2014年3月31日月曜日

ニュージーランドから


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newzea2.jpg・ニュージーランドの入国審査は厳しいというのが、ネットで多かった情報だった。登山靴を持ちこむと、靴底の泥をチェックされて、汚れていれば洗ってこいと言われるとか、食べ物は生ものはもちろん、ガムやキャンディの類でも申告書に書かなければ、罰金を取られるといったものだった。

・外から入ってくるものに厳しいのはニュージーランドの自然環境を考えてのことで、意識の高い国であることの証明だが、そうなったことにはそれなりの原因がある。ニュージーランドは800年ほど前にマオリ族が住みはじめ、200年ほど前にイギリス人がやってきた。それで、動物や植物の生態が一変してしまったという歴史がある。

・トレッキング(トランピング)の度にガイドから聞いたのは、持ちこまれたポッサム、ウサギ、イタチ、鹿などのために在来種の飛ばない鳥たちが激減して絶滅しかかっていること、かつては島の4分の3を占めていた南極ブナなどの在来植物による原生林が、今では4分の1に減ってしまっていることなどだった。ニュージーランドには四つ足の哺乳動物も蛇もいなかったから、鳥は飛ぶことをやめたのだし、広葉樹も常緑だったから、秋の紅葉もなかったのである。

newzea3.jpg・だから、外からの外来種の持ち込みはもちろん、国立公園内では小石一つ、葉っぱ一枚持ち帰ってはいけないという厳しい規則が設けられ、外来の動物の多くは害獣として捕まえて処分することになっている。驚いたのは、そのような外来の動物は車で轢くことが奨励されているという話を聞いたことだった。あるいはその動物たちが食べる外来のルピナスなどの植物を枯らすために、ヘリコプターで枯れ葉剤を散布するのに毎年10億ドルも使っているということだった。

・そもそも、いろいろな動植物を持ちこんだのは、人間の目先の損得や必要性だったが、それが害になると、今度はその駆逐や改善に懸命になる。ごく当たり前のようにも思えるが、身勝手さという点では似たようなものだという感想を持った。環境保全に世界でもっとも敏感な国ということだが、それはちょっと違うのではと感じた。

・今回の旅では、ミルフォード・トラックとルートバーン・トラックを1日ずつ、そしてMt.クック周辺を2日歩いた。ミルフォードとルートバーンは雨が多いために、樹木にはびっしり苔や地衣類が生えている。地面も一面のシダだったりして、日本ではあまり見かけない森の様子だった。原生林をできるだけそのままに残す意味や意義は十分にわかる光景だった。2000m程の山なのに氷河がある。そんな様子もまた珍しく感じた。国立公園として厳しく保全されているところは、たしかに、歩いて楽しく、気持ちのいいところだった。

newzea4.jpg・ただし、どこに行くにも山脈を迂回した道路を使うから、宿泊地から現地まで車で数時間移動しなければならない。山越えの道やトンネルを作ればすぐに行ける距離なのに、その不便さを我慢するのもまた環境保全という目的のためである。南島は本州のような長細い島で、東西の距離は長くないのに、中央に山脈がそびえているから、横断するルートは極めてかぎられている。

・実は、これからMt.クックの西側にあるフランツ・ジョセフ氷河近くの知人宅にお邪魔するのだが、山越えはできないから、いったん東海岸のクライスト・チャーチまでバスで行って、そこから飛行機で西海岸のホキチカに飛んで、車で迎えに来てもらうことになっている。ヘリをチャーターすれば10分ほどだと言うが、お金のことを考えたら、そんな贅沢はできない。100年前に4000Mの山の頂上までトンネルを掘ってケーブルカーでユングフラウの頂上まで行けるようにしたり、山脈を貫通する道路や鉄路をいくつも作ったスイスとは、ずいぶん違う国だと思った。 果たしてどちらの方がいいのだろうか。それは簡単には評価しにくい難しい問題である。

2014年3月24日月曜日

ジェフ・ブリッジス『Crazy Heart』

 

jef.jpg・ジェフ・ブリッジスは目立たないけど、渋い役柄をこなす俳優だ。その彼がアカデミーの主演男優賞を取ったのが『Crazy Heart』である。NHKのBSがアカデミーを取った映画を昼間放映していて、たまたま見た。かつては人気だったカントリー・ミュージシャンの悲哀をテーマにした映画である。主演が誰なのかもわからずに見始めたから、最初登場したときはクリス・クリストファーソンかと思った。

