2001年12月31日月曜日

目次 2001年

12月

30日:目次

24日:White X'mas !!

17日:手紙とメールの恐怖

10日:卒論、修論ただいま追いこみ中!!

3日:河口湖マラソン

11月

26日:マルコヴィッチの穴

19日:秋深し、隣は………

12日:T.ギトリン『アメリカの文化戦争』(彩流社)

5日:シンポジウム「ビートルズ現象」

10月

29日:坂本龍一"Zero Landmine"

22日:喜寿からのインターネット

15日:BSディジタル放送について

10日:庭田茂吉『現象学と見えないもの』(晃洋書房)

3日:ムササビ、その後

9月

24日:テロと音楽の力

17日:Bob Dylan "Love and Theft" Radiohead "Amnesiac"

10日:ブルース・ウィリスの映画

3日:NTT はなくなるべきだと思う

8月

29日:観光地の光と影

23日:夏休みに読んだ本

14日:夏休み大工

7日:R.E.M. "Reveal"

7月

30日:『アイデンティティの音楽』について

23日:ムササビが住みついた

16日:MLBとNHK

9日:夏休みの仕事

2日:中野収『メディア空間』(勁草書房)

6月

25日:湖に浮かぶ

18日:デンゼル・ワシントン "The Hurricane"

11日:アンケートで考えたこと

4日:カヤックから見える風景

5月

28日:Bob Dylan "Live 1961-2000"

21日:突然の死 桐田克利『苦悩の社会学』(世界思想社)

14日:オリエンテーション・キャンプ

7日:最悪のゴールデンウイーク

4月

30日:「アー、アホクサ」

23日:感情とコミュニケーション

16日:高校生と携帯メール

9日:Nomo No-No!!

2日:四季の経験

3月

26日:ダスティン・ホフマンの映画

19日:スポーツの本を数冊

12日:U2 "All that you can't leave behind"

5日:スネイル・メールで「ほんやら洞通信」

2月

26日:今年の卒論

19日:H.D.ソロー『ウォルデン』その5;青い雪と氷の花火

12日:"The Best of Broadside 1962-1988"

6日:D.A.ノーマン『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう』( 新曜社 )

1月

30日:美しくて、楽しくて、そして何より怖い雪

29日:冷や汗、大汗の大雪物語

22日:"海の上のピアニスト"

15日:メールと掲示板

8日:H.D.ソロー『ウォルデン』その4;「退屈」について

1日:新世紀に思うこと

2001年12月24日月曜日

White X'mas !!

 

冬休みになって
久しぶりにのんびりしています
寒中カヤックもやりました
薪割りも日課仕事です
しばらくぶりの雪景色
とうぶん東京に行くこともありません
歯を治して
胃と腰を休めて
2002年に備えましょう
Lancasterは1年に22000kmも走りました
小さな故障一つしないすぐれものです
本当に今年は忙しい年でした
来年はもうちょっと
ゆとりをもってすごしたいものです
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一年はあっという間にすぎます
しかしまた、9月の惨事がもうはるか昔のよう
アフガニスタンでの報復攻撃が長く感じられました
愛と悲しみ、正義と邪悪、
そしてなにより底知れない憎しみと恐怖
アメリカ人の心と行動が
ハリウッド映画そのものであることを
あらためて実感しました
とびきりの自己中人間の集まり
他者に目を向けない者は
結局自分を見つめることもできない
それはアメリカ人にかぎらないのかもしれません
そういう関係が
世界の常識になりはじめているようです
だからたまには一人になって
他人のことを思い描いてみる
自分のことを考えてみる
そういう時間がなにより大事な気がします
静かな夜、聖なる夜
メリー・クリスマス!!
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2001年12月17日月曜日

