2019年12月31日火曜日

目次 2019年

12月 

23日:『ポツンと一軒家』から見えるもの

16日:紅葉とお墓

09日:「おとうさん」「おかあさん」って何?

02日:フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』(集英社)

11月

25日:もううんざりしていますが

18日:『ジョーカー』

11日:一人になった母のこと

04日:それにしても雨が多い

10月

28日:立山・称名滝

21日:竹内成明『コミュニケーションの思想』(れんが書房新社)

14日:コラボの2枚 

07日:父の死

9月

30日:久しぶりのラグビー観戦

23日:大谷翔平選手に

16日:カビと腐食

09日:音楽とスポーツ 

02日:香港と韓国

8月

 26日:『新聞記者』を観た

19日:真夏の騒動

12日:猛暑はもう異常ではありません

05日: 東北も酷暑だった!

7月

29日: テレビからジャーナリズムが消えた

22日:田村紀雄『移民労働者は定着する』ほか 

15日:「れいわ新撰組」がおもしろい

08日:病にも負けず

1日:スプリングスティーンとマドンナ

6月

24日:年金だけでは暮らせないのは当たり前の話

17日:DAZNをはじめた

10日:久しぶりの海外旅行

03日:井上俊『文化社会学界隈』(世界思想社)

  5月

28日:加藤典洋の死 

21日:リハビリとメインテナンス

14日:ジョニ・ミッチェルの誕生日

07日:高齢者の自動車運転について

  4月

29日:今年のMLB

22日:黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)

15日:樽の中に閉じこもる

08日:雪のない冬

01日:修理、修理!?

3月

25日:初めてのウィリー・ネルソン 

18日:ティム・インゴルド『ラインズ』(左右社)

11日:辞める人、辞めさせられる人

04日:なぜこんなひどい政権を支持するのか

2月

25日:旅から帰って 

18日:九州旅行

11日:今年は九州一周

04日:最近買ったCD

1月

28日:パトリシア・ウォレス『新版インターネットの心理学』(NTT出版) 

21日:テレビは太鼓持ちの世界

14日:平成とは

07日:閑人になって1年

01日:今年もよろしく

2019年12月23日月曜日

『ポツンと一軒家』から見えるもの

 

potsun1.png・『ポツンと一軒家』についてはすでに、見かけた人に「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることについての違和感を書いた。今回は内容について感じたことを書こうと思う。
・この番組はお金がかかっていないと思う。何しろ、登場するのは現地に出かけるディレクターとカメラマンなど、数名だけなのである。もちろん、スタジオでコメントをつける所ジョージと林修、それに二人のゲストの出演料はかかるが、同時間帯で人気を二分する「世界の果てまで行ってQ」に比べたら、製作費用は一桁、あるいは二桁も違うかもしれない。うまいところに目をつけたものだと感心する。

・人里離れたところに住むのは、どんな人だろうか。この番組の人気は先ずそこにある。田舎に住む人を紹介する人気番組は、他にも『人生の楽園』などがあって、都会人にとっては憧れの対象なのだと思う。確かに、何かやりたいことがあって、山奥に移り住んだ人もいる。そこで自力で家を作ったり、農作業をしたりする人もいる。しかし、多くは限界集落に残った一軒であることが多いし、すでに誰も住んでいない消滅集落である場合が少なくない。

・しかも、住んでいる人の多くは70代、80代で、時には90歳を超えていたりする。かつては集落にいくつもの家族が住み、学校もあったり、寺や神社、そしてもちろんお墓もあったのだが、今では老人が二人、あるいは一人で生活していたりするのである。それを見ていて思うのは、かつては山奥に住んで、生活していた人が多かったこと、そんな集落が、ほとんど消滅しかかっている現状の再認識である。農業や林業では生活できないから、そこで生まれ育った人の多くは家を離れて別の暮らしをするようになった。そして年老いた人たちも、山を下りてしまった。

・そういった事例を積み重ねていけば、これが大きな社会問題であることがはっきりする。しかしこの番組には、そんな指摘をして、番組の視点をそこに置こうという発想はない。これはあくまで娯楽番組で、おもしろおかしく、時にロマンや怖い面を見せる番組なのである。日本中いたる所に限界集落や消滅集落がある。そんな現状をくり返し見せられれば、そのうち飽きて、視聴率が下がってしまうかもしれない。そうなれば、大きな問題になどならずに、忘れられてしまうに違いない。そして山間部の集落は次々と消滅していくことになる。

・尋ねた人や住んでいる人が「やさしい」などといっている場合ではないのである。しかし、尋ねたり、訪ねた人の多くは、この番組を見ていて、過剰なほどに番組に協力している。テレビだといわれれば、どこまでも親切にする。世間体や評判を気にしてのことだろうか。他方で現状を社会問題として認識し、訴えようなどとは決してしない。日本人の特徴がよく現れた対応の仕方だとつくづく感じてしまった。最近の気候の変化で山が崩れ、川が氾濫して、山道や林道も荒廃している。杉や檜の森も、林業の停滞で荒れ果てている。この番組が教えてくれるのは、何よりそんな、日本の現状だが、番組の出演者はもちろん、登場する現地の人たちからも、そんな声は聞かれない。

・ところで、テレビ朝日は一軒家の住人や、道を尋ねた人、道案内をした人などに、出演料や謝礼を払っているのだろうか。払って当然だと思うが、さてどうだろう。無償だとしたら、それこそ丸儲けの番組だというほかはない。

2019年12月16日月曜日

紅葉とお墓

 

forest163-1.jpg

forest163-2.jpg・我が家の楓は今年もきれいに紅葉した。去年と同様、暖冬で長持ちしたし、いっせいにではなくずれて黄色や赤になったから、ずい分長い間楽しんだ。それは湖畔の紅葉も同じだったから、いつまで経っても観光客は減らなかった。車や人で走りにくかったが、好天が続いた11月は自転車にも10日ほど乗った。激坂をがんばって西湖にも何度か行った。周囲の山の紅葉は素晴らしかったが、きついから、いつも分かれ道のところで、河口湖か西湖で迷ってしまう。

forest163-3.jpg・山にも出かけた。九鬼山後は黒岳、今倉山、そして釈迦ヶ岳に登った。パートナーと一緒だからコースタイムの1.5~2倍ほどかかる。登りは足を支え、下りは衿をもたせてバランスが崩れないようにする。そのほかビデオ撮りもあるから、なかなか忙しい。登った山はどれも広葉樹が多く、紅葉が素晴らしかった。久しぶりの釈迦ヶ岳は360度の眺望で、雲一つない好天だったから、富士山はもちろん、南アルプスや八ヶ岳、大菩薩、丹沢山塊などがよく見えた。その後も登る計画を立てたのだが、二人とも鼻風邪をひいてしまった。

forest163-4.jpg・父の葬儀は11月末の納骨式で一段落した。兄弟と息子家族などが集まったが、この日も晴天で、孫たちがはしゃぐ姿に心が和んだ。次は新盆と1周忌。こんなふうにして集まる機会が、これからも度々ある。実はこの霊園にはパートナーの父母の墓もあって、11月初めに義父の七回忌をしたばかりだった。それもあって、ここに新しい墓を作ったのだが、すでにある祖父や祖母が眠る墓をどうするかという問題が残っている。

・恒例の薪割りは3立米を割り終わった。ところが、追加の3立米を注文に行くと在庫がないといわれてしまった。去年もそうで、ものすごく太いのを割ることになったが、今年はそれもなかった。入荷の予定が立たないようで、春になるまでは無理かもしれない。ストーブ人気のせいなのか、クヌギやミズナラの原木が調達しにくくなっているのか。この冬は大丈夫だが、この先どうなるのか。ちょっと心配になってきた。

2019年12月9日月曜日

「おとうさん」「おかあさん」って何?

 

・山梨県では見られない「ポツンと一軒家」をアマゾン・プライムで見ています。久しぶりにおもしろい番組だと思いましたが、気になることがいくつかありました。それは、一軒家を探すスタッフが、見かけた人にいきなり「おとうさん」「おかあさん」と呼びかけることです。もちろん、この番組だけというわけではありませんが、あまりに頻繁に出てくる呼びかけなので、見ていてうんざりするようになりました。

・「おとうさん」「おかあさん」は、その子どもだけに限られた呼びかけです。ですから、いきなり知らない人から呼びかけられたら違和感をもつはずです。実際ぼくは、そんな呼びかけをされたことは一度もありません。これはテレビの中で始まったもので、今でもテレビに限られたものだと言えるでしょう。

・そもそも、「おとうさん」「おかあさん」は結婚していて子どもがいることが前提になるものですから、それがわからない人にいきなり使ってはいけない呼びかけのはずです。呼びかけられた人から、「俺には子どもはいないし、結婚もしていないよ」と言われたら、呼びかけた人は、どう返答するのでしょうか。今は未婚や子どものいない人が少なくない時代なのです。

・そもそも知らない人への呼びかけには、「ちょっと、すみません」などですむはずです。確かに「おじさん」「おばさん」「おじいさん」「おばあさん」「兄ちゃん」「ねえちゃん」「坊や」「お嬢ちゃん」などを使えば、距離感が縮まって親近感が生まれると思います。しかし、「おとうさん」「おかあさん」はいけません。より近しさを出すために使うようになったのかもしれませんが、呼びかけのことばとしては、きわめて限定的なものであることを自覚すべきでしょう。

・近しさを表現するなら、自分が名乗り、相手の名前を聞いて、名前を呼びあえばいいのですが、テレビでは、そこまですることは滅多にありません。仮にあっても、その後にまた「おとうさん」「おかあさん」が出てくるのはいかがなものかと思ってしまいます。「ポツンと一軒家」は人気番組で、尋ねられた人も見ている場合が多いです。呼びかけに親切に応えるのは、テレビに対する親近感からなのかもしれません。

・だからなのか、番組の出演者からは「やさしいね」「いい人だね」といったことばがよく出て来ます。そこには田舎の人はといった但し書きがついています。けれども、そういう反応をするのは、相手がテレビのスタッフやタレントであり、自分が映されていることを意識しているからなのです。意地悪なぼくなら、「あんたに『おとうさん』などと呼ばれる筋合いはないよ」と応えるかもしれません。そんな例は見たことがありませんが、あったとしても、放送には出さないでしょう。テレビ番組はあくまで、都合のいい部分だけで編集されたものなのです。

・もっとも「おとうさん」「おかあさん」についてもつ違和感は、もともとは夫婦が互いを呼びあうものに対してでした。子どもが生まれたら互いをそう呼びあうというのは、ごく当たり前のものでしょう。しかしぼくは、これにもずっとおかしさを感じてきました。子どもが独り立ちして家から出て行ってもまだ、そう呼びあうのには、何かさみしさすら感じてしまいます。互いの関係が、それだけでしかないのかと、思ってしまうからです。

・呼称を使う関係は日本人に典型的で、個人主義が行き渡っていない何よりの証拠かもしれません。ぼくが気に入らないのは、テレビがそれを増幅させていると思えるからに他なりません。とは言え、この番組については、他にも思うところがたくさんあります。そのうちに別のコラムで、内容について考えたいと思います。

2019年12月2日月曜日

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』 (集英社)

