2014年12月31日水曜日

目次 2014年

12月

22日:イタリアについて

15日:こんな選挙は無効にすべきだ!

8日:自然解散に追い込まねば

1日:日本百名山一筆書

11月

24日:紅葉とストーブ

17日:ブラウン、U2、そしてディラン

10日:オバマの不人気はなぜ?

4日:老人力とは言うけれど

10月

27日:二人の信頼できる外国人

20日:去年は上原、今年は青木

13日:東京オリンピックと新幹線

6日:山登りの怖さ

9月

29日:拝啓、ガラパゴス島の皆様

22日:朝日叩きに与するなかれ

15日:今度はテニスで大はしゃぎ

8日:ニール・ヤング、エリック・クラプトン、そしてジャクソン・ブラウン

1日:アーサー・ミラー『るつぼ』「セールスマンの死

8月

25日:旅から戻って

18日:ガリシアに来た

11日:バスクをフランスからスペインへ

4日:久しぶりのロンドンとパリ

7月

28日:自転車に乗って

21日:CM出演は金目でしょう

14日:南アフリカのジャズ

7日:拝啓安倍総理大臣様

6月

30日:スペイン再び

23日:雨にも負けず

16日:この国の行き先

9日:MLBの日本人選手

2日:ガリシアのケルト

5月

26日:音楽の変遷

19日:K's工房個展案内

12日:薪割り完了

5日:テレビよりラジオ

4月

28日:リニアと原発

21日:消費税と高速道路

14日:春が来た

7日:ニュージーランドの旅

3月

31日:ニュージーランドから

24日:ジェフ・ブリッジ

17日:エイモリー・ロビンス『新しい火の創造』ほか

10日:大雪騒動で考えたこと

3日:『竹内成明先生追想集』

2月

24日:熊野古道を歩く

17日:どか雪2連発

10日:都知事選が終わって

3日:NHKはAHK

1月

27日:都知事選に期待?

20日:今年の卒論

13日:アムネスティ『Human Rights Concerts 1986-1998』

6日:正月休みに読んだ本

1日:厳冬の時代へ

 

2014年12月22日月曜日

イタリアについて

川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書
岡田温司『グランドツアー』岩波新書
井上ひさし『ボローニャ紀行』文春文庫

・イタリアと言えばまず、パスタやピザで、我が家でも欠かせないメニューになっている。あるいは映画にも記憶に残るものが少なくない。しかし、それ以外にはあまり知らないし、関心がない国だった。そんな国に興味を持ったのは、ヨーロッパに行ったときに、水道橋や城壁、あるいは闘技場といったローマ帝国の遺跡が各地にあることだった。その多くの町は、そもそもローマ帝国が作ったところから始まっていて、その歴史について知りたいと思った。

italy1.jpg・ローマ帝国は紀元前三世紀の初めに半島を統一し、その領域を地中海周辺から北はイギリスまで広げ、五世紀まで続いた大国である。その長い歴史の中で君臨した皇帝の名前すら、覚えることはできないが、『新・ローマ帝国衰亡史』は、歴史を追ってどのように推移し消滅したかがよくわかる本である。「新」とついているのは古典であるギボンの『ローマ帝国衰亡史』を意識しているからだ。

・アルプスを越えた遠征はカエサルの時代からだが、たとえばライン川に沿ってある町の多くは、その時に作られたものが多いようだ。その代表はドイツのケルンで、この地名の語源は「コロニア」(植民市)である。ローマ帝国が作った町はロンドンが有名だが、パリもまた先住民の集落に過ぎなかったものがローマ帝国によって町として整備された。

・整備された町に住むのはローマ人だけでなく、むしろ占領された人びとの方が圧倒的に多かった。その人達はローマ人であると自認すれば、ローマ帝国の市民になり、ローマ軍の兵士になることもできた。ローマ市民であれば、上下水道の整備された町で生活し、浴場や闘技場で娯楽の時を持ち、ローマ風の衣服を着ることが当たり前とされた。ローマ帝国がたえず戦争状態にありながら、長く大国を維持できたのはこんな政策によるのだというのが本書の主張である。

italy2.jpg・ローマ帝国が滅亡すると、イタリア半島は近隣の諸国にくりかえし占領されることになる。次に勢いを再生させるのは1000年近くも過ぎた時代で、フィレンツェやヴェネツィアに代表される都市で起こった「ルネサンス」とその動きを支えた豪族である。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチといった巨人が登場し、絵画や彫刻、あるいは建築物が多く作られた。

・岡田温司の『グランドツアー』は18世紀に盛んにおこなわれたイギリスやフランス、そしてドイツからイタリアを訪れる貴族の子弟や文学者や哲学者、そして芸術家達を取り上げたものである。この時代にはまたイタリアは国としてはもちろん、都市としても勢いがあったわけではない。しかし、ヨーロッパの文化的源流として、一度は訪れてじかに触れる必要がある場所として認識され、また流行現象にもなった。

・この本が力説するのは、現在のツーリズムの基本になっている名所旧跡や景勝地の誕生と、それが何より「絵になる(ピクチャーレスク)」ものとして定着したことにある。活躍したのは画家達で、訪れる価値のある風景や旧跡を背景にして、注文した人物を描き入れる。今では記念写真として旅行には当たり前の行為も、このグランドツアーから始まっているというのである。そもそも、一つの風景に対する注目と絶賛も、ゲーテやルソーなどによって発見されたことで、「風景」という発想自体がきわめて新しいものなのである。

italy3.jpg・イタリアは現在でも有数の観光立国で、世界遺産の数も世界一位である。日本人の訪問数は年間30万人前後で、ドイツやフランスの半分ほどだが、イギリスやスペインとは肩を並べている。人気の旅行先の一つだと言えるだろう。ただし、盗難や詐欺の被害に遭ったという話が多いから、その分敬遠されているということがあるのかもしれない。

・たとえば井上ひさしの『ボローニャ紀行』も、ミラノの空港で一万ドルと百万円の現金が入った鞄を、煙草を吸っている間に盗まれたという話から始まっている。こんな事件は日常茶飯のようだが、実はこの種の話は18世紀のグランドツアーの時代にもあったようだ。そして、イタリア人の一般的な感覚は、犯罪を悪として考えるよりは、被害に遭わないよう自衛することが大事というものらしい。

・この考え方はもっと社会的、政治的な考えにも通底していて、政府がダメでも都市がしっかりと自治をしていけばいいという発想に繋がっている。それはまた、井上ひさしがボローニャに滞在して、一番印象に残ったことでもあった。国よりは都市、そして都市よりは個人。さて、もう少ししたらイタリアに出かける者としては、そんなふうに何があっても自己責任と心得ることができるかどうか。

2014年12月15日月曜日

こんな選挙は無効にすべきだ!

 ・何ともひどい選挙だったと思う。大義名分がないというのは選挙を仕掛けた安倍首相に対するものだが、だったらこの政権に「ノー」をつきつけるチャンスになったはずなのに、ほとんど批判するような風も吹かなかった。何しろ投票率が50%をちょっと超えた程度だったのだから、安倍首相にとっては思うつぼというものだろう。

・この選挙は日本の将来を大きく左右する。もちろん悪い方向に向かって歩を進めるはずだから、若い人たちほど、その影響を受けるのは間違いない。「集団的自衛権」は戦争のできる国になることを目指したものだし、「秘密保護法」は上からの管理や監視を強化した息苦しい国に変えるだろうし、「アベノミクス」の行き着く先は経済破綻への道だろう。もちろん「原発再稼働」や「年金の破綻」「TPP」など、ほかにも日本の未来を左右する重要な問題はたくさんある。

・こんな大事な選挙なのに、棄権した人が一番多いのは20代だったようだ。若い世代を中心にした政治不信、というよりは政治嫌悪だと言った人もいたが、身近な大学生達を見ていると、無関心と言った方がいいのではないかと思った。自分にはあまり関係ないからと言うのだが、そこには自分のためにはあまり関心を持たない方がいいといった計算が働いているようにも感じられた。

・就職をして無難な人生を歩むためには、政治に関心など持たない方がいい。彼や彼女たちはそんな空気を感じ取っているのである。けれども、そんな空気は、若い人たちの間だけではなく、他の世代の中にも淀んでいるし、何よりメディアの中にこそ顕著にある。しかもそれをいいことに自民党は、選挙の公示前にテレビ局に圧力をかけたりもした。

・その選挙報道は中立公正になどといった脅しがきいたのか、期間中のテレビ放送では前回に比べて選挙を取り上げることが半減したようである。そのくせネットではYoutubeなどを見るたびに安倍の広告が登場したりして、資金の有無が露骨に見えたりもした。やってることがとにかく汚いとしか言いようがなかったのである。

・そもそも今度の選挙はいくつもの理由で違憲だと言われている。国会で内閣不信任の決議がなされたとき以外に、首相の裁量で解散ができるという規定が憲法に書かれているわけではないし、一票の格差が違憲状態だとする判決が出ているにもかかわらず、今回も2倍を超えた選挙になっているのである。この裁判については必ず訴訟が起こるはずで、もし「違憲状態」ではなく「違憲」という判決が出れば、選挙は無効になって議員は辞職してやりなおすことになるのである。

・もちろん、三権分立のはずの司法に、そんな判決を出す勇気があるとは思えないから、今度もまた「違憲状態」などというよくわからない裁定を下すのと思う。これではもうはっきり言って独裁政治のはじまりだと思う。暗澹たる思いに囚われてしまっているが、たった一つだけ光明が見えた。それは沖縄の全選挙区で自民が負けたことである。沖縄が蟻の一穴になって、安倍政権が崩壊することを願うのみである。

2014年12月8日月曜日

自滅解散に追い込まねば

・衆議院の選挙が14日におこなわれます。何のための解散で、争点は何か。よくわからない選挙だと言われています。だから、投票率は低くなって、固定票の多い与党が優位になるだろうと予測されてもいるようです。しかし、何のためも、争点も、これほどはっきりした選挙はないと思います。

・選挙を仕掛けた安倍政権は「アベノミクス」の信を問う選挙だと宣言しています。しかし首相がこの2年の間にやったのは「集団的自衛権」「秘密保護法」「TPP」「消費税増税」「年金の減額」「介護保険制度の改悪」「残業手当の廃止」、「憲法の軽視」、そして「原発再稼働」などたくさんあって、その多くは前回の選挙公約にはなかったのです。ですから、今度の選挙が、その政策全体に対して国民が「イエス」か「ノー」の意思表示をする機会でなくて何なのかと思います。

