2008年2月25日月曜日

パリからの手紙

 

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(サティの生家)


08travel9.jpg・成田を飛び立ってから1週間、今日はパリに着きました。ロンドンに数日滞在し、その後はイギリス南東部を回って、ドーバー海峡をフェリーで渡り、フランスに入る。それから、海外沿いに西に行き、セーヌ川河口の街に立ち寄って、パリにという順路です。ずっと霧や曇りの天気だったのですが、今日はじめて、太陽が見え、真っ青な空になって、周囲の景色も違って見えるようになりました。実はフランスは初めてで、ドーバー海峡フェリーから始まってまごつくことが多かったし、フランスらしい風景が少しも見えてこなかったのですが、今日はいい一日でした。

08travel8.jpg・ルアーブルという街は、印象派の名前のきっかけになったモネの「印象・日の出」が描かれたところとして有名です。期待してその場所に行ったのですが、看板の立つところから見る景色は(→)ご覧の通りで、何とも殺風景な港の様子でした。で翌日、タクシー代60ユーロ(1万円)を奮発して、セーヌ河口の対岸にあるオンフルールという街まで行くことにしました。ここはサティが生まれたところでもあります。結果はというと、(↑)上の写真のように景色はどこをとってもまさに「印象派」そのものでした。日曜日で15世紀に作られた木造の教会で賛美歌も聞いて、すっかり気分をよくしてパリにやってきたというわけです。

08travel11.jpg・実は、フランス初日の宿に着いたとき、ホテルが閉まっていて、誰もいる気配がなかったのです。つぶれたのかと思っていると、中から客らしき人が出てきて、オーナーは急用ができて出かけたらしいというのです。とりあえず入ると置き手紙と部屋のカギがあって一安心。ホテルが閉まっているというのは初めての経験で驚きましたが、何と2日目のホテルもカギがかかって暗い。これって、フランスの小さなホテルではあたりまえのことなのかもしれないと思うと、昨日の腹立ちも収まった気がしました。というより、これは案外合理的なのではとも考えました。

08travel6.jpg・無駄なことはしない。それは十分に納得がいきます。それに比べると日本人は、形式的なところや、相手を配慮した無駄が多い。そんなことを些細なことにも感じます。もっともイギリス人もフランス人もとにかく食べ過ぎです。ムール貝のクリーム煮を注文すると、右のようなバケツみたいな鍋に山盛りにして持ってきました。もちろん一人前です。おいしかったけど、これだけでおなかが一杯。だんだん面倒にもなってうんざりしてしまいました。大食いはけっして合理的とは言えない習慣で、小食の方が環境に優しいと思うのですが、いかがなものでしょうかと言いたくなります。
・とにかく今回も、日本人との発想や習慣の違いに驚き、とまどうい、むかつき、笑うの連続で、楽しいけれど、くたびれることが多いです。

2008年2月18日月曜日

ベンヤミンの『パッサージュ論』

 

benjamin.jpg・ベンヤミンの『パッサージュ論』は読書ノートを集めたもので、5巻本として翻訳されている。この本を読むと、彼が書いた多くのエッセイの準備のために、どんなものを読み、どんなことを考え、どのようなイメージを膨らませたかがよくわかる。そういった内容の本なので、これまでところどころつまみ読みしてきたのだが、その題名のパッサージュにはあまり注意が向かなかった。
・『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社)を書いて、18〜20世紀のロンドンやパリのことを調べていた時に、パッサージュの存在の重要性に気がついた。ただし、本はロンドンを中心にまとめたので、パリのパッサージュはもちろん、ベンヤミンのパッサージュ論も取りあげていない。それだけに気になっていたのだが、残念ながらパリにはまだ一度も行ったことがない。と言うより、あまり行きたいと思わなかった。で、パッサージュが何だったのか、じっくり読みなおしてみようかという気になった。


