2001年7月30日月曜日

『アイデンティティの音楽』について

 

  • 本がでてから、もうすぐ3カ月になる。大きな新聞や雑誌に書評が載ったという話は聞かないが、ネットではいくつか紹介された。好意的なのは何と言ってもbk1。野村一夫さんの「ほうとう先生の芋づる式社会学」。その第3回の「ロックの文化社会学」で詳しく紹介していただいた。
    20世紀の若者たちがつくりあげたロック文化を時代ごと・論点ごとに論じたものです。とてもバランスのとれた説明になっていて、団塊世代の思い入れを適度な距離感と歴史的文脈に即して説明している好著です。つぎつぎに更新されるメディア技術が導入されるなかで、人口が増大し教育機関に仮収容された形の宙ぶらりんの「若者」たちが、その特定の階級的地位とからんだサブカルチャーをつくりあげ、独特のライフスタイルと音楽を結びつけて育てていくプロセスがよくわかります。
  • 僕自身がロックについて知る過程でわかったことは、日本だけで聞いていたのではわからない音楽と社会背景との関係。この本で伝えたかったことは何よりそのことで、野村さんにきちっと評価してもらえて、ほっとした。同様の評価は『サウンドエシックス』(平凡社新書)の著者である小沼純一さんからもいただいた。
    ロックンロールからパンクのみならず、その後に派生してくるレゲエやラップと「ロック」から派生した音楽まで含まれる。また、アメリカ・イギリスのみならず、旧ソ連や中国にロックがどう受け入れられていったかをも視野に入れている。MTVやダンスといった周辺事項、あるいはカルチュラル・スタディーズに言及しながら、ロックを受け入れ、聴き、楽しんだ少年少女達といった層といったものに目を配ることも忘れてはいない。このような「ロック」を考えるうえでのベーシックなものが、コンパクトに記述されているわけだ。ロック・ミュージシャンには「アート・スクール」の出身者が多いのだが、この「アート・スクール」はもともとウィリアム・モリスの考えから生まれたという事実、そして、そこに通う学生は、裕福になった(労働者)階級の子達であったという指摘など、細部から浮かび上がってくることにも、しばしば刺激を受けもした。
  • もっとも苦言もあって、2部の「ポピュラー論」が論文的で文章が生きていないと書かれてしまった。これは社会学者としての顔も出しておきたいという欲求(見栄?)からのもので、音楽好きの人には読んでもらわなくてもいいと思っていたものだった。bk1ではほかに桜井哲夫さんの書評もあって、最初はAmazonのことばかり言っていた僕も、途中からはすっかりbk1のファンになってしまった。いち早く載せてくださった桜井さんは大学の同僚だから遠慮があったのか、辛口の批評をする彼にはめずらしく、内容の紹介という控えめなものだった。
  • 若い人からの批判が掲示板にのって、思わず本気になって弁明してしまった。名古屋大学の稲垣君は自らパンクのバンドを組みレコードも数枚出している。で、卒論の題名は「アイデンティティと音楽」。僕の書いたものを以前から読んでいてアメリカのL.グロスバーグにも関心をもって読んでいるという。彼の批判は次のようなものである
    ロック史に関する知識的な部分が多くて、アイデンティティに関する生々しさというものが薄められてしまった感があったからです。その生々しい葛藤が描かれないと、「ロックって反抗ですよー」「ああそうですか。ロックは反抗なんですね。」という浅い理解になってしまうとおもいます。その点で、共同体や集団というものを強調しすぎているような気がします。もちろんそれらを抜きにして考えることはできませんが、「ベビーブーマー」などという時、一体どこにそんな集団がいるのか?ほんとにその集団の人々は同じ価値観をもっているのか?という疑問を持ってしまいます。現代におけるアイデンティティは、グロスバーグらが言うように「国民」、「国家」や「完全な個」としての一貫した純粋なものではなく、もっと揺らぎのある不安定なものと考えたほうが良いとおもいます。
  • これに対して、僕が書いた返答。
    ポピュラー音楽について考えようとしたときに、日本人の感覚からとらえるアイデンティティは欧米でのそれとはずいぶん違うことを基本に据える必要があると思いました。同じ国民とは言っても階級の違いによって衣食住から細かな好みまで違う。あるいは人種のそれはもっとはっきりしたものですし、同じようなことはジェンダーなどにも言えることです。僕がアイデンティティということばで示したかったのは20世紀後半のポピュラー音楽を考えるときには、このような背景を歴史的に押さえることでした。