・「大義がない」「争点がない」選挙だから選挙に行ってもしょうがない。そう考えて棄権する人が多いのかもしれません。争点を明確にしてくれたら選挙に行くといった言い訳も聞こえてきます。しかし、争点は政党やマスコミが作るものではなく、有権者が自ら判断して決めるものではないでしょうか。現在の日本は、政治を他人事にしておけるほど、平和でも平穏でもない状況にあります。その元凶である安倍政権が、批判の多い政策は隠して選挙をして、あと4年の延命を図ろうとしているのが今回の選挙なのです。

・前回の衆議院選挙で自民党が大勝したのは、民主党の他に第三極と呼ばれた小さな新政党が乱立したせいだと分析されています。自民党の投票総数自体は、その前の民主党政権を誕生させた選挙と変わらなかったのです。おそらく、自民党票は、今回もやっぱり同数程度になるでしょうから、対立候補の乱立を避けて一本化すれば、多くの選挙区で逆転現象が起きるかもしれません。実際いくつもの選挙区で、一本化が実現されたようです。であればなおさら、安倍政権を支持しない人たちは棄権ではなく投票に行くべきだと思います。

・僕は雪崩現象が起きて、安倍政権が自滅することを期待しています。アナクロで強権的で情緒不安定な人がまた4年も首相を続けたのでは、この国はどうしようもないところまで落ちてしまうと思うからです。マスコミは彼の提灯持ちに徹するか、仕打ちを恐れて怖々(こわごわ)批判するかの2極に分かれています。ですから、安倍政権がこの2年間でやったことについて、正面から批判的な論陣を張る新聞社はほとんどないようです。テレビ局はもっと弱腰ですが、自民党からは「中立公正に徹せよ」という要請が各局に押しつけられたと報じられました。「中立公正」が政権批判をするなという意味の「ダブルスピーク(二重語法)」であることは言うまでもないでしょう。

・もうひとつ、衆議院選挙時には、同時に最高裁裁判官の国民審査がおこなわれます。罷免したい人に×をつけるのですが、いったい誰が罷免すべき人なのか、よくわからないのが多くの人にとっての感想だろうと思います、しかし、今回はこれも違うようです。日本の選挙の現状は衆参共に一票の格差を理由に「違憲状態」という判決が続いています。その最高裁での裁定が11月26日にやはり「違憲状態」との判断を下しました。しかし、裁判官の中で、より明確に「違憲」で選挙は無効だと宣言した人が2人いたようです。

・違憲であることを訴えて選挙をしてきた弁護士グループが、国民審査でその2人以外の裁判官に×をつけるよう主張しています。違憲と言ったのは山本庸幸と鬼丸かおるの両裁判官です。この二人には何もつけず、残りにxをつけるという要請で、僕はそれを実行するつもりです。

2014年12月1日月曜日

日本百名山一筆書き

・日本の山から名山を百座選んだのは、作家で登山家の深田久弥だった。一人の判断で選ばれた山々だが、今ではそれがすっかり定着して、日本の山の価値基準になっている。一般的には高い山が多いから、ぼくはあまり登りたいと思わないし、実際、登れそうもない山が多い。その百名山を一気に登り、しかも山と山の間を歩いて移動するという試みに挑戦した人がいた。最南端の屋久島と鹿児島、紀伊水道、津軽海峡、そして最北端の利尻島にはカヤックで渡ったというから、恐れ入った冒険だと思った。

・冒険の主は田中陽希という名のプロのアドベンチャーレーサーで、その行程がNHKのBSで「グレイトトラバース・日本百名山一筆書き」というタイトルで放送された。屋久島の宮之浦岳に登ったのが今年の4月1日で、百座目の利尻山に登ったのが10月26日だから、ほぼ7ヶ月かかったことになる。その間の移動距離は7800kmで累積の標高差は10万mにもなったようだ。僕はその1回目の放送(5月24日)をたまたま見て、ずっと注目し続けてきた。

・山のガイドブックには行程にかかる時間が書かれている。僕はその時間通りに歩くことを目安にしているが、彼は大体、その倍の早さで登り、歩いている。だから一日のうちに2つ、あるいは3つの山を走破することもあった。その体力にはただただ感心するばかりだが、山登りではなく、移動のためのアスファルト歩きの方がつらそうで、体の変調が出ることが多かったようだ。

・たとえば大分県の九重山の後は鳥取の大山で、その後は愛媛県の石鎚山だった。この間半月以上を移動に使っている。アスファルトの道歩きは自転車にした方がもっと楽で早かっただろうに、どうしてそうしなかったのだろうと呟きながら見た。もっとも山に入ると元気になって、いかにも楽しそうな様子が伝わってきた。

・見ていて気になることは他にもあった、全行程を記録するために同行しているスタッフは、一緒に歩き、登っているのだろうか。いったい何人がついているのかといったことである。いい画像を撮るためには、いつも後ろから追っかけるだけではだめで、時には前から撮り、あるいは遠くから望遠でとらえることも必要になる。小型のヘリにカメラを乗せて上空から俯瞰するシーンもあったが、先回りをしたり、小走りで追い抜いたりして撮ったはずだから、撮影スタッフの方が大変だったのではと思った。

・この行程は田中自身が"twitter"や"facebook" に書き込んでいたから、山の頂上などで待ち構える人が徐々に増えていった。一番ひどかったのは関東周辺に来たときで、丹沢山では麓から頂上まで大勢の人がいて、彼自身が戸惑いを見せるシーンも映し出されていた。その多くの人たちが握手を求め、「がんばって」と声をかけ、サインをねだっていた。応援というよりは偉業に立ち会いたい。できればテレビにも映りたい。そんな自分勝手な人が多いことに、田中本人も時にストレスを感じていた。

・とは言え、テレビで放送されるからには、そういうことも予測されたはずである。装備や衣服、携帯食、サプリメント、カメラ、地図などといった必需品にはすべてスポンサーがついていたし、他にも医療関係や通信会社、それに警備会社などのサポートも受けていたようだ。おそらく、NHKからもそれなりの報酬を受け取っているはずである。プロのアドベンチャーなら当然だが、メディアイベントならファン・サービスもしなければならない。今回の挑戦で彼が勉強したのは、何よりそのことなのかもしれない。

・このドキュメントは4回に分けて放送され、最後は11月の23日だった。東北から北海道の利尻山までの行程を2時間にわたって放送する予定だったのだが、羊蹄山に登ったところで長野北部の地震で中断してしまった。田中が震源近くの白馬岳を歩いたのは6月の末だったし、噴火で死傷者を多数出した御嶽山の登頂は6月11日だった。長期間の行程であれば何が起こるかわからない。中断した後の地震速報を見ながら、僕は改めて、そんなことを実感した。

・最終回は29日に放送されなおした。御嶽山の噴火の時、彼は北海道富良野の実家にいた。蓄積された疲労がどっと出て、歩けなくなって1週間ほど休養した。だから雪の季節が間近に迫っている中を羅臼岳に登り、オホーツク沿いに稚内まで歩いて、カヤックで利尻島に渡ることになった。向かい風が最大で20mも吹き、3mの荒波で転覆もした。利尻山登頂も、強風で一度引き返している。彼の体力と意志の強さに感心したが、幸運と強いサポートがなければ達成できなかった偉業だとも思った。

2014年11月24日月曜日

紅葉とストーブ

 



forest120-6.jpg・毎年恒例になったストーブの火入れ(式?)は、今年は10月の中旬だった。最初は暗くなってから朝までで、温度も低めで過ごしたが11月に入ってからは一日中燃やしっぱなしにしている。最低気温が0度近くまで下がるようになってからは、ストーブの温度を250度以上に上げて、2次燃焼に切り替えるようになった。
・燃やし始めたら、翌年の薪を作る作業も始まる。その原木が今週やってきた。まずは4㎥で、雪の降る前にもう4㎥を注文するから、その前にチェーンソーで5等分に切って玉切りして、斧で割らなければならない。雪が積もるのが遅ければ、それも同じように薪にしてしまうのだが、雪が積もれば雪解け後ということになる。さて、今度の冬の寒さはどうなのか。厳冬ならば、さらに原木を注文と言うことにもなりかねない。

forest120-2.jpg・ストーブを焚き始めると、我が家の中は暖かくなる。最低気温が10度を切ると紅葉が本格的になるが、小さな石油ストーブで暖めるその時期が、一番寒さを感じる時間になる。もったいないから我慢をして11月になってからとしていたが、数年前から10月の後半から焚き始めるようになった。冷たい布団では夜中に何度もトイレに起きてしまうようになったから、やせ我慢はやめにしたのである。
・薪ストーブの季節になると、我が家の食事はストーブの上で作った煮物やスープ、そして鍋が多くなる。何日もかけてコトコト煮詰めたカレーやシチューは、この季節の最高のごちそうになる。自慢するわけではないが、遠くに出かけるとき以外は、近くで外食などまったくしなくなってしまった。

forest120-4.jpgforest120-3.jpgforest120-5.jpg

・我が家の庭のカエデが今年は真っ赤に色づいた。最初は緑から黄色になり、それが少しずつ赤に変わって、すべて落ちた。庭は枯れ葉の絨毯で、歩くとふわふわして音がさくさくと聞こえてくる。枯れ葉はそのままにしておくと、やがては土に帰っていく。
・河口湖町の紅葉祭もやっと終わりになる。毎年観光客が増えて、道路は混雑する。おかげでこの時期のサイクリングは、西湖ばかりになる。高低差80mの急坂を登るのが、今年は特にきつく感じた。タイムも速くなるどころか遅くなるばかり。西湖の周回道路は人も車もまばらだが、山の紅葉は河口湖以上に素晴らしかった。ハアハアしながら、足を止めて見回すと、空と湖面の青と山の緑や黄や赤が目に入って、しばらく見とれてしまった。

2014年11月17日月曜日

ブラウン、U2、そしてディラン

Jackson Browne "Standing in the Breach"
U2 "Songs of Innocence"
Bob Dylan "The Basement Tapes"

standinginthebreach.jpg・ジャクソン・ブラウンが6年ぶりにアルバムを出した。タイトルは"Standing in the Breach"(難局にあたる)でジャケットの写真はハイチ地震の際に撮られたもののようだ。そのアルバムタイトルになった「難局にあたる」は次のような歌詞で始まっている。

この地球が揺れて、土台が崩れたとしても
私たちは集まって、もとに戻すだろう
生きている人たちを助けようと駆けつけるし
難局にあたって一緒になって世界を作り直すだろう

