2022年12月27日火曜日

目次 2022年

12月

26日: Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)"

19日: 矢崎泰久・和田誠『夢の砦』

12日: いつもながらの冬の始まり

5日: 円安とインバウンド

11月

21日:新聞購読やめようかな?

21日:ツーブロック禁止って何?

14日:Jackson Browne, "Downhill from Everywhere"

7日:村瀬孝生『シンクロと自由』(医学書院)

10月

31日:秋の恵みと冬の準備

24日: 能登半島小旅行

17日: 『MINAMATA ミナマタ』

10日: 大谷選手のMLBが終わった

3日: やめられない、とまらない!?

9月

26日: Lady Gaga "A Star Is Born"

19日: 島田雅彦『パンとサーカス』(講談社)

12日:雨ばかりの夏だった

5日:最近見た映画

8月

29日:安倍の蓋が取れて出た汚物

22日:Eric Clapton "The Lady in Balcony"

15日:国葬なんてとんでもない

8日:ビー・ウィルソン『人はこうして「食べる」を学ぶ』(原書房)

1日:閉じこもるしかないけれど………

7月

25日:ニュースはネットで

18日:安倍元首相の死で見えてきた闇

11日:The Bandという名のバンド

4日:デジタル化できない手続きにうんざり

6月

27日:MLBを見ながらアメリカ野球の本を読む

20日:庭の植物の生命力

13日:エンゼルスと大谷の浮き沈み

6日:富士山十景

5月

30日:バイデンは横田から日本に入った

23日: Neil Young "Barn"

16日:断捨離について思うこと

9日:ウクライナについての本

2日:天候不順とコロナ禍でどこにも行けず

4月

25日:SNSは誰のものか

18日:見田宗介の仕事

11日:Stingの新譜 "The Bridge" と 'Russians'

4日:円の凋落に思う

3月

28日:北丸雄二『愛と差別と友情とLGBTQ+』 (人々舎)

21日:やっと春になった

14日:戦争報道とSNS

7日: ロシアのウクライナ侵攻に乗ずるな!

2月

28日:MLBが始まらない!

21日: 本間龍『東京五輪の大罪』(ちくま新書)

14日:国産品はどこへ行った?

7日:厳冬とオミクロンの中

 1月

31日:メディアの劣化が止まらない

23日:マスクがパンツになった?

17日:楽曲の権利をなぜ売るのか?

10日:黒川創『旅する少年』(春陽堂書店)

3日:とてもおめでとうと言えない年明けです

2022年12月26日月曜日

Sinéad O'Connor "How about I be Me (And You be You)"

 

sinead3.jpg" ここでシネイド(シニード)・オコーナーを取り上げるのは12年ぶりだ。その時は"Theology"というタイトルの二枚組みだった。 "How about I be Me (And You be You)"はその2年後に発表されていたのだが、全然気づかなかった。これよりもっと新しいアルバム"I'm Not Bossy, I'm the Boss"も2014年に出ているが、それ以後には出ていない。

最近の様子をネットで調べると、今年の1月に息子が自殺したとあった。その兆候は以前からあったようで、息子が家を出てから、彼女は何度もツイートしたようだ。で、その1週間後に彼女自身が自殺することをほのめかすツイートをし、思いとどまって入院をしたということだった。

オコーナーは本当に波乱万丈の人生を送ってきた。結婚と離婚を四度くり返し、その度に四人の子どもを産んでいる。自殺したのは三度目に結婚したアイルランドを代表するミュージシャンのドーナル・ラニーとの間に生まれた三人目の子どもだった。

"How about I be Me (And You be You)"は10年も前に出されたアルバムだが、彼女がプライベートな生活の中で、ずっと苦悩してきたことを感じさせる歌があった。

私にそっくりの子どもを産んだ
目はあなたにも似ているが
あなたには会わせたくない
なんと説明したらいいかわからないから "I had a baby"
あなたがどこにいるのかわからない
でも、家から遠いことだけはわかる
目が覚めると独りぼっちで、あなたはいない
家からとても遠いところに行ったんだ "Very Far From Home"
このアルバムは兄のジョセフ・オコーナーに捧げられている。彼はアイルランドでは著名な作家で『ダブリンUSAーアイリッシュ・アメリカの旅』が翻訳されていて、このコラムで紹介したことがある。アメリカにあるダブリンという名の街を訪ねるといった内容で、他の作品も、アイルランドという国や移民をしていったアイルランド人をテーマにしているようだ。

シネイドにもアイルランドをテーマにした歌は多い。アイルランドのことを思い、カトリック教会に反撥して激しい歌を歌うが、彼女の声は今でも透き通っていて美しい。それはこのアルバムでも変わらなかった。とは言え、Wikipediaを見ると、2018年にイスラム教に改宗してシュハダ・サダカット (Shuhada' Sadaqat)と改名したとあった。激しい生き方をしている人だとつくづく感じた。

2022年12月19日月曜日

矢崎泰久・和田誠『夢の砦』

 

yume1.jpg 『話の特集』は一時期必ず買った月刊誌だった。和田誠や横尾忠則のイラストがあり、篠山紀信や立木義浩の写真が載って、野坂昭如や永六輔のエッセイがあった。その過激な政治批判に賛同し、鋭い社会風刺にわが意を得、公序良俗への挑戦に拍手した。おそらく1960年代の終わりから70年代の中頃のことだったと記憶している。『夢の砦』は編集者だった矢崎泰久がまとめたその『話の特集』の思い出話である。

『話の特集』が創刊されたのは1965年で、95年に廃刊になるまで30年続いた。僕が読んだのは10年ほどで、『話の特集』が一番元気な時期だったと思う。何しろ売り出し中の作家やタレント、イラストレーターや写真家が毎号登場して、その技や芸を競っていたのだから、発行日が待ち遠しいと感じるほどだった。大手の出版社が出す雑誌とは違っていたのになぜ、これほど多種多様な人々を登場させることができたのか。この本を読んで、そんな疑問の答えを見つけることができた。

「話の特集」をつくったのは矢崎泰久三二歳と和田誠二九歳。二人が追い求めたのは<自分たちが読みたい雑誌>だった。二人を中心に気づかれたその砦にはあちこちから個性的な才能が集まった。
創刊時にはほとんど無名だった若者たちが好き勝手なことをやり、それを面白がってまた新たな人たちが参加する。その斬新さはすぐに週刊誌や月刊誌のモデルになって、雑誌ブームの先導役にもなった。『夢の砦』にはそんな創刊時の逸話を語り合う記事がたくさん載っているが、また、この雑誌の中身を一貫して支えてきたのが和田誠だったことも強調されている。たとえばその一例は、川端康成の『雪国』を作家や評論家、あるいはタレントの似顔絵とともに、文体や口調をまねて書いたパロディが36編も再録されていることである。これは今読んでもおもしろい。

