2000年6月26日月曜日

中山ラビ・コンサート


吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18

rabi1.jpeg・吉祥寺の街を歩いたのは何年ぶりだろうか。昼前に雨がやんだ日曜日の午後。通りは人で溢れかえっていた。実は街中を歩くのも数カ月ぶり。人のたくさんいるところはせいぜい大学のキャンパスだったから、暑さもあって目眩がした。体はすっかり森のリズムになっている。居心地の悪さを感じたが、今日は夜コンサートがあって、吉祥寺にはそのために来たのだ。
・吉祥寺には中央線の特別快速は止まらない。しかしデパートがいくつもあって活気がある。昔からある駅前の商店街も健在なのに、北口の道路が整備されて駅前には広場ができているから、ごみごみした感じもない。折からの衆議院選挙でロータリーには選挙カーがやってきていた。菅直人、中村敦夫とタレント揃いで、思わず足を止めて話を聞いてしまった。結果が決まっている田舎の選挙区に住んでいると選挙にはほとんど関心が持てないが、やっぱり東京はタレント社会だな、と思った。
・で、コンサートである。中山ラビは50歳を過ぎている。60年代の関西フォークのスターで、何枚もレコードを出して根強い人気を持っていたが、店(国分寺ほんやら洞)のきりもりや子育てで音楽活動をやめていた。それがここ数年動きを再会しはじめている。僕は彼女とは高校生以来のつきあいで、関西でも友達だった。「東京に来たのだから来て!」という再三の誘いがあったから今日は行かないわけにはいかなかった。彼女の歌を聴くのは「中山容さんを偲ぶ会」以来だから3年ぶりである。
・会場はライブハウスの「Star Pine's Cafe」。開場の6時半に行くとすでに長蛇の列。チケットの整理番号順に並んだが、チケットの番号は171で会場には100席ほどしかいすがないという。入場前に長いこと立たされた上、入ったらもう席はない。ステージ脇のスピーカーにもたれて立ったまま聴くことになった。腰が痛くなったらかなわないな、と正直言って憂鬱になった。
・中山ラビは皮のホットパンツに金太郎の腹巻き姿。木履(ぽっくり)のようなサンダルをはいて頭はブロンド。「ヤー、がんばってるな!」とさっそく驚嘆。最初はギター一本で数曲やり、その後はバックをつけて喋る間もなく次々と歌うこと2時間。懐かしさと相変わらずのエネルギーに腰の痛さを忘れてしまった。観客の大半は同世代かそれに近い人たちで、ほとんど身動きのとれない状態だったが、楽しく盛り上がったコンサートだった。
・最後に歌ったのは「いい暮らし」。実は僕は彼女の歌ではこれが一番好きだ。


忙しさにかまけ 忘れてたんだ
こんな力があるなんて

ほんのわずかな暇もとれないと思い
こんなこともなかったよ
虫を追いかけ土を握れば あたしの中で暖かく臭ってる

だから今でもでも時々は思うんだ こんな暮らしに憧れて
君といつか戻ろうと あたしの中で声が呼んでいる


・そう「いい暮らし」。これが一番の生きる理由。彼女の歌は今でも、僕の心に響いてくる。東京もいいけど、やっぱり森の中に戻ろう。憧れてた暮らしに………。
・ 中山ラビの歌とパフォーマンスを楽しみながら連想したのはマリアンヌ・フェイスフル。ロックもいいけど、アコーディオンのバックでじっくり歌ったらかなりいい味が出るのではと思った。それに今の心境や時代を描写した歌も聴きたい。

2000年6月19日月曜日

村上龍『共生虫』村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

 

・同世代ということもあって二人の作品はほとんど読んできたが、村上龍は決して気になる存在ではなかった。暴力やセックスに始まって描写のグロテスクさが僕の性分にはあわない気がしたからだ。反対に村上春樹にはずっと関心を持ち続けてきた。それがここのところ、変わりはじめている。きっかけは村上春樹のオウム真理教への関心と、村上龍の少年が起こす事件へのコメントだった。

・もうこのHPでも書いたが『アンダーグラウンド』も『約束された場所で』もおもしろい本ではなかった。もっともそのつまらなさは、インタビューを受けたサリン事件の被害者やオウム真理教の信者たちが持つ現実感覚の貧しさからくるもので、インタビューをした著者にとっては、その貧弱な現実感覚を描き出すことが目的だったのかもしれないと思った。