    ロック音楽は一方では、そのような背景を強く否定する方向性をもちましたが、同時に強く影響されもしてきました。そのようなプロセスが世代を経て、あるいはさまざまなところで多様にくり返されたのが、ロック音楽にとって一番強い特徴だったように思います。このように考えると、このような展開とはほとんど無縁に、ただ音楽だけが次々通過していったのが日本だったといこともできるのかもしれません。ただ、階級や人種やジェンダー、あるいは世代といった区切りは、日本はほとんど論外ですが、イギリスやアメリカでもはっきりしなくなってい来ているというのが現状です。グロスバーグが指摘するのはそこに関連してくると思うのですが、ただそれは、たとえば肌の色の違いほどには人種としてこだわることが少なくなった、とか、自分のアイデンティティの根拠として確実なものではなくなったという程度のものとして考える必要があると思います。
    以上、僕は日本の若い世代に、この半世紀ほどの歴史と、さまざまな国の事情を知ってもらうことで、今まで聴いてきた音楽を今までとは違うものとして聞き取って欲しいと思って本を書きましたが、君の感想を読むとやっぱり、なかなか伝えるのはむずかしいな、と感じました。日頃学生とつきあっていて感じるのは、歴史を実体験に近いものとして想像する力がずいぶん失われてきたなということと、日本の常識や日本に住んでいることで持つ感覚が世界のなかではかなり特殊なものであるという自覚です。音楽はきわめて感覚的なものですが、この本を音楽と同じように自分の感覚に引き寄せて読んでしまうと、たぶん僕が伝えようとした意味は伝わらないでしょう。まさに「関心事の地図」がずれてしまっているのです。
  • 彼とはたぶん、これからもいろいろ議論しあうことがあるはずで、楽しみな読み手を見つけた気がした。
  • と書いて仕上がりのつもりでいたら関大の岡田朋之さんの感想がBBSに載った。で、「メディア文化や消費文化の流れの中にきちんと位置づけた意義」を評価していただいた後に次のような批判があった。
    特に前半に言えることですが、著者の思いがイマイチ迫ってこないことです。なんだか非常に淡々としすぎていて物足りない気がしました。意識して抑制的に書かれたのかもしれませんが…。以前に書いたメールで、同時代的なリアリティが湧いてこない、ということを言いましたが、結局それは私の個人的な読み方の問題ではなくて、文体から来るもののような気がします。
    小川さんの名言で、「いい文章からは音楽が聞こえてくる」というのがあります。でも、この本からは聞こえてきませんでした。
  • これに対する僕の返答。
    「著者の思い」はご指摘の通り意識的に抑えました。ロックなどの音楽についてぼくらの世代が何か発言すると、「団塊の世代」とか「ベビー・ブーマー」といった枕詞がついた反応が返ってきてその意味が矮小化される傾向があります。 生まれてから半世紀たった音楽を、そうではないコンテクストのなかで位置づけたいと思いました。
    ……
    好きなミュージシャンやグループばかりについて言及することは控えましたし、誰かに象徴させて語るということも避けました。半世紀の流れを網羅しようと思いましたから、いろんな音が出てきて相殺されたのかもしれません。ただ、控えはしましたが、どこを書いているときでも、ぼくの頭のなかにはそれぞれ音楽をイメージしていましたから、できましたらそのつもりでもう一回読み直してみたらどうでしょうか。
  • こう書いた後に、ふと気がついた。岡田さんは音楽について文章を書いているがほとんど日本のものに限られている。彼が名前を出した小川博さんもそうだ。ところがこの本では、僕は日本の音楽はほとんど無視してしまった。彼の不満はそこにあったのかもしれない。『アイデンティティの音楽』は日本の音楽状況や社会背景とは異なる世界に光を当てたものだから、稲垣君も含めて、読者には同じような不満を感じる人が少なくないのかもしれないと思った。けれども、僕は日本のポピュラー音楽にはほとんど興味を持てないままに過ごしてきたし、研究対象として無理して聴こうとも思わなかった。たぶんこの姿勢はこれからも変わることはないだろう。「同時代的リアリティ」のずれの原因なのだろうか。
  • 2001年7月23日月曜日

