2018年7月30日月曜日

佐々木裕一『ソーシャルメディア四半世紀』(日本経済新聞社)

 

socialmedia.jpg・四半世紀は25年だから厳密には、この本が分析対象にするのは1993年から2018年までということになる。しかし1993年はブラウザのモザイクや、そこにホームページなどを作成するHTML1.0が公開されたばかりの年である。だからもちろん「ソーシャルメディア」といったことばも存在しなかった。一般に使われるようになったのは2006年だと言われている。
・実際本書が扱う「ソーシャルメディア」は2001年からで、5年刻みで五部構成になっている。500ページを超える大著で、主にビジネスとして成立することを目指したユーザー・サイトについて、その設立者や運営者にインタビューをしながら、長い時間をかけてまとめたものである。25年ではなく18年ほどだが、インターネットとそれに関連する世界の急速な変容が整理された好著だと思う。

・ぼくがインターネットに接したのは1995年で、大学の研究室からだった。電子メールという新しい通信手段を使い、ネットスケープ(ブラウザー)によって国内はもちろん世界中のサイトを訪ね歩いた時の驚きや興奮は、今でも良く覚えている。サイトを探す時に使う検索エンジンはYahooで、できたばかりのAmazonで洋書を購入するようになった。書店を通すのとは段違いに早く、低額だったから、一時は研究費の多くを洋書に費やすほどだった。海外のサイトでものを買ったり、ニュースに直接アクセスするという経験は、それほどに新鮮なものだった。
・またHTMLを覚えて、1997年からこのサイトを作り始めた。もう21年になるが週一回の更新を一回も休まず続けている。始めて数年経つと一日100前後のアクセスがあり、その数は多少の増減はあったが、今でもほとんど変わらない。1999年に勤務校を変えたが、そこから数えてアクセス数はもうすぐ78万になる。単純に割ると1年のアクセス数はおよそ4000ということになる。増えもしないが減りもしない。見捨てられるのはさみしいが、やたら増えすぎても対処できなくなる。だからぼくはこの数に安心し、満足している。

・この新しい通信手段にどんな新しい世界が作り出せるか。そしてどうしたらビジネスとして成り立つか。インターネットの四半世紀は、そういう夢や野望を持った人たちの戦場という一面も持っている。万単位の人を集めるために考えられた一つが、ユーザーに積極的な参加を求めるものだった。アクセス数が増えれば、そこに広告を載せることが可能になる。あるいは参加者に課金することも出来るようになる。しかし、対処すべき課題は魅力的なサイトにしてアクセス数を増やすことだけではない。インターネットはただで利用できるメディアだという通念を、どうしたら変えることが出来るか。広告の内容とアクセス者のマッチングはどうしたら可能か。ビジネスサイトの創設者や運営者は、絶えず、このような難問と取り組むことになった。

・この本に登場するのは商品や店について、消費者どうしの情報交換の場を提供した「カカクコム」や化粧品の口コミサイトの「@cosme」、「食べログ」、質問と応答の場である「はてな」、電子掲示板の「2ちゃんねる」、ネットワーキング・サービスの「mixi」「GREE」「LINE」、そしてオンラインやソーシャル・ゲームを提供する場等々である。この中には年商が数百億円になったものも少なくない。あるいは「LINE」や「メルカリ」のように、公開した株価が総額で1000億円を超えるといった規模になっているものもある。

・ここにはもちろん、インターネットを支えるインフラの進歩や変化もあった。「ブロードバンド」が普及したのは2000年代で、それによって動画などの大容量のデータがやりとりできるようになった。2010年代になると、ネット利用にスマートフォンが加わり、パソコン以外で大量の人がアクセスするようになった。それに合わせて広告の仕方も代わり、またその規模も飛躍的に拡大した。