『話の特集』が創刊時から持ち続けた姿勢は「反権力・反体制・反権威をエンターテインメントで包み込む」だった。60年代の後半には大学紛争があり、ベトナム反戦活動やアメリカから世界に波及した対抗文化の波もあった。そんな時代を反映しながら、大まじめにではなく遊び心を持って雑誌を作ってきた。『夢の砦』を読むと、そのことがよくわかる。70年代の中頃になって、僕がこの雑誌を読まなくなったのは、似たような雑誌が乱立したせいなのか、雑誌そのものに興味をなくしたからなのか。今となってはよくわからない。

しかしそれにしても、今の時代には「反権力・反体制・反権威をエンターテインメントで包み込む」といった姿勢は、どこにも見当たらない。それどころか「権力・体制・権威にすりよってエンターテインメントで吹聴する」といった人がいかに多いことか。インターネットの初期には、面白く感じられる一時期があったが、今はそれも失われている。昔を懐かしむのは年寄りの悪癖だが、それにしても今はひどすぎる。

2022年12月12日月曜日

いつもながらの冬の始まり



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紅葉の季節が終わって、河口湖にもやっと静けさが戻ってきた。それに合わせたかのように冷え込みも厳しくなったから、薪ストーブが家を暖めるようになった。それにしても、紅葉狩りの人出はすごかった。コロナの感染者数が減っているわけでもないのに、あちこちからやってきたから、自転車に乗るのもままならなかった。

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遠出は避けて近くの山歩きをした。二十曲峠から石割山、芦川村から黒岳、あるいは釈迦ケ岳。どこも4kmほどの距離だったが、パトナーの足を気遣いながらだから、コースタイムの倍以上かかる。去年の暮にはがんばって箱根の金時山に登ったが、今年はどうするか。歩き納めの山を思案中である。

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アメリカからやってきた知人家族を案内して裏山に登った。急な直登で驚いていたし、尾根からの富士は雲って見られなかったが、楽しそうだった。土遊びもやり、パートナーの作品をいっぱい持ち帰った。

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いつもながらの冬の始まりだが、日本の政治や経済はどうしようもない状況に追い込まれている。金もないのに防衛費の倍増とは狂気の沙汰としか思えないが、世論はそれを支持していると言うから、開いた口がふさがらない。

2022年12月5日月曜日

円安とインバウンド

 

アメリカのポートランドに住む知人一家が3年ぶりに我が家に来た。日本でやるべきことがあったのだが、コロナにかかわる規制が緩んでやっと実現できたのだった。僕らはワクチンを打っていないので、どうしようか迷ったのだが、歓迎することにした。総勢4人が我が家に泊まって、にぎやかに過ごした。最初はマスクをしてと思ったが、それもすぐにやめてしまった。今のところ、症状は出ていないから大丈夫だったのではないかと思っている。

いろいろ話をしたが、彼らにとっての驚きは、物価の安さだった。何しろ円は去年まで110円前後で推移していたのに、今年になって急激に円安になって、一時は150円にもなったのである。3年前に来た時に比べて、2割以上も安くなっている。彼らにとっては何でも安くて大助かりだが、日本人にとっては輸入品の価格が高騰して、さまざまなものが値上がりしはじめていて大変なことになっている。しかも物価の上昇は、これからさらにひどくなると言われているのである。

日本の物価はここ20年、あるいは30年ほとんど上がってこなかったが、日本人の収入は逆に減り続けてきた。正規の勤め人は、それなりに定期昇給があったが、非正規が4割にもなって、貯蓄がほとんどなく、生活に困窮している人が増えている。食事も満足にできない子どものいる家庭もあって、民間の援助が盛んに行われているが、国はほとんど手当てをしていないのである。

他方で裕福な人もいて、国はその人たちに旅行を勧める支援を復活させてもいる。「Go to トラベル、イート、イベント、ショッピング」などといったおかしな和製英語の話などもしたが、政治のお粗末さは、ことば以上のおかしさなのである。おかげで紅葉の季節には、河口湖には大勢の人が訪れて、外出を控えるほどだった。

知人たちが久しぶりに日本に来たように、海外からの旅行者も増えていて、河口湖でも目立つようになった。しかし主流は欧米からの人たちで、コロナ前に目立った中国を始めとしたアジアからの人はまだ少ないようである。何より団体で押しかける中国人の姿が見当たらないが、これはゼロコロナ政策で、旅行が制限されているためのようである。他方で韓国からの旅行者は復活しているようだが、多くは九州などの西日本に来ているから、関東ではあまり目立たない。

コロナが収まったわけでもないのに、インバウンド復活を積極的に支援する国の政策はどうかと思う。円安を生かしてなどと言うが、そもそも円安を是正するためにどうするかを考えないことのほうが問題なのである。輸出立国として成長した日本が、今、輸入超過の赤字国に転落している。インバウンドで補っても焼け石に水にしかならないことなのに、これしか方策がないのだから、もうお先真っ暗な現状なのである。

2022年11月28日月曜日

新聞購読やめようかな?

 

毎朝、新聞をトイレで読む。もう何十年も続けてきた習慣だが、読みたい記事がほとんどないと感じることが多くなった。安倍政権に押さえつけられ、忖度してろくな批判もしない。そんな態度に見切りをつけて、長年購読してきた朝日新聞をやめて毎日新聞に変えたのは3年ほど前だった。少しはましな記事があるかなと思っていたのだが、やっぱり物足りない。

大臣を務める政治家の不祥事が続いているが、それを記事にしたのはほとんどが週刊誌だ。新聞は国会で問題になってから後追いする。記者の数が桁違いに多い新聞は一体何をやってるんだ、と言うことが多くなった。おそらく記者が取材をしても、記事にならないことが多いのだと思う。で、優秀な記者が次々辞めていく。僕はそんな経過でフリーになったジャーナリストの発言や記事をネットで聞いたり読んだりすることが多くなった。(→「ニュースはネットで」

たとえば、オリンピックにまつわる疑惑は、安倍元首相が凶弾に倒れ、重石がとれたことによって活発化した。その検察の捜査について、新聞は大きく取り上げようとはしなかった。それは新聞大手がこぞってオリンピックのスポンサーになったからだった。これはもちろん前代未聞のことで、そんなことをすれば、問題が起きても批判しにくくなるのは明らかだった。「オリンピックは電通の、電通による、電通のためのイベントである。」これは本間龍が書いた『東京五輪の大罪』の結論だが、どの新聞も電通批判などまったくしていない。もうぐるになっているとしか思えないのである。その電通にやっと検察が入った。どこまで行くのか楽しみが増えたが、新聞には期待していない。

実際、新聞社はどこも購読者数を減らしているようだ。当然、経費削減を実行しているわけだが、購読している毎日新聞では、今年から地方面が山梨単独から長野・静岡と一緒になった。おそらく支社の規模を小さくして、記者も減らしたのだろうと思う。隣接県とは言え、馴染みのなさは否めないから、読み飛ばすことが多くなった。とは言え、県域紙に変えようとは思わない。

もちろん、紙媒体としての新聞が凋落傾向にあるのは地方紙も一緒だし、世界的な現象でもある。アメリカでは大手の新聞社がネットに乗り換えて成功しているようだが、日本では、その点でも遅れている。毎日新聞は購読していればネット版も読むことができるが、特にアクセスしようとは思わない。ネットでなければできないものがほとんどないからだ。

僕は一応、メディア論を研究テーマの一つにして、大学で講義などもしてきたから、新聞とは最後までつきあわなければいけないかな、と思っている。しかし、読みごたえのなさがあまりにひどいから、こんな気持ちもいつまで続くのやらと考えてしまう。


2022年11月21日月曜日

ツーブロック禁止って何?

