2002年1月28日月曜日

「はるかなる音楽の道」

 

・NHKがハイビジョンで音楽の源流をたどる番組を3日連続で放送した。1日目は「ジプシーとバイオリン」、2日目が「ポルトガルとギター」、そして3日目は「ロックとアイルランド」。2時間ずつの意欲作だったが、とりわけ1日目の「ジプシー」がおもしろかった。
・「ジプシー」は放浪の民としてよく使われることばだ。「ジプシー選手」(いくつものチームを渡り歩く)等といった言い方もあるが、このことばには、旅や異郷といったロマンチックな気持ちを感じさせるはたらきもある。しかし、ジプシーと呼ばれる人たちが、今でもいるのか、いるとしたらどこに、といったことは、案外知られていない。ぼくも何となくスペインや東欧を連想するぐらいで、それ以上のことはほとんど知らなかった。
・ジプシーはロマと呼ばれ、現在ではルーマニアとハンガリーに住む民族だ。相変わらずの旅生活をしている人もいるが、その数は少ないし、移動もルーマニア国内に限られている。生活の糧は、ナベをつくって売り歩くことと冠婚葬祭での楽士。「番組」は、バイオリンなどの楽器を独特の手法で操る人をさがしてルーマニアとハンガリーを巡る。

・ロマはもともとはインドにいた。それが、追われるようにして西に移動する。1200年も前の話だ。今のパキスタン、アフガニスタン、イランを通ってトルコへ、そこからヨーロッパに入り、ハンガリーやルーマニアからロシア、あるいはバルカン半島、またアフリカの地球海沿岸を通ってスペインに移動する。もちろん数百年をかけてたどった道のりの話だ。
・何よりおもしろいのは、彼らが移動した先で、新しい音楽をつくりだしていることだ。たとえば、イスラムの世界ではコラーンを読む独特の音色、トルコのベリーダンスの音楽、そしてスペインのフラメンコ。それぞれに共通するものは特にない。そこのところが意外な気がしたが、またロマの境遇を如実に表しているとも思った。
・放浪の民は定住民のなかでは異物扱いされる。蔑まれ、忌み嫌われる。外からの侵入者であり、異様な風体と生活習慣をもつ者だからだ。だからロマは定住者と距離をもって生きることになる。一カ所に落ち着かず、時折やってくる人たち。で、接点は音楽。ロマは、冠婚葬祭に呼ばれて、その土地の音楽を奏で、踊りの伴奏を受け持つ。自分たちの音楽ではなく、定住者たちのものを、後ろで目立たずに背景のように演奏して、それで、存在を認めてもらう。「非在の存在」。だから彼らには、自分の音楽を公にする機会はない。

・ルーマニアとハンガリーの国境に住むロマは、ルーマニア人に頼まれればルーマニアの音楽、ハンガリー人に頼まれればハンガリーの音楽をやる。国境が頻繁に変わった歴史をもつこの地方には、二つの国民、民族が混在している。ロマはどちらにも等距離を取って、排除されないように心がけて生きてきた。しかし、差別や弾圧がくりかえされて、多くの人が殺されるという経験もしてきている。ナチはユダヤ人と同様にロマも強制収容所に送り込んで大量殺戮をしたのだが、その理由は、乞食のような生きるに価しない民族という理由だったらしい。そしてユダヤ人とちがって、そのことで一言の謝罪もされていないし、賠償金ももらっていない。
・そんなほとんど無視された「非在の存在」としての民は、しかし音楽のなかに大きな足跡を残した。ロマはなぜ音楽の民になったのか。番組ではそこまで掘り下げなかったが、興味深い疑問だと思った。もともと音楽に秀でていたのか、あるいは流浪という生活スタイルに音楽が不可欠だったからなのか、それとも、定住者に存在を認めてもらうための術としてだったのだろうか。興味は尽きない気がした。

・2日目は大航海時代にインドをめざしたポルトガルの船が世界各地に残したギターの話。こちらの移動はインドにむかい、侵略という結果をもたらした。ブラジル、インドネシア、台湾、あるいはハワイ。そこで「ギター」はそれぞれ、「カバティーニョ」や「ウクレレ」といった楽器に変形して、サンバやクロンチョン、あるいはハワイアンといった独特の音楽をうみだした。
・そして3日目がアイルランドとアメリカ移住者がもちこんだ音楽。これは目新しい話ではないし、ロンクンロールの源流に無理にこじつけようとしているところが気になった。案内人のデーモン小暮も、前の二日とはちがって違和感のある人選のような気がした。しかし大きなテーマには3日間を通して共通するものがあった。