・いつでもどこでもスマホでネット。今はもうこういう時代になっている。「思想を持ったスモールメディア」(第一部)が「ユーザーサイト・アズ・ビッグ・ビジネス」(第二部)になり、「ユーザーサイトの黄金期」(第三部)を迎え、「メディアから仕組みへの助走」(第四部)を始めるようになった。世界中の人が多様な使い方や接触の仕方をすることを可能にしたメディアが、いくつかの巨大な企業によってコントロールされ、アクセスする人たちの自発的な行動から、簡単で便利な受け身的なそれに変わってきた。

・実はこの本の著者は、大学で同僚だった人である、広告やネットビジネスが専門領域だったから、ビジネスにも広告にも批判的で無関心だったぼくは、どんな研究をしているのか、ほとんど知らなかった。実際この本でも、ネットビジネスの可能性を追求する人たちに対するたくさんのインタビューについては、こういう人たちがネットを変容させてしまったんだと思いながら読んだ。何しろぼくはインターネットは今でも、「思想を持ったスモールメディア」であるべきだと思って実践しているのである。

・もっとも著者の佐々木さんは、大学では教務主任などの激職を長期間やり、学部の運営を支えてきた人である。こういった職に就くと研究自体を忘れてしまう人が多いのだが、彼は研究者としての自分の仕事を続け、大著をものにした。この本を贈られ、手にして読み始めた時に感じたのは、校務に負けずに頑張った、その努力や熱意に対する敬服の念だった。ご苦労様、そしてこれからもいい仕事を。

2018年7月23日月曜日

暑い!暑い!

 

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forest151-2.jpg・連日の猛暑。河口湖でも30度を超える日が続いている。夜になってもあまり下がらないから、窓を開け放して寝ている。こんな経験は引っ越して以来なかったことである。ここ数年、暑さがどんどん厳しくなっているから、もはや異常気象などとは言えないだろう。暑くなる前の豪雨と合わせて、今までとは違う気象状態になったことを自覚すべきだと思う。集中豪雨の被害だって、毎年、どこかで大きな被害が出ているのだから。

・そんな陽気のせいか、我が家では例年になく早く、ヤマユリが咲き始めた。繁茂する雑草の中に、白い大きな花がいくつも咲いて、ユリ独特のにおいが、あたりに香っている。以前は猿の群れが来て、花を食べていたが、去年から、猿の群れをほとんど見かけなくなった。桑の実や栗を食べに来て悩まされることが年中行事だったが、来なければ来ないで寂しい気にもなる。駆除されたのかも知れない。

・1週間ほど雨が降り続いて自転車に乗れなかったので、暑いとはいえ、毎朝自転車に乗るようにした。25、6度だから走れば風が涼しいが、走っている途中はもちろん、帰ってからも、ボトル1本ほどの水を飲んだ。ハンモックに揺られて体の火照りを冷まそうと思っても、いつまで経っても汗がひかなかった。疲れも取れないし、いつまでも高温が続くから、しばらく乗るのを控えた。

・河口湖でこんな様子だから、40度近い気温が続いているところでは、外に出ることすら避けたくなるだろうと思う。気温が体温を超えているのだから、仕事はもちろん、日常生活だって満足にはおくれないだろう。実際、毎日何千人もの熱中症患者が救急搬送されて、すでに何十人も亡くなったようだ。もう問答無用の暑さになってしまっているのに、この時期になると決まって、学校にエアコンをといった意見が蒸し返される。あるいは、気温を考慮せずに校外での活動をして、生徒が熱中症になった事例が、毎日のように報じられている。

・びっくりするのはそういったニュースと並べて、“熱戦”などといって甲子園野球の予選を報じていることだ。選手にも観客にも熱中症が多発しているのに、やめたらとか、夜にやったらといった声はほとんど聞こえてこない。2年後のオリンピックが猛暑の中で行われることについて、日程の変更などを言い出す人も多くない。海外からはすでに開催を危惧する記事も出ているから、参加を見合わせるような動きが出るかも知れない。

