2020年5月25日月曜日

●音楽の聴き方、楽しみ方

 

・コロナ禍で音楽を生で聴く場が閉ざされている。感染を防ぐためには、社会距離と呼ばれるおよそ2mの距離をとりあうことが必要とされるから、ライブハウスはもちろん、コンサート・ホールや野外もダメということになっている。確かに、ライブハウスの多くは狭い空間で、そこに大勢の人が集まり、ステージのパフォーマンスに応えて歌ったり踊ったり、掛け声をかけたりすれば、感染のクラスターになりやすいだろう。実際、ライブハウスは流行のごく初期に感染しやすい場所として注目され、3密の好例として槍玉に上げられた。

・そんな場に自粛を要請し、休業を強いるのであれば補償をするのが当たり前だ。しかし政府の対応は無視に近いし、わずかな補償も遅々として進まないほどお粗末である。EU諸国の対応に比べて、文化の大切さに対する認識不足が、露呈されてしまっている。このままでは、つぶれたり、閉じたりするところもあるだろう。また、主な活動の場としている人たちにとっても、表現の場が制限され、収入が途絶えてしまっているのだろうと思う。

・いったいいつになったら、音楽をライブで聴くこと、楽しむことができるのだろうか。感染が一旦終息しても、2次、3次と流行することは避けられないから、免疫や抗体を作るワクチンが一般に提供されるようになるまで、ということになるのかもしれない。しかし、そうなったとしても、今までと同じようなスタイルで復活するのだろうか、できるのだろうかという疑問は残る。インフルエンザと同じように、冬の流行時には多くの人が感染し、死者も出ることは避けられないはずだからだ。たとえばインフルエンザは毎年日本人の1割が感染し、数千人が亡くなっている。今まで通りの再開には、新コロナによる感染をあわせて、流行を常態として受け入れることが必要になる。何しろ、日本では毎年、9万人を超える人が肺炎で亡くなっているという報告もあるのだから。

・ライブハウスはビルの地下室のように密室状態のところが多いようだ。しかもオール・スタンディングにして、ぎっしり詰め込んだりもする。決して居心地の良いところではないが、好きなミュージシャンのライブを楽しみに集まった人たちには、知らない者同士でも仲間意識は生まれやすい。だからこそ、盛り上がったりもするのである。それは野外で行われる大規模なフェスでも変わらないが、密閉状態ではないし、夏場だから、感染の危険性は少ないかもしれない。

・僕は既に退職したから、大学で今行われている遠隔授業をしなくて済んでいる。大変な作業に追われているようで、辞めた後でよかったと思う。しかしゼミなどでは、学生が積極的になったといった経験を話す人もいる。大学のゼミ室や教員の研究室では、学生たちは圧倒的にアウェイであると感じている。だから緊張し、牽制しあい、遠慮しあって発言を控えるようになる。ところが家での参加になれば、ホームで一人だから、自然に積極的になれるというわけである。

・それを聞いて、だったらすべての授業を大学内でやることはないし、教員同士の会議だって家から参加にしたっていいのではと思った。それはまた、テレワークで仕事がはかどるのなら、毎日会社に出勤する必要がなくなることにも繋がる。それでは人間関係が疎遠になってしまうと危惧する人がいるかもしれない。しかし、人間関係やコミュニケーションの仕方は通信機器や交通の発達で、この1世紀で激しく変わってきてもいるのである。もちろん、仕事の種類だってそうだ。

・音楽はそういうわけには行かないと言う人もいるだろう。しかし音楽を聴く仕方も、通信や交通同様に劇的に変わってきてもいる。記録して聴くレコードやCD、ウォークマン、そしてスマホはもちろんだが、ライブだって、ミュージックホールやパブ、あるいはコンサートホールが’できてからまだ200年と経っていないし、野外のフェスはまだ半世紀といったところなのである。ライブがいいと思うなら、それなりの方策を生み出さなければならないし、欲求が強ければ必ず、新しいスタイルが生まれてくるはずである。