・20世紀のポピュラー音楽が黒人のブルースとアイルランドの音楽を土台にしていることは当然で、移民と奴隷という、やはり移動する人が主人公になっている。音楽は民族の象徴ともいえる特徴をそれぞれにもつが、また、異なるものとの交流によって変容し、豊かになる。1000年を越えるジプシーの放浪と音楽、大航海時代から近代化のなかでうまれた音楽、そして20世紀の戦争とテクノロジーの時代にうまれた音楽。民族の移動、侵略、奴隷。それによってうまれた異文化との交流が、やがて、その地に独自な文化をつくりだす。音楽を通して見えてくる世界はけっして文化や芸術といった狭いものにとどまらない。

2002年1月21日月曜日

HPの感想から

  • ぼくはこのHPを再編集して印刷物にしている。最初からずっとつづけていて、暮れにその8号目をだした。発行部数は今回は30部だったが、少ないときには15ということもあって、ごくかぎられた人にしか読まれていない。二度手間で面倒に思うこともあるが、いつも必ず感想をくださる熱心な読者もいる。
  • 印刷物にした理由は、はじめのころは、読んでほしい人の多くがパソコンをつかわなかったからだ。だから、1号目は60部ほど作ったのだが、少しずつ減ってきて、今では、必ず送る人は10人にも満たない。しかし、その人たちからは必ず、ていねいな返事が返ってくる。反応があれば、次も出そうという気になる。表現したものは誰かに受けとめられ、投げかえされてきて、はじめて生きたものになる。この印刷物には毎回ていねいな返事をくださる、少なくとも3人のありがたい読者がいる。いずれもぼくにとっては大先輩の仲村祥一さん、池井望さん、そして小関三平さんだ。
  • 今回は、そのありがたい感想を紹介しようと思う。
    『珈琲をもう一杯』ありがとうございました。さっそく読ませていただきました。渡辺さんの暮らしぶりがかなり鮮明に浮かんできて、そうかそうか、そうだろうな、大変だろうな、それでも楽しそうだなとか、ボブ・ディラン、ブルース・ウィリス、むささび、カヤックなど、これまでの号以上に充実した気持ちで読ませてもらいました。私も若いときは船の櫓を漕いで、道頓堀側を四つ橋まで行ったりしたことを想い出しました。そちらはもう雪でしょうね。くれぐれもお大切に。(S.N.)
    『珈琲をもう一杯』VOL.8 ありがたく拝受。やっと校務終わりゆっくり拝読しました。なんだかガッコーは忙しそうですね。(が、その反動でますます湖畔生活に「引きこもる」というなら、これぞまさしく「現代的」ナノダ!)大兄はマルチプルというよりは、現代を「全人的」に生きておられます。(結局、人工と自然を往復する両義性にしか道はニャ〜い!)桐田さんとか庭田さんとか、オモシロそうな人たちを友とされてきたこと、初めて知りました。オースターなる作家もオモシロそう。木工作品のフォトでは一番上の右2本と一番下の右から2、3番目に目を惹かれます。御尊父に倣ってパソコンごっこするのはフリーターになってからのつもりですが、そのうち縫いぐるみでマラソンに加わり、ムサちゃんの空き巣に潜り込むかもよ!(S.K.)
    本日は「珈琲」を有難うございました。今度は何時もより、分量も中味も濃そうで、楽しみながら拝読させていただきます。「今頃メール?」と渡辺さんに笑われそうですが、スポーツの編集会議や理事会で、私だけファックスという御迷惑は………と思い、ついにアナクロじじいも参加いたしました。拝読の感想は、後日、御送り申し上げます。
    やりかけの翻訳仕事すべて済みましたので、「珈琲」完全に頂きました。NTT撲滅も、ジャンクメールも、むささびも、ソローも、カヤックも、興味深いことばかりでした。特にコンピューター関係の個人的な御経験情報は、私にとって、どんな雑誌でも読めない貴重なものでした。なお、御尊父のインターネットも、大変おもしろく拝読しました。思えば、私も全く同じ、なんとか寿(あまり聴きたくない言葉)でしたから。(N.I.)
  • こういう反応は本当にありがたい。さっそく小関さんには気に入っていただいた木工品をお送りした。そうするとすぐ、ファックスでのマンガ入り礼状。まったくまめな方ナノだ。池井さんにはメールのファイル添付やウィルス対策などについて返事をお書きした。彼はジジイに似合わずトヨタのスープラを乗り回す暴走老人なのだが、ぼくがスピード違反で捕まった時の報告についてもすぐ反応して、レーダー察知商品の情報を知らせてくれた。あまり熱心に勧めるから、さっそく購入して、走るときには必ずスイッチ・オンにしている。おかげで安心してすっ飛ばせる?から感謝、感謝である。
  • 仲村さんは本当に律儀な人だ。必ずすぐに、手書きの手紙が返ってくる。個性的な字で、いつも判読で頭や首を傾げるが、文面からは、きっちり読んでもらっていることがよくわかる。彼にも木工品を送りたいのだが、「わしゃいらん!」などといわれそうだから、意思表示があるまでは我慢しておこうと思っている。
  • 実はもう一人、貴重な読者がいる。香内三郎さん。東経大の同僚だが、この3月で退職される。この文章が載る1月21日に「最終講義」がある。わずか3年間だったが、一緒に仕事ができて良かったと思っている。ほかの3人もふくめて、ぼくはいい先輩たちにめぐまれているとつくづく感じる。それだけに、『珈琲をもう一杯』のプリント版は、これからも出し続けるが、それ以上に、来たものにはきちんと反応する。そういうところは見習わなければ、といつも反省している。
  • 2002年1月13日日曜日

