2005年6月28日火曜日

町田康『告白』(中央公論新社)

 

machida1.jpg・町田康の名前はずいぶん前から耳にしていた。ロック・ミュージシャンで作家、どちらも評判がいい。しかしなぜか、食指が動かなかった。たいした理由はない。たまたまの出会いをのぞけば、これは良さそうだ、おもしろそうだと感じられるまでは手を出さない。僕にはそんな傾向がある。それに、ここ数年、時間的・精神的な余裕がなくて、小説を読むことがほとんどなかった。学生の論文につきあうこと、ポピュラー文化の文献を網羅して、それに目を通すこと。特にこの2年ぐらいはそうだった。本が完成し、大学の仕事の負担も軽くなって、今まで読まなかった本に目を向け始めた。で、まず読みたいと思ったのが、町田康の『告白』だった。

・きっかけは、僕の恩師の一人である仲村祥一さんから、『告白』を読んでいるという便りが届いたことだった。感想は書かれていなかったが、仲村さんが町田康か、と思ったら、無性に読みたくなった。80歳になられたというのに、新しいものへの好奇心はまだまだ健在なんだ、とあらためて感心した。

・『告白』は大阪の河内が舞台になっている。時代は江戸から明治に変わる頃で、河内音頭の『河内十人斬り』が物語のモチーフのようだ。この話はまた、実際に起きた事件をもとにしている。河内の水分という村に生まれた熊太郎は成長しても百姓などやる気のない極道になる。親の嘆きや村の人びとの悪口や嘲笑も気にせず、好き勝手な生活をしている。そんな彼が、嫁をめとるが、遊び仲間に間男されてしまう。その兄には借金を踏み倒され、村の有力者でもある親父からはバカにされて相手にされない。そんな腹いせから、一家を赤ん坊にいたるまで惨殺する。そして、山中での逃亡生活と最後の自殺。ストーリーはおおよそこんなふうなものだが、700ページに近い大作で、なかなかに読み応えがあった。

・僕は河内音頭の『河内十人斬り』は聞いたことがない。というより、河内音頭にこんなトピカル・ソングがあったことも知らなかった。河内家菊水丸のCDも出ているようだ。これも3枚組で200分に及ぶ大作らしい。これはこれで、ちょっと聞いてみたい気がするが、『告白』を読んで興味を持ったのは、最後の一家惨殺や逃亡といった派手な場面ではない。むしろ、前半の生い立ちや成長の過程の話である。

・どういうわけか、熊太郎は物心ついた頃から思弁的な性格だった。何かしようとしても、人と話をしようとしても、同時に頭の中でいろいろと考えてしまう。だから、出てくることばも行動も、スムーズでないし、相手や周囲の人にすぐ理解されるものにならない。熊太郎はそれが、親にちやほや育てられてできた、現実との断層の自覚に原因があると、ぼんやり考えている。親は褒めても悪ガキ仲間はバカにする。ことばの真偽、ことの表と裏、外見と内面、表現したいことと、それを伝達することの間にあるズレ。熊太郎は、そんな疑問やささいなことにひっかかって、いつもまごまご、しどろもどろしてしまう。

・この小説のかなりの部分が、この熊太郎の錯綜する心の動きととまどいの描写で占められている。それは冗談ポク、まるで講談の講釈士がするように語られているから、けっして深刻な内面の苦悩といったふうには読み取れない。けれども、これは間違いなく、近代小説の大きなテーマだった、自己と世界の対立とそれがもたらす苦悩の物語で、きわめて深刻な話なのである。

・この小説のおもしろさは、こういった問題を大阪の河内の農村に置きかえたところだろう。しかも、時代は江戸から明治への変わり目である。「近代的自我」にとりつかれた子どもを日本に伝統的な村社会のなかにおいて。その成長過程を想像したらどうなるか。僕は読み始めてすぐにそんな興味を感じて、一気に読んでしまった。家の中の、村の中の異物の物語を、異物の内面の側から読みとっていく。それはまた、異物の抱えた苦悩と同時に、それを受けとめる家族や村の人びとの態度や行動の特異さを描きだしていく。異物の側から見れば、伝統的な村社会はまた、何とも奇妙にみえる世界なのである。

