2015年7月27日月曜日

友達と仲間

 

押井守『友だちはいらない』テレビブロス新書

蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』角川新書
高田渡『マイ・フレンド』河出書房新社

・大学生が入学してまずやるのが友だち捜しであるのは、今さら言うまでもないことだ。で、大学の4年間を通したつきあい方はつかず離れずで、卒業してしまえば、それでおしまいといったもののようだ。「そういうのは友だちと言わないんじゃないの」といった批判をして、卒業した後もつきあえるような友だちを作った方がいいよといった話を何度となくしてきた。
・けれども他方で、僕自身が十代や二十代の頃に出会った友だちと、今どんなつきあいをしているかと考えた時に、たまに会う程度以上の人は誰もいないな、と思っても来た。親密につきあっていたって、それが長続きするわけではない。だとしたら、いったい友だちって何なんだろう。学生に話しながら、同時に矛盾する気持ちを感じていたのも事実だった。

osii.jpg・押井守の『友だちはいらない』は、そんなはっきりしない気持ちにひとつの答えを出してくれるものである。彼にとって一番大事なのは、友だちではなく、仕事仲間である。一緒に仕事をする仲間は、仕事上のつきあいであって、必ずしもプライベートな世界にまで入りこむものではない。プライベートなつきあいは家族で十分だし、ペットがいればもっといい。

・だからといって仕事仲間は表面的で形式的なつきあいだとも限らない。互いに協力したり、競争したりしながら、それなりに太くて深い関係になることもある。もちろんこれは映画監督ならではの発言で、どんな仕事にも共通するものではないかもしれない。あるいは、日本の企業は今でも、仕事だけではなく、プライベートなつきあいまでにもずるずる繋がるものだから、仕事仲間はもっと限定的にして、別の関係を作りたいと思う人も多いだろう。

ebisu.jpg・蛭子能収は漫画家で、テレビにもよく出るタレントでもある。周囲の空気など気にせず言いたいことを言う。その態度が人気の理由でもあるようだ。その彼もまた、友だちはいらないと言う。それは小さい頃からいじめられた経験によるようだ。周囲に同調するよりはできるだけ自由に生きる。この本はそんな生き方の提案書でもある。

・「ひとりぼっち」と言いながら、彼もまた仕事上の仲間の重要性を認めている。しかしやっぱり、そのつきあいをプライベートな世界にまで入れようとはしない。私的なつきあいは、彼にとっては奥さん一人に限られる。だからその奥さんの死が、彼にとってひどくつらいものであったことが書かれている。彼はその寂しさに耐えられず、テレビ番組で新しい奥さんを公募したようだ。「ほとりぼっち」になれないじゃないか、と言いたくなったが、一緒に生活する人こそ、いちばん大事だと思うのは、僕にもよくわかることである。そのことを、パートナーの脳梗塞と入院で痛感した。

wataru.jpg・高田渡の『マイ・フレンド』は、彼が十代の頃につけていた日記につけた名前だ。彼はその日記を友だちと思っていて、日記に語りかけるように、相談するように書き続けている。もちろん、現実に友だちがいなかったわけではない。家族もいたし、仕事仲間もいた。しかし、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーを知り、そのレコードを聴き、歌詞を書き、バンジョーやウクレレを自作し、演奏や歌う練習をした。アメリカへの留学を考え、ピート・シーガーに手紙を書き、音楽評論家の家を訪ねて、聞きたいことを聞き、いくつもの資料をもらってきた。

・そんなことを友だちに話すように日記に書く。それは彼の自伝のようだし、私小説のようでもある。何でも打ち明けられるし、相談もできる。それで自分の考えもはっきりする。フォーク・シンガーとして独特のスタイルを作った人の若き日の日記であるだけに、一人の物語のようにして読んだ。実は僕はこのノートを、彼がデビューする前に井の頭公園で見せてもらっている。もう半世紀も前の話で、僕も同じようなノートを作っていたが、もうとっくに捨ててしまっている。

・友だち、仲間、そして家族。その関係の重要性は、一人一人それぞれだろう。また、誰にとってもそれぞれの関係の重みや意味合いは、歳とともに変わっていく。恋愛は結婚によって持続的な関係になる。仕事仲間もまた、ある程度の持続性を前提にする。ところが友だち関係には、持続的であることを保証するものは何もない。だからこそ、一次的にせよ、親密な関係になる。そして必ずしも生きた他人である必要はない。そんなふうに考えると、僕にも思い当たる出会いはいくつかあったと思う。

