2023年10月30日月曜日

グレン・H・エルダー・Jr.『大恐慌の子どもたち』 (明石書店)

 

journal1-245.jpg 1920年代に未曾有の好景気を味わったアメリカは、1929年に大恐慌に陥った。その不況の嵐は世界中に及んで人々を苦しめたが、この本は子どもたちに注目して、その不況の時代だけではなく、それ以後の人生において、大恐慌の経験がどのように影響したかを辿ったものである。とは言え、最近出版された新しいものではない。最初の刊行は1974年で、日本語に訳されたのは86年である。その改訂版(完全版)であある本書には「その後」という章が追加されている。

監訳者の川浦康至さんは勤務していた大学の同僚で、一緒に退職したのだが、彼からはすでにパトリシア・ウォレス著『新版インターネットの心理学』 (NTT出版)もいただいている。このコラムでも紹介済みだが、そこで退職した後にほとんど何もしていない僕とは違って、しっかり仕事をしていると書いたが、また同じことを書かねばならなくなった。改訂版とは言え、何しろこの本は500ページ近い大著なのである。ご苦労様としか言いようがない。贈っていただいたのだから、せめて読んで紹介ぐらいはしなければ、申し訳ないというものである。

著者のグレン・H・エルダー・Jr.は1934年生まれだから、大恐慌を経験していない。その彼が大恐慌を経験した子どもたちに関心を持ったのは、博士課程在学中に図書館で見つけた資料と、その後に、それを作成したカリフォルニア大学バークリー校にポストを得たことだった。資料はポーランド移民の調査研究で有名なW.I.トマスが中心になって、大学近くのオークランドでおこなった調査だった。エルダーは当時の被調査者に再度面接し、第二次大戦やその後の経験を含めた聞き取りをして、『大恐慌の子どもたち』 にまとめた。改訂版にはさらにその25年後におこなった再調査が追加されている。

調査に協力したのは1920年から21年にかけてアメリカに生まれ、オークランドに住んでいた167人で、ほぼ男女同数の子どもたちだった。驚くのは、その後の調査にもほとんどの人たちが協力をしていて、100人を超える人たちの人生(ライフコース)聞き取っていることである。オークランドは湾をはさんで対岸にサンフランシスコがあり、北には大学町のバークリーがある。南はシリコンバレーとして70年代以降に急発展した街がある。ここにはパートナーの友人が住んでいて、数日滞在したことがある。湾に面した街の中では地味で寂れた感じがした。

大恐慌はオークランドに住む人たちの暮らしを大きく変えた。調査は、中間層と労働者層に分け、さらに影響の大きさによって二つに分けている。そこで、少年少女たちに訪れた生活の上での変化と、それによる心理的な影響について分析している。それが30年代後半の景気の回復や高等教育の有無、そして第二次世界大戦における兵役の経験へと繋がっていくのである。大学に行ったのか行かなかったのか、どんな職業についたのか、結婚と子どものいる家庭での暮らし方はどんなだったのか。そんな聞き取りが、一般的な調査や研究と比較されて分析されていく。

僕は浮気者だから、その時々に興味を持った対象をつまみ食いのようにして分析してまとめてきた。量的・質的調査もほとんどせずに、社会学や哲学の理論を援用して分析をするといった似非科学的な手法だった。だから、一つのテーマを聞き取りといった手法で追い続けるこの著者とこの本とは対照的な位置にいて、すごいな、と思いながら読んだ。自分にはできないが、研究とは、こういうふうにしてやるべきものだという見本であることを再認識した。

2023年10月23日月曜日

薪割りと動物作り

 

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forest195-2.jpg義兄の49日にお墓に納骨をした。当日は大雨で、義兄は山歩きが好きだったのに,雨男だったのかなどと話をした。参列した小さな子どもたちのためにシュークリームを作った。みんな大喜びで,おいしそうに食べたのを見ると、作りがいがあって、また作ってやろうと思いたくなる。もっとも次に会うのは三回忌だから、1年後ということになる。

近くでチェーンソーの音がするので終わった後に行って見ると、大木が何本か倒されていた。原木が手に入らないから、これはいただきだ。しかし、チェーンソーで切って、斜面を道の近くまで転がし、一輪車に乗せて運ぶのは大仕事だ。それを斧で割って積んだのだが、我ながらよくやったと思った。もっとも、運ぶ木はまだ残っていて、しばらくは汗かいて働かなければならない。原木を買えば、切って割るだけだが、運ぶのが何ともきつい。原木を何とかしてほしいとつくづく思う。