・しかし、読み進みながら、これは現在の日本に典型的な自己と他者、個人と世間の物語なのではないか、という気にもなってきた。外見的には近代化したかのような社会であっても、日本は精神的には、そして人間関係的には、相変わらず村社会のままである。そのことを自覚せずに子どもをちやほや育て、自分の思惑に当てはめようとするから、異物のような子どもや少年・少女が続出する。熊太郎は自分から進んで極道になったのではない。それは、親や世間のインチキさに嫌気がさし、世間の掟にしたがうことに消極的に反抗した結果なのである。

・読み終わって、再認識した。これは、ミニ極道が続出する現在の日本社会を描きだした物語なのだと。おもしろいキャラをした、並はずれた力量の作家が出てきたと思う。今度はCDを買ってミュージシャンとしての町田康を聴いてみよう。

2005年6月21日火曜日

宮入恭平ライブ

 

miyairi1.jpg・大学院の僕の演習にはミュージシャンがいる。ジャーナリストもいれば、元お笑いタレントもいる。みんなユニークで、毎週の長時間に及ぶゼミも飽きることがない。基本ができていない点がちょっとだけ悩みの種だが、その分きっちりしぼる。ついてこれなければ、「ハイ。さよなら!」と引導を渡すことにしているが、落ちこぼれは少ない。というより、おもしろがって修士ではすまずに博士まで進んでしまうから、僕としては、その先どうするんだろう、と心配するばかりだ。「研究者になろうたって、なかなか大変だよ」といったり、「なまじ理屈を身につけると、君たちのよさが消えるかもしれない」といったりするのだが、学生たちはさほど気にしていない。

miyairi2.jpg・そんな学生の一人がライブをやった。宮入恭平。CD も出しているプロのミュージシャンだ。ただ、修論を書いていたから、ライブは1年ぶりだという。たまたま大学に出校した日だったから、少し研究室に長居してつきあうことにした。もう30代の後半で、有能なパートナーに養ってもらっているようだ。ハウス・ハズバンドで学生でミュージシャンという、なんともうらやましいところにいる。
・彼の修論は『ライブハウスの社会史』。日本の音楽状況とライブハウスの関係を70年代からたどり、現在のライブハウスとそこで歌い、踊り、演奏するミュージシャンたちの現状をフィールドワークしたものだ。

miyairi4.jpgmiyairi5.jpg・なかなかの力作だったと思う。だから今は、それを本にして出版できるよう書き直している。学者になるよりは、きっちりした音楽評論や文化批評のできるミュージシャンになってほしいと期待しているが、もちろん、ことはそれほど簡単ではない。がんばってほしいが、また、本職がお留守になってもいけない。

 

miyairi6.jpg・で、ライブである。場所は東京の中央線国立駅の南口にある「地球屋」という店だった。一橋大学のすぐ近くにあって、大学通りに面している。院生たちと早めに待ち合わせて、モスバーガーで軽い夕食をとった。地下の店に入ると、ウクレレで歌う青年のパフォーマンスが始まっている。「雑草〜」の歌が妙に耳に残った。小さくて細長い場所だが、音は悪くない。

miyairi7.jpg・彼のステージはかっこうよかった。エレキギターのバック(カマチョ)もついて、とてもリズミカル。CDで聴いていたから曲に馴染みはあったが、ライブの方がずっと迫力がある。若くて小気味のよいステージ。彼の番になったら、時間があっという間に過ぎた感じだった。十分にお金が取れるパフォーマンスで、もっとお大勢の客に聴かせなければもったいない。
・しかし、注文もちょっとだけ。「僕は、孤独、アイソレーション」。「そんなことはないだろう?」などと思いながら聴いた。さわやかだが、歳にあった、もうちょっと陰影や汚れや色気がある歌があってもいいな、と思った。もちろん、枯れや渋さなどまでは望まないけれども……。

