2019年1月28日月曜日

パトリシア・ウォレス『新版インターネットの心理学』 (NTT出版)

 

wallace1.jpg・この本の旧版は1999年に出版され、日本では2001年9月に翻訳されている。ぼくは2003年1月にこのコラムで紹介した。インターネットが一般に使えるようになったのは1995年だから、ごく初期の利用者に見られた特徴を描き出そうとしたものだった。それが同じ著者による改訂版として出版された。翻訳を2冊ともやっているのは川浦康至だが、彼はぼくとは大学の同僚で、一昨年一緒に退職した仲である。退職と同時に遊んでばかりいるぼくとは違って、彼は500ページにもなるこの本を翻訳した。しかも贈っていただいたからには何はともあれ紹介しなければならない。で、がんばって読んでみた。

・前作でぼくが注目したのは、「インターネットのリヴァイアサン」と「集団成極化」だった。「リヴァイアサン」はトマス・ホッブスが国家について使った概念で、人間がたがいに争い合うことを避けるために各自が持つ「自然権」を国家(リヴァイアサン)に譲渡すべきだとしたものである。国境がなく世界中の誰もが参加できるネットの世界には、そこを統治する権力は存在しなかった。だから参加者たちは、やりたい放題ではなく、その場が機能するようにルールを決め、エチケットを心がけることが前提にされ、「ネチケット」とか「ネチズン」といった言葉が使われた。

・しかし、インターネットが急速に進化すると、多様な場にいろいろな人たちが接触するようになり、誹謗中傷や暴言が飛び交うことが問題にもされた。前作が主なテーマにしたのは直接接触の場とインターネットにおける、自己呈示の仕方の違い、他者との関係の持ち方の違いと、それによってもたらされた、世界の出現であった。ネットへの参加は何より「匿名」であることが一般的で、それが直接接触の場ではできないことを可能にした。またネットは同じ意見や趣味を持つ者との接触を容易にした。そうやってできた似た者同士の集団は、極端に走りやすい特徴を持った。ウォレスはそれを「集団成極化」と名づけた。

・『新版インターネットの心理学』の原著 は2016年に出版されている。だから前作からは17年後の改訂版である。インターネットはこの17年の間に大きく変わり、まったく別物になったといってもいい。何より利用者の数が桁違いだし、利用の仕方も多種多様になった。スマホの登場によって人びとの日常生活に深く入り込み、なくてはならないものになったし、世の中を大きく動かす手段としても使われるようになった。だからこの本で扱う事例も複雑で多様だが、しかし、基本的な所では案外共通しているとも思った。

・たとえばそれは目次を見ればよくわかる。章構成は第一章の「心理学から見るインターネット」から始まって、「あなたのオンライン性格」「インターネットの集団力学」「オンライン攻撃の心理学」「ネットにおける好意と恋愛」と続くが、これは旧版とほとんど一緒である。違いは旧版ではインターネットとポルノの問題が独立していたが、新版ではジェンダー問題と合わせて「ネットにおけるジェンダー問題とセクシャリティ」になった。反対に新版で新たに加わったのは「オンラインゲーム行動の心理学」と「子どもの発達とインターネット」、そして「オンラインプライバシーと監視の心理学」だ。

・もちろん、旧版と似た章構成の部分も、中身はほとんど変わっている。ネットでの自己呈示は文字が中心だった段階から画像が容易に使えるようになり、音声や動画も当たり前になった。フェイスブックやツイッター、インスタグラムやユーチューブなど、利用できる場は無数にある。当然、そこでの自分の「印象管理」も複雑で多様になるわけで、その細かなケースを豊富な先行研究を紹介することで検討している。同様の方法はネットにおける個人や集団間にあらわれる友情や恋愛、手助けや協力、そして妨害や攻撃を扱う章にも通じている。

・人生の途中でインターネットに出会った「デジタル移民」と違って、現在では生まれた時からインターネットが身近にある「デジタル世代」が、すでに成人に達しようとしている。実社会とは違うもう一つの世界として認識するのではなく、両者が混在一体となっていることを当たり前に思う感覚は、「デジタル移民」には持てない感覚だろう。

・インターネットは「移民」の一人としてぼくも便利に使っていて、もはやなくてはならないものになっている。便利だが、言動のことごとくをチェックされ監視されているのを自覚することも少なくない。その意味で、ネットにまつわるさまざまな問題と事例を検証しているこの本は、人間個人から関係、そして社会に及ぶ問題を視野においている。だから、一気に読むだけでなく、時に応じて気づいたことを辞書のように確認するにも使えるものだと思う。