・主人公のブレイクはテキサスやニューメキシコの小さな町を自分の車で一人巡って、ボーリング場の一角やバーなどで歌っている。要するにどさ回りの身だ。かつてはヒット曲を飛ばしたこともあったのだが、今ではアルバムも出ない。新曲を作ればその可能性もあるのだが、彼にはもう、そんな気がほとんどない。ウィスキーを手放さず、絶えず煙草を吹かして、めちゃくちゃな生活をしているから、体調もひどく悪い。ライブの途中で吐き気をもよおして、ステージからトイレに直行したりもしている。

・そんなストーリーに光が差したのは地元の新聞記者のジーンの取材に応じたのがきっかけだった。そして、かつては自分のバックバンドの一員で、今では大スターにのし上がったトミーの前座を渋々引き受けたことだった。ジーンと恋仲になり、その幼い息子のバディとも親しくなる。ところがアルコールが原因で彼女とはうまくいかなくなり、落ち込んだなかで歌を作り始める。それをトミーが歌って大ヒットするのである。

・ありそうな話だったが見ていておもしろかった。何より気になったのは、ジェフ・ブリッジスが吹き替えなしに歌って演奏しているところだった。ネットで調べてみると、ミュージシャンでもあって何枚かのアルバムを出しているという。クリストファーソンのような完全な二足のわらじではないが、音楽活動もしているようだ。それに絵なども描いているという。今まで見た映画では感じられなかった別の側面を見た気がした。

・で、『Crazy Heart』のサントラ盤を買うことにした。ライトニン・ホプキンスやウェイロン・ジェニングス、それにバック・オーエンスの歌も入っているが、ジェフ自身が歌っている曲が6曲あって、弟子で今はスター役をやったコリン・ファレル自身も2曲歌っている。おもしろいのは友人でバーのマスター役のロバート・デュバルが、二人で釣りをしているときに歌った鼻歌が入っていることだ。彼女が離れたのをきっかけにアルコールをやめ、生き直すことをはじめたシーンである。


いつまでも生きるつもりだ
川を横切って
明日を掴むんだ

・この映画はアカデミーの歌曲賞もとっている。歌っているのはライアン・ビンガムで、まだ若いのにトム・ウェイツを思わせるようなだみ声だ。2007年にデビューしたというから、すぐにこの映画に使われて、アカデミーを取ったということになる。その"The Weary Kind"はなかなかいい。芋づる式に、今度は彼のアルバムを聴きたくなった。

2014年3月17日月曜日

エイモリー・ロビンス『新しい火の創造』ほか

エイモリー・ロビンス『新しい火の創造』ダイヤモンド社
『ソフト・エネルギー・パス』時事通信社

robins2.jpg・エイモリー・ロビンスの『新しい火の創造』は、都知事選で細川候補を支援して連日街頭に立って脱原発を訴えた小泉元首相のタネ本だと言われている。確かにこの本の帯には、「衝撃の小泉発言、原発ゼロの実現へ”根拠”はここにあった」と書いてある。しかし、エイモリー・ロビンスは最近脚光浴びた人ではなく、すでに35年も前に、ハードではなくソフトなエネルギーの開発と普及を主張した『ソフト・エネルギー・パス』を出していて、この領域ではリーダー的存在の一人である。なぜ今注目されるのか。この2冊の間にどんな違いがあるのか。そこに興味を持って読み比べてみた。

・『新しい火の創造』の原題は"Reinventing Fire"だから、直訳すると「再発明される火」だが、辞書を調べると、Reinventing には(すでに発明されていることに気づかずに)という意味があると書いてある。これについての訳者の説明はないが、この題名をつけた狙いは、まさにここにあるのではないかと思った。つまり、現代社会は火や電気、そしてエネルギーの原料として石炭や石油、天然ガス、そしてウランを使うことを基本にしているが、それらはすべて、太陽と地球の地殻活動によってできたものである。その数十億年をかけて蓄積されたものを、人間はわずか200年ほどの間に使い尽くしてしまおうとしている。だから、いずれなくなることがわかっているもの、環境を汚染し続けているものに頼らずに、忘れていた太陽や地殻活動を利用した火やエネルギーに戻ろうという提案が本書の内容だと言っていい。

・『新しい火の創造』は「燃料の非化石化」をはじめにして、「運輸」「建物」「工業」「電力」の章を設けて、すでに達成された技術開発と実用化された分野、これから普及していく領域について詳細な分析をしている。ただし、本書が力説するのは、その科学的、倫理的な根拠ではなく、ビジネスとしての可能性にあって、それはすでに動き出しているという主張にある。小泉元首相の意識を大きく変えたのもまさにこの点で、選挙期間中も細川・小泉は口を揃えて、脱原発は「イデオロギー」の問題ではないことを訴えていた。

robins1.jpg・ロビンス(ズ)が35年前に書いた『ソフト・エネルギー・パス』は原油が値上がりして「オイルショック」と呼ばれた状況のなかで出版されている。「スモール・イズ・ビューティフル」(シューマッハー)といったスローガンが社会変革を訴える人びとから発せられたが、ロビンズはその考えに好意的ではあるものの、あくまで「イデオロギー」や「価値観」からは距離を置いて分析するというスタンスを貫いている。ただし、この本で主張されていることは、今でも説得力がある。と言うよりは、35年間も放置されてきて、抜き差しならない状況になってしまっていることを改めて実感させられる内容になっている。

