2012年8月27日月曜日

アルプスの山を歩く

 

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alps2-2.jpg・旅の後半はイタリア国境のツェルマットから電車で北上してユングフラウとアイガーのある中央部に移動した。実は最初はもっと鉄道に乗るツアーに申し込んだのだが、参加者が少なくて中止になって、山歩きだけのプランに変更したのだった。だから、貴重な鉄道体験になった。その鉄道を小刻みに乗り換えて着いたのはラウターブルンネンという町だった。そこからバスとロープウェイを乗り継いで、ユングフラウ、メンヒ、そしてアイガーを望むロープホルン小屋まで3時間かけて400m程登った。

alps2-3.jpg・もうこの頃には全員打ち解けて、お互いを気遣いあって登り、山小屋に着くとすぐにビールで乾杯が当たり前になった。男たちは旅行会社のリーダーをのぞけば、後は60代と70代。僕以外は定年退職して悠々自適の暮らしをする人たちだったが、女たちは、休暇が取れるのに取りにくい空気を変えてやろうと参加した人、休みが取れなくて辞めてしまった人など、感心するぐらいしっかりした人たちだった。そんなプライベートなことがお互いの口から自然に出るようになった。


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・アルプスの景色はどこも壮大だった。季節を過ぎていたとは言え、高山植物をいくつも見ることもできた。けれども、動物を見かけることが少ないのは意外だった。鳴き声をよく聞いたのはマーモットだけだったし、他には雨上がりの朝にいっぱいいた黒いアルプス山椒魚ぐらいだった。鳥もくちばしの黄色いカラスと雀だけ。一見自然に見えるけれども、人の手がものすごく入っているし、現在はその保護に熱心でも、すでに乱獲して絶滅させてしまった生き物がたくさんある。のどかな牧草地が広がる風景も、おそらく数世紀前には鬱蒼とした森だったはずで、アイガーの中を掘って3500mまで鉄道を作ってから今年で100年になることとあわせて、現在のアルプスが人間にとって好ましいものへの作りかえや再生であることをつくづくと感じた。

・今夏のアルプスは観測史上最高の暑さで山頂の氷河もずくずくに溶けていた。その石灰岩を砕いて白く濁った冷水が流れる川には厚い霧がかかっていた。その流れを見ながら、アルプスの氷河はあとどのくらい持つのだろうかと思った。

・今回のツアーは山小屋とホテルに4泊ずつの行程で、一日平均10km前後を歩いたから、全部では7~80kmを歩いたことになる。上り下りのくり返しだから相当きつかったが、観光旅行では見えない世界をずいぶんたくさん経験することができた。街歩きもいいけど山歩きもなかなかいい。今見ておかないとなくなってしまう景色もたくさんあるに違いない。さて次はどこに行こうか。帰ったばかりなのに、もうそんなことを考えたりもしている。


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2012年8月21日火曜日

アルプスから

 

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alps4.jpg・朝4時前に河口湖を出てから、成田、チューリッヒ経由でツェルマットまで、ちょうど24時間かかった。現地時間では夜9時過ぎで、夕食も少しにして、すぐにベッドに入ったが、爆睡状態で翌朝5時に目が覚めた。今日からマッターフォルン周辺のトレッキングの始まりだ。ツアーのメンバーはリーダーを入れて10名、男女5名ずつで30代から70代まで、年齢幅は多いが、僕より経験豊富な人たちばかりのようだった。旅行社が企画したツアーに参加するのは初めてで、団体行動が苦手な僕としては不安な気持ちもあったのだが、顔ぶれを見て少し安心した。後は体力が続くかどうかだった。

alps3.jpg・ツアーは10日間で、マッターフォルンとユングフラウの2カ所を中心に山小屋に泊まりながら周辺を歩く企画で、おおよそ1日10km前後を5〜6時間歩くという日程だった。初日はロープウエイでマッターフォルンの間近まで登り、そこから西に向かって歩いた。最初の2時間ほどは下りで、昼食後の3時間はだらだらの登り。しかし、山小屋を目の前にした最後の急斜面がきつくて、着いたときにはへとへとだった。ただし、歩くごとに姿を変えるマッターフォルンや日没の景色は素晴らしかった。夜には満天の星。そして夜明けの朝焼け。歩いてこなければ味わえない経験であることが一日目から実感された。


