2010年4月26日月曜日

仲村祥一さんを偲ぶ会

・昨年の秋に亡くなられた仲村祥一さんを偲ぶ会が京都で開かれた。40日ほど前の木村洋二さんを偲ぶ会以来の関西行きだったが、今度もまた雪に悩まされた。最近の天気はまるでジェットコースターのような上がり下がりを繰りかえしている。河口湖は16日から雪が降り始めて、夜遅くなると積もりはじめた。20cmにもなるという予報もあって、恨めしげに外を見ていると、仲村さんの「来んでもええ」「そんな会、せんでもええのに」という声が聞こえた気がした。仲村さんはドタキャンの常習者だった。最初は乗り気だったのに、直前になって面倒になる。今度もやっぱりという気になったが、だからこそ、今度は、何が何でも行かねばならない。15cmほど積もった中を、予定より1時間早く出発した。

・道路に積もった春の雪は、車に踏まれるとシャーベット状になったり、洗濯板のようになったりする。そこを走るのは、当然、なかなか難しい。左に右に不規則に曲がるし、横滑りもする。そこをだましだまして前へ進むのだが、路面状態を見ながらのハンドル操作も必要だから、ゆっくり、的確にしなければならない。幸い車の数は少なくて、本栖湖を過ぎて朝霧高原にさしかかったあたりで、道路の雪が消え始めた。しかし、反対車線は大変で、雪が積もっているとは知らずに来た車が何台も立ち往生していた。

・京都へは富士山を右回りに周遊して、新幹線の新富士駅から乗ることにしている。駅前に駐車をすれば、京都までなら3時間ちょっとしかかからない。1時間早く家を出たから、京都へも1時間早く着いた。天気は回復したが北風が吹いて、寒い。しかし、久しぶりだから、会が始まるまでの時間を散歩をして過ごすことにした。大改装中の東本願寺に行き、そこから小路を歩いて鴨川に出て、川沿いを歩いて塩小路を曲がって京都駅へ。桜がまだ残る景色はやっぱり季節外れだ。珈琲を飲もうと京都駅に戻ると、珈琲スタンドで井上俊さんにばったりあった。今日の偲ぶ会は彼の発案である。

・会の参加者は仲村さんと古くからつきあいがある人ばかりだが、その大半はすでに退職していて、僕が久しぶりに最年少ということになった。出席者は池井望さん、井上宏さん、小関三平さん、津金澤聡広さん、田村紀雄さん、中嶋昌彌さん、秋山洋一さん、そして娘さんの小俣さん夫妻の11名。仲村さんの思い出話に花が咲いて、笑いの絶えない会になった。木村洋二さんの会の時も感じたが、関西人は何よりユーモアを大事にする。偲ぶ会とは言え、美談やお世辞ではなく、おちょくりやぼやきは場を和ませ、仲村さんの素顔を思い出させた。

・仲村さんは本を送ったり、このコラムをまとめた冊子を送ると、すぐにお礼と感想を書いた葉書を書いてくださった。いつでもいの一番で、時には唯一ということもあった。ありがたいと思ったが、うまく判読できずに首をかしげることも多かった。そんな筆跡の話も話題に出て、互いの字をけなしあうことがまた、笑いを誘った。二次会をあわせて3時間ほど、久しぶりの人たちと、久しぶりの楽しい時間を過ごすことができた。遺影で参加の仲村さんも、きっと喜んだことと思う。

2010年4月19日月曜日

ジャガイモとアイルランド

 

伊藤章治『ジャガイモの世界史』『中公新書
林景一『アイルランドを知れば日本がわかる』角川書店

journal1-134-1.jpg・ジャガイモは毎日の食事に欠かせない食材で、それは世界中どこの地域でも食べられている。しかし、そんななじみの野菜が日本にやってきたのは400年ほど前のことだ。ジャガイモは南米のペルーにあるチチカカ湖あたりが原産で、コロンブスのアメリカ大陸発見後、数十年経ってヨーロッパに持ちこまれたものだから、そのまた数十年後には日本にまでたどり着いたことになる。同様の旅程を経てやってきたものには、他にもトウモロコシ、唐辛子、トマト、そしてカカオなどがある。ちなみにジャガイモという名の由来は、ジャワ島のジャカトラ(ジャカルタ)にある。

・伊藤章治の『ジャガイモの世界史』には「歴史を動かした貧者のパン」という副題がついている。ヨーロッパ諸国が近代化の過程で多くの戦争をし、また冷害に悩まされた時に、ジャガイモはその急場をしのぐ救世主になったし、近代化が進むと労働者階級の人たちの主食となった。日本でも北海道の開拓などでは、酪農が軌道に乗るまでの重要な食材になったようだ。

