1998年2月27日金曜日

北山の春



  •  大津市坂下
    • 京都の大原から通称鯖街道を北上してトンネルをいくつか抜けると坂下という小さな集落がある。そこに住んでいる陶芸家の筒井さんを訪ねた。両側に山が迫る谷間で、いつもならまだ雪に覆われている時期なのに、今年はもう春の気配。安曇川の川辺にはネコヤナギが綿帽子をいっぱいつけていた。
    • 彼の住む家の近くにある家はすべてが空き家。みんな京都市内に移り住んでしまったそうだ。以前は狭くてクルマのすれ違いも難しい道だったが、今ではトンネルができて様変わり。しかし、村人はかえって住み慣れた土地から離れ、工事のために蛍も魚もいなくなったそうである。とは言え、猿や鹿や狸が出没する里であることは変わらないようだ。彼はここに独りで住んでいる。

  • 1998年2月13日金曜日

    『フル・モンティ』(1997)

     ぼくは大学の教員だから、わりと好き勝手なことやっていても、とやかく言われることはあまりない。ほとんど自由業のようなつもりでいるのだが、給料をもらって生計を立てているサラリーマンであることに変わりはない。だとすると、失業の危険だって常につきまとうはずである。最近の証券会社や銀行の倒産はもちろんだが、18歳人口の減少で大学が冬の時代を迎えることはずいぶん前から言われてきた。


    ぼくは能天気にも、こんなことをほとんど他人事のように考えてきた。そして、最近になって急に、否応なしに現実味をもって感じさせられるようになった。大学の生き残りのために考えさせられたり働かされたりすることが増えてきたが、それにもかかわらず受験生は確実に減りつづけている。


    で、ときどき、失業したら、ぼくには一体何ができるんだろう?どこが雇ってくれるんだろうなどと考える。もちろん考えはじめてすぐわかるのは、その可能性の少なさである。ぞっとして、二度と考えたくはないと思ってしまう。間違っても、『フル・モンティ』の登場人物たちのような目には遭いたくはない。この映画を見ての第一印象はそれだった。


    "Full Monty" とは全裸という意味のスラングである。この映画はつまり、男たちがストリップをやる話なのだ。イギリスのシェフィールドはマンチェスターやリバプールに近い鉄鋼の町。登場人物たちはそこの鉄工所に勤めていたのだが、半年前に解雇されてしまっている。金がない、借金はある。時間を持て余す毎日、パートでなら職もないことはないが、今さらそんな仕事をする気にもならない。子供に威厳を示せない父親、そして離婚の危機。当然、パート仕事をする女たちの方が金回りがよくて勢いもある。


    町にやってきた男たちのストリップ・ショーに女たちが嬌声をあげる。男たちはますますいじけるが、主人公のガズはこれで金儲けをと考える。メンバーはインポテンツのデブと気位の高い上司、自殺し損なったマザコンに、巨根だけが自慢のリズム音痴、それに薬中毒の初老の黒人。


    話はしごく単純、それなりに深刻で切実なのだが、思わず笑ってしまう。笑いながら、他人事ではすまされない。火の消えた鉄工所での踊りの練習が見つかって、全員が警察に捕まってしまう。ラジカセで音楽の担当をしていたのはガズの9歳になる息子だった。新聞が鉄鋼野郎のストリップと大きく報じる。新聞の回収にまわったって焼け石に水。彼らは一躍町の話題になる。そして、最初で最後の一回だけの、スッポンポンのストリップ・ショー。これはまさに、中年過ぎの男たちのアイデンティティをかけた戦いの物語なのである。


    最近、イギリス映画がおもしろい。例えば『トレイン・スポッティング』や『イングリッシュ・ペイシャント』。『トレイン・スポッティング』はやっぱり、職がなくてぶらぶらしている男たちの話だった。ロバート・カーライルは両方に出演しているが、登場人物は全体にもう一世代若かった。いわば、アイデンティティを持てない状況に置かれた若者たちの生態といったところ。そして『フル・モンティ』はアイデンティティの再構築を迫られた男たちの生き様である。


    一人前の人間であるためには、誰もが他人から認められ、信頼される何者かにならなければならない。そのための機会や選択の幅は増えたが、競争は激しいし、確立したと思っても、実際、その基盤は恐ろしく頼りない。だからいつだって、やり直す状況に置かれる危険性はある。そんな時代がやってきたことは、たぶん間違いない。『フル・モンティ』はそんな時代に遭遇した男たちのやけっぱちの抵抗なのである。

    1998年2月6日金曜日

    Bob Dylan "Time Out of Mind" グラミー賞「最優秀アルバム賞」

     