・だから、今のコロナ禍を転機として、さまざまなことが大きく変わっていくのではないかといったことを夢想したくなる。もちろんそれは音楽にはかぎらないし、演劇やスポーツなどの文化全般、そして仕事の仕方や学校のあり方、あるいは近隣の人たちとの関係にも及ぶのではと思っている。できればそれが、環境問題や気候変動に本気になって向かう方向に舵が切れれば、もっといいのにと思う。そもそも、ウィルス禍が頻発するようになったのは、開発による自然環境の破壊が原因だと言われていて、そこを改善しなければ、これからも新種が瞬く間に世界中に蔓延することを繰り返す恐れがあるからである。

2020年5月18日月曜日

ポール・オースターを読んでる

 『サンセット・パーク』新潮社
『インヴィジブル』新潮社
『ミスター・ヴァーティゴ』新潮社
『ティンブクトゥ』新潮


ポール・オースターの新作が翻訳されたのをアマゾンで見つけた。そうすると買わなかった作品がもう一冊あった。『サンセット・パーク』は2010年に出ているから、翻訳はだいぶ遅れている。もう一冊の『インヴィジブル』も2009年に出版されて、翻訳は2018年だ。その間に『冬の日誌』(2012)や『内面からの報告書』(2013)が先に翻訳されて、後回しになったようだ。翻訳者は柴田元幸で、彼はほかにも翻訳しているから、出たらすぐに訳すわけにはいかないのだろうと思った。

auster4.jpg 『サンセット・パーク』は大学を中退した若者が主人公で、オースターが初期の頃にテーマにした、喪失と再生をめぐるストーリーになっている。2005年に書かれた『ブルックリン・フォーリーズ』のように、中年から老年にさしかかる男を主人公にしたものや、自分のこれまでの生き様を振り返って赤裸々に表現した『冬の日誌』や『内面からの報告』と違って、また初期の作品に戻った印象を持った。大学をやめ、ニューヨークでホームレスの生活をしたり、各地を放浪して、恋愛関係に陥ったりと青春小説のような趣がある。
ただし、その流れとは別に、父親や義母、そして実母が登場して、それぞれ、第一人称で自らの現状や、息子への思いを語っている。いわば、若者を軸にした相互の関係がテーマになっていて、僕は父親の立場で読んでいることに気づかされたりもした。時代設定も書かれた時とほぼ同じで、リーマンショック後のアメリカが映し出されている。

auster5.jpg 『インヴィジブル』も主人公は若者だが、こちらは時代設定が1960年代から70年代になっていて、オースター自身であるかのようにして読むことができる。その意味では、初期の作品に戻ったという感じもした。大学生の頃に知りあったフランス人の哲学者とその恋人との関係が軸になり、舞台はニューヨークからパリに移って話が進む。しかしそれは。すでに老いて病と闘う主人公が書いた自伝小説で、大学時代の友人に中途のままで送り、次にそのもとになるノートやメモを送り、死んだ後に友人が見つけたものも含めて、小説ににまとめたものだったのである。しかも友人はでき上がった作品を持って登場人物を訪ねてもいる。小説であり、ドキュメントでもある。そんな工夫が面白かった
訳者の後書きに、この小説が『ムーン・パレス』に共通していると書かれていた。もう内容を忘れてしまったので読み直すと、驚いたことに、僕はほとんど思い出すこともなく、初めてのような感じで読んだ。で、オースターを読み直そうと思って、次に『偶然の音楽』を読んだが、やっぱり、思い出すことはほとんどなかった。このコラムでも書評しているのに、よくもまあ、すっかり忘れてしまったもんだと、我ながら呆れてしまった。

auster7.jpg そこで書棚を見回して、内容を思い出さないものをと『ミスター・ヴァーティゴ』を手に取った。読み始めて、これは買ったけれども読まずに積んどいたものかもしれないと思った。主人公は孤児で、拾われた男に、空中を浮遊する能力が見込まれて、その修業に明け暮れるところから始まる。時代設定は1920年代から30年代で、大恐慌が始まる直前の好景気から、一転して暗い社会になる世相が背景になっている。空中に浮いて歩くことをマスターすると、二人は興業に出かける。それは人びとを驚かせ、国中の話題になり、大金を手にするようになるが、少年の悪伯父に誘拐され、山奥に幽閉されたりもする。うまく逃れて興業を再開するが、今度は浮き上がるたびに強烈な頭痛に襲われるようになって、結局、浮遊はやめることにする。
オースターには珍しいおとぎ話で、悪ガキから全うな大人に成長する物語という意味で「ピノキオ」にも似た趣があって、そのことは彼自身も自覚しているようだ。ただし、子どもにはちょっと難しいかもしれない。

