2004年12月30日木曜日

目次 2004年

12月

30日:目次

28日:内田樹『「死と身体』( 医学書院)

21日:Merry X'mas!!

14日:デブラ・ウィンガーを探して

7日:冬の収穫

1日:柏木博『「しきり」の文化論』

11月

24日:早川義夫『言う者は知らず 知る者は言わず』

16日:Love on line

8日:何でブッシュなの?

1日:井上俊『武道の誕生』吉川弘文館

10月

26日:台風の残したもの

19日:REM, Tom Waits and Mark Knopfler

12日:テレビ取材体験記

5日:中沢新一『カイエ・ソバージュ』( 講談社選書メチエ)

9月

28日:息子の結婚式

21日:故障で大慌て

14日:ガビ鳥と薫製

7日:鷲田清一『ことばの顔』(中公文庫)

8月

31日:"Rock against Bush"

24日:何とも奇妙なプロ野球

17日:秋田・岩手

10日:思案中

2日:三田村蕗子『ブランドビジネス』

7月

27日:河口湖も暑い!

20日:「ドニー・ダーコ」

13日:Erick Satie "Gymnopedies"

6日:Ah, Nomo!

6月

29日:佐藤直樹『世間の目』光文社

22日:庭作りを少しずつ

15日:ドミニク・モル監督「ハリー、見知らぬ友人」

8日:知人から届いた2冊の本

1日:八杉佳穂『チョコレートの文化誌』(世界思想社)

5月

25日:Lou Reed"Animal Serenade"Patti Smith"trampin'"

18日:風景が緑に変わった

11日:月尾嘉男がカヤックでホーン岬に行った

4日:布施克彦『24時間戦いました』(ちくま新書)

4月

27日:ウィルス、ジャンク、新研究室

20日:身内と世間、イラクの人質事件について

13日:"Gracias A La Vida"

5日:岩渕功一『グローバル・プリズム』(平凡社)

3月

29日:春の湖

22日:春の房総半島

15日:セディク・バルマク『アフガン・零年』

8日:斉藤環『心理学化する社会』(PHP)

1日:Youssou N'dour

2月

16日:野村一夫『インフォアーツ論』(洋泉社)

9日:マイケル・ムーア 「ボウリング・フォー・コロンバイン」

2日:氷の世界

1月

26日:年賀状の憂鬱

19日:CDの値段

12日:2003年度卒論集「教授!話が違います!!」

5日:富士を見る、富士から見る

1日:ダイヤモンド富士

2004年12月28日火曜日

内田樹『死と身体』(医学書院)

 

uchida.jpg・ぼくは、内田樹の本が出るのを楽しみにしている。彼はレヴィナスやラカンを読み解く哲学者だが、おもしろいのは、それを土台に使った皮肉で明解な世相の分析だ。
・たとえば、『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)という本がある。レヴィ=ストロースの構造主義は難解で近づきにくいと言われるが、それを「みんな仲良くしようね」という仕組みの分析なのだと一言で説明する。そう言われれば確かにそのとおりで、構造主義の基本概念は「贈与」や「交換」で、ものやことばのやりとりをして人びとが争いを避け、仲良くつきあう、その社会の構造を解きあかそうとするものだ。
・彼は、難解な文章には、そうとしか書けないわけがあると言う。だから、わからないままに頭だけでなく身体で覚えるようにじっくり読み込んでいく。そうすると難しく書く理由がわかってくる。もっとも、一方で専門書には「衆知のように」とか「言うまでもなく」といったことばが多用されて、素人にはわからない話であることを気取る文章が少なくない。そしてそういうものに限って、内容は深遠でも、広大でもなかったりする。内田樹の文章はその対極にあって、難しい話をわかりやすく書く。これは本当にわかっていないと、あるいはわかろうとして苦労しないと書けない文体だと思う。
・『死と身体』は講演の記録である。私という存在、その心、あるいは脳と身体の関係、身近で一般的な他者、そして、そして死者との関係について、人びとのする常識や最近の傾向について疑問を投げかける。あらかじめ原稿を用意するのではなく、いくつかの話題だけをもって、後は聞き手の反応や自分のアドリブに任せて話を展開する。だから、話は突然飛躍するが、それがまた新鮮な印象を与えたりもする。
・若い世代の人たちにコミュニケーションが不得手な人が増えているのはどうしてか。反対に、思春期の口ごもりを特徴としていたはずの子どもたちが、すらすらと自分のことを喋ったりするのはなぜか。自分の身体に傷をつけたり、他人をとことん虐めたりする感情は何に原因があるのか。内田が力説するのは社会における「交換」の軽視、あるいは喪失である。
・人は他者と共に生きる。そしてその他者は、基本的にはわからない存在だ。わからないものは恐ろしい。だから「交換」をして敵意がないことを積極的に示そうとする。その最たるものが死者との関係で、人は死者を自覚した瞬間に、猿から人間になったはずなのである。
・わからない他者とうまく関係を持とうとするところに、コミュニケーションが生まれる。そこが軽視され、ごまかされている。何より、他者は私の中にいて、それとぶつかり、折り合いをつけるのが思春期のはずだった。関係は、わからなさとつきあうことで深まるが、表面上のパターン化されたやりとりがそれを疎外する。この本を読むと、そんな自分の、あるいは周囲の人づきあいの仕方がよく見えてくる。

(この書評は『賃金実務』12月号に掲載したものです)

2004年12月21日火曜日

Merry X'mas!!

 




2004年が終わろうとしています
今年を象徴する字は「災」
嫌なことばかりあった年として記憶にのこり
語り継がれるのかもしれません
イラク戦争の泥沼化、日本人の人質と自己責任論
猛暑、台風、そして中越地震
誘拐、殺人、放火、あるいは幼児虐待
先生の痴漢やセクハラ事件もずいぶん多かったようです
こう並べると、本当に暗くなる感じがします
そういえば、音楽もスポーツもおもしろくなかった
野茂と中田が不調で興味半減
プロ野球の身売りや合併は当然の結果ですが
旧態依然の体質や発想はなかなか改善されません

しかし
個人的にはいいこともありました
長男の結婚、次男の就職
親の責任は一応果たしたと思いました
あとは自己責任です
『<実践>ポピュラー文化を学ぶ人のために』(世界思想社)がもうすぐ出版されます
若い人たちとの仕事は大変でしたが、楽しくもありました

来年がもっといい年でありますように
Merry X'mas and Happy New Year!! 
 


2004年12月14日火曜日

デブラ・ウィンガーを探して

 

・ここのところ落ち着いて映画を見る暇がなかった。学生の書いた文章が山のようにあって、読みたい本も後回しの毎日で、当然たまるストレスの発散や運動不足の解消には、もっぱら外に出て薪割や倒木集めに精出した。しかし、卒論が一段落したところで、しばらく忘れていたWowowの雑誌を開けると、前から見たいと思っていた映画がいくつも目についた。「8マイル」「デブラ・ウィンガーを探して」「フル・フロンタル」「くたばれハリウッド!」、あるいは「エンジェルス・イン・アメリカ」などなど。
・「8マイル」はラップ・ミュージシャンのエミネムが自ら主演する自伝物語だ。ラップはアメリカのスラム街から若い世代の黒人の主張として始まった。エミネムは白人ではじめて成功したラッパーで、肌が白いから偽物と言われたりするのだが、映画を見ると、彼の生い立ちは黒人達よりも貧しく悲惨だったようだ。R&Bをロックンロールに変えたエルビス・プレスリーに重なる話でおもしろかった。聴いていてもことばがわからないラップにはいまひとつ馴染めないのだが、映画を見てバトルがどういうものなのかよくわかった。8マイルはデトロイトに住む白人と黒人の距離で、エミネムはそこを飛び越えて大ブレイクしたというわけだ。
・「デブラ・ウィンガーを探して」「くたばれ!ハリウッド」「フル・フロンタル」はハリウッドをテーマにしていて、前2作はドキュメントだ。どの作品にも共通しているのは、華やかな世界の裏話とスターやプロデューサーの浮沈と内面の苦悩である。
・「くたばれ!ハリウッド!」は斜陽のパラマウント映画を再生させたプロデューサーであるR.エヴァンスの物語だ。「ゴッド・ファーザー」「ある愛の歌」「チャイナタウン」「ローズマリーの赤ちゃん」などをヒットさせたエヴァンスは「ある愛の歌」のヒロインであったアリ・マッグローと結婚する。飛ぶ鳥を落とす勢いの70年代、そして凋落の80年代。「フル・フロンタル」はソダバーグが監督している。彼は「セックスと嘘とビデオテープ」でデビューしているが、「フル・フロンタル」はドキュメントタッチで現代のハリウッドを描きだしている。解雇、浮気、恋愛と肌の色の違い。
・しかし、一番おもしろいと思ったのは「デブラ・ウィンガーを探して」だった。なじみの女優達がたくさん出てきて、監督した女優のロザンナ・アークエットのインタビューを受ける。彼女たちが話すのは、結婚、子育て、あるいは離婚の経験と、それによって味わった女優という仕事に対する迷いや悩みである。
・ハリウッド女優に望まれるのは何よりセックス・アピールで、それは若さの代名詞でもある。だから30代になり、40代が近くなれば、依頼される仕事は少なくなる。といって、地味な母親役には気乗りがしない。またこの年齢になれば、結婚や出産、そして子育てといった役割を実生活で担うようになって、仕事と家庭生活の板挟みに苦慮することにもなる。
・たしかに映画の中では、30、40代は中途半端かもしれない。50代、60代になれば、それなりに年輪を重ねた重厚な演技や枯れた役割が要求される。主演でちやほやされた人たちには地味な脇役は気が進まないだろう。長く生き残るかどうかの節目にあたる年代なのだろうと思う。
・しかし、ここでも問題はジェンダーにあるようだ。中年世代でも男であれば、それなりの主演映画に出るチャンスはいくつもある。しかし女には少ない。だから、老年世代になれば、存在感のあるスターは圧倒的に男優ということになる。映画がまだまだ男中心に作られている証拠で、年齢に相応した役柄で女優が映画に出演するためには、女のプロデューサーや監督、そして脚本家の登場が望まれるのだという。
・とはいえ、現実には、ハリウッド映画はますます若い世代、あるいは子供向けの作品を作る傾向にある。中年の女が抱える問題をテーマにした映画がハリウッドで可能なのだろうか。この映画に登場した女優達は口を合わせて、テレビドラマへの出演に拒絶反応を示した。アメリカでは相変わらず、テレビ俳優は二流なのだろうか。その作品の質はともかくとして、日本とは異なる状況だと思った。

