2021年12月27日月曜日

目次 2021年

12月

27日:薪割り、ペンキ塗、そして山歩き

20日:維新とタイガース

13日:品格と矜持

6日:中川五郎『ぼくが歌う場所』(平凡社)

13日:オリパラの後は自民総裁選ばかり

6日:拝啓菅総理大臣様

8月

30日:二つの映画主題歌

23日:伊藤守編著『ポストメディア・セオリーズ』

16日:どこにも行かない夏

9日:強者どもが夢の跡

2日:自転車ロードレースだけ観た

7月

26日:榛名富士と軽井沢

19日:大谷選手の活躍の裏で

12日:追悼 中山ラビ

5日:宮沢孝幸『京大おどろきのウィルス講義』

6月

28日:梅雨とリフォーム

21日:「原子力村」から「五輪村」まで

14日:自転車と「こころ旅」

7日:Travis "10 songs"

5月

31日:宮入恭平・杉山昴平編『「趣味に生きる」の文化論』

24日:原木とリフォーム

17日:春の立山、大谷歩き

10日:Bloggerを始めました

3日:バカな大将ウィルスより怖い

4月

26日:子育て日記に想うこと

19日:MLBがおもしろい 

12日:ヘンリ・ペトロスキ『失敗学』(青土社)

5日:早い春が来た

3月

29日:斜陽のBS放送

22日:言葉遣いがおかしいですね

15日:新譜がないのはコロナのせい?

8日:何ともお粗末なデジタル化

1日:ジリアン・テット『サイロ・エフェクト』

2月

22日:富士山がやっと白くなった

15日:原木探しと薪作り

8日:改めて、CMについて想うこと

1日:感染より世間が怖い

1月

25日:露骨な情報操作

18日:斉藤幸平『人新世の「資本論」』ほか

11日:Jackson Browne, "Downhill from Everywhere"

4日:静かな正月と新しい本

薪割り、ペンキ塗、そして山歩き

 

forest180-1.jpg
雨上がりにわが家の上に虹が架かった

forest180-2.jpg 紅葉が終わって、河口湖も静かになった。ストーブを燃やしはじめてスペースができたので、原木を注文して薪割りをやった。新しいチェーンソウだから、太い木もあっという間に切って、3立方メートルの原木を1週間ほどで薪にした。付近で集めた倒木と違って重いが、その分じっくりとよく燃える。ストーブにはやっぱり、ミズナラやクヌギが最高だと再認識した。倒木は温度が上がらないのにすぐ燃え尽きてしまう。

forest180-7.jpg 紅葉の頃に控えていた自転車は、寒くなって厚着をして乗るようになった。それでも最初は寒くて、最後にはやっぱり汗をかく。それに週に1回程度だと、途中で息が上がって家にたどり着く頃にはへとへとになる。もちろんタイムも遅い。雪が積もったら春までできなくなるから、条件のいい日を見つけて走っているが、薪割り優先だから、出かける日を見つけるのが難しい。

家の周りに積んでいた薪を燃やして、スペースができたので、ログのペンキ塗りも始めた。4年前にやったから、まだ早い気もしたが、屋根を新しくして2階部分のペンキも塗ったので続けてやってしまおうと思っていた。色はマホガニーで前回のチークよりは赤みがかっている。ツヤもあってなかなかいい。はしごに乗っての作業は大変だが、薪をどかしながら10日で完成した。自転車に乗れないのは、これも原因だった。

forest180-4.jpgforest180-3.jpg

人混みを避けての山歩きも、何度かした。わが家から車で10分ほどで登山口に行ける大石峠は、くねくねと60回以上も曲がる山道だ。以前にはそれほど苦にならなかったが、きつかった。その1週間後に箱根の金時山に登った。ここも2度目だが、石ころだらけの道や急登が多くてやっぱりきつかった。それに人気の山だから、登山者も多くて、休憩時にはマスクをすることになった。大石峠も金時山も、晴天だったから頂上から見る富士山は見事だった。多分今年の山歩きはこれが最後で、次は春になってからということになるだろう。
forest180-5.jpgforest180-6.jpg