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・スイスはアルプスのある山岳国家だ。ヨーロッパでは自然に恵まれた所だが、平地が少なくて決して豊かではなかった。だからだろうか、その特性を生かした徹底的な観光化は、来てすぐに感じられた。4000m級の多くの山にはロープウエイやケーブルカーで山頂近くまでいけるし、山脈にはトンネルを掘って車の行き来が可能になっている。驚いたのは道路が途切れた山の部分だけを動くカートレインがあったことだ。(上左)

・だから歩かなくても、アルプスの山を十分に体験することができる。ツェルマットの町には日本語の表示が溢れていて、日本人観光客の多さがよくわかった。そう言えば、乗った飛行機は満席で、その9割は日本人だった。ただし、僕らが歩いているルートでは、日本人には滅多に会わないし、山小屋に泊まっている人もほとんどいない。

・トレッキングは今日でちょうど半分が終わったところだ。もう体は悲鳴を上げているが、明日はユングフラウに移動をして、また数日のトレッキングを行う予定になっている。最後まで持つかどうか、ちょっと心配な気持ちになっている。
 

2012年8月13日月曜日

オリンピックどころではないのですが


・オリンピックが始まって、テレビはほとんどそのことで埋め尽くされるようになった。金メダルは少ないけれども、銀や銅を取る選手が多かったから、報道の仕方もヒートアップするばかりだった。他方で国会は消費税法案の採決や衆議院の解散をめぐって紛糾したが、メディアの関心度はオリンピックの比ではなかった。これからの生活に大事なことより今興奮できること。テレビのオリンピック中継とそれに歓喜する人びとの様子を見ていると、そんな「空気」を強く感じてしまった。

journal3-128.jpg・とは言え、今はネットがマスメディアに拮抗するかのような力を発揮するようになった。7月29日に行われた「国会大包囲デモ」は主にツイッターやフェイスブックで告知されたが、集まった人は20万人を超えたと言われた。そのデモに僕も参加したが、猛暑にもかかわらず大勢の人が日比谷公園から東電や経産省前を歩き、国会周辺で「反原発」の声をあげた。その様子は壮観だったが、同時に警察の過剰警備には腹が立った。

・あるいはネット上では新たに作られる「原子力規制委員会」の人選に対する抗議も強く行われていて、国会議員を巻き込んで、人事の撤回に向けた動きを作り出している。実際、この人事は消費税法案の採決よりも重要だと思うのだが、テレビはもちろん、新聞にも、そのことを明確に書いた記事はあまり多くない。原発の是非について国民に聞くという政府の「意見聴取会」も、その思惑とは違って、「原発0%」が7割という結果が出た。これを尊重するなら「原子力規制委員会」のメンバーも選び直すのが当然だが、沈没寸前の野田内閣は、というより経産省は一体どう処理するつもりなのだろうか。

・地デジ用のアンテナを立てたおかげで、視聴できるチャンネルが4つ増えた。微弱電波だから天候によって見えたり見えなかったりするが、オリンピックを見るチャンネルが増えたことは間違いない。しかし、深夜や夜明け頃のライブまで見る気はないから録画放送中心だと、日本選手が活躍したものばかりになって、すぐに食傷気味になってしまった。NHKが今回から他の競技を複数、ネットで生中継するようになった。同時にいくつもの競技を配信できるのだから、テレビ放送する種目も中継してほしいと思った。

・アメリカでは放映権を獲得したNBCがネット配信をライブでしているようだ。テレビの方が録画中心になって視聴者から苦情が来ているといったニュースを耳にした。既存メディアとネットの関係は日々変わっている。ロンドン・オリンピックで何より印象的だったのはそのことだった。であれば、次のリオでのオリンピックはテレビなしで、ネットで楽しめるかもしれない。そう感じたが、既得権を何より大事と考える日本のマスメディアにそんな方向が打ち出せるだろうか。

