに有名な話である。テレビは新聞に比べて、ラジオに比べて、映画に比べて二流のメディア。浅薄で貧弱。じっくり視聴する価値のないもの。テレビはずっとバカにされ軽視されつづけたが、人びとの生活の中に、そして意識の中には着実に浸透していった。
・そんな批判が聞こえなくなり、その存在感をいっそう強くしたのは80年代以降である。邪魔なものでしかなかったCMに関心がむけられたり、テレビ放映を目的に映画が作られたりするようになった。あるいは新聞の役割、雑誌の特徴と競合する番組が注目されるようになり、流行の発信基地にもなるようになった。
・バブルの頃はもちろん、それがはじけた後もテレビだけは好景気を持続し続けている。もちろん、BS放送の開始や地上波のデジタル化で相当の資金も必要とするようになったし、インターネットの急速な普及がテレビを脅かすのではないかということも言われている。けれども、今のところテレビが揺らぐ気配はない。在京の民放局はどこも新社屋をつくり、より大規模化させている。まさにテレビの時代と言えるのである。
・そのテレビの時代にあって、一番存在感をなくしたのが知識人と呼ばれる人たちだといっていいかもしれない。今テレビによく登場するのは、歯切れのいい経済学者やテレビ映りのいいわずかの文化人だけで、ほとんどの人はおよびでない。もっともかつては知識人たちがテレビによく登場していたというわけではない。彼らは最初からテレビには馴染まない人種だったのである。そのことを三浦雅士が次のように説明している。

知識人がテレビによって変容したのは、しかし、不特定多数の視聴者を相手にしなければならなくなっただけではなかった。テレビの画像によって、その権威を完膚なきまでに剥脱されたからである。理由は簡単だ。テレビはその卑小な画面において、政治家も、大学教授も、芸能人も、官僚も、時には犯罪者さえも、みな等し並に扱うからである。(『考える身体』NTT出版)

・彼は知識人をシャーマンにたとえる。身体のない観念だけの存在。それは身体をまるごと曝すテレビの前では、逆に空虚な存在でしかない。知識人が生きる場は新聞や書籍といったメディアだが、それもまたテレビによって存在感の薄いものになってしまっている。その意味では、大学生が本や新聞を読まないというのは大学生にとっての問題というよりは、彼らに何かを教えることでその存在を確認する大学教師の問題だといえるかもしれない。実際学生は教師のする話しに興味をもたないし、興味をもっても、その教師が書いた文章を読んでみたいなどとは思わない。三浦によれば、それはまた、話す内容ではなくパフォーマンスの問題である。

テレビは、何よりもまず、その画面転換のリズムによって、呼吸によって、見るものを支配する。とりわけコマーシャル映像のリズムによって。また、番組の配列のリズムによって。さらに、登場するアナウンサーの、キャスターの、タレントの呼吸によって、語り方の速度によって、支配するのである。(同書)

・学生たちはテレビでおなじみの顔を目の当たりにすると、本当に目を輝かして見つめ、耳をそばだてる。そんな彼や彼女たちを見るたびに、時代のリズム、呼吸、話し方、物腰、動作、表情、つまりパフォーマンスのすべてがテレビによって形成されていることを感じる。まるで、テレビは新たなシャーマニズムであり、そこに登場する人気者は新たなシャーマンとして存在するかのようだ。
・僕はこのような傾向に無関心ではないし無視もしないが、しかし、積極的に取り入れようとも思わない。自分を知識人などという一段高いところに置きたいとは思わないし、人からえらい人間なのだなどと見られたくもない。といってタレントのように、人の関心をひきつけるエンターテイナーになる気もないし、第一、なろうったってなれるものではない。

2003年2月17日月曜日

ETCに変えた


・ETCといってもエトセトラではない。高速道路の料金自動支払いシステムのことである。高速道路の渋滞にはいろいろ原因がある。しかし何といっても一番大きいのは料金所。日本道路公団はその解消策としてETCを導入して、全国ほとんどの料金所で利用可能にした。ところが、利用者はいっこうに増えない。僕は毎月2000kmも高速道路を利用しているが、ETCにしてみようかという気にはならなかった。


