2006年4月24日月曜日

かわいいとクール

 

四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま文庫),D.パウンテン、D.ロビンズ『クール・ルールズ』(研究社)

・はやりことばはその都度気になる。けれども消えていくスピードが速いから、なぜと考える機会を逃すことも少なくない。そんな中で「かわいい」は、例外的に長生きしていることばである。ただし、ぼくは「かわいい」におもしろさは感じなかった。使われ方に「なぜ」と疑問を持つものがない気がしたし、ことば以前に「かわいいもの」自体が氾濫していて、ことば以上にうんざりしていたからだ。
・四方田犬彦の『かわいい論』には大学生にしたアンケートの分析がある。「かわいいの反対語は何ですか?」という質問に対する回答には、1)同義反復(かわいくない)、2)肯定的形容詞(美しい、など)、3)否定的形容詞(醜い、など)、4)希薄さの形容詞(ふつう、など)があって、「かわいい」もなかなか含蓄のある使い方をされているのだ、ということに気づかされた。
・この結果によれば、「かわいい」は単に不細工なものや醜いものの反対というだけでなく、「美しい」や「きれい」、あるいは「賢い」といった肯定的な意味をもつはずのことばとも対照される。さらには、それは良くも悪くもない「普通」の状態とも区別されている。このような傾向をまとめて四方田は「かわいい」の輪郭を次のようにまとめている。
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それは神聖さや完全さ、永遠と対立し、どこまでも表層的ではかなげに移ろいやすく、世俗的で不完全、未成熟な何物かである。だがそうした一見欠点と思われる要素を逆方向から眺めてみると、親しげでわかりやすく、容易に手に取ることのできる心理的近さが構造化されている。P.76

・「かわいい」と感じる対象は「保護を必要とする、無防備で無力な存在」であり、そこには「対象を自分より下の劣等な存在と見なして支配したい欲求」が認められる。さらには、支配できないものを無力化させることで「かわいい」ものに変形させてしまうといった工夫もある。それは、著者によれば、「ノスタルジア」と「ミニュアチュール」で、それを仲立ちするのは「スーヴニール」だということになる。

われわれの消費社会を形成しているのは、ノスタルジア、スーヴニール、ミニアチュールという三位一体である。「かわいさ」とは、こうした三点を連結させ、その地政学に入りきれない美学的雑音を排除するために、社会が戦略的に用いることになる美学である。p.120

・「かわいい」は「ノスタルジア」として「歴史」を隠蔽し、「ミニュアチュール」として「実物」を歪曲させる。それは現代の消費文化のエネルギー源であり、また日本人の感覚に古くから根づいてきたものでもある。それはきわめて日本的なものでありながら、同時に「文化的無臭性」を特徴とする新しい文化商品としてグローバルに輸出されている。こんな指摘に納得したら、欧米で盛んに使われている「クール」が気になりはじめた。

・「クール」も「かわいい」同様、例外的に長続きしている流行語だ。『クール・ルール』によれば、それは、表紙になっているジェームズ・ディーンがヒーローになった50年代から目立って使われるようになったが、その源流はアフリカ系アメリカ人が身につけた処世術としての態度や心持ちにあるということだ。
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<クール>は、奴隷や囚人や政治的反体制派など、反抗心を露わにすると罰せられる反逆者や敗北者によって培われた態度だった。そのため<クール>はその大胆な反抗を、皮肉な無関心という壁の裏に隠し、権力の中枢に真正面から立ち向かうのではなく、むしろそこから距離を置いた。50年代以降、この態度が芸術家や知識人に広く取り入れられ、それによって<クール>が大衆文化に浸透していった。p.31