・現実と距離を置くことで生まれるリアリティの多元性。一言でいえば村上春樹の小説はそんな感覚がもたらすおもしろさにある。異なる世界を井戸や壁の穴やエレベーターによって行き来する時に生じる自由さと危うさの感覚。もちろんそれはフィクションとして作り出された世界で、現実の世界ではありえない。けれども、見方によってはいくらでも現実そのものに置き換えることができる。村上春樹の小説にはそんな知的遊びを楽しむゆとりが感じられた。

・一方、村上龍の小説が描き出すのは、人が持つ欲望がむき出しにされたところに生まれるどろどろとした世界。で、話はどんどん非現実的なところに突き進んでいく。一見安定して強固に見える現実が、実は薄皮一枚で支えられている。その表面的に取り繕われた現実世界の皮をはぐとどんな光景が見えてくるか。村上龍の狙いはいつでもそこにあったような気がする。

・村上春樹は阪神淡路大震災によって生まれ育った世界が瓦礫の山と化したこと、あるいはオウム真理教のサリン事件の発生などから、現実が虚構の世界以上にもろいものであることを実感する。そこから、現実と距離を置く姿勢ではなくもっと積極的に関わる方向へ転換する。そのプロセスの中から生まれたのが『アンダーグラウンド』であり『約束された場所で』だった。そして『スプートニクの恋人』と『神の子どもたちはみな踊る』。

・『神の子どもたちはみな踊る』は短編集である。で、どれもが、何らかの形で阪神淡路大震災に関連する。僕は正直言って、あまりおもしろいと思わなかった。現実(震災)への関与の仕方がものすごく薄いという気がした。震災との関連性があってもなくてもたいして違いはない。ただ一つ、カエルがミミズと戦って東京の大地震を未然に防ぐという話だけは、童話風だが、よくできた話に仕上がっていると思った。

・村上龍の『共生虫』は引きこもりの青年が殺人事件を犯す話である。ちょうど引きこもりの17歳の事件が連続したこともあって、そのタイミングの良さが話題になっている。そして、著者は現実が虚構に追いつき追い越してしまったことにとまどっている。村上龍はグロテスクな世界を描き続ける一方で、現代の社会の病理について発言することに積極的である。現実の重みが失われたこと、現実への適応がうまくできない若者が生まれてしまったことにたいして、彼は戦後の世界を作り上げ、子どもたちを育ててきた大人たちに批判の矛先を向ける。

・現実にたいして距離をとる姿勢、あるいは現実を維持する薄皮をはぐ行為。今それが、若い人々の共通感覚になってしまっている。二人の村上は一方では、そのことを自省する。しかし、そのような発言とは裏腹に、創作されるフィクションは相変わらず、現実との距離と現実暴露がテーマになっている。そのちぐはぐさに、僕は正直言ってとまどいを感じているが、そこには二人への批判というよりは、今のところそうとしか表現しきれないだろうなという了解も含まれている。実際、現実にたいして距離をとる姿勢にしても、現実暴露を面白がる態度にしても、僕自身がこれまでずっと示してきたものであって、そのことに肯定も否定もしきれないアンビバレントな感覚を持っているのは同じだからである。

・現実は、それが現実だと一般に了解されたフィクションにすぎない。しかし、この「現実」は単なるフィクションとして片づけることもできない。そのような微妙な姿勢をどうやって納得し、持続させるか。若い人たちに伝えなければならないのは何よりこんな感覚なのだが、それはいったいどう伝えたらいいのか。その難問に立ち往生しているのは、誰より僕自身なのである。