    ムササビが住みついた


    ・今年の夏は本当に暑い。夏休み前の最後の週、東京は37度の日が続いた。僕はもう車を降りた途端に気分が悪くなり、研究室に着くとすぐに冷房をいれたが、涼しくなるまでの間に、大汗をびっしょりかいてしまった。この時期の温度差10度は体にこたえる。だから、河口湖に帰ると、ほっとする。もうここに住みはじめたら、夏はどこにも出かけたくない。けれども、今年は、河口湖も30度を超える日がつづいている。カミさんは河口湖の ハーブ祭りに共同で店を出した。20日ほどの期間を分担で店番をしたが、連日の好天でテントの中はものすごい暑さになったらしい。
    ・河口湖駅近くにある川津屋(ここの蒲焼きはおいしい)の85歳になるおばあちゃんが、こんな陽気は生まれて初めてだと言っていたから、たぶん異常なのだろう。僕は2階のロフトを仕事場にしているが、お昼近くになると、蒸し暑くなって、午後にはいられなくなる。森の中だから30度を越えるほどではないが、それでも、こんな暑さは去年も一昨年もめったになかった。
    forest9-1.jpeg・だから、仕事は午前中にして、午後は昼寝と決めた。それに夕方からカヤック。日が沈めば、さすがに風は涼しくなって気持ちがいい。確か去年は夜になると寒くて窓を閉めたはずだが、今年は寝室も開け放したままでいる。そんな陽気のせいではないと思うが、一月ほど前からムササビが住みつくようになった。たぶん屋根と壁の小さな隙間からはいって、屋根裏で寝ているのだ。
    ・ムササビは夜行性で、夜の8時から9時のあいだに出かける。ご帰還は朝の4時過ぎのようだ。「ようだ」というのは、僕は寝ていてほとんど気がつかないからである。しかしこの時間は毎日ほとんど決まっていて、出かけるときも帰ってくるときも、屋根をコトコト走り回る。後は木から木へ飛び移って移動して森を徘徊しているのだ。
    forest9-2.jpeg・一昨年の夏、はじめて生活したときには、この家には日本ミツバチがいて、たぶん、巣は屋根裏だった。それが去年にはスズメバチに占領されて、巣でも作られたら困るな、と心配したのだが、今年はハチを見かけなくなったかわりにムササビがやってきた。いかにも森の生活らしい、といえば何となくいい雰囲気だが、屋根に穴でも開けたのではと心配になった。今年は空梅雨で6月中旬からほとんど雨は降っていなかった。夕立でもあって雨漏りでもしたら大変だと、「be born」の宮下さんに電話をした。忙しいようでそのうちにという返事だったが、ここ数日夕立があって、さいわい雨漏りはしなかったから、屋根に穴を開けたりはしていないようだ。
    ・しかし、図鑑で調べると、巣はくさいと書いてあるから、何とか追いだそうと思っている。昼に隙間をふさぐ工事をすると出られなくなってしまう。だから、たたき起こして追いださなければならない。それではちょっとかわいそうかな、という気もしている。たぶん僕の家にやってきたのは、今までの住みかを追われたためなのである。
    ・家の周辺では、確実に森の木が少なくなっている。去年の夏は僕の家の庭でも工房を建てるために10数本切った。今年になって、春には隣の林、そして6月の末にはちょっと離れたところで300坪ほどがきれいに伐採されて更地になってしまった。両方とも家を建てるためで、一つはすでに工事が始まっている。ムササビは時期からいって先月末に伐採された森に住んでいたのだろう。安住の木を追われてわが家の屋根裏に逃げ込んだ。そう思うと、追いだすのはちょっと身勝手すぎるかなと考えてしまう。
    ・ この周辺は別荘地として開発されたところで、できてからもう10数年経っているから庭に植えられた木も成長していて、どの家も森の中にあるという感じになっている。たぶん最初につくったときも、伐採する木は最小限に、というポリシーがあったのだと思う。それにバブルの頃で、とりあえず土地だけと思って購入した人も多かったようだし、そのあとの不景気で、土地は買ったけど家までは建てられなくなってしまったりしたのかもしれない。だからわが家の西側には手つかずの森が広がっていたのだが、そこが変わりはじめたのである。
    ・もちろん、それを非難するつもりはないし、困ったことだと言える筋合いでもない。森を荒らしているのはおたがいさまなのである。だから、ムササビが住んでくれるのなら、喜んで屋根裏を提供しなければならないところなのだが、はたしてそれでいいのだろうかとも考えてしまう。くさいにおいがしたり、虫がわいたりしたらかえって面倒なことになる。木に巣箱をつくって移動してもらおうかなどとも考えるが、そううまく気にいってくれるかどうかわからない。
    ・そんなわけで目下思案中なのだが、毎日決まった時間にコトコト歩かれると、「ムサちゃん」などといって話題にしはじめてしまっているから、決断は早くしなければならない。