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陶芸はビールジョッキや蕎麦猪口を作った後は、動物に興味が湧いた。で、ゴリラやチンパンジー、ライオン、カバ、サイ、アリクイ、馬にキリン、ウサギや犬などを作った。中を空洞にして、足や角をつけるのだが、いくつか作ると要領が分かってきた。ところが本焼きして見ると、馬やキリンの細い足が曲がってしまっていた。ビールジョッキと蕎麦猪口は緑が青みがかって、なかなかいい色になった。動物はそれぞれ近い色合いにするのは難しいので3種類ぐらいにした。ここまで作ったら、ひと休み。薪割りが終わったら、また何か作るかもしれないが、今のところ作りたいものは思い浮かばない。

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2023年10月16日月曜日

ジャニーズ騒動その後

 

ジャニーズ事務所についての問題が混迷を極めている。メディアもスポンサー企業も、今まで知らぬふりを決め込んできたのに、ジャニー喜多川による性犯罪が白日の下に晒されはじめた途端に、ジャニーズ事務所との決別を言い始めた。メディアもスポンサー企業もぐるじゃないかと疑われることを恐れての自己保身だと言わざるを得ない。

そんなふうに思っていたら,『日刊ゲンダイ』に興味深い記事があった。「ジャニーズ事務所のメディア支配…出発点はメリーによる弟ジャニーの『病』隠し」と題された記事で、そこにはジャニーの病を知っていた姉のメリーが、その病がまた、魅力的なアイドルを嗅ぎ出す特殊な才能であることに早くから気づいていたと書いてあった。そんなふうに見つけた少年たちを次々アイドルにして急成長した「ジャニーズ事務所」は、実質的な経営を姉のメリーが取り仕切ってきたというのである。

この記事を読んで、僕はトリフを見つけ出す犬のことを連想した。獲物がトリフだったらもちろん,罪はないが、相手が少年で,それが性的欲望をかなえる対象だったのだから、発覚すれば当然、大問題になる。姉のメリーにとって、弟のジャニーの性癖を野放しにすることと、それを徹底的に隠すことが、事務所の存亡にとって一番の課題になったのである。

「ジャニーズ事務所」から排出されたタレントが、やがてテレビの視聴率を左右するほどの力を持つようになると、ジャニーの性癖やその被害者のことを知っていても、テレビもスポンサー企業も、そのことを不問に付しつづけた。それは「週刊文春」がそのことを記事に書き,「ジャニーズ事務所」が訴えた裁判で、文春が勝ってジャニーの性犯罪が認められた時も、テレビはもちろん,大手の新聞も,そのことをほとんど取り上げなかった。

.ジャニーから性的被害を受けた少年は数百人に及ぶという。それ自体何ともおぞましいことで、僕は「ジャニーズ事務所」は別組織として出直すのではなく,即刻解散すべきだと思う。所属タレントたちはそれぞれ別の会社に所属すればいいのである。しかし,同じくらい重要なのは、テレビや新聞が罪深さを自覚して、反省することだと思う。そもそもこの事件はイギリスのBBCが明るみに出してやっと動き出したことなのである。

もう一つ,気になっていてうまく理解できないのは、ジャニーが性的欲望の対象にした少年たちが、アイドル・スターとして人気を博するようになっていったという事実である。そのスターたちに憧れ,ファンになった多くは少女たちだった。彼女たちにとっても、惹きつけられる要因は性的欲望だったのだろうか。そんな疑問は、そもそも日本に特殊に発展した「アイドル」という現象全般に繋がっていく。アニメが世界を席巻したことを含めて,極めて特殊日本的な特徴のように思う。それを読み解くのは、やっぱり「かわいい論」再考になるのだろうか。もう少し若かったらやって見たかったテーマだと思う。


2023年10月9日月曜日

上高地と穂高

 