    Travis"The Invisible Band" "Good Feeling" "The Man Who",Stereophonics "Just Enough Education to Perform"

     

    travis1.jpeg・去年の『フジ・ロック』に行った息子から「Travisi知ってるか?いいよ、親父気にいると思うよ」と言われた。Travisは聴いたことがない。「知らないな」と言って、たいした関心も示さないでいると、「『レディへ』好きなんやろ、だったら気にいると思うわ」とさらに勧めてきた。息子は確か、ちょっと前までヘヴィメタ好きだったはずで、部屋から聞こえてくる音は、ぼくには気に入らないものが多かった。「もうちょっとましなもの聴けよ」などと言っても、全然耳を貸さなかったし、リビング・ルームにあるぼくのCDにもほとんど関心を示さなかった。どうやら音楽の好みが変わってきたようだ。そんな気がした。実は変わってきたなと感じたのはそれだけではない。


    ・子供たちと離れて暮らすようになってもうすぐ2年になる。兄弟仲が良くなかったから、別れるときに、強制的に2人暮らしをさせた。一緒に暮らしているときは、お互いまったく無視という状態だったから、このままではいけないと感じた。抵抗されたが、2人が別々に暮らせるほどの援助をする気はない。渋々納得しての新生活だった。


    ・そうなると、当然、長男が戸主になるわけで、さまざまな手続きなどに責任を持たなければならないし、親からの仕送りの負担も気になりはじめたようだ。次男の相変わらずの甘ったれぶりを見ると、お互い責任分担をしてとは言うけれども、自覚のちがいは歴然としている。そんなところが、音楽や映画の好み等にもあらわれはじめている。これはおもしろいな、と思った。

    travis2.jpeg・ Travisのデビューは97年で、一年おきにアルバムを発表して、いままで3枚。聴いた感じは悪くなかった。静かだし、メロディもいい。何より好感を持ったのは、アコースティック・ギターやバンジョー、あるいはハーモニカなどがつかわれていて、フォークやカントリーの雰囲気が強い点だった。デビュー・アルバム"Good Feeling"の1曲目は"All I want to do is Rock"という題名で「やりたいのはロックだけ/別の日には別のことをやっているかもしれないけれど/今日は、どこにも行かずに、とにかくロック」という内容だ。しかし、サウンドは決してギンギンのロックではない。


    ・Travisはイギリスのバンドだ。ぼくは最近の新しい傾向には疎いから、確かなことはわからないのだが、割と気になっている RadioheadとStereophonicsもやっぱりイギリスで、三つのバンドにはいくつかの共通点があると思った。これが最近の傾向だとすると、アメリカとイギリスのちがいがものすごくはっきりしてきて、