auster8.jpg 彼の作ったおとぎ話と言えばもう一冊、『ティンブクトゥ』がある。犬が主人公の物語だが、僕は途中で読むことをやめてしまっていたから、これも初めてというように読んだ。犬の主人は若い放浪者で、病を患っていながらニューヨークからボルチモアまで歩いて、旅をしている。しかしボルチモアに着き、エドガー・アラン・ポーの記念館にたどり着いたところで生き別れてしまう。主人が倒れて病院に運ばれ、犬は捕まることを恐れて逃げたのである。物語はそこから一匹だけの放浪生活になり、何度か拾われて、楽しいことも、つらいことも経験する。こちらは『吾輩は猫である』の犬版にも思えるが、ポーの生き様を念頭において書かれたもののようでもある。
そんなわけで、もうしばらくオースターの作品を読み続けようと思っている。もっとも読むのはいつも、寝る前のベッドの中で、気がついたら2時間も経っていた、なんてことも度々だ。だから早めにベッドに入るようになった。

2020年5月11日月曜日

再放送ばかりになったテレビ

 

・今までよく見ていたテレビ番組のほとんどが再放送になった。たとえば火野正平の「心旅」は、この春も三重県からスタートして愛知、静岡と来たところで、中断が決定された。その後は2014年の旅が再放送されている。見ていたのにほとんど覚えていないが、やっぱり6年前だから若いなと思った。最近の旅では、一日に走る距離は10km前後だが、6年前は20kmはざらで、40kmなんて日もあってびっくりした。やっぱり70歳を超えたらしんどくて、スタッフも気にしているんだろうな、と思った。もちろん、同年代である自分に照らし合わせての感想だ。

・もう一つ、田中陽希の「グレート・トラバース」は日本百名山ひと筆書きに続いて、2百名山をやり、現在は3百名山の途中にある。最初は2014年で208日、次は2015年で221日だったが、今回の3百名山は、まとめて全部に登るから、2018年から初めて2年を予定している。屋久島から出発して現在は宮城県まで来ていて、既に250座を越えているが、やはり緊急事態宣言が出て中断を余儀なくされた。東北地方は感染者も少ないから、中断しなくてもいいのではと思う。しかし、全国的に登山やトレッキングを自粛するよう求めているし、山小屋も閉じているから、そんな時には続けられないと判断したのだろう。

・僕は家周辺で自転車に乗り、近くの山を歩いている。例年の連休なら河口湖の湖畔も近隣の山もにぎわうのだが、今年は閑散としていたし、登山口は閉鎖され、駐車場も入り口が閉じられていた。だから自転車には乗ったが、山歩きは4月の中旬以降やめている。確かに、首都圏から大勢来られたのでは、感染者が出てしまうという不安はあるだろう。しかし、不安感にどれほどの客観性があるのかとも思う。休みには渋滞するほどの人気の山ならともかく、そうでなければ、互いに接触や接近をしなければ、それで充分なのではと思う。

・普段あまり見ていないが、バラエティなどでも距離をとったり、家などからオンラインで出演といった形が増えてきた。しかし、スタジオやロケで収録するドラマや、ロケ中心の旅番組は、撮ったところまでで中断ということになるようだ。テレワークが出来るものと出来ないものの違いが、こんなところにも出ているのである。いずれにしても、テレビが主な仕事場であるタレントは仕事が減って困っているようだ。こんな様子もやっぱり、危険というよりは、不安感を与えないための配慮のように思う。

・スポーツは現状では、競馬以外は開催の見通しが立たないようだ。ほぼ終息した台湾や韓国の野球は、無観客ながら開催し始めている。近いうちに観客も入れるようだ。日本よリも感染者数も死者数も多いアメリカも、MLBを何とか開催しようと、いろいろな案を出して探っている。ところが日本では、野球もサッカーも、開催が出来るような対策があまり見えてこない。やっぱり、不安を煽るようなことはしてはいけないと自粛しているように見える。

