2022年4月25日月曜日

SNSは誰のものか

 
Twitterの株をテスラ社CEOのイーロン・マスクが買い占めて、買収を提案したようだ。Twitter社は拒否したからマスクは敵対的買収に乗り出すと言われている。その目的はTwitterをもっと自由な表現の場にして、「世界各地で言論の自由のためのプラットフォームになる可能性」を実現させることだとしている。もっともらしい言い分だが、どこまで信じられるだろうか。彼はこれまで表現や言論についてほとんど発言をしてこなかった人である。ただし彼の発言は主としてTwitterでなされてきたから、不満を感じていたのだろう。

Twitterのアクティブユーザーは2億人程度だから、20億人も持つFacebookやYouTubeに比べたら、規模の小さなものである。時価総額でもFacebookやInstagramを有するメタ・プラットフォームズ社の約70兆円の一割以下の約5兆円でしかない。ただし、Twitterには影響力のある政治家やジャーナリスト,あるいは学者の発言の場という性格があって、国内はもちろん,世界的に世論を動かす力にもなっている。トランプ前アメリカ大統領は,自らの政策をまずTwitterで発表したりもしていたのである。

そのトランプは現在Twitterを追放されているが、マスクはトランプと懇意だというから、表現の自由を理由に,復帰を認めさせるかもしれない。制限を大幅に緩和して、誤報もフェイクも差別発言もありということになれば、Twitterの信頼感は地に落ちるということになりかねない。

もっともマスクの資産の多くはテスラ社の株だから、それを売らなければツイッターを買収する資金は得られないようだ。現実的には無理なことを,話題作りにぶち上げただけだと批判する人もいる。あるいは仮に、時価より高い買収提示額で買おうとしても、Twitter社の株主は,容易には売らないだろうとも言われている。Twitterをマネーゲームに巻き込むことで,かえって大きな反感を買うことになるかもしれないのである。

個人が友達の輪を広げるために使うFacebookや、高収入を得ることを目的にした人が活躍するYouTubeには巨額の広告収入が得られるメリットがある。しかし言論の場という性格が強いTwitterは広告も少ないから、経営的に決して儲かる会社ではない。実際これまでに倒産の危機を迎えたこともあった。その意味では。世界的に重要なメディアになっても、常に収入確保に苦心しているWikipediaと似たものだと言えるかもしれない。

僕は時折やってくるWikipediaの要請に応えて少額の寄付をしている。スポンサーや広告収入に頼らずに,非営利の財団を作って運営しているものを利用するからには,それなりの対価を払うのが当然だと思うからである。すでに世界中の人が利用して,政治や経済,そして社会に大きな影響を持つ場になったTwitterも、個人が所有するものではなく、利用者の代表によって管理運営されるべきものになっていると思う。もちろんその仕方は世界共通のものではなく、国ごとに異なるものになる。そんな面倒なことにいちいちつきあうほどイーロン・マスクは暇ではないはずである。


P.S.Twitter社が一転,イーロン・マスクの買収提案を受け入れたようだ。一部の大株主の意向のようだが、すべて買い占めるのに年内はかかると言う。世界的な言論の場が一人の所有物になったらどうなるか。株主の中には,このTwitterの持つ社会的・政治的意味を考えて,高値だって売らないという人がいないのだろうか。 

2022年4月18日月曜日

見田宗介の仕事

 

見田宗介さんが亡くなった。一度もお会いすることはなかったが、若い頃から大きな影響を受けた人だった。だから当然、訃報に接して、彼の著書を読んだ時に驚いたり納得した様子がよみがえってきた。

僕が最初に読んだのは『価値意識の理論』(弘文堂、1966)だった。修士論文を書いていて、「価値」について整理された本はないかと思って見つけたものだった。何をどう引用したのかは覚えていないが、「まえがき」に、これが彼の修士論文だったと書いてあって、驚いたことを良く覚えている。社会学を勉強しはじめたばかりの僕にとって、社会科学や人文科学の理論や学説を網羅させて、うまく整理された精緻な文章を同年令の人が書いたというのは、とても信じられることではなかった。ちなみにこの本は400頁もある大著だった。

見田宗介には真木悠介という名で書いたものもある。そのことに気づいたのは『展望』(筑摩書房)という当時定期購読していた雑誌に載った「気流のなる音」という題名の連載だった。カルロス・カスタネダの『呪術/ドン・ファンの教え』(二見書房、1972)を取り上げてコミューン論を展開したものだが、たまたま僕も夢中になって読んでいた本だった。