手紙とメールの恐怖

  • アメリカでは、手紙に混入された炭疽菌で何人もの人が死んだ。テロの一つとして考えられているが、本当のところはよくわからないようだ。封書を開けるのが恐い。あるいは手紙が届くのさえ恐ろしい。こんな経験を何億もの人が同時にするのは、たぶんはじめてのことだろう。
  • この手紙にはもちろん、送り先があって、メディアだったり政府機関だったりする。それは特定の人や組織に対する攻撃だが、届く過程で被害にあった人も少なくない。郵便局員は当然危険だが、たまたま菌の入った封書と重なった手紙、封書を開けたときに居合わせた人などと考えていくと、これはやっぱり、姿を隠した人間が無差別に無数の人びとに危害を加えることを意図した行動だといわざるをえない。まさに匿名社会がもたらす恐怖である。
  • 手紙は、おなじ場所に生きて関係を続ける人たちが離ればなれになるところから普及しはじめた。たとえば、田舎から都会に出ていく、あるいは別の国に行く。理由があって離れてはいるけれども、私とあなたの関係は親密なものです。手紙はなによりそんな気持ちを確認する手段だった。今はそれが年賀状や暑中見舞いとして形骸化しているけれども、やっぱり久しぶりに来た知人からの便りには懐かしさを感じたりする。
  • もっとも、最近では、配達する手紙にふくまれる私信の数はめっきり少なくなった。やってくるものの大半は、ダイレクト・メールか仕事に関係している。味も素っ気もない茶封筒は、差出人を見て、用がなければ開けもしないでストーブや焚き火にほうり込んでいる。それでも、森の中に住んでいると、昼頃にやってくる郵便屋さんに心が躍るということはある。そういう意味では、手紙に期待する気持ちが、ぼくの中にはまだ残っている。
  • とはいえ、自分で出すということになると、とたんに面倒に思ってしまう。メールを使うようになってからは特にそうだ。メールは汚い手書き文字ではないし、しかも遠くのポストまで歩いていく必要もない。これなら、来たものにすぐ返事が出せるし、出したものにもすぐ返事が来る。必要なら返事の返事、返事の返事の返事といくらでもできる。しかも、電話のように無駄なおしゃべりをする必要もない。だからぼくはここ数年はもっぱらメールで楽をしてきた気がする。
  • ところが、そのメールにも煩わしいことや、恐いことがある。まず以前にも書いたように、ジャンク・メールの山。これは国内にかぎらない。AOLのアドレスにはヴァイアグラや投資、それにアダルトサイトからのメールがうんざりするほど舞い込んでくる。最近ではもう、開けもしないですぐ削除。ストーブにほうり込む手紙と一緒である。
  • それでも手紙よりはまだましと思っていたのだが、しばらく前から、添付ファイルのついた<RE:>という題名のメールがやたらと飛び込んでくるようになった。侵入してはいろいろと悪さをする、新手のコンピュータ・ウィルスらしい。もっとも、ぼくはまだ実害を受けていない。たぶんマックを使っているせいだと思う。ウィンドウズでエクスプローラーやアウトルックを使用している人に被害が多いようだ。
  • 手紙と違ってメールは世界中どこにでも即座に届く。一つの内容が拡散するのも手紙とは比較にならないほど早い。それにくっついてくるウィルスは、気づかぬうちにパソコンのデータを改竄したり破壊したりするから、実際上は全くの無防備と言っていい。個人でいくら注意しても、炭疽菌と一緒で防ぎようがない。これはサーバーでシャットアウトできるのではと思うのだが、大学ではぼくはもちろん、学生の所にも次々やってくる。AOLのアドレスには来ていないから、こちらは対策済みなのかもしれない。そうだとすれば、電算室にはもうちょっとしっかりして欲しいと思う。
  • 院生の一人がウィルスでパソコンが動かなくなったと言った。彼は今修論を書いている。誰が送りつけたかとんでもないと思うが、送る方はそんな相手の状況など知りもしない。もちろん、被害を被った方にしても、なぜ送られたのか見当もつかない。世界大に広がったネットワークのなかを顔の見えないメールが無数に飛び交っている。いたずら心にせよ、特定の意図があるにせよ、数多くの人が迷惑を被り、被害にあう。それは、テレビもなく、なぜ攻撃されるのかもわからずに爆弾を落とされるアフガニスタンの人たちが感じる気持ちと、どこか通じている気がする。「不条理でアノミーな世界」になったな、とつくづく思う。
  • 2001年12月10日月曜日

    卒論、修論ただいま追いこみ中!!

     