・社会に目を向けて、メッセージとして歌を作る姿勢は相変わらず健在だ。”If I Could Be Anywhere"(どこにでもいることができるとしても)は、永遠に続くものはないと言っても、プラスティックはずっとあって、目をつぶったって消えはしない、と歌って環境汚染を訴えているし、"Which Side?(どっちの側か)は「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動を支援するために作られた歌である。

・ジャクソン・ブラウンはいつでも、悲惨なことや不当なことから目を逸らさないが、彼の歌には必ず光がさしている。「厳冬に生きる人がいれば、常夏に生きる人もいる。幸運に恵まれた人と、それとは無縁な人。しかし、壁を作る人がいても、ドアを開ける人もいる」("Walls And Door")というように。そんな姿勢は彼の歌い方にも現れている。「壁と扉」はジョン・レノンの「壁と橋」を思い出させる題名だが、社会学の巨人であるジンメルにも「橋と扉」というエッセイがあって、言わんとするところはよく似ている。人はもともと結合しているものを分離したがるくせに、分離しているものは結合したがる奇妙な生きものだ、という点である。

songsofinnocence.jpg ・U2の"Songs of Innocence"(無垢の歌)はiTunesに公開されてAppleのデバイスに自動的にダウロードされて問題になったアルバムだ。ぼくのiPadには残念ながら入らなかったからAmazonで買うことにした。やはりこれも6年ぶりの新作で、U2にとっては満を持しての発表だったのだと思う。だからこそ、iTunesで多くの人に聴いて欲しいと考えたのかもしれない。けれども、これまで彼等のアルバムのすべてを聴いてきた者としては、一番印象が薄いと言わざるを得ない。確かにU2らしいサウンドにはなっているが、それだけに昔の焼き直しといったふうにしか聴けなかった。
・実際、彼等はどうだったのだろうか。自信があったからiTunesで無料で聴けるようにしたのか、あるいは自信がなかったからなのか。僕は後者だったのではないかと思う。ボノには音楽以外のことでエネルギーや時間を費やさなければならないことが多すぎるのかもしれない。

thebasementtapes.jpg ・最後はディランの"The Basement Tapes"で、ブートレグ・シリーズの11作目になるものだ。バイクの事故で休養していた1967年に、ザ・バンドのメンバーとウッドストックの別荘の地下室で録音をしたデモテープで、1975年に同名のタイトルで公式に発売されてもいる。僕が買ったのは6枚組のコンプリート版で、すべてを聴くと6時間半にもなるものだ。しかも同じ曲がいくつも入っていて、熱心なファンでもなければ聴き続けられない内容になっている。とは言え、僕はやっぱり何度も聴きたくなった。

・ロックフェスの原点として伝説化している「ウッドストック」は隠遁しているディランを引っ張り出すためにウッドストックでやったと言われている。ディランは出なくて多くの人をがっかりさせたが、その間に、実験的な新しい試みをして、なおかつしばらくの間、公にされなかった曲が並んでいる。僕はもちろん、資料のつもりでこの高額なアルバムを買ったが、それ以上の価値があるとも思った。

2014年11月10日月曜日

オバマの不人気はなぜ?

・アメリカの中間選挙で民主党が負けて上下両院で共和党が多数を占めた。その理由はオバマ大統領の不人気にあったようだ。確かに最近の政策には失敗も多いし、首をかしげたくなるものもある。しかし、ブッシュの時代よりは良くなっている面も多いはずで、そこを評価しないのはなぜなのか、疑問を感じた。

・オバマ大統領は「イスラム国」なる勢力が強くなって、その対応に苦慮している。弱腰だという批判をかわすために、「プレデター」という名の無人攻撃機を使っているのだが、誤爆や民間人を巻きこむことが多いと非難されている。遠く離れたところから、まるでゲームをするかのようにミサイルを撃ち込む。しかも、標的にする根拠が、怪しい奴が集まっているとか、4駆に乗って銃を持っているとといった漠然とした場合もあるようだ。

・ずいぶんひどいことをしていると思う。しかし、それを使うのは、アメリカ兵をイラクから引き揚げるという方針を実行したからで、それを覆して再び派兵をおこなうことを避けるためである。つまり、オバマはブッシュ前大統領が9.11に対する報復としておこなった無謀なイラク戦争の後始末をさせられているわけで、現在のようなひどい状況になった責任はブッシュこそがとるべきもののはずなのである。

・今、アメリカ経済はけっして悪くない。これはブッシュの時代に起きた「リーマンショック」の後始末をおこなってきたオバマの成果だと評価されてもいいはずである。なのに評価されないのはなぜだろうか。もちろん、景気の回復の恩恵を受けているのがわずか1%の富裕層に限られるという現実があって、若い人たちの批判が強いのは事実だろう。しかし、これも、ブッシュ政権が残した制度のためだし、それを変えたくても共和党や経済界の抵抗が強いという側面もある。

・オバマ大統領が掲げた政策で実現したものに「医療保険制度改革」(オバマケア)がある。日本では当たり前の健康保険制度をアメリカに定めようとしたもので、貧しい人でも病院で治療を受けられることができるようにしたものだが、この制度についてもまた、共和党の猛烈な反対があった。民間の保険会社と契約している人にとって何のメリットもないし、保険に入れない人は自己責任だという考え方や、国の予算はできるだけ少なくする「小さな政府」が党のスローガンだという理由が挙げられている。

・オバマは大統領選挙の中途で彗星のように現れて、「チェンジ」というスローガンであっという間に民主党の大統領候補になって、選挙でも圧勝した。しかも直後には「核廃絶」を唱えたことを理由にノーベル平和賞も受けた。環境保全や自然エネルギーの開発を謳った「グリーン・ニューディール」も時流に乗って、好意的に受け取られた。だから、不人気の理由は、それだけ大きな期待を寄せられたのに、たいした成果が上がらなかったという失望感にあるのかもしれない。特に、オバマに期待をした若い人たちには、強いのだと思う。

・オバマ大統領の任期はまだ2年ある。しかしアメリカでは次の大統領についての話題がすでに熱く語られはじめている。今度は女性初の大統領の登場をクリントンに期待する声が大きいようだ。年齢的にちょっと心配だが、女性大統領の登場はいいことだと思う。と言うよりはオバマの前にやるべきだったと今さらながらに感じている。

・共和党支配の議会とのねじれによって、オバマ大統領はまだ2年も任期があるのに、レームダックになったと言われてしまっている。何をやろうにも議会の反対にあって何もできないことが予測できるからだ。しかし、だからこそ、今までやろうとしてできなかったことを次々政策に掲げて、議会と対決するという姿勢に転ずることもできるのではないかと思う。

・これから数十年たってオバマがアメリカの歴史の中でどのように評価されるか。僕はブッシュとは雲泥の差で「名大統領」として評価されのではないかと思っている。とは言え、大統領について選挙のたびに夢を作り出して熱狂しては、数年後に落胆するくり返しをまたやろうとしていることには、多少のうらやましさもあるが、半ば呆れている。

2014年11月3日月曜日

 

老人力とは言うけれど

・赤津川源平が死んで、彼がポピュラーにした「老人力」ということばがまた、話題になりました。そう言えば、そんなことばがあったな、と思うと同時に、心身の老化を自覚することが多くなったこともあって、以前とは違う意味でいろいろ考えてしまいました。

・「老人力」は老化による衰えを読み替えて、積極的な意味を持たせようとしたことばです。これを耳にしたときには「なるほどそういう解釈の仕方もあるか」と思いましたが、いざ心身の衰えを自覚しはじめると、なかなか積極的な読み替えはできない自分に気づかされてしまいます。衰えはやっぱり不都合なこととして、自分に不意に襲ってきた災難のように感じられてしまうからです。

・わかっているはずの名前や地名が出てこない。ことばの引き出しにガタがきたのか、それともどこかにうっかりしまい忘れてしまったのか。思い出そうとしても全然出てこないのに、しばらくすると、何でもなかったように口をついて出る。笑って済ませる程度でなくなってきていますから、ちょっと不安を感じるようにもなってきましたた。

・もっと心配なのは体の方です。耳が遠くなったという自覚もありますし、目の疲れもひどくなりました。仕事を終えて夜、車で帰宅するときに、前を走る車の尾灯が二重に見えたりします。パソコンにタブレット、そしてスマートフォンなどを毎日長時間見つめているせいか、文字がぼけて見えたりすることも多くなりました。小さい字が読みにくくなって、本を読む時間も減りましたし、原書を読むことが億劫になりました。

・もっと困っているのは、トイレの近さです。特に最近体調を崩して熱を出したときには、数日間、一時間と持たないことが続いて難儀しました。慌ててトイレに駆け込んでも、ちょろちょろとしか出ないのですから、もう情けないやら呆れるやら。さっそくネットで漢方薬を買いましたが、効き目があるのかどうか、よくわかりません。熱を出した原因が何だったかよくわかりませんし、その後は、元通りにではないにしても、トイレに行く回数はそれほど多くはなくなったからです。

・テレビはBSを見ることが多いのですが、老化を防ぐ薬のたぐいのCMが多いのに、改めて気づかされています。無関心だったのが、そうではなくなった、こちらの変化のせいだと思います。同世代のタレントが「一度試したら手放せない」などと言って勧めています。「アホくさ」と思っていましたが、自覚があるとちょっと気になってしまう。そんな自分の変化にも老いを感じてしまいます。

・人の弱みにつけ込む手口は「オレオレ詐欺」が顕著です。何でと思うほど引っかかる人が多いようで、狙われているのは大半が老人です。しかし、テレビのCMや新聞雑誌の広告、それにネットのバナーなど、世の中にはそんなものが満ちあふれていますから、ついつい手を出してしまう人も多いのだろうと思います。欺されるはずがないではなく、気をつけようと考えるようになりました。

・つい半世紀前までは、人生50年と言われていましたが、今では平均寿命が80を超えました。最後まで五体満足というわけにはいきませんから、医者や薬に頼るということは避けられないでしょう。そこのところをどうやってうまくやりくりするか。そんなことを自分の身近な問題として考えざるを得ない時期になったことを自覚する、今日この頃です。

2014年10月27日月曜日

二人の信頼できる外国人

ピーター・バラカン『ラジオのこちら側で』岩波新書、他
アーサー・ビナード『亜米利加にも負ケズ』新潮文庫、他

・日本に住む外国人で、公に活動している人はたくさんいる。けれども、僕が信頼しているのはそれほど多くない。
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・ピーター・バラカンはロックやブルース、それにワールド・ミュージックをラジオなどで紹介し続けてきた人だ。実際僕も、彼の勧めるミュージシャンのアルバムを買ったことが何度もある。『ラジオのこちら側で』は、イギリス人の彼が日本に来たいきさつから始まって、日本でこれまでどんな仕事をしてきたのかを綴った内容になっている。