・理由ははっきりしている。デメリットばかりでメリットがなかったからだ。たとえば、ETCのための道具は自分で買ってとりつけなければならない。購入やとりつけ、さらにはセッティングに数万円のお金がかかる。といってその自己負担を解消できるようなサービスはない。普及を呼びかけたって無視されるのはわかりきっているのに、お役所仕事では対応策が生まれない。高速道路の問題が大きく取り上げられ、赤字路線やむだ使いが指摘されていても、利用者サービスの向上といった発想は皆無なのである。


・公団が重い腰を上げてハイウェイカードと同じ割引率を適用しはじめても、僕にはまだ魅力的には思えなかった。同じなら、カードを買う方がはるかに簡単で余計な費用もかからないからだ。なぜそういう気持ちが分からないのか、まったく信じられない。だいたい、道路が混むのは休日で、その時利用する人たちはETCにするほど頻繁に高速道路は走らない。逆に定期的に利用する車が走る平日は、料金所も混むことはない。ETCの普及を望むのは公団であって利用者でないことはわかりきったことである。
・なのに、公団は税金を使って新しい道路を作ることしか頭にない。あるいは政治家の発言にしか聞く耳を持たない。そういう体質はETCにたいする姿勢を見ても一目瞭然だ。公団とその関連会社には仕事をしないで高額の給料や退職金を取る天下りがたくさんいる。僕は高速道路にも定期券で利用したいと思っているから、むだ使いには本当に腹が立っている。何しろ1日通勤するだけで5000円の通行料を取られているのだから。
・だったらなぜ、ETCに変えようと思ったかというと、5万円のハイウェイカードがニセモノの横行に対処しきれなくて廃止されることになったからだ。カードは2月の末で販売停止になり、1年後には使用もできなくなる。これもまた、利用者ではなく公団の都合だから、僕はいい加減にしろと言いたいが、5万円のカードを1年分買いだめするのもばからしいからしぶしぶ決断した。


・ところがである。このETCの手続きがまた、何とものんびりしている。せっかくインターネットでの手続きを取り入れているのに、申し込んでからETCカードが送られてくるまで3週間近くかかった。何でこんなに時間がかかるのか、まったく不可解である。ETCの車載機はカー用品店や車メーカーのディーラーで設置してくれる。僕はスバル山梨の富士吉田営業所でとりつけてセット・アップをしてもらったが、僕がはじめての客だったそうである。これは数時間ですんだが、カードが送られてくるまでは、その予約もできなかった。で、ここまでで約一ヶ月。


・とりつけてセット・アップをすれば、それで利用は可能になる。しかし、ハイウェイカードと同じ割引率で料金を支払おうと思えば、その手続きをまた、インターネットでやらなければならない。手続きにはETCカードの番号とETC車載機の番号を入力しなければならないから、これも事前に登録することができないのだ。で、登録。しかし、そこですぐに利用可能というわけではない。登録IDと仮パスワードが送られてくるまでまた数日。それが届いてインターネットで5万円の前払いをして、やっと完了。


・1カ月ほど前の朝日新聞の投書欄に僕と同じように腹を立てている人がいて、申し込んでから使いはじめるまでに8週間かかったと書いてあった。すべてを郵便でやればたしかにそのくらいかかる。僕はインターネットだったから5週間弱だが、それでも決してスピーディとは言えない。これでは普及しないわけである。


・JHはやっぱり絶対に民営化すべきである。国鉄がJRになって文句を言う人は、少なくとも利用者にはいない。JHだって今よりずっとましになることはあきらかだ。僕は民営化されたら、走行キロによって割安になるサービスが絶対にできると思っている。「マイレージをためる楽しみを高速道路に」である。その一点だけで「小泉ガンバレ!」だ。


・ところで肝心の、利用しての感想だが、たしかに簡単になった。ときどき現金を出しておつりをもらったり、財布を捜して座席でもじもじしているドライバーに出会う。あるいは入り口でカードを取り損なう人もいて、その待ち時間に、後ろでイライラしてしまう。そういうストレスはなくなるが、夜、高速の出口(河口湖)で料金所の人に「お疲れさまでした」と言ってもらえなくなった。くたびれて帰った時に、その一言がほっとする瞬間を作りだしてくれたから、これは残念。寒いところ(マイナス10度にもなる)で次から次へと来る車に一言声をかけている料金所の人の仕事ぶりは、JHの体質とは対照的なものだ。たまにはその声が聞きたくて、現金を払いたくなるのかもしれない。