 

ross1.jpg・フィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、1940年のアメリカ大統領選挙でF.D.ルーズベルトではなく、C.A,リンドバーグが当選していたらという、仮定の物語である。リンドバーグは飛行機で初めて大西洋を単独横断した英雄で、実際に選挙では、彼を候補にしようとする動きもあったようだ。リンドバーグは反ユダヤ主義者でヒトラーとも近かったから、彼が当選したら当然、アメリカは第二次大戦には参戦しなかったはずである。そうすると、戦況はドイツ優勢のままに進み、日本軍の真珠湾攻撃もなかっただろう。それだけではなく、アメリカ国内でも、ユダヤ人に対する反感が高まり、大統領も反ユダヤ政策を推し進めたに違いない。

・そうなったとしたら、アメリカ社会はどうなったか。この小説は、その様子を7歳のフィリップ少年の目を通して描き出したものだ。この主人公の少年が作者自身であることは明らかだ。そして舞台も作者自身が生まれ育ったニュージャージー州ニューアークのユダヤ人街である。少年が育ち、成長する過程で経験した父や母、兄弟、親戚、隣人との関係、そしてこの町そのものの実際の歴史を念頭に置きながら、リンドバーグの登場によって、それらが変質し、壊れていく様子は、少年を介しているだけに切実だ。

・アメリカが第二次世界大戦に参戦しなかったことにより、ヨーロッパはドイツに占領され、日本は中国はもちろん、オーストラリアやニュージーランドまでを支配することになる。南米までもヒトラーの手に落ちるが、それでもリンドバーグへの支持は落ちなかった。多くの人命と莫大な戦費を失うよりは、その方がずっとましだという主張に、多くの国民が賛成したからだ。そしてアメリカ国内での批判はユダヤ系アメリカ人に向けられていく。ユダヤ人街が解体され、日系人が実際に経験した強制移住を強いられるようになる。人びとによるユダヤ人狩りも頻発し、少年とその家族にも危険が押し寄せる。

・そんな状況が一変するのは、リンドバーグが自ら操縦する飛行機が行方不明になったからだった。国内は大混乱に陥るが、大統領選でルーズベルトが再選されると、アメリカは大戦に参戦し、ドイツと日本は負けることになる。大戦が終結し、アメリカにも平穏な時が訪れるが、フィリップ少年やその家族、そして近隣の人たちが受けた傷は、そう簡単には癒やされない。

・この小説を読みながら感じたのは、国のリーダーの登場によって一変する世論の動向や、それによってもたらされる政治や社会の変容だった。それが少年の目を通して描かれるから、大人たちの狼狽ぶりや、保身や損得勘定に基づく豹変ぶりがよりあからさまになる。それは実際に、最近でも世界中でくり返されてきたことである。ブッシュ大統領の登場と貿易センタービルへの航空機の衝突が、アラブ地域における戦争と惨状を連続させていることなどは、まさに、この小説の再現そのものと言えるかもしれない。

・それなら、もし、ブッシュがアフガニスタンやイラクに侵攻しなかったら、今の世界はどうなっていただろう。そんなことを考えながら、この本を読んだ。イラクは相変わらずフセイン独裁の国かもしれないが、シリアの内戦もなかっただろうから、ヨーロッパに難民が押し寄せることもなかっただろう。それよりもっと、ブッシュが大統領にならなかったらどうだったろう。おそらく世界の情勢は、今とはずい分違っていたかもしれない。そして決して悪い方向へというのでないはずだ。

・もし日本が第二次世界大戦に勝っていたら、などというのは想像するのもおぞましい。しかし今は、そんな方向に舵を切ろうとする政権が支配していて、戦争中に起こしてしまったことをなかったことにしようとしているのである。朝鮮半島における徴用工や従軍慰安婦、中国での南京虐殺等々である。この政権は、森友加計問題から、最近の桜を見る会まで、そんな事実はなかったと白を切って、証拠書類などを改竄、あるいは廃棄してしまっている。なぜ、こんな政権が生まれて、しかも長続きしてしまっているのか。まるで現実が架空の話であるかのように感じられてしまう。私たちがいるのは、そんな奇妙な世界である。

2019年11月25日月曜日

もううんざりしていますが

 

・うんざりしているのは、もちろん安倍政権のことだ。もう、批判する気にもならないほどだが、そうなるように仕向けるのが政権や自民党の戦術だから、やっぱりここは、批判しつづけなければと思う。それにしてもひどい。驕る平家は久しからずと言うけれど、安部政権の驕りはとどまることを知らない。もうこれで終わりと何度思ったことか。そのたびにうやむやになってしまうことに、怒り、呆れたことか。今度こそは辞めてもらわなければ。と言うより辞めさせなければと本当に思っている。

・毎年春にやる桜を見る会はここ数年、かかる費用が急増してきた。その理由が首相の選挙区の人たちを多数招待してきたことが明らかになった。この会には招待する条件が明確に決められているが、選挙区の選挙民を呼んでいいとはどこにも書いてない。それを自民党の政治家たちそれぞれに人数を割り振って、数千人にも及ぶ人を招待したのである。ちなみに安部は1000人だが、800人が参加した前夜祭をホテルでやって、その費用に疑問や批判がぶつけられている。例によって領収書はないのである。

・公費を私用に使う。森友・加計問題で周知の事実だが、官僚の口を閉ざし、書類を隠蔽したり、廃棄したり、警察や検察に手を回し、メディアを押さえつけて、何も問題なかったことにしてしまった。そうではないことは誰もが知っているが、犯罪であることを証明する証拠も証言もない。だから悪いことではないというわけだ。このやり方を今回も踏襲しているのだが、今度は安倍本人や事務所に関わる問題だから、官僚に任せるわけにはいかない。野党やメディアがどこまで追い詰めることができるのか。警察や検察が渋々でも動き始めるところまでいかなければ、また逃げられてしまうだろう。

・ところでここまで来ても、安倍政権の支持率はそれほど下がっていない。歴代最長になった政権を支持する人が6割もいるというから驚くが、その評価できる具体例については、特にないというのが一番多いのだから不思議だ。名前で呼び合うほどだというプーチンには、北方領土の2島返還どころか、「領土」と呼ぶことさえできなくさせられてしまった。北朝鮮との関係は、その危険性を煽って支持を高めることはしても、交渉の糸口すら見つけられないままだ。そして韓国との関係は最悪な状態になっている。

・対米関係のアメポチ状態もひどくなるばかりで、トランプの言いなりで兵器や農産物を買わされている。ハワイやグアムを守るためのイージスアショアをなぜ日本の金で装備しなければならないのか、いりもしないトウモロコシを買わなければならないのか。ろくな説明もなしに決められていくことが他にもたくさんある。消費税が10%になったのに、なぜ福祉予算が削られるのか。逆に「女性活躍」「国土強靱化」「働き方改革」「アベノミクス」等々、派手に掲げた政策は何一つ達成されていない。

・まだまだあげたら切りがないほどで、書いているうちにますます腹が立ってきた。この政権が政治や経済はもちろん、社会や人間関係、そして国土をも壊しつつあることは明らかで、それに気づかなければ、取り返しがつかなくなってしまうだろう。

2019年11月18日月曜日

『ジョーカー』

 

joker1.jpg・「ジョーカー」は『バッドマン』に出てくる最強の悪役である。この映画の舞台も同様に、ゴッサム・シティというニュー・ヨークに似た架空の都市だ。物語は「ジョーカー」が誕生するいきさつを描いたものだということだが、そんな架空のことではなく、きわめてリアルな話のように感じられた。

・主人公はピエロのメイクをしてサンドウィッチマンをしたり、病院に入院する子どもたちを慰問する仕事をしている。コメディアンとして有名になるという夢を持っているが、すでに中年になって、母親を介護して一緒に暮らしている。そんな母思いで子ども好きの男が豹変するきっかけは、黒人少年たちの悪ふざけだった。同僚が護身用にと貸してくれたピストルを持ち歩くことで、地下鉄で三人を撃ち殺すことになる。女性をからかう男たちを見て、突然笑い出したことが原因だった。彼には発作的に笑い出すという病気があって、その症状が出てしまったのだった。

・母親は自分の父が町の有力者だと言うのが口癖だった。しかしそれを確かめると、それが母の妄想にすぎなかったことがわかる。それだけでなく、母は幼い自分を虐待してきたことなどもわかってくる。で脳梗塞で入院した母を、病室で窒息死させ、ピストルを貸してくれた同僚をはさみで刺し殺す。疲弊した町で不満を鬱積した人たちが、ピエロを英雄視し、仮面をかぶってデモをするようになる。たまたまテレビ出演をすることになって、憧れていたはずのキャスターを撃ち殺して逮捕されるが、その護送車が襲われて、彼は自由になる。

・この映画を見ていて、その展開に引き込まれたが、同時にまた、最近起こった悲惨な出来事を思いだした。京アニの放火事件、障害者施設での殺傷事件、あるいはちょっと古いが秋葉原での無差別殺傷事件等々である。もちろん、アメリカで頻発している銃連射事件のこともだった。思い通りに行かない自分の境遇や人間関係のつまずきに対する悩みや不満が、他人に向けた暴力に向かう。そんな傾向は車のあおり運転や子どもに対する暴力などにもありふれている。

・映画を見ていてもうひとつ考えたのは『タクシー・ドライバー』との類似性だった。大統領候補の事務所で働く女性に好意を持って近づくが、嫌われてしまうことで、候補を暗殺しようと思う男の話だ。ところが、少女売春の現場でひもを殺して少女を解放することで、メディアからヒーロー扱いされることになる。どう転ぶかわからない、そんな社会の不条理さがテーマだった。70年代の映画で、これを見た時には、リアルさと言うよりアメリカ社会の怖さを覚えた記憶がある。ところが『ジョーカー』に感じたのは、身近にもありそうなリアリティだった。

・『タクシー・ドライバー』を思いだしたのは、ロバート・デ・ニーロが出ていたせいなのかもしれない。彼はバラエティ・ショーの人気司会者役で、発作的な笑いがおもしろいと「ジョーカー」を抜擢して番組に登場させて、番組中に彼に撃ち殺されるのである。主人公の名前はアーサーだが、放送中に初めて、自分を「ジョーカー」だと名乗り、殺人鬼であることを国中に印象づける結果になった。

・この映画は日本でもヒット中のようだ。けっして荒唐無稽ではない怖さを感じさせる映画を、どんな思いで見ているのだろうか。そんな興味もあるが、映画館では決して多くはない観客の多くが、紙コップにあふれるポップコーンをもって座席に着いていた。そんなもの食べながら見る映画ではないだろうにと思ったが、ちゃんと食べたかどうかはわからなかった。客席を見回す余裕のないほど没入してしまったからである。

2019年11月11日月曜日

一人になった母のこと

 

・父が死んで1ヶ月半が経ちました。今月の末には納骨式と49日をして、それで一応、やるべきことが済みます。やれやれという感じですが、一人になった母のことが気になります。老人ホームには出来るだけ行こうと思いましたが、台風による崖崩れでで中央道が通行止めになって、予定が立たないこともありました。前回は3連休の初日に出かけましたが、午後の2時すぎだというのに、中央道の渋滞は解消されず、ずい分時間がかかりました。行っても2時間ほどの滞在ですが、それでも朝出て、帰るのは夕方になります。出来るだけ行こうと思っても、1日仕事になりますから、なかなか大変です。