内容はメキシコのヤキ族の呪術師ドン・ファンが弟子入りしたカルロス・カスタネダにさまざまな薬草を使いながら、ヤキ族の生き方や世界観を伝授するといったもので、四部作で構成されていた。僕は、特殊なキノコやサボテンがもたらす世界や、それによって起こる意識変革にばかり興味を持ったが、「気流のなる音」は山岸会や紫陽花村といった日本のコミューンの分析に当てはめていて、ここでも、その視点の見事さに圧倒されるばかりだった。

僕が大学院に行って勉強したいと思ったのは、フォークソングやロック音楽に興味を持っていて、将来的にはそれを研究テーマにしたいと思ったからだった。それをどうやって社会学の研究対象として分析するか。どうしたらいいかわからないまま放っておいて、本格的に始めたのは「カルチュラル・スタディーズ」に出会った1990年代の中頃のことだった。しかし、その前に『近代日本の心情の歴史――流行歌の社会心理史』( 講談社、1967)は読んでいて、その時にも同じような分析が日本の流行歌ではなく、ロックやフォークでもできるはずだと思わせてくれた。

他にも印象に残る彼の著作は少なくない。連続射殺犯として死刑に処された永山則男が獄中に書いた『無恥の涙』を元にした「まなざしの地獄」(展望、1973 後に『無恥の涙――尽きなく生きることの社会学』河出書房新社、2008)や『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』( 岩波書店、1984)、あるいは『白いお城と花咲く野原 -現代日本の思想の全景』 (朝日新聞社、1987)や『自我の起原 ――愛とエゴイズムの動物社会学』 (岩波書店、1993)等がある。社会や世界、そして人間の現在や未来に対する観察や思考は最近まで続けられていて、このコラムでも『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書、2006)や『現代社会はどこに向かうか――高原の見晴らしを切り開くこと』 (岩波新書、2018)を取り上げた。

このコラムを書くために、何冊かを改めて確認した。この際だから見田宗介(真木悠介)さんが残した著作をもう一度読み直してみようか。そう思ったのは、鶴見俊輔さんが亡くなった時以来のことだった。

2022年4月11日月曜日

Stingの新譜 "The Bridge" と 'Russians'

 
sting1.jpg"スティングの新譜は5年ぶりだ。前作の『57th & 9th』はニューヨークの通り名をタイトルにしたもので、久しぶりにロックのアルバムだった。『The Bridge』のサウンドにはバラエティがある。すべての歌が新しく作られたもののようだが、何かに似ていると感じさせるものが少なくない。もちろんどれもスティングらしくてなかなかいい。

『The Bridge』はコロナ禍のなかでリモートによるセッションで作られたという。会議や講義だけでなく、レコーディングもリモートでできるのかと、再認識させられた。離れたままの人たちを繋ぐ「橋」という発想が生まれたのは、そんな作業の中からだったのだろうか。離れたところにいて、一つの曲、一つのアルバム作りをする。そんなふうにしてできた「橋」には次のようなフレーズがある。

あそこに橋があると言う人がいる
霧の中のあそこだと
嘘だと言う人もいるし
あるはずがないと言う人もいる
………
しかし橋は心の奥深くにある
………
門を開けて渡ることのできる橋を架けよう
メイン・テーマは「橋」のようだが、曲としては「愛」と名のついたものが3つある。愛することの難しさが物語られているが、それは男女の恋愛にかぎらず、コロナ禍の分断はもちろん、荒んだ町に対するものであったり、国境におけるものだったりする。「愛」は離れたものを繋ぐ「橋」になるが、また繋がりを壊す凶器にもなる。人は分離されていると感じれば、それを結ぶ「橋」をかけたがるが、繋がっているものを分断させたりもする。「橋」はそんな人間の心理を喩えるものとして良く使われてきたが、今はまさに、そのことが切実に語られる時代なのかもしれない。