    2001年7月16日月曜日

    MLBとNHK

  • テレビが「イチロー」ではしゃいでいる。新聞や雑誌も同様だ。確かにイチローは活躍している。アメリカでの人気もすごいものだ。うまいバット・コントロールや敏捷な動き、華麗な守備、強肩と三拍子も四拍子もそろっている。今さらながらに、すごい選手だったのだ、と認識させられたのは事実だ。アメリカのメディアでのイチローの形容もおもしろい。「魔法使い」「レーザー・ビーム」のような投球、ヒットにならない「エリア51」「ICHIRIFFIC(いちろ<おどろ>き)」となかなかしゃれている。彼の登場で、確かにメジャー・リーグがまたいっそうおもしろくなった。
  • しかし、である。それだけに、日本のメディアのはしゃぎすぎやミーハーぶりは不愉快になる。スポーツ新聞や民放のスポーツ・ニュースはさもありなんと、最初から予想していた。しかし、NHKの態度には不愉快を通り越して怒りさえ覚える。いったいNHKはいつから、視聴率ばかりを気にするチャンネルになったのか。
  • 何しろ今年のMLB中継はそのほとんどがマリナーズになって、去年まで楽しむことができた日本人選手の試合はほとんど見ることができなくなった。野茂の調子がNHKの予想以上によくて、マリナーズとかち合わないときには中継するが、それもあくまで、脇役にすぎない。僕はそのNHKの現金さ、薄情さ、ミーハーさにあきれている。メジャーリーグ中継をこれほどポピュラーにした野茂の功績を、NHKはまったく自覚していないのである。
  • ところが、そんな気持ちをもっているのが僕だけでないことがわかる番組があっておもしろかった。NHKはMLBのオールスター前に特集を組んだ。2時間の枠で、スタジオはイチローでもりあがっていた。で、いくつかの話題を視聴者に投票させて、そのベスト3を放送ということになった。たぶんNHKのもくろみは、イチローと佐々木、それに新庄だったのだろう。ところが結果は野茂が1位でイチローは2位。佐々木も新庄も圏外だった。
  • その結果が発表されたときにスタジオに生まれた一瞬の沈黙。そして、野茂のノーヒットノーランをもう一度見たい人が多いんでしょうね、という納得の仕方。ぼくは見ながら大笑いで、ついでに「ざまー、見ろ」と言ってしまった。野茂が1位になったのは、まちがいなく、日頃のNHKに対する不満を爆発させた野茂ファンの抵抗なのだ。何しろノモマニアは年季がはいっていて、インターネットにも慣れている。昨日今日のにわかイチロー・ファンとはちがうのだ。実はその日の朝、野茂はアトランタに勝って8勝目をあげたのにNHKは放送をしなかった。野茂を応援するサイトの掲示板では、NHKへの抗議を呼びかける書き込みがにぎやかだったのである。
  • 小泉人気もふくめて、人びとの関心がメディアによってつくりだされ、増幅されていることがあからさまになる状況が生まれている。それをファシズムなどと批判する人もいるが、僕はちょっとちがうと思う。何しろ、メディアの意図や魂胆は浅薄でまるみえなのだから。私たちは十分にシナリオを知っていながら、それに乗る。理由は一緒に楽しみたいからだ。だから、興味が失せれば、メディア以上に素早く、話題を捨て去りもする。メディアの影響力は確かに大きくなったが、それに対応する視聴者や読者の姿勢も変わってきた。
  • 日本の写真誌の取材の仕方に抗議して、マリナーズが日本の報道陣の取材を禁止したそうだ。野茂、伊良部、そしてイチローと、メジャー・リーグは身近になっても、日本のメディアの発想や姿勢は変わっていない。ケガで休んでいる新庄を追いかけ回す報道陣にうんざりして、新庄が「こんなところで何やってんの!?もう日本に帰れよ!!」と言ったことがある。海外へでたスポーツ選手が一様に感じる日本のメディアに対する不信感。サービス精神溢れる新庄も、ケガで休んでいるときにつきまとわれるのには腹が立ったのだろう。
  • しかし、そのコメントに自省の念をもつメディアはまったくない。蛙の面にションベン。相変わらずの井の中の蛙なのだから当然だ。どんな情報も日本のメディアを介さずに手に入れられる環境ができていることにいまだに危機感をもっていない。野球やサッカーをきっかけにして、受け手が井の中ではしゃぐ人たちと、その外に目を向ける人たちに二分されはじめているのはまちがいないことなのにである。
  • 2001年7月9日月曜日