パリのパサージュの多くは、1822年以降の15年間に作られた。パサージュが登場するための第一の条件は織物取り引きの隆盛である。

・パッサージュは街路にガラス張りの屋根をつけて、天気にかかわらず街を歩けるようにした一角、つまりアーケードである。石ではなく鉄骨の建築物がつくられるようになり、ガス灯が街の夜を明るくしはじめた。繁華街の街路が交通の手段であると同時に商売の場であるのは、はるか昔からだった。けれども、パッサージュは、そこから交通の手段という役目を排除した。商売の場に限定されたパッサージュは、そこに集まる人を滞留させる。各商店に並べられた商品を眺め、物色し、あるいはカフェでの談笑や議論、レストランでの食事を楽しむ。パッサージュは「商売に対してのみ色目を使い、欲望をかきたてることにしか向いていない」場だったとベンヤミンは言う。
・おもしろいのは、パッサージュが人びとに喫煙を広めたという点だ。「明らかにパサージュではもうすでに煙草がすわれていた。それ以外の街路ではまだ一般化していなかったのにである。」コロンブスが新大陸から煙草を持ち帰ったのが15世紀の末だから、煙草の普及はゆっくりしたものだったと思うが、ここでもパサージュが、その習慣を一気に広めた。パリはつい最近、カフェやレストランなど公共の場での喫煙が全面的に禁止された。と言うことは、喫煙という行為はわずか200年たらずの束の間の習慣になってしまうということになる。

・パッサージュは自転車を流行させた場所でもあるようだ。それも最新のファッションで着飾った若い女たちを虜にした。そしてそのスカートが翻るさまに男たちが欲望をする。「自転車に乗った女性は、絵入りポスターでシャンソン歌手と張り合うようになり、モードの進むべきもっとも大胆な方向を示した。長いスカートが少しばかりまくれたからと言って、どうということはないのが現代的な感覚だが、当時はそうではなかった。「当時のモードの特性。それは完全な裸体を知ることの決してない身体を暗示することだった。」
・そんなパッサージュの賑わいも、百貨店が登場した18世紀の中頃から衰退しはじめたようだ。ベンヤミンがパリでパッサージュを訪れた20 世紀の20年代には、すでに過去の遺物のようだった。とは言え、芸術家たちがたむろする場所でシュルレアリスムが生まれるきっかけもつくった。


 いずれの街区にせよ、それが本当の全盛期を迎えるのは、そこにぎっしりと建物が建てられてしまういくらか以前のことではあるまいか。そして、建物に埋め尽くされてしまうと、その街区という惑星はカーブを描いて商売に接近していく。
 街路がいまだいくらか新しい間は、そこには庶民が住んでおり、モードがほほ笑みかけるようになってはじめて、街路は彼らを厄介払いする。ここに関心を抱く者が、金に糸目をつけずに、ちっぽけな家屋や個々の住居の所有権をたがいに争い合うようになるのだ。

・パッサージュはもちろん、今でもパリの街にある。そのいくつかを歩いてみたい。そんな気になって、出かけたくなった。一時のさびれ果てた街路も、今ではレトロな観光名所になっているところもある。地球の歩き方を片手に、いくつかのパッサージュを歩いてみよう。というわけで、しばらくロンドンとパリに行ってきます。

2008年2月10日日曜日

2007年度卒論集『三人ぼっち』

 

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1.「戦後日本のポピュラー音楽 〜歌詞から読みとる時代背景〜」 ……菊地奈津子
2.「クリニクラウン〜笑いの治癒力〜 」…………………………………澤井みゆき
3.「日本のクラブカルチャーの現状と未来」………………………………田中新悟

<特集 人の群がる場所をフィールドワークする>3年生
1.「コンビニ観察」 …………………………………………………中嶋千尋
2.「ディズニーという聖地 」………………木下早弥、杉林里奈、 山内志保子
3.「図書館という場所」 ……………………………………………柴田あかね
4.「スターバックスカフェ」 …………………………………………森嶋美帆
5.「映画館検証 」……………………………………………………鍛冶田芽生子
6.「なぜライブハウスに コスプレイヤーが集まるのか」……………庄司美希
7.「カフェブーム 」…………………………………………………松野みどり
8.「ファーストフードと利用者の関係」………………………………賀嶋紀子
9.「ファッションビルを訪れる女性たち」……………………………糸谷里美
10. 「おもちゃの魅力」 ………………………………………………土屋亜樹
11. 「レンタルビデオで働く」…………………………………………秋山知宏