2004年12月7日火曜日

冬の収穫

 

・今年の冬は暖かい。とはいえ、12月になったら、最低気温が零下になった。広葉樹は大半が葉を落として、山の色は茶色に変わった。風が冷たくなり、空気が乾いてくると、空は抜けるように青くなる。夜には満天の星屑だ。通勤の朝は真っ青な空を見て車に乗り、夜、帰宅すると星空を見上げる。ちょっと前までは朝霧が立ちこめていたが、それも今はない。

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・富士山は10月には冠雪があり、今では上の4割ほどが白くなっている。その冠雪し始めたばかりの頃に、御殿場口から車で行ける太郎坊まで登ってみた。江戸時代に噴火した宝永山が左にあって、この角度からの富士山は美しくない。頂上の幅も広いから、ここまであがると台形のようになってしまう。残念ながら駿河湾も霞んでよく見えなかった。

・週末になると家から見えるすぐ近くの山でハングライダーが飛んでいる。前から気になっていたから、そこまで登って見ることにした。上まで林道があると思って出かけたのだが、途中で出会った猟師さんに道がちがうといわれてしまった。しかし、尾根伝いに真っ直ぐ登れば行けるというので、道があるようなないような尾根を真っ直ぐ登った。木がびっちりで鬱蒼としているから、頂上はいつまでたっても見えない。ほぼ直線の登り坂にくたびれて、途中で何度もあきらめかけた。けれども、引き返すのもシャクだから、何とかがんばって頂上まで。平日でハングライダーをする人はいなかったが、眺めは素晴らしかった。残念ながら雲が出ていて富士山は見えなかったが、雲の様子はなかなかのものだった。

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・毎年のことながら、紅葉の季節が終わると観光客の姿は少なくなる。もっとも、11月28日にあった河口湖マラソンには8000人の参加者があったそうだ。今年で29回目。湖畔道路一周が20キロだから二周する。毎年見に湖畔まで出かけているが、参加者が増えて、今年はランナーの切れ目なしに二周目のトップがやってきた。もう人数的に限界だという気がする。仮装ランナーが少なくておもしろさも今一つだった。

・今年の薪ストーブの焚きはじめは11月の中旬だった。まだそれほど寒くはなかったが待ちきれない気持で火を入れた。家全体がじわっと暖まるいい感じだが、木は貴重品でむだ使いはできない。そう思っていたら、湖畔で思わぬ大量の収穫があった。新しくできたトンネル近くに荒れ放題の空き家がある。その入り口にきれいに長さを揃えた木が一山。その他に長いままの木が10本ほど。本当にヨダレもので、さっそく車に積み込んですでに5往復ほどした。

・全部の木を手に入れれば、おそらく二冬分はたっぷりある。しかし、チェーンソーで切り刻まなければならないし、太い幹の部分は、車に入れるのも大変だ。持ち主に断ったわけではないから、何となく気が引ける。もっとも誰のものなのかはよくわからない。そんなわけで、時間を見つけてはすこしずつ運ぼうと思っている。

2004年12月1日水曜日

柏木博『「しきり」の文化論』

 

sikiri.jpg・「しきり」は、それほど頻繁に使われることばではない。「しきり」「しきりなおし」など、相撲用語といってもいいかもしれない。しかし「しきる」は人間にとって、あらゆる意味で本質的なものである。
・「わたし」と「あなた」、「私」と「公」、家の内と外、市境、県境、国境。現在、過去、未来。昨日、今日、明日。あるいは一日、一時間、一分一秒。私たちは空間や時間をしきり、そこに違いをつけ、流れや関係を自覚する。それではじめて、形も大きさも長さもはっきりする。その意味では「しきり」は人間学や文化論の基本的なテーマだと言ってもいい。
・住居にはかならず、壁があり、屋根があり、窓があり、また扉がある。家の外には庭があり、庭の周囲には塀が張りめぐらされる。その仕組みはもちろん自然環境に影響される。暑いところでは風通しよく、寒いところでは逆に、冷気を遮断するように作られる。けれども、住まいの形はそれだけで決まるわけではない。
・アメリカの郊外住宅には塀はめったに見られない。対照的に日本の住居にはかならず塀が巡らされる。それを開放的と閉鎖的という国民性の違いとして見るのはあまりに単純だろう。外に対してはっきりした「しきり」をつくらないのは、「私」と「公」の区別がはっきりしているからで、日本の住居に塀が欠かせないのは、それがはっきりしていないせいではないかと著者は指摘する。
・もちろん、違いはそれで説明しつくされるわけではない。アメリカの郊外住宅は、郵便番号によって人種や学歴、あるいは収入がわかるほどに区分けされているのだという。しかも、近隣の人を招いてのホーム・パーティも盛んなようだ。どこの誰かわからない怪しい人影を警戒する必要は、事前に取りのぞかれているというわけである。一方で日本はというと、地縁・血縁の関係が崩れて都市化した住宅環境には、新しい自発的な関係が生まれにくかった。
・住居は「私」と「公」を区別する。しかし、日本における住宅やそこに持ちこまれた家財道具の変容は、「私」空間をさらに細分化する「しきり」にもなった。リビングと寝室の区分け、子ども部屋、そしてそれぞれに置かれたテレビと電話、あるいはパーソナル・コンピュータとケータイ電話。日本人の生活の仕方とそこに生まれた「しきり」をあらためてみつめると、戦後の日本人が家族内個人主義をめざして突っ走ってきたことがよくわかる。
・個人主義は「私」と「公」を区別するだけの考え方ではない。むしろ、そこを前提にした上での人間関係の持ち方や、「公」に対する姿勢や行動にこそ力点がおかれるべきものである。著者は、現在の日本人の「しきり」の作り方に、他人を配慮しない個人主義を感じとり、新しい住居の発想や、ホーム・パーティの流行なども紹介している。たしかに「しきり」に対する無自覚さと、それがもたらした問題を考え直す必要があるのだと思う。

(この書評は『賃金実務』11月号に掲載したものです)

2004年11月24日水曜日

早川義夫『言う者は知らず 知る者は言わず』

 

hayakawa2.jpg・早川義夫は本屋の店主で、時折、朝日新聞の書評欄で本の紹介をしている人だが、もともとはミュージシャンで、「ジャックス」というロックバンドの歌手だった。その「からっぽの世界」を聴いたのは、ぼくが浪人中の頃だったから、もう35年以上も前のことになる。タクトという今で言うインディーズからでた45回転のドーナツ盤でB面は「いい娘だね」。僕がはじめて聴いた、日本人によるまともなロック音楽だった。場所は忘れたが、予備校の授業をさぼってコンサートにも行った。そのときの「かっこいいー」という印象がいまだに残っている。その早川義夫の初アルバムは「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」。
・「ジャックス」はすぐに解散してしまったが、しばらくして早川義夫の作った「サルビアの花」がヒットした。歌っていたのは岩淵リリ。石川セリ(井上揚水の奥さん)の歌った「八月の濡れた砂」とともに、僕にとっては数少ない記憶にのこる日本の歌である。ちなみに「八月の濡れた砂」は藤田敏八が監督した日活ロマンポルノで高校生を主人公にした青春映画だった。そのとき不良っぽい高校生で出演していた村野武範は、今はテレビ東京で温泉やうまい店を訪ねる番組のレポーターをしていて、僕はよく見ている。
・歌をやめたと思っていた早川義夫が歌っていると聞いたのは、数年前のことだった。どうせ昔の歌ばかりだろうと関心ももたなかったが、つい最近、新しいアルバムが出ていることを知った。で、何枚か買ってみた。声がずいぶん変わった印象を受けたが、じっくり聴かせるいい歌がいくつもあった。
・ライブの2枚組み「言う者は知らず 知る者は言わず」では「からっぽの世界」や「いい娘だね」などから、最近作ったものまで26曲も歌っている。

hayakawa1.jpg 歌を歌うのが 歌だとは限らない
感動するのが 音楽なんだ
勇気をもらう一言 汚れを落とす涙
日常で歌うことが 何よりもステキ
僕は何をするために 生まれて来たのだろう
何度も落ち込みながらも 僕は僕になってゆく
夜空に放つ大きな花 身体に響く音楽
何の野心もなく 終わりに向かって歩く 「音楽」