・大学を出た後しばらくぶらぶらしていた彼が日本に来るきっかけになったのは、音楽業界紙に載った東京の音楽出版社の人材募集の記事だった。大学で日本語を専攻していたこともあって、応募したことが、その後40年間、日本に住んで音楽を中心に仕事をする方向を決めた。

・そんな彼が日本でしてきたことは、一言でいえば、質のいい洋楽の紹介である。『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)といった著書があるように、歌が伝えるメッセージを紹介することにも熱心だった。日本人は音楽の歌詞にはあまり興味を持たないし、とりわけ洋楽については顕著だが、彼には、そんな傾向を改めてやろうという野心があったのかもしれない。

・僕はそんな彼の姿勢にずいぶん前から共感して、彼のラジオ番組や書いたものに注目してきたが、残念ながら、日本人の歌のメッセージを軽視する傾向は、改まるどころか、ますますひどくなっている。というよりは、若い人たちが洋楽そのものを聴かないことが当たり前になった感さえある。その意味では、彼がラジオで訴えようとしてるメッセージは、彼と同世代の洋楽好きの日本人にしか伝わっていないのかもしれない。

binard1.jpg・アーサー・ビナードはアメリカ人で、大学では英米文学を専攻していたのに、卒論を書くためにたまたま出会った漢字や日本語に興味を持って来日した。そのまま日本に居続けて、詩などの文学を通して日本語に興味を持ち、自ら日本語で詩やエッセイを書いたり、日本人の詩や童話を英訳、あるいは英語の本の日本語訳などをしたりしている。

・『亜米利加ニモ負ケズ』を読むと、彼の言語に対する感覚の鋭さや日本の歴史や文学の知識の多さや深さに驚かされる。たとえば飲み物の「ラムネ」は「レモネード」から転じた和製英語だが、炭酸のあるなしで味はまるで違う。しかし、彼は、だから「ラムネ」は偽物だとは言わない。それどころか「ラムネ」は仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』に登場し、鴎外の小説や虚子の俳句にも詠れている。日本人にとっては夏の風物詩や季語として扱われていることに敬意を表することを忘れない。

・彼は毎日の食事に、豆腐や梅干しや納豆が欠かせないと言う。あるいは、日本の自然や文化に対する愛着の程度もかなりのものである。そんな彼は、ビキニ諸島でアメリカがした核実験で被爆した「第五福竜丸」を題材にした『ここが家だ』(集英社)という絵本を作り、福島の詩人の若松丈太郎と『ひとのあかし』を翻訳している。また、原発再稼働を阻止する運動に出かけ、沖縄の辺野古にも行って基地建設に反対する集会に参加している。

・彼は自らを愛国主義者だと言う。ただしそれは盲目的な愛国ではなく、母国の短所を見抜き、指摘して改善を促すという意味での愛国である。盲目的な愛はエゴイスティックで、そのことに無自覚だから、時にストーカーにもなりかねない。そんな「盲愛国主義者」は美化したものを本物として見なして国の批判を許さない。今の日本がこんな状況になりつつあるなかでは、彼のようなスタンスこそが大事だろう。

・彼の愛国主義はアメリカだけでなく、日本にも向けられている。そしてその姿勢を、多くの日本人は忘れてしまっている。と言うよりは、自覚したことがないのかもしれない。

2014年10月20日月曜日

 

去年は上原、今年は青木

・メジャーリーグのプレイオフが始まってから、野球に釘付けになっている。見ているのは青木宣親選手が所属するカンザスシティ・ロイヤルズだ。地区優勝を逃してワイルドカード争いから始まって、ついにアメリカンリーグのチャンピオンまで勝ち続けてきた。青木選手は2番バッターとして、右翼手として、打って守って走っての活躍である。去年の上原や田沢選手が活躍してチャンピオンになったのに続いて、今年は青木がワールドシリーズにやってきた。

・メジャーリーグの中継はNHKがやっている。で、通常の放送はダルビッシュや黒田といった投手が先発した試合か、イチロー優先だから、去年もレッドソックスの中継は、優勝がかかった試合あたりからだった。今年は田中がヤンキースに入って活躍したから、中継はヤンキースばかりだったように思う。ぼくは、あまり熱心に見る気にはなれなかった。

・今年のレッドソックスは去年とは違って負けてばかりのチームになって、後半になると上原自身も不調になった。田中もダルビッシュも故障を理由に投げなくなったから、今シーズンはもう終わりと思っていたのだが、8月の末ぐらいからカンザスシティの青木が気になりはじめた。彼も前半は本調子ではなく、故障もしたのだが、熾烈な優勝争いをした9月には、4割近い打率を残してチームを牽引した。とは言え、もちろん、生中継を見たわけではない。NHKが優勝争いとは関係なしに、ヤンキースの試合を中心に中継し続けたからだ。

・カンザスシティは大事なところで勝てなくて地区優勝を逃したが、青木はシカゴ戦で13打数で11安打と固め打ちして打率を2分もあげて、最終的には0.285の成績を残した。ヤクルトからミルウォーキーに移って3年目で、毎年同様の成績を残してきたのだが、日本ではほとんど話題にならなかったように思う。それがプレイオフが始まってから、急に注目されはじめた。

・カンザスシティは29年も優勝から見放されたチームで、街自体も田舎の小都市だから、お荷物球団だと言われてきた。しかし、メジャーリーグは弱いチームから新人を採ることができるシステムが徹底しているから、しっかり育てれば強いチームに変身することは可能だ。力をつけた有望選手を強豪チームに売って収入を稼ぐということをしなければ、数年でチームを立て直すことはできるのだが、カンザスシティが本気になってチーム強化に努めたのはここ10年ほどのことのようだ。

・だから、チームの主力はほとんどが20代で、今年は優勝の可能性があるというので青木選手をミルウォーキーからトレードで獲得した。1番バッターを務めてきたが、それだけではなく、若い選手を引っ張るリーダー的な役割も担わされてきた。そのチームが、プレイオフでオークランドに逆転勝利してから、ロサンジェルスとボルチモアをスイープして、8連勝と神がかり的な強さを見せている。

・足の速い選手を揃えて盗塁で相手を攪乱し、鉄壁の守備と強力な抑え投手で、逃げ切ってしまう。そんな試合ぶりにプラスして、レギュラー・シーズンにはなかったホームランで勝つ試合もいくつかあった。今週からはいよいよワールドシリーズがはじまる。相手はサンフランシスコで、このチームもワイルドカードから勝ち上がって、勢いに乗っている。

・僕はサンフランシスコが一番好きなチームだが、今年はカンザスシティを応援することにしている。去年の上原選手のように、青木選手の活躍を楽しみに、今週は朝からテレビ観戦を決めこんでいる。

2014年10月13日月曜日

東京オリンピックと新幹線

・東京オリンピックと新幹線開通から50年でテレビも新聞もその特集を組んでいる。すべてを見たり読んだりしているわけではないが、その中身は、懐かしさばかりのようだ。当然、イベントも行われていて、次の20年のオリンピックを盛り上げる機会にしようという狙いもある。決まったことだから、それはそれでいいことだ、なんてとても思えない。オリンピックなんてやってる場合じゃないだろうと今でも考えているからだ。

・オリンピックのおかげで公共工事が増え、ゼネコンは大喜びだろうと思う。人手が足りなくて困っているという話もよく耳にする。そうすると当然、3.11の被災地の復興工事が滞るわけで、予算を使い切れていないというニュースも見かけた。地方再生が聞いて呆れる状況なのである。

・いったい、64年の主会場になった国立競技場はどうなるのだろうか。ばかでかい新国立競技場は神宮外苑を一変させてしまうほどの大工事である。反対の声が大きいのに、それにまともに応えずに解体工事を始めようとした。ところが、談合疑惑が起こり、業者に告発されたりしている。東京オリンピック50周年をふり返り、20年のオリンピックに向けて特集を組むというのなら、なぜ、メディアは、新国立競技場の問題や「日本スポーツ振興センター(JSC)」のうさんくささを問題にしないのだろうか。

・同様のことは新幹線の50周年にも言える。日本が豊かな社会になることを実感できる機会だったという話を取り上げて、次はリニアモーターカーでもう一度、豊かさを目指そうと言わんばかりの論調だ。それが全くの幻想でしかないことは、50年前と今の日本の状況を考えたらわかるはずで、人口の急激な増加と急激な減少を見たってありえないことなのである。

・リニアモーターカーは500kmの速度を出して東京名古屋間を40分で結ぶのだという。そんな必要がいったいどこにあるのかという話は、以前に書いたことがある。南アルプスをぶち抜いてトンネルを作ること、7割以上がトンネルになること、原発数基分の電力が必要になること、地方再生どころか、ますます東京一極集中を加速させるだけだということ、新幹線が赤字路線に転化してしまうこと、乗客や沿線住民への電磁波被害が置き去りにされていること等々、上げたら切りがないほどである。ところが、そんなことを大きく取り上げるメディアはまた、ほとんどない。

・御嶽山が突然噴火して大勢の登山者が犠牲になった。富士山周辺の自治体も、慌てて対応策を考える会を発足させたりしている。泥縄も最たるものだが、ほとぼりが冷めれば自然休会してしまうのだろうと思う。そんな場当たり的な発想をくり返しても何の役にも立たないのに、である。川内原発再稼働について、原子力規制委員会の委員長や官房長官が、マグマではなく水蒸気だから、川内原発には直接関係しないと言った。火山学の専門家でもないのになぜ、即座に、こんな意見を言えるのだろうか。

・それにしても、テレビも新聞も、御嶽山で犠牲になった人たちのプライベートな話を良くもまあ、次から次へと取り上げて、お涙ちょうだいの物語をつくるものだとあきれてしまった。そんなものは読みたくもないし見たくもない、と思うのは僕だけなのだろうか。亡くなった人がどういう人かではなく、なぜ死んでしまったのか、なぜ防げなかったのかということについて、本気になって取り組む必要性を強調しないと、悲劇の消費に終わって、しばらくたてばまた、忘れてしまうだけなのだろうと思う。

・オリンピックと中央新幹線でさらなる豊かな社会を実現しようというのは、けっして夢ではなく、悪夢そのものだと思う。日本はこれから間違いなく、人口が減り続け、経済もしぼみ続けるだろう。アベノミクスはそれに逆らって、経済成長や人口の増加、そのための女性の活用(躍)、地方再生などをスローガンに上げている。これらがどれほどインチキなものか。もちろん、この点を正面から批判するメディアはほとんどない。

