2021年10月25日月曜日

穂高と八ケ岳

 


photo93-1.jpg


hodaka1.jpg 毎年この時期にはパートナーの誕生日に合わせて小旅行をしてる。去年は会津だったが今年は穂高に行くことにした。といっても山登りをするわけではない。ロープウエイに乗って。穂高や槍ケ岳が間近に見える所までということにした。途中で上高地に立ち寄ろうかなどと計画したが、天気予報はあいにくの雨。温泉につかるだけでもいいかという気持ちでスタートしたら、甲府の町並みが見えはじめた頃から、西の空が青空になってきた。で、しばらくいくとかんかん照り。何度も書いているが僕たちはそろって晴れ男と晴れ女で、旅行に出て雨に降られたことがほとんどない。

中央高速を塩尻で降りて果物街道を通って新穂高温泉まで走った。さっそくロープウエイに乗って上まで行くと、残念ながら雲が出はじめていて、笠ケ岳も槍ケ岳も隠れてしまっていた。風が強くて寒かったので、歩くのは少しだけにして、やどで温泉に入った。硫黄がきつかったが部屋にある露天風呂だったので、ゆっくりつかった。

hodaka2.jpghodaka3.jpg
hodaka4.jpghodaka5.jpg


翌日は平湯でバスに乗り換えて上高地へ行こうと思ったが、朝起きると雨で、紅葉の名所の平湯峠に行き、旧道で安房峠を越えて帰ることにした。ところが走り始めると雨がみぞれにかわり、本格的な雪になった。平湯峠まで行ったが降りずに戻って、今度は安房峠に向けて走ったが、登るにつれてやっぱり雪で、道路もシャーベット状になりはじめた。峠近くまで行くと車がスリップするようになったので、諦めてまた戻った。

hodaka6.jpghodaka7.jpg


photo93-2.jpg 松本まで降りるといい天気。リンゴや野菜を買って、下道を諏訪湖から八ケ岳に走らせた。ジャージー牛がのんびり反芻するところや、うっすら雪化粧した八ケ岳を眺めたが、これはすごいという紅葉の風景には出会わなかった。かわりにひと足早い雪景色を見たのだが、帰りの車から見える富士山もきれいに雪がかかっていた。そう言えば河口湖の紅葉もやっと色づきはじめたばかりで、もうすでに、訪れる人が増えている。急に気温が下がったから、もうすぐ見ごろになるかもしれない。

2021年10月18日月曜日

エリック・アンダーソンとヴァン・モリソン


eric1.jpg" エリック・アンダーソンは1943年生まれだからもうすぐ80歳になる。1964年のデビューで半世紀を越えているが、まだ現役で歌い続けている。僕が初めて聴いた彼の歌は"Come to my bedside"で、いい歌だと思ったが、フォークと言えばメッセージ・ソングが当たり前の時代だったから、それほど興味を持たなかった。実際、彼の出したアルバムは40枚近くあるというのに、これまで一枚も手に入れなかった。そんなふうにほとんど忘れていた人の3枚組みCDをたまたま見つけて、懐かしさもあって買ってみようかという気になった。

『Woodstock Under the Stars』は1991年から2011年にかけて行われたコンサートやスタジオ録音が収められているから、長いスパンで彼がどんな歌を作ってきたかがよくわかる。タイトルに「星空のウッドストック」とあるのは、収録されたコンサートが主に、伝説的なロック・コンサートで有名なウッドストックにあるカフェなどで行われたことにある。もっともここは、牧場が多い小さな村で、有名になる前からディランなど多くのミュージシャンが暮らした所でもある。エリックもまた、ここで暮らしていたことがあったようだ。