2005年6月14日火曜日

大いなる遺産

 

・BSで『大いなる遺産』(1998)を見た。チャールズ・ディケンズ原作の物語だが、現代のアメリカに話を置きかえてある。舞台はフロリダで、主人公の少年フィンがボートに乗っていて脱獄囚に出会い、彼の逃亡を助けるところから始まる。フィンは姉と、彼女の恋人と暮らしていて、近くの屋敷に住むディンズムア婦人から姪のエステラの遊び相手に頼まれる。婦人は結婚式の日にフィアンセが去って、その痛手から立ち直れないまま年老いた人だ。立派な屋敷は荒れ放題で、厚化粧の婦人の挙動は奇妙だが、フィンはそこに現れた美少女の虜になってしまう。毎週土曜日に出かけていって、踊りを踊ったり、絵を描いたりする。フィンは絵を描くことが好きだった。
・やがて成長して、エステラは大学に行くために家を出てしまう。そこで屋敷に出かけることはなくなるのだが、漁師をしているフィンのところに、弁護士が、画家になるための奨学金をもってくる。名は証さず、ある人からの提供だと言われる。フィンはニューヨークに行き、絵を描き始める。
・物語はエステラとの再会、画家としての成功というふうに進むが、彼が絵描きになる道を開いたのが婦人ではなく、脱獄囚であることが明らかにされる。脱獄囚はロバート・デニーロ、そして婦人はアン・バンクロフト。もっとも、婦人がアン・バンクロフトであることに気づいたのは、映画がかなり進んでからだった。理由は、僕の記憶にある彼女に比べて、かなり老けていたのと妖艶な感じがしたからだ。
・この映画を見て数日後に彼女の死が報じられた。アン・バンクロフトは僕にとって印象深い女優の一人だ。印象に残っているのは、まず『卒業』(1967)だろう。ダスティン・ホフマンが主演になった60年代後半のニュー・シネマの代表作で、教会で花嫁をさらって逃亡するシーンが有名である。彼女は娘のボーイフレンド(ベン)を不倫に誘い、娘に見つかってしまうが、その責をベンになすりつける。彼女の演技は何とも利己的でいやらしかったが、そんな思惑が娘の結婚式に現れたベンによって壊されるラスト・シーンでの憎悪をいっぱいにした演技はさらに強烈だった。何よりこの映画は60年代に顕著だった「世代」の断絶をテーマにしていて、アン・バンクロフト(ミセス・ロビンソン)はやっつける大人の標的そのものだったのである。
・頑固で保守的で怖い顔の女優というイメージは、『トーチソング・トリロジー』(1988)でも強烈で、絶縁状態のゲイの息子と言い争いをする母親の役もまた真に迫っていた。ゲイ・バーで歌い、踊る息子は心優しい青年でおだやかで知的だが、母はゲイであることで息子を人間扱いしない。オフ・オフ・ブロードウェイから始まってトニー賞をとったブロードウェイ・ミュージカルの傑作だが、映画はきわめてリアルなつくり方をしていて、世の中の偏見そのもののような彼女の存在が主人公以上に印象的だった。
・もっとも、彼女を初めて見たのはもっと古く、また印象も違う。ヘレン・ケラーを主人公にした『奇跡の人』(1961)で彼女の役は反抗的なヘレン・ケラーにことばを教えるサリヴァン先生だった。その映画は、死後に追悼としてオンエアしたNHKのBSで見たが、40年前の作品だから、当然若かい。しかし、このとき彼女はすでに30歳を過ぎていて、すでに若さを売り物にする女優ではなかった。そういえば、『愛と喝采の日々』(1978)も、ライバルのダンサーだったシャーリー・マクレーンと互いにすさまじい対抗心を燃やしあう中年の女という設定だった。そんなわけで、僕にとってアン・バンクロフトは保守的で利己的な強い中年女というイメージが強かったが、また、けっして嫌いではないという存在だった。時代を象徴する映画で象徴的な役割を演じたという意味で、アン・バンクロフトの残した遺産はまた、かなり大きなものだと思う。
・もっとも『大いなる遺産』は原題をGreat Expectationという。これは直訳すれば「大いなる期待」でけっして遺産ではない。実際、映画は青年の画家としての才能に期待してお金を提供したのがだれかという推理ドラマにもなっている。青年はずっとディンズムア婦人だと思っていたのだが、最後で、それが脱獄囚だったことがわかる。いずれにしても、死後に遺産として残したのではなく、才能が開花することを期待して投資をしたもので、ディケンズの原作も同じ趣旨だとすれば、これは「大いなる誤訳」と言わざるをえない。映画のタイトルにはこの手のものが多いが、古典文学にも結構あるものだと、改めて思った。