・状況を自分で判断して対応を考える。そんなことが出来ない人が多いのだなとつくづく思う。先月の大阪北部地震は通勤通学時だったが、引き返さずにそのまま会社や学校に行った人が多かった。最近の猛暑の中でも、決まったことだからとやめない人が多いようだ。何より、政治家などのリーダー役を担う人たちの中に、そんな気質が蔓延している。何しろ原発事故があって、とんでもない被害が出たのに、まだやめようとしないのだから、この国はもう救いがたい所まで来てしまっているのではと思ってしまう。

2018年7月16日月曜日

あからさますぎる情報操作

 

・ワールドカップは日本の予想外の活躍で、真夜中にもかかわらず高い視聴率だった。ぼくは初戦のコロンビア戦だけはライブで見た。点を取られたら寝ようと思っていたのだが、開始早々のPKで一点取ったものだから、最後まで見てしまった。翌日のテレビは当然ながら大興奮で、朝から晩までその話題で盛り上がっていた。もっとも、その日の朝には大阪の高槻を震源にするマグニチュード6.1の地震があって、大阪北部や京都南部で大きな被害が出て、そのニュースも一日中、大きく報道された。ぼくは大山崎町に住んでいたことがあって、阪神淡路大震災を経験していたから、その時のことを思い出して、サッカーどころではない気になった。だから知人達にメールを出して、様子を確認したりもした。

・ところがその日の午前中に突然、加計孝太郎がが岡山で地元の報道各社だけに二時間前に予告して会見したのである。当然、東京や関西のメディアは間に合わなかったが、間に合ったところも地元の記者限定という制約で断られたようだ。二つの大きな出来事を狙ったどさくさ紛れの会見で、姑息としか言うほかないような行動だった。しかも会見は30分足らずで、疑惑を否定したり、記憶にないを連発して、質問にもまともに答えようとしなかったようだ。

・この会見が、地震はともかくワールドカップを狙ったものであることは明らかだろう。見え透いた情報操作だが、決勝トーナメントに出た日本がベルギーに負けた数日後の6日に、麻原をはじめオウム死刑囚7人の死刑が執行された。ぼくは見なかったが、朝からテレビが報じていて、一人一人の執行が行われたプロセスをライブで報じたようだ。死刑囚達の執行にはさまざまな批判があったが、執行を命じた法相は、そんなことには聞く耳持たずといった態度だった。

journal3-174.jpg・またところがだが、当日は、数日前から降り続いた雨が激しくなり、特に中国、四国、そして九州では、これまでに経験したことのない雨が降った。気象庁は前日の5日に「大雨特別警報」を1府10県に出して大きな災害になる危険を呼びかけたが、広島や岡山を中心にして、死者・行方不明者合わせて230名を超える大災害になってしまった。もっとも、「過去に経験がないほどの雨」が何度も聞かれたが、大雨による災害はここ数年、この時期にくり返されていることでもある。(表は西日本新聞から)

・このような被害があったにもかかわらず、5日の夜に「赤坂自民亭」という名の自民党懇親会が開かれて、首相や法相なども出席していたことがネットで問題になった。オウムの処刑の前夜であったこと、数日前から大雨の被害が出始めていたにもかかわらず、首相や法相を含めて議員達が飲み会をしていたことに批判が続出した。この宴会は秘密裏に行われたのではなく、幹事の議員がツイッターで、写真付きで、その盛り上がりを報告もしたのである。安倍政権は情報操作に誰より腐心することに大きな特徴があるが、他方で、その影響も考えずに暴言を吐いたり、ネットに書きこみをしたりすることが少なくない。

・またまたところがだが、この不祥事をテレビはもちろん、新聞も大きく取りあげなかった。こちらは政権に忖度した情報操作といわざるをえない。首相はさすがに外遊を中止したが、政府が災害対策本部を設置したのは、気象庁が「特別警報」を出してから66時間後の8日午前だったのにである。遅れた理由は、首相が外遊にこだわったせいだと言われている。しかし、批判が強くなかったためか、参議院の定数是正(改悪)は、被災地対策そっちのけで強行採決して、カジノ法案も続けて成立させるつもりのようである。

