2011年6月27日月曜日

メディアと電力

・テレビのアナログ放送停止まで一ヶ月を切った。地デジ対応化していないのは50万世帯ほどだという。日本全国の総世帯数は5000万近くだから、残り1パーセントという計算になる。ここまで来れば、もういいじゃないかと思うのだが、テレビは一日に何度も、地デジ対策を急ぐよう、警告を発している。残り1パーセントのためにこれほどうるさく言うのは、いったい誰のため、何のためなのかと、今さらながらに腹が立ってくる。

・実は僕の家はまだ、地デジには未対応だ。以前から繰りかえし書いているが、テレビを見るのはBSがほとんどで、見られなくなったって、ほとんど困らないと思っているからだ。つまらない番組ばかりなのはずいぶん昔からだが、大震災と原発事故の後は、地上波には不信感ばかりが強くなった。おかげで、知りたいことは自分でネットを使って探すといった態度が、すっかり身についたのである。

・原発事故の推移について、テレビが、その深刻さを伝えはじめたのはいつ頃からだったろうか。ネットを通して一番信頼していた京大助教の小出裕章さんのコメントがテレビに頻繁に出るようになったのはごく最近のことで、一番最初はCS放送の「愛川欽也パックインジャーナ(5月7日)」だったように記憶している。もっとも僕は、この放送もYoutubeで見た。その小出さんが参議院の行政監視委員会(5月23日)で発言した様子も、総理が元気づけられたと言われる、官邸での「自然エネルギーに関する『総理・国民オープン対話』(6月17日)」もUstreamが生中継をした。

・テレビをはじめとしてマスメディアの報道が、原発事故や東京電力に対して及び腰だったのは、東電をはじめとした電力会社が広告収入源として楯突くことができない企業だったからだと言われている。そのテレビや新聞に、小出さんのコメントが毎日のように出るようになって、彼の発言を、まるで自分たちの主張のように利用するようになった。それはまた、ソフトバンクの孫正義が旗を振って菅総理を後押ししている「電力買取り制度」などでも同様だ。あるいは、発電、送電の分離といった議論についても、マスメディアは総じて賛成の立場を取っていると言っていい。

・「電力買い取り制度」にしても「発電・送電の分離」にしても、これまで国会で議論になっても、その都度、電力業界とそれに繋がる議員(政党)の反対にあってつぶされてきた。その抵抗勢力が表に出てこないのは、福島原発の深刻さに、世論が脱原発に大きく流れを変えたからである。僕は、この新しい法律が国会で承認されることに大賛成である。けれども、そのことについてテレビや新聞が業界と政界の癒着を指摘して批判することには、強い違和感を持ってしまう。

・電力が巨大な原発を所持する巨大企業に独占されていて、自由な競争が排除されてきたという構図は、新聞やテレビと言ったマスメディアにもそのままあてはまる。特にテレビは国の免許によって放送できる制度が確立されていて、ケーブルや衛星といった新しい技術が導入されても、その特性を生かした新しい放送局は育たなかった。と言うよりは、そんな芽が出ないように、次々と摘み取られてきたのが現状である。そして、地デジ化も、既得権を何より重視して、新しい可能性を試みようとはしていない。

・このことについては、すでにこのコラムでも何度も書いてきた。(→) そして、既得権を第一にして、新しい技術の可能性をつぶしてきたという歴史や現状については、当然ながら、テレビも新聞も、ほとんど発言をしてこなかった。そもそも、新聞とテレビが経営的にも業務的にも強い関係にあるという仕組み(クロス・オーナーシップ)は、欧米にはない日本独特のものなのである。電力会社の独占体制と、情報を隠す体質を批判するならば、まず我が身のことを正してからなのだが、そんな自省の心を持ち合わせているとは思えない。マスメディアは電力会社以上に信用のおけない存在で、そのことはすでに多くの人に見透かされてもいるのである。

・巨額の費用をかけ、国民に負担を強いて実現させた地デジ化は、それと同じことが、すでにあるケーブルや衛星放送、さらには光ファイバーでもできるものでしかない。そのとんでもない無駄をなぜやったのか。そのことをきちんと説明する人は、今のところマスメディアには誰も現れない。

