2021年6月28日月曜日

梅雨とリフォーム

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・異常に早い梅雨入りかと思ったら、その後、晴れの日が続いた。いつもの通り、篭坂峠に山椒バラを見に2度でかけた。最初は蕾がちらほらだったが、1週間後に行くと満開で、散りかけた木もあった。富士山をバックにと撮ったが、花の色が白く映りすぎてしまった。実際は左下の色で、開きかけは鮮やかなピンクだ。このあたりは噴火で降ったスコリアが堆積していて、道は雨が降るとすぐに深くえぐれてしまう。今回も、最初はきれいにならされていたのに、1週間後に行った時には、深くえぐれていた。植物にとっては厳しい環境だが、近くの三国山には大きなブナが密集する森もある。この時期には何度も出かけて歩きたくなる地域である。


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・先月の中旬から始まった家のリフォームは、屋根の張り替えが終わって、外壁の修理とペンキ塗り、それに隙間のコーキングと続いている。もう少しで終わるから、足場の解体も今月中か、来月の初めには行われるだろう。リフォームとは言っても外だけで、中は行わない。それが済んだら、後は工房の補修だけになる。梅雨時に始まったから長くかかるかも、と思ったが、晴れの日が続いて、順調に行われた。


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forest176-6.jpg ・作業をする人たちの朝は早い。8時には来て仕事を始めるから、時には突然、屋根で足音がして驚くこともあった。古い屋根や外壁の掃除は水をかけてやるから、わざわざ雨の日にやってきたりもした。もちろん、鋼板をはる作業ではすさまじい音がしたし、窓の外に不意に現れることもあったから、昼間中ずっとカーテンを締めてという日も多かった。一日の作業が済んで帰った後に、毎日、足場から屋根に上って、その日の進み具合をチェックした。なるほどこんなふうにやるのかと思うところも多かったが、既存の板壁にペンキを塗って、それで終わりかと思ったら、新しい板を貼って、またペンキ塗をするといった無駄に思える作業もあった。

・工事が終わったら、バルコニーの補修とペンキ塗は自分でやるつもりだ。ログは4年前にペンキを塗っているから、秋にストーブを燃やしはじめたら、積んである薪をどかしながらやろうと思っている。さて、屋根は緑色で2階は焦げ茶にしたから、ログはどうしようか。少し赤味にするか、濃い茶色にするか。工事が済んだら、じっくり考えようと思っている。

2021年6月21日月曜日

「原子力村」から「五輪村」まで


・国内の世論はもちろん、世界中から中止せよと言われているのに、オリンピックは強行開催されるようだ。そのために東京都などに出ていた「緊急事態宣言」が解除され「蔓延防止等重点措置」に変わった。そうまでしてなぜ、オリンピックを開催したいのか。その理由が全くわからないが、一度始めたことはやめられないという、日本の権力組織が繰り返す愚行の一つだと思えば、それなりに納得がいく。

・一度始めたらやめられない理由としてよく指摘されるのは、日本の集団や組織に共通して見られる「村」という特徴である。「村」とは日本に伝統的にあった「有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」で、現在でも「同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会」として、よく見受けられるものである。

・福島の原発事故から10年過ぎてもなお、原発を電源の基本に据えようとするのが「原発村」の政策である。古今未曾有の大惨事を起こしながら、なおやめようとしない体質は、第二次世界大戦に突き進み、原爆を投下されるまで負けを認めなかった愚行のくり返しそのものである。そしてこの「村」体質は、「五輪」にも共通している。

・五輪を強行すればコロナの感染者や死亡者が増えることは分かりきっている。その規模がこれまで以上のものになるのはもちろん、日本発のコロナ株となって世界中に広まる危険性も指摘されている。しかし、そうならないための対策はお粗末で、ただ「安全・安心」と呪文のように繰り返すだけである。菅首相はG7で各国首脳からの支持を得たと言ったが、その多くは、おそらく、開会式にやって来ないだろう。

・危険であることや、行動制限が厳しいことを嫌って、多くの選手が参加をやめると予測される。それで無観客ではあまりにお粗末と思っているのか、日本人の観客を入れ、地味な種目には小中学生の動員も考えているようだ。参加する各国選手には、夏の猛暑や多湿に慣れる時間もないから、日本人のメダル・ラッシュになると言う人もいる。何しろ観客も日本人だけなのである。

・それで国中が熱狂すれば、感染者や死者が増えても、選挙に勝てるようになる。そのためにはオリンピック終了と同時にパラリンピックを中止にして、衆議院を解散して選挙に突入する。政権の本心がこんなことにあるとすれば、あまりに利己的だが、政権自体もまた「村」組織なのだから、十分ありそうなことである。それを批判すべきメディアもまた、村社会なのだから救いようがない。

・とは言え、オリンピックの開会までにはまだ1ヶ月ある。その間に感染者が増えはじめて、中止の声が国の内外から起こったらどうするのか。始めたけれども途中でやめる。一番やってはいけないが、また一番ありそうなこと。その時「政権村」や「マスコミ村」はどんな対応をとるのだろうか。

2021年6月14日月曜日

自転車と「こころ旅」

 


kokorotabi.jpg・火野正平の「にっぽん縦断こころ旅」が1000回を超えた。震災直後の2011年4月からスタートして、今年で10年目になった。62歳から初めて今は72歳で、ここ数年は体力的にきつそうだと感じられる場面が目立ってきた。だからだろうか、最近のスタート場所は高台であることが多い。そこから下り坂を漕がずに進み、ほどなく昼食をとる。そして目的地までの距離が10km以下だったりする。「もう少しまじめに走りなよ!」と言いたくもなるが、同い歳の僕には、そのしんどさもよくわかる。