・こんなひどい政権なのに、支持率は回復しつづけているから、もうあきれるしかない。メディアも駄目だが国民も駄目。「驕る平家は久しからず」という格言が通用しない、おかしな世界になってしまっている。

2018年7月9日月曜日

ひどい政権をいつまで野放しにするのか

 

・もうとっくに辞めるべきなのに、まだしがみついている。どころか、更に三年先までやろうとして、それがすでに既定路線化しているという。もちろん安倍政権の話である。森友・加計問題の核心に安部夫妻がいることは火を見るより明らかである。スポーツで言えばアウト、チェンジ、そしてとっくにゲームセットになっている。にもかかわらず本人はアウトではないと弁明し、審判まで巻き込んで、ゲームを続けようとしている。彼には政治家としてどころか、一般人としての良心や倫理観、あるいは責任感がまったく欠如している。だから、何を言われても蛙の面にションベンなのだ。

・こんな状態になっても、与党からは批判の声すら聞こえてこない。大手メディアは相変わらず、首相と会食などしていて、本気になって退陣を迫ることもない。歴代の首相経験者や退職した自民党の長老が批判しても、政権には痩せ犬の遠吠えぐらいにしか聞こえないようだ。支持率が回復傾向にあるなどと聞くと、もう絶望的になってしまうが、諦めてしまっては、日本の状況はますますひどくなってしまう。

journal4-200.jpg・「働き方改革」が働く人ではなく、働かせる人の要請で登場した法案であることは明らかだ。過労死を減らすためではなく、安い労働力で企業の収益を上げることが狙いなのである。隣国の韓国では同時期に週12時間以上の残業を禁止する法案を成立させた。月100時間までは合法とした「働かせ方改革」との対照は明らかだろう。残業代なしの高度プロフェッショナルの1075万円についても、徐々に下げて400万円程度になれば、働く人の大半が当てはまってしまうと言われている。他方で、役員報酬が1億円を超えた企業が240社で538人になったようだ。あるいは役員と従業員との間に格差が10倍以上もある企業が100社を超えたという報告もある。右図のように、先進主要国で賃金が下がっているのは日本だけなのである。アベノミクスのインチキさは、このグラフを見れば明らかだろう。

・政府はまた、今国会中に「カジノ法案」を成立させるつもりだという。世論の反対が大多数にもかかわらず成立を強行するのは、アメリカの要請があるからだと言われている。貧しくなった暮らしがギャンブルによって更にひどくなる。日本人はすでにレジャー費の多くをパチンコに使うギャンブル大国なのである。減少傾向にあるとは言え、パチンコ産業は今でも20兆円を超えていて、70兆円と言われるレジャー全体の、3割ほどを占めているのである。過労死やギャンブル依存症をさらに増やすだけの法案はそれこそ亡国的だが、何故、強い抗議運動が起きないのだろうか。

・この国がこれからどんなになってしまうのか。少しでも考えればぞっとするほど恐ろしいことに囲まれていることがわかる。既存の原発の再稼働だけでなく、新設などといったとんでもない話も聞こえてきた。しかもやるのは東京電力だという。株価を安定させるために日銀や年金機構が株に費やしているお金は、すでにそれぞれ20兆円を超える額になっているようだ。下がらないためにさらに買うというギャンブルのような使い方がされている。その一番の目的が、安倍政権を支えることにあるのはいうまでもない。

・外交の安部などと言われるが、実際はトランプの言うなりで、北朝鮮の問題では蚊帳の外に置かれている。危機を煽り、拉致被害者の救出を訴えても、現実には、何の力も発揮できていないのである。サミットに行っても何の存在感もなかったのに、専用機に乗ってあちこち出かけては金をばらまいてくる。そんな愚行をくり返して、すでに総額50兆円に達すると言われている。これは日本の税収一年分に近い数字だが、一方で国の借金は1000兆円を超えているのである。

・借金を減らして財政を健全化することや、少子高齢化対策には将来を見通した根本的な変革が必要であるし、それを支える政治哲学が欠かせない。今の政治状況には、そんな危機意識がまったく感じられない。つけを将来に先送りして、目先の利己的な利害ばかりに執着する。若い人たちこそ、こんな政治に不安を持ち、怒るべきだと思うのだが、なぜ支持したりするのだろうか。