2005年6月7日火曜日

ちょっとのんびり

 

今年は週2回の出校だから、1日減っただけなのだが、それでも、家にいる時間は多くなった。完全休暇でないから、どこか中途半端だが、忙しくてできなかった乱読、あるいは落ち着いて大著を熟読、それとも原書に取り組んでみようか、という気にはなっている。
そのためというのではないのだが、ハンモックを買ってバルコニーに吊した。ホームセンターでわずか2980円。いささか頼りない感じがするが、寝心地は悪くない。で、晴れた日の午後は、本とたばこと珈琲をもってゆらゆらすることにした。しかし、やっぱりまだ寒い。20度を越える日は少ないから、1時間もいると体の芯まで冷たくなる。そうすると、やることはやっぱり、薪割りと焚き火、あるいは薫製ということになる。実際、本を読むよりずっと楽しいのである。

連休中に院生たちが、陶芸の体験教室に来た。誘ったわけではないが、来るならと、新入生の武田君の歓迎会、『<実践>ポピュラー文化を学ぶ人のために』の出版パーティもかねて、焚き火でバーベキューをした。薪割りにカヤックなども一通り体験してもらったが、朝起きてみると、一人ハンモックで寝ているのがいてビックリした。寝袋にくるまっていたとはいえ、明け方は4,5度になったから、かなり寒かっただろうと思う。だれかのイビキにうんざりして逃げたのかもしれない。たばこがなくなって、枯れ草を集めて吸った人がいるらしい。曖昧な言い方をするのは、僕はさっさと寝てしまったからだ。で、陶器のできあがりはというと、ご覧の通りである。→(作品)奇妙なもの、不格好なものを探せばすぐわかるはずだ。

家の周りはすっかり緑に模様がえして、蕗の最盛期を迎えた。時折、採ってよそに持って行く。あるいはよそから採りに来る。そうすると、しばらくすると、伽羅蕗になって帰ってくる。「薄味にしてね」などと注文がつけられるのも、豊富にあればこそで、スーパーに行くと、ほんの一握りの束で売っている。そのくらいの量なら、10分もあれば採れてしまう。ミョウガの芽がやっと出はじめたが、これが食べられるようになるのは8月。栗の木も花を咲かせている。もちろん、収穫はずっと先である。もうすぐなのは、桑の実とラズベリ、それに去年植えたブルベリ。サラダのなかに赤や黄、紫の実を入れて食べる。

農鳥は形を変えながら、ほとんど消えた。気にしてみていると、その姿がさまざまにみえてくるから不思議だ。鳳凰、白鳥、カモ、あるいはひよこ、ブーメランにみえる時もあった。今度は秋から冬にかけて、徐々に形を表してくる時期が楽しみだ。形に名を与えて創造する楽しみは、雲にもある。御坂山系からわき出してくる雲、富士山にかかる傘雲。瞬時に姿を変えていくから、一瞬感じられる形がおもしろい。いろいろな動物、人の顔と、ぼんやり見ていて飽きることがない。飽きないといえば、生き物の生の営み。雄は雌の争奪戦に必死だ。
 日時:2005年6月7日