2008年2月4日月曜日

声の肌理

 

voice3.jpg ・ロックのボーカルはテナーが多い。ビートルズからずっとそうだし、最近は特にその印象が強い。男らしさよりは繊細さや色っぽさが魅力、とりわけ女の子たちを夢中にさせる要因だったということだろうか。そう言えば、カントリーには低音の魅力といえるミュージシャンが多い。典型はジョニー・キャッシュで、僕が最初に彼の声を聴いたのはディランとデュエットしたナッシュビル・スカイラインだった。しわがれ声のディランが珍しく素直に歌ったアルバムで、キャッシュとの対照で、ディランの声の高さが改めて印象づけられた。

・歌の魅力はまずメロディー、そして歌詞にある。けれども、歌手の声や歌い方も欠かせない。テナーというよりはボーイ・ソプラノのようなニール・ヤングの声は、デビュー以来少しも変わっていない。対照的にディランの声は、だんだん太くなって、年齢も感じさせる。
・たとえば、好きなミュージシャンを思い浮かべてみると、声の高低で偏りがあるわけではない。ルー・リード、ヴァン・モリソン、ブルース・スプリングスティーン、ライ・クーダー、マーク・ノップラー、そしてトム・ウェイツと声の低いミュージシャンはかなりいる。しかも、美声というよりはだみ声が多く、そのがらがらでしわしわの声が、猥雑で浮き沈みのある人生の機微や襞を感じさせることが少なくない。それに比べると高音は透き通っていて、非日常的な世界や気分に引き込んでくれるようだ。

voice4.jpg ・その日常と非日常、濁と清の対照は、たとえば低音と高音のデュエットなどを聴くと一層強調される。たとえば、ルー・リードのライブ盤 "Animal Serenade"には二人の高音の歌手が登場している。その一人アントニーの声はずいぶん印象的だったが、ディランの伝記映画 "I'm Not There" のサントラ盤を聴いたら、彼が'Knockin' On Heaven's Door'を歌っていて、やっぱり、他の曲を歌うミュージシャンとはずいぶん違う印象を受けた。で、さっそく2枚買って聴いてみた。アルバムのジャケットそのままに、アントニーの声はまるで天使のようだ。

voice2.jpg ・同じような印象を受けたミュージシャンがもう一人いる。ずいぶん前にアイリッシュ・ミュージックのオムニバス盤を買って、やっぱりその声に惹かれた歌手がいた。北アイルランドのベルファスト出身のブライアン・ケネディの声は、他のミュージシャンに比べてひときわ高音で透明感があった。そのオムニバス盤で気に入ったミュージシャンのアルバムをさがして買い求めたのだが、彼のだけは見つからなくて忘れていた。ところが、最近Amazonで偶然見つけて、さっそく注文した。ベルファストでのライブ盤で、おなじみのアイリッシュ・ミュージックをたくさん歌っている。

・もちろん、テナーの声は誰でも透明感を感じさせるというわけではない。スティングの声には氷のような冷たさや鋭さを感じるし、ジェームズ・テイラーには正反対の暖かさや穏やかさを感じる。U2のボノには色気と熱気、エリオット・スミスには繊細さと針のような棘………。そういった声の肌理はまた、当然ながら、サウンド全体にも共通し、歌の中身、つまりメッセージとも重なりあう。

・アントニーとケネディの声の肌理にはどんなメッセージがこめられているのだろうか。残念ながら、今ひとつわからない。ただはっきりしているのは、彼らの声は、じぶんひとりではなく、誰かとの対照でこそ、その存在感を増すということだ。ルー・リードとアントニーの組みあわせはその最適な例だろう。こんな視点でこれまで聴いた歌を思いだしてみると似たような効果を狙ったものが少なくないことに気がついた。エリック・クラプトンとベビー・フェイス、ヴァン・モリソンとチーフタンズ、R.E.M.とQ-Tip等々。単なるバック・コーラスというよりは、極端に違うものを共存させて、じぶんを目立たせる。あくの強いミュージシャンであればこその手法だと思った。