2019年1月21日月曜日

テレビは太鼓持ちの世界

 

henoko.jpg・辺野古の埋め立てを止めるために、アメリカ政府の誓願サイトへの署名が20万以上になった。モデルのローラやクイーンのブライアン・メイの呼びかけが大きな反響をよんだと言われている。ぼくも早い時期に署名をした。ラジオやテレビがこれをニュースとして扱ったのは、ローラの呼びかけがあって10日間で10万を超えた頃からだったが、テレビやネットには、それに対する批判や誹謗中傷が溢れた。安部べったりのお笑いタレントが、テレビで「タレントは政治発言をするな」といったのには、あきれかえってしまった。こういう発想をする人たちは「政治的発言」は権力に反対することであって、賛成するのは政治的ではないと考えているのだろう。太鼓持ち的態度はそれ自体が政治的なのにである。

・ローラに対してはCMを降ろせとか使うなといった暴言もあったが、テレビ出演やCMで稼ぐタレントたちにとっては、これが一番怖い言葉なのだと思う。民間放送はCMによって成り立っている。だからスポンサーの意に沿わない番組や出演者は、批判されたり、降ろされる危険性がある。それを恐れ、過剰に忖度する空気が、テレビ局全体を包んでいる。NHKは視聴料によって成り立っているから国民の方を向くべきだが、もうすっかり安部チャンネルになって、政府の公共機関に成り下がっている。だからテレビ局全体が太鼓持ちだと言っていい。

・テレビCMは視聴者にモノやサービスの購入を誘う目的で作られている。「欲しい」「手に入れたい」といかに思わせるか。CMのメッセージはその事に尽きている。そしてその役割を担うのがタレントたちということになる。当然だが、自分では欲しくなくても、いいと思わなくても、大げさに、買わせよう、手に入れさせようとしてどんな演技も注文通りにしなければならない。

・テレビはCMを見せるためにある。番組そのものはあくまで、CMを見てもらうための付録に過ぎないのだ。しかしぼくはそのCMを見たくない。必要の無いもの、興味の無いものを誘惑してくることが気に入らないのはもちろんだが、ただ仕事のために、「買え、買え」と連呼するタレントの無責任さに腹が立つことが多いからだ。彼や彼女たちは、自分が勧める商品に、どれだけの責任を感じているのだろうか。おそらく、そんなことはまったく考えていないのだろうと思う。

・他方でテレビはマスメディアとして、ジャーナリズム機関としての社会的役割を持っているとされている。あくまでタテマエだが、少なくとも数年前までは、そんな役割を標榜するような番組もあったし、いいたいことが言える雰囲気もあった。しかし、数少ない報道番組が中止になったり、キャスターが交代したりして、批判色の薄い内容になってしまっている。「政権に楯突く奴はテレビから出て行け!」こんな言葉が、公然と発言されるようになったら、テレビはもうおしまいだろう。

・テレビは政権とスポンサーの太鼓持ち。しかも、お馬鹿タレントやイエスマンばかりを集めたバラエティ番組で時間を埋めるしか能がなくなっている。大宅壮一がテレビを「一億総白痴化」と批判したのは、テレビが普及し始めた1950年代後半のことだが、その警鐘が半世紀以上経って、本当に蔓延してしまった。もちろんぼくは、こんな地上波のテレビは、ほとんど見ていない。

2019年1月14日月曜日

平成とは

 

・もうすぐ平成が終わる。平成とはどんな時代だったのか。メディアにもそんな特集を組むものが出始めている。戦後の経済成長によって豊かな国になったのに、昭和から平成への変わり目を頂点にして下降線をたどり続けた30年だった。それが一般的な見方のようで、ぼくもそう思う。落ち込みは経済が一番だが、政治の劣化は目を覆いたくなるほどで、少子化や格差の拡大による社会の疲弊も無残というほかはない。

・4万円に届こうかという勢いだった株価が1万円を割り、アベノミックスで2万円に回復したとは言え、実態は日銀や年金機構が買い支えるというインチキなものである。日本の企業を支える大株主が日銀や年金機構だというのは、いびつで危険な状態である。国の予算の4割を借金でまかなうのも、今では常態化してしまっている。そのために、国と地方の借金は平成元年には250兆円だったのが、30年には1100兆円を超えた。なぜ財政破綻をしないのか不思議なほどの額になっているのである。