 

haircut1.jpg"朝新聞を読んでいたら、「ツーブロック禁止 必要?」という見出しの記事を見つけました。「うん? ツーブロックって何?」と思って記事を読んでいくと、最近はやりの髪形で、もみ上げと耳のまわりを刈り上げるカットだと言うことがわかりました。そう言えば最近の若者の髪形は刈り上げが普通で、カットの仕方もいろいろであることは気づいていました。男の髪形が極めてバラエティに富んでいるのは、MLBの選手で見慣れていました。スキンヘッドに肩まで伸びた長髪、モヒカン刈りやデッドロック、三つ編み、そして長く伸ばしたヒゲなど、やりすぎだろうと言いたくなる選手が少なくないのです。

twoblock1.jpg"・それに比べたら「ツーブロック」などはおとなしいものですが、日本ではそれを禁止する高校が多数あって、問題化していると言うのです。そう言えば、これまでにも校則のおかしさについてはいろいろ指摘されていて、髪の毛は黒、靴下は白、女子生徒のスカート丈など事細かに決められているのです。そもそも中高生は制服が当たり前といった規則が健在なのが不思議ですが、それをさらに細かく規制しているのは、一体何のためなのか疑問に感じます。

僕は都立高校に通いましたが、制服ではなく私服でした。ロック音楽やヒッピーが流行った時代で、僕も長髪にしていましたが、教師に叱られることはありませんでした。都立高校の中には、今でも制服なしで髪形にも規制がないところがあるようです。この記事には都立高校の先生の意見もあって、制服が大人の価値観の強制であって、「(生徒に)自分たちで考えて行動してもらうということが原点です」という意見が紹介されていました。

制服は、それが軍隊から始まったことからわかるように、統率を取りやすくするために考案されたものでした。その有効性が認められると、次に工場労働で働く人や学校に採用されましたが、それはあくまで管理する側にとってのものでした。集団にとっては個々の個性を認めることは管理を難しくします。しかし、教育の場は、軍隊とは違って、生徒がそれぞれ自らの個性を見つけ、それを伸ばす機会でもあるのです。「ツーブロック」のようなほんの少しの工夫すら認めたくないという発想には、個性を育てると言った考えがまるでないことが明らかです。

そのことはおそらく、自分で考え、行動するといった生徒の内面的な成長に対する無関心にも繋がっているはずです。と言うよりは、生徒に勝手に考え、行動されたらかなわないとする発想が強いと言えるでしょう。たとえば、「CNN.co.jp」の記事に、今回の中間選挙で「若い有権者がいなければ、米民主党は大敗していた」という記事がありました。アメリカの多くの学校には制服などはなく、選挙についても授業で積極的に議論することをカリキュラムに入れています。銃規制の必要性やLGBTQの権利にも自覚的な若者層にとって、保守反動回帰を主張するトランプは反対すべき相手です。この記事では45歳を境目にして、それ以下は民主党で、高齢になれば共和党支持になっていることが指摘されています。

アメリカでは若者層をZ世代(1996年以降の生まれ)やミレニアム世代(2000年以降に成人)と呼んで、社会の不正や人権、そして地球の温暖化などについて意識が高いことが指摘されています。しかし日本では、若者層は保守的で、政治にも無関心だと言われています。その理由を若者たちの意識の低さに求めることは容易ですが、個性を育てることをしない教育の場にこそ、その原因を求めるべきではないか。「ツーブロック禁止 必要?」と言う記事を読んで、そんなことを強く思いました。

2022年11月14日月曜日

Jackson Browne, "Downhill from Everywhere"

 
jacksonbrowne3.jpg" この名前で取り上げるのは2回目だ。ジャクソン・ブラウンがコロナに感染して、アルバム制作が中断したために、2曲だけのシングル盤が先に出たためだった。アルバムだと思って購入してがっかりしたが、その後アルバムが出て、やっぱり買うことにした。すでにメインの曲は紹介しているから、また取り上げるのは止めようと思っていたが、来年三月に日本で公演をやると言うニュースを見て、やっぱり書くことにした。

アルバム・タイトルの「Downhill from Everywhere"」については前回、次のように紹介した。「海に流れ込む、プラスチックその他の人間が捨てたゴミを歌ったものである。ゴミは学校から、病院から、ショッピングモールから等々、あらゆるところから流れ下る。歌詞の大半はその「~から」を列挙したものになっている。引力に従って行き着く先である海を、私たちはどこまで自分のこととして考えているのだろうか。私たちが生きていくのに、海がいかに大切かということを。プラスチックは海に流れ下ることで細かく粉砕される。それを魚が食べて、また人間に返ってくる。この歌はドキュメンタリーの"The Story of Plastic"でも使われている。」

その他の曲も強いメッセージが込められているものばかりだ。トランプ前大統領の移民政策に抗議した"The Dreamer"、地震に襲われたハイチ復興支援として作られた"Love is Love"、人種差別を抗議し、公平であることの大切さを訴える"Untill Justice is Real"、エイズ病棟をドキュメントした映画『5B』に提供された”A Human Touch"などだ。ジャケットには巨大なタンカーが写っているが、これは原油流出事故後にバングラデシュに移送されて解体されたものだという。

他方で、彼本来のものである自省的な歌もある。シングルカットされた"A Little Soon To Say"については、前回次のように紹介した。「今の状況に対する自分の戸惑いを歌っている。地平線の向こうが見えない、明かりに照らされた道の向こうが見たいんだけど、とつぶやき、すぐに決断しなければならないのに、情報があまりに少なすぎる、とつづく。今の病を乗り越える道を照らしたいし、できると思いたいが、そう言うにはまだ早すぎる。」