ロシアのウクライナ侵略で、とんでもない蛮行が繰り返されている。子どもたちが避難する劇場や、人びとが集まる駅にミサイルやクラスター爆弾が撃ち込まれたり、民間人への拷問や虐殺が多数報道されたりするのに直面すると、戦争がいかに人間を狂気に陥らせるかを改めて実感させられる。プーチンはウクライナのネオナチが、ウクライナに住むロシア人を殺してきたからだというが、そんな理由は、決して正当化できるものではない。独立した国であるウクライナを「大ロシア」として統合したいという野望は、悪魔の夢想でしかない。スティングはそんな思いを込めて、デビュー時に作った 'Russians' を歌って、YouTubeに公開した。
ロシア人だって子どもを愛すると思いたい
そういう私を信じて欲しい
私やあなた、私たちを救うのは
ロシア人もまた、子ども愛しているかどうかにかかっている
米ソの冷戦時代の対立を批判して1985年作られた歌だが、世界中の人たちが抱く思いを直接訴えることばだと思う。

2022年4月4日月曜日

円の凋落に思う

・円のドルレートが125円になった。それ自体は6年ぶりのことのようだが、1月に「実質実効為替レート」が1972年以来の低水準になったと発表されたのにはちょっと驚いた。つまり円安にあわせて、物価の低迷や賃金の停滞、さらには原油などの国際商品価格の高騰が重なった結果として、円の価値は実質的には半世紀前に戻ったというのである。ここにはさらに、ロシアのウクライナ侵攻による影響もつけ加えなければならない。これまでは国際的な緊張が起こった時には円高が当たり前だったのに、侵攻以降に円は急落したのである。日本の経済的凋落がいよいよ顕著になったわけだが、70年以上生きてきた者としては、円の価値の推移を見直しながら、自分の歴史を振りかえりたくなった。

 ・第二次大戦後に1ドル360円と固定された円が変動相場制に移行したのは1973年だった。戦後の50年代はアメリカが好景気に沸いた時代で、テレビで見るアメリカの生活は、日本人にとってまさに憧れになった。それが60年代になると、「三種の神器」と呼ばれたテレビと洗濯機、冷蔵庫が普及し、やがてカラーテレビとクーラー、そしてカーが「3C」とか「新三種の神器」と呼ばれて人びとの手に入るようになった。

 ・僕はその一つ一つを思い出すことができる。テレビが初めてわが家にきた時のこと、洗濯機や掃除機の形、あるいは家具調のカラーテレビや中古だった日産のサニーで初めて運転をしたこと等々である。それはもちろん家を離れて自立した後も続いていて、テレビを録画するソニーのBETAやビデオカメラ、最初のワープロ、パソコン、そしてバイクやスバルのクルマなど、あげたらきりがないほどである。当然だが、そのほとんどが日本製で、日本人の生活を大きく変えたと同時に、輸出品として、日本の経済成長に貢献した。

 ・対照的にアメリカは60年代になるとヴェトナム戦争や貿易収支の影響で経済が悪化し、70年代になるとドルの価値が下がりはじめた。いわゆる「ニクソン・ショック」で、変動相場制に移行すると円は300円から200円台に急上昇した。オイルショックなどで70年代から80年代にかけて200円台で推移した円は、85年の「プラザ合意」をきっかけにして円高に転じ100円台の前半になった。バブル景気に沸き立った時期はもちろん、それ以降も円高は続き、1995年には79円にまで上がった。それが輸出を鈍らせ、企業の海外生産を加速化させたのだが、円は100円前後で推移し続けた。

 ・民主党政権の時代に79円になった円が100円になり110円になったのは安倍政権の円安誘導政策によると言われている。「アベノミクス」で日本の経済力を回復させると豪語した政策だが、その間に日本人の賃金は停滞し、金利が0になって貯蓄しても利子がつかなくなった。輸出の目玉だった家電メーカーが次々傾きはじめたのもここ10年のことである。現在輸出を支えているのは自動車だが、EVの開発が遅れていて、数年後には家電メーカーと同じ道を歩むことになると危惧されている。

 ・日本はすでに輸入超過国になっている。だから半世紀前に戻ったと言っても、日の出の勢いだった70年代前半と現在では、その置かれた立場はずいぶん違う。それはまさに日没の状態で、もうすぐ夜になってしまうのではといった不安も感じてしまう。こんなふうに見ていると、戦後の日本の盛衰は、まさに自分の人生そのものと一緒だったと気づかされる。退職してコロナ禍もあって、毎日静かに暮らしているが、日本自体も無駄遣いなどせず、地道に生きる道を探るべきなのではと改めて思った。