2011年6月20日月曜日

Keith Jarrett Concert

 5/28 渋谷オーチャードホール

keith5.jpg・コンサートに出かけたのは4年ぶり。しかも前回はチーフタンズを松本で聴いたのだから、東京でのコンサートは2003年の武道館でのニール・ヤング以来で、8年ぶりということになる。コンサートからずいぶん足が遠のいたものだと、今さらながらに思った。もちろん、行こうかどうしようか迷ったミュージシャンはたくさんいたが、いつでも、コンサートが終わった後に、高速道路を走って帰宅するしんどさが邪魔をした。しかし、今回はめずらしく、パートナーも一緒に行くと言ったから、夜中に帰らずに、ホテルに泊まることにした。

・キース・ジャレットをよく聴くようになったのは去年からで、ライブで聴きたいと思ったのはYouTubeで演奏の様子を見てからだった。タイミングよく東京でコンサートをやることを知って、すぐにチケットを買ったが、直後に大地震があって、実際におこなわれるのかどうか心配だった。3ヶ月も先なのだから大丈夫だろうと思ったが、原発事故の終息は目処が立たず、ニュースは日本よりは海外の方が詳細に伝えていたから、キーズがやめると言っても仕方がないという気もしていたからだ。

・コンサート会場は渋谷のオーチャードホールで、僕にとっては初めての場所だが、実は渋谷の街に出かけるのも、もういつだったか忘れてしまっているほど久しぶりだった。だから駅に降りて見回す景色も、懐かしいと言うよりはまったく新しいと感じるものだった。雨が降っているのにハチ公前には大勢の人が人待ちをしていて、会場まで歩く道筋にも、やっぱり大勢の人が列をなすようにして歩いていた。だから思わず、つぶやいた。人が多い!多すぎる!!

keithtokyo.jpg・ホールに入ると、いろいろ注意書きがあって、今日のコンサートは録音をするので、物音を立てないようにというアナウンスがくりかえされた。ケータイの電源を切ること、傘は床に寝かしておくこと等々、事細かな注意を聞かされ、薄暗い席やピアノが一台置かれただけの殺風景な舞台を見ているうちに、だんだん音楽を聴きに来たことを忘れるような、変に緊張した気持ちになった。で、ジャレットの登場である。

・ピアノの前に立って、客席に向かって深々とお辞儀をして、ピアノに向かい、鍵盤の上に手をかざすようにして、曲を弾き出す。どれも即興のはずだから、もちろんはじめて聴くものばかりだが、中に一曲、途中でやめて「バイバイ」と言って、別の曲を弾き始めたことがあった。即興であればそういうこともあるのか、とそこで改めて彼の演奏の姿勢に触れた気がした。

・ピアノの音の心地よさに目を閉じて聴いているうちに、緊張がほぐれたのか、眠りかけてしまったらしい。隣の席のパートナーが肘で突いてきた。「寝てないよ」と言ったが、寝息が聞こえてきたようだ。疲れがたまっていたせいもあるが、キースのピアノが子守歌になったのかもしれない。休憩をはさんで後半の部が始まると、腰を浮かして弾く様子や、時折彼が発する声が聞こえてきたり、リズム感のある曲には足踏みをしてみたりといった様子が見えて、聴衆もリラックスをして聴くようになった。

・アンコールが5曲ほどあったが、その度にキースは舞台から引っ込み、また出てきては深々とお辞儀をした。即興ばかりだった本編とは違って、アンコールには既存の曲が弾かれた。「オーバー・ザ・レインボー」しか名前はわからなかったが、聴いたことがあるメロディで、即興を弾くのとはずいぶん違う、リラックスした演奏で、その雰囲気は聴衆にもすぐに伝わった。彼のピアノ演奏は、手を鍵盤にかざしたときにはじめて、空から降り注いでくるようにしてやってくる。だから、聴衆には、絶対に邪魔をしてはいけないという緊張感が襲ってくる。だからこそのアンコール5曲のサービスだったのかもしれない。彼にとって今日の聴衆は満足のいくものだったのだろう。

・この夜彼の指に降り注いだ音楽は、僕には心地よく聞こえたが、どんなものだったかと言われると、よく思い出せないものでしかない。CDが出たら是非買って、何度も聞き返したいものだと、今から楽しみにしている。

2011年6月13日月曜日

レベッカ.ソルニット『災害ユートピア』(亜紀書房)

 

solnit.jpg・大きな災害に不意に見舞われたとき、人びとはどのような思いに囚われ、どのように行動するか。このような問に対して、もっとも一般的な答えは、我を失った人びとが起こす集団的なパニックという現象だろう。だから、国の政府や自治体は、そうならないように情報を管理し、警察や消防、あるいは軍隊(自衛隊)を出動させて、パニックによる大混乱という事態を避けようとする。