人工心臓を手術して無敵だと歌う"My Cleveland Heart"と、心が裂けるようだと歌う"Minutes to Downtown"など、自分の揺れ動く心を描く姿勢も健在だ。で最後はバルセロナ讃歌の"Song for Barcelona"。ここでも自分の魂に火をつける街と歌う反面で、愛する世界が見つけられなくなってしまうと揺れている。

ジャクソン・ブラウンのコンサートには2015年に出かけた。その時の様子は「ジャクソン・ブラウンのコンサート」に書いている。また聴きたいと思うのだが、コロナ禍で人混みは避けているから諦めている。

2022年11月7日月曜日

村瀬孝生『シンクロと自由』(医学書院)

 

僕の両親は10年前に老人ホームに入り、父は数年前に亡くなって、母はまだお世話になっている。コロナ以降会えずにいて、直近の記憶が怪しくなっていたから、今会っても、僕のことはわからないかも知れない。淋しい思いをしているのではと考えたりもするが、子どものことがわからなくなっているなら、それも感じないのかもしれない。いずれにしても、老人の介護は大変で、それを免れているのは、正直なところ助かっている。

murase1.jpg 村瀬孝生の『シンクロと自由』は介護の現場におけるレポートだ。介護現場では、どうにもならない認知症の老人に対して、我慢の限界を超えて暴力を加えてしまうことがあるようだ。犯罪のように扱われるが、そうなることはあるだろうな、と思うことが少なくなかった。そうならないために、介護する人はどうしたらいいか。この本に書かれているのは、介護する人とされる人が右往左往しながらも、やがて互いの心が通じ合う瞬間に出会うという物語だ。それがまるで漫才のぼけと突っ込みのようにして語られていて、面白いと思った。

食事を食べてくれない。どこにでも排泄してしまう。身体を触られるのを拒絶する。預金通帳が無くなったとくり返し言う。夜中の徘徊。家に帰ると言って聞かない。それを無理やり強制したり、叱ったりするのではなく、なぜそうするのかを探り当てようとする。そうするとその原因が分かり、改善する方法が見えてくる。何かを教えるのではなく、逆に教えてもらう。そんな発想の大切さが「シンクロ」ということばでくり返し語られている。

そんな発想は「自由」と言うことばにも及んでいる。不自由な身体には新たな自由がもたらされているはずだし、時間や空間の見当がつかなければ、そこから解放されてもいるはずだ。子どものことがわからなければ、親の役割も免じられているし、忘れてしまえば毎日が新鮮になる。「それらは私の自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。」

father1.jpg この本を読んで、この欄で紹介しようと思っていたら、たまたまアンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』をAmazonで見た。認知症が進んで、徐々に昔の記憶が薄れ、娘や近親者との関係があやふやになっていく。その過程を、主人公と周囲の人の両方の立場から描いていて、そのリアルさに引き込まれた。老人はやがて自分が誰だか分からなくなっていくが、映画ではそれがつらいこととして結論づけられる。

『シンクロと自由』と『ファーザー』は、心や身体の解体をまったく異なる視点で捉えている。心や身体がまだ正常だと思っている立場からは、映画の方にリアルさを感じるが、実際にそうなった時の自分を想像した時には、それが新たな自由に思える心持ちになりたいものだと感じた。

2022年10月31日月曜日

秋の恵みと冬の準備

 

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2年不作だった栗の木が、今年はたくさん実をつけた。自転車に乗って行ったから、ジャージーの背中やパンツのポケットにいっぱい詰めて帰ってきた。これで栗ご飯が何度も食べられるし、正月の栗きんとんもできる。夏に買ったとうもろこしももいで冷凍にしてあるし、旅先で買ったギンナンも冷凍にした。秋の恵みを一年中食べられるから贅沢この上ない。

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薪ストーブを燃やす時期が近づいたからと原木を注文した。ところが一昨年と同様また品切れだと言う。これは困ったと思ったが、野ざらしになったやつでもよければと四立米だけ届けてもらった。例によってチェーンソウで玉切りし、斧で割って積み上げた。これだけあれば、何とか次の冬まで持つかも知れないが、節約して使わなければならない。来年の春までに次の原木が手に入ればいいのだが、手に入りにくい傾向が続くと、入手法方を探さなければならなくなる。

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forest187-7.jpg 天気がいい日は薪割り優先なので、自転車にはあまり乗っていない。この作業が済んだらと思っているが、紅葉の季節になって平日でも観光客の車が走っている。いろいろ割引があるせいか久しぶりの混雑だ。
たまには山歩きもしようと、精進湖のパノラマ台に行った。往復3時間ほどだが、久しぶりできつかった。西湖の紅葉台は往復一時間ほどだから楽勝だ。ちょうど富士山に雪が降った後だったから、いい写真が撮れた。やっぱり富士には雪が似合う。この季節になるといつもそう思う。

2022年10月24日月曜日

能登半島小旅行

 


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朝日に映える八ケ岳


今年はどこにも出かけなかったが、パートナーの誕生日だけはと能登半島に行くことにした。出発時は雨で、八ケ岳に近づく頃には晴れてきた。アルプスは雲に隠れていたが、手前の山は紅葉が進んでいた。やっぱり晴れ男・女だと思ったのだが、糸魚川が近づくあたりから雲行きが怪しくなり、日本海沿いを走ってる時は土砂降りの雨になった。親不知の海岸で翡翠を見つけはじめたのだが、雨で諦めた。どこにも寄れないと思ったが、魚津の埋没林博物館を見つけて立ち寄った。和倉温泉のホテルから向かいの能登島を眺める。天気は回復して夕焼けが鮮やかだった。

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二日目は能登半島を一回りした。まず能登島に渡り、そこから半島の先端に向けて走った。能登に来たのは大学生の頃以来で半世紀ぶりだった。半島最先端の狼煙集落にある禄剛崎灯台にはその時にも来たのだが、きれいに整備されていて、あまりの様変わりに驚いた。その後は塩田と千枚田に寄り、時間が遅くなったので、輪島はパスして金沢まで走らせた。途中、千里浜なぎさドライブウェイを走って金沢へ。

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三日目は金沢のホテルを出てすぐ高速に乗った。東海北陸道から高山に行って、安房峠から松本に抜けるつもりだったのだが、白川郷で降りて、そのまま下道を走って御母衣湖を過ぎたところで高速に戻ったために、おかしいと思った時には郡上八幡まで来てしまった。仕方がないので東海環状道から新東名経由で帰った。大回りしたために、全行程は1100kmにもなってしまった。久しぶりの長距離運転でぐったり。

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2022年10月17日月曜日

『MINAMATA ミナマタ』



minamata.jpg" ジョニ・デップが主演する『MINAMATA ミナマタ』は、制作をするというニュースを聞いてから、是非見たいと思っていた。それを見たのはもちろん、Amazonでだ。普段なら無料で見られるものしか見ていないが、これは別。水俣病にはずっと関心を持っていたし、ユージン・スミスと活動を共にしたアイリーンは、ユージンの死後京都で暮らしていて、ちょっと知っている人だったからだ。