・音楽に理屈などいらない。批評などはたくさんだ。この「音楽」や「批評家は何を生みだしているのでしょうか」といった歌を聴くと、何も言えないような気になってしまう。何せアルバムのタイトルは「言う者は知らず知る者は言わず」なのだ。確かにそのとおりで、よくわからずに知ったかぶりやしたり顔をする輩が多すぎる。もっとも、彼は本屋の店主でもあったから、歌詞には理屈っぽいところもある。だから、ただ聴いて感動するだけではなく、ついつい考えてひとこといいたくなってしまう。
・僕が一番おもしろいと思った歌は援助交際を題材にした「パパ」だ。この手の問題で、女の子の声は聞けても、「おじさん」の言い分は聞いたことがない。しらを切る。発覚すれば平謝りで、弁解の余地すらない。だから意外な新鮮さがある。「パパ」に歌われている心情は正直で何とも切ない。

父親の振りをして/二人で腕を組む
少年のような恥じらいと/老人のようないやらしさと
仕方ないさ 好きだもの/いつまでも恋人

早川義夫の公式サイトは今年作られたばかりだが、何本かのコラムと日記が載っている。「パパ」のモデルは中川五郎なのか?、などと思わせる文章があるが、砂浜で犬と黒鳥が映っている写真はなかなかいい。

2004年11月16日火曜日

Love on line

・大学院の授業でアーロン・ベンゼブの"Love on line, Emotion on the Internet"を読みはじめている。ベンゼブはイスラエル人で他に"The Subtlety of Emotions"という著書がある。"Love on line"はネット恋愛を材料にしている。気の合う相手をチャットなどでみつけ、主に文字のやりとりで恋人関係になる。当然、二人の間には文字を使った性的な関係もできる。最愛の人、もっとも信頼できる人、そしてエクスタシーをもたらしてくれる人。ネットではそんな人や関係がたやすく見つけられるという。下衆の好奇心をくすぐる話だが、なぜそんな関係がたやすくできるのかという疑問は立派にメディア論の材料でもある。

気に入った人、いいな、と思った人にどうやって近づくか。相手とコミュニケーションをするか。そのきっかけを見つけることや、親しくなるプロセスをうまく作りあげることは、日常の直接的な関係のなかではなかなか難しい。あたりまえの話だ。だからこそ、信頼できる友だちや人生のパートナーとなる相手を見つけることに真剣になる。そして、真剣になればなるほど、その関係がうまくいかずに壊れてしまったりもする。 


ところが、ネットではそれが簡単のようだ。まず、気の合う相手をさがす選択肢が無数にある。興味対象が一緒、ものの考え方感じ方が共通する。要するに波長が合う相手を見つけることは、ネット上では難しくない。しかもそうやって出会った相手とは、波長が合うところだけでつきあえばいい。自分が誰であるかをあかす必要がないし、外見の良し悪しや表現(表情、仕草、ことばづかい等々)の巧拙を気にする必要もない。もっとも、文章力は大事な要素になるだろう。


匿名のままで親しくなる。それは、社会的な体裁など考えずにホンネでつきあえる関係をつくりだす可能性をもつし、また、反対にまったくのフィクションの世界も創造させる。たがいに交差する部分、共感し合う感情は一点だから、そのようにしてつくりだされた関係や世界は、何の障害もわだかまりもなく、まっしぐらに突き進む。想像の世界でありながらまた現実の相手とする相互性をもった世界。ベンゼブはそれを「想像の中の相互的革命」だという。


確かにネットにはそんな魅力がある。けれども容易で安直な分、壊れやすいしリセットもしやすい。日常から浮きあがった半分想像上の世界なんだという自覚を忘れると、ドラッグのように中毒にもなりやすい。恋愛関係が簡単に成立するということは、その他の感情、たとえば喜びや楽しさも共有しやすいが、また怒りや哀しみも簡単に増幅させてしまうことにもなる。誹謗中傷、あるいはネット荒らしが日常茶飯事になっていることをみれば、それは明らかだろう。当然、そこには詐欺や悪徳商法がつけこむ隙もたくさんあるということになる。自殺志願者が集まって集団自殺を実行する。そんなことが社会問題化したりもするのである。


そんなことまで含めて、ネットのメディア論的特徴を考えるのは興味深いテーマだと思う。その材料としての「ネット恋愛」なのだが、読みはじめてすぐに不満を持ってしまった。ネットのメディア的特性は、かなりの部分で電話(携帯)と重なるし、文字のやりとりということで言えば手紙とも共通する。あるいはテレビとの違いは何なのか、といったことも考えてしまう。


もっとも、そんな不満はこの本にかぎらない。この手のコミュニケーション論やメディア論には、コンピュータを使ったコミュニケーション(CMC)を直接的なそれ(face to face)と比較しながら検証するという方法がある。僕はこれには前から不満を感じていて、直接的な関係のなかにある多様で複雑な問題をほとんど無視してしまうから、分析が薄っぺらなものになってしまうと思い続けている。この本でも、ネット恋愛(on line)とそれ以外のもの(off line)という乱暴な分け方をしていて、それが何ともおおざっぱな印象を与えてしまう。
しかし、だからこそ、そこを批判的に読む必要があるとも言える。学生にハッパをかけて、300ページ近いこの本を、今学期中に読んでしまうつもりである。

Love Online: Emotions on the Internet (English Edition) by [Aaron Ben-Ze'ev]


2004年11月9日火曜日

何でブッシュなの?

 

・米国の大統領選挙でブッシュが勝ってしまった。この4年間に彼がやってきたこと、招いてしまったことを考えると、これからの4年間にいったいどんなことがおこるのか、空恐ろしい気がしてしまう。何としてもケリーに勝ってほしかった、というよりはブッシュに負けて欲しかった。そんな思いで選挙の結果を注視していたのだが、結果には、腹が立つというより、暗澹たる思いである。
・米国の大統領は米国だけのものではない。世界中に大きな影響を与え、世界を動かす存在であることを如実に示したのは他ならぬブッシュだ。だから、米国以外の国の人たちは利害関係を持つ企業家や投資家や政治家をのぞけば、ほとんどブッシュの再選に反対だった。にもかかわらず、アメリカ人の過半数が彼を支持したのだから、本当に信じられない気がする。
・9.11の恐怖から逃れられないという気持ちはわからないでもない。けれども、その恐怖心が何倍にも増幅して、アフガニスタンやイラクを滅茶苦茶にしてしまったことに、アメリカ人はどれだけの自覚をしているのだろうか。イラクでの状況がベトナム戦争の再現であり、泥沼化してどうしようもない状況を招くだけであるのは、開戦前からわかっていたことである。少なくとも、米国の外にいれば、簡単に予測がつくことだった。それがわからないアメリカ人の多さに愕然としたが、それが現実化した現在でも、なお、力で抑えつけようとするブッシュを支持してしまう。
・これはもう、米国を好きとか嫌いとかいうレベルの話ではない。状況を判断することができずに感情的に暴走する怪物を、いったい誰が、どんなふうにして抑えることができるのか。大統領選挙の結果には、そんな絶望的な気持がつきまとう。
・もちろん、ブッシュに反対し、ケリーを支持した人の数も多い。その意味では、米国ははっきりとした意見の違いで大きく二分されたと言える。各州の勝ち負けの状況を記した地図を見ると、東海岸と西海岸、それにシカゴ周辺がケリー支持で、南部と中西部はブッシュ。リベラルと保守がきれいに色分けされた様子と、その対立の大きさは、60年代を思い出させるほどである。
・そういえば、僕はブッシュの顔を見るたびに、『イージーライダー』の最後のシーンで、理由もなく二人の主人公を撃ち殺すトラックを運転する農夫を思い出す。奇妙な外見が気に入らないという理由だけでにやにやしながら発砲する。その表情がそっくりなのだ。もっとも、南部や西部の人たちにとっては、東部の気取った連中にはやっぱり嫌悪感をもつようで、前回のゴアの敗戦は、何よりそれが一番の原因だったとも言われている。けれども、それが投票行動を左右した一番の理由だとすれば、やっぱり内向きで世界の現状を見ていないといわざるを得ない。
・敵と味方、善と悪をはっきりさせ、多様性を認めず、自分の信念を強調する。ブッシュの単細胞さ、身勝手さは独裁者の性格そのものだが、しかし、ブッシュにはヒトラーがもっていたようなカリスマ性はない。演説も話にならないくらいへたくそだ。アホづらをし、とんちんかんな発言をして、相手を失笑させる。大統領になるまでにほとんど外国に行ったことがなかったというから、世界に対する関心もほとんどなかったのだろうと思う。しかし、そこが愛嬌になって親近感を持つ人がいたりする。米国大統領の権限の大きさ、強さと、それを選ぶ判断基準の些末さ、いい加減さ。
・そんなブッシュがまた大統領になって、これから4年間、世界を動かしていく。日本はというと、小泉がその提灯持ちをして、素直にしたがうのだ。取り返しのつかないことにならなければいいが………。今はただ、それだけを願うのみだ。