・この番組は視聴者の手紙を読んで、心に残る場所に出かけることを目的にしている。しかし面白いのは何といっても、その途中で出会う人とのやりとりや、山や川や海で生き物と戯れる火野正平自身の挙動にある。とりわけ、若い女の子や別嬪さんには、まるで磁石で吸い寄せられるように近づいて、触れんばかりの距離で楽しそうにおしゃべりをするのである。「このスケベエジジイ!」などとつぶやいたりするが、嫌みがないのが彼の持ち味なのである。反対に積極的なおばさんには腰が引けたり、無視したりといった光景もまた、何とも面白い。

・ところがコロナ禍で、握手することはもちろん、近づくことも避けるようになった。町中を走ることも少なくなって、食事もレストランや食堂ではなく、弁当が多くなった。もうぼちぼちやめ時だろうな、と思うが、訪ねるところで出会う中高年のほとんどが番組を見ているから、NHKとしてはまだまだ続けたいのだろう。今は長崎からスタートして北海道に向かっていて、秋には長野から沖縄をめざすようだ。僕にとっても数少ない見たい番組の一つで、朝と夜の二回放送を楽しみにしている。

・別に意識してそうしたわけではないが、僕が自転車に乗リ始めたのも同じ頃だった。60歳を過ぎて、運動不足や肥満を気にしてのことだったと思う。20kmほどの距離を週に2~3回走るのが習慣になって、今でも続けている。「こころ旅」とは違って、途中で食事などはしないし、誰ともおしゃべりもしたこともない。と言うより、信号以外は止まらずに、駆け抜けている。毎回タイムを計り、心拍数や呼吸数をチェックしているが、この10年間で特に衰えたということはない。ただ、バランス感覚に対する不安は増した気がする。

・さて、あとどのくらい自転車に乗ることができるだろうか。そんなことを考える歳になってきた。少なくとも、「こころ旅」が続く限りは、僕も走り続けようと思っている。走り終わった後に感じる爽快感や身体の軽さは、他では味わえないことなのだから。

2021年6月7日月曜日

Travis "10 songs"


・相変わらず、Amazonで探しても、目ぼしい新譜が見当たらない。そんなふうに思っていたら、トラビスがコロナ感染といったニュースが目に入った。しかし、読んで見ると「トラビス・ジャパン」というジャニーズ所属のグループだった。何だ!と思ったが、「トラビス・ジャパン」という名前が気になって、ウィキペディアで調べることにした。トラビスの名の由来は振り付け師のトラヴィス・ペインで、このグループは歌って踊るアイドル・グループらしかった。いずれにしろ、"Travis"とは関係ない、僕には無縁の存在だった。

・"Travis"はスコットランドのグラスゴー出身のグループで1996年のデビュー以来9枚のアルバムを出している。僕はそのすべてのアルバムを持っていて、イギリスのミュージシャンでは、"stereophonics" 同様、今でも気になるバンドである。既に書いてくり返しになるが、このバンドの名はヴィム・ヴェンダースが監督をした『パリ・テキサス』(1985)に登場する主人公の名前に由来する。家出をした妻を幼い息子とともに探してまわる男の話である。そのトラヴィスを演じたのはハリー・ディーン・スタントンで、死の直前に撮った『ラッキー』2017)を3年ほど前に見た。さらについでに言うと、「トラヴィス」は『タクシー・ドライバー』(1976)でロバート・デ・ニーロが演じた主人公の名前でもあった。

10songs.jpg・それはともかく、Amazonで"Travis"を検索すると、昨年"10 songs"という名のアルバムを出していたことがわかった。今年最初のCD購入である。"10 songs"という何ともそっけないタイトルだが、彼らのアルバムには、これまでにも"12 memories"といった名前もあった。前作の"Every thing at once"からは4年ぶりである。聴いた感想はというと、いつもながらのサウンドで、前作とまとめて聴いたらどのアルバムかわからないほどで、目新しさは感じないが、悪くはなかった。YouTubeにはアルバムに修められた曲のほとんどがビデオ・クリップになっている。

・歌は全曲ラブソングだが、面白い、しゃれたフレーズがいくつもあった。

「サヨナラもハローも言いたくないし、窓辺で手を振る君も見たくないんだ」
(”Waiting at the window')
「君は夢見る人生を過ごしてきたけど、それを実現させようとはしなかった」
('Butterflies')
「リハーサルするより失敗の方がいい。それで人生が逆転しても、シングルテイクなんだ」
('A million hearts')
「去っていく時に思う、ずっと愛していたのかと、心を開いてありのままを話したのかと」
('A ghost')
「隠そうと思えばできるけど、それで何かが変わるわけではない」
('All fall down')
「幸せを感じるのは夢を見ている時だけ、何もない夢を」
('Kissing in th wind')
「窓ガラスについた三つの滴が一つになって落ちていく。恐れも、悔やみも、恥ずかしさもなく」
('No love lost')

・ロックにしてはおとなしく、外にではなく、内に向かって沈潜する。どれも同じような曲だけど、聴いていて心地よい。何を主張しているわけではないけれど、所々に、心に触れるフレーズがある。そんな歌を集めたアルバムを、同じメンバーで25年も出し続けている。ウェールズ出身のStereophonicsとは対照的なサウンドだが、どちらにも感じる心地よさは、アイルランドのミュージシャンとも共通した、ケルトの魂から来るのかもしれない。