『MINAMATA ミナマタ』は、熊本県水俣市に発生した「水俣病」をテーマにしている。高度成長期に起きた公害で日本の四大公害病と言われている。「チッソ水俣工場」による排水が不知火海を汚し、そこで取った魚を食べた人や産まれた子どもが発症した病気で、身体の痙攣や変形が症状として起きるものである。「チッソ」はその関連性を否定し続けてきたが、公害を告発し追及する運動が根強く続き、裁判で認定されたのは、ユージン・スミスが水俣に住み着いて写真を撮り続けて来た時期に重なっている。

minamata2.jpg" ユージン・スミスが水俣で撮った写真は「入浴する智子と母」が有名だ。1972年の『ライフ』に「排水管からたれながされる死 ―水銀中毒が日本の村を破壊する―」と題されたエッセイとともに発表され、水俣病が世界中に知られるきっかけになった。その写真も含めて『写真集 水俣』(三一書房)が出版されたのは、スミスが死んだ2年後の1980年だった。なお、この写真集はその後も普及版などが出されたが、映画の公開に合わせて『MINAMATA』(Creviis)が出版されている。

『MINAMATA ミナマタ』は水俣ではなく、日本の他の地でもなく、セルビアとモンテネグロで撮影されている。水俣市やチッソが反対したのかと思ったが、1970年代とは様変わりした水俣市には撮影に適した場所がなかったというのが理由のようだ。また映画には当然、多くの日本人が登場するが、一部の俳優以外はヨーロッパに在住したり滞在していた人たちを募って集めたということだった。そのモンテネグロのティヴァトの町に再現された舟小屋や居酒屋、そしてユージンの使った暗室は、そう言われなければわからないほど自然なものだった。

で、肝心な映画だが、かつては報道写真家として活躍していたスミスがニューヨークで酒に溺れた孤独な生活をしているところから始まっている。そこにアイリーンが来て、水俣病の話をして、二人で水俣に行くことになる。人生にもカメラにも絶望していたスミスが、水俣の人たちと親しくなり、病気の残酷さやチッソや日本政府の冷淡さに直面して、実情を写真で世界に伝えることを決心するのである。

『MINAMATA ミナマタ』はまるでドキュメントのように作られている。病に苦しむ人たちが入院している病院に潜入して、その変形した身体や痙攣している様子を写真に収め、チッソ工場前での抗議の座り込みでは、スミス自ら暴行を受けて負傷してしまう。写真の公表を抑えるために金を持ちだすチッソの社長とスミスとのやり取りもあって、ジョニ・デップはすっかりユージン・スミスになりきっていて、デップのすごさを改めて見た気がした。

映画はもちろん、日本でも公開されたが、それほど話題にもならなかったようだ。正確な数字は分からないが、ジョニ・デップの他の映画に比べたら、観客動員も桁違いに少なかっただろう。ただ、ネットでは見られるから、ぜひ見て欲しいと思う。何より大事なのは、水俣病は過去の話ではなく、現在でも国やチッソを相手に闘われている問題なのである。 

2022年10月10日月曜日

大谷選手のMLBが終わった

 

コロナ禍でどこにも行けなかったから、一日の中心は大谷選手の試合を見ることだった。期待以上の活躍で、投手としては166イニング投げて15勝9敗(4位)、防御率2.33(4位)、219三振(3位)、奪三振率11.87(1位)であり、打者としては打率.273(25位)、35本塁打(4位)、95打点(7位)、ops.875(5位)であった。今年もMVPをもらって当然という成績だが、62本のホームランを撃ったジャッジ選手の方だという声が大きいようだ。

打者としての規定打席数はもちろん、投手としても規定投球回数をクリアしたのは20世紀以降のMLBの歴史上初めてのことである。ホームランのアメリカンリーグ新記録よりはるかに価値のある成績だと思うが、アメリカの世論はジャッジにMVPを取らせようとしている。代わりに別の賞を作ったらという意見もあるが、それなら投手にサイヤング賞があるのだから、打者の方に新設したらいいのだと思う。もっとも、今年もMVPが大谷なら、これからしばらくは大谷ということになってしまうから、今年は避けたいと言う人が多いのかもしれない。

エンジェルスは今年も負け越しでプレイオフには行けなかった。高給取りがケガで出場できなくて、マイナーから挙がった選手や未契約のベテラン選手を獲ってやりくりしたのだから、勝てるわけはなかったのである。腹が立って途中で見るのを止めたこともあったが、必死にプレイしても、成績が悪ければ落とされたり、首になったりする厳しさはよくわかった。

メジャーに初登場した選手の多くは親や兄弟等々を呼ぶが、そのプレイに一喜一憂する様子が映されたのはほほ笑ましかった。もちろん、最初は頼りなかった選手が徐々に活躍して、メジャーに定着したというケースもあって、来年のエンジェルスは、今までよりはかなりましになるのでは、と思ったりしたが、去年の今頃もそんなことを思ったような気がする。

ところで、大谷選手は3000万ドルで来年度1年だけの契約をエンゼルスと交わした。今年が550万ドルだから445%増ということになる。ソフトバンクの選手全員に匹敵するというからすごい額だと思う。ただし、これでも安くて実質価値は5000万ドルを超えるという人もいる。他方で大谷がそうだったように、メジャーに挙がった選手は、どれほど活躍しても6年間は低い額でおさえられてしまうという現状がある。そしてマイナーの選手は、家を持つことはもちろん、食事も十分とれないほどの低賃金でプレイしなければならない。格差社会の露骨な見本と言えるだろう。

エンジェルスはオーナーが売却することを発表した。現オーナーがディズニー社から買った時の額は1億8400万ドルで、現在の価値は30億ドルを超えると言われている。所有しているだけで15倍以上に膨れ上がったのだが、スタンドが満員になることが稀だったのになぜ儲かるのか、不思議な感じがした。テレビの放映権が大きいと言われているが、エンジェルスの試合をほぼ毎試合中継したNHKやABEMAは一体いくら払ったんだろう。お金にまつわる話は、気分のいいものではなかった。

ともあれMLBが終わって、これから来年の春まで、一日をどう過ごすか。僕にとっては小さくない問題である。

2022年10月3日月曜日

やめられない、とまらない!?