    ぼくの関心は、ますますイギリスに向いてしまうということになる。

    stereophonics3.jpeg・共通点の一つは、まずメロディ重視、これはビートルズ以来の一つの伝統なのかもしれないが、とりわけ特徴的で、なかでもTravisは一番の売り物にしているように感じた。次は、サウンドの工夫。一番はっきりしているのはRadioheadで、これはよくいえば実験的、しかしへたをすると精神錯乱的なごたまぜ。三つのバンドのなかでは「プログレ風」といったところだろう。Stereophonicsはロックだ。一歩間違うと、うるさすぎてぼくには聴けないものになってしまうが、そのぎりぎりのところで、耳を傾けたくなるものになっている。で、Travisはカントリー。これも一歩行き過ぎると単なるイージーなポップという印象を受けかねないが、そうならないところに、うまくとどまっている。


    ・三番目はことば。三つのバンドとも、それほどたいそうなことを唄っているわけではない。ラブソングが多いし、青年期特有の自我やアイデンティティの悩みも多い。しかし、それぞれに、おもしろい表現もあって、ことばを大事にしていることはよくわかる。


    travis3.jpeg ヤー、日記さん/どうしたのって?
    行間では調子いいのにって
    心配ない/助けがむかってるところだ
    文は空に浮いていて、道の途中なんだ
    大丈夫/行間では調子がいいんだから(Travis "Dear Diary")

    ・詳しくふれなかったが、Stereophonicsの新しいアルバム"Just Enough Education to Perform"もなかなかいい。U2のボノほどセクシーではないけれど、ケリー・ジョーンズのハスキーな声は、たぶん若い人のなかでは一番だろう。それを生かす、ちょっと抑えたサウンドになっているのがとっても効果的だと思った。

    2002年1月7日月曜日

    原田達『鶴見俊輔と希望の社会学』 (世界思想社)

     