2018年7月2日月曜日

<続>ジャック・ロンドンを読んでいる

 

『白い牙』(新潮文庫)
『犬物語』(スイッチ・パブリッシング)
アーヴィング・ストーン『馬に乗った水夫』(ハヤカワ文庫)

jacklondon3.jpg・ジャック・ロンドンの代表作は、日本では『白い牙』だろう。オオカミが主人公で、人間との関わりが物語になっている。犬の血が混じった雌オオカミが子どもを生む。そのオオカミが人間につかまり、闘犬にされたり、そり犬にされたりする。しかし主人公はそのオオカミだから、物語はオオカミの視点で進行する。ここでは人間もまた、オオカミと同じ動物の一種に過ぎない。むしろ勇敢さや気高さを持ったオオカミに比べて、登場する人間の多くは、ずるがしこく冷血で、信用できない者たちばかりだ。舞台はアラスカという極寒の地で、そこに集まるのはゴールド・ラッシュに心を奪われた者たちばかりなのである。
・だからオオカミは決して人間に心を許さないが、例外的に信頼できる男が現れる。オオカミとしての野生の血と、少しだけまじった犬の血が、さまざまな人間に対する微妙な距離感をつくりだす。このオオカミはその意味で自我を持ち、自分の判断に従って、自分の生き方をきめる存在だ。人間よりもはるかに高潔で、しかも思慮深い。

jacklondon6.jpg・『犬物語』はいくつかの作品を集めたもので、『火を熾す』と同様、柴田元幸が選んで訳し直したものである。その中で中心になるのは「野生の呼び声」と名のついたロンドンの動物文学の代表作とを言えるものである。この作品に登場するのはオオカミではなく、生まれた時から人に飼われていた犬である。セントバーナードとシェパードの血を継ぐ主人公が盗まれ、ゴールドラッシュに湧くアラスカに送られる。犬はそこから、オオカミに接触することで、やがて野性に目覚めていくことになる。
・この作品でも主要なテーマは野生の血と飼い慣らされた血の間に生まれる葛藤とせめぎ合いということになる。訳者が指摘しているように、ロンドンにとってオオカミは理想の自我を体現する存在であり、犬は飼い慣らされたものである。その間で揺れ動く主人公は、まさに作者であるジャック・ロンドンの生き様そのものだったようである。

jacklondon7.jpg・『馬に乗った水夫』はアーヴィング・ストーンによるジャック・ロンドンの伝記である。それを読むと、野生や自由に対する憧れと、名声や金へのこだわりとの間で大きく揺れ動き、生き急いだロンドンの人生がよくわかる。幼い頃から家計を助けるために働き、学校には馴染めないが図書館で本をよむことには夢中なる。冒険を好み、船に乗って大海に出て、アラスカに行って犬ぞりに乗る。そんな経験を元に小説家になり、稼いだ金をまた冒険や大農場に使う。そして家族はもちろん、多くの人をもてなすためにも金を稼ぎ、散財する。あるいは資本主義社会が出来上がりつつあるアメリカ社会を批判して、社会主義にもとづく世界を打ち立てることにも力を尽くす。彼はまた20世紀の初めに、アメリカにマルクス主義を根づかせることに奔走した人でもあったようだ。
・ジャック・ロンドンは40歳の時に自殺をしている。動物文学やプロレタリア文学の祖とも言われるが、それ以外にも残した作品は多い。それはいくつもの冒険を実践し、アメリカ社会への批判の目を持ち続けたからこそ書けたものだが、この伝記を読むと、書くことが彼にとって必要な金を手に入れるためのやむにやまれぬ活動であったことがよくわかる。彼の作品はほかにもたくさん翻訳されていて、さらには、まだまだ訳されていないものが数多くあるようだ。さて、もっと読もうかどうしようか。しばらく間をおいてから決めようと思っている。