 

大多数の反対にもかかわらず安倍の国葬が強行された。反対が多くて国葬を国葬儀と変えたりしたが、これを国賊葬だと思った人は少なくなかっただろう。もちろん僕もその一人だ。だからテレビ中継などは見ていないし、新聞記事もいっさい読まなかった。腹が立つより反吐が出る。反対が多かったら止める。それができないのは今度も一緒だった。これを日本人が持つ精神性として理解する人もいるが、そうではない理由も、オリンピックにまつわる利権で明らかになりつつある。

安倍の蓋が外れたせいで、検察がオリンピックにまつわる疑惑を追及しはじめている。オリンピック委員会理事の高橋治之が五輪スポンサーの選定をめぐって衣服のAOKIや角川書店等から賄賂を受け取っているという疑いだ。すでに1ヶ月半も拘留されているが、疑惑はさらに広がりを見せている。オリンピックを支援するスポンサーには4ランクあって、問題になっているのは一番下の「オフィシャルサポーター」である。ここに入るためには10億円程度の支援金が必要とされているが、高橋は、それを安くする見返りとして賄賂を要求したというのである。

もちろんこれは高橋一人に留まるものではない。委員長であった森喜朗やJOC会長だった竹田恆和の名前が取りざたされている。そもそも竹田はオリンピックの招致活動の際にアフリカ諸国の票を集めるために賄賂を使ったとして、フランス検察から疑惑を投げかけられてJOC会長を辞めているのである。そしてここには、買収資金をめぐって菅義偉や嘉納治五郎財団の名前も挙がっている。さらに、招致活動の裏には神宮外苑再開発にまつわる利権の話もあって、それを実現させるためにオリンピック招致を口実にしたのでは、といったうがった見方もする人もいる。オリンピックをだしに使って利権を手に入れようと画策したとしたら、これはとんでもない大疑獄事件になるだろう。

こんな話を耳にすると、たとえコロナがひどいことになっても強行せざるを得なかったはずだと納得させられてしまう。止められないのは利権のせい。そう考えると、原発政策も、コロナに対する対応のまずさもストンと腑に落ちる。地震と津波であれほどの被害が出たのに、再生可能エネルギーに大転換できなかった。コロナについてもワクチンや治療薬の開発ができていない。日本のIT開発の遅れは致命的だと言われているが、これも大企業と官が繋がって、新しい開発や流れを押さえ込んだからだとされている。輸出を牽引した自動車産業も、ハイブリッドや水素にこだわるトヨタのせいで電気自動車が開発できていない。

最近の円安と物価高の原因がアベノミクスの失敗にあるのは明らかだが、何の手だてもない日銀には、もはやどうすることもできない。円安と物価高はますます嵩んでいくし、日本の財政破綻といった危機的状況だって考えられないことではない。政治も経済も社会もめちゃくちゃにした安倍は国賊ものだ。そう言ったのは自民党議員の村上誠一郎だが、そんな声はわずかで、メディアの多くも押し黙っている。やめられない、とまらないの先に何が待っているか。末恐ろしい限りである。


2022年9月26日月曜日

Lady Gaga "A Star Is Born"

 

star1.jpg"レディ・ガガはマドンナの二番煎じだろうぐらいにしか思っていなかった。だから彼女のCDは一枚も持っていない。もちろんかなり過激な政治的発言をして話題になったことは知っていたが、それもまた、マドンナと一緒と思っていた。

そんな程度の関心だったが、Amazonでたまたま見つけた『アリー/スター誕生』という題名の映画を見た。もちろんガガが主演であることも知らずにだったし、誰が監督で誰が出ているかも確認しないで見始めた。面白くなければ途中でやめる。そんなつもりだったが、最後まで見て、サウンドトラックまで買ってしまった。

star2.jpg"『スター誕生』はすでに三作作られていてこれが四度目のリメイク版である。僕はこの三作目を見たはずだが、内容についてはあまり覚えていない。主演したのはクリス・クリストファーソンとバーバラ・ストライサンドで、今調べるとアカデミーの歌曲賞を取ったようだ。クリスファーソンはカントリーのミュージシャンだが、この時期には多くの映画に出ていて、そのほとんどを見ている。たとえば、ボブ・ディランと共演した『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973)、三島由紀夫の原作を映画化した『午後の曳航』(1976)、『アリスの恋』(1974)、そして『コンボイ』(1978)などである。もちろん、いい歌もあって、ジャニス・ジョプリンが歌ってヒットした「ミー・アンド・ボビー・マギー」が代表作になっている。

ガガが主演する四作目もカントリーの人気ミュージシャンに見いだされてスターになるという話である。共演したブラッドリー・クーパーは、ステージでのパフォーマンスも彼がやり、監督も務めている。知らない俳優だと思ったが、後で調べると、Amazonで見た『世界にひとつのプレイブック』(2012)でアカデミー主演男優賞にノミネートされているし、『アメリカン・スナイパー』(2014)とこの『スター誕生』でもノミネートされている。あるいは『ジョーカー』(2019)では製作者になっている人である。

で、肝心の映画についてだが、酒とドラッグに溺れたカントリーのスターだったジャクソン・メインが、たまたま入った酒場で歌うアリーに興味を持つところから始まる。その自作の歌にほれ込んで、自分のステージで一緒に歌わせたりして、彼女を人気者にし、恋に落ちて結婚もする。しかし、自分を上回る人気者になることで、また酒やドラッグに溺れるようになり、最後には自殺をしてしまう。アリーはグラミー賞を取るのだが、そこで歌うのは彼に対する愛と惜別の歌である。

いい歌が多かったからサウンドトラック盤を買ったが、あらためてガガの声量に感心した。ただ、彼女の他のアルバムについてはすぐ買おうという気にはなっていない。

2022年9月19日月曜日

島田雅彦『パンとサーカス』(講談社)

 

simada1.jpg島田雅彦の『パンとサーカス』は、2020年7月から21年8月まで東京新聞朝刊に連載された作品で、550頁にもなる大作である。彼は政治批判の発言も多く、この作品も自民党が支配し続ける日本の政治機構を壊して世直しすることがテーマになっている。2年前から1年前にかけての政治状況が色濃く反映された内容で、連載小説であることがよくわかったが、それだけに、安倍の死後に露呈している現状とは何か違うという感想を持った。

物語では二人の青年と、その一人の腹違いの妹が主人公になっている。三人は現実の日本に不満を持っていて、アメリカ留学をしてCIAに就職し、日本の政治中枢に入り込んだ一人を中心にして、政権の転覆を狙って行動するという話である。

日本は戦後ずっとアメリカに支配されたままで、今の政権も忠犬そのままにアメリカの言うなりである。沖縄の基地は返還されないどころか、軟弱地盤がわかった辺野古に無理やり新しい基地を造ろうとしているし、地位協定も何があっても改訂しようとする気もない。おまけにアメリカの兵器を言われるままに爆買いして、防衛費を増額させようとしている。