2004年11月2日火曜日

井上俊『武道の誕生』吉川弘文館

 

budo.jpg・アテネ・オリンピックで、日本はメダル・ラッシュに盛りあがった。一番の稼ぎ頭は柔道で、青い柔道着に違和感をもったとはいえ、選手の活躍があらためてお家芸であることを認識させもした。今回はその柔道についてである。
・柔道は日本の国技だが、その歴史は古くはない。というよりは明治から大正にかけて確立された、きわめて近代的なスポーツである。『武道の誕生』を読むと、その成立の過程がよくわかる。
・「柔道」は武術や武芸の一つとしてあった「柔術」をもとにしている。「術」を「道」に変えたのは嘉納治五郎で、彼は、各地に散財する諸流派を統合し、技の分類や段級制、あるいは試合のルールや審判制度を規定して理論的に体系化させた。しかも嘉納はそれを国内で確立させるだけでなく、同時に国際化させることも考えた。彼は日本人最初の国際オリンピック委員でもあった。
・この本ではそんな柔道の発展を、「伝統の発明」と「和魂洋才」という二つのキーワードを使って解きあかしている。
・伝統とは昔からあって現在に伝えらたもののことである。けれども、伝統といわれるものごとをよく見ると、そこには現在に合うように工夫された部分があるし、忘れ去られたものの再生であったり、場合によっては、新しく作られたものであることも少なくない。
・江戸から明治にかわって武芸や武術はその必要性を奪われた。食うに困った武士が見せ物として演じたりしたから、文明開化にあわない野蛮なものとしてあつかわれた。嘉納治五郎は、そこに「近代スポーツ」という性格を付与し、同時に伝統的なものを「道」として特徴づけようとした。それは日本人にとって受けいれられやすいものであったが、また欧米の人たちにとっても、ジャポニズムという魅力のひとつになった。スタイルを洋風にして、そこに和風の精神を注入する。「和魂洋才」によって「伝統」という名の新しいスポーツが「発明」されたのである。
・「柔道」は「剣道」もふくめて教育にとりいれられ、やがて軍国主義化の波のなかでスポーツよりは精神を鍛える手段に変質する。それは「没我献身」や「滅私奉公」といった自己放棄と国家への忠誠をたたき込むイデオロギーという性格を色濃いものにした。
・柔道は戦後になると再び、スポーツとしての側面を強くする。身体と同時に精神を鍛えるものであることが強調されたが、それは柔道にかぎることではなかった。メジャーリーグが身近になって、「精神野球」の特異さがあからさまになったことはその好例だろう。
・もっとも、オリンピックはますます商業主義化して、メダル候補選手のほとんどに強力なスポンサーがつくようになった。ドーピングで身体を改造させても強くなりたいという傾向も問題化している。こんなスポーツの現状にあって、「精神」とはいったい何だろうか。「精神」と「身体」と「金」。それは柔道だけの問題ではないようである。

(この書評は『賃金実務』10月号に掲載したものです)

2004年10月26日火曜日

台風の残したもの

 

forest37-1.jpegforest37-2.jpeg・何度めの台風か忘れるほどだが、とんでもないほど雨が降った。大学は6時間目から休校になったが、会議は予定通り。学部、大学院、全学と予定はぎっちりで、決めなければいけない重要議題がたくさんあった。僕も人事の提案者だったから、早退するわけにはいかなかった。風は大したことないが雨はかなり降っている。
・高速が通行止めになったら帰れなくなる。気が気ではなかったから、お役目がすんだところで早退することにした。ワイパーを最速にしてやっと前が見えるような雨。高速道路には水たまりができて、しょっちゅうハンドルを取られる。帰ってホッとしたら、神経を使いすぎたのか、目が痛くなった。

forest37-3.jpegforest37-5.jpeg・帰ってしばらくすると風も強くなった。森の大木が大きく揺れ、背の低い木は真横になるくらいにしなっている。屋根には枝が落ちてくる。これはすごいことになると心配した。テレビのニュースを見ると、台風は山梨県に向かっている。しかし、気にはなったがとにかくくたびれて眠い。木々の騒ぐ音を聞きながらいつのまにか寝てしまった。
・朝起きると、そとはまだ雨。しかし風はやんでいる。テレビをつけるとかなりの被害が出たようだ。しかし、高速道路は動いている。で、また大学に出校。途中から陽がさしはじめた。

forest37-7.jpegforest37-8.jpeg・台風が何度も来て、周囲にもいろいろ被害が出ているようだ。底で繋がっている西湖と精進湖、そして本栖湖は水かさがかなり増したという。出かけてみると、本当に水が多い。いつもより湖面が近くに感じられる。西湖では、サクラの木がぽきりと折れ、湖岸には水没した車が放置されていた。いつもカヤックをやるために車をとめた砂地も、完全に水没していて、ボートはロープでくくられていた。
・本栖湖でも同様で、草の生えた湖岸や太い木が水に浸かり、遊覧船の乗り場も水没していた。

forest37-9.jpegforest37-10.jpeg・精進湖の近くにある「赤池」に水がたまったという新聞記事があったから、そこにも出かけてみることにした。富士六湖というほどの大きさはとてもない、ちょっとした小池だ。やはり地下では西湖や精進湖とつながっていて増水すると出没するという。湖面が下がれば消えてしまう束の間の小さな湖………。近くまでいくと、鳥が飛び立ち、足元を見ると鹿かウサギの糞がたくさんあった。ほとんど人が近づかない薮に被われた一角。もっとも真上には国道の橋が架かっている。


forest37-6.jpegforest37-4.jpeg・例年より半月も遅い富士山の初冠雪。昼に近かったがたしかに頂上付近はうっすら白い。青空に映える富士。山も色づき始めている。もうすぐ 11月だからとっくにそうなっていいはずなのに、やっと秋らしい季節になったようだ。とはいえ、あちこち歩き回っているうちに、汗をかいてしまった。長い冬はそれなりに厳しいが、季節はずれというのは、また、なんとも間が抜けた感じがする。

2004年10月19日火曜日

REM, Tom Waits and Mark Knopfler

 

・気になるミュージシャンのニュー・アルバムを続けて買った。どれもいいけれど、しばらくぶりなREMから。"Around the Sun"は前作の"Reveal"からは3年ぶりになる。もっともREM、というよりはマイケル・スタイプスについてはつい最近、「ドニー・ダーコ」でもふれたばかりだ。しばらくぶりに懐かしい声を映画で聴いて飛びついたのだが、別のミュージシャンだったという話だ。言いかえれば、ぼくのなかではそれだけ待ち遠しかったアルバムということになる。で、聴いた感じはというと、なんとも印象が薄い。印象の薄さを自覚するかのように、アルバム・ジャケットにはピンぼけ写真が使われている。そこにマイケル・スタイプスのどんな意図が込められているのか。何度も聴いて、歌詞を読んでみた。何とも頼りない心もちばかりが伝わってくる。
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ためらいが背中をつかんでいるから
君が僕を見ていなければ強くなれるんだけど
支えのない子羊のように混乱してしまう
"The Ascent of Man"
長い長い、長い道
で、どっちへ行ったらいいのかわからない
君がもし、もう一度手をさしのべてくれても、僕はたちさらなければならない
Make It All Okay"

・トム・ウェイツの"Real Gone"は前作同様、歌詞はやはり奥さんのキャスリン・ブレナンのようだ。"Alice"と"Blood Money"以来2年ぶりで、相変わらず仲良く歌作りをしている感じが伝わってくる。どの歌もストーリーをもっている。ブレナンが生み出すことばをウェイツが語る。聴いているだけでストーリーが理解できればいいのに、とつくづく思う。歌詞カードを見ながらでは、何ともじれったい。
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彼の有り金は3ドルで車はぼろぼろ
ましな暮らしを理由に別れた妻
彼女はボンネットにたまったほこりにグッドバイと書いた
で、どうなったって誰もが知りたがる話だ
"End"