  • 例年の年中行事である卒論、修論の季節がやってきた。おもしろくなるか、しんどくなるかは学生次第。当然おもしろくしようと、学生たちにはだいぶ前からハッパをかけてきたのだが、今年の動きは、遅くて鈍い。当然、こちらにとってはイライラの原因になる。で、ぎっくり腰である。
  • ぼくは疲れやストレスがたまると、それが胃や腰に出る癖がある。もう10年以上もつづいている悪癖だが、今年もやっぱり出た。去年は1年の仕事が済んで、引っ越しの準備をしていた2月だったし、一昨年は遠距離通勤でくたびれた夏休み直前のことだった。からだは本当に正直だ。
  • もっとも、学生のせいばかりではない。大学を移って3年目だというのに、本当に任される(押しつけられる)仕事が多い。新参者に押しつけようとするのか、ほかに適任者がいないのか。その仕事が11月になってどっと重なった。入試委員、メディア委員、オリエンテーション・キャンプ実行委員、定員活用委員(新学科を作るのか作らないのかを決める)、大学院運営委員、それに人事の選考委員である。こんな大事な仕事を、内情をよく知らない者に任せていいのだろうかと思う。逆に言えば、あまり首を突っ込みたくない仕事ばかりでもあるのだが………
  • そんな会議の連続の合間に、ゼミや院の学生の論文のことを気にかける。せっつかなくてはもってこない学生ばかりだと、イライラするのは無理もないことだと我ながら思う。もっと余裕を持って楽しくやりたい。やらせて欲しい。そういう思いを学生たちはわかってくれない。そんな気持ちがついつい学生にぶつけられる。だから逆効果になって、やる気を起こさせるのではなく、萎縮させることになる。悪循環は避けたいのだが、なかなかうまくはいかない。
  • 去年の学部ゼミの卒論集は『意外とイイ』だった。熱心な学生が数人にて、夢中になっている学生と話をするのが楽しかった。もちろんそうではない学生もたくさんいたが、これはと思う論文は数本出れば十分である。今年の学生たちと卒論集の題名の話をしたときに、『意外とイイ』がプレッシャーになっていることに気がついた。例によってぼくは意地悪に、題名は『今年はダメ』『なぁーんだ期待はずれ』かな、などと言った。学生たちからは、「誰にも見て欲しくないから『有害図書』にしよう」といった意見も出た。「有害なものが書けたらたいしたもんだ。だけど、君らの書くものは残念ながら『人畜無害』。毒にも薬にもならない」とぼくがつっこむと、「ワー、ひどい」といったが、「ヨーし、いいもの書くぞ」という声は聞こえてこなかった。それどころか、論文のことなどそっちのけで、卒論集を出さないようにするにはどうしたらいいか、とか、学部の先生たちに見せないようにする工夫ばかりを考えはじめたから、これはあかん、今年はダメかとあきらめかけた。
  • もっとも、豊作と不作は隔年でやってくる。だから今年はだめでも来年に期待すればいい。そう思えばいいのだが、実は来年の学生、つまり3年生は、今年よりももっと消極的で、ゼミも活発ではない。このままではじり貧の沈滞化がやってくる。だから、今年の学生にも、やっぱり本気になってもらわなければならない。「『ノツボ』にはまったと思って、懸命にもがけ」。提出は今日(12月10日)から14日まで。悪あがきかもしれないが、ぼくはまだ、最後の大化けに期待している。
  • 17日のコンパは楽しくやりたいものですね。みなさん!!!
  • 実は悩みの種は大学院の方が大きい。去年は一人で、しかも優等生だったから、ほとんど何の苦労もなかったのだが、今年は留年生を含めて4人。だいたいでき上がりつつあるのが2人。遅々として進まないのが一人。出すと言い張ってはいるが、まったく顔を見せないのが一人。冬休みには、疲れをとってのんびりしたいのだが、それをさせてもらえるかどうかは、まさにこの2人にかかっている。もっとも、休みに入ったら、泣き言を言われても、学校に出ていくことなどするつもりはない。
  • 学部の卒論集は1月から編集作業に入る予定。大学生協に印刷を頼むから、順調にいけば2月の後半にはできるはず。そのころに論文の紹介とぼくのコメントをこのHPでも紹介するつもりだ。
  • 乞うご期待!
  • 2001年12月3日月曜日

    河口湖マラソン

    ・11月23日に河口湖マラソンがあった。日刊スポーツと河口湖町主催で、山梨県と朝日新聞が後援。今年で26回目になる。参加者は8352人。コースは湖畔を2周するフルマラソンと1周のハーフ、それに一部を走るファンラン(8.1km)の三つ。快晴でマラソンには暑いほどの一日、富士山も一日中顔を出した、絶好のコンディションだった。ぼくも暖かさにつられて、沿道まで見物に出かけた。




    ・河口湖町の人口は2万人ほどだから、マラソン参加者の数はその半分。湖畔道路に数珠繋ぎになる光景は壮観だ。性別も年齢もさまざまだが、コスチュームを競うのも流行のようである。ウルトラマン、サンタクロース、看護婦さん、白鳥、ペンギン、ビール瓶………。暑くて重くて動きにくくて本当にご苦労さんでした。




    ・マラソンのおかげで当日は完全な交通麻痺。前日から湖畔道路は渋滞で、急ぐ人にはえらい迷惑。けれども、イベントにこんなに人が集まるなら、車は完全に遮断して、もっと楽しさやユニークさを強調してもいいと思った。河口湖はこの日を最後に来年の春までは、ぱったり客も途絶えてしまうのである。

    11月23日に河口湖マラソンがあった。日刊スポーツと河口湖町主催で、山梨県と朝日新聞が後援。今年で26回目になる。参加者は8352人。コースは湖畔を2周するフルマラソンと1周のハーフ、それに一部を走るファンラン(8.1km)の三つ。快晴でマラソンには暑いほどの一日、富士山も一日中顔を出した、絶好のコンディションだった。ぼくも暖かさにつられて、沿道まで見物に出かけた。