2014年10月6日月曜日

山登りの怖さ

・御嶽山が水蒸気爆発をして、大勢の登山者が亡くなった。2年前の10月に登っていたから、ニュースをネットで読んですぐに、山の様子が思い浮かんで、どこからどんなふうに噴火したのか気になった。YouTubeで検索すると、突然の噴煙に逃げる人が撮ったビデオがアップされていた。山登りをする人たちの多くは、頂上で昼の食事をする。快晴の土曜日の昼前だと、おそらく頂上にはたくさんの人がいたに違いない。これは大変なことになると思うと、血の気が引くような恐怖感に襲われた。

forest103-7.jpg・御嶽山は3000mを越える山だがクルマで2000mを越えるところまで行くことができるから、比較的楽に登れる山だと思われている。僕もそんな気持ちで出かけたのだが、風が強く、がれきが多くて登りにくかったし、山頂近くになると高山病の症状が出て頭が痛くなった。それでも、南アルプスの山脈の向こうに富士山が見えたし、紅葉で赤く染まった斜面の美しさに見とれて、何とか頂上にたどり着くことができた。

・下山ももちろん、足場が悪くて苦労をしたし、寒くて手もかじかんだ。そんな記憶を思い起こしながら、噴石や火山灰に追われ、取りまかれた人たちがどんなふうに逃げたのか、と考えると、大勢の犠牲者が出ただろうことは容易に想像ができた。噴火から1週間が過ぎて、死者は50人を越え、不明者がまだたくさんいると言われている。雲仙普賢岳の噴火による死者数を越えた戦後最悪の火山災害だとも言われている。しかし、犠牲者は登山者だけだから、やはり、特異と言わざるを得ない。

・山登りは今、ブームだと言っていい。中高年から始まって、ちょっと前から「山ガール」といったことばがよく使われるようになった。確かに、お決まりのファッションで登り、頂上に着くと珈琲をたてたり、料理をしたりする若い女性をよく見かけるようになったし、小さな子どもを連れた親子も増えたようだ。僕を含めて、山をよく知らない人たちが、気軽に登るようになったことは間違いない。御嶽山の噴火は、そんな風潮に警鐘を鳴らす出来事だったと言われても仕方がないことかもしれない。

・今回の惨事をきっかけに、日本の火山はすべて登山禁止にすべきだといった発言も出ている。確かに、いつ噴火するかわからないのだから、危険性はいつでもあることは間違いない。ただし、御嶽山でも9月に入って火山性微動が記録されたり、硫黄(硫化水素)の臭いがしたといった報告もあった。あるいは頂上の地震計が壊れて作動していなかったとも言われている。注意を促して登山を控えるようにすることはできたはずで、そうすれば登山者の数はずっと少なかったのではないかと思う。

・それをしなかった理由としては、紅葉の観光シーズンなのに客足が鈍っては困るという経済的な理由があったのかもしれない。近くの開田高原では名物のそば祭りが予定されてもいたのである。同様の理由は、夏の富士登山などにはもっと強く影響するはずで、命よりお金といった発想が、この惨事の一番の原因などではないかと疑いたくなってしまう。川内原発再稼働を進める人たちは、御岳の噴火が再稼働に影響しないよう、無関係を装うことに懸命だった。

・火山には登るなという考えは、当然、火山の多い日本には原発は危険だというところに繋がるはずだし、そもそも火山の近くに住むことだって危ないということになるだろう。富士山の麓に住んでいる者としては、山に登らなくたって、こんなところで生活していること自体が無謀だということになるのかもしれない。実際、噴火したらどう対応するのか、自治体からの具体的な方策や指示は何もないのが現状だから、ドカンときたら、勝手に逃げろというのは、登山者だけに限らないことなのである。

・P.S.大型の台風18号が東海から関東地方を襲って、あちこちの自治体が緊急避難勧告を出した。この大雨や強風の中をどうやって避難しろというのだろうか。しかも、特定の危険な地域というのではなくて、市内全域だったりもした。広島市の災害での批判から、今度は横並びで一斉にといった態度がありありで、出せばいいというのではないだろうと、余計に不信感を感じてしまった。

2014年9月29日月曜日

拝啓、ガラパゴス島の皆様

・異国に旅に出ると、自分が当たり前だと思っている常識や習慣が役に立たないことに気づきます。けれども、その違和感が薄れてくると、今度は当たり前だと思っていた常識や習慣がおかしなものに感じられたりするのです。この夏の旅行でも、そんなことをいくつも経験しました。

・旅先では外食になります。で、その値段の高さにいつもびっくりしてしまいます。もちろん、最近の円安の影響大ですが、高いのはそれだけではありません。スーパーに入って、ハムやパン、サラダ、そしてビールやワインを買ってホテルで食べれば、それほどの費用はかからないからです。外食が高い理由は、おそらく人件費なのだと思います。スイスは明確にそうなのですが、春に行ったニュージーランドもそう言われていました。今回のイギリスやフランス、そしてスペインも同じなのでしょう。

・しかし、逆に言えば、日本の人件費が異常に安いということになります。「激安」ということばが「マスコミ」を賑わしたのは90年代後半からだったでしょうか。その時からつい最近まで、外食産業は値段の安さばかりを売りにして競ってきたのです。安いものばかりに飛びつく傾向が、人件費のカットとなって跳ね返った。まさに、安物買いの銭失いの10数年だったのだ、とつくづく思いました。

・旅先で不便に感じる第一は、トイレです。とにかく公衆便所が少ない。コンビニもないから、探すのに一苦労します。そして駅もデパートも公園も、有料の場合が多いです。と言って、けっしてきれいではない。だから、出かけるときには必ずホテルで用足しをする。歳を取ってトイレが近くなりましたから、いつでも気になることになりました。

・そのトイレは、日本ではウォシュレットが当たり前になりました。しかし、旅先でウォシュレットを見かけたことはありません。男子用トイレに視線を遮る壁がないのも最初は戸惑いました。日本の良さをつくづく感じましたが、しばらくすれば慣れてきて、かえって、あれこれ些細なことに気を遣い、それを便利さや丁寧さと思っていることに、おかしさを感じるようにもなりました。

・初めての街に着いたら、地図を頼りにとにかく歩く。最近はそんな旅を楽しんでいます。当然、公園を見つけて、ベンチや芝生で一休みということになります。そんなときに今回気づいたのは、平日の昼間に、父親と子どもが遊んでいる光景の多さでした。ハウスハズバンドなのか、離婚してシングル・ファーザーになったのか、あるいは夏休みでしたから、バカンスだったのかもしれません。日本でも「育メン」といったことばが流行りましたが、まだまだ当たり前にはなっていないようです。政治家が「女性の活用」などと偉そうに言う国ですから、仕方がないのかもしれません。

・そのバカンスですが、EU諸国では一ケ月ほど取るのが当たり前のようです。日本では有給休暇が少ない上に、取得率が半分にも達していません。回りを気にして休まない傾向は、いつまでたっても解消されません。有給休暇は当然の権利です。そして権利の行使をためらう理由も、けなす理由も、本当はないはずですなのに、日本人には高い壁のように立ちはだかって感じられるようです。

・9月は連休が続きました。当然中央高速道路は連日大渋滞でした。わかっているのにくり返して、休みの貴重な時間を渋滞のなかで過ごす。レジャーの過ごし方がいつまでたってもわからない。そんな国民性を改めて実感しました。

2014年9月22日月曜日

朝日叩きに与するなかれ

・朝日新聞叩きがすさまじい。まさによってたかって袋だたきといった様相だ。原因は「両吉田問題」についての誤報と、それについての訂正や謝罪を巡るところにある。その詳細について、ここで書くつもりはない。ただ、マスコミ、あるいはジャーナリズムのどうしようもなさについては、きちんと発言しておこうと思う。

・まず誤報問題について。マスコミの誤報については「GoHoo」(日本報道検証機構)というサイトが、詳細な情報を載せている。それを見れば一目瞭然で、新聞やテレビにとって誤報は日常茶飯事であることがわかる。しかも誤った報道が与えた影響とは比較にならないほどの、小さなお詫び記事を載せるのが慣例なのは、どのメディアも同じである。

・それなのになぜ、今回は各新聞社やテレビが朝日批判をするのか。そこに安倍政権の力が働いていることは明らかだろう。何しろ新聞もテレビも、そのトップがこぞって安倍首相と食事をしたりゴルフをしたりしているのだから、政権との癒着は露骨と言ってもいいのである。その代表は読売新聞と、フジサンケイグループである。

・その意味では、今回の騒動は、従軍慰安婦問題はなかった、福島第一原発事故は収束に向かっているとしたい政府に同調するグループと、それに批判的なグループの戦いだと言える。実際安倍首相は、朝日の誤報が日本の国益を損なったといった発言をして、あからさまな批判をしている。朝日を叩いて政権に批判的な勢力を一気にやっつけてしまおうという狙いがあるのは言うまでもないことだろう。そしてこの構図は、民主党が政権を取った時から露骨に現れているものである。

・このような風潮に悪のりして、大出版社発行の週刊誌が朝日叩きの特集を毎号書いている。週刊誌はただ売り上げを伸ばすために、誤報など気にせず人の気を引く記事を書くから、今さら正義面はできないはずだが、そんなこと知ったことかという態度である。新潮社も文藝春秋も小学館も、出版社としてどんなにいい本を出そうと、こんな週刊誌を作っていては、とても信用はできないのである。

・もっとも日本のメディア状況の問題が、より制度的、構造的なものに起因していることも知っておく必要がある。1新聞社の発行部数としては日本の読売と朝日が世界1位と2位を占めていて、毎日が4位、日本経済新聞が6位、そして中日新聞が9位と、10 位までの半分を占めている。これはけっして誇れることではなく、異常さを示す数字だと言える。全国規模で新聞を発行する国は、先進国ではあまりないからである。これは要するにメディアの中央集権化に他ならない。

・さらに、テレビやラジオはそれぞれ大手新聞社と一体化していて(クロスオーナーシップ)、しかも、総務省によって電波が管理されている。会長や経営委員が政権によって任命されるNHKは言うまでもないが、民放においても、権力批判がしにくいのは制度上仕方がないとも言える。ただし、電波が国の管理下にあるために、既存の放送局とそれと提携する新聞社には、新興勢力に脅かされるという不安を免れるという既得権がある。