2003年2月10日月曜日

ネットで買い物

インターネットで買い物をすることが当たり前になった。最初はAmazon comでアメリカからの荷物(書籍)の到着を待ったから、着くかどうか心配だった。値段の安い船便を使ったためだが、それでも書店を通して注文するのよりは数倍も早く届いた。おまけに値段は嘘のように安い。洋書の取次店にとっては屋台骨を揺さぶられるような流通革命だったが、逆に言えば、あまりにもマージンを取りすぎていたのだから、さほど同情もしなかった。


Amazon comが日本に支社を作ってからは、洋書も国内での買い物になって、早いものは数日で届くようになった。大きな書店などにはめったに行く機会がない僕には、これはもうなくてはならないショッピングの場だ。家に届けてくれるのはいつも同じ人で、雨の日でも雪の日でも配達してくれる。この前も雪が20cmも積もっているのにやってきた。「雪が止んでからでもいいですよ」と言ったが、来た荷物は即配達。便利さとスピードがネット販売のメリットならば、そういうわけにもいかないのが仕事の厳しさなのである。


ネット販売の魅力はスピードだけではない。たとえば神田の本屋街を何軒も回ってやっとみつけられるような本を簡単に探し出せたりする。あるいは秋葉原に行かなくても、パソコンの部品も調達できる。しかも、値段の安いところを探すのも簡単だ。そんなふうにして、ここのところよく買い物をするようになった。PDAはPalmのカラーにしたし、その後も携帯との接続機器やメモリー・カードを買い足した。研究室に必要だと思っていた空気清浄機もネットで探して、一番評判がよくて値段の安いものを安い店で買った。


今年は特に雪が多くて寒いから、外に出るときには防寒の準備が必要だ。たとえば防寒の長靴は近くのホームセンターで買っていたのだが、一冬履くと穴があいてしまう。チェーンソウや斧を使うことが多いから、どうしても傷つけてしまうのだ。それに寒い日にはやっぱり足の指先が冷たくなる。もっと丈夫で暖かいものがほしい。そう思っていたらカナダにBaffinというメーカーがあることを知った。通販のカタログにあったのだが、ネットで検索すると国内ではサイズにあうものは売り切れだった。そこで、カナダのメーカーのサイトに行くと、種類の多いのにびっくり。マイナス20度から100度まで寒さに合わせて何種類もある。形もいろいろだ。一番シンプルな長靴だけと思っていたのだが、ついつい半ブーツも注文してしまった。


届いたのは10日後。足に合わなかったらどうしようかと心配だったが、履いてみるとぴったり。ラフな梱包だったが、中にはサイズが合わなかったら送り返してくれれば別のものを届けると書いてあった。そういうケースも多いせいだろうが、なかなか良心的だ。体に合うか合わないか、品質は大丈夫か。これはネット販売の弱点だから、ケアをきちっとしなければ商売は成り立たないのかもしれない。


そのBaffinの長靴だが、なるほど暖かいし頑丈だ。その分ちょっと重いが、雪の中に何時間いても暖かい。半ブーツも暖かい。試しに履いて車を運転して東京まで行ってみた。さすがに東京では物々しい感じがしたし、暖かいというより暑かった。
ネットで買い物をすると在庫があるかどうか、金額がいくらになるか、発送はいつか、問い合わせ先はどこかなど頻繁にメールが届く。Baffinのブーツは最初、サイズがないから別のサイズにするか別の商品、あるいはキャンセルしてほしいというメールが入って、どうしようかと思っていたら、数時間後に倉庫に一足だけ見つかったというメールがまたやってきた。在庫を一生懸命さがした様子が想像できておもしろかった。


ところで先週書いた除雪機だが、ホンダのを買ってしまった。これもネットで家の近くの取扱店を調べて、そこに出かけていったのだ。除雪機はもうシーズンの終わりで在庫はほとんどないのだが、たまたま試運転して返品された機械があって、少し安くしてくれるという。前の購入者はもうちょっと大きなものに買い換えたのだ。除雪機は毎年8月ぐらいから予約を受けつけて販売する商品で、新品で注文してもすぐに手にはいるかどうかわからないという。今年はどこも雪が多いから生産が間に合わないほど売れているらしい。富士吉田や河口湖周辺でも、もう十数台売れているようだ。


付近の残雪で試して見たのだが、雪は勢いよく10mほども飛ぶ。なかなかおもしろい。そうなるとげんきんなもので、雪が待ち遠しい。30でも40cmでも降ってみろという気持だが、このまま暖かくなって雪解けなんていうのがオチなのかもしれない。しかし、使うことがあったら、写真館ででもじっくり紹介するつもりだ。