・たとえば「個人的メモ」として列挙された問題点には、「あまりに大量のエネルギーをあまりに早く消費する危険性」「自然のシステムに関する無知」「経済的合理性と経済的コストの誤り」「核分裂技術のやっかいさと危険性」「最小のエネルギーで上手に社会目標を達成する可能性」などがあって、その後の章で、各問題点が詳細に分析されている。日本語版への序文には「人口過密でかつ政治的には移り気な地震地帯に、恐るべき事故と注意深いもしくは不注意な原子爆弾の拡散を招く可能性の高い許されざる技術」が本格的に導入されはじめていることについて警鐘を鳴らす記述がある。

・日本の原発の多くは、この本が出版された後に建設され稼動したものである。日本に限らないが、この時期にロビンスの提案に賛同して、ソフト・エネルギーの開発と普及に努めていたらと考えると、この本の重みに今さらながら、溜息をついてしまう。まさに後悔先に立たずだが、現在でも、ロビンスの提案は、地球や人間の未来を考えてといったものではなく、あくまで経済性とビジネスとしての可能性として評価されている。そういう展望が開けてやっと動き出したことを嘆くべきか、あるいは喜ぶべきか。

・もっとも日本では、原発事故の当事国であるにもかかわらず、依然として原発を基盤電源に据えようとしている。電力会社を倒産させないためであれ、原爆を開発できる余地を残しておくためであれ、既得権益にしがみついてビジネスとしての可能性すら軽視する姿勢には、未来への展望がまったくない。

2014年3月10日月曜日

大雪騒動で考えたこと

 

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・2月14日から15日にかけて河口湖に降った雪は、確かにすさまじかった。おかげで1週間以上、毎日雪かきをしなければならなかった。それはもう、うんざりするほどの苦役だったが、自然のいたずらには文句の言いようもない。けれども、けっして八つ当たりではなく、呆れることや腹の立つことがいくつもあった。

・短時間で猛烈な雪が降ったから、道路で立ち往生したクルマがずいぶんあった。閉じ込められた上に停電して凍える目にあった人も多かったようだ。大人数が宿泊したホテルでは、自衛隊に救出されたところもあった。全くの想定外といえばそうなのだが、県や町、そして国がどう動いているのか、さっぱりわからなかった。

・新聞は来ないし、テレビはオリンピックやバラエティ番組ばかりをやっていて、ニュースでは目立った状況ばかりをくりかえし伝えていた。県や町のホームページを見ても、大雪についての情報は何も載っていない。時折聞こえてくる地域の防災放送は、主要道路の除雪から順次進めていることを何日もくり返し言い、ご理解とご協力をということばで締めくくった。これにはもう、腹が立つというより、情けない気になってしまった。

・一番役に立ったのはネットだった、グーグルで検索すると、近隣の道路状況などについて個人的に発信する人のブログや、自治体の公式のツイッターやフェイスブックがいくつも出てきた。しかし、富士河口湖町のホームページにある災害情報関連のページは何日も更新されないままであったし、フェイスブックはあっても休業状態で、ツイッターはなかった。対照的なのは北隣の笛吹市で、市の公式ツイッターで道路の除雪状況や孤立地域についての情報を集め、発信していた。東隣の富士吉田市にも公式ツイッターがあったが、これが発信しはじめたのは4 、5日経ってからだった。

・富士吉田市や富士河口湖町は富士山の噴火や東海地震の危険性に対応して、災害時の対応について備えをしていると思ったが、今回の大雪で、まったく何もできていないことが露呈された。孤立状態が続いて3日ほど経ってから、僕は毎日、町の土木課に除雪はどうなっているのか電話をした。担当している地区の土建業者にお願いしているといった返事をくり返すから腹が立って、お願いではなく早く取りかかるよう命令すべきだということ、電話でではなく、実際にどういう状況なのか直接出向いて確認すべきだということを言った。

・そんなやりとりを毎日くり返して、7日目にやっと除雪が行われた。やってきたのは別地域の土建業者だった。近隣の人たちと相談して、みんなで町に電話をするようにしたからの結果で、黙っていたら何日孤立したままにされたかわかったものではなかったと思う。しかもその間、町からは食料や健康状態について聞いてくる電話が一本もなかった。住民がどういう状態にあるかを把握する体制がまるでできていなかったのである。