・マイケル・スタイプスのつくる歌の主語はほとんど"I"で相手は"You"だ。それとは対照的にウェイツが歌うのはほとんどが"She"と"He"。じぶんへのこだわりの仕方、あるいはじぶんや他者をみつめるまなざしの違い。年齢の差かなと思う。ぼくはやっぱり、ウェイツの歌のまなざしに親近感をもつ。マイケル・スタイプはいつまでも若い、というより大人になりきれないといったらいいのか。

・もう一枚はマーク・ノップラーの"Shangri-La"。2000年に出た"sailing to philadelphia"以来だと思ったら、2002年に"The Ragpicker's Dream"というアルバムが出ていた。amazonのレビューを読むと、これもなかなか良さそうだ。
・シャングリラはカリフォルニアのマリブにあるスタジオの名前のようだ。サウンドは例によってアイリッシュとブルースの混じり合った独特のもので、ギターもなかなかいい。テーマは音楽と歴史。プレスリーやロニー・ドネガン、あるいはソニー・リストン(ボクサー)のことを歌っている。
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君が若くて美しかったとき
君の夢はすべてが理想だった
のちに、まったく同じでないにしても
すべてが現実になった
1600マイルを走って真実に後戻りすれば
はじめてレコードを作って母に捧げた君がいる
"back to tupelo"

・ じぶん自身をみつめる、こういうふりかえり方もあるんだと思った。もう一人のストーリー・テラー。よかったから"The Ragpicker's Dream"もAmazonに注文しよう。(2004.10.19)

2004年10月12日火曜日

テレビ取材体験記

 

・最近、取材をさせてくれないかという話が時々来る。専門分野のことについてはだいたい電話で、これは大学の研究室にかかってくる。家に来るのは、生活や暮らしの仕方についてのものだ。パートナーの陶芸についてなら大歓迎だが、僕のことならすべてお断り、ということにしているが、今回は話を聞いてみようかという気になった。理由はNHKの山梨ローカルで夕方の番組だったこと。もう一つは取材の理由がカヤックだったことだ。
・電話の相手は若い女性のディレクターで、河口湖周辺に住んでいて、なにかおもしろい生活をしている人をさがしているという話。カヤックを買った「カントリーレイク」の紹介だという。レポーターがカヤックを河口湖で見つけて乗せてもらい、その後工房で陶芸を体験するというシナリオ。だいたい5分ぐらいのレポートになるということだった。落ち合う場所と時間をうち合わせた。

・当日の天気は今にも雨が降り出しそう。シナリオではまず僕が河口湖でカヤックをしていなければならない。組み立てには30分ほどかかるから、撮影を始める1時間前には湖畔に出かけた。しばらく漕いでいると女性が二人、手を振っている。岸に近づけて、打ち合わせもなしに本番。レポーターの女性と話をして、オールの持ち方、漕ぎ方を教え、ライフジャケットをつけた後、さっそく、彼女を乗せて湖に出る。ところがしばらくすると雨。10分もたたずに岸に着けて慌てて片づけをはじめる。雨が激しくなって、撮影どころではないが、一応、パートナーが陶芸をやっていて体験ができるというやりとりをしなければならない。それをしないとわが家に移動という筋道がつけられない。びしょ濡れになって、片づけながらのやりとり。
・わが家に着くと工房に案内して、パートナーを紹介する。ビデオは回っているが、ほとんど気にせずふるまう。うまく撮れているのかどうか、編集できるのかどうか。スタッフは若い女性二人だけで、ディレクターは今回が初仕事だという。レポーターもまだ新米だ。工房の撮影をする前に、二人でこれまでの反省とこれからの段取りを話しあっている。

・聞けばディレクターはまだ23歳。短大を出てプロダクションに就職して、今年、NHK山梨放送局の下請け仕事に配属されたという。レポーターは26歳だが、再就職して今年から仕事をはじめたばかり。二人のやりとりを聞いているうちに、学生の実習活動を見守る教師になってしまった。
・わずか5分のレポートのシナリオをどうするか。やりとりのなかでレポーターが聞くべき質問は何か。僕らが京都から引っ越してきたこと。僕が東京まで車で通勤していること。パートナーが陶芸をはじめた理由などを喋りながら、同時に彼女たちの話も聞く。ディレクターはその間、撮影をしたり、ビデオを止めて話に加わったり。陶芸体験もまねごとで簡単にすます予定だったのだが、体験教室の費用を払って、しっかり作ることになった。
・昼過ぎにはじまった撮影は、結局6時間もかかった。終わったときには外は真っ暗。ずいぶん長い時間ビデオを撮ったようだが、それをどうやって5分にまとめるのだろうか。途中で独り言のように手順をつぶやいていた姿がおもしろかったが、また初々しくもみえた。レポーターも土遊びに夢中になると、喋ることを忘れる。それを指摘されて、やりなおし。端で見ていて何度も笑ってしまった。

・テレビのワイドショーやバラエティ番組、あるいはニュースには短いビデオ・レポートが頻繁に登場する。それを作っているのは、彼女たちのような下請けのプロダクションに働く若い人たちだ。おもしろい仕事だとは思う。しかし、テレビに映るほど華やかではないし安直でもない。手間がかかるし、力もいる。ディレクターは細いからだでビデオカメラをまわしつづけ、三脚を持ち歩いた。レポーターもその場その場で臨機応変のやりとりを心がけなければならない。うまくいかなければやり直し。
・結果的に長い時間つきあわされたが、取材されているとか映されているとかいう意識をほとんどもたずに、おもしろい体験をした。これは、何となくテレビに憧れる学生に話して聞かさなければ、と思う。もっとも、わが家ではNHKのUHFは見ることができない。

2004年10月5日火曜日

中沢新一『カイエ・ソバージュ』講談社選書メチエ

 

nakazawa1.jpeg・中沢新一は八〇年代に「ニューアカデミズム」の代表としてデビューした宗教学者だ。それ以降も意欲的な仕事を重ねてきているが、大学での「比較宗教学」の講義内容が最近、五冊の本にまとめられた。半年分が一冊のボリュームで、語り口調だから、深遠な内容が分かりやすくまとめられている。
・題名の「カイエ・ソバージュ」は「野生のノート」といった意味で、それぞれはまた、『人類最古の哲学』『熊から王へ』『愛と経済のロゴス』『神の発明』『対称性人類学』と名づけられてもいる。

 

nakazawa2.jpeg・これらの本の中で問われているのは、きわめて基本的な疑問だ。たとえば、人間が他の生き物や自然とちがう存在であることを自覚したきっかけは何か。その自然の中に多様な神を感じていた人びとが、たったひとりの神を信仰するようになったのはなぜか。国という世界のとらえ方、王様という存在はいつ、なぜ登場したのか。そしてお金でモノやサービスを交換する経済の仕組みは、どのように発展したのか。単純な疑問だけに、説明はまたどれも、きわめてむずかしい。しかし、考える基本は、それぞれについて、その原初的な形態をおさえることだという。

 

nakazawa3.jpeg・人間はその大半の歴史を、自然のなかで他の生き物とのちがいよりはつながりを自覚して生きてきた。その万物にはそれぞれ神(精霊)がやどり、力のある者も自然の前では無力な存在であることを自覚していた。食べ物は自然からの授かりものであり、それは多くの人たちで分けあうものであった。著者はそれを「自然」と「人」を共存させる「対称性のシステム」だったという。そのシステムが、最近の数千年間の人間の歴史のかなで徐々に崩されてきた。近代という社会、国民国家、そして資本主義経済は、その対称性を崩した「非対称のシステム」だというのが筆者の分析である。

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・こうまとめるとむずかしそうに思えるかもしれないが、『人類最古の哲学』で一番多く話題にされているのは「シンデレラ」の物語である。それはヨーロッパに語り伝えられた寓話だが、同じ形式は米国大陸にもアフリカにも、オーストラリアにも、そして、もちろん、アジアや日本にも見つけられる。それは、アフリカに誕生したホモサピエンスが世界中に広がった結果であり、現世人類として同じ意識や思考の構造をもっていることの証拠でもある。

 

その人間が、近代化のなかで大きく発想を変えた。その結果が現代の社会であるのはいうまでもない。非常に豊かだが、またそれ以上に問題を抱えてしまった世界。著者が示す方向性は、当然、「対称性のシステム」の再発見、再認識、再構築ということになる。環境の破壊を憂いたり、自分のなかに失われた自然を取りもどそうとする。それは私たちのなかに自覚される「対称性」への思いだが、世界中に散在する神話や民話から「非対称」の現代の社会を問い直そうという試みは、きわめて刺激的である。

(この書評は『賃金実務』9月号に掲載したものです)

2004年9月28日火曜日

息子の結婚式

 