・それは、東日本大震災と福島原発事故への政府の対応を見ても明らかだ。幸い、今回の大災害では、どの時点においてもパニックによる大混乱は起きなかった。そのことに驚き、日本人の冷静さを賞賛する声も、海外から多く聞かれた。けれども、福島市や郡山市の放射線量は、とっくに避難しなければならないレベルに達しているのに、場当たり的に許容量をあげたり、データ収集に不熱心だったりして、多くの人びとは不安をかかえながらも日常生活をしている。

・レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』は1906年に起きたサンフランシスコ大地震から2005年にハリケーン(カトリーヌ)に襲われたニューオリンズまでの五つの事例をもとにした、人びとの行動の分析である。著者がどのケースにおいても注目するのは、パニックではなく、被災した人たちの中に自発的に生まれる「相互扶助」の気持ちと、それによって出来上がる「ユートピア」である。著者はその点を力説して、原題を「地獄にできた楽園」と名づけている。

・どんな災害であれ、被災をした人たちは、たちどころに衣食住のすべてを失って、途方に暮れてしまう。政府や自治体などの公共機関や私的な援助活動が動き出すまでには時間が必要で、それまでの間のひもじさや寒さ、そしてもちろん不安や恐れの感情を和らげてくれるのは、同じように被災した人たちの相互の助け合いである。そのことによって、普段はほとんど無関係に暮らしていた人たちの間に、同じ地に住む者同士という「コミュニティ」の意識が実感されたりもする。ソルニットがそれぞれの事例について、膨大な資料をもとにして強調するのは、パニックや無法地帯における暴動ではなく、人びとの中から自然発生的に生まれる「ユートピア」なのである。

・ところが、大災害時における国家の災害対策は、何よりパニックによる大混乱の回避に重点が置かれる。その過剰な取り締まりや情報の統制が、かえって暴動の原因になり、人びとに恐怖や不安の気持ちを募らせる。で、多くの人が捕らえられ、殺されもした。1906年にサンフランシスコ大地震で起きたことが、その1世紀後のニューオリンズでもくりかえされた。人びとの間に生まれる相互扶助の気持ちは、いわば既存の秩序が崩れたときに人びとの間に自覚されはじめる「自生の秩序」である。このことに気づかず、あるいは過小評価し、さらには意図的に覆い隠し、妨害しようとするのは、誰より権力の座にある者たちと、マスメディアなのである。要するに、為政者やメディアは、自らの力で統制できない人びとの動きや考えには、それが何であれ、無視したりつぶしたりしたいのである。

・この本を読むと、3.11以降の政府や東電の対応と、被災した人びとが抱いた思いや行動、そして関係の取り方との間に生じた大きなズレがよくわかるように思う。原発事故の実態について情報隠しをしてきたのは、それによるパニックや風評被害の拡大を恐れたからではなく、自らの責任を免れたかったからである。震災から3ヶ月目の11日に全国各地で反原発を訴えるデモがおこなわれた。主催者が目指した100万人規模の行動になったのかどうかはわからないが、これほどのイベントをテレビのニュースはごく簡単にしか触れなかった。その代わりに、電力会社が発する夏の電力不足とそれに対応するための原発の再運転については、コメントなしに大きく報道したりもしている。

・この本にはメキシコ市で1985年に起きた大地震がメキシコの圧政に対する批判を引き起こして、民主化に向かう大きなきっかけになったことが指摘されている。それを読んで思うのは、原発事故をきっかけにして気づかされた原発の怖さや、それを過小評価して原発を推進してきた国の政策に対する批判をもっともっと大きなものにする戦略だろう。それは第一に、人びとの中から自生する意見として集約されるべきものであって、政治家やメディアによって啓蒙されるものではない。

・退陣を迫られている菅首相は、日本全国の原発の即時停止と原発政策の白紙撤回、そして発送電の分離を政策として提案し、国会での批判が強ければ、それを理由に内閣を解散したら衆議院の選挙は原発を巡る国民投票というはっきりとした論点になる。そうなって困るのは、被災地の人びと以上に政治家や関連企業、そしてメディアであるはずなのである。