・ネットでは長野県佐久市市長のツイッターが話題になった。これは以前から市民からの意見や情報を集め、市民に市長の声を発信するメディアとして使われてきたもので、大雪についても大きな情報源になったようだ。このネットの利用状況が、今回の大雪による災害についての情報の有無を左右したことは間違いない。言うまでもないがツイッターやフェイスブックの利用には一銭のお金もかからないのである。山梨県は災害時に市町村との間をネットでつなぐ「防災システム」を1000万円かけて備えていたようだ。ところが今回の大雪ではまったく使われなかったと言う。箱物だけでなく、ソフトについても、役に立たないものに無駄遣いをする傾向が露呈された。

・今回の大雪災害で得た教訓は、いざというときに、国も県も町も当てにならないということ、マスコミも新聞はもとより、テレビもラジオもだめだということ、それとは対照的にネットはずいぶん役に立って頼りになるということだった。ただし、停電になればこれも使えないから、スマートフォンのバッテリーを余分に買って、いつでも充電しておくとか、発電機を買うとか自前での備えをしなければならない。道路の雪かきだって町をあてにはできないから、除雪機も用意する必要があるのかもしれない。

・国税や地方税をたくさんふんだくられているのに、結局は、自分の命や生活は自分で守らなければならない。今回の経験で得た教訓は何よりこの一点だった。そう考えたときに、やっておくべきことや日頃の気構えにはとんでもなく多くの課題がある。3.11から3年目にして僕はそんなことを改めて自覚したが、それだけに世の中の脳天気さには呆れるというよりは、ぞっとしてしまう。

2014年3月3日月曜日

『竹内成明先生追想集』

 

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・昨年、竹内さんが亡くなった直後に偲ぶ会を開いた。そこで、追想集のようなものを作ろうという意見が出て、夏休み明けから取りかかりはじめた。竹内さんは同志社大学に勤めていて、そのゼミの卒業生を中心に、友人や知人に呼びかけたが、最終的には50人ほどが、彼に対する思いや思い出を綴ってくれた。

・僕は、その集まった原稿を1冊の本にする役目を任された。AdobeのInDesignを使ってページをレイアウトするのだが、これまで、ニューズレターや卒論集などは作ったが、書籍となると初めてで、これまで以上に慎重に作業をしなければならなかった。原稿の締め切りは9月末ということになっていた。すぐに送ってくれた人もいたが、何度も催促してやっとという人もいて、最後の原稿は年が変わってからやってきた。原稿がパラパラとくるたびに、ページのレイアウトを変えねばならず、面倒な作業が続いたが、1月末には出来上がって、後は印刷と製本ということになった。

・おつきあいのある出版社の編集者に相談して、表紙や本文の紙質などのアドバイスを受け、ネットで探した「お手軽出版ドットコム」に頼むことにした。ちょっと不安な気持ちはあったが、メールでの対応が丁寧で、PDFにした版下を送った後でも、細かな修正にも応じてもらった。で、一ヶ月ほど経って出来上がった本が届いた。折からの大雪で、配達が1週間ほど遅れたから、届くのが待ち遠しかった。小包を開けて手にした感想は、「へー、まるで本じゃん」というものだった。

・マッキントッシュが日本で発売されはじめたときのうたい文句は「DTP(デスクトップ・パブリッシング」で、パソコンを使って本や雑誌、あるいは新聞などの印刷物が自前でできるというものだった。これはもちろん、印刷から製本までを自分でやることを前提にしていて、ミニコミを学生の頃から作っていた僕は、その魅力にとりつかれて飛びついた。パソコン本体とソフト、それにプリンターやスキャナーなどをあわせると150万円を超える出費だった。今から25年以上前の話である。以後、パソコンでやる作業の大半は、原稿を書くのも、ニューズレターや卒論集を作るのも、はじめはPageMaker、そしてInDesignでやっている。

・追想集は四六版で160ページで300部を印刷して、費用はおよそ25万円だった。この値段で本ができるのなら安いものである。書店に置くためには東販や日販を通さねばならないし、営業をしてもらったり、在庫の保管もしてもらわなければならないから、さらに費用が必要になる。しかし、100部程度を作って自分で捌くのなら、本は10万円台でも出すことができる。便利な時代になったものだと思った。

・ところで肝心の内容だが、集まった原稿の多くが竹内さんとの出会いや’つきあいを、それぞれに思いを込めて綴っていて、竹内さんの人となりがよくわかる読みごたえのあるもになったと思っている。追想集は3月22日に開かれる1周忌の集まりで配布されることになっているが、入手を希望する人のために、郵送なども考えている。