2015年7月20日月曜日

新刊案内!『レジャー・スタディーズ』

 

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・今、「レジャー」について考える理由は、経済的にこれほど豊かな国になったのに、日本人の「レジャー」はなぜ貧困のままなのか、という疑問でした。ところがここ数年の状況は、雇用形態の変化や「残業代0法案」に顕著なように、その豊かさが怪しくなっている点にあると思います。ですから、ひょっとすると、この本を見かけた人は、こんな大変な時代になぜ「レジャー」なのだと思うかもしれません。しかし、こんな時代や状況だからこそ、「レジャー」について、自分の生き方や「ライフスタイル」と関連させて考えることが必要だと強く言いたくなります。是非中味を読んで、そのことを認識して欲しいと思います。

目次

序章 レジャー・スタディースの必要性と可能性(渡辺潤)

Part1 余暇学からレジャー・スタディーズへ
 1.余暇 (薗田碩哉)
 2.遊び (井上俊)
 3.ライフスタイル(渡辺潤)
 4.仕事(三浦倫正)
 5.カルチュラルスタディーズ(小澤考人)

Part2 レジャーの歴史と現在
 6.教養と娯楽(加藤裕康)
 7.ツーリズム(増淵敏之)
 8.音楽(宮入恭平)
 9.ショッピング(佐藤生実)
 10.スポーツ(浜田幸恵)

Part3 レジャーの諸相
 11.ライフサイクル(盛田茂)
 12.食(山中雅大)
 13.映画とテレビ (盛田茂+加藤裕康)
 14.ミュージアム(光岡寿郎)
 15. ギャンブルとセックス(岸善樹)

索引
あとがき

オビ

{余った暇」つぶしから
豊かなレジャーの世界へ!

自由とは何か、豊かさとは何か、私はなぜ働くのか、
レジャーからライフスタイルを見つめよう。
旅行、音楽、スポーツからテレビやギャンブルまで、
多様なレジャーの過去と現在を学ぶ入門書の決定版。
現代文化を学びたい人にも最適。

2015年7月13日月曜日

梅雨がうらめしい

 

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forest126-2.jpg7月に入って、毎日のように雨が降り続いている。その雨の合間に真っ赤な夕焼けの日があった。うわーきれい、と見とれたが、ほんの少しで闇に消えた。梅雨入り前に御坂山塊に登った。ただし歩いてではなく、車でだ。いつ来てもここからの景色は素晴らしい。しばらくぶりでちょっとだけ、パートナーと尾根歩きをした。リハビリを頑張って、500m、1km、2kmと散歩の距離を少しずつ伸ばしている。果たして山歩きができるまで回復するのだろうか。ここはじっくりリハビリに励んでもらうしかない。

toilet.jpgそんなふうに思っていたら、保険の適用は6ヶ月までだと言われた。あとは実費で続けなければならない。治っても治らなくても半年限り。保険制度の財政が厳しいとはいえ、切り捨てがここまで露骨だと腹が立つ。

一方で、新国立競技場に象徴されるように、どんぶり勘定でやる無駄遣いがあとを絶たない。ラグビーのW杯もオリンピックも、やりたければ横浜や埼玉、そして味スタを使えばいい。権力者の思いが弱者を切り捨てにする。そんな好例を目の前に突きつけられた思いがした。その新国立競技場はまるでトイレだという記事を見た。こんなものは絶対作らせてはいけないのだ。

forest126-3.jpg山歩きができないから自転車で。新しい自転車に乗って6月は12回走った。河口湖一周、西湖一周、そして西湖と河口湖。スピードが出るからついついがんばって新記録を狙ってしまう。で、河口湖一周は45分、西湖は58分、西湖+河口湖は1時間22分。こうなるとだんだん冒険もしたくなる。富士山一周はいつかやりたいと思っていたが、まずは精進湖まで、そして本栖湖まで、あるいは山中湖一周をしてからと思っている。自転車は何と言っても登りがきつい。その登りだけのヒルクライムにも挑戦してみようか。だったら富士山五合目まで、などと考えている。年寄りの冷や水と言う声が聞こえてきそうだ。