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恒例のパートナーのバースデーの小旅行は,一昨年行った穂高になった。内風呂つきの部屋が気に入って,ロープウェイ近くのホテルに1泊したのである。ロープウェイに乗って西穂高口まで行って、少し歩こうかと思ったのだが、前日にチェックすると、何と緊急点検で休止だという。それでは乗鞍岳にしようとしたら、ここも道路が全面封鎖で,バスは運行していないという。となったら,上高地しかない。と言うわけで朝6時に出発して、平湯温泉までクルマを走らせた。天気は快晴でバス乗り場に着くと,駐車場はすでに満杯。上高地の人気に改めて驚かされた。バスは満員で,上高地に着くと,やっぱり人でいっぱいだった。もちろん,平日のことである。

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新穂高温泉に移動して,せっかくだからと途中まで運行しているロープウェイに乗った。前回は天気が悪くて何も見えなかったが,今度は笠ケ岳がよく見えた。ダケカンバの森を少し歩いて宿に戻り,さっそく内風呂に入った。硫黄の臭いがきつかったが、最近痛めた足のふくらはぎをマッサージして、長湯につかった。夕食に食べた飛騨牛はさしが多くてあぶらっぽかった。赤身の方がおいしいのに,何でさしをもてはやすのだろうか。

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翌日は前回思いがけない雪で引き返した安房峠を通って松本まで走らせた。安房トンネルができるまではこの道を観光バスが通ったのだ,と改めて驚いた。峠にはお地蔵さんがいて、紅葉にはまだ早かったが、つづら折れの道はなかなか走りごたえがあった。この日は夜中からの雨で、何も見えなかったが,上高地に行くバスはひっきりなしだった。一昨年寄った飛行場近くの農園で、前回は遅くてなかった栗と林檎や野菜を買って帰宅した。

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2023年10月2日月曜日

早すぎた大谷ロス

 
MLBのシーズンが終わった。エンジェルスは今年も負け越しで,プレイオフには進めなかった。大谷選手はホームラン王を取り、MVPも確実視されている。WBCの優勝とMVPから始まったシーズンだったが、ハードに働きすぎたせいか、8月後半で力尽きた。毎日のようにゲームを見ていたから、9月中旬の負傷者リスト入り後は、しばらく大谷ロスに襲われた。あまりに華々しい活躍だっただけに,突然の幕引きに,気持ちがついていかなかった。

しかし,そうなるのではという心配はオールスター開け頃から感じていた。彼は6月、7月の月間MVPを獲得したが、チームはけが人続出で、彼にかかる負担は増すばかりだった。打って投げてのハードワークなのに,ゲームをほとんど休まない。試合に出たいという気持ちが強いことはわかっているが,それ以上に,勝つためには休んではいられないという気持ちが強かったのだと思う。しかも,そんな頑張りにも関わらず、8月に入ると,チームはさっぱり勝てなくなった。

大谷選手は7月28日のタイガース戦に,第一試合で完封勝ちした後、続く試合にも出て2本のホームランを打った。しかし,その試合で腰が痙攣して,途中で退場した。完封した投手が次の試合でDHで出るというのは常軌を逸してると思ったが、メディアは大谷の活躍を絶賛した。本人も監督も、水分の取り方が足りなかったといった程度にしか思わなかったのか,翌日からのゲームにも出場した。で、痙攣は次に足に来て、指に来た。それでも彼は欠場せず、8月23日のゲーム後に右腕靭帯損傷となった。

彼の成績は、そのタイガース戦時点で投手として9勝し、38本のホームランを打っていた。脇腹の故障で故障者リスト入りした9月17日までの1ヶ月半で挙げた成績は,投手で1勝、ホームランは5本である。無理がたたっての不振と故障であったことは明らかで、手術したために来年は投げられなくなったのだから,その代償はあまりに大きかったと言えるだろう。選手の健康管理を厳しくしていれば、もっと休みを多くすることができたはずで、エンジェルスの罪は大きいと思う。今年のエンジェルスは故障者続出で野戦病院化してしまったのである。

こんなチームにはもうおさらばして欲しいと思うが,果たしてどうだろうか。来年はどこのチームに行くか。そんな話題が毎日繰り返されているが,相変わらずお金の話ばかりが目立っている。僕は肘の靭帯の手術を2度もした後の彼の選手生命が心配である。太く短くよりも少しでも長く続けて欲しい。大谷選手には,何より自分の身体のことを考えた選択をして欲しいと思わざるを得ない。