2011年6月6日月曜日

不信任決議と政策

 ・唐突に菅内閣を不信任する動きが起こり、民主党内からもそれに賛成する発言が噴出して、一気に衆議院に提出されて決議という事態になった。震災の復興も、原発事故の対応も全部ダメだから、今すぐ内閣を変えるべきという大合唱で、一時は決議が成立して衆議院が解散するのではという方向になった。当日になって流れが急展開して、菅内閣が近く退陣することで、民主党の議員の大半が反対し、決議案は否決された。

・テレビや新聞はどこも、政局を巡って争っている場合ではないと批判をし、政策をぶつけ合う必要性を力説していた。被災地の人たちにマイクを向け、怒りやあきらめの声を聞き出して、政治家の身勝手さを叱責させるのはわかりやすいが、メディアのどこからも、今はっきりさせるべき政策について、明確な指摘は見当たらなかった。

・しかし、今、菅内閣を倒さねばならない理由は、いったいどこにあるのだろうか。復興の遅れや原発事故処理の不手際は、首相が変われば改善されるとは思えない。そもそも、次に誰を首相にしようというのだろうか。1年ごとに首相を変えて、次は6人目となる。国民がそんなことを望んでいないのは、最近の世論調査でも明らかだ。だとすると、この時期に唐突に不信任決議が出てきた裏には、出所も狙いも明らかな理由があるはずなのである。それは、5月に管首相が発言した原発や電力についての政策と、それに反発する原発推進派議員の最近の動きを確認すれば、はっきりしているように思える。

4月4日 自民党原発推進派「エネルギー政策合同会議」(朝日新聞5月5日記事)
 26日 チェルノブイリ事故25周年
5月6日 菅首相、浜岡原発4.5号機停止要請
 10日 菅首相、エネルギー政策見直し発言 
 16日 森喜朗元首相、大阪市で内閣不信任決議案について発言
 18日 菅首相、発電送電分離発言
 24日~29日 管首相G8サミット出席(エネルギー基本計画、原子力安全基準強化発言)
 24日 小沢、鳩山、輿石3者会談で政府を批判
 28日 小泉元首相、脱原発提唱 
 30日 小沢一郎、脱原発宣言(AERA6月6日号)
 31日 地下原発議連勉強会
6月1日 自公不信任決議案提出
 2日 不信任決議案否決

・世論が原発反対に向いているときに表だって政策論争はできないが、現政権が世論を後ろ盾に脱原発政策に舵を切ることは阻止したい。原発を推進してきた議員やその後ろで後押しする企業や官僚、そして研究者などが、菅首相の発言に危機感を持つのは当たり前のことだろう。興味深いのは不信任決議案で揺れている時期に、「地下原発議連」という聞き慣れない集まりの勉強会が開かれ、森喜朗、安倍晋三、谷垣禎一、平沼赳夫、石井一、鳩山由紀夫、亀井静香といった人たちが党を越えて参加したというニュースだ。人類が経験したことのない原発事故の処理にめどが立たない時に、それでもなお原発に執着しようとする政治家が、元首相や党のトップにたくさんいるというのは、もう絶望的な事態だという他はない。

・他方で、小泉元首相の脱原発の発言や、小沢一郎の「脱原発宣言」(AERA)もあるが、小泉元首相は2006年に「原子力立国計画」を策定し、1982年に建設された原発耐震研究のための多度津工学試験場を「国費の無駄」と称して廃止したとされている。また、民主党が「過渡的なエネルギー」と位置づけていた原発を「基幹エネルギー」として位置づけなおしたのは、小沢一郎が代表だった2007年である。その自分が進めた政策についての反省や検証もなしに脱原発などと発言するのは、余りに無責任というほかないだろう。

・いずれにしても、今国会で激しく議論すべきのなのは、原発の是非であり、電力政策の転換についてであって、首相の首のすげかえでないことは確かなはずだが、新聞もテレビもけっして、そのことを声高に主張はしない。だからこそ思うのだが、菅政権は「エネルギー政策の見直し」を実行し、自然エネルギーの普及や、そのために不可欠な「発電送電分離」といった政策を法制化するところまでがんばるべきなのである。鳩山元首相の普天間基地問題の二の舞だけは避けて欲しい。バカだのぐずだのといった罵声には、聞く耳を持つ必要はないのである。


P.S.この文章をアップした後に、東京新聞が3日に「菅おろしに原発のかげ」という記事を載せていたことを知った。その記事を転載してコメントしているブログ「あしたのために 活動日誌」を参照。