・僕は結婚式は好きではない。だからなるべく理由をつけてお断りしてきた。ゼミの学生から仲人とか出席してスピーチとか頼まれることがあったが、これももちろんお断り。というよりまずこちらから、そういうものには出ないと宣言してきた。もっとも、学生たちも日頃の僕をみていれば、儀式が嫌いな先生だということはわかったようで、それほど頻繁に頼まれることもなかった。なにしろ僕は学生の前で一度もネクタイを締めたことがないのだから。それに口の悪い教師だから、晴れの場で何をいわれるかわからない。学生たちには、そんなふうに思われていたのかもしれない。
・僕の息子はすでに2年前から同棲をはじめている。だから今さら式を挙げなくてもと思ったのだが、けじめをつけたいようで、とくに反対はしなかった。仲人も頼まず、親戚も呼ばず、ゼミの先生や職場の上司も呼ばない。家族と友人、それに職場の同僚だけのうちとけた会にしたいという。堅苦しくなくて結構だと思った。しかし、服装は普段着というわけにはいかない。といって黒の礼服でもないだろう。滅多に着ることもないがスーツを新調することにした。ついでに黒の靴と白いシャツ。
・結婚式は神戸の異人館でおこなわれた。正直なんで異人館?と思ったがパートナーの希望だというから、あまりうるさいことは言わないことにした。女性にとっては、結婚式はやっぱり大事な出来事で、とやかく言ったら最初からしこりができてしまう。実は彼女のことを、息子にはすぎた相手だと思っている。仲良く暮らしてくれれば、それだけで十分なのだ。
・関西には1年数カ月ぶり。彼岸が近いというのにやっぱり暑くてむしむしする。新神戸駅から異人館まではそれほどの距離ではないが、衣装などの重たい荷物を持って急坂を登ると汗が噴き出してきた。控え室のクーラーの前で冷気にあたるが、ちっとも汗が引かない。久しぶりに息子に会うと頬がこけて顔色も悪い。「どうしたん?」と聞くと、すかさずパートナーが「三日前からプレッシャーで大変!」という。彼女の方はというと、いつもながらの平常心で元気いっぱい。「あー、やっぱり」と思った。息子は僕に似て、きわめて神経が細いのである。いい組み合わせだ。あらためてそう確認した。
・式は庭でおこなわれて、異人館を見物する観光客が塀越しに覗いていた。神も仏もいない「人前結婚式」。鳩の形をした風船を飛ばして、新郎新婦にシャボン玉を飛ばした。セレモニーのやり方にもいろいろある。そんな人ごとのような感覚で参加していたが、儀式張らない傾向は悪くはないと思った。風船が青い空に飛んでいくのを見送るのはおもしろかった。
・披露宴ではパートナーの弟君が「姉さんをどこの馬の骨かわからない男に取られる気分」といって会場をわかせた。おもしろい弟だし、兄弟仲がいいんだ、と感心した。それにひきかえ、わが家の兄弟は幼い頃から仲が悪かった。実はこの日は弟の誕生日で、祝ってもらう日になぜ祝わなければならないのか、ぶつぶつと文句を言っていた。そうすると、退席した新郎と新婦がウェディング・ケーキとは別にもう一つケーキをもってきて、「今日は弟の誕生日です」といって弟に差し出した。弟は突然のことにまごついたが、鞄もプレゼントされて、すっかりごきげんになった。「ほらみろ、いい兄貴じないか」そう言うと、「アー」といってうなずいた。
・二人はそれぞれの両親にもプレゼントをした。僕らがもらったのはハワイ旅行。ハワイは行ったことがないが、あまり行きたいところだと思ったこともない。しかし、せっかくもらったのだから、やっぱり喜んで行かなければ。いろいろ気を使いはじめたじぶんを自覚したが、気を使う度合いは息子たちの方がはるかに大きい。気のきかない、要領の悪い息子だと思っていたが、ちゃんと成長してくれた。そんなことを感じさせてくれる機会だった。
・結婚式は親にとっても晴の舞台だが、それは新婦の父親にこそいえる。彼はヴァージン・ロードを娘と歩き、式から披露宴のあいだに何度も涙をながした。僕には娘がいないから、そんな目にあうことはない。よかったと思う反面、ものたりなさもちょっぴり。娘をもった父親の気持ち。これは僕にとっては永遠の謎だ。

2004年9月21日火曜日

故障で大慌て

 この夏休みは、パソコンやネット関係でずいぶんふりまわされた。まず最初は、我が家の電話回線。ネットが時々つながらなくなった。モデムの故障かと疑ったがPowerbookの内蔵モデムでつないでも症状は一緒。電話にもやたら雑音がはいる。そこでNTTに電話して回線状態をチェックしてもらった。そうするとたしかに状態が悪い。調べてもらうと本線から家までの線が原因であることがわかった。本線から我が家までは線が地中に埋まっている。3組の回線があるから接続を別のものに変えた。簡単な作業だが、素人にはわからない。NTTの作業員は、「ほんとうはこれはうちの仕事ではないんだけど」と何度もしつこくくりかえした。


本線から家までの配線工事は一般の業者の仕事らしい。しかし、そんなこといわれたって、配線をどこの業者がやったのかわからない。仕事の領分があって、そこを侵したくないのかもしれないが、ぼくにはお役所仕事の名残のように感じられた。とはいえ、この際だからとISDNに切りかえてもらうことにした。当分ブロードバンドになる可能性はない。今さらISDNという気もするが、少しは早くなるし、つなぎっぱなしの環境になる。値段もそれほど高くはない。そんな理由で決断した。


ISDNが使えるようになって、便利さを実感した。しかし同時に、これがADSLだったらもっといいのにとうらめしくも思った。森のなかに住んでいて便利さを求めてはいけない。そう思う一面で、ネット環境は僻地ほど充実させるべきだと思う。だからNTTや自治体には不満が募る。それはともかく、ちょうど『ポピュラー文化を学ぶ人のために』のファイルをやりとりしなければならなかった時期だから、64kでもずいぶんましで、何メガものファイルをやりとりできた。昼でも夜でも時間を気にせずできるのがいい。家にいても、メールに即座に返事が書ける。


ところが、肝心の大学のサーバーが入れかえのために数日間停止して、そのあと、設定もパスワードも変わってしまった。再開したあともいろいろ不具合があったり、不安定だったりして、使いにくい。研究室で使うと確かにスピードは速くなった。数十メガのダウンロードでも数秒ですんでしまう。設備がよくなるのは結構だが、それだけに電算室の担当の人にはがんばってほしいと思う。日頃お世話になっているし、大変なのは十分に承知しているが、サーバーが頻繁にダウンしたのではこまってしまう。


ネットにつなぐことが多くなって負荷をかけすぎたのか、家のマックが壊れてしまった。立ち上がっているのだがモニターに映らない。画面が9分割になったり残像が重なって訳が分からなくなってしまう。AppleJapanに電話をして症状を話すと、ロジックボードの故障ではないかという。それでは修理をお願いしますというと、しばらく間があって、すでに供給中止になった部品だからなおせないという返事。ショック!仕方がないからpowerbookの一番小さい12インチを購入することにした。
それでネットはつかえるようになったのだが、印刷ができない。家のプリンターはUSBやEthernetでは接続できないのだ。ポストスクリプトでまだまだつかえるからプリンターまで買い直す気はない。ぼくはAppleの純正のレーザープリンターをつかいつづけているから、他社製品は今ひとつ信用できない。研究室でつかっているEPSONの レーザープリンターもOSXではうまく印刷してくれないから、だいたいはOS9でつかっている。


そんなわけで、大学まで出かけていってパソコンとプリンターを持ち帰ってきた。重くて大変だったが、これで何とか印刷もできるようになった。しかし、もうすぐ大学がはじまる。そうするとまた、パソコンとプリンターを大学にもどさなければならない。そこで、おなじ機種を中古で探すことにした。Powermac G3 MT300。すぐに見つかったが、ここでもトラブル。最初に注文したところから、確認のメールが全然来ない。そこで、どうなっているのかメールを出したのだが、何も返事がない。で、電話をしたら、留守番電話になっている。翌日も電話をしたがやっぱり留守。メールで注文の解約をして、別のところに注文することにした。金額は4万円。


今度はすぐ確認があって翌日には配送されてきた。あまりの速さにまたビックリ!しかし梱包を解いて接続しはじめたらまたトラブル。モニターのケーブルがうまく接続できない。近づいてよく見るとネジ受けがない。仕方がないから壊れた機種からはずしてとりつける。壊れた機種から移しかえたのはほかに内蔵のハードディスク、MO、ビデオ入力のボード、ファイアーワイヤーのボード等々。メモリーは512mbあったが、それもさらに640mbまで増やした。


こんな作業をしたのは、もちろんはじめてのことで、どことどこをつなぐか、使える部品はどれか、壊さないように、間違えないように。夕方からはじめた作業は、夕飯もそこそこに再開。で、どきどきしながらスイッチ・オン。見事に立ち上がり、ハードディスクのアイコンも二つ。MOも使えてビデオの入力もできた。プリンターとの接続も大丈夫。ホッとしたときには夜中になっていた。やれやれ………。 


僕が一番使うのはDTPソフトのInDesignで、G3では遅くてつかいにくいのだが、印刷はこれでないとだめだから、生き返ってとりあえずはほっとしている。これで何とか落ち着いてやれやれだが、もうすぐG4とEPSONのプリンターを大学にもどさなければならない。ぎっくり腰にならなければいいな、と願っている。