こんな具合に晩秋から、毎日忙しく動き回っている。コロナの感染者数が減ったこともあって、孫たちが久しぶりにやってきた。特に下の男の子は初めての訪問で、マンションとは違うログハウスや周囲の森に興味津々で、楽しく動き回った。上の男の子は来年は小学校に通う歳になった。しばらく会わないとすぐに成長してしまう。次はいつ会えるか。それはやっぱりコロナ次第だ。


2021年12月20日月曜日

維新とタイガース

 衆議院選挙における維新の躍進は驚きだった。コロナの第4波の時の大阪はひどかったし、それが保健所や病院の削減を行ってきた大阪府や市の失政に原因があったことは明らかだったからだ。それ以外にも知事や市長は雨合羽やイソジンといったしょうもない発言や行動で失笑をかっていた。少なくとも大阪や関西以外の人たちには、そんなふうに見えていた。なのに、大阪では1選挙区を除いて維新が勝利した。一体全体、大阪市民や府民は何を評価して維新に投票しただのだろうか。そんな疑問を感じてもおかしくない結果だった。

理由としてあげられたのは吉村知事や松井市長、それに橋下徹が毎日のようにテレビに出ていたことや、府議会や市議会、そして府下の首長の多くが維新で占められてきている実情だった。維新は少なくとも大阪では自治体の多くを治めていて、テレビもその勢いを後押しする役割を果たしている。どんなにダメでもがんばっている姿を連日テレビで流せば、人びとも応援したくなる。何しろ維新は大阪で生まれた、まじりっけなしの浪速っ子の集まりなのである。

こんな様子を見ていて思ったのは、関西における阪神タイガースの人気との共通性だった。僕は25年ほど京都に住んで大阪の大学で教えた経験がある。そこで感じたことの一つに強烈な阪神びいきがあった。いつも弱くて内紛を起こしてばかりの球団に、なぜ人びとは惹かれるのか。在阪のパリーグには南海や近鉄、そして阪急といった球団があって、どこもペナントを制した強い時期があった。しかし人気は阪神には全くかなわなかった。

それはもちろん、日本のプロ野球がセリーグ偏重で、東京の巨人が圧倒的に強かったことに原因があった。何しろ関西人は東京に対するライバル意識が強く、とりわけ大阪人はその傾向が顕著だった。だから東京を代表する巨人をやっつける試合を見たい。それが時々でも、勝ってくれれば溜飲を下げることができる。端で見ていて半ば呆れ、うんざりしながら感じたのは、そんな印象だった。

当然、テレビも他の在阪球団の試合は無視して阪神ばかりを中継したし、スポーツ新聞の一面は、いつも阪神のことばかりだった。そんなテレビや新聞の現状は、おそらく今でも変わらないのだろう。そして、もう一つの目玉が維新なのだ。僕はもちろん、関西のテレビや新聞には接していないが、おおよその見当はつく。アンチ東京が関西、とりわけ大阪のアイデンティティの基盤にあるのは決して悪いことではないが、阪神はともかく維新はアカン。そんな感想を強く持った。

維新は山犬集団だ。東京の批評家には、そんなことを公言する人もいる。実際僕もそう思う。トップの人たちは誰もが吠え立てるように、ドスを利かせるように発言するし、犯罪事件を起こした政治家も多党に比べて桁違いに多い。関西の中心である大阪が経済的に発展するなのならば、カジノでも万博でも何でも誘致したらいい。市をなくして大阪都にする政策は失敗したが、公共の場に使う金を極力減らそうとする政策も次々と実行されている。その結果がコロナ禍における悲惨な状況だったのである。

維新は今回の選挙での躍進に勢いを得て、全国的な制覇をもくろんでいるようだ。はたして阪神タイガース程度に人気が浸透していくのだろうか。僕は難しいと思うが、そうなったらもういよいよ、日本は終わりなのだと思う。維新はコロナ以上に悪い疫病神なのである。