    夏休みの仕事

     

    ・やっと、前期の終わりまで来た。とにかく忙しい気がして、落ち着いて本も読めない感じの数ヶ月で、夏休みの待ち遠しさは例年になく強かった。


    ・原因はいろいろある。4月から5月にかけては1年生のオリエンテーション・キャンプの準備、実施、後始末。僕は実行委員長なのだが、他にも、入試委員、メディア委員、大学院運営委員と、割り当てられた仕事は多い。大学院に博士課程ができて、院生の数もどんどん増える。学部の3つのゼミと合わせると、毎週顔を合わせる学生の数は70人近くになる。名前を覚えるのにも一苦労なのに、その一人一人の関心を聞いて、アドバイスをして、やる気を起こさせたりしなければならない。もちろんゼミのコンパもやりたがるから、それにもつきあわなければならない。大学の催しや教員とのつき合いもあって、東京泊まりの日も多かった。


    ・先日も会議が二つあって終わったのは8時前だったのだが、クソ暑い東京にはもう1分もいたくない気がして、空きっ腹を我慢して車をすっ飛ばして帰った。会議は一つが新学科について、もう一つは学内のコンピュータについて。後の方は2時間の予定が3時間半にもなった。


    ・東経大にはコンピュータについての委員会が二つある。最初、不思議な気がしたが、要するに、マックとウィンドウズの対立でできたという経緯がある。経済や経営学部が必要とするコンピュータの環境は文字と数字が処理できればいい。しかし、コミュニケーション学部では画像や音の処理もできなければならない。いろいろないきさつがあって、マックやその周辺機器の維持管理をするメディア委員会が電算委員会とは別に生まれたようだ。その二つの委員会とコンピュータがそれぞれまったく別個にあって、敵意にも似た感情がくすぶってきた。そういう状況を何とか打開しようという趣旨の会議だった。