2004年9月14日火曜日

ガビチョウと薫製

 

forest36-1.jpeg・今年の夏はにぎやかだった。といっても観光客や別荘の住人のことではない。早朝から鳴く鳥のことだ。僕はてっきりセンダイムシクイだとばかり思っていた。「ショーチューいっぱいグイー」と鳴くから、「朝から、この酔っぱらいが」と応えていたのだが、どうも泣き方がちがう。しかも、これまで聞いたことがない。そんなふうに思っていたら、たまたま近くに見慣れない鳥が現れた。さっそくビデオに収めて、野鳥図鑑で調べたが、それらしいのは載っていない。
・世界思想社の中川さんにこの写真を送って尋ねると、「メジロ?」という返事。図鑑でみつかる似た鳥はたしかにメジロしかないが、目の形がだいぶちがう。黒目も白目もかなり大きいし、白い部分が後ろに流れている。隈取りをしたような派手な目だ。身体全体の色もちがう。第一、日本の野鳥らしくない。
forest36-2.jpeg・そこで友人のバード・ウォッチャーに聞いてみた。もう20年以上のキャリアをもっているからさすがだが、得意そうな文面で「ガビチョウと思われます」という返事がきた。「?」聞いたことがない。彼によれば外来種で東京の高尾山でよく見かけるという。さっそく、ネットで検索してみた。
・そうしたら、たしかにそのとおり。特徴がまったくおなじだ。中国やインドに生息して、日本にはペットとして持ちこまれたが、それが野生化したようだ。最初は高尾山や多摩地区で観察されたが、最近では、広く東日本や九州でもみつかるという。参考までに、ガビチョウを紹介したサイトを載せておこう。鳴き声の聞けるサイトはここだ。
・サイトの説明には「篭ぬけ鳥」ということばがあった。逃げ出して野生化したということだろうか。かなり広い範囲で見かけるのだから、生命力の強い鳥なのだと思う。たしかに鳴き声はエネルギッシュだ。最初はほほえましさを楽しんでいたが、だんだんうるさくなって、外来種と知ってからは不快に感じるようにもなった。ずいぶん勝手な話だが、「ガビチョウって、ガングロのヤマンバギャルみたいな顔してますね」などという描写に妙に納得すると、その奇妙な風貌自体も、なにやらうさんくさく思えるようになってきた。
・意識して見聞きするせいか、最近では群をなしているところを見かけたりする。渡り鳥ではないから、ずっとここにいるのだろう。そうすると、ほかの野鳥が近づかなくなるのではないか。ぼくのなかでは、もうすっかり害鳥あつかいである。

forest36-3.jpeg・この夏の話題をもう一つ。薫製作りにチャレンジしている。といってもまだはじめたばかりで、それらしいものを作れていない。買ってきた生鮭をただいれて煙をまぶせばいいぐらいに思っていたのだが、チップがなかなかいぶらないし、味も薫製らしくない。そこでやっぱりネットで検索。そうするとあるはあるは、世の中には凝り性の人は多い。で、読んでいるうちに納得。これは典型的な「スローフード」で、まず下ごしらえに数日かけなければならないのだ。塩、こしょうに各種のハーブを調合してつけ込んで、その後に乾燥させる。夏場は冷蔵庫内で一晩。煙にあてるのも1回とはかぎらない。すこし堅めのしっかりとしたスモークサーモンにしようと思ったら、何日にも分けて燻さなければならないようだ
forest36-4.jpeg・豚のバラ肉をつかってベーコン、冬に近くなったら新巻鮭を1本買おう、その前にサンマの薫製はどうだろうか、などと想像力ばかりが先走りする。しかし、これは腰を落ち着けて、ゆっくりとした気持でやらなければ………。もっとも、短時間で一気に燻して表面だけを薫製にして、中は半生といったやり方もあるようだ。
・薫製機(スモーカー)は市販のものだが、これはセゾン・カードのポイントで手に入れた。高速道路の料金をETC払いにしたから、ポイントは黙っていてもたまる。チップは桜や胡桃の木だというからじぶんでつくることも可能だ。しかし、とりあえずはホームセンターで数袋購入した。これからしばらくの楽しみができた。

forest36-5.jpeg・楽しみといえば、ミョウガ。今年は暑かったからたくさんできて、多い日にはザルに一杯ということもあった。スーパーでは一つ百円ほどで売っているからこれは貴重品なのだが、薬味やテンプラ、あるいはサラダにと、毎食のように食べて堪能した。実はミョウガがどんなふうにしてできるのかといったことも、ここで初めて知ったのである。
・今はもう採れないが、ぼちぼち栗の季節になってきた。これも今年は豊作で、木にはいがぐりがたくさんできている。これはザルというより大篭に何杯も収穫できるだろう。栗ご飯にスモークサーモン、梅酢に漬けこんだミョウガ。食欲の秋が何とも待ち遠しい。
・もっとも夏休みのあいだに腹の脂肪がいっそう気になりだして、湖一周のサイクリングにも数回出かけた。それでなにか効果があったかはわからないが、食べたいものを食べる口実にはなるだろう。

2004年9月7日火曜日

鷲田清一『ことばの顔』中公文庫

 

washida2.jpg・鷲田清一は現代の身体やモード、あるいはコミュニケーションをユニークに読み解く哲学者だが、また、哲学者の視点はもちろん、自分の記憶、関西人の笑い、あるいは京都人の皮肉さを駆使するエッセイイストでもある。その彼の『ことばの顔』が文庫で出版された。
・扱われるのは哲学者の名文句、流行語、そして現代を読み解くためのキーワード、また、すでに使われなくなった死語といったものである。それが鷲田流に調理されると、オリジナルな一品料理になる。
・「人間は天使でも獣でもない。」これはパスカルの人間の二重性を説いたことばだが、著者は生まれ育った京都の島原の思い出からこのことばを料理する。あでやかな舞妓さんとみすぼらしい格好の坊さんがいる町。化粧を落とした舞妓さんがお宮でじっと祈る姿、この世を超えた世界を説く僧侶。人間は一面ではわからないし、また人生も一本道ではない。その不確かさ、不均衡、不釣り合い。著者はそれこそ、「現実というもののいちばんリアルな感触なのかもしれない」という。
・携帯電話はもうすっかり、多くの人の必需品になった。もたずに出かけたりすれば不安でたまらない。そんな声もよく耳にする。人混みの中でのたがいの無関心と、携帯を使った親密なやりとり。そんな光景に出会うと、著者は寺山修司の「いまわたしたちが失いかけているのは『話しかけること』ではなくて『黙りあい』だ」を思いだすという。人混みでの無関心は、実は無関心ではない。不要な接触を避けるために、互いに細心の注意を払うことが必要な場で、結果として沈黙が訪れるのである。携帯を使ったきわめて紋切り型の親密そうなやりとりが、人混みを本当の無関心の場にする。社会が根っこのところで壊れだしている無気味さ。
・学生と話していて、時に通じないことばを喋ってしまうことがある。難しい専門用語や外国語ではない。ごく日常的に使っていたはずのことばで、いつのまにか使われなくなってしまったものだ。たとえば下着の名前。ズロースやシミーズがすでに死語であることは承知している。しかしパンツをズボンと同義に使う学生たちのことばには、今でも違和感をもってしまう。もちろん、ズボンは死語だが、著者によれば、パンツを下着に使ってきたのが間違いだったらしい。パンツはパンタロンの略語で、もともとズボンの意味だった。
・すでに死語と化したことばとして、この本では「ヤング」「TPO」「ボイン」などが上げられている。ことばとその意味の流動化の激しさを実感するが、そのことを一層強く感じさせるのは、この本で取りあげられている「いまのことば」がすでに半ば死語と化していることである。「援助交際」「ソッコー」「なんか」「プリクラ」。一時言われた語尾上げも、今では学生はあまり使わない。ことばや話し方がわずか数年で使い捨てにされる。この本を読みながら、そのことをあらためて考えさせられた。

(この書評は『賃金実務』8月号に掲載したものです)

2004年8月31日火曜日

"Rock Against Bush"