・「クール」は50年代のビート族やジャズ・ミュージシャンからはじまって、60年代のヒッピー・フェスティバルでも、70年代のパンク・パーティでも、あたかもはじめてうまれたことばのようにして使われてきた。そして、80年代以降になると広告産業のコピーとして派手に利用されるようになる。著者はその理由を、「クール」ということばにある「社会のしきたりに対する反抗的な態度」と「強い仲間意識」、さらには自己満足的な「個人主義」という意味合いにみつけている。
・彼らによれば、「クール」を支えるのは「ナルシシズム」「皮肉な無関心」、そして「快楽主義」の三本の柱である。それは、時に時代に反抗する精神の表象になり、また時には、消費文化を個性的にリードする鍵になってきた。対抗文化が反社会的で反物質的な主張と態度を取ったにもかかわらず、それが70年代以降の消費社会を生みだす源泉や原動力になった理由が「クール」ということばにこめられているといわけである。
・この意味では「かわいい」と「クール」は。現代の消費文化を扇動する二本の柱ということになる。日本的なものとアメリカ的なもの、女的なものと男的なもの、無力なものと、力をちらつかせるもの………………。このように違いのあるものが、二頭立ての馬車になっている。改めて、現代の文化状況にそんな図をかぶせると、なるほどと思い当たる部分がたくさん見えてくる。

2006年4月17日月曜日

遅い春は一気にやってくる

 
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河口湖から御坂トンネルを越えて甲府に行く137号線は、季節ごとに風景が変わって見応えがある。冬は、甲府の街の先に雪を被った南アルプスがみえたが、今は一面の花模様だ。桃の花が絨毯を敷き詰めたようにひろがる景色は壮観だし、なにより色っぽい。まさに桃源郷である。
そんな景色を見ようと出かけたが、途中の黒駒では桜が満開で、小高い山の上の寺が気になって立ち寄ることにした。廣徳禅寺という名だが、入り口にりっぱな石像があった。「珍棒大明神」。なるほどとしばし眺めたが、その周辺には桜の大木が並んでいて今まさに満開。どれもこれも見事である。訪ねる人は少なくて、もったいないほどだが、寺にはそのほかにもスモモや桃の林があり、境内にはツツジや椿、あるいは梅の木があって、どれにも花がいっぱい咲いていた。まさに百花繚乱である。 

 

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天気はあいにく曇り空。しかし、今にも咲きそうな桃の花の向こうにみえる御坂山系はなかなかいい。甲府盆地は今、桃の花の満開で、これから少しずつ上に上がっていく。この寺のあたりは、今はスモモが満開で、あとは茶色が目立つが、あと1週間もしたら桃色になり、1ヶ月もしたら緑一色になる。夏には桃、スモモ、秋にはブドウと果物が豊富にみのる一帯である。雨が多すぎたり、温度が低かったりといった年にならないように。
   

137号線は河口湖から御殿場に向けては138号線になる。山中湖から篭坂峠を越えると静岡県に入る。自衛隊の大きな駐屯地のある須走から富士山を周遊するスカイラインを通り、有料の南富士エバー・グリーン・ラインを下ると、広大な演習場に隣接した「富士サファリ・パーク」がある。
 
photo35-11.jpgそれほど行きたかったわけではないが、ものは試しと出かけてみることにした。雪を被る富士山を背景に象やライオンの放し飼いというのは、何とも奇妙な風景だ。しかし、富士をキリマンジェロと思えば、そうでもないか、という気にもなった。

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photo35-13.jpg 園内は車に乗ったまま周遊できる。ドアや窓は絶対に開けないこと。当たり前の話だが、猛獣たちがあまりにものんびりしているから、ついつい近づいてさわってみたいなどと思う人がいるのかもしれない。ここは昨秋、飼育員がライオンに殺される事件があったばかりだ。だからというわけはないのだろうが、ジープに乗った監視員があちこちにたくさんいて、維持管理、運営するのは大変だと感じた。のんびりした動物ばかりだったせいだろうか。猛獣に驚きや興奮といったことは少なくて、ほかにもよけいなことばかり考えてしまった。冬のあいだは動物たちは閉じこめられたままなのか、とか、経営が行き詰まって動物の行き場がない、などといったことがないようにとか、ゴールデン・ウィークの混雑はものすごいことになるのだろうなどなど………。

2006年4月10日月曜日

野茂とイチロー

 

・WBCでの日本の活躍で、今年は春から野球を満喫した。韓国に連敗して「もうおしまい」と思ったところで生き返ったから、注目度はいっそう増したようだ。審判のおかしな判定、というよりはそれ以前に、中立国の審判をおかないという奇妙な大会への批判などもあって、改めて、野球のローカルさを露呈したが、アメリカが必ずしも強いわけではないことが証明されて、おもしろかった。