forest126-5.jpgところが7月に入って自転車に乗れない日が続いている。この週末やっと晴れたと思ったら、数日前から体調がすぐれない。梅雨時には時々出る症状で、原因は不明だが、とにかく寝れば直る。で、日曜日に8日ぶりで河口湖を一周した。
雨の影響は薪にも出始めている。カビが生えてきているのだ。雨のかからない軒下にできるだけ移動しなければならない。自転車よりも優先してと、これは土曜日にやった。カビだけでなく、虫の巣になっていたりナメクジがついていたりと大変だった。他方で茗荷は例年になく大きく育っている。収穫は今月末からか、あるいは8月になってからだろうか。

forest126-4.jpg雨は降っても気温は暑からず寒からず。僕にとってはちょうどいいのだが、パートナーには寒いようだ。麻痺した部分の血流が悪いせいだろう。とにかく家の中は暖かく。そのために床下の断熱工事をした。建築時に貼った繊維質の断熱材が剥がれ落ちていたから、以前からなおさなければと思っていたのだが、薪の原木を購入しているところで相談をすると、うちでもやってますと言われた。今は発泡性のウレタンを吹き付けるやり方になっているという。床全面に吹き付けたが、さて今度の冬はどうだろうか。床下に入ってみると、ちょうど薪ストーブがあるところに、大きな蜂の巣があった。もちろん、もう何年も経ったものだが、ここで越冬したのだろうか。きっと暖かだっただろうと思う。

2015年7月6日月曜日

がんばれ!"SEALDs"

 


SEALDs.png ・大学生が政治問題に目覚めてやっと動き始めた。毎週金曜日の夜に国会議事堂前で、土曜日に渋谷で集会やデモをやっている。その動きは京都や札幌、そして沖縄などに広がって、数百、数千人の若者達が集まっているようだ。思い思いのプラカードを掲げ、マイクを握って発言し、ラップなどでメッセージを伝えてもいる。僕は出かけていないが、Youtubeではその模様をいくつも見ることができる。

・集会やデモをリードしているのは"Students Emergency Action for Liberal Democracys"(自由と民主主義のための学生緊急行動)という名の組織だ。略して"SEALDs"と言う。

・若者達の意識が変わりはじめた。そう思うと、どうしようもない政治状況に暗くなっていた気持ちの中に、ひとつの明かりがさしてきた気がした。参加したフォーク歌手の中川五郎はツイッターで「なんと美しき光景かな。未来を生み出す若い人々とこの時代を生きていることを心の底からうれしいと思う。未来は彼らと共にある。」と興奮気味に書いている。

・そんな気分になるのは僕にもよくわかる。大学生が抗議行動に率先して立ち上がったのは半世紀ぶりで、僕らの世代が高校生や大学生だった時以来だからだ。"SEALDs"のFacebookには岡林信康の「友よ」がリンクされたりもしているから、余計に懐かしさを感じたりもしてしまった。

・とは言え、そんな興奮をゼミの学生に話しても、彼や彼女の反応はいまひとつだ。僕の勤める大学のキャンパスにも、そんな動きはまだ見えない。渋谷に2000人といっても、まだまだごく一部の学生なのだと思う。内向きで政治には無関心の学生の意識を変えるのは大変だが、ほかの誰より自分たちに一番関わる問題であることに早く気づいて欲しいと思っている。

・だからこそ、この動きは大切にして、芽を摘みとるようなことが起こらないようにとも思う。たとえば"SEALDs"のサイトには「私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。」といった声明がある。そしてこれに対して、自由で民主的な日本がどこにあるのか、それを作ろうといったい誰が努力してきたのかといった批判をして、その認識の甘さを突く声もある。

・戦後に作り上げられてきた民主主義を守るのではなく、むしろその民主主義なるものの欺瞞を撃つことから始めなければという批判は、至極まっとうなものである。けれどもそんな批判を頭ごなしにしても、それはやっと芽生えた動きの芽を摘みとる働きしかしないだろう。身近にいる大学生達とつきあっていて肝に銘じているのは、叱るよりはまず褒めることであるからだ。とにかく行動し、その後で、自分で考えながら気づいていく。教師としてはどうしても、そんなふうに考えてしまう。

・学生達は何より空気を気にするから、この流れが身近な人間関係に及ぶことが必要だ。その意味で不思議に思ったのは、"SEALDs"のサイトのSNSにFacebookやTwitter、それにYouTubeがあるのにLineがないことだ。僕のゼミの学生達の多くはLineしかやってない。たぶん多くの大学生も同じなのだろうと思う。