2003年2月3日月曜日

また雪か………


snow4.jpeg・今年は雪が多い。12月に早々降ってから、もう6、7回にもなる。富士山も河口湖も美しいが、何より家の中から見える御坂山系の風景が素晴らしい。薪ストーブで暖かいリビングのソファーに寝そべって、何分でもじっと見入ってしまう。ひょっとしたらこれは天国の景色かも、とふと思ったりする。


・けれども、雪が降れば、また、その度に雪かきをしなければならない。家のまわりに道をつけて、道路までの通路をつくる。車の雪を落として、駐車場全体を除雪する。町のブルが除雪に来るのは待てないから、車を駐車場にいれるために必要なスペース分だけ道路の雪も取りのぞかなければならない。余力があれば、もうちょっと先まで道路をきれいにする。20cmぐらいまでなら車がはしるのに支障はないが、タイヤが踏み固めた雪は、その後凍ってつるつるになってしまうからだ。


・こんな作業に少なくとも2時間はかかる。汗びっしょり。ちょうどいい運動だ、などといっていたのは最初の数回で、今では雪の予報が出ると憂鬱になる。だから今一番ほしいのは雪かき機。さっそくネットで調べた。コマツのは大きくて話にならないが、ホンダもヤマハもだしている。なかなか格好いい。けれども、値段を見てびっくり!一番安いので10万円。馬力の大きいのやいろいろ機能を備えたものは60万とか70万円もする。小さいものでも 30cmぐらいの雪ならokのようだから、ほしいなと思うが、購入はちょっと考えてしまう。暖冬の年なら一度も使わない、などということもあるだろう。それにバイクほどの大きさがあるから、野ざらしではまずい。実は愛用のバイクも、今は雪に埋もれて動かしようがない状態なのだ。バッテリーは上がっているだろうし、どこか故障もしているかもしれない。

forest22.jpeg・雪かきが原因ではないが、しばらく前から気になっていた50肩が、だんだんひどくなって右手が後ろに回らなくなってしまった。それを忘れて手を動かすと、息が詰まるほどの痛みが走る。薪割りなどのタテの動きは何ともないから、ついつい動かしてしまう。歯もダメ、目もだめ、肩も腰もダメ。それに慢性化した胃や十二指腸の痛み。からだはもう完全に中古品だ。


・話がへんな方向にそれた。雪が難儀なのはそれだけではない。1月、2月は大学の試験シーズンで、監督、面接、採点など、休むことのできない仕事が連続する。だから雪でも出かけるのだが、今年はチェーン規制の高速道路をもう何回も走っている。4駆でオールシーズンのタイヤを履いた車だから、スリップして恐いといったことはないが、スピードが遅くなる分、かなりの時間がかかる。一昨年に9時間かかって帰宅したようなめにはあっていないが、倍の時間がかかっても、相当の長旅になってしまう。


・この前も、定期試験の監督のために朝早く出校しなければならない日があった。雪はすでに5cmほど積もっていたが、予報では途中から雨に変わるという。大丈夫だろうと出かけることにした。車が少なくて高速まではいつもより5分ほど余計にかかっただけだったが、高速に入ってしばらくすると渋滞。雪上車が車線を塞いで作業中だった。でPAで止まって大学にメールを出した。「遅れるかもしれません」。道路は都留を過ぎると積雪もなく、後はスムーズ。1時間ほど余裕を見て家を出たおかげで、大学には無事10分前に到着。やれやれ。


・こんなことがあって、携帯メールに定型文を登録しておこうと思いついた。以前から仕事が終わって家に帰るときには「カエルメール」を出すことにしている。「今から帰ります」。これをその都度打ちこんでいたのだが、まずこれを登録。次に「雪のため遅れます」「雪のため欠席します」。ついでに「風邪のため欠席します」もいれた。もっとも、僕はこのところほとんど風邪をひかない。今年度も体調を崩しての休講は0。対照的に学生はよく風邪を理由に休んでいる。これは都会の空気の汚さのためか、それとも不規則な生活や食事のせい?いやいやずる休みの口実か?


・ 今週から来週にかけてはほとんど出ずっぱりの日程になる。天気予報では雪もあるようだ。仕事とあれば休むわけにはいかないし、遅れるのもだめ。仕事は辛い。今の季節はそんな思いをいっそう強く感じてしまう。