・ただし、「感動をありがとう」とか、日韓のナショナリズムをめぐるやりとりなどには閉口である。たかが野球、されど野球。それ以上でも以下でもないのに、やっているのは選手たちで、それ以外は見て楽しんでいるにすぎないのに、例によってメディアは騒ぎすぎで、それに乗って浮かれる人たちが多すぎる。何で帰国した選手たちを成田まで迎えに行こうなどと思うのか。ぼくは理解に苦しんでしまう。自分自身のまわりには何も夢中になるものがないのか、メディアに登場したものでないと心やからだが動かされないのか。そんな傾向がやたらと目立つ昨今である。

・とはいえ、ぼくも試合以外の野球関連のテレビ番組をよく見た。関心をもったのはイチローの豹変ぶりである。アメリカに行ってからの彼は、まるで孤高の武道家のように振る舞ってきた。それが、日の丸を背負ってはしゃぎまわったから、おやおやどうした心境の変化かと興味を感じた。王監督に敬意を示し、代表選手とのあいだに一体感を自覚する。勝つことに飢えていたのか、本当は意気投合できる仲間が欲しかったのか、とにかく、彼についての印象が様変わりしたことは間違いない。

・2月にBSでイチローと矢沢永吉の対談番組があった。タイトルは「ヒーロー〜」だったと思う。うんざりして途中でチャンネルを変えてしまったが、二人のナルシストぶりや、自分をヒーローだと信じて疑わない姿勢には呆れてしまった。人にはできない何ごとかをなした人間には、そのことを自慢して語る資格がある。かれらから伝わってくるメッセージは、その一点に尽きたが、お互いよく似た者同士であることがよくわかった。

・イチローはこの冬に、テレビドラマにも登場したようだ。役者としてのイチロー。ぼくはドラマは見ていないが、それは大いに可能性があると思った。彼はかっこうよくありたい、他人から羨望のまなざしで見つめられたい、ということをつねに意識してふるまっている。そんな特徴は以前から感じていたが、矢沢との対談で、そのことを確認し、WBCのはしゃぎぶりではっきりと確信した。実はぼくは、デビューした頃から、彼が大嫌いである。それは、ずっと、野茂に対する敬愛の気持ちと対照をなしてきた。

・野茂は去年デビルレイズで日米通算200勝を達成したが、7月には解雇されて、その後のシーズンをヤンキースのマイナーで過ごした。先発ピッチャーに穴が空けば、出場のチャンスもあったのだが、マイナーの試合ばかりでシーズンを終えた。メジャーで長年活躍した選手がマイナー落ちするのは屈辱である。プライドを気にする人ならとても堪えられることではない。しかし、野茂は例によって飄々として、メジャーで投げられるように頑張るとだけ言いつづけた。マイナーの選手であれば、練習や試合の後にグラウンドを整備したり、移動がバスであったり、食事がハンバーガーだけだったりする。しかし、野茂はそのことにつらさやみじめさを感じているそぶりは見せない。「借金かかえて大変だったんだよ。頑張ったんだよ」と自慢げに話す矢沢永吉とは大違いで、野茂の口からは、「メジャーでもっと野球をやりたいから」という以外のことばは出てこない。

・野茂は今年、なかなか所属先が決まらず、メジャーのキャンプが始まってずいぶんたってから、ホワイトソックスとマイナー契約を結んでキャンプ地に出かけた。ホワイトソックスは去年のワールド・チャンピオンで投手力のよさには定評がある。ローテンションに入りこむ可能性が一番厳しいチームをなぜ選んだのか。理解に苦しむが、ほかに受け入れてくれるところがなかったとしたら、ずいぶん見くびられたものだと思った。

・野茂はそのキャンプでも目立った成績を残せずに、シーズンをマイナーではじめた。果たしてメジャーにあがれるのか、マイナーで投げつづけるのか。メディアはほとんどなにも伝えてこないから、すでに忘れられた存在になってしまっている。しかし、ぼくはそれを見捨てられたなどというふうには思わない。野茂は、瞬間的なヒステリーと記憶喪失症が常態化したメディアからは無関係なところにいて、誰がどう思うかなどということは気にせず野球を楽しんでいる。こういう人を現代の「ヒーロー」というのだと改めて感じた。 (2006.04.10)