・今日本中に蔓延しているのは、コロナウィルス以上に「不安」という空気なのだと思う。しかし「不安」を解消させるのは「安心感」ではなく「安全」で、必要なのは、それをどうしたら可能にできるかという模索なのだと思う。政府が中途半端な対応をしているのに、どこも批判ではなく忖度して、出る杭になってはいけないと躊躇しているのだろうか。

・テレビのニュースは、自宅待機せずに出かけている人を探し回る監視塔になったかのようだ。サーフィンをしたって、釣りをしたって、接触を避けるよう気をつければいいじゃないか。そんなことを発言する人は、テレビではほとんど見かけない。オーウェルの『1984年』に出てくるテレスクリーンそのものである。

2020年5月4日月曜日

コロナ後のライフスタイル

 

・コロナ汚染を鎮静化するためには、人びとの濃厚接触を避けなければならない。だから家から出ないようにというのが、緊急事態宣言の趣旨である。控えるように要請されたのは、満員電車に乗って仕事に行くこと、繁華街に出かけること、密閉空間でのイベントを中止すること、観光地に旅行などしないこと等々である。要するに、どうしても避けられない場合を除いて、家に留まるようにという要請である。仕事もできない、学校にも行けない、外食やレジャーを楽しむこともできない。ないない尽くしで既に数週間、そしてこれからも長期間、過ごさなければならないのである。

・要請には補償が伴う。当たり前の話だが、日本の政府は明確にしていない。不良品で調達先も怪しいアベノマスクや、PCR検査の異常なほどの少なさに見られるように、政府の対策はめちゃくちゃで、この先どうなるのか、不安というよりは恐怖感さえ持ってしまう。しかしそんな状況でも、考えてしまうのは、今回の騒動が一時的なもので、終息すれば以前と同じように復活して再開されるというのではないだろうということだ。

・パソコンとインターネットをつかえば、ある程度の仕事や勉強はできる。だから、毎日通勤通学しなくても、週に何日かは在宅で仕事や勉強をすればよい。そうすれば、移動の時間は減るから、交通機関や繁華街の人ごみは緩和される。週末や祝日に高速道路や観光地や娯楽の場が混雑することもない。自由に使える時間が増えることになるから、忙しさを理由に便利なものばかり求めていた発想が変わるようになる。外食や出来あいのものを買うのではなく、家で自分で作る。もちろんこれは衣食住のすべてに渡るようになる。要するに、ライフスタイルの大きな変化がもたらされるはずなのである。

・僕は自分の研究テーマとしてずっと「ライフスタイル」を掲げてきた。僕が最初に出した本は『ライフスタイルの社会学』(世界思想社、1982年)だったし、その後も『シンプルライフ』(筑摩書房、1988年)、そして『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2007年)と続けてきた。これらの中で一貫して主張してきたのは、仕事ではなく生活を中心に据えること、便利さを求めてお金で消費するのではなく、出来ることは自分でやってみること、性別に伴う既存の役割に疑いを持って変えていくことなどだった。残念ながら世の流れは、仕事や便利さを求める方向を加速させたし、男女の役割にも大きな変化は見られなかった。

・それでも、僕はマイノリティでもかまわないと思ってきたが、コロナ騒動は、僕が言ってきた「ライフスタイル」の変革を実現させるのではないかという可能性を感じさせる。もちろん、主に都会で成立していた多くの仕事は失われるだろう。しかしそれは、地方へのUターンを加速させて、農業や漁業、あるいは林業を活性化させる可能性に繋がる。何しろ日本の食料自給率は減少する一方で、従事者の多くは高齢者なのである。

・世界中でロックダウンが行われて、空気や水の汚染が著しく改善されたようだ。これを機会に、地球の温暖化を阻止することについて、もっと本格的に取り組む機運が強まることも期待したい。そもそもウィルス騒ぎの原因は、森林を伐採して道路をつくり、農場や工場を造ったことにある。動物の世界を狭めて、人間との接触が起きれば、動物の世界で留まっていたウィルスが人に感染することは避けられない。環境破壊や汚染と、ウィルスの流行は強く繋がっているのである。現実には、もう手遅れかもしれないといった危機感を持って、見直す時に来ているとしたら、ウィルスは強烈な警鐘だと言えるかもしれない。