・母は父が死んだことは理解できるようになりました。一日中部屋で一人でいてすることがないから、どうして過ごしたらいいかわからない。外から見られているように感じるから、カーテンを開けるのが怖い。足が弱ってトイレまで歩くのも心許ない。あなたたちが帰ると、余計にさみしくなってつらい。行けばすぐにこんな話をくり返します。だったら訪ねてこない方がいいのかな、と言うと、首を振って、来てくれるのは嬉しいと言います。しかしすぐに、帰ると後がさみしいんだよね、とくり返します。

・母の認知症は脳溢血がきっかけでした。それによって直近の記憶がなくなってしまったのですが、心配性の性癖が消えて、老人ホームではのんびり、楽しく暮らしてきたのです。老人ホームでは絵画や習字、あるいは粘土といった教室がありますし、コンサートやイベントなどもあります。父と二人でそれらにも積極的に参加をして来ました。父以外には話をしたりする人がいないことが気になっていましたが、一人で入居している人たちには、二人でいる人には近づきにくかったのかもしれません。

・父は今年の初め頃から、ほとんど寝たきりで、出かけていってもいるのかどうかわからないような感じで、母とだけ話して帰ることが多かったです。しかし、そんな状態でも、いるだけで安心できていたようでした。父のベッドはまだ置いたままですが、そこに誰もいないことで、母の心配性が復活し、増幅してしまっているのです。教室やイベントにも出かける気がないようですし、耳が遠いし目が疲れるからとテレビをつけることもありません。母はよくラジオをつけていましたが、それも聞く気はないようです。

・しかし、介護をしている職員さんからは、部屋を出て応接室で入居している人と話をしていることもあると聞きました。父が死んだことで慰めてくれる人もあるようです。それを聞いてちょっと安心しましたが、ここで一人で生きていくんだという気持ちを、どうしたら自覚してもらえるか、なかなか大変だなと感じています。時々家まで連れて帰って、数日一緒に過ごそうかとも思います。しかしそれをやれば、老人ホームには戻りたくないというに決まっています。

・ホームに行くときにはパートナーが古い写真をもっていくことにしています。昔の記憶はすぐに思いだして、しかも鮮明に再現することもできますから、なるべくそれを話題にして、一緒にいる時間を楽しく過ごそうとしています。行けば必ず日記帳を取り出して、僕等が来たことを書かせるようにもしています。おそらく時間が解決してくれるのだろうと思います。不安が消えて落ち着けるよう願うばかりです。

2019年11月4日月曜日

それにしても雨が多い

 

forest162-1.jpg

・それにしても雨が多い。前回の「カビと腐食」も雨を話題にしたが、その後立て続けに台風が来て、雨と言えば土砂降りになった。千葉や東北では堤防が決壊して、くり返し水害に襲われている。水が引いて土砂を片づけたらまた浸水。これでは生きる力も萎えてしまうのだろうと思う。台風にしても雨にしても、今までとは規模の違うものが襲ってくる。もう異常だなどとは言ってられないほどだが、政府の対応は何とも心許ない。被災した人たちはなぜ、もっと怒らないのだろうか。

forest162-2.jpg・10月は自転車に乗ったのは二度だけだった。去年は12回も乗っているから、雨がいかに多かったかが改めてわかる。もっとも、父が死んで、そのために東京まで出かけることが多かったから、天気がよくても走れなかった日はあった。山歩きをしたのも2度だけ、精進湖からパノラマ台までの往復4kmほどは、雨には降られなかったが、雲が多くて、富士山は望めなかった。ここには去年も11月に登っている。九鬼山は500mほどを一気に登る急坂できつかった。この日は久しぶりにいい天気で、山の上からは富士山がよく見えた。さて、これから何度ぐらい登れるだろうか。


forest162-3.jpg ・いつものように原木を買い、チェーンソーで切って薪割りを始めている。しかしこれも、なかなかはかどらない。もちろん雨のせいだが、暖かくてまだ、ストーブに火を入れていないこともある。薪を燃やしてスペースを作らなければ、新しい薪を積むことができないからだ。雨に打たれればカビがつく。割る前からこんなふうになるのは、たぶん初めてのことだろうと思う。そう言えば、紅葉も遅い。庭の欅の葉は落ちているが、楓はまだ緑のままだ。河口湖の紅葉祭りも始まって客も増えているが、肝心の紅葉はやっぱり遅れている。

forest162-4.jpg ・外に出られなければパソコンかテレビ。ラグビーのワールドカップにメジャーリーグのプレイオフと、もっぱらスポーツ観戦だったが、地上波では見られない「孤独のグルメ」や「ぽつんと一軒家」など、見たいものはたくさんあった。さて、ラグビーも野球も終わったから、今月は寒くなる前に、自転車や山歩きができるだろうか。
・そうそう、アメリカからやってきたKちゃんファミリーがお土産に持って来たピーカンナッツを使って、パイを作ってみた。ネットで見つけたレシピー通りに作ったが、うまく焼けた。シロップを使わなかったから甘みはいま一つだったが、まあまあ、おいしかった。シュークリーム、パンプキンケーキ、ガトーショコラと作ってきたが、さて今度は何を作ろうか。

forest162-5.jpg・薪割りをしていたら、大きな音がして、何かがバルコニーに落ちた。野鳥が窓に激突して落ちたのだ。家ではよくあるが、冬雪がつもっているときが多い。この時期だと、よっぽどのうっかりものかもしれない。動かなかったが息をしているようで、死んではいないようだった。しばらくすると羽根を動かし、立ち上がった。しかし、しばらくは微動だにしなかった。薪割りを再開して15分ぐらい経った頃に、やっと首を左右に振り、ぴょんと跳ねて飛んでいった。脳震盪を起こしていたのかもしれない。ジョウビタキかなと思ったが、調べるとムギマキのようだ。


2019年10月28日月曜日

立山・称名滝

 

photo86-1.jpg

photo86-2.jpg・毎年10月はパートナーの誕生日に合わせて一泊の旅行をしている。去年は戸隠、一昨年は黒部、その前は白馬だった。この季節だとどうしても紅葉のきれいなところとなって、信州方面にということになる。今年はどこに行こうかと相談して、立山の称名滝に決めた。

・天気予報は雨だったが、近づくと曇に変わり、当日はご覧の通りの秋晴れ。晴れ男・晴れ女は今年も健在だった。大体、旅行中に雨に降られたことがほとんどないのである。まずは甲府に出て、中央道を走り、八ヶ岳のPAで休憩。ここでクロワッサンのあんパンを買うのが恒例になっている。初冠雪だという甲斐駒ヶ岳と北岳がきれいに見えた。

photo86-3.jpg ・ルートは松本から上高地を抜けて奥飛騨を通って富山へ抜ける道を選んだ。上高地まではトンネルが多く道幅も狭いからあまり好きな道ではないが、平日だったからそれほど交通量は多くなかった。平湯からの奥飛騨湯ノ花街道はほとんど単独走といえるほど空いていた。富山平野に出ると立山方面に右折して称名滝へ。五時間半で着いた。駐車場から滝までは1.3キロで30分。きつくはないが、年配の人たちが多かった。霧がかかって遠くは見えなかったが、川がえぐりとった断崖は、紅葉もあって見事だった。そして日本一の滝へ。間近に行くとしぶきがかかるほどで、確かに雄大な光景だった。もちろん、ここでも崩落の危険はあって、途中何カ所も、補修や補強の工事をしていた。

photo86-4.jpgphoto86-5.jpg

・富山の駅前のホテルに泊まり、夜は居酒屋へ。名物の白エビの天ぷらとつくね揚げがおいしかった。翌日は日本海沿いに旧道を走って、親不知から糸魚川、姫川沿いに南下して安曇野から高速に乗った。曇っていて富山湾から北アルプスの全景は見えなかったが、剱岳はよく見えた。親不知では海岸に出て翡翠探し(見つかるわけはないが)、小谷の道の駅で野菜などを買い、昼食(蕎麦)をとって、鮮やかな紅葉を横目に見ながら、雨が降る前にと家路を急いだ。河口湖に戻ると本降りの雨。

photo86-6.jpgphoto86-7.jpg
photo86-8.jpgphoto86-9.jpg

2019年10月21日月曜日

竹内成明『コミュニケーションの思想』(れんが書房新社)

 

seimei1.jpg・竹内成明さんは2013年に亡くなっている。その6年後に出た本書は、かつての教え子たちによって編まれたものである。実は彼が書き残した原稿は他にもあって、本にまとめようという話は、ぼくにも持ちかけられた。現在の出版事情や竹内成明という書き手のネーム・バリュー、あるいは世界の情勢やネットなどによる人間関係やコミュニケーションの仕方の変化等々から、ぼくは強く反対した。本にするためにはそれなりの費用が必要だし、在庫の山を抱えて難儀することがわかっていたからだ。しかしそれでも出版した。

・編者の三宅広明と庭田茂吉の両氏は、竹内さんが同志社大学に赴任した時の最初のゼミ生で、それ以降ずっと、彼が死ぬまで関係を続けてきた。彼らより少し年長のぼくは竹内さんの授業を受講したことはなかったが、彼らに誘われて研究会に出席をした。会えば必ず酒盛りになる。酒に弱いぼくには、その関係の濃密さに辟易することもあったが、少し距離を置いて関わるかぎりは、おもしろい集まりであることは間違いなかった。

・ぼくが1989年に出した『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房)のあとがきには、その本が竹内さんの『コミュニケーション物語』(人文書院、1986年)に触発されたものであることが書かれている。「この本は人間以前の猿の歴史から始まって活字の誕生までの人びとのコミュニケーションの歴史を、物語ふうに解き明かしたものである。その壮大な時間の流れを、語り部が村人を集めて語って聞かせるような文体で展開していることに強い印象を持った。」だから『メディアのミクロ社会学』は活字以降に登場して人びとにとって欠かせないメディアとコミュニケーションに注目した『続コミュニケーション物語』でもあるとも。

・この本は題名通り、さまざまな哲学者や思想家の業績を「コミュニケーション」を軸に分析した論考を中心にまとめている。たとえば第一章で登場するのはアダム・スミス、プルードン、マルクス、ガンジー、そして中井正一であり、第二章はルソーとデリダである。一章は主に70年代に本の一部として、二章は80年代に同志社大学文学部の紀要に連載されている。ルソーは竹内さんがした思索の出発点にいた人で、紀要という狭い世界で発表されたものであるから、この章が、この本の中心に位置づけられていると言えるかもしれない。

・第三章のメディアの政治学序説は三宅氏の解題によれば1994年に出版された『顔のない権力』(れんが書房新社)の理論的枠組みになっているということだ。しかしぼくは同時に、読み物であることを意識した『コミュニケーション物語』の後に書かれた理論的枠組みでもあるように感じた。第四章は新聞等に書いた書評や短いエッセイを集めている。