・政府や地方自治体、あるいは警察などを情報源とするニュースはそれぞれの場所に設けられた「記者クラブ」で入手される。当然、その場で取材できる人も、既存の大手新聞社や放送局などに限られていて、フリーのジャーナリスト入りにくくなっている。そんな特権が、情報操作に利用されることもまた、ニュースにはありふれている。誤報とは言えないが歪められた情報が無数にあることもまた、事実である。

・「世界価値観調査」が出す『世界主要国データブック』の「世界各国における新聞・雑誌への信頼度(2005年)」によれば、日本は47.5%で世界で一番信頼度が高い国である。また、テレビについても37.9%で4番目になっている。これは先進国では異例なほど高い数字で、それだけ、マスメディアから発信されるニュースを鵜呑みにする割合が高いことを示すものだろう。

・だから誤報騒ぎには敏感に反応すると言えるのかもしれないが、そもそもそれほど信用できるものではないことを前提に受け止めていないことを自覚する方が、もっと大事だろうと思う。

2014年9月15日月曜日

今度はテニスで大はしゃぎ

・全米オープンテニス大会で錦織選手が決勝戦まで勝ち残った。ベスト8ぐらいまではほとんどニュースにもならなかったのに、ランキング上位の選手を2戦続けてフルセットの末に破ると、突然メデイアが大きく報じはじめた。で決勝戦はということになったのだが、衛星放送のWowowが独占中継していて既存の地上波はどこも中継しないことがわかった。Wowowには対応できないほどの申し込みが殺到したようだ。

・当然のごとく、日本人選手が海外で活躍するたびに現れる「ニッポン」「日本人」が連呼された。一番目立ったのは錦織選手が小学生の時にコーチしたという松岡修造である。まるで自分の愛弟子であるかのような入れ込みぶりは、彼の日頃のハイテンションを考慮してもうんざりするばかりだった。実際、錦織選手は中学生からアメリカに留学して、日本とは関係ないところで強くなったのである。おそらく彼には、日本人だとかアジア人だと言った意識はそれほど多くはないのだろうと思う。

・そんなメディアのはしゃぎぶりに負けなかったのは、彼が契約しているスポンサー企業と、そこに注目する株式市場の動向だった。準決勝に勝った後、ユニクロや日清食品、アディダスなどの株価が高騰したが、決勝で負けると逆に急落したようだ。彼が試合に着ているユニクロのテニスウエアーも完売したようで、ユニクロは1億円のボーナスを出すようだし、彼が所属するカップヌードルの日清食品も5000万円のボーナスをだすと発表した。今回の活躍が経済に与える効果は300億円だと試算するところもあった。

・テニスそのもののおもしろさはそっちのけにして「プチナショナリズム」と「お金」の話で大はしゃぎする。それは7月のサッカー・ワールドカップでうんざりしたばかりだったし、メジャーリーグのヤンキースと高額年俸で契約し、期待にたがわぬ活躍をした田中将大投手に対する声援にも「いい加減にしろ」と言ったばかりだったから、今回の大騒ぎには、またかという呆れと、もう救いようのない「空気」を感じてしまった。

・僕は野球はもちろん、サッカーにもテニスにも興味がある。そして、海外に出て活躍した選手がほとんど例外なく、日本のメディアや日本人が「プチナショナリズム」や経済効果を理由に「がんばれ」と声援する風潮に批判的だったことに、関心と共感と同情を寄せてきた。それは野茂や中田の時代からくり返されてきていることだが、にもかかわらず、反省して改めるといった「空気」はまるでない。この内向き志向は、一度日本という社会(世間)から出て、外から見つめないとわからないのかもしれない。

・ニューヨーク・タイムズが錦織の決勝戦を前にして、「日本人離れした特質」が快挙に繋がったという記事を掲載した。日本人には過度に協調性を重んじる傾向があって、それはスポーツにも及んでいるが、中学生からアメリカで生活している錦織には、そんな傾向を気にする思考方法がなく、個性を大事にするところがある。そんな内容だった。ガラパゴス島に生きる人にはわからないが、外からこの島を見る人からはその特徴がよく見えている。この記事には、そんな印象を強く持った。

・もう一つ、全米オープンについてネットで検索していて、同時に車椅子テニス部門があることと、そこで男女とも日本人選手が優勝したことを知った。国枝慎吾選手は今回で5回目、上地結衣選手ははじめての優勝で、二人ともダブルスでも優勝している。あるいは伊達公子も女子ダブルスで準決勝まで勝ち進んだのだが、錦織選手の陰に隠れて、ほとんど話題にされなかった。どちらも快挙なのに、こちらには目もくれない現金さ。嫌な「空気」だな、と今さらながらに思う。

2014年9月8日月曜日

ヤング、クラプトン、そしてブラウン

Neil Young "A Letter Home"
Eric Clapton "The Breeze (An Appreciation Of JJ Cale)"
"Looking Into You, A Tribute to Jackson Browne"

・ニール・ヤングのCDは復刻版や古いコンサートの掘り起こしだけでなく、新作も出され続けている。mpg3の音質の悪さに文句をつけたりと、音楽活動には積極的だが、最近、長年連れ添ったペギー・ヤングと離婚したというニュースも耳にした。彼女はヤングのバック・コーラスをつとめてきたし、障害児の学校「ブリッジ・スクール」を設立して、その運営資金集めに夫婦そろって活動してきていた。だから、これからどうなるのか、ちょっと心配になってしまった。

aletterhome.jpg・その彼が今年出した"A Letter Home"は全曲がカバー曲で、ボブ・ディラン「北国の少女」、ブルース・スプリングスティーン「マイ・ホームタウン」、フィル・オークス「チェンジズ」、ウィリー・ネルソン「クレイジー」「オン・ザ・ロード・アゲイン」、ゴードン・ライトフット「朝の雨」、バート・ヤンシュ「死の針」など、フォークやカントリーの古典とも呼べる歌が収録されている。
・音質にこだわるヤングがこのアルバムで試みているのは、ギターとハモニカだけで、スタジオというよりは普通の部屋でマイク一本で録音したものをデジタル化せずにレコードにするということらしい。もちろん僕はそれをCDで聴いているのだが、確かに何も足さないし引きもしない音で、目の前でマイクも使わずに唄っているような気になった。彼にはクレイジーホースを率いて大音響を響かせる一面もあるが、僕はやっぱり、一人だけでギターをつま弾きながら唄うヤングが好きだ。

thebreeze.jpg ・エリック・クラプトンの"The Breeze"は昨年なくなったJ.J.ケイルの追悼アルバムで、彼の他にマーク・ノップラー、ウィリー・ネルソン、トム・ペティ、ジョン・メイヤーなどが参加している。全曲ケイルの作品だが、ネットで調べると、カバーというよりはオリジナルを忠実に再現するようにというクラプトンの注文があったようだ。ちなみにアルバムに描かれたケイルの肖像画はクラプトンのアルバムジャケット(「ピルグリム」)を手がけた漫画家の貞本義行の作である。
・J.J.ケイルは地味なミュージシャンだが、彼の曲は多くの人にカバーされていて、クラプトンも「アフター・ミッドナイト」や「コケイン」をヒットさせている。で、二人で作ったアルバム"The Road to Escondido"もある。タイトルにあるエスコンディドはサンディエゴ近くのケイルの家の地名で、クラプトン自身もここにマンションを所有していたことがあったようだ。2008年に出されたこのアルバムは、その年のグラミーでブルースアルバム賞をもらっている。

lookingintoyou.jpg ・もう一枚はジャクソン・ブラウンの曲を集めたトリビュートで、J.D.サウザーやドン・ヘンリーといった近しい人の他にスプリングスティーンなども参加している。CD2枚組で23曲が収録され、どれもがおなじみの曲だが、ブラウン自身が歌うものより印象が薄いと感じてしまった。ディランほどにはあくが強くないのに、やっぱり彼の作品は彼の声や歌い方でなければだめなのかもしれない。もっとも、ニール・ヤングは前記したアルバムはもちろん、他の人の歌でも自分の世界にしてしまう。その好例は9.11直後にテレビで唄ったジョン・レノンの「イマジン」だった。
・最近では、まだ現役で活動している人のトリビュートも珍しくなくなった。影響を受けた人、親交のある人の作品をカバーする、カバーしあうことが流行っているのかもしれない。それだけ、歳とったミュージシャンが増えたということだろうか。

2014年9月1日月曜日

アーサー・ミラー


『るつぼ』「セールスマンの死」 (ハヤカワ演劇文庫)

theoldvic.jpg・旅の終わりはロンドンでの芝居見物だった。同僚の本橋哲也さんに誘われたのが理由だが、英語の芝居など聞いてもわからないだろうからと、あらかじめ原作(脚本)を読んでおいた。出し物は、アメリカの初期移民時代に実際に起きた魔女狩りをテーマにしたアーサー・ミラーの『るつぼ』(the crucible)である。長い旅の終わりで疲れていて、途中で居眠りしてしまうのではないかと心配したが、一段高い舞台ではなく、客席を囲むようにできた空間で繰り広げられる物語は、迫力があって引き込まれた。劇場はテムズ川の南岸、ウォータールー駅近くの「The Old Vic」である。

miller1.jpg・話は村の娘達が森で踊っているのを牧師に見られたことから始まる。その教区では踊ることが禁じられていたし、しかも娘のなかには半裸で踊る者もいた。その一人の牧師の娘が失神して倒れたから、ことは大げさなものになった。娘達の掟破りの遊びではなく魔女の仕業ということになって、魔女狩りに進展してしまったのである。

・妻のある男と不倫の関係にあった娘達のリーダーが、その妻を魔女だと言いふらした。他にも疑われる女が続出するのだが、その名指しの裏には、村の人間関係のなかで生じた金銭や土地、あるいは家畜を巡るトラブルや、妬みや嫉妬があって、村は大混乱に陥った。牧師や判事、そして副知事などが介入して、大がかりな裁判が行われ、大勢の人が死刑になった。魔女ではなく魔女に操られたと告白すれば許されたのだが、処刑された人たちは、嘘をつくことをためらい、拒絶した。熱心で善良なキリスト教信者であればこその行動だった。

・『るつぼ』は1950年代に発表されている。当時のアメリカはマッカーシー上院議員に扇動された「赤狩り」で、多くの著名人が疑われ、投獄されていて、著者のミラーもまた疑われた。この作品は、そのような出来事を批判するものとして読まれたが、このような事態はいつでもどこでもくり返して起きたことだから、昔どこかで起きた特異な出来事などではない。これは、集団内に不満や鬱憤が充満している時に、そのはけ口として発生し、権力者に利用される「スケープ・ゴート」という現象に他ならない。