2000年6月12日月曜日

高速道路で聴く音楽

片道100Kの道のりを毎週2往復、高速道路で通勤している。だいたい1時間半。風景はほとんど山で高低差は750M。かなりの坂道とカーブで運転そのものもおもしろいが、やっぱり音楽も欠かせない。で、出かける前にCDを選ぶことにしているが、いつの間にか定番ができてしまった。ブライアン・イーノ、タンジェリン・ドリーム、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン………。つまりプログレやアンビエントばかりになった。中でも、イーノは山の風景にあっているし、タンジェリン・ドリームは河口湖にぴったりだ。さすがにくりかえし聴くと飽きてしまうが、CDはいつでも持っている。運転しながらふと聴きたくなるからだ。そうそう、大事なのを一つ忘れていた。マーク・ノップラーの映画音楽。これは何度聴いても飽きないからいつでも持ち歩いている。 去年1年間は新幹線で通勤した。そのときも、MDウォークマンが必需品だった。新幹線の中での読書をしながらの聴取。ただしこのとき聴いていたのはヴァン・モリソン、ニール・ヤング、スティング、エリック・クラプトン………。同世代でがんばっているロック・ミュージシャンばかりだった。もちろん音楽の好みが急に変わったわけではない。以前から僕はどちらも好きだったし、家ではどちらも聴いている。変わったのは聴くシチュエーションで、その聴きたい音楽の変化に僕自身が驚いている。 たとえば、長い会議が終わって夜更けの新幹線に腰を落ち着ける。東京の夜景を眺めながら京都までの2時間半。くたびれた心身を癒してくれるのは誰よりヴァン・モリソンやニール・ヤングの声だった。そのとき視線はほとんどの場合活字を追っていた。それが高速道路では、声がじゃまな感じになる。シンセイサイザーが作り出す機械的な自然音。それがフロント・ガラスに映る風景にぴったり合う。あたかもその風景が自ら発している音であるかのような錯覚。 もちろん新幹線でも景色は眺められる。しかし、それはすぐに飽きるから、窓の外に視線を向けるのはほんのわずかになってしまう。高速道路も何往復かすれば、風景はなじみのものになる。しかし、フロント・ガラスから目をそらせるわけにはいかない。道路状況は刻一刻変化して、それにあわせて加速、減速、車線変更とめまぐるしく対応する必要があるからだ。新幹線では風景は見ても見なくてもいいもの。しかし高速道路では道路状況とその背景にある風景は必ず見ていなくてはいけないもの。 新幹線で本を読んでいるとき、頭はもちろん、本の世界に入りこんでいる。新幹線の中にいる僕は、同時にそこにはいない。景色ばかりでなく、隣に座っている人も前や後ろの席の人も、全く無視することができる。一方、車で運転をしているときは、周囲を無視することは片時もできない。頭は、持続性のない偶発的な想像力にまかせることはあっても、半ば反射的に道路状況に反応しっぱなしだ。そのせいか僕は運転しながら「どんくさいな」とか「あぶないな、あほ」とか「へたくそ」といった独り言をよくつぶやいている。新幹線と車の違いは、今自分がいる状況への取り込まれ方、あるいは関与の度合いの仕方の違いなのだろうか。 歌はことばによって歌われる。ことばには意味があり、歌にはそのことばにそった情感が付着する。歌い手の声の肌理(きめ)。それを味わうには散漫な聴取では十分ではない。他方で音楽は音の質やメロディ、あるいはリズムによって構成される。それを集中して聴くことはもちろんあるが、ことばがない分だけ、散漫な聴き方をすることもできる。 僕はたぶん新幹線の中で周囲の状況から離れるために歌を聴いていたのだと思う。そして、車の中では、周囲の状況に集中するために音楽を聴く。だから車の中で聴くのはメッセージのない風景と溶けあった音がいい。ピンク・フロイドは時に自己主張が強すぎると感じることがあるが、ブライアン・イーノやタンジェリン・ドリームはまさにぴったりだ。もっとも、どういうわけか、僕は自分の部屋で昼寝をするときにもイーノを好んでかける。すーっと夢の世界に入り込めるからだが、運転しているときにはそうではない。状況への関与の仕方と音楽の種類。これは考えてみればおもしろいテーマだと思う。

2000年6月6日火曜日

テレビと広告

 山間の家だから、テレビの映りが悪い。これは不便と思ってアンテナを高くあげたがほとんど改善されなかった。ケーブルテレビも調べたが、えらく高い加入費を取るし、ハイビジョンは見られないと言う。普及率が低くて経営状態はよくないようだ。インターネットへの接続サービスをしていれば、それでも加入をしたのだが、その予定も今のところまったくないらしい。しかし、BSアンテナをつけてもらうと、これはきれいに見えた。で、まあ、これでもいいかということにした。