・ところで、なぜ、今このような内容で本を出そうと思ったのか。最後に二人の編者が書いた文章を紹介しておこう。先ず三宅氏から。「無知で先の見えない私たちの愚かな話を面白がりながら酒を楽しむ姿に、私たちはいつも励まされ、大人になるのもいいものだと思ったものだ。ちょうどその頃に書かれた文章がここに収められているわけで、当時は楽しい酒宴と発表される論文の広がりと深さのギャップに驚かされながら、同時にそこに通底する竹内の強い意志と価値観に圧倒される思いで読んでいたのを思いだす。」

・なぜ出したかったがわかる一文だが、もう一人の庭田氏はもう少しさめている。「竹内成明の仕事の過去と現在、そして書きつつあったことを考えた。残された、多くの論文や文章がある。何冊かの著書がある。いつか、それら全部を読まなければならない。まだ生々しさが残っているうちに。しかし、時間は残酷である。竹内成明は忘れられつつある。彼の本は消えつつある。本屋からはすでに消えている。大学からも消えている。では、それはどこにあるのか。はたして、読者はいるのだろうか。」

・冷たい言い方だが、ぼくは読者はほとんどいないと思う。ただ若者であったときから現在まで、竹内さんが二人にとってかけがえのない人であったことは、この本には十分すぎるくらいににじみ出ている。ただし、読みながら思ったのは、どの文章も決して時の流れによって陳腐化などはしない、普遍的な問題を深くついていて、筆者の立ち位置に共感できるものであることは間違いないということだ。ものすごく大事なことを問うているのに、ほとんど見向きもされないかもしれない。今はそんな空疎な時代なのである。

2019年10月14日月曜日

コラボの2枚

 

Sheryl Crow "Threads"
Ed Sheeran "No.6 Collaborations Project"

・このコラムの更新は3ヶ月ぶりである。それにしても聴きたいと思う新譜がまったく出ない。今回紹介する2枚のCDも、特に欲しいわけではなかったから、買おうかどうしようか迷った。しかし、3ヶ月も更新しないのは長すぎるからと買うことにした。

sheryl.jpg・シェリル・クロウの"Threads"は"Be My Self"から2年ぶりである。買おうかどうしようか迷ったのは、前作にそれほど感心しなかったからだ。今回はゲストを多く招いている。エリック・クラプトン、スティング、ブランディー・カーライル、キース・リチャーズ、ウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソン、エミルー・ハリス、ジェームズ・テイラー、ニール・ヤング、そしてジョニー・キャッシュ(故人)等々である。そしてそこで歌われているのも、ゲストや他の人のものだったりする。これが最後のアルバムになるかもなどと言っているようだ。引退するつもりなのだろうか。

・なぜ、このようなアルバムを作ったのか。ネットで探すと次のようなことばがあった。「少女だった自分と、床に転がって姉のレコードを聴いていたあの頃の昼下がりから今に至る私の人生の長い旅路を思い返すうちに、優れたソングライターに、ミュージシャンに、プロデューサーになりたいと思わせてくれたレガシー・アーティストたちと一緒に音楽を体感するようなアルバムを作ろうと思い立ちました。彼らと共に祝福し、彼らに捧げるものを作ろう、と」。

・アルバム・タイトルの"Threads"は糸や筋道といった意味だ。複数になっているから、彼女にとって大事な何本もの糸が織り合わされて、一枚の布になっているという意味が込められているのだろう。もちろん糸はそれぞれ、色も太さも材質も違うから、トーンは一つではない。彼女もそんなふうに自分の人生を振りかえる歳になったのかと思う。もっとも、次は若い人たちと仕事をしたいとも言っているから、これでやめるということではないだろう。迷ったが聴き応えのあるアルバムで、買ってよかったと思う。

sheeran.jpg ・エド・シーランの "No.6 Collaborations Project" も多数のゲストを招いている点で共通している。ただしこちらのゲストはぼくにはほとんどなじみがない。ぼくはラップは苦手だからやめておいた方がよかったかも、と思ったが、彼流にまとめられていて、聴きづらくはなかった。日本でやったライブをYouTubeで見て、たった一人でやっているのに感心した、コラボをやってもなかなかだと思った。共演したのは彼が大ファンだった人たちばかりだったようだ。「僕がキャリアの初期の頃から追いかけていたり、アルバムを繰り返し聴き続けているような人たちばかりで、そんな僕を刺激してくれるアーティストたちが、それぞれの曲を特別なものにしてくれているんだ。」ほとんど同時期に似たコンセプトをもったアルバムが出たことになる。

2019年10月7日月曜日

父の死

 

・父が死んだ。享年95歳。老人ホームに入って7年、最後は寝たきりになって、苦しそうに過ごす日が続いたが、最後は静かで、安らかだった。肺に水がたまって入院したと知らせを受けて病院に直行すると、酸素吸入と点滴をして、身体は拘束されていた。それでも「しんどいね」と声をかけると、小さくうなずいた。数日後には退院して、後は点滴も酸素吸入もせず、最後を迎えるようにするということだった。退院した翌日に老人ホームに出かけると、顔色もよく、目を開け、話すような仕草もしていたから、もうしばらく大丈夫だろうと思ったが、翌日亡くなったという連絡が入った。

・脳溢血をやって認知症が進んだ母も、父が死んだことはわかったようで、斎場への見送りもしたのだが、火葬をする日に出かけると、「おとうさんどこに行ったの?」と聞いてきた。「死んだんだよ、今日これから火葬にするんだ」と言うと、「えっ」と驚いたようにしていたが、斎場で火葬にする際には、最後のお別れをしっかり済ますことができた。これから一人で生きていかなければならないが、大丈夫だろうか。さみしいだろうが、すぐに忘れてしまう方が、悲しみにつぶされてしまうよりはいいかもしれないと思ったりした。

・本葬儀をしたのはそれから1週間後だったが、この間、2週間あまり、東京との間を何回も往復し、やるべきことを慌ただしく片づけた。遠いところにある墓ではなく、兄弟や子どもたちが出かけやすいところに新たに求めた。斎場やお寺との打ち合わせについても、知らないことばかりだった。戒名については疑問に思うところもあったが、生前父が直接相談していたから、その意思を尊重することにした。いずれにしても相当のお金がかかったが、すべて父が残したお金でまかなった。

・渡辺の「邉」にはいくつも変種がある。死亡通知書には戸籍通りの文字を正確に書く必要があるし、墓石にも正しく書かなければならない。父とぼくの健康保険カードを見ると少し違っていたから、それを確認するのも大変だった。以前にもそんなことがあったのか、書類を探すと本籍地から平成6年に戸籍上は一つに統一されたというものが見つかった。墓石に刻む年号は元号ではなく西暦にした。大正、昭和、平成と来て、今は令和である。後々のことを考えたら、西暦の方が断然わかりやすいし、そもそもぼくは、ずっと前から西暦を使ってきた。

・ところで父についてだが、高度経済成長期に猛烈サラリーマンとして過ごしてきて、退職後は好きな絵画を楽しんできた。いい人生を過ごしたと思う。ぼくは自分の進路から、政治についての考え方、あるいは生き方に至るまで、父とはずい分違っていて、反発したり、衝突したりすることが多かった。その意味では必ずしもいい関係だったとは言えないが、妥協しなかったことで、自分でも納得できる道筋を歩けたのではと思っている。

・他方で、母親については心配が尽きない。一人暮らしをしたことは一度もないし、何があってもすぐ忘れてしまう。やりたいことが何もないから、食事以外の時はベッドで寝ていることが多いようだ。その食事も、父の具合が悪くなってからはあまり食べなくなって、ずい分痩せたようだ。しばらくはできるだけ老人ホームに出かけるつもりだが、落ちついてくれるといいのだがとつくづく思う。


2019年9月30日月曜日

久しぶりのラグビー観戦

 

rugby1.jpg


・ラグビーのワールドカップが始まった。ラグビーをテレビで見るのは久しぶりだが、その面白さに惹かれている。日本を応援するというのではなく、どの国の試合も見ている。いかつい男たちが身体をぶつけ合う、その激しさに思わず興奮してしまっているのだ。サッカーとも違うし、格闘技とも違う。もちろんアメリカンフットボールとも大違いだ。

・ ぼくはもともとラグビーファンだった。特に大学院を出た頃には同志社大学が全盛期で平尾や大八木といったスター・プレイヤーもいた。他にも釜石の松尾など、ラグビーはアマチュア・スポーツの花形だった。年末から正月といえばテレビでのラグビー観戦。それは箱根駅伝以上に人気番組だった。それがなぜ、マイナーなスポーツになってしまったのか。一番はサッカーのJリーグだろう。やがてワールドカップにも日本が出場するようになって、ラグビーとサッカーの位置は逆転して、その人気は桁違いに大きな差になった。何しろ日本のラグビーは世界に歯が立たないほど弱かったのである。

・そんなラグビーが復活するきっかけになったのは、前回のワールドカップだった。優勝候補の南アフリカに勝ち、キックをする時の五郎丸の仕草が流行になった。そして次回の大会が東京で開催されることになった。東京オリンピックは誘致活動から始まって、国立競技場の建設の不手際、猛暑の中での開催という日程、予算の大幅な増加等々問題ばかりで、今でもぼくは反対だが、ラグビーは楽しみにしていた。

・いくつのも試合を見ていて気づいたのは、ぼくが見ていた頃とはルールがずいぶん変更されたということ、試合運びも違うし、何よりユニホームがまったく変わってしまったことである。ぼくは今でも白い襟のついたラガー・ジャージーを愛用しているが、今のユニフォームには衿がないし、身体にぴったり密着している。だから選手の体型がそのまま出るのだが、筋肉隆々の巨漢ぞろいで、その選手が激しくぶつかり合うから、まるで格闘技のようになってしまった。バックスが球をつなぎ、華麗にステップをしてトライをする。そんなシーンが少なくなったように思った。

・しかも激しくぶつかっても、大げさに痛がる選手が少ない。ちょっと交錯しただけで悶絶するサッカー選手とは大違いである。もともとは同じスポーツで枝分かれしたものだが、今ではまったく違うものになっている。そんな感想を改めて持った。とは言え、どのチームも負傷者続出のようだ。ラグビーはサッカーと違いプロ化が遅かった。アマチュア・スポーツであることに誇りを持っていたからだが、ワールド・カップに参加した国の選手のほとんどは、今ではプロである。ただし、サッカーに比べたら、選手がもらう報酬は桁違いに少ないだろう。

・ワールドカップの試合会場はほとんどJリーグで使われているところである。収容数の多いスタンドは立派で、綺麗な芝生が敷き詰められているが、スクラムを組めばすぐに芝がめくれ上がってしまっている。会場の管理者はラグビーには使わせたくないだろうな、などと心配したくなるほどだ。そう言えば正月に国立競技場でやっていた大学や全日本の選手権試合では、黄色い芝がどろんこになり、選手も真っ黒になって、誰が誰やらわからなくなるほどだった。今は大雨が降る試合でも、選手が泥だらけになるなどということは全くない。