・僕はこの脚本を読んだ時に、ユダヤ人狩りをしたヒトラーや、9.11直後のブッシュを連想したし、現在の安倍政権にも当てはまると思った。で、その芝居を、怖さに引き込まれるように感じながら間近で見て、その気持ちが薄れる前に、もう一度読み直した。なぜ今、反中や反韓の気運が蔓延し、朝日新聞がことあるごとに批判されるのか。一番の原因は批判される側よりは、批判する側が抱える不満や鬱憤のなかにこそある。そしてその不満や鬱憤の原因事態を探すのではなく、その捌け口を見つけて、そこに感情的にぶつける行為にこそある。

miller2.jpg・アーサー・ミラーにはもう一冊、有名な脚本がある。『セールスマンの死』は、やはり50年代に書かれていて、退職間近に首になったセールスマンの悲哀を描いている。自分の夢や希望が叶わず、また息子達にも期待を裏切られた主人公は、何とかその現実を受け入れようとするがどうしてもできない。妻や息子達があれこれと慰めようとしたにもかかわらず、主人公は自殺をしてしまう。これもまた、現在の日本の状況に当てはまる内容だと思う。

・50年代のアメリカは未曾有の好景気に沸いたアメリカの黄金期と言われる時代だった。しかし、反面、自営の商店主や農場がつぶれて、大きな企業が出現して、多くの人たちがそこに勤めることが当たり前になった時代でもあった。家電やクルマ、郊外の住宅などが爆発的に売れる時代で、セールスマンはそんな状況を象徴する仕事だったが、それゆえにまた、能力主義が幅をきかす世界でもあった。

・二つの芝居はもちろん、日本でも民芸などで上演されたことがある。その時にどのように受け取られたかはわからないが、今この時期にロンドンで上演され、毎日満員になっていることに、日本の文化状況との違いを感じた。日本が置かれた現状や、そこで生きる自分と直接向き合うのではなく、それとは無関係な虚構の世界に紛れ込んで、現実をなかったことにする。それはもちろん、音楽などの傾向にずっと昔から感じ取っていたことだが、そんな思いを一層強くした経験だった。

2014年8月25日月曜日

旅から戻って


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forest118-3.jpg・今回の旅はサンチャゴデコンポステーラがゴールで、ポルトガルのポルトは付録のような感じだったが、スペインとはまた少しちがっていて、来て良かったと思った。スペインのルーゴから乗った列車は国際列車とは名ばかりの古ぼけたディーゼルカーで、スペインの電車との違いに驚いたが、ポルトの街もまた、廃墟が多くて、経済的な沈滞や国そのものの衰退が感じられた。ただし、その分、古いものがそのまま残されていて、かえって味わいのある風景や街の様子を見ることもできた。上にあげたタイル張りの教会などはその好例である。

forest118-2.jpg・観光客がぞろぞろ歩く街並みには洗濯物を一杯干した家が多くて、それを珍しそうにカメラに納めている人も多かったし、店の外で鰯を焼いている光景なども目にした。僕は鰯の唐揚げを食べたが、丸ごと食べられるものでおいしかった。日本では高級魚の餌になっているような小鰯だが、ポルトガルではきわめて日常的なおかずになっている。経済的には豊かでないかもしれないが、けっして貧しくはない生活の一端が見えた気がした。観光政策が発展途上だからこそ見えた風景だろう。

forest118-4.jpg・同様のことはファド体験にも言えた。たまたま見つけたファドをやるレストランでは、客だと思っていた人が代わる代わる唄って、楽しんでいた。半数は観光客だが半数は地元の人で、提供される食べ物も地元の人が食べているものだった。聴いていて思ったのは演歌との類似性で、マンドリンのバック演奏などから、演歌は日本人の心ではなく、ファドを日本化させたものではないかと感じた。日本の演歌を形作ったのはマンドリン奏者の古賀政男だったからである。

forest118-5.jpg・対照的だったのは巡礼の目的地としてにぎやかだったサンチャゴ・デ・コンポステーラだった。大聖堂自体は荘厳で、私語を禁じるような雰囲気だったが、その回りの建物はほとんどが土産物屋かレストラン、あるいはカフェなどで、ぞろぞろと歩く観光客と巡礼者の人波にうんざりしてしまった。驚いたのは大聖堂自体のなかにも土産物屋があったことで、しかも安物ばかりが並んでいる様子にはがっかりするやら興ざめするやらだった。上からつり下げられた大きな香炉(ボタフメイロ)を焚いて教会内で振り回す儀式は、巡礼者の苦労を癒して毎日行われるのかと思ったら、高額な寄進があった時だけだと聞いた。まさに「〜の沙汰も金次第」だと思った。

forest118-6.jpg・旅のおもしろさは歩かなければ味わえない。そのことを追認させてくれたのはNHKがBSで放送している「街歩き」だった。今回も、目的地についてホテルのチェックインを済ませたら、さっそく街に出て、地図を頼りにあちこち歩いてみた。土産物屋ではなく地元の店をのぞき、スーパーマーケットで買い物をする。道ばたで立ち話をしているおじいちゃんやおばあちゃん、おじさんやおばさんに「ハロー」「ボンジュール」「オラー」などと声をかけてみる。そうすると、決まって笑顔が返ってきて、何やら話しかけてくる。そんな経験は、てくてく歩いてみなければ、なかなか出会えない経験だろう。

forest118-7.jpg・車とバスを乗り継いでのもので、ちょうど4週間の長さだった。国の違い、ことばや通貨、そして食べ物の違いはもちろん、都会と田舎、バスクやガリシアといった地域的な特性は、やはりある程度の時間と、ゆっくりしたペースでなければ味わえないことだと感じた。さて、こんな旅がいつまで続けることができるのだろうか。パートナーとの弥次喜多道中で、よく歩き、よく食べ、よく飲み、そしてよく眠ることができた。やっぱり、日頃の山歩きや自転車のおかげだろうと思う。これからも精進しよう、また旅に出かけるために!

2014年8月18日月曜日

ガリシアに来た

 

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galicia2.jpg・ビルバオからはバスでサンタンデールへ、ここでバスを乗り換えてサンティヤーナ・デル・マールに。ホテルに着くとすぐに、教科書で見たアルタミラの遺跡まで2kmほどを歩いた。劣化が激しくて今世紀になって入場が禁止され、その代わりに、大きな洞窟が掘られてレプリカが作られた。立派だが、ニセだと思うとありがたみはどうしても失せてしまう。ここでもやっぱり入場者は多い。何しろヴァカンス・シーズンまっただ中で、小さな村も人でごった返している。

・近隣のコミージャスにはカタロニア以外では珍しいガウディ設計の建物がある。レストランとして使われているというので食事を楽しみに出かけたのだが、入場料を取って見物するだけの場所になっていた。コミージャスはカンタブリア海に面していて海水浴場もあり、しかもその日は市が立っていたから、村の道路は大渋滞だった。その村を海岸から山手まで一回り歩いた。

galicia3.jpg・スペインの北岸には狭軌の鉄道が通っている。その電車に乗ってオビエドまで移動した。各駅停車で時間はバスの倍かかるが、景色がいいというので一日がかりの電車の旅を選んだ。山あり川あり海ありのなかなかの光景だったが、乗客はにぎやかで、午前中からワインに酔った若者達が乗ってきた。ろれつの回らないスペイン語でしきりに話しかけてくる。「儀礼的無関心」がまるで通用しない世界に来た。楽しくもあるがちょっと煩わしい。単線の電車は時に30分以上も停車したままで、バスで2時間の距離を遅れて、5時間半もかかってオビエドに着いた。

galicia9.jpg・オビエドは特に見るものや出かけるところがあったわけではない。アストゥリアス州の州都でビルバオ同様、鉱工業で発展した町だ。中心街には新しいビルが林立し、大きなデパートがいくつかあって道路や公園も綺麗に整備されている。たまたま見つけた大聖堂では結婚式があって。大勢の人の祝福を受けていた。

・オビエドからルーゴまでの移動はまたバスで、これも5時間半という長旅だった。どのルートを通るのかわからなかったが、何と100km以上も南下してレオンを経由した。途中岩肌がむき出しになったカンタブリア山脈をぬうように走り、山脈を越えると緑はなくなり、スペインらしい赤い乾燥した大地になった。レオンは予定外の場所だったが、バスは街には入らずに、わずかの停車で、今度は西に向かった。

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galicia6.jpg・バスが走り出すとすぐに、リュックを背負って道路脇を歩く人が目につくようになった。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでを歩く人たちだ。自転車も結構いる。ぞろぞろと言うほどではないが、ゴールまでの300km以上の距離を考えると、今歩いている人は何千ではすまないだろう。フランスやドイツやイタリア、そしてイギリスなどからも歩く人がいるから、今サンチャゴに向かって歩いている人は数万人になるのかもしれない。すごいブームだと思った。
・バスがルーゴに着いてホテルにチェックインした後、すぐに世界遺産の城壁を歩いた。ローマ時代に作られたもので、旧市街をぐるっと囲っていて、その上を歩くことができた。ローマ帝国は占領した土地に城壁や橋や水道など、入念な計算と大がかりな土木工事を必要とするものをたくさん作っている。城壁を歩いてみて、今さらながらにそのすごさを実感した。
galicia7.jpg・翌日はバスで巡礼路のポルトマリンまで出かけた。昨日バスで追い越した人たちはまだここまでは来ていない。ミーニョ川に架かる橋を渡り石の階段を上ると、休憩地のポルトマリンの村なのだが、階段を上るのが何ともきつそうな人もいた。何でこんな苦行を、と思うが、歩いている人たちから宗教性を感じることはほとんどない。どちらかと言えば、長いトレッキングをしているといった様子だ。
・ルーゴに戻るとホテルの近くでバイオリンを弾くストリート・ミュージシャンがいた。「アベマリア」の曲に1€を払った。
・翌日はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラへ。バスに巡礼者が乗ってきて、少しの間乗るとまた降りていった。足を引きずる人もいて、大変な行程だったことがよくわかった。大聖堂に行くと大勢の人たちでごった返していた。

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2014年8月11日月曜日

バスクをフランスからスペインへ


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ザビエルの父方の家

trip14-8.jpg・パリからボルドー、そしてバイヨンヌまではTGVでの移動だった。2列の座席は余裕があるのだが、新幹線と違って座席が回転しないから、後ろ向きの座席ばかりになってしまった。僕は前を向きたいから、この座り方は好きではない。ただし、何の音もなく出発し、車内放送もごくかぎられていて、日本のお節介な放送とはずいぶん違って、気持ち良かった。