  • このアルバムの1曲目の"Love Sick"は「俺は歩いてる」で始まる。歩いていてくれて本当によかったと思う。病気で入院というニュースを聞いた時に、続いてディランもか、と考えてしまったからだ。実際去年は、たくさんの人が死んだ。いくら息子がデビューして人気者になったとはいえ、まだまだ歌を聞きたい。そんな気持ちで1年を過ごした。そして去年の暮れにタワー・レコードでこのアルバムを見つけた。7年ぶりの新曲と書いてある。ぼくはうれしくなって、一刻も早く聞いてみたいと思った。
  • で、音はシンプルだがなかなかいい。深く沈み込むような声、静かだが、けっして弱々しくはない。ディランの存在感は健在だ。いくつかの歌詞に「歩いている」ということばがくり返し出てくる。このアルバムのキー・ワードかもしれない。
      夏の夜を歩いている
      ジュークボックスが低く鳴る
      昨日は、すべてがあまりに速く過ぎて
      今日は、すべてがあまりに遅く動いている
      Standing In The Dooway
  • 先日ディランのページを作っている西村さんという方からリンクしたいというメールが届いた。簡単に了解したが、後でそのページ「How To Follow Bob Dylan」を見てびっくりした。現在のディランの動向が手に取るようにわかるし、彼に関する最近の情報やレビューなどのリンク先も豊富だ。さっそく、ここから歌詞を載せているページを探して"Time Out of Mind"の歌詞を手に入れた。
  • ディランのコンサートは、今年は1月13日に始まっていて2カ月間で23回が予定されている。ものすごく精力的だ。途中、ニュー・ヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでは5日間、そしてボストンで2日間、ヴァン・モリソンとのジョイントが行われたようだ。いい組み合わせだな、と思うと、行けないことがたまらなく悔しくなってきた。それに続く26日のコンサートが風邪でキャンセルになったようだ。ディランはやろうとしたがドクター・ストップがかかったようだ。
  • ディランはなぜこんなにコンサートにこだわるのだろう。そんな気がしないわけではない。死に急ぐことはないじゃないか、と言いたくもなってしまう。しかし、たとえばポール・ウィリアムズが『ボブ・ディラン1-2』(菅野ヘッケル訳,音楽の友社,1992年)に描き出したように、彼はコンサートをアルバムの再現とは考えないし、また一つ一つのコンサートを、それぞれ別の存在として考えている。だから曲目の違いはもちろん、歌い方やアレンジまでもが変えられてしまう。その一回限りのパフォーマンスと聞き手との出会いにかけている。その姿勢は、もうすぐ歌いはじめて40年になる彼のなかで一番はっきりしたものだ。
  • それなら、ディランは今の聞き手に何を期待しているのだろうか。ポール・ウィリアムズは「批判的な気持を持たない大聴衆を前にして、すでに征服をすませた英雄である自分が、自身にはすでに過去のものになったアウトサイダー精神をどのように歌って表現するかという挑戦。この挑戦は一貫してツアーの底流にあり、最後までなくなることがなかった。」と書いている。
  • もぬけの殻になったナツメロではなく、その精神を歌いつづけること。それが伝わる可能性はと考えたら、ほとんど絶望的になってしまうような試みだが、ディランにはそんな計算は無意味なことのようだ。「俺は歩いている。昨日も、今日も、そして明日も.......歩き続けている」
  • 1998年2月1日日曜日

    D.ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』上下(新潮社)


    ・50 年代というのは若い世代の主張が激しかった60年代に比べて、話題になることが少ない。けれども、考えてみれば60年代の若者たちを育てたのは、50年代なのである。だから、60年代がなぜあのような時代だったのか知りたければ、むしろ、50年代を調べる方が近道なのかもしれない。
    ・D.ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』を読んで、再認識させられたことがいくつかある。戦後育ちのぼくにとってアメリカは最初から豊かな国だった。最初からということは、ぼくにとってはずっと昔からということを意味していた。自動車、カラー・テレビ、大型冷蔵庫、ハンバーガー、コーラ、高速道路に大きなスーパー・マーケット、あるいはホリデイ・イン..........。
    # ところが、この本を読むと、そういった現在でもアメリカのイメージを代表するもののほとんどが、50年代に生まれたことがよくわかる。例えば、マクドナルドのハンバーガーはロサンジェルスに近いサンバナディーノに1940年に開店した店が出発点になっている。店は繁盛したが、これを全国チェーンにしたのは、マクドナルド兄弟から1954年にフランチャイズ・エージェントを引き受けたレイ・クロックだった。そしてケンタッキー・フライド・チキンやさまざまなファミリー・レストランのチェーン店が生まれる。
    ・アメリカは40年代に全国の高速道路網を整備した。そこにいち早く着目して、全国チェーンのモーテル「ホリデイ・イン」を作ったのはケモンズ・ウィルソンである。あるいは、郊外に新興住宅(レヴィット・タウン)を量産したビル・レヴィット、ディスカウント・ショップ「コーヴェッツ」をニューヨークではじめたユージン・ファーコフ。そのアイデアを借りて作られたオモチャのチェーン店「トイザラス」。
    ・50年代を象徴するのは他にもたくさんある。テレビの普及と映画の変容、あるいは、LPやドーナツ盤によって生まれた新しい音楽市場。マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーン、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリー、そして「アイ・ラブ・ルーシー」のルシル・ポール.............。もちろんタレントやスターの出現は芸能界に限らず、政治、経済、社会のあらゆる分野から出現する。というよりは、注目される人、されたい人はタレント的な才能をもたなければならなくなった。
    ・ハルバースタムはアメリカの豊かさを大衆化した時代が50年代であることを詳細に展開する。それは、一方で水爆や冷戦といった緊張をはらみつつも、個々の人にさまざまな欲望を自覚させ、それが実現可能だと思わせはじめた時代だった。郊外にもったマイ・ホームとテレビ、買い物はスーパー、自動車をつかった高速道路の旅。宿泊はどこでも安心なモーテル。大事に育てられる子供、魅力的な妻や懸命な母になろうとする女性たち。キンゼー・レポートとピル、『プレイ・ボーイ』の創刊。
    ・けれども、その豊かさの大衆化が、また、さまざまな不満や批判を自覚させる原因になる。60年代の若者の反乱の出発点がすでに、ディーンの映画やプレスリーのロックンロールに見つけられるように、フェミニズムや黒人(アフリカ系アメリカ人)による公民権運動の出発点も50年代にある。もちろん、ヴェトナム戦争が米ソの対立する冷戦構造から生まれたものであったことはいうまでもない。
    ・このように見ると、もうすぐ20世紀が終わろうとしている現在について考えようとするときにまず見つめなければいけないのは、50年代という時代であるような気がする。