・そんなことをいろいろ思いながら観戦していたら、日本がアイルランドに勝ってしまった。アイルランドは北アイルランドとの連合チームで、それはアイルランドが独立する前からだったようだ。激しい紛争があって、テロなども頻発にあった。そんな中でもラグビーだけは統一チームだったという。番狂わせだがランク2位のチームだから、決勝には残るだろう。日本も決勝トーナメントに進む可能性が生まれてきた。日程は長丁場で決勝戦が行われるのは11月に入ってからだから、しばらくは目が離せない。

2019年9月23日月曜日

大谷翔平選手に

 

・大谷翔平選手の今シーズンは5月中旬に復帰して、9月中旬に終わるというものでした。成績は打率.286、18本塁打、62打点、12盗塁。悪くはないですが、少し物足りなさを感じました。何しろぼくにとって彼の出現は、野茂英雄以来に興奮する出来事で、去年も今年も彼の出場する試合のほとんどを見てきたのです。きっかけは何といっても去年のアニメマンガを思わせるような華々しい活躍でした。肘の靱帯損傷で投手としては不満足なシーズンでしたが、「ビッグ・フライ・オオタニサン!」とアナウンサーが叫ぶホームランは圧巻でした。今年は打者に専念するということで、その登場を首を長くして待っていたのです。

・今年はぜひ、彼の打つ姿を生で見たい。そう思ってアメリカ旅行を計画して、シアトルで試合を見ることができました。残念ながらホームランは出ず、エラーばかりで3度出塁という結果でしたが、準備運動をするところからじっくり見た満足できる経験でした。そして彼はこの後、6月だけで9本ものホームランを打って、この調子では30本以上打てるのではと思わせる活躍をしたのです。

・ところが、オールスター明けからさっぱりホームランが打てなくなって、7月は3本、8月1本、そして9月が2本という尻すぼみの結果になってしまいました。打球に角度がつかないとか、データを読まれて弱点を突かれているとかいろいろ解説されましたが、9月中旬に突然、左膝の二分膝蓋(しつがい)骨の手術で今シーズンは終わりというニュースが流れて、体調が万全ではなかったことを知らされました。ホームランが出ないことに、「しっかりしろよ」などとぶつぶつ言いながら見ていた自分を反省するニュースでした。

・故障カ所は先天的なもので、スポーツ選手が過剰な負担をかけると痛みが出るというもののようです。2月のキャンプから自覚していたと報道されましたが、日ハムの栗山監督によれば、以前から出ていた症状だったようです。すでに手術は終わっていて、投手としても打者としても来年はキャンプから普通に練習できるということです。そうなると二刀流での大活躍を期待したくなるのですが、彼は日ハム時代から毎年のように負傷をしていて、シーズン通して出場できた年はなかったようですから、投打に渡る華々しい活躍を期待するのはよくないなと思うようになりました。

・彼は投手として160kmを越える速球を投げるところが一番の魅力です。しかし、メジャーリーグでは速球投手の多くが、今年も靱帯の負傷でトミー・ジョン手術をしています。靱帯は鍛えることができない部分ですから、速球が負担になるわけですから、何キロ出たと言って大騒ぎするのはよくないことだなとつくづく思い知らされました。同じことはホームランについても言えます。フライボール革命で、打者は大振りしてボールを高く打ち上げることに精出しています。自打球で足の骨を折る選手も増えているようです。

・ホームランは派手ですが、犠打の少ないメジャーの試合がさらに大味なものに感じられるようになりました。イチローの活躍で、一時スモール・ベースボールがはやりましたが、今はとにかくホームランということになっています、一方で、大振りすれば空振りにもなるわけで、三振の数も増えています。そんな傾向は、見ていてつまらない試合を増やしていると思います。出塁すれば次の打者は決まってバントといった高校野球や日本のプロ野球もあまりに型どおりですが、もう少し多様な戦術があってもいいように思います。

・ところでエンジェルスは今年も5割に充たない成績でした。エース格のスキャッグスが薬物摂取が理由で急死しましたし、補強した選手がことごとく不調だったこと、マイナーから上がった選手が期待通りに成長しなかったことなど、原因はいくつもありました。おかしな投手交代をする監督や、補強策に失敗したGMの責任などを並べると、エンジェルスを強いチームにするためには、しなければならないことがたくさんあると思います。タラウトと大谷二人だけでは来年もまた、厳しいシーズンになるでしょう。

2019年9月16日月曜日

カビと腐食

 

forest161-1.jpg


forest161-2.jpg・台風は雨も風も強かった。屋根に枝が落ちて大きな音もした。庭に散乱した枝を集めると一山ほどになった。枯れたら細かく折ってストーブの焚きつけにする。我が家では停電も断水もなかったが、千葉では大きな被害が出て、復旧がずい分遅れたようだ。猛烈に暑い日が数日続いたから、被害に遭った地域の人は大変だったと思う。SNSには窮状を訴える声が溢れているのに、テレビは内閣改造や韓国叩きばかりだった。もうこの国の政治やメディアは完全に腐っている。

forest161-3.jpg・今年はとにかく雨がよく降る。長梅雨に夕立、そして台風。森では地面が乾く暇がないほどだが、おかげでカビが大繁殖している。雨ざらしで積んである薪にはカビが咲き放題だが、雨が当たるログにも付着していて、腐食が進んでいるところがあった。気づかずにいたのだが、さっそくコーキングをして固めて、針金で補強をした。想像以上に腐食が進んでいて、コーキングのチューブが何本も必要だった。完全に崩れて修復不能でなくてよかったと思うが、さてどのくらいもつだろうか。

forest161-4.jpg・カビや腐食は屋外だけではない。家の中にはカビが蔓延していて、あちこちから臭いがする。風呂場のログに黒くなったところがあって、押すとへこむようになった。針を刺すとかなり深くまでめり込んだから、慌ててほじりだしてみた。そうするとかなり腐食していて、タイルとの間に大穴があくほどだった。ちょうどシャワーの下あたりで、水がたまって腐ったようだった。何年もなぜ気づかなかったんだろう。穴が大きいからと、薪割りでできた木っ端を埋めて、その隙間にコーキングをし、数日後に浸透性の防水塗料を塗った。

forest161-5.jpg・家のメンテナンスは大事だ。気づかずにいると大変なことになる。定住でもこんなだから、別荘に利用している家では、カビ取りや修復のためだけに時折来るなんて人もいる。歳を取ると別荘を持つのも難儀なことになる。
・長雨で元気なのはカビだけではない。雑草の繁茂の仕方も尋常ではなかった。もうすぐ原木を運び入れてもらうからと思って汗をかきかき草取りをしてやっと通路ができた。木を覆い尽くすような蔓があちこちに勢力を伸ばしていた。やたら広がったミョウガに実が少ししかできなかった。根がはりすぎたせいだというから、掘り起こして間引きをした。ざる一杯の収穫が再現できることを期待するが、さてどうなるか。

forest161-6.jpg・久しぶりに西湖でカヤックをした。ぼくは自転車で行ったのだが、帰りにパンクをして、いったん帰った自動車で迎えに来てもらった。木ネジが刺さっていたが、誰かがまいたのだろうか。自転車で10km走り、カヤックを組み立て、漕いで、畳んで、また自転車で10km。さすがにくたびれて、昼食後は高いびきとなった。
・今年の夏は客が少なかったが、結構忙しかった。それにしても時間が経つのが早い。秋になれば、薪割りも始まるし、落ち葉の片づけや栗拾いもある。自転車にもいい季節だ。身体だけは腐らないように、精出すことにしよう。

2019年9月9日月曜日

音楽とスポーツ

 

宮入恭平『ライブカルチャーの教科書』(青弓社)
浜田幸絵『<東京オリンピック>の誕生』(吉川弘文館)

・今回紹介するのは大学院で長年一緒に勉強した、二人の若手研究者の作品である。宮入恭平さんはすでに多くの著作を公表している。ぼくと一緒に『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)を編集したし、単独で編集した『発表会文化論』(青弓社)もある。『ライブカルチャーの教科書』は以前に出した『ライブハウス文化論』(青弓社)を大幅に改訂したものだ。もう一人の浜田幸絵さんが出した『<東京オリンピック>の誕生』は、前作の博士論文をもとにした『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』(ミネルヴァ書房)の続編である。

kyohei1.jpg・「ライブカルチャー」とは録音や録画されたものではない、生で行われる文化全体をさしている。この本では主に音楽を扱っていて、レコードやラジオが登場して以降に一般的になった記録され、再現されるものに代わって、最近ではライブハウスから野外フェスティバルに至るまで、音楽(産業)の主流になりつつあることに注目している。音楽はレコードやテープ、そしてCDとして購入するものではなく、ネットを介してダウンロードをしたり、課金を払って聴き放題が当たり前になっている。

・この本は、そんな現状を歴史的にさかのぼり、また理論的に裏付けて、大学の講義に使う教科書に仕立て上げている。昨今論争になった音楽と政治の関係やストリート・カルチャーと法規制、アイドルばかりが売れる傾向と音楽の産業化、そしてアニメとテーマソング等々の多様化など、時事的な問題や流行も取り入れていて、学生にとっては興味を持ちやすい内容になっていると思う。講義内容準拠のテキストは、ぼくと一緒に何冊も作ったから、お手の物だ。

sachie1.jpg・『<東京オリンピック>の誕生』はやや硬質な専門書という内容である。東京オリンピックといっても1964年に開催されたものではなく、1940年に開催が決まったが、第二次世界大戦によって中止になった「幻の東京オリンピック」が主題になっている。明治維新以降、西洋に追いつき追いこせをモットーにしてきた日本にとって、東洋でのオリンピック開催は、その国力を世界に誇示する希有の機会だった。活発な招致活動をやり、国民に一大イベントへの期待を植えつけ、もうすぐ開催というところで中止になった大会である。

・1964年のオリンピックは、この中止になった40年から敗戦を経て、経済成長が本格化した時期に行われた。高速道路や新幹線を開通させ、東京の町を整備して、敗戦からの復興を短期間で成し遂げたことを世界に向けて発信する大きな機会になった。この本は最初の招致活動から中止、そして戦後の再招致活動から開催までを、新聞記事などを丹念に調べながら追っている。

・前著の『日本におけるメディア・オリンピックの誕生 』は日本が戦前に参加したロサンジェルスやベルリン大会について、主にラジオと新聞による報道を分析したものだった。それこそライブ中継ができなかった時代に、どうやって臨場感のある中継をするか。そんなことも含めて、日本という国の盛衰や、さまざまなメディアの発達とスポーツの関係がよくわかる内容になっている。

・映像や音声の技術がデジタル化して、いつでもどこでも好きなものを楽しむことができるようになったのに、音楽にしてもスポーツにしても、ますますつまらないものになっている。ぼくはこの2冊を読みながら、そんな皮肉な現象を再認識した。来年の東京オリンピックなどは愚の骨頂だろう。


2019年9月2日月曜日

香港と韓国

 

・香港でのデモは、返還から22年の記念式典が開催された7月2日に始まった。主な理由は犯罪容疑者を中国本土に引き渡すという「逃亡犯条例」の改悪に反対するものだった。デモの参加者は最大で170万人にもなったようだが、これは香港の人口が740万人ほどだから、4人に一人が参加したことになる。これほどの数の人が反対の意思表示をする理由は、単に条例一つだけにあるのではない。それは香港の歴史そのものに関連するものである。