・アイルランドはその近代化の過程で、イングランドの圧政やイギリス人の不在地主によって苦しめられ、頼みのジャガイモが病気になって大飢饉を招いたという歴史を経験している。1845年から数年間のことで、それをきっかけにして、アメリカへの移民が急増した。南米原産のジャガイモを北米に持ちこんだのは、そのヨーロッパからの移民だったと言うから、南から北へではなく、いったん東に行って西にUターンしたということになる。

journal1-134-2.jpg・林景一の『アイルランドを知れば日本がわかる』には、大飢饉による餓死や移民によって人口が急減したアイルランドが、EU加盟以後急成長して、現在ではEUの中で大きな存在となってきていることが紹介されている。音楽とギネスだけでなく、ハイテク産業を誘致して、工業立国に変身してきているのだが、それはアメリカに移民して成功したアイルランド系の企業の存在が大きな力になっているようである。

・アイルランドの人口は、ジャガイモによって18世紀の半ばから19世紀の半ばにかけて150万人から800万人に急増し、大飢饉によって急減して、一時は260万人までに落ち込んだそうである。現在では北アイルランドとあわせて600万人に回復しているが、世界中に移り住んだアイルランド人の子孫は、アメリカの4000万人のほかに、カナダやオーストラリアなどでさらに1000万人を越えるほどになっている。

・アイリッシュ・アメリカンが得た職は警察官や消防士などの危険な仕事やスポーツ選手(ボクシング、野球)、そして映画(監督、役者)が多かったようだ。たとえばきわめてアメリカ的な映画の西部劇を代表するジョン・フォードやジョン・ウェインは有名だが、映画に繰りかえし登場したビリー・ザ・キッドやパット・ギャレット、あるいはアラモの砦のデービー・クロケットもアイリッシュだったそうである。

journal1-134-3.jpg ・そんなことを読んでいるときに、ライ・クーダーとチーフタンズがメキシコに及んだアイリッシュの音楽をテーマにしたアルバム”San Patricio”を知った。メキシカンでもありアイリッシュでもある、そんな不思議なアルバムだが、内容はアメリカとメキシコ(米墨)の戦争(1846)でメキシコ軍に参加してアメリカと闘ったアイルランド人が登場しているようだ。アラモの砦はこの戦争の発端になった戦い(1836)のアメリカ側の陣地だから、アイルランド移民は、両軍に別れて闘ったことになる。ちなみに、この戦争に負けたメキシコはテキサスからカリフォルニアまでを失った。

・アルバムには90歳を越えたチャベラ・バルガスが登場して歌っている。息切れをして裏声になるところもあるが、"Luz De Luna"はDVDにもあってなかなかいい。他にもリラ・ダウンズ、リンダ・ロンシュタット、それにエンヤの姉のモイヤ・ブレナンなど、参加者も多彩で聞き応えがある。それにしても、ライ・クーダーはいい仕事をしていると思う。

2010年4月12日月曜日

メディアの信頼度

・電通総研がしたメディア信頼度についての調査によれば、日本人の72.5%が新聞や雑誌を信頼しているという。この数字だけでは特に気になることではないかもしれない。しかし、同じ調査結果を他国と比較してみると、その違いに驚いてしまう。つまり、メディアの信頼度はアメリカでは 23.4%、ドイツが28.6%、フランスが38.1%で、イギリスではわずかに12.9%しかないからである。この違いを、どう理解したらいいのだろうか。

・日本人のメディアへの信頼度の高さは、たとえば、民主党の支持率が昨年の衆議院選挙前に急上昇して自民党の惨敗を招いたことや、最近の鳩山政権や民主党の支持率の急落をみればあきらかだろう。世論はメディアの思うままに操作されていると言えばそれまでだが、しかし、こんな結果になるのは、そのメディア自体がまた、世論の動向に左右されているからで、そのことが、ことの表層にばかり注目して、本質を見失う結果をもたらしているのである。

・普天間基地をどうするかが鳩山政権の浮沈を大きく左右する課題だと言われている。沖縄が半世紀以上にわたって担ってきた負担をどうしたら軽減できるか。一番の目標はここにあるはずなのに、この点を議論の中心におこうとするメディアはほとんどない。本土にある既存の基地への移転のニュースが流れると、即座に「断固反対!」という声明が出されるが、そこには、沖縄が負ってきた犠牲をどうするかといった発想は見られない。そもそも米軍基地がなぜこれほどの規模で必要なのかといった議論も含めて、一から考え直してみようとする余地がまったく生まれないのはどうしてなのだろうか。

・疑問点はまだまだいくらでもある。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を与えられたのは、「非核三原則」が大きな理由だった。自民党政権はずっと、「非核三原則」の遵守を言い続けてきたのだが、それが嘘であることが明らかになったのである。しかも、残しておくべき機密文書の多くが見つからないのだという。メディアはこのことをなぜ、大きな問題にしようとしないのだろうか。

・本質ではなく表層をおもしろおかしく揶揄し、こき下ろし、嘲笑する。その特徴が顕著なのは週刊誌だろう、、新聞に載る週刊誌の広告には、毎週、民主党政権の駄目さ加減と、今すぐ転覆するかのような見出しが列挙されている。そんな「空気」にうんざりしていたのだが、「週刊朝日」の「「民主党チェンジ、じわり進んでいる」という見出しに「へえー」という思いを感じた。