    ・こういったウィンドウズ派とマック派の対立は前に勤めていた大学でもあって、僕は数少ないマック派を代表する情報センター委員だった。だから理解できないことはないのだが、マックとウィンドウズは今では、できることに大差のないコンピュータとして共存している。そういう変化に大学の組織やスタッフが柔軟に対応できていない。原因は既得権や怨念にも似た感情のしこりだ。正直言って僕はこういうことに巻きこまれるのは大嫌いなのだが、放っておくわけにもいかない。で、3時間半の議論というわけだ。


    ・しかし、夏休みである。もうしばらくは、大学のことは考えたくはない。学生とのつき合いからも解放されたい。今年ほど、こんな気持ちを強く感じた年はない。とはいえ、涼しい場所でのんびり静養などといってもいられない。夏休み中にやらねばならない仕事がいくつかあるからだ。メインは翻訳。D.Strinatiの"An introduction to popular culture"を『ポピュラー文化を学ぶ人のために』という題名で世界思想社から出す予定だ。来年の講義のテキストに間に合わせるためには、夏休み中に仕上げなければならない。関東学院大学の伊藤明己さんとの共訳で、負担は半分なのだが、時間的な余裕はほとんどない。


    ・内容はポピュラー文化を分析するために蓄積されてきた理論研究の紹介といったものだ。大衆文化論、フランクフルト学派、構造主義と記号論、マルクス主義とヘゲモニー、フェミニズム、ポストモダニズムとならべると難しそうだが、イギリスやアメリカの大学では基礎的なクラスのテキストとしてつかわれていて、けっして難解というものではない。出版されれば、カルチュラル・スタディーズの理論的な概説書として役立つだろうと思う。


    ・もう一つの仕事も世界思想社から。来年の3月に京都大学を退官される井上俊さんの記念論集に一本エッセイを書かなければならい。題名は『文学の社会学』。文学という制約があって何を書くかいまだに困っているのだが、とりあえずはP.オースターの小説を題材にしてニューヨークについて、と考えている。ウッディ・アレンやルー・リードとからませれば、何とか話を一つ作れそう、と漠然とイメージしているが、具体的な構想はまだできていない。締め切りは9月末である。


    ・京都に住んでいるときは、夏休みはどこかに出かける時とほとんど決まっていた。暑い京都で夏を過ごすことなどうんざりだったし、子どももいたから長期の旅行に出かけることが多かった。それが河口湖に来てから2年間、家に落ち着いて仕事という形になっている。何より涼しくて居心地がいいから、どこかへ出かける気がしない。そんな気持ちが一番だが、学校の仕事がある間は、本を読んだり、ノートをつくったり、あれこれ考えたりという時間が持ちにくくなった。


    ・こんなはずじゃなかったのに、と思っている。それだけに、夏休みは学校のことを忘れていたいと思う。とはいえ、お盆をすぎると、来年度の入試の用事がはじまるから、そんな時間もあっという間に過ぎてしまう気がする。ぼやぼやしていると、夏は夏でまた、時間を気にして過ごすのかと思うと、ちょっと憂鬱になる。
    ・さあ、今日も翻訳をがんばって、夕方になったらカヤックを漕ぎに行こう!

    2001年7月2日月曜日

    中野収『メディア空間』(勁草書房)

     

    ・ぼくにとって中野収さんは、日本におけるメディア論の先達である。 1975年に平野秀秋さんと共著で出版された『コピー体験の文化』(時事通信社)は、まさに目から鱗という感じだった。その後につづいてでた『コミュニケーションの記号論』(有斐閣)や『メディアと人間』(有信堂)も、コミュニケーション論やメディア論について考えるさいには欠かせないものだった。

    ・そんな大先輩が、メディアと社会の関係を、「メディア社会論」として本腰をいれて洗いなおしている。ここで紹介する『メディア空間』は、そのような構想のもとに書かれた前著『メディア人間』(勁草書房)の続編である。そして考察はまだまだ終わらないようだ。