・TGVは改札がない。ボルドーまでは車内検札もなかったから、切符なしで乗ろうと思えば簡単だ。ただし、見つかれば高額な罰金を払わされる。自己責任の徹底した国で、改札があってしかも車内検札がある日本の鉄道との違いに、いつも感心してしまう。

trip14-9.jpg・ボルドーはワインで有名だが、訪ねたのはワイナリーではなく、ボルドーの歴史を中心にしたアキテーヌ博物館である。ネアンデルタールとクロマニヨンから始まって、ラスコーの壁画、ケルト、ローマ帝国と続き、中世から近代を経て現代まで、見応えのある陳列物で、しかも無料だった。港町だから、大航海時代には活況を呈したようで、奴隷貿易にも積極的に関与したという。それ以前には一時期イギリスの統治下にあったようだ。

・泊まったホテルの近くの通りは観光客でごった返していたが、この博物館の周辺に来る人はほとんどいなかった。何とももったいない。ボルドーの街は衰退から再開発を目ざして、路面電車を復活させたり、「月の港ボルドー」として街全体を世界遺産に登録している。

trip14-10.jpg・次に泊まったバイヨンヌは近くのサン・ジャン・デ・ポーとともに、司馬遼太郎の『南蛮の道』を読んで行きたいと思ったところだ。彼の目的は聖フランシスコ・ザビエルにあったのだが、僕はこの本に出てくる彼が泊まったホテルとパブに興味があった。残念ながらホテルは米国系のホテルに変わり、パブは別の地区に移転していた。何より違うのは寂れた通りが観光客で賑わう繁華街に変わっていたことだった。そしてここでも、観光ルートを一歩外れると、ほとんど人通りのない、寂れた地区になってしまうことだった。

・バイヨンヌではバスク博物館を訪ねた。ボルドーのアキテーヌ博物館が良かったせいで、有料なのにそれほどでもない感じを強く持ってしまった。フランス語だけでなく、せめて英語での説明をもっと丁寧にしてもらえたら、と残念だった。

trip14-11.jpg・サン・ジャン・デ・ポーはバイヨンヌからバスで1時間半ほど南に行ったところにある。ピレネー山脈の麓で、峠を越えればもうスペインである。街全体が丘にあって、城壁がぐるっと街を囲っている。丘の上には当然城がある。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の出発地でもあって、リュク姿の人が多かった。僕もほんのちょっとだけ巡礼路をあるいて、巡礼者の気分を味わってみた。

・ここは『南蛮の道』によれば、ザビエルの父方の家があるというので探してみたら、本の通り表札があった(トップの画像)。家々にはほかにも、建てられた年と屋号がバスク語で書かれていて、それらを見ていくのもまた面白かった。

trip14-12.jpg・フランスからスペインへは鉄道を乗り継いで移動した。EUとは言え、国境には間違いない。しかし、川を電車が通過しただけで何ということもなかった。そこから、最近美食の街として話題になっているサン・セバスチャンで乗り換えてビルバオまで、狭軌の私鉄(EUSKO・TREN)は各駅停車で、3時間半もかかった。この電車に乗ってびっくりしたのは、人々の話し声が大きいことと、何となく中南米の人に顔が似ていることだった。大航海時代以降移民したのは、海沿いに住んで船を操ることに長けたバスク人とガリシア人だったというのが納得できる気がした。

・ビルバオで泊まったホテルはグッゲンハイム美術館の前で、着いてさっそく、花で飾られた巨大な犬と金属を積み上げたような建物を見に出かけた。
trip14-13.jpg・ただし、翌日はゲルニカに行き、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカやバスクの議会を見た。あいにく博物館は閉まっていたが、代わりに月曜だけの市がたって、多くの人で賑わっていた。フランコに痛めつけられ、ヒトラーの空爆を受けて廃墟になった街は今、やっぱり観光客で賑わっている。

・次の日に行ったグッゲンハイム美術館も大賑わいだった。鉄鋼の街だったビルバオが再生したのは、この美術館ができたからで、街は地下鉄や路面電車を整備し、サッカー場も新設した。ここをホームにする「アスレチック・ビルバオ」はマドリッドやバルセロナと違って、バスク出身の選手だけで構成されているにもかかわらず、今シーズンは4位だった。そもそも、スペインのサッカーは、鉄鋼業の関係でイギリスと縁があったビルバオから広まったようである。
trip14-14.jpg・ビルバオに興味を持ったもうひとつはネルビオン川にかかるビスカヤ橋だった。大型船がビルバオ市内まで遡るために、橋の高さを50m以上にし、橋の代わりにゴンドラを吊して人や車を渡している。料金は一人35セントと低額だが、エレベーターで上まで上がって歩くとどういう理由か7€もする。ぼくはもちろん、上に登って164m を歩いた。ビルバオの街はもちろん、ビスケー湾に浮かぶ船も間近に見えたが、下が透けて見える木の板を歩くのは怖かった。

・高いところといえばもう一つ、散歩していてたまたま見つけたフニクラに乗ってアルチャンダ山に登った。ここからは真下にビルバオの街を見ることができた。旧市街は赤い煉瓦の屋根で統一されていたが、再開発の進んだ新市街には様々な形をしたビルが建ち並んでいた。

・旧市街の中心にあったバスク博物館は無料で、展示したものはボルドーに負けない程豊富だった。旅はまだまだ続きます。次回がガリシアから。

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2014年8月4日月曜日

久しぶりのロンドンとパリ


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trip14-1.jpg・ロンドンとパリは6年ぶりです。ロンドンについての第一印象は、にぎやかで街がきれいになったというものでした。オリンピックをやったことが理由だと思います。パリまでユーロスターを使うためにパンクラス駅の近くのホテルに泊まったこともあるかもしれません。週末だったということもあるでしょう。パブやカフェは夕方から客で溢れていて、ずいぶんにぎやかでした。

・今回の旅の目的は、出版予定の『レジャー・スタディーズ』のために、観光地を訪れることと博物館や美術館(どちらも英語ではミュージアム)を見学することにあるので、ロンドンでは大英博物館とチャールズ・ディケンズ博物館に行き、今までは避けてきたロンドン橋やロンドン・タワー、そしてグリニッジ天文台に出かけました。大英博物館は一日では見きれないほどの展示物ですが、ものすごい数の人で、フランス語やイタリア語、そしてドイツ語などが聞こえてくるほど、外国からの客でごった返していました。
trip14-6.JPG・同じような情景はロンドン橋でもありましたし、ディケンズ博物館でも、途中から中国語を話す団体客が押し寄せて、静かだった小さな建物がにぎやかに(うるさく)なって、執筆していたという書斎でディケンズの物語を思い浮かべるという空想が、たちまち壊されてしまいました。

・泊まったホテルからディケンズ博物館、それから大英博物館まで歩き、その後もソーホー地区やカーナビー・ストリートまで足を伸ばして、またホテルまで歩いて帰りました。全部で10km近く歩いたのでずいぶん疲れましたが、途中で休んだ公園や広場には、家族連れの人たちがたくさんいて、ロンドンに住む人たちの日常生活を垣間見た気がしました。特に目立ったのは、子ども連れの父親で、育メンなどということばを使う必要がないほど、当たり前の行動のように感じられました。
trip14-2.jpg ・二日目は地下鉄の一日券を買って、グリニッジ天文台まで行きましたが、グリニッジ駅から天文台までは小高い丘を数キロ登るような道を歩きました。ここはロンドンの東にあって、かつては港湾施設や倉庫などがテムズ川沿いに並ぶ地域でした。しかし再開発が進んで、高層ビルがいくつも建ち並び、大きなショッピングモールができて、丘の上の天文台から見える景色は、ここ数年でずいぶん変わったものになったのだと思いました。

・丘を下ってまた地下鉄に乗り、今度はオリンピックのメイン会場があるストラドフォードに移動しました。駅を降りて驚いたのは、インドやイスラム、それにアジアの人たちが多いことと、ここにも大きなショッピングモールがあって、人で賑わっていたことでした。ロンドンの東地区はかつては労働者の住む地区で、旅行者には近づきにくい場所でしたが、みごとなほどの様変わりでした。もっとも、再開発については多くの反対運動があったのも事実です。
trip14-3.jpg・パリで出かけたのはまずエッフェル塔です。モンパルナス駅近くのホテルでチェックインを済ませた後、塔を目ざして歩きました。浮浪者が多く、しかも老若男女さまざまで、子どもにまでお金をせびられて、ロンドンとはずいぶん違うという印象をまず持ちました。浮浪者の多くが大型の犬を連れているのも、前回にはなかったことでしたが、犬の糞ばかりが目立った道は、今回は割ときれいでした。犬と一緒にいるのは自分の身を守るためなのかな、と思いました。

・エッフェル塔はやっぱりものすごい人で、塔の上に上がるエレベーターはもちろん、歩いて登る階段を待っている人も長蛇の列ができていました。で、上がるのは諦めたのですが、「パリのもっともいい景色はエッフェル塔からのものだ」という皮肉な気分を追認できなかったのは残念でした。観光客が集まるところと全くいないところの落差は、ロンドンだけでなくパリでもはっきり感じられました。

trip14-4.jpg ・パリ二日目は市立美術館とオルセー美術館に出かけました。無料の市立美術館は閑散としていましたが、デュフィやシャガール、それにモジリアーニなど、見応えのある作品がかなりありました。オルセー美術館が所蔵する印象派の絵画は、もちろん、桁外れにすごいものでした。マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン等々とじっと見ていたい作品がずいぶん多かったのですが、何しろここも人が多くて、立ち止まらずに回遊という感じでした。

・帰りに乗った地下鉄の駅で弦楽奏のパフォーマンスに出会いました。そう言えば、前回と比較して地下鉄でも街中でも、ストリート・パフォーマンスが少なくなったと感じました。
trip14-5.JPG ・三日目はセーヌ川からサン・マルタン運河を遡上する船に乗りました。4.5キロほどで高低差が25mの行程に2時間半もかけるという、何とものんびりしたものでした。閘門ごとに水位を調節するのですが、最初のうちは珍しかったものの、途中からはあきてしまって、「またか」という感じになりました。珍しいと感じたのは道行く人も同様のようで、川岸や橋の上から手を振る人がたくさんいて、そのたびに、こちらも手を振りましたが、それもやっぱり途中から面倒くさくなってしまいました。

・夜はパリで働いている友だちの娘さん達と食事をしました。二人ともがんばっているし、楽しんでいるというのが印象的で、内向き志向で空気ばかり読んでいる最近の大学生とは対照的だと思いました。旅はこれからボルドー、バイヨンヌ、そしてスペインとまだまだ続きます。