 

bush1.jpeg・アメリカの大統領選挙が近づいてきた。馬鹿ブッシュにこれ以上続けられたらたまらない。そんな気持で一杯な人たちはアメリカにもたくさんいる。その代表はマイケル・ムーアだろう。彼のつくった『華氏911』はアメリカはもちろん、日本でも大ヒットしている。僕はまだ見ていないが、今までの彼の作品からおおよその感じはわかる。ブッシュ嫌いの人には痛快な内容なのだと思う。ニューヨークで開かれた共和党大会に対して50万人(当局発表12万人)のデモがあって、ムーアは先頭を歩いたようだ。
・ミュージシャンたちも立ち上がった。代表はブルーススプリングスティーン。彼のオフィシャルサイトには"Chords for Change"(変化のためのコード)という題名の文章が載っている。内容は、アメリカ人であること、ミュージシャンであることの意味、豊かさと貧困、人種の壁………。そういったことをあらためて考え直すことの必要性と、目前に迫った大統領選挙に対する自分なりの態度を表明したものだ。で、キャロル・キング、パール・ジャム、R.E.M.、ジェームズ・テイラー、、ボニー・レイト、ジャクソン・ブラウンといったミュージシャンと一緒になって、ブッシュ批判と民主党のケリー候補を応援するコンサート・ツアーを企画した。オフィシャル・サイトのスケジュール表によれば、9月の末から10日間ほど、いくつかに別れて全米を回るようだ。最後は全員集まってのマイアミでのコンサート。前回の大統領選挙では、何よりマイアミでの投票結果が大きかったからだ。
・こんな行動は当然反響も大きい。スプリングスティーンは「ザ・ボス」と呼ばれるが、共和党は「ボイコット・ザ・ボス」というキャンペーン広告をテレビで流しはじめたようだ。『華氏911』については、反ブッシュの人たちが一層ブッシュ嫌いになる効果はあっても、ブッシュ支持層にはかえって反発されるから、選挙の体勢には影響しないのではないか、ということが言われている。スプリングスティーンの行動はどうだろうか。
・彼の「ボーン・イン・ザ・USA」はベトナム反戦の気持を歌にしたものだが、同時に愛国的で、歌のかっこよさからいろいろなところで使われる歌になった。共和党も選挙に使いたかったぐらいだから、ブッシュを支持する人たちの気持ちを変える力になるのかもしれない。もっとも、コンサート・ツアーに参加するミュージシャンはみな中年以上の世代で、しかも大半が白人だ。若い世代や黒人、あるいはマイノリティの層にはどれほどのインパクトがあるのだろうか。

bush1.jpeg・そんなふうに感じて、たまたまアマゾンで「ブッシュ」で検索したら、おもしろいCDが見つかった。"Rock Against Bush"というタイトルで2枚出されている。さっそく購入したが、知っているミュージシャンはまったくなかった。若い人たちばかりで、しかもパンク、オルタナ、メロコアなどなじみのないジャンルばかり。正直なところ聴いてもうるさい曲ばかりで、ジャケットの耳を塞ぐブッシュとおなじような気持になりかかってしまった。けれども、社会に背をむけるのを格好いいとするパンクが政治に対して正面からメッセージしてきたのだから、これは評価したいとも思った。
・このアルバムにはそれぞれDVDがついていて、ライブやビデオ・クリップのほかにコントやブッシュの迷演説も収められている。日本版はないから字幕もないが、1000円ちょっとの値段だから買って損はない。ブッシュは、米国の大統領の姿勢や資質が世界中に大きな影響を与えることを如実にしめした。その意味では、ブッシュ反対の声は、アメリカの外から、もっと出てもいいと思う。

2004年8月24日火曜日

何とも奇妙なプロ野球

 

・このコラム、前回に続いて野球の話である。僕はメジャー・リーグしか見ないから、日本の野球はどうでもいいのだが、最近のプロ野球の動向の奇妙さには、ちょっと一言いいたくなってしまった。
・オリンピックの野球チームは「長嶋ジャパン」と呼ばれている。監督で行くはずが病気でだめになった。しかし、長嶋がいなくても「長嶋ジャパン」。試合開始時には選手達は、長嶋が不自由な手で「3」と書いた日の丸にふれてフィールドに出る。何か奇妙だ。「神様、仏様、稲尾様」ということばが昔はやったが、「神様、仏様、長嶋様」なのだろうか。
・国際試合があるたびにアナウンサーや解説者が説明することがある。「ストライク・ボール」ではなく「ボール・ストライク」の順でカウントすること、ストライクゾーンが外角にボール一つ広いこと、ボールの大きさが日本で使われているものより気持だけ大きいこと。オリンピックのゲーム中継でも、再三話題にしていた。しかし、そのちがいは、野茂が米国に行ったときからずっと話題になっていることだ。奇妙に思うのは、ちがいがはっきりしていながら、なぜ直さないのかということだ。もちろん、直すのはローカル・ルールの日本の方である。
・ギリシャでは、野球はどの程度に普及しているのだろうか。日本のドリームチームの試合でも、数千程度の座席しかないスタンドががらがらだ。しかし、芝生はきれいに手入れされている。Jリーグができてサッカーのフィールドはすっかり様変わりした。今では、どのスタジアムの芝生もきれいに手入れされている。なのになぜ、プロ野球の球場の芝生ははげたままなのか、あるいは人工芝で手ぬきをするのだろうか。内野に芝生がないのはどうしてなのか。ボールの転がりやバウンド、あるいはスピードがちがう。第一に見た目が全然違う。選手の体にもよくない。国際規格にあわせるという発想がここでもまるでない。
・野球とベースボールはちがう。そのような言い方も聞き飽きた。日本の一流選手はメジャーに行っても、やっぱり適応して一流の成績を残している。野球をベースボールに直したらいいじゃないかと思うのだが、そういう声はほとんど聞こえてこない。これはもちろん、プレイだけでなく、応援の仕方にも言えることだ。
・しかし、何といっても問題なのは、プロ野球を経営する人たちの意識の古さ、低さ、狭さにある。ビジネスとして経営する気がほとんどない。巨人に頼ってチームを減らし、1リーグにして各球団の赤字を減らそうというのだが、巨人の人気自体に陰りがあるのだから、縮小したら、ますます魅力のないものになってしまう。プロ野球が面白くないのは巨人がリーダーシップを取っているからなのに、そこから発想の転換ができない。
・野球にかぎらずプロ・スポーツはフランチャイズ・システムを基本にする。それは、世界中どこでもかわらない。もちろん、日本のプロ野球を除いての話だ。メジャー・リーグはニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルス、それにサンフランシスコ以外には複数の球団を持っている都市はない。日本では、東京周辺と京阪神に集中している。さらに、アメリカのほとんどの小都市にはマイナー・リーグのチームがおかれているのだが、日本の2軍にはフランチャイズはない。
・メジャーリーガーを目指して野球をする人の数は、5000人とも6000人ともいわれている。それにくらべて日本ではプロ野球選手の数は 700人ほどにすぎない。日本ではノンプロや高校、大学野球がマイナーの役割を果たしてきた。しかし、それも怪しくなって、野球のできる環境自体が縮小しているのが現状である。
・日本には100万人以上の都市が10、50万人以上が10、40万人以上が20、30万人以上が24、そして20万人以上が39もある。 12球団がそれぞれ3つのマイナー・チームを持って全国の都市に配置すれば、我が町のチームとして応援できる都市が36も増える。プロ野球の将来を考えたら、そんなプランも出てきそうなものだが、そんな話はまったく聞いたことがない。だから、野球の将来を真剣に考えているとはとても思えないのである。(2004.08.24)

2004年8月17日火曜日

秋田・岩手

 

bandai1.jpeg・今年で3年目の東北旅行。去年の夏に山形の酒田まで行ったので、今年は秋田の男鹿半島まで行くことにした。家からの距離はおおよそ1000km、往復で 2000kmの車旅行だった。4泊5日、宿泊地は猪苗代、男鹿半島、田沢湖高原、そして一関の厳美渓。猪苗代は一昨年以来2年ぶりだが、今回は宿泊だけで、まずは早朝の会津磐梯山から。

・男鹿半島はなまはげで有名だが、おみやげ屋の前にはこんな鬼がいて、子どもが集まっていた。海は荒れていて入道崎の岩にくだける波はすごい。開館したばかりの水族館と宿泊先からの夕焼け。


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・寒風山から八郎潟、男鹿市を望むパノラマ。この後、猛烈な雨が降ってくる。


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・田沢湖ではカヤックをした。ライトブルーの水の美しさにビックリ。玉川温泉から流れ込む塩酸と硫酸が原因の強酸性の水質のせいだが、魚がたくさん見えた。石灰石で中和して酸性度を弱めている成果のようだ。もっとも田沢湖にはもともと固有の「クニマス」がいたのだが、発電のために玉川から水を流し込んで、絶滅させたという歴史がある。強酸性は人災だったのだが、この水の色はどうなのだろうか。
・カヤックは波が高く、逆風でしんどかったが1時間ほど漕いで楽しんだ。宿は田沢湖高原で、湖がよく見え、秋田駒ヶ岳も間近にあった。冬はスキー客でにぎわうようだが、夏は登山客がほとんどだそうだ。


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・秋田市はたまたま竿灯祭。夜だけだと思ったのだが、市内を走ると昼からやっていた。そう言えば、東北4大祭を巡る観光バスがどこでも目についた。


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・4日目は岩手へ。小岩井農場、盛岡市、そして猊鼻渓。賢治と石のミュージアムに立ち寄った。陸中松川駅に停車した気仙沼行きのディーゼル。宿泊地は厳美渓のロッジ。


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・で、最終日は一関から一気に河口湖まで。およそ600km。