    ・「メディア社会論」の構想はおおよそ次のようなものだ。

    ・50年代にはじまり60年代に本格化するテレビと、ラジオやオーディオ機器は、個室化という住環境の変容と相まって、それ以前にはない独特のコミュニケーション空間をつくりだした。つまり一人ひとりが個室にいて、さまざまな情報端末によって他人と、あるいは社会とつながるという感覚がひろまった。『コピー体験の文化』がいちはやく提示した「カプセル人間」の時代である。そのような傾向は70年代から80年代にかけて、たとえば電話の多様化によって促進され、90年代にはいってまたたく間に普及した携帯電話とインターネットによって決定的になった。

    ・このような現象は当然、個人や人間関係、あるいは社会のさまざまな側面に影響する。たとえば政治も経済も、その動向をメディアぬきに考えることはできない時代になった。『メディア空間』ではそのような変容を、経済については「広告」のもつ重要性という点から指摘していて、経済学が相変わらず、その広告の機能を軽視していることを批判している。

    ・同様のことは政治の世界についてもいえる。メディアは政治(家)をワイドショーのネタにするが、内閣や政党の支持率がメディアによって流される情報やイメージに左右されるのだから、政治(家)もメディアを無視することはできない。しかし、それで人びとの政治参加の意識が高まったかというと、そうではない。世論調査では選挙に行くとこたえる人がふえても、実際の投票率は下がり続けている。「メディア空間と」「現実」では、人びとは行動も感覚も変えるのである。

    ・社会はメディアを通してというよりはメディアという空間の中に存在する。そのような意識は個人のレベルでも変わらない。個室としてのメディア空間が移動できるもの、あるいは持ちはこびできるものになったのは、車やウォークマンの普及からだが、今では携帯や多様なモバイル機器によって当たりまえになっている。そのような個人とともに移動するメディア空間は、当然、人前や人混みのなかでも個室状態をつくりだす。社会空間が直接的なものとメディアを介在させたもので複雑に構成されるようになった。

    ・中野さんは電車の中での若い女性の化粧直しの様子に驚いて、そこに移動する個室空間とのつながりを読みとっている。「つめてください」という一言にむかついて死に至るほどの暴力を加える行動がニュースになっていることもふくめて、これは空間の私性と公共性という意味を考え直すおもしろい視点だと思う。

    ・前作の『メディア人間』もあわせて、力作、意欲作だと思う。この後に続くはずの作品にも期待したいと思う。しかし、読みながら気になるところも少なからずあった。

    ・たとえば経済と政治について前述したような論旨で多くのページが割かれているが、経済については広告にかたよりすぎ、また政治については執筆時点の政局にとらわれすぎという印象をもった。経済学が広告を無視しているという指摘には同意するが、経済がメディア空間に大きく左右されている現状は、そもそもバブル景気がそうだったし、最近の株の全体的な低迷や、乱高下する一部の株などにもっと典型的にみられるように思う。ネット・バブルにしても株の低迷にしても、その原因はイメージで、それを増幅させているのはメディアであり、しかも、その空間はグローバルな規模に広がっている。「マネー・ゲーム化」している現実の経済現象にとって重要なのは、むしろこちらの意味でのメディア空間に対する視線のように思う。

    ・政治は今、小泉や田中で注目の的、つまりはやりである。本書で取り上げられているのはもっぱら、前任者の森元総理だが、本が書かれて出版されるまでのほんの数ヶ月の間に、政治に対する人々の目は一変した。従って読んでいてどうしようもなく、例の古さを感じてしまう。それは、たまたまのタイミングの悪さだと思うが、それだけに、例の使い方には慎重さが必要だろう。何しろメディア空間では、話題は数ヶ月ともたないのだから。

    ・とはいえ、めまぐるしく変容するメディアやそれらがつくりだす現象に追いつくことにくたびれたり、飽きたりしてしまっている僕には、大きな刺激になった本であることは間違いない。

    ・このレビューは「図書新聞」に依頼されて書いたものです。