2006年4月3日月曜日

古本屋さんからのメール

 

・「アマゾン」で本を探して、古書で買い求めることが多くなった。品切れ本が多いのが一番の理由だが、新品に比べて安いのも大きな魅力になっている。傷みがひどいものなど一度も届いていないから、使う頻度はますますふえそうだが、驚くのは、読んだ痕跡がほとんどないような本が多いことだ。帯やカバーももちろんついているものが多い。これはぼくにはとても考えられないことである。
・ぼくは本を買うとまず、帯を捨ててしまう。これは売れるまでの広告としてあるものだと思うし、本棚に並べて出し入れしているうちにどうせ破けてしまうからだ。第一、読んでいるときには邪魔になる。以前には、硬表紙の外側に薄紙のカバーがかかっているものがあったが、これも読みはじめる前に外して捨ててしまっていた。
・で、読みはじめると、書き込みをし、マーカーやボールペンで印をつけ、さらに付箋を貼り、頁の角を折ったりもする。手を洗ってから読むといったことはしないから、読み進むと本の下部(地)に読んだところだけ手あかがつく。習慣でどうしてもそうしてしまうのだが、汚れていくのが読んだことの証のように感じられてしまうから、いまさら改める気にもならない。
・こんなことを意識したのは、ユーズドの本の様子が「多少使用感あり」とか「書き込み少々」「日焼けあり」などと説明されていたからだ。当然、その汚れの程度によって、同じ本でも値段がちがってくる。だとすると、ぼくのもっている本は、古書店に持ちこんでも安く買いたたかれてしまうものばかりになる。売る気はないが、買うばかりで研究室も家も本で溢れかえって整理に困るほどだから、ぼちぼち処分することも考えなければならないのだが、どれもこれも二束三文では、いちいち選択して古書店に持ちこもうなどとは思わない。
・アマゾンでユーズド本を買うと、売り主からメールが届く。大体古書店であることが多い。ネットではどこにある店かはわかりようもないから、メールに書いてある住所を見て驚くことが少なくない。札幌から鹿児島まで、注文するたびにまちまちで、こんどはどこから来るか、楽しみだったりもし始めている。そんなメールに「処分したい本があったら引き取ります」などと書いてあると、読んだ本の汚さがいっそう気になったりもするのである。
・もっとも、蔵書には買っただけで、読んでないものや一度もあけてない本もかなりある。そのときは必要と思ったけど、結局読まなかった本、読みはじめたけどつまらなかった本、むずかしくて放り出してしまった本。そういうものなら売ってもいいし、きれいだから、それなりの値段をつけてくれるかもしれない。思いがけず高値がついているのがあるかもしれない。そんなことも思って、すでにもっている本の値段を調べたりもするようになった。もっとも、本棚の整理をやろうという気まではおこっていない。
・古書店からのメールには、「お探しの本がありましたら、お申しつけください」などとも書いてある。それが鹿児島だったり福島だったりすると、大丈夫か、と思ったりするけれども、欲しい本が日本全国から探せるというのは、何とも便利になったものだと思う。しかし、それはまた、ネットやブック・オフのような古書のチェーン店ができたことによって、本屋さんの商売が、店頭だけでは成り立たなくなったことも意味している。
・京都に住んでいる頃は、特に探している本がなくても古書店はよくのぞいていた。京大や同志社の周辺には専門書がおいてある店がいくつもあった。大阪に出かけることが多くなった頃には梅田のガード下にある梁山泊や有名な天牛といった店にもよく出かけた。たまに東京に出かけたときには神田の本屋街に行くのが決まりだった。けれども、今は古書店はもとより、本屋自体に出かけることがない。
・ぼくのようにアマゾンなどのネットで買い物をする人が増え、一方で、大型の書店が目立つようになっている。そんな意味では、ネットでの商いは、街の小さな本屋さんが生きのびる数少ない道の一つなのかもしれない。だったら、なるべく古書で買おうか。きれいな本が安い値段で来るんだから、新品を買う必要もないし。今日届いた本は、新潟からやってきた。何となく、楽しい気がするのは、どうしてだろうか。