・ともあれ、オリンピックという祭りが終わって、もっと現実に目を向ける時がやってきた。連日の猛暑なのに電気が不足しているといった話はまるでない。関電は火力発電所を休めているようだが、そのことを批判するメディアは皆無だ。原子力規制委員会のメンバーの人選もめちゃくちゃなのに、それを問題にする声はネットでしか見かけない。

・国が歩こうとしているのは、既得権や利権という目先の金感情(勘定)だけで照らされた道なのに、メディアは、それが現実的な方向であるかのような空気(世論)を作り出すことに終始している。政治への直接参加と、マスメディアに頼らない情報のやりとりの必要性をますます自覚するばかりである。

2012年8月6日月曜日

六車由実『驚きの介護民俗学』医学書院


・介護民俗学などという分野があるのか。この本についての情報を目にしたときに感じたのは、そんな半信半疑の気持ちだった。しかしまた同時に、どんな本なのかという強い興味も湧いた。要介護となった両親とのつきあい方でいろいろ考えたり、迷ったりすることが多かったからだ。

・ホームでケアされる老人には痴呆症の人が多い。だから、常識的な意味での会話は成り立ちにくいと考えるのが普通だろう。患っていなくても、年寄りの話はくり返しが多いから、何度か聞けば「またか」と思って、まともに聞く気はなくなってしまう。それはここ数年、両親と話をして自ら経験してきたことでもある。

・老人ホームでの仕事はその大半が食事と排泄、そして風呂の介助などで占められている。だから入居者の話を聞くという作業は、それほど重視されていない。もちろん、介護には痴呆症の進行を遅らせたり、改善させたりするための方策も工夫されている。しかしそれはあくまで対症療法であって、老人たちの話自体に価値を見つけ出そうとするものではない。

・「介護民俗学」とは著者によれば、介護を通して聞く話の中から、その人の生きた歴史を積極的に読み取ろうとする手法である。もちろん、そこから老人たちが生きた時代、地域、職業などについての話を通して、当時の生活の仕方を見つけ出すといった民俗学本来の目的も可能になる。ちなみに「介護民俗学」は著者みずからが見つけ出して提唱している研究分野である

journal1-153.jpg・著者によれば老人ホームはそんな話の宝庫のようだ。同じことばをくり返したり、つじつまの合わないことを言う老人たちの話が、聞き方次第でとんでもなく魅力な物語に変身していく。題名についた「驚きの」は、決して大げさなものではなく、著者みずからが体験した素直な気持ちの表現だということだ。

・確かに、この本に登場する老人たちの話はおもしろい。しかし、長い人生の中で経験したことを聞くのにわざわざ老人ホームという場所で介護の仕事につく必要があるのだろうか。昔のことをもっとしっかり記憶していて、調査者が聞きたいことをうまく話してくれる人は、むしろ年取っても自立した生活ができている人の方に多いのではないだろうか。僕はこの本を読みながら、まずそんな疑問を持ち続けたが、読み進めるうちに納得するようになった。

・著者は大学に籍を置いていたが、その職を辞して介護職員になった。その理由ははっきり書かれていないからわからないが、介護をしながらの聞き書きが、話をする者と聞く者の関係を強く自覚させたことは確かなようだ。

・どんな専門分野、どんな研究テーマであれ、人から話を聞く必要が生じたときに考えるのは、最も有効な話が聞けるのは誰かということだろう。しかし老人ホームでの聞き書きでは、話者を選ぶことも話のテーマをあらかじめ決めることもしない。ホームの職員には、誰であれ老人の話に耳を傾けること自体が対症療法として求められているからだ。

・著者が模索する介護人類学は、そこから一歩進んで、老人の話の中身に関心を向けようとする。だからこそ「驚き」が生まれるのだが、その姿勢はまた、介護をする人とされる人という関係が必然的に持つ立ち位置の違いも消すことになる。老人が語る昔話に目を輝かせて聞く子どものようにして向き合うことが、物語を一層豊かにし、また話をする老人を生き生きさせることになる。

・老人ホームを何カ所か訪れて強く感じたのは、そこに入居している人たちの無気力な顔だった。そういう意味で、介護の中に入居者の話を聞く仕事を入れることは、ものすごく大事なことだという読後感をもった。