収録された歌は35あるがエリックの作ったのは25曲で1960年代に作ったものから2000年代に作ったものまで幅広い。彼の歌は多くのミュージシャンにカバーされているが、このアルバムにもまた、多くのミュージシャンが参加している。小さな場所でそれほど多くはない人たちと楽しく歌い演奏する様子が再現されていて、いいアルバムに仕上がっている。ウィキペディアにはカミュやバイロンをテーマにしたアルバム・タイトルが最近のものとして載っている。ずいぶん遅くなってしまったが、もう少し彼の歌を聴いてみようかという気になった。

van3.jpg 対照的に1945年生まれのヴァン・モリソンのアルバムは、そのほとんどを持っている。最新作の『Latest Record Project Volume 1』は彼の42作目のアルバムである。コロナ禍でコンサート・ツアーが出来ず、日常から隔離された中で作られたアルバムのようだ。28曲が収められていて、ジャズ風なものやR&Bやブルース、そしてケルティックなど、いつもながらの調子の歌が並んでいる。ほとんどが新作というから、彼の創作意欲が健在であることがわかる。

彼についての最近の情報を探していると、ライブ演奏を全面禁止した英領北アイルランド自治政府に対して、その決定を見直すよう提訴したというニュースを見つけた。また、コロナやその対策に抗議して「Born To Be Free(自由になるため生まれた)」「As I Walked Out(外に出たら)」「No More Lockdown(ロックダウンをやめろ)」といった歌も作ったようだ。残念ながらこれらの曲は、今回のアルバムには収められていない。

とは言え、収められた歌には彼らしいタイトルのついたものが多い。「精神分析者のボール」「誤りのアイデンティティ」「ダブル・バインド」「ジェラシー」は心理学や社会学の論文名のようだし、「なぜフェイスブックに載ってるんだ?」「愛は警告なく来るべきだ」「反逆者はどこに行った」といった題名もある。なお意気盛んな様子がよくわかる歌が並んだアルバムだと思った。心臓が弱くて飛行機には乗りたくないから日本には来ないと聞いたことがあるが、いつまでも元気な様子で何よりだ。

2021年10月11日月曜日

ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン 『アメリカを作った思想』(ちくま学芸文庫)

 

america1.jpg アメリカ合衆国はコロンブスから数えてもまだ、530年ほどの歴史しかない。政治や宗教、あるいは貧困や一獲千金目当てにヨーロッパから移り住んだ人、その人たちによって奴隷として送り込まれた人、そしてもちろん、新住民によって追い立てられ、滅ぼされた先住民などによってできた国である。極めて雑多で多様な人たちによって出来た国だが、20世紀以降、現在に至るまで、世界をリードし、支配してきた国でもある。一体、そのアメリカとは、どんなふうにしてでき上がったのか。この本は、その思想的側面に注目して分析した歴史書である。

ヨーロッパからの入植者が始まった時、北アメリカにはすでに5千万人を越える人たちが1万年以上も暮らしていた。この人たちは、中南米にあったマヤやインカといった帝国と違って、数千にも別れた部族社会で、ことばも暮らし方や習慣も違っていた。入植者たちは先住民に助けられ、また教えられることも多かったが、土地を奪い、殺し、また天然痘などを感染させて、その多くを滅ぼすことになった。しばらくは先住人との対比でしか自らのアイデンティティを自覚できなかった新住人たちが、アメリカ人として自覚し、建国するまでには数百年の時間が必要であったという。

アメリカが作られる過程では、もちろん、ヨーロッパからの新しい思想や哲学、あるいは文学が輸入された。そこからアメリカ的なものが生まれるのだが、この本でまず取り上げられているのはアメリカの独立の必要性を説いたトマス・ペインの『コモン・センス』であり、エマソンやソローに代表される「トランセンデンタリズム」(超絶主義)である。この自由と平等に基づくアメリカ生まれの新しい思想は、当然、奴隷を使う農耕を基本にする南部では受け入れられず、南北戦争が起こされることになる。

「トランセンデンタリズム」はダーウィンの「進化論」をもとに、人間が神によって現在のままにつくられたのではなく、多様な形態で進化してきたことを説き、白人も奴隷も同じ人間であることを主張した。しかしここには対立的な立場もあって、進化の過程で優劣が生じ、白人の優越性が生まれたと主張する「社会的ダーウィニズム」と呼ばれる動きもあった。この「進化論」をめぐる両極端の考えは、今でもなおアメリカを二分する思想の根にあるようだ。