・テレビでは相変わらず「日本のここがすごい」といった特集をやっている。しかし、経済成長をリードした家電業界は、すでに見る影もなく衰退しているし、好調だと言われる自動車にも陰りが見え始めている。平成の30年はまたパソコン、インターネット、そして携帯からスマホへといった大きな変化があった時代だが、「ガラパゴス」という閉じた発想によって、日本は完全に取り残されてしまった。

・「グローバリズム」や「少子高齢化」といった現象に、政治はまったく対応できなかった。選挙制度を大きく変え、民主党が政権を取ったりしたが、その事がかえって、政治の混迷や横暴を招く結果をもたらした。優秀だと言われた日本の官僚組織の劣化は、特にここ数年ひどいものになっている。借金財政なのに防衛予算だけが大幅に増大し、福祉や年金が削られている。団塊の世代が退職をして高齢化していく時期を迎えても、ほとんど何も対策が採られていないのである。

・少子高齢化がやってくるのは何十年も前から分かっていたことだから、今になって騒いでも後の祭りというものである。労働者の不足を補うために外国人をもっといれようとしても、その対応策はほとんどとられていない。そもそも、移民としては認めないという身勝手なものになっている。格差社会をさらにひどくするものだから、人権無視や犯罪の増加といった社会不安も増すばかりだろう。

・平成のはじまりには、ソビエト連邦がロシアになり、ベルリンの壁が崩壊して、冷戦構造も終結した。中国の改革開放が本格化し、自由と民主主義を求める波が天安門事件で粛正されたのも、平成元年のことだった。EEC(欧州経済共同体)がEU(欧州連合)になったのが1991年。世界が大きく変わることを実感させる出来事が続いた。この30年で世界の人口は1.5倍に増え、世界の名目GDPも3倍以上になった。この増加をリードしたのは、中国やインドなどのアジアとアフリカ諸国だ。

・ユーゴスラビア紛争が起こり、連邦が解体する内戦になり、中東の混迷のきっかけになった湾岸戦争が始まったのも平成のはじまりだった。ニューヨークの貿易センターに旅客機を衝突させた9.11事件があって、アメリカがイラクのフセイン政権を倒し、リビアやシリアなど多くの国に波及して内戦状態になった。多くの難民が出て、豊かなヨーロッパに押し寄せた。それを嫌うナショナリズムの高まりが、極右の政治家や政党を生み出してもいる。改めて振り返ると、昭和から平成への変わり目が、世界的に見ても大きな変化をし始めた時期だったことが分かる。

・最後に個人的なことに目を向けてみよう。平成の30年はぼくが大学の専任教員として働いた年月でもあった。途中で大学を大阪から東京に代えたが、この30年はまた学生の気質や大学という場に大きな変化があった時期でもある。大学が勉強する場であることは、ぼくが学生の頃から薄れ始めていたが、レジャーランドと揶揄され、また就職予備校へと変貌していく過程は、ぼくにとっては居心地の悪さが募っていく変化でもあった。

・今は退職し、70歳になって、これから老後と言われる生活をするようになった。今の生活がいつまで続けられるか。それはぼく自身の心身の変化に関わる問題だが、同時に、日本や世界の政治や経済、そして社会や文化がもたらす変化とも関わってくる。それにしても、両面に渡って、何とも先が見えにくい。そんなことを改めて感じてしまった。

2019年1月7日月曜日

閑人になって1年

 

hima2.jpg・仕事を完全に辞めて、年齢も70になった。自分が70なんて、ピンとこない気もするが、これはもう事実なんだと受け止めるしかない。去年の今頃は四年生の卒論集ができて、学生と最後のゼミをやっていた。週一回だったが、まだ仕事を続けている感覚はあった。しかし、それも1月には終わって、毎日が日曜日になって、ほぼ1年が過ぎた。

・毎日が何をしてもいい日だというのは、ぼくにとっては気楽だった。することは色々あって、それはすでにずっと続けてきたことばかりだからだ。たとえばパートナーと二人で暮らす生活では、昼食はぼくが作ると決めている。メニューは麺類が主で、蕎麦、うどん、ラーメン、焼きそば、パスタ、そしてお好み焼きやピザといったものだ。蕎麦とうどんには蕎麦粉を使ったかき揚げ天ぷらをつけるし、お好み焼きやガレットも、主に小麦粉ではなく蕎麦粉を使う。他に揚げ物やカレーやシチューなどを作って夕飯にすることもある。だから外食をすることはほとんどない。