三人は協力して、首相を支える人物を暗殺し、ドローンを使って議事堂や米軍基地を襲撃する。それで政権は倒れ、日米関係にも大きな変化が訪れる。そんな内容で、日本とアメリカはもちろん、中国や韓国との表と裏の関係、暗躍するスパイや黒幕になる老人の存在など、話は複雑に入り組んでいて、エンターテイメント小説といった趣もある。読んでいて飽きさせない内容だった。

登場人物も首相は明らかに安倍だし、その周辺でこびへつらって暗躍する政治家や官僚も、誰かがわかるような設定だった。そのダメさ加減とは対照的に、アメリカの力は強固なもので、それをどうやって出し抜き計画を実行するかが、この物語の核心だった。それだけに、7月に起きた安倍銃撃と彼の死後に露呈されている、政治家と旧統一教会関係の根の深さとそれによる政治の混乱を見ると、小説との対照が際立つばかりだった。

何のことはない安倍が死んで、それまで隠していた悪事の蓋が外れてこぼれだし、旧統一教会の実態と自民党議員との関係があからさまにされているし、五輪の贈収賄の摘発に検察が血眼になっている。国葬などといったとんちんかんなことをやろうとしている岸田政権はいつまで持つかといった状態だし、自民党自体もぶざまな醜態を晒すだけである。この時期にエリザベス女王が亡くなったというのも、安倍の国葬の陳腐化を強めるだけだろう。

統一教会のために不幸な目に合わされた青年が、手製の銃で首相を狙撃したという一つの行為が、今の日本の状況を作りだしている。まさに事実は小説より奇なりで、新聞での連載が1年遅かったら、作者は結末をどうしたのだろうと、意地悪な質問をしたくなった。小説では新しい政権ができるのだが、現実の野党、とりわけ立憲民主党の存在感のなさもまた、小説とは異なっている。日本は再生などはできそうもないし、アメリカとの関係も変わりそうもない。

最後にもう一つ。僕にはこの小説の題名である『パンとサーカス』の意味が未だに分からない。これも作者に聞いて見たいこととして残った。

2022年9月12日月曜日

雨ばかりの夏だった

 

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それにしても雨ばかりの夏だった。じめじめして家の中がカビ臭い。去年は屋根の張り替えで、資材置き場にしたために取れなかったミョウガが、今年は少しだけ収穫できた。根が張りすぎたために一昨年、荒っぽく間引きもしたから、ミョウガが出てくるのは広がった周辺だけだった。ザルいっぱい取れた頃が懐かしいが、復活してくれるのだろうか。

forest186-2.jpg9ヶ月ぶりに孫がやってきた。7月に家族全員がコロナに感染したという。陰性になったから安全だと言われたが、ちょっと心配だった。近づかないようにと思っても、そういうわけにもいかない。おんぶに肩車などもやり、一緒にピザを焼き、前日に作ったシュークリームも食べた。当然だが、しばらく会わないと大きくなるし、言葉づかいも変わってくる。もっと頻繁に会えたらいいのだが、コロナが収まるまでは難しいだろう。で、数時間で帰ったが、その後1週間は、症状が出ないかと心配だった。

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雨ばかりでふやけたせいか。腐りかけの階段が壊れてしまった。新しく作り直したのだが、デッキにうまくはまらないし、踏み板が斜めになっているし、幅も一緒ではない。同じように切って、打ちつけたはずなのにと何度かやり直した。まだ気になるところはあるが、穴だらけになってしまうからと諦めることにした。引っ越してから3回目だから10年ぐらいは持ったのだろうと思う。

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ちょっと前から屋根の梁あたりで蜂がにぎやかに飛び交うようになった。二階の窓から網戸越しに懐中電灯で照らすと、蜂が何匹も近づいてきた。慌てて窓を閉めると数匹、網戸と窓の間に入り込んだ。翌日には死んでいたので、パートナーがカメラで撮って、ネットでどんな蜂なのか質問をした。そうするとチャイロスズメバチで、攻撃性が強く強力な毒を持っていると回答があった。ただ、他の蜂の巣を乗っ取ると書いてあったが、巣が梁のまわりでだんだん大きくなっているから作っているようにも見える。いずれにしても、そっとしておいて、冬になったら落とそうと思っている。

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少しはどこかに行こうと、霧ケ峰の八島ヶ原湿原に出かけた。久しぶりの好天で、湿原を一回りした。平日だったが野草や野鳥目当ての大勢の人がいて、マスクをしての散策になった。帰りは白樺湖から八ケ岳を経由して、ドライブを楽しんだ、閉じこもっていたから、ちょっとすっきりした気分になった。

2022年9月5日月曜日

最近見た映画

 

journal3-210-1.jpg"どこにも出かけないから映画をよく見ている。もちろん、映画館ではなくAmazonでだ。自分が歳取ったせいもあるが、長年見てきた俳優が同じように高齢化していることもある。で、老人ホームをテーマにした作品を何本か見た。ダイアン・キートンはウッディ・アレンの作品に出ていた頃からのファンだが、『チア・アップ』は老人ホームに入ってチアリーディング・チームを作るという話である。余命のかぎられた癌を宣告されて、最後はホームで過ごそうと思ったところから話は始まる。いくつもの難局を乗り越えて、大会に出場して大喝采を得た後で死ぬという話だが、彼女のチャーミングさは健在だった。




journal3-210-3.jpg" 『43年後のアイ・ラブ・ユー』は、演劇評論家の主人公が、昔恋人だった舞台女優がアルツハイマーになって老人ホームに入ったというニュースを見て、自分も同じホームに入るという設定である。もちろん、病気を装ってだが、彼の家族はそれを鵜呑みにしてしまう。彼の目的は、女優の病状を何とか回復させようとすることで、いろいろ昔話を持ちかけるが、彼女にはまったく届かない。しかし、そんな目的を理解した孫娘の協力で、女優がかつて演じた芝居を老人ホームで上演して、彼女の記憶を呼び覚ますことに成功するのである。





journal3-210-2.jpg"『チア・アップ』で共演していた女優が主演する映画をAmazonが勧めていたので『Stage Mother』を続けて見た。ゲイの息子が薬物依存で死んだという連絡を受けとるところから始まる。葬式に参列するためにテキサスからサンフランシスコに出かけるが、ゲイばかりの異様さに、途中で退出してしまう。しかし、息子が主役で出ていたゲイ・バーの仲間たちと親しくなり、観光客を対象にしたショー・ホールとして再建させて成功するのである。そのジャッキー・ウィーヴァーはオーストラリア出身で、『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー助演女優賞を得ている。この映画もAmazonで見ていたのだが、まったく印象に残っていなかった。