アメリカを代表する哲学は「プラグマティズム」だと言われている。ジョン・デューイによって始められたこの哲学は、「普遍的で時間を超越した真理の探究を放棄し、かわりにある命題が真なのはそれが含意ないし予測する実践上の帰結が実際に経験として現れる場合だと言うことを強調した。」真理や信念はテストされる命題に過ぎない。それは何より実証的、経験的であるべきであり、現実に目を向け、そこから出発すべきだと考えた。「ダーウィニズム」や「トランセンダリズム」に影響されて生まれた「プラグマチズム」は20世紀のアメリカを根元から支える哲学になった。

こんなふうにしてアメリカの歴史を読み解いていくこの本には、今まで読んだことも聞いたこともない本や人の名前が次々登場する。先住民について、奴隷について、そしてもちろん移住者たちについて、今まではあまり注目されなかった文献を丹念に集め、徐々にアメリカ的なものが自覚され、思想が生まれ、国家として確立していく過程が丁寧にまとめられている。アメリカの歴史も「トランセンデンタリズム」も「プラグマティズム」も興味があって、ずいぶん読んできたが、今までとは少しだけ違うアメリカの歴史を知ることができた。

2021年10月4日月曜日

iMacで悩んでます

 マッキントッシュのOSが"Catalina"から"Big Sur"に更新されたようです。ようですと書いたのは、僕の使うiMacには更新の通知が届いていないからです。パートナーがビッグ・サーに更新しろと言ってきてると聞いて、初めて気がつきました。どうして僕の所には来ないのか、気になってAppleを調べると、"Big Sur"はiMacでは2014年以降のモデルに対応とありました。僕のiMacは2012年ですから、もう新しいOSには対応しないというわけです。さて、どうしようか。かなり悩ましい問題です。

そう言えば、僕の使うiMacはすでに9年も経っているのです。そんなになるのかと思いましたが、今でも問題なく動いています。壊れるまでは使うつもりでいましたが、OSが更新できないとなると、ぼちぼち買い替えを考えなければなりません。けれども 、iMacにつなげて使っているディスプレイは、新しいiMacでも使えるのでしょうか。Appleは現在、ディスプレイを販売していないのです。

僕は1989年からマッキントッシュを使い続けています。今までに購入したマックはおそらく10台を超えているでしょう。何しろ最初の頃は数年経つと処理速度が遅くなって買い替えなければならなかったのです。しかも、最初に買ったSE30は100万円近くもしたのです。そこにいくと、最近のパソコンは進化が遅くなった気がします。今使っているiMacのプロセッサーを調べると、Quad-Core Intel Core i7で処理速度は3.4GHz、プロセッサーの個数は1、コアの総数は4とありました。今売っているものとどれほど違うのでしょうか。

同じ27インチで調べると、3.1から3.8GHzまで3種類あってコアが6〜8とありました。ターボブーストを使うと最大5GHzになるとありましたが、ここ10年、あまり変わっていないことがわかりました。これなら壊れない限りは買い替える必要などないなと思いました。しかし、24インチのiMacは新しいのが出たばかりで、プロセッサーはApple M1チップという新しいもののようです。さらに、これから発売されるものとして30インチのiMacの噂があるようです。今は大きな変化の時期なのかもしれません。

もう一つ気になるのは、新しいiMacを購入したら、古いiMacをディスプレイとして使えないかという問題です。壊れていないのに捨てるのは何とももったいない気がするからです。今のところダメという記事が多いですから、やっぱり壊れるまではこのまま使うことにしようと思っています。そのためにも、iMacにあるデータは確実にバックアップしておかなければなりません。

AppleはGAFAの一角として世界を席巻しています。その旗手(機種)は何といってもiPhoneでしょう。僕は2014年に最初のiPhoneを購入して、昨年SE(第2世代)に買い替えました。最初の5sが6年で使い物にならないほどに遅く感じられたからでした。もっともiPhoneは電話以外にはほとんど使っていませんでしたから、買い替える必要もなかったのですが、今さら電話だけで使う携帯に代える気にもならなかったのです。Appleは毎年新機種を出しています。それに合わせて毎年買い替える人がかなり多いのでしょう。パソコンとは力の入れ方がずいぶん違うとつくづく感じました。