hima1.jpg・田舎生活をして、できることは自分でやることにしてきたから、家のメンテナンス、たとえば大工仕事やペンキ塗りなどはずっとやってきた。秋になれば屋根にたまった落ち葉落としがあるし、冬は雪かきもある。それに何より毎年やらなければならない一番の大仕事は、半年ほど使うストーブの薪作りだ。原木をチェーソーで切って、斧で割る。そんな作業に日に数時間で3ヶ月ほどかかる。どれもこれもこれから歳を取って、いつまで続けられるか心配なほどの重労働だ。
・もう一つ日課になっていることに自転車がある。乗り始めてすでに10年ほどになるが、昨年も100日ほどで2000km以上を走った。山歩きはパートナーのリハビリをかねて、軽いところから初めて週一回ぐらいはやるようにした。ぼくにはちょっと物足りないが、それでも最近では6kmで4〜500mぐらい登るコースができるようになった。

hima3.jpg・こんなふうだから、閑人になったからといって退屈で困るといったことはない。もちろん、こんな生活ができるのは勤め人と違って、週3日しか出校しないし、夏や春に長い休みがあった大学教員の仕事をしてきたからでもある。退職して、さて何をして毎日を過ごそうか、と改めて探す人とはずい分違うだろうとは思う。しかし、教員仲間でも、ぼくのようなライフスタイルをしてきたのは例外だったから、辞めていく人たちの多くは、研究生活を続けるようだった。もちろんぼくは、すでに宣言したように、教員を辞めると同時に研究者であることも辞めた。1年経って、やっぱり何か研究しようかなどとはまったく思わないから、ぼくにとっては天職などではなかったと改めて実感している。

・仕事を辞めたら孤独になる。だから、人と接する機会をつくって孤立しないようにすべきだ。こんなアドバイスをする人が多い。しかし、ぼくにはその必要性はあまり感じられない。河口湖にはオートバイや自転車、そしてトレッキングをグループでする人たちが良く来る。大会などもあって、大勢の参加者に驚いたりもしている。しかしぼくは参加したいなどと思ったことはない。仲間と連んで何かをやるというのは、もう子どもの頃から好きではなかったのだ。何をするのも一人、あるいはパートナーと二人。これでいいじゃないかと考えている。

hima4.jpg・もちろん、人恋しくなって街中に出かけるなんてこともない。最近では東京に行くのは、両親がいる老人ホームか孫に会う時ぐらいで、他には何も用事がなくなったし、特に行きたいとも思わなくなった。繁華街を歩いてウィンドー・ショッピングをしたり、赤提灯を覗くことも、昔から好きではなかったし、今でもやりたいと思わない。好きなドライブで出かけるのも、空いているウィークデイに限って、街中ではなく山の中や海が多いのだ。

・僕等は二人揃って、団体行動や人づきあいが好きではない。だから無理に人とつきあう必要はないと思っている。しかし、こんな生活がいつまで続けられるのかと不安に感じることもある。体力が弱ったら、病気になったら、あるいは一人になってしまったらどうするか。その時になったら考えようではなく、いろいろなケースを想定して準備しておく必要はあるのかもしれない。

・閑人になってつくづく思う。暇こそが最高の贅沢なのだと。秋に大量に採った栗でおせちの栗きんとんとマロングラッセを作った。誕生日のケーキにはガトーショコラに挑戦した。材料をけちらず、手間暇かけて作る。これが食と住についての僕等のポリシーだ。「ドゥ・イット・ユア・セルフ」。手間を省き、サービスを提供されることにお金を使うのは、決して贅沢なことではない。ほんとうは楽しいことなのに、お金を払って放棄しているとしか思えないからだ。

2019年1月1日火曜日

今年もよろしく

 

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御坂山塊新道峠から富士山と河口湖を望む


いやはや、世界はどうなることか
このまま進めば、第三次世界大戦が起こるのでは
そんな不安が大げさな危惧に終わればいいと思います
昨年の正月に安部とトランプの退陣を祈願しましたが
今年もまた、懲りずに祈願することにします

完全に仕事を辞めて、毎日が日曜日の生活が日常になりました
世の中の情勢とは裏腹で
我が家は平穏無事な1年でした
東京に出かけるのは
老人ホームに親を訪ねるのと、孫に会いに行く時だけ
70歳にもなって、隠居生活も板についてきたようです

このホームページも3月には丸20年になります
アクセス数も増えもせず、減りもせず
定期的にご覧になっている方々には感謝の気持ちで一杯です
週一回の更新を面倒に思うこともありますが
訪ねて下さる方がある限りは、休まずに続けねばと思っています

今年もどうぞよろしくお願いします
それでは