・香港はアヘン戦争後の1842年にイギリスの領土になって発展した都市である。それが「一国二制度」という条件で1997年に中国に返還された。つまり、香港は特別行政区として独自の法制度をもち、政治を司る「立法会」の議員を選ぶ権利があり、表現の自由も認められていて、中国本土とは大きく異なる制度を50年間は保証されたうえで返還されたのである。ところが、現在では議員選挙にしても、トップである行政長官の選び方にしても、中国の意向が強く働くようになっているし、批判的な団体や人びとが捕らえられたり、行方不明になったりもしている。香港がじわじわと中国化している。デモに参加した人には、そんな強い危機感があると言われているのである。

・香港に住む人の多くは漢民族だが、自分たちを中国人ではなく、香港人と思っている。何しろ150年間イギリスの支配下にあって、社会的にも文化的にも西欧流が根づいているのだから、共産党が支配する中国を拒絶するのは当然のことなのである。その形骸化した「一国二制度」もあと30年ほどで解消されてしまう。そうなる前に独立したい。それが香港人の世論なのである。

・2014年の「雨傘デモ」以来、抗議活動をリードしてきた黄之鋒と周庭の二人が警察に一時逮捕された。デモの沈静化を狙ったトップの逮捕だが、逆にデモの拡大や先鋭化を招くかもしれない。香港に隣接する深圳には中国の軍隊が待機していて、いつでもデモを制圧できる態勢になっている。アメリカは中国を牽制しているが、日本政府は沈黙したままだ。

・他方で、韓国で行われているデモは日本政府に対するものである。「反日」ではなく「反安部」なのだが、日本のマスコミはプラカードに書かれたハングルを「反日デモ」と偽って報道した。テレビでは連日、嫌韓を煽る番組を流している。徴用工の賠償請求や従軍慰安婦を巡る問題に反発して、安倍政権は半導体の製造に利用する材料などの輸出規制を強化した。いわゆる「ホワイト国」から除外という措置だ。テレビの嫌韓煽りの影響か、この措置を7割以上の人が支持しているという。

・対抗して韓国は日韓の軍事協定である「日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)」を破棄した。この条約は北朝鮮の核開発やミサイル問題に対応するために、日韓が協力して情報を交換し合うという趣旨で2016年に締結されたものである。ここには日韓だけでなく、米国も強く関わっている。日韓の関係は最悪の事態に陥っていると言えるのである。落としどころも見いだせない、とんでもない状況に陥ってしまっているが、日本の政権は一体何を目的としてこんな行動に出ているのか。理解に苦しむというほかはない。貿易も観光も、両国にとって大打撃にしかならないというのにである。

・しかし、日韓の間にある問題もまた、歴史的にしっかり見直す必要がある。日本が朝鮮半島を侵略して「日韓併合」をしたのは1910年のことである。ここから第二次大戦が終わる1945年まで、朝鮮半島は日本の植民地となり、朝鮮人も日本人として扱われた。このような歴史に対して1965年に「日韓基本条約」が結ばれ、戦争の賠償や戦後の補償として総額6億ドルの供与を行っている。徴用工や従軍慰安婦の問題も、この時点で解決済みだというのが安倍政権の姿勢だが、ここにはいつまでも謝ってはいられないという、韓国の人びとの気持ちを逆なでするような態度もある。

・しかし、侵略して植民地化し、多くの人が強制労働や兵隊の性欲処理の道具に使われたこと、戦中はもちろん、戦後もずっと在日韓国・朝鮮人に対する差別が横行してきたことなどを考えた時に先ず優先すべきは、いつまで謝る必要があるかは、加害者ではなく被害者である韓国や朝鮮の人びとが判断するという姿勢なのである。それを自虐史観などといって嫌韓を煽っていたのでは、関係はますます悪くなるばかりだろう。それで泥沼に陥るのは韓国ではなく日本の方なのである。

2019年8月26日月曜日

『新聞記者』を観た

 

sinbun1.jpg・『新聞記者』がやっと甲府に来た。話題になったのは参議院選挙の時で、東京まで見に行こうかどうか迷ったほどだった。もう諦めていたがマイナーの映画をよくやる「シアターセントラルB館」が上映した。我が家はもう一時ほどの暑さではなかったが、甲府に行くとさすがに暑い。駅前通も人通りは少なかったが、映画館にいたのもまた10数名で、しかもほとんどがシニアだった。この映画館いつまでつづけられるのだろうか。いつ来てもそんな心配が感じられるほど観客は少ない。

・ 映画では、政権にまつわる現実の問題を想わせるレイプ事件や大学認可が取りあげられ、原案となった東京新聞記者の望月衣塑子や元文科相事務次官の前川喜平がテレビ画面として登場するなど、きわめてシリアスに作られていた。主演女優のシム・ウンギョンの勝ち気さと、男優の松坂桃李の真面目さが対照的で、ジャーナリストと官僚の違いを人間性として際立たせてもいた。

・ しかし、ぼくがこの映画を見て一番恐ろしく思い、実際にもそうなんだろうなと感じたのは、内閣情報調査室という機関と、そこで実際にも行われているだろうと容易に想像できる光景だった。いわゆる「内調」は、この映画では政府主導のスパイ機関で、マスコミをはじめとしてありとあらゆる情報を集め、都合が悪ければもみ消したり、誤報だと触れ回ったりするし、自ら積極的にフェイク・ニュースを流して情報操作もやっているところとして描かれている。政府に批判的な官僚や政治家、ジャーナリスト等々の情報を集め、素行調査などもしてスキャンダルを作りだす。これが信憑性があるのは、伊藤詩織や前川喜平の件でも明らかである。

・ もちろん「内調」は現政権が作り出したものではない。しかし、政権を保持することを目的に、スパイ活動や情報操作に露骨なほどにエネルギーを注ぐのは、現政権が段違いに強いだろう。SNSを駆使してフェイク・ニュースを流したり、ネトウヨまがいの誹謗中傷を流しているとしたら、これはもう犯罪といってもいいのだが、そこには警察関係者も多数送り込まれているし、実態がつかめないから、やりたい放題なのだろうと思う。映画を見て、そんなことを考えたが、政権はこの映画での内調の描き方に抗議をしていない。

・ この映画が公開されたのは参議院選挙の期間中だった。ずい分話題になったが、選挙結果に何か影響があったとは思えない。何しろ投票率が50%を割って、自公はほとんど議席を減らさなかったのである。テレビでの選挙報道を抑え、選挙に対する無関心を作りだすことに成功したのだから、マイナーな映画が予想以上にヒットしたからと言って、「内調」自体が強く動く必要もなかったのかもしれない。それだけ、現政権の情報操作の効果は圧倒的なのである。

・ それにしても、官僚もジャーナリストも、今はやりたいことができず、やりたくないことばかりを半ば強制的にやらされている。不満があっても口にも出せず、ただ言いつけに従うのみ。それはもちろん、企業にしても似たようなものなのかもしれない。組織の中で働くことが、これほど、個人の思いややる気をそいでしまっている社会は、少なくとも戦後の日本では初めてのことだろう。一体、このままどこに行ってしまうのだろうか。映画を見ながら何とも憂鬱な気分になってしまった。

2019年8月19日月曜日

真夏の騒動

 

forest160-1.jpg

forest160-2.jpg・河口湖も連日30度超えで、午後はじっとしていても汗が出るほどだった。当然、窓はすべて開け放っていたのだが、時折嫌な臭いが漂うようになった。最初に気づいたパートナーが家の周囲を見回ると、川の土手に埋められた下水管から汚物が吹き出していた。急いで管理会社に電話をして、状況を説明したが、清掃会社がやってきたのは4日ほど後で、下水のつまりを直したのは6日後だった。
・対応の遅さに我慢ができずに、吹き出した汚物をスコップですくいとり、川に流れるように水を大量にまいた。悪臭にもめげず、噴き出す汗をぬぐっての格闘だった。綺麗にというわけにはいかなかったが、臭いは大分軽減された。詰まった下水管は我が家のものではなく、付近の下水を集めて処理場まで流れる本管だった。道路下などと違って、隙間から土や草木が入り込んでのつまりだったようだ。もっとも、流れ出した汚泥はまだ、少し残っている。お盆を挟んでいるとは言え、対応の遅さにはうんざりした。

forest160-3.jpg・それでやれやれと思ったら、iPadのタッチパネルが突然反応しなくなった。iPadはタッチパネルが動かなければ、何も操作はできない。パソコンで調べて、強制終了を試みたが、すぐに再起動をしてオフにすることもできない。APPLEに連絡をして、電話での指示によっていろいろ試みたが治らないので、修理に出すことにした。クロネコでケースが届いて発送すれば1週間ほどで戻ってくると言われたが、お盆での高速道路の渋滞のせいか、取りに来たのが1日遅かった。

・しかし、着いたという連絡からしばらくして、交換作業が終わったので出荷しましたという連絡が入った。修理ではなく新品交換だったのかと、その時わかった。使い慣れて愛着もあった機器ではなく、新しいものがやってくる。さみしいような、嬉しいような、複雑な気持ちになった。いずれにしても、APPLEには製品を大事に使ってもらうという発想がない。60年代のカウンター・カルチャーを出発点にもつはずなのに、「もったいない」などという発想がない会社に変質してしまったことを実感した。

forest160-4.jpg・ところで、こんな時期に次男のところに2番目の子どもが生まれた。暑いさなかで大変だったと思うが、お盆の長期休暇で次男のサポートが”十分にできたようだった。驚いたのは、数日前にあった富岡八幡宮の祭りに出かけて、彼女が子どもの様子を長時間、ビデオに撮り続けていたことだった。熱い中、立ちっぱなしでよくそんなことが出来たものだと感心するやら驚くやら。赤ちゃんは男の子だから男二人だ。長男のところは女の子が二人だから、うまくいかないものだと思う。週末、病院に赤ちゃんを見に出かけた。

forest160-5.jpg ・長い梅雨の後の猛暑や台風で、自転車に乗る日がなかなかなかった。記録を見ると、去年はほぼ毎日走っているのに、今年は週に2日といった程度だ。ただ河口湖1周20kmを45分前後で、タイムは落ちていない。筋力の衰えがないのはいいが、体重がちっとも減らない。走る前に撮った写真を見て、ふっくらした姿にがっかりした。やはり食べすぎが原因だろう。しかし、食事制限してまで減らす気はないから、せめて増えないように気をつけようと思う。


2019年8月12日月曜日

猛暑はもう異常ではありません

 

・長い梅雨がやっと明けたと思ったら、いきなりの猛暑です。前回のコラムでも書きましたが、東北旅行は散々で、一日早く切り上げて帰って来ました。その河口湖も、連日30度を超えています。河口湖周辺ではエアコンをつけずに車に乗っていたのですが、去年からはつけずにはいられない温度になりました。気象台が発表する温度は、日陰で下に芝生を敷き詰めた所で測ります。ですから日なたではもっと上がりますし、アスファルトの上ではさらに上がります。先日東北の帰りに、車の温度計は何度も40度を超えました。