・半年経ってもできないことではなく、できたことに注目してみる。自民党と変わらないことにではなく、変わったことを評価する。半世紀も続いた政権が代わったからといって、すぐに何でも変わるわけではない。そんな当たり前のことを、当たり前に主張することが、きわめて新鮮に感じられた。

・米軍基地や巨額な借金財政をどうするかといった問題は、その解決の道を、時間をかけて少しずつ模索していくほかはないことである。週刊誌は、そんなことにはお構いなしに、目先の売り上げばかりを考えるし、テレビは視聴率を上げることしか眼中にない。そんなメディアを国民の4人に3人が信頼しているというのは、国民もまた、自分の目先の利害を離れたことには無関心で無責任だということになる。

・メディアを信頼しないというのは、即、不信感をもっているということとは違う。それは、信頼できるかどうかをその都度自分なりに判断する批判的な態度で接触していることを意味している。メディアに対する72.5%という信頼度に見られるのは、何より、個々人が持つべき批判精神の欠如なのだろうと思う。メディアへの信頼度は個々のメディア、その都度の情報や、出来事に対する姿勢に対して、それぞれ判断すべきことなのである。

2010年4月5日月曜日

トニー・ガトリフの映画

・トニー・ガトリフは一貫してロマをテーマにした映画を作ってきた。母親がロマ人という自らの「アイデンティティ」と、迫害を受け続け、無視されてきたロマの歴史と現状を物語にしている。そのうちの何本かをDVDで購入した。

tony1.jpg ・『ガッチョ・ディーロ』は1997年につくられている。題名はロマ語で「愚かなよそ者」という意味で、死んだ父が追い求めたロマの音楽をさがしてルーマニアを旅するフランス人青年の話である。雪道を歩いてたどり着いた村で、ロマの老人に出会い、そこで酒を飲んで、家に泊めてもらうのだが、最初はうさんくさいよそ者として怪しまれながら、少しずつ中に溶けこんでいく。受け入れてもらうために何より必要なのは、ロマのことばを覚えて使うことで、その相手は好奇心旺盛で彼のまわりに集まってくる子どもたちだった。
・老人はバイオリンの名手で、彼が率いる村の楽団はブカレストのレストランや結婚式に呼ばれて演奏をして現金を稼いでいる。そんなふうにして受けいられている反面で、ロマは嫌われ、差別もされている。老人の息子は不当な罪で投獄されていて、老人はそのことを繰りかえし怒り、また悲しむ。その息子は数ヶ月後に出所するが、酒場で投獄の原因になった村人たちに暴力を働いて、逆にロマの集落を焼かれ、殺されてしまう。
・登場人物のうち俳優は主人公の青年を演じるロマン・デュリスだけだ。彼と恋仲になるダンサー(ローナ・ハートナー)はロマの歌手だし、老人はガトリフがたまたま現地で見つけたバイオリン弾きだ。そんな人たちによって展開される物語が、まるで名優たちの演技のようにリアルに伝わってくる。噂話や猥談に花を咲かせる女たちや男たち、そして誰より登場する子どもたちの様子は、まるでドキュメントのように自然だ。

tony2.jpg ・ロマはインド西部から中近東を経てヨーロッパに移動し、各地でその地の音楽に独特の味つけをして発展させた人たちだ。ガトリフが映画のテーマにするのはそんなさまざまな音楽で、『ベンゴ』(2000)はスペインとフラメンコが主題になっているし、最新作の『トランシルバニア』(2006)が描くのはヴァルカン半島のロマと音楽だ。もちろん、音楽はそれぞれに違い、踊りもまた多様だが、映画を続けてみると、そこにはまた変わらないロマの特徴も感じられてくる。ガトリフの作品には千年に及ぶロマの旅を描いた『ラッチョ・ドローム』(1992)があり、ここでは、迫害を受けながらも、各地の音楽や踊りに欠かせない存在となったことが力説されている。けれどもまた、ロマはそれぞれの地でもロマとして独立し、けっして溶けこもうとはしてこなかったのである。

gypsy3.jpg ・もう一本、ジャスミン・デラルの『ジプシー・キャラバン』は、各地のロマが一緒になってアメリカを演奏旅行したドキュメントだ。スペイン、ルーマニア、マケドニア、インドから5つのバンドが参加したツアーはアメリカやカナダで大絶賛を受けるが、出演者たちの間には、共通性よりは互いの違いに対する違和感の方が強く出てしまう。インドの演奏や踊りに顔をしかめ首を振るフラメンコのダンサーなどの様子は、ロマ同士の間にはほとんど何の繋がりもない現状が浮かびあがってきて、興味深かった。
・もちろん、6週間に及ぶ講演旅行の間には、互いの間にある違いをこえた一体感が生まれてくる。ロマの血を引く人たちは、ヨーロッパに 600万から900万人、アメリカにも100万人と言われている。統計には出てこない人や混血をして溶けこんだ人などを加えれば、その数ははるかに多いようだ。そして、その人たちをつなげるルートや組織は、今のところほとんどない。