  • 原田さんとは10年近く、追手門学院大学で同僚としてすごした。この本は、ぼくが『アイデンティティの音楽』を書いていたのと同じ時期に、学部の紀要に一緒に載せていたものが中心になっている。だからまず、何より懐かしい気がした。ぼくは東京経済大学に移り、原田さんも、今は桃山学院大学にいる。ちょっと前に、やっぱり同僚だった田中滋さん(彼は龍谷大学に移籍)に会ったときに、「あのころは楽しかったよな」という話をした。3人とも40歳前後だったから、まだ、青年気分ものこっていて、今よりずっと元気だった。話の合う仲間だったし、ライバルでもあった。それぞれバラバラになってしまったけれども、いい時期にいい時間をすごせたと思っている。そんな原田さんから暮れに本が送られてきた。『鶴見俊輔と希望の社会学』。実は、ぼくにとっては鶴見俊輔はもっと懐かしい人だ。
  • 鶴見俊輔は、ぼくが今いるところに導いたグルのような人だ。最初に彼の文章を読んだのは大学生のころで、その時の感激は今でも忘れない。突然、袋小路に穴があいた感じ、あるいは霧が晴れた感じ。たとえば、「不随意筋の動きを視野に入れた思想」とか「誤解するのは一つの権利だ」といった発想、あるいは「コミュニケーションをディスコミュニケーションとの関係でとらえる」など、目から鱗といった思いをつぎつぎと経験した。こんな読書は、もちろんぼくにとってははじめてのことだった。学生運動が激しい時代で、マルクス主義などのラディカルな思想がもてはやされていたが、ぼくには、頭だけで理解する考え方、それだけで何事もわかったような気持ちになることには、どうしてもなじめなかった。
  • 『鶴見俊輔と希望の社会学』は、そんな鶴見俊輔の発想が、彼の出自と大きく関係していることを丹念に追い求めている。彼の父は明治時代の国会議員で作家だった鶴見祐輔、姉は鶴見和子、そして祖父は後藤新平。いわば、日本の近代化をリードした超エリートの家系である。しかし、彼はそんな自分の境遇に反抗する。中学にも、高校にもろくに行かない少年は、父が用意したアメリカ留学によって大学の学位を取ることになる。そして、太平洋戦争勃発による日本への強制送還。鶴見俊輔はそんな経歴や経験をもとにして、戦後、エリートではなく普通の人びとの立場に立った思想や市民運動の展開をリードするようになる。雑誌『思想の科学』の刊行、あるいはベ平連(ベトナムに平和を市民連合)の運動。この本を読むと、そういった彼の足取りと、心の揺れ動き、自分の拠点の見つけ方等々がよくわかる。
  • 超エリートの家に生まれたことへの反発と大衆への憧れ。それが鶴見俊輔の思想の土台を形づくっている。しかし、そのような思想の形成を可能にしたのは、留学経験や、さまざまなエリートや知識人たちとの交友関係でもある。それを原田さんはブルデューの概念を援用して「社交資本」と名づけている。
  • ところで、鶴見俊輔は相変わらず生産的に仕事を続けているが、ぼくはもう何年もほとんど読んでいない。関心が薄れてしまったのだが、この本を読みながら、その原因は彼の大衆観にあったのかもしれないと感じた。
  • 『鶴見俊輔と希望の社会学』の「希望」は鶴見俊輔が大衆の中に見出そうとするものである。彼は普通の人びとの中に、おもしろいこと、素晴らしいこと、強いことを見つけて、それを驚きのことばで表現する達人だが、それは原田さんによれば、「日本にはかくも驚くべき『人びと』が数多くいたと、あえてネガにはふれずに、大衆のポジを発掘しつづけることで『人びと』の未来に希望をあたえようという戦略………ありうべき誤りや偏見さえもバネにして現状を変化させてゆく『人びと』の未来に、鶴見じしんの希望を託そうとする方法」である。
  • 確かにそうだと思う。そしてこれが、ある時期から、ぼくには素直に共有できなくなったものであることもまちがいない。「ネガをバネにして現状を変える」。それを「希望」として感じるためには、相当の寛容さと辛抱、それに何より絶望しない意志が必要になる。ぼくはこの発想を一面ではまだ大切にしようと思っているけれども、同時に、そうではない部分に嫌気がさして放り投げてしまいたくなってしまう。
  • 20年近く前に京都の市会議員選挙に出る友人を手伝ったことがある。彼は京都ベ平連のシンボル的な存在で、鶴見さんも参加した。さまざまな立場の人がかかわったこともあって、選挙活動は途中で何度も分解しかかった。当然、当選しなかったが、その反省会の席で、候補者に対する批判が噴出した。実はぼくも、彼の優柔不断さ、いい加減さ、鈍感さに腹が立って、もうほとんど愛想づかしをしていた。しかし鶴見さんは、それでも彼を信じるといった。「彼には恩義がありますから」と。ぼくの鶴見俊輔に対する共感は、たぶん、その時から少しずつ薄れはじめたようだ。
  • ネガをバネにすることは、ネガを不問にふすこととはちがう。そしてネガを不問にする関係は、なあなあの仲間意識をつくりやすい。「恩義」というのは、そういう曖昧な関係の支えになりやすい感情だと思う。友人は4年後に政党の公認で当選し、現在でも市会議員を勤めている。ぼくは、あのとき以来彼とはほとんどつきあいがない。
  • 最後に疑問点を少々。たぶん、ぼくよりもっとイラチな原田さんが、このような「希望」でこの本を締めくくっているのに、ちょっと意外な印象をもった。それに何より、原田さんが鶴見俊輔に興味をもつこと自体、ぼくにはしっくりこないところがあって、その点を書いて欲しいと思った。鶴見俊輔という人間(モンスター)を裸にするのなら、なぜそうするのか、そうしたいのか、そうしたい自分自身は一体どういう人間で、どこにいるのか。
  • 誰かを俎上に載せながら、そこに自分自身を投影させる。鶴見俊輔はそういう「仮託の人」だという。そうであれば、その鶴見俊輔を語りながら自分を語る、そういう側面があってもよかったと思う。もっとも、これはもちろん、ぼくの勝手な、個人的興味や好奇心にすぎないのかもしれない。いずれにしても鶴見俊輔に関心のある人の必読書であることはまちがいない。
  • 2002年1月1日火曜日

    新年のご挨拶




    あけましておめでとうございます
    今年もこのHPをよろしくご贔屓くださるよう、お願いいたします
    おかげさまで、HPは6年目を迎えました
    もっとも、東経大に移籍して新装開店してからでは
    3年近くということになります
    アクセス数はもうすぐ7万、この1年では3万弱でした
    愛読者の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです
    これからも、レビュー、あるいは時事や生活についてのエッセイを
    毎週、掲載していくつもりです

    ところで、そんなご愛顧に励まされたおかげで
    掲載本数は約270本、文字数は55万字をこえました
    本にしたらたっぷり3冊はあるボリュームになります
    そこで、より読みやすく、調べやすくするために
    すべてのページから必要なこと、関心のあることを検索できるよう
    紙面の工夫をするつもりです
    冬休み中にと思いましたが
    翻訳に集中していて、時間がとれませんでした

    その『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』ですが
    これも近々、その内容を紹介するページを掲載する予定です