・テレビの気象予報では、猛烈な暑さになりますから、外出やスポーツは避けるようにと警告しています。もっともだと思います。ぼくは連日自転車に乗っていて、24、5度の朝の6,7時台と決めていますが、それでも、汗びっしょりになります。30度になる日中にはとても走れたものではないでしょう。クーラーのない我が家でも、去年からは欲しいなと思うようになりました。

・ところがテレビでは夏の甲子園野球を中継していて、相変わらず熱闘甲子園と連呼しています。35度を超える甲子園で高校生が全力で野球をやるというのは、どう考えたって異常です。日程を8月の後半にずらすとか、午前中と夜間だけにするなどの方策を考える必要があると思いますが、そんな声はどこからも聞こえてきません。そもそも甲子園野球は新聞が始め、テレビが人気にしたものですから、批判は封じ込められてしまうのかもしれません。

・投手の連投について、大船渡高校の佐々木選手をめぐって議論が起こりました。監督は準決勝で投げたので決勝では出場させなかったのですが、その事で高校には抗議の電話が殺到したようです。自分勝手もいい加減にしろと言いたくなりますが、プロ野球の解説者には相変わらず、根性論や甲子園を理想化する発言が目立ちます。しかし、高校生に連投を強いるのは日本だけの悪習で、成長過程にある高校生に過度の運動をさせては駄目だというのが、最近の健康医学の常識になっているのです。

・160kmを越える球速を出した佐々木投手は来年にはプロ野球入りし、数年後にはメジャーに行く素質を持った選手です。高校の監督はそのことを考えて、壊してはいけないと判断したようです。きわめて当たり前だと思うのですが、甲子園は高校生球児の夢だからとか、佐々木が出ないのではつまらないといった発言を平気でする神経が、信じられない気がします。

・ところで、東京オリンピックが1年後に迫りました。テレビにはその事をはやし立てる番組が目立つようになりました。もっぱらメダルが有望の日本選手に注目しています。しかしこの暑さでほんとうにできるのか。熱中症で倒れる選手が続出し、観客も含めて死人まで出たら、一体誰が責任をとるのでしょうか。すでにチケットも販売され初めていて、当たった、外れたと騒ぎになっています。またホテルの予約も行われていて、すでに大会期間中は満室となっているところが多いようです。チケットは取れたけど宿泊先がない、ボランティアに応募したけれど泊まるところがない。こんな混乱が起こるのは明らかでしょう。一体どんな「おもてなし」をするというのでしょうか。

・政府やメディアが一体となって熱く盛り上げようとしているオリンピックも、大会が終われば深刻な経済不況に襲われるという予測が出されています。米中の経済摩擦などにより、世界不況はすでに始まっているという見方も、すでに出されています。ここのところの株価の急落は、猛暑の中の寒々しい話しで、怪談話どころではないのです。このまま行けばオリンピック前に、日本は大不況に見舞われる危険性もあるのです。異常なのは猛暑ではなく、この国の政策とメディアのはしゃぎようにこそあるのです。

2019年8月5日月曜日

東北も酷暑だった!

 

photo85-1.jpg

・夏には東北旅行というのが2年続いて、今年もと計画した。しかし、いつまで経っても梅雨明けしないので2週間遅らせることにした。どうせ行くなら雨ではなく天気がよくなってからと思ったのだが、とんでもない間違いだった。暑くて何もできなかったからだ。4泊5日の予定を1日切り上げて帰って来た。

photo85-2.jpgphoto85-3.jpg

・今回はあちこち行かずに猪苗代の磐梯山の麓で過ごす予定だった。磐梯山には5年前に登った。(↑)パートナーが脳梗塞で倒れる前で、最後に登った山らしい山だった。9月だったせいもあるが。天気がよくて頂上からの眺めも素晴らしかった。山登りのベテランの義兄と一緒だったが、今回はその義兄の別荘を借りての滞在だった。

・東北に行く時にはいつも関越道を使っている。今回もそうで、まだひんやり涼しかった河口湖を出発すると、外気がみるみる上がって圏央道に入る頃には30度を超え、谷川岳下の関越トンネルを過ぎて新潟に入ると、34度、35度とみるみる上がった。PAによるとどかっとした感じでまるでサウナ風呂に入った時みたいだった。新潟から阿賀野川沿いに会津まで走ったが温度は下がらない。600Mほどの高地なのに別荘も33度で、しばらく使っていなかったせいか、家の中は猛烈な暑さで、かび臭かった。暗くなった頃にはさすがに涼しくなったが、早くも、夏ばて状態になった。

photo85-4.jpg


・とは言え、少し歩こうと、安達太良山の麓にある自然植生観察園「万葉の里」と近くの「不動滝」に行った。真っ黒い岩石の滝で、水しぶきがかかって、ここは涼しかった。あとは裏磐梯の檜原湖をまわり、磐梯山をぐるっと一周した、もっていった自転車にはとても乗る気にならなかった。

・猪苗代は2泊で切り上げて那須で一泊。帰りにいきたいと思っていた足尾の銅山跡に立ち寄って、帰宅した。精錬所から出る亜硫酸ガスではげ山となった所が、今は植林活動で鬱蒼とした森になっていた。田中正造に関連した場所が見つからなかったのは残念だった。世界遺産登録を目指しているようだが、さてどうか。山の緑を復活させただけではなく、日本の反公害運動の原点であることに、もっと注力すべきだと思った。

photo85-5.jpgphoto85-6.jpg

2019年7月29日月曜日

テレビからジャーナリズムが消えた

 


・参議院選挙の結果は各新聞がそろって予測した通りだった。つまり事前の世論調査の数字が、選挙期間中も動かなかったということだ。確か世論調査では、まだ投票先を決めていない人が5割以上いるとされていた。実際の投票率は5割に充たなかったから、結局、決めていなかった人が投票に行かなかったということになる。二週間の選挙活動期間は何だったのかと言いたくなるが、もちろん、候補者や政党は連日精一杯の活動をしてきたのだろう。しかし、選挙活動が行われている場所に行かなければ、家の近くに選挙カーが来なければ、選挙中であることを感じることもない。テレビがほとんど、選挙の動向や、争われるべき争点について、特番を組むことはもちろん、ニュースでも取りあげなかったからだ。

・テレビ局の言い分は、どこも、今度の選挙は話題に欠けるから視聴率が稼げないというものだった。しかし、今回の選挙には、実際、日本の現状や、将来の方向性を左右する大きくて複雑で、しかも深刻な問題がいくつもあった。それらを本気になって取りあげれば、視聴者の関心を集めて、選挙の重要性を自覚させるきっかけや弾みにもなったはずである。そうしなかったのは、政権の圧力に屈したか、忖度をして、争点隠しの片棒かつぎに加担したからにちがいない。テレビ局にわずかでも、ジャーナリズムの媒体でもあるという自覚があれば、そんな言い訳はできなかったはずで、すでにそのような使命や矜持は捨ててしまったと思えるからである。

・選挙期間中にテレビが好んで取りあげたのは、吉本所属のタレントが起こした反社会的集団との闇商売であったり、ジャニーズ事務所の創立者の死だったりした。テレビにとっては芸能界こそが注目すべき世界であることを如実に示すものだが、それはまた、テレビが芸能界にあまりに依存しすぎていることの結果でもある。吉本やジャニーズといったプロダクションがなければ、テレビ局は番組を作ることはできないし、電通といった広告会社がなければ、スポンサーを集めることもできない。そのどちらも現政権に強く繋がっているから、政権にとって都合の悪いこと、選挙を不利に導くようなことは、絶対にできないことになっているのである。

・久米宏がNHKの「あさイチ」に出て、NHKが「人事と予算で政府や国会に首根っこつかまれているのは絶対的に間違っている。完全に独立した放送局になるべき」と批判をした。NHKはすでに何年も前から、ニュースなどでは完全に「安部チャンネル」と化していて、北朝鮮の放送を笑うことができないほどひどいものになっている。ニュースや報道にさく時間がなまじ多いから、選挙を無視した民放テレビよりもっと罪が重いと言えるだろう、何しろ、全国津々浦々に電波を届けられるのはNHKしかないのである。「NHKから国民を守る党」が1議席をとった。NHKにとってはやっかいな存在だろうが、そのいかがわしさを知らずにNHK批判にと投じた票がかなりあったことに、NHKは自覚すべきだろう。

・そんな中で、政党要件を充たさないからと無視された「れいわ新撰組」から二人の議員が生まれた。二人とも重度の障害者で、車椅子での国会活動が避けられないから、国会が始まる前に、いろいろ直さなければいけないところがあって、大変だと思う。しかし国会が、健常者だけの世界であってはいけないことがやっと認識されるから、たった二人とは言え、大きな変化になると思う。残念ながら山本太郎は当選できなかったが、カンパを4億円も集めたことや、演説会場を人で埋めたことなど、新しい政治のやりかた、政党のあり方を提案した、大事な行動だったと思う。

・選挙に無関心だったテレビも、選挙結果には大はしゃぎで、どのチャンネルも特番を組んでいた。ぼくはネットで山本太郎の選挙事務所のライブを見ていたが、そこでテレビの取材に対して、「初めまして」と皮肉を言って話し始めたことには笑ってしまった。番組を見ていないからわからなかったが、レポーターはばつが悪かったに違いないと思う。もちろん、ばつの悪さはテレビ局自体にこそ感じて欲しいものである。ほんのわずかでもジャーナリズムの一翼を担っているという自覚があればの話だが………。

2019年7月22日月曜日

田村紀雄『移民労働者は定着する』ほか

 

『移民労働者は定着する』(社会評論社)
『カナダに漂着した日本人』(芙蓉書房出版)
『日本人移民はこうして「カナダ人」になった』(芙蓉書房出版)

・移民、難民、そして外国人労働者は、世界大の大きな問題である。圧政の苦しみや戦争の惨禍から逃れるために、貧困から豊かさを求めるために、アフリカや中南米からヨーロッパやアメリカに多くの人びとが押しかけている。人道的に受け入れるべきという立場と、国家の揺らぎや混乱の原因だと排除を主張する側の対立が、世界の政治を危うくさせている。またここには、外国人を労働力として補充しなければ、人口減による労働不足を解決できないという先進国の問題もある。この問題は多様で複雑だから、解決策を見つけ出すのは簡単ではない。しかし、移民や難民にはすでに長い歴史がある。現在の日本は、外国人労働者を欲しながら、移民は認めないといった矛盾した政策を打ち出しているが、かつては移民として多くの人を他国に送り出してもいたのである。


tamura2.jpg ・田村紀雄さんは前回のこのコラムで書いたように、ぼくにとって先生の一人だった。すでに80代のなかばだというのに、『移民労働者は定着する』という新著を書き下ろした。カナダに移住した日本人が、第二次世界大戦によって定住した地(主にバンクーバー)から移動を強制され、キャンプ生活を余儀なくされた。その数年間についてのフィールドワークである。しかしこの本に触れる前に、ここではまず彼の既刊書である『カナダに漂着した日本人』から、前史である日本人のカナダ移住の歴史を振りかえることにしよう。