2021年12月13日月曜日

品格と矜持

 政治や経済、そして社会を見渡してみて感じるのは、「品格」とか「矜持」といったことばが全く通用しなくなったことである。典型的には「今だけ金だけ自分だけ」といった風潮がある。何より利権によって動く政治家ばかりだし、大企業は内部留保を貯めこむことに精出している。そして人びとの中からも「相互扶助」の気持ちが見えてこない。こんな風潮に対して新聞やテレビといったメディアは何も問題にしない。それどころか、権力に忖度し、スポンサーの顔色を窺うことばかりをしている。

マスメディアは「ウォッチドッグ」であるべきだ。権力や社会を監視して、何か不正があれば吠えたてる。マスメディアの存在価値が何よりジャーナリズムにあるとすれば、「ウォッチドッグ」として仕事をすることが、ジャーナリストとしての矜持になるはずである。大学の「マスコミ論」には当たり前のように、こんな姿勢が強調されてきた。ところが最近のマスメディアは吠えることをほとんどしなくなった。そうなってしまった理由はいろいろあるだろう。

一つは安倍政権誕生以降続いているメディアに対する締めつけや圧力だろう。しかしここには、新聞社やテレビ局のトップが進んで首相と会食するといった擦りよりもあった。二つめには新聞の発行部数減やテレビのCM料の低減があって、何より営業利益を優先するといった方針変更がある。今メディアのトップにはジャーナリストではなく営業出身の人が就いていることが少なくない。そして三つめとしては、ジャーナリストの質の低下があげられる。権力者に対して厳しい質問を浴びせることが出来ないのは、官邸での会見の様子を見れば明らかである。

この三つの理由は経済、つまり企業の姿勢にも共通する。内部留保を増やすことばかりに精出して、社員の給料は据え置いたまま、というよりは正規を減らして派遣を増やしている。そして新たな可能性を求めて積極的に投資をすることもない。こんな経営者の姿勢に組合が抵抗どころか擦りよっているのは「連合」を見れば明らかだろう。

品格や矜持は自らの使命や理想を持っているところから生まれてくる。それがないのは、現状の日本にはどの分野にしても、使命や理想が失われていることに原因がある。経済の落ち込みや人口の減少は止めることが出来ず、国の借金ばかりが増加する。それがわかっていながら、いや、わかっているからこその、「今だけ金だけ自分だけ」の風潮なのだと思う。

そんな中で一人だけ、「品格」を口にする人がいる。メジャー・リーグでMVPをとった大谷選手だ。一流の選手には、記録や能力だけでなく「品格」がある。それを目指したいといった発言で、久しぶりにそんなことばを聞いたと思った。彼は今、日本に帰っているが、ほとんどテレビに出ることもない。タレントたちにちやほやされて浮かれてもいいはずだが、毎日トレーニングに励んでいるようだ。国民や県民栄誉賞なども断ったようだ。

メジャー・リーグはオーナーと選手会が対立して、オーナー側がロックアウトという強行手段を実行した。来春のキャンプまでには解決するだろうと言われているが、下手をすれば開幕に間に合わないかもしれないと危惧する声もある。金をめぐる対立だから、多くのファンはどちらも支持していないようだ。一人の選手が何十億も稼ぐのに、マイナーには食事や住居に苦労する選手がたくさんいる。超高額の契約更新が約束されている大谷選手は、そんな現状をどう思っているのだろうか。そんなことをふと考えた。

2021年12月6日月曜日

中川五郎『ぼくが歌う場所』(平凡社)