こんなふうにAmazonでの映画鑑賞が半ば習慣化している。最近見て面白いと思ったのは他にもたくさんある。聾唖の家族の中で一人だけ耳が聞こえて歌もうまい娘が、いくつもの難局を乗り越えて音楽大学に進学する『コーダ・あいのうた』、デブでいじめられっ子だった少年が、やはり歌の才能を生かしてオペラ歌手になるという『ワン、チャンス』、イギリスで捕虜になったナチスの兵士が、サッカーのゴールキーパとして「マンチェスター・シティ」に入り、やがて国民的英雄となる実話に基づいた『キーパー』、自分の不注意で家が火事になり子どもを死なせた主人公の再生物語である『マンチェスター・バイ・ザ・シー』、年老いた美術商が最後に、名前がなくて価値の定まらなかった肖像画を描いた画家を突き止めるという『ラスト・ディール』などである。

映画三昧と言いたいところだが、出かけることができないかわりに仕方なくといったところでもある。ジョニ・デップがユージン・スミス役になった『MINAMATA ミナマタ』も見たが、これは次回のコラムで書くつもりだ。


2022年8月29日月曜日

安倍の蓋が取れて出た汚物

 

安倍元首相がいなくなって自民党が大混乱に陥っている。岸田首相は打開策として内閣改造をしたが、いつもなら上がる支持率が逆に急落してしまった。それもこれも、安倍によって隠されてきた汚物がどっと噴き出してしまっているからだ。中でも特に醜悪なのは旧統一教会との関係である。内閣改造は旧統一教会と関係ある議員を外したはずなのに、新しい閣僚にもまた多くの関係者がいて、かえって逆効果になったのである。

しかしそれにしても、自民党と旧統一教会の関係の根深さには驚かされる。この教会の信者は公称では50万人を超えているが、選挙での組織票では10万票程度だと言われている。それほど多くはないが、当落線上にいる議員に集中的に集めれば、当選が可能になる数ではある。今回の参議院選挙では比例では井上義之、東京地方区では生稲晃子に集めて二人とも当選したと言われている。で、それを指示したのが安倍だったというのである。

このような手法については、安倍が最初に首相になった時にも使われたようだ。小泉純一郎が5年務めた後の首相の座をめぐって戦われた自民党総裁選挙で、当時は本命でなかった安倍が勝ったのは、自民党員による票が大きかったと言われている。党員になるためには年額4000円を納めるだけで、それを2年続ければ選挙資格が得られるから、安倍は統一教会の信者を多数党員にして総裁選に臨んだというのである。だとすれば、統一教会との関係はすでに15年以上にもなる。しかし第一次政権は短命だったから、「世界平和統一家庭連合」に名称変更が認められたのは、第二次安倍内閣発足後の2015年になった。

安倍が倒れて蓋が外れた影響は、検察にも及んでいる。オリンピックの組織委理事だった高橋治之が、スポンサー契約をめぐって衣服メーカーAOKIとの間にあった贈収賄容疑で逮捕された。しかしこれは入り口に過ぎず、オリンピック招致でアフリカに提供された賄賂や、さらには神宮再開発計画などについて検察は自民党の現職議員、それも大臣や首相経験者にも捜査の手を向けはじめているといった情報もある。オリンピック招致に積極的に動いた安倍や石原元東京都知事はすでに故人だが、まだ元気な人たちは戦々恐々の思いだろう。

嘘を平気でついた安倍はまた、国の統計数字をも改竄していたようである。国土交通省は2013年度から20年度にかけて34.5兆円統計不正を行っていたことが報じられた。アベノミクスによるGDPの拡大を政策に揚げた手前、それが実現したかのように見せかけようとした疑いが持たれている。これはもちろん安倍本人がというのではなく、官僚の忖度によるものである。果たして同じことが他の省庁ではなかったのか。疑念は尽きることがない。

記録や書類の改竄はすでに森友加計桜問題でも明らかである。都合の悪いことは隠せ、直せ、騙せ、知らんぷりをしろといったやり方や態度が、安倍政権下では日常化していたと言わざるを得ない。旧統一教会と政治家の関係もまたその一つだが、これから一体何が出てくるのか。安倍が溜め、蓋をして隠していたことが次々明るみに出ているのに、岸田首相はまだ国葬をやるつもりでいる。手遅れにならないうちに中止の宣言をしないと、政権が倒れる事態になるのは目に見えている。

2022年8月22日月曜日

Eric Clapton "The Lady in Balcony"

 

clapton2.jpg"エリック・クラプトンは今年77歳になった。日本で言えば喜寿の歳だ。デビューは1960年代初めだから、音楽活動はすでに60年を超えている。で、新しいアルバムを出した。"The Lady in Balcony"は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで予定されていたコンサートがコロナで中止になり、その代わりにライブハウスで行った小さなコンサートを収録したものである。

だから新しい曲はなく、使われている楽器の多くはエレキではなくアコースティックギターである。ライブ盤といっても聴衆がいないから、曲の合間に拍手も掛け声もない。本来なら大きなホールでやるはずだったものが、コロナで出来なかったということをメッセージとして残しておきたかったのだろうか。

クラプトンはエレキ・ギターの名手として知られていて、その奏法にはスロー・ハンドという名前が付けられている。指の動きはゆっくりしているように見えるのに、生きた音が繰り出される様子を形容したものだと言われている。何しろその格好良さで日本にも多くのファンがいて、来日すればいつでも武道館が一杯になるほどだった。

エレキ・ギターの名手としては他に、ジミー・ペイジやジェフ・ベックなどが挙げられるが、いずれもヤードバーズのギタリストだった。面白いのは三人ともヤードバーズを抜けて新しいバンドを作ってから有名になっていることだ。クラプトンはクリーム、ペイジはレッド・ツェッペリン、そしてベックはジェフ・ベック・グループである。そんなことを書いていると、60年代から70年代にかけて聴いていたブリティッシュ音楽が思い起こされて懐かしくなる。

ただし、クラプトンについて思い出すシーンは、彼が主役ではなく脇役として登場するコンサートばかりである。たとえばジョージ・ハリスンが呼びかけ人になったバングラディシュの食糧危機支援のコンサートやザ・バンドの解散記念コンサートのザ・ラスト・ワルツなどである。彼はそこでギターとバック・コーラスばかりだったが、主役に負けない存在感があった。

僕がクラプトンをよく聴くようになったのは、生ギターを主にしたアンプラグドというシリーズの中で発表した「ティアーズ・イン・ヘブン」以降である。その後の「フロム・ザ・クレイドル」 (1994)、「ピルグリム」 (1998)などを聴いてから、それ以前の「アナザー・チケット」 (1981)や「ビハインド・ザ・サン 」(1985)、「オーガスト 」(1986)、そして「ジャーニーマン 」(1989)なども聴くようになった。

"The Lady in Balcony"は、そんな彼が歌い演奏してきた曲で構成されている。昔とあまり変わらない声で、それほどギターを目立たせずに静かに淡々と歌っている。参加ミュージシャンと車座になっているところとあわせて、すぐそばで聴いているような気持ちになった。