だから、当然、テレビを見る時間は減った。週末はカウチ・ポテトでテレビということが多かったのだが、引っ越してからそんな時間の過ごし方をほとんどしなくなった。天気が良ければ外に出ているし、夕食も焚き火の前でしたりする。映りの悪い画面を凝視する気にはなれないから、ステレオでテレビの音声だけ流したり、CDをかけたり。いつの間にか、BSで映画を見ようという気もなくなってきた。


見なければ見ないで、別にどうということもない。今更ながらに、テレビ視聴が習慣的行動であったことを実感した。実は新聞も引っ越してから朝刊だけの配達になった。しばらくは夕方新聞がこないことに物足りなさを感じたが、慣れてくると、これもどうということはなくなった。と言うより、かえって、朝夕刊をまとめたほうが読みごたえがあっていいと思うようになった。何より広告紙面が少ないのがよい。BS以外はほとんどテレビを見なくなって気がついたのも、やっぱり、CMにふれなくなったことで、改めて広告って何なのか考えてしまった。

 
そんな僕の生活環境の変化とはもちろん無関係だが、テレビ放送会社が軒並み増収増益になったそうである。民放の収入源はいうまでもなく広告である。長引く不況の中、景気の回復をテレビによる宣伝にかけようという企業が多いのだろうか、中には前期比で60%増の利益をあげた局もある。シドニー・オリンピックで今年はさらに増収が見込めるそうだ。まさにテレビ頼みの時代のようである。


マスメディアとしての放送はもちろん、ラジオが先だが、ラジオとは無線を一方向の情報伝達手段に限定したメディアのことである。双方向の送受信ができる技術をわざわざ一方向に限定して、不特定多数の人に受信装置だけをもたせる。その普及を可能にしたのは番組として提供されたニュースや娯楽だし、それに対してお金を払わなくていいというシステムである。ただで、楽しい時間が過ごせる、あるいは役に立つ情報が手に入る。マスメディアとしての放送が大衆消費社会の幕開けと時期を同じくしているのは単なる偶然ではない。そして、テレビはラジオの手法をそのまま踏襲して、ラジオをしのぐ巨大なメディアになった。この意味ではラジオもテレビも、その使命は何より広告による消費の刺激にあった。だから、不況の時にテレビが儲かるのは当たり前のことなのである。

メディアが広告に頼ること自体を批判するつもりはない。けれども、最近の民放の景気の良さの裏には、広告収入を上げるための人気番組作りだけに励もうとする姿勢が露骨に見えてしまう。『21世紀のマスコミ』を考えるシリーズの中に「広告」に焦点を当てた巻がある。その序文で編者が問うているのは次のような問題意識である。

マスコミがジャーナリズムとメディア文化の健全な担い手であるなら、それは、政治・経済・社会の現実がいくら混沌たる様相を呈していても、そこに埋もれたままでは終わらず、そうした状況を目一つだけでもうえから捉え、相対化する作用を及ぼし、ものごとを批判的に考えるよすがを私たちに提供してくれるはずだ。だが20世紀末において<21世紀のマスコミ>のあり方を展望しようとするとき、いってみればそのような頼りになるマスコミの姿を、私たちは容易に発見することができない。(桂敬一他編著、大月書店)

ジャーナリズムの不在と、どうしようもなく質の低いメディア文化の中で、広告だけが自己主張をするテレビ。こんなテレビがかなりの視聴率を稼ぐことができるのは、私たちの視聴行動が習慣化して、他に目を向けたり批判的に見たりすることができなくなっているからなのだろうか。あるいは、先行き不安な現実からつかの間でも目を背けたいという意識でもあるのだろうか。しかし、実際には、民放だって安閑としていられない現実が迫っているのだ。


インターネットが普及してテレビを見る時間が少なくなっているのは間違いない。あるいは日本ではなかなか普及しないが、ケーブルや衛星によるペイ・テレビが近い将来増加することもはっきりしている。情報や娯楽をお金を払って選択して手に入れるのか、広告にまかせて垂れ流してもらうか。テレビは今、そんな分かれ道の前に立っているように思うのだが、民放の好景気は、そんなこととは無関係であるかのように見える。メディアの多様で広範囲な再編成を目の前にして、目先の利害にばかり注目する。全国ネットの総合テレビ局が21世紀に生き残れる保証はどこにもないはずだから、これはもう明らかにバブルである。銀行ばかりを批判している場合ではないのである。