 

goro2.jpg 中川五郎は50年も歌い続けているフォークシンガーだ。本書はその半世紀を越える時間を個人史として辿ったものである。小学生の頃に洋楽に関心を持ち、ギターを弾きはじめた少年が、当時のヒット曲からフォークソングに興味を持ちはじめる。そのきっかけになったミュージシャンはウッディ・ガスリーやピート・シーガーだった。そして、彼らの歌には今まで聞いたことがない政治や経済、あるいは社会に対する批判的なメッセージが込められていることを知る。少年はその歌詞を訳して、日本語で歌うことに夢中になった。

そんな関心は中川五郎一人だけのものではなく、やがて「関西フォーク運動」と呼ばれる大きな動きになった。当時高校生であった彼は、ボブ・ディランの歌を替え歌にした「受験生のブルース」を作って歌ったが、それが高石友也によって「受験生ブルース」としてヒットすることになった。フォーククルセイダースの「帰ってきた酔っ払い」が大ヒットしてブームとなり、彼も入学したばかりの大学にはほとんど行かず、音楽活動に没頭するようになった。

1960年代後半から70年代初めにかけては大学紛争が各地で起こっていた時期であり、ヴェトナム戦争に反対する運動も盛んに行われていた。メッセージ性のある歌が大きな注目を集め、岡林信康や高田渡といった人気ミュージシャンも生まれ、時代の寵児としてメディアで扱われたりもした。この本には、彼らとコンサートなどの活動を共にしながら起きたさまざまな動きやそこで生じた問題が、彼の経験を通して振りかえられている。

レコードが売れ、コンサートに多くの人が集まれば、当然、金銭的な問題が起こる。所属したプロダクションとの契約は給料制であり、レコードは印税ではなく買い取りだった。だからどれほどレコードが売れても、コンサート活動が忙しくなっても、ミュージシャンには少額のお金しか払われなかった。ところが、新宿駅西口広場で始まった「フォーク集会」では、彼らの作った歌が歌われたにもかかわらず、金儲けのために歌う連中だと非難されたりもした。それほど有名でもなかった著者は、両方の中間にいてうろたえたり、また面白がったりもしている。

そんなフォークソングは大学紛争の鎮静化やヴェトナム戦争の終結とともにはやらなくなり、「四畳半フォーク」と呼ばれる極私的な内容になり、やがてメッセージ性の乏しいニューミュージックと呼ばれた歌に変容することになった。著者自身も音楽活動よりは雑誌の編集作業や洋楽のレコードに解説を書いたり、歌詞を訳したりといった仕事が中心になり、やがて小説の翻訳や自ら小説を書くようになった。

音楽活動とは縁遠くなった著者が再び歌いはじめたのは90年代になってからである。気になるミュージシャンとの出会いや、親しい人たちの死などがあって、改めて死や生について考えて歌を作ることもはじめた。2006年に25年ぶりのアルバム『ぼくが死んでこの世を去る時』(offnote)を出して、本格的な音楽活動をするようになると、目立たないけれども、政治や社会に対して抗議して歌う人たちが見えてきて、その人たちと一緒に歌う機会も増えた。

中川五郎が歌うことの必要性をさらに感じたのは、東日本大震災と福島原発事故だった。被災地で何を歌えばいいのか悩みながらも精力的に活動し、その中からアメリカのフォークソングにあるトーキング・ブルースという形式を使った時宜的な歌や、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺事件などを歌うことも始めた。それは2017年に出したアルバム『どうぞ裸になってください』(コスモスレコーズ)にまとめられていて、今を見つめた数々の語り歌は、強烈でありながら優しさも滲むメッセージで溢れている。

この本のテーマは歌であるが、ここには同時に彼の私的な生活史も語られていて、恋愛や結婚、子どもの誕生と育児、そして不倫や別居などについても触れられている。決して品行方正ではないし、家庭を大切にしたわけでもない。そんな自分のダメな部分についても正直に吐露していて、私小説風にも読める内容になっている。その意味では本書は最新のアルバム同様に、自分を裸にして語った個人史であり、そこから見た日本の半世紀を歌ったトーキング・ブルースでもあると言えるだろう。

『週刊読書人』12月3日号に掲載