・日本人が初めてカナダに辿り着いたのは1870年頃のようだ。そこから森林の伐採や製材、漁業、農業、そして鉄道敷設の労働力として移住していくようになる。最初は金を稼いだら日本に帰ると思っていた人たちも、結婚したり子どもができたりすれば、定住を考えるようになる。バンクーバーにはそんな日本人たちが多く住む地域が生まれた。さまざまな商いを営み、病院や学校の設立に努力する。たがいに競い、反目するばかりだった日本人の中に協力し合う余地や必要性が生まれ、コミュニティができるようになる。その中で大きな役割をしたのが、いくつかの日本語の新聞だった。『カナダに漂着した日本人』は、そんな定着までの過程を物語のように綴っている。

tamura1.jpg ・カナダは移民によってできた国である。しかし、日本人が移住し始めた頃にはまだイギリス連邦にあって、バンクーバーも小さな町に過ぎなかった。その意味では日本人の移住は、バンクーバーという町の都市化やカナダという国の発展にとって欠かせない存在だったと言っていい。また林業や漁業にしても、その主な輸出先は日本だったのである。しかし、日本とアメリカの戦争が勃発すると、カナダ在住の日本人は、日本に帰国するか、西海岸から100マイル以上東に移動することを強制された。それもほとんど時間的余裕のないものだった。

・移動させられた場所はロッキー山脈の西にある谷間の地で、かつては鉱山や森林伐採で栄えたゴーストタウン化した小さな町ばかりだった。そこで空き家や新たに作った掘っ立て小屋やテントでの生活が始まったのだが、それはまた無からのやり直しだった。日々の生活、仕事、学校、病院など、人びとの間には助け合い、協力し合う気持ちが生まれたが、ここでもまた、新聞の力は大きかった。日本人の動向を把握するためにカナダ政府が援助した『ザ・ニュー・カナディアン』は英語と日本語の二本立てで構成されたが、日本語は一世、英語は二世向きで、内容も同じではなかったようだ。戦争が終わると多くの日本人たちは、その地を離れてさらに東へと移動して散在していくことになる。

tamura3.jpg
・田村さんはメディアやジャーナリズムの研究者だから、当然、研究の視点、対象に対する姿勢、そして素材となる資料も新聞や雑誌が中心となる。『日本人はこうしてカナダ人になった』は、梅月高市を中心に1924年に創刊され、大戦によって禁止される1941年まで発行された『日韓民衆』の推移を軸に日本人の移民の動向をフィールドワークしたものである。カナダにおける日本語の新聞について、田村さんが関心をもつきっかけは、梅月が残した『日韓民衆』そのものや、彼が克明に書き残した日記など、膨大な資料との出会いにあった。その資料や現地でのフィールドワークをもとに本を書くことを約束したのだが、実際の作業は退職後になり、約束を果たすのに何十年もかかってしまったのだという。改めて読み直してみて、その努力にほんとうに頭が下がる思いがした。

2019年7月15日月曜日

「れいわ新撰組」がおもしろい

 

・参議院選挙が始まった。新聞社の選挙情勢調査では、自公の勢力が過半数をとると予測されている。これほどお粗末な政権、これほどひどい政党が国民の審判によって支持されつづけるのだという。年金問題が明るみに出ても、トランプの言いなりで、ハワイやグァムを守るイージスアショアを買ったり、墜落したF35戦闘機を爆買いしても、アベノミクスの失敗が明らかになっても、消費税がさらに上がると言われても、外交の安部がことごとく失敗だったとしても、そしてもちろん、森友加計問題が闇に葬られてしまっていても、消極的にせよ、相も変わらず支持する人が多数派を占めている。信じられないし、絶望的にもなるが、諦めてはいけないと、すでに期日前投票に行ってきた。

reiwa1.jpg ・注目したのは「れいわ新撰組」。しかし、この政党ははテレビではほとんど無視されている。党首の山本太郎はテレビの討論にも呼ばれていない。寄付が短期間で3億円を超え、選挙演説に集まる数はダントツに多く、ネットでも話題になっているのに、泡沫候補扱いするのは、自粛ばかりの保守的なメディアにとっては危険な考えをもつ候補の集まりに見えるのだろうか。政党要件を満たしていないとは言え、山本太郎はもちろん、10人の候補者の顔ぶれを見れば、テレビ的には大きな話題を呼んで視聴率を稼げると思うのだが、政権の逆鱗に触れると恐れているのかもしれない。もっともテレビは選挙そのものに後ろ向きで芸人の闇仕事ばかりを取りあげている。選挙に無関心のままでいさせようとしているとしか思えない。

・「れいわ新撰組」という名前は好きではない。というより新年号の「令和」も、幕末の新撰組も嫌いだといった方がいい。しかし、「れいわ」は安部、「新撰組」は「大阪維新」を皮肉ってつけたとすれば、それはそれでおもしろいとも思った。「れいわ新撰組」に集まった人たちはユニークだ。全員が現在の日本が抱える大きくて深刻な問題の当事者であるからだ。蓮池透は元東京電力社員で、元北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長だ。そこから、日本の原発政策と、拉致問題に対する政府の対応を厳しく批判してきた。安富歩は東京大学東洋文化研究所教授で東洋経済史の研究者だが、女装をして、LGBTやハラスメントの問題にも発言をする人である。木村英子は生後8ヶ月で障害を負って以来、車椅子生活をしていて、重度障害者が生きにくい現在の社会について積極的に発言してきた人である。三井義文は元コンビニオーナーで、名ばかりの事業主という契約形態の不当さを訴え、会社や仕事に殺されることを社会問題として訴えてきた。

・辻村千尋は環境保護NGO職員として、小笠原諸島の自然保護やリニア新幹線による自然破壊、そして辺野古の埋め立てなどの問題について活動してきた人である。環境問題は票にならないと冷たい議員に代わって、自ら政治家として活動することを目指している。大西恒樹は元J.P.モルガン銀行のディーラーだが、その経験から現代の金融資本主義における巨大な搾取構造を問題視し、その根本的な変革を唱えて活動してきた人である。船後靖彦は41歳以降全身麻痺のALSを患いながら介護サービス事業を営む会社で働いている。歯で噛むセンサーを使ってパソコンを操作して、仕事のほか、文筆や講演活動もしている。渡辺照子はシングルマザーの派遣労働者として生きてきた。そのどん底の暮らしの中で味わった経験や出会った人たちと、格差社会の是正を目指している。

・何よりおもしろいのは、山本太郎に変わって東京選挙区に沖縄在住で創価学会員の野原義正を立てたことだ。彼は沖縄県知事選で公明党に反旗を翻して玉城デニーを支持し、今回は代表の山口那津男と同じ選挙区で争っている。平和と福祉の党であったはずの公明党の原点回帰を呼びかけている。そして比例区では特定枠に車椅子の二人が入り、山本太郎は3番目ということになっている。つまり3人当選できるだけの得票数が得られなければ、山本太郎は落選ということになるのだ。一人当選させるためにはおよそ100万票が必要だと言われている。

・大手のメディアに無視されたのでは、「れいわ新撰組」を全国的に名前を知らせることは難しいだろう。山本太郎は落選ということになるのかもしれない。しかし、車椅子の議員は初めてだから、国会議事堂の改築が必要になるし、発言やら投票の仕方も変えなければならなくなる。弱者無視の国会に、初めてメスが入るのである。さらに、山本太郎は「れいわ新撰組」の飛躍の照準を次の衆議院選挙以降に合わせている。だから、どうしても当選しなければならないわけではないと考えての処置だと思う。それだけに、今後飛躍するためにも、今回の選挙結果が大事になるはずである。

2019年7月8日月曜日

病にも負けず

 

forest159-1.jpg

forest159-2.jpg・アメリカから帰って1ヶ月。今年の梅雨ははっきりしていて、ほとんど雨ばかりだ。だから、自転車も庭仕事も、合間の晴れを見つけてやっている。ところが今年の梅雨は変則で、西日本が梅雨入りしたのは10日ほど前だった。水不足がニュースになったが、梅雨入りと同時に集中豪雨に見舞われている。異常が日常になってしまったから、観測史上初めてなんて言われても驚かなくなった。雨ばかりなのに河口湖の水位が下がっている。浮島が地続きになって六角堂に歩いて行けるようになった。珍しいことではないし、観光客には好都合だが、漁業やボートレースに支障が出るらしい。雨不足ではなく、水量調整の失敗なのだと思う。

・京都から従兄弟のMさんが車でやってきた。ぼくと同じ70歳だが、去年の冬に急性白血病を発症して、余命半年と言われた。しかし、抗がん剤治療が功を奏して、自宅で療養生活をしている。最初に週二回行っていた輸血も、現在では三週間に一回に減ったようだ。少し元気になったからと河口湖に来て二泊し、東京や栃木まで足を伸ばす車旅行をした。

・予報は雨だったが降っていなかったので、富士山を眺望する秘密の場所に出かけた。ぼくはここからの富士山が一番好きだ。御坂山塊にあって、尾根のすぐ下まで車で行ける。100米ほど登るだけだからたいしたことないだろうと思ったのだが、彼は登り初めてすぐ躓いて、杖を突きながら何度も休まねばならなかった。長い入院生活と免疫力の低下で人混みに出かけることを制限されているから、筋肉が衰えていて、赤血球が足りないからすぐに息が上がってしまうのだった。それでもがんばって尾根まで登り、展望台に立って富士山や眼下の河口湖を眺めた。もっと体力をつけなければと、つくづく感じたようだった。彼は翌日僕の両親が住む老人ホームに出かけた。

・実は急性白血病に罹った人が身近にもう一人いる。大学院でぼくの研究室にいたK君で、横浜で福祉の仕事をしているのだが、フェイスブックに突然、入院中だというメッセージが載って驚いた。最初は病名をはっきりさせなかったが、Mさんのケースとよく似ていることがすぐにわかった。3月に緊急入院して1ヶ月半ほど抗がん剤治療をして一時退院し、再入院して骨髄移植を行い、無事成功して回復に向かっているようだ。ドナーは妹さんだと言う。

・医学の進歩の早さには今さらながら驚く。不治の病と言われた白血病が、骨髄移植で健康な身体に回復する。K君の場合には発症から移植手術まで3ヶ月で、そこから2週間ほどで移植した細胞が生着して、白血球数が回復した。退院して日常生活に戻るまでにはまだかなりの日数がかかるだろうが、信じられないほどの速さだと思う。しかし、Mさんの場合では、移植手術にはかなりの体力が必要で、70歳にもなると身体が耐えられないからと勧められなかったようだ。白血病と言えば、水泳選手が話題になった。公表したのが2月だったからK君より早かったのだが、未だに骨髄移植をしたというニュースははない。移植ができないケースなのかもしれない。

・白血病はうつる病気ではない。その因子をもっていて、いつ発症するかは遺伝子の中に埋め込まれているのかもしれない。あるいは過労やストレスなどが原因で発症するのだろうか。Mさんは高齢の母親を長い間介護してきた。夜はトイレにつきあうので1時間半おきに起きていたそうだ。その叔母は、彼の入院によって別の病院に入院して数ヶ月ほどで亡くなった。元気だったらもっと長生きできたのにと彼は悔やんだが、彼の体力も限界だったのだと思う。まだまだいろいろやりたいことがあって、生きることに積極的だから、治療に専念し、体力をつけることに心がけてほしい。もう少し近くに住んでいたら、手助けできることもあるのだが、残念ながら、京都はちょっと遠い。