2005年4月26日火曜日

富士と桜





今年の桜は平年通りだったようだが、去年が早すぎたから、東京の桜はずいぶん遅れているように感じた。しかし、河口湖は意外に早く4月の中旬から咲き始めた。その後、寒さが戻って、夜明けに零下になる日もあったから、いつもより長く咲いている。ソメイヨシノ、富士桜、大島桜とそれぞれに、花の大きさも色も違うし、葉の出方も異なるから多様でおもしろい。




いつも通り、庭の春は蕗の薹からはじまる。雪がまだ残る庭の日だまりにしっかり芽を出してくる。それを摘んで苦みを天ぷらで味わう。もう少ししたら蕗のしぐれ煮だ。雪が消え、まだ茶色の庭にいち早く出るのは片栗。大きな二枚の葉っぱが地面から直接生えると、真ん中から紫の花がにょっきり顔を出す。今年は去年よりもだいぶ増えて20ほどの花が咲いた。2から4,4から8、8から12,そして今年は12から20。来年は30!となったら、もうしっかり群生地だ。片栗が消えると次々に草花が出てくる。踏まれても強いのがスミレ。小さいがきれいな青い花だ。


  

日時:2005年4月26日

2005年4月19日火曜日

追悼 高田渡

 

wataru1.jpg・高田渡が死んだ。享年56歳、僕と同い年だった。あまりに早い死だが、ずいぶん前から、体は悪かったようだ。酒を断たなければ長生きはできない。そういう忠告を間近で聞いたのは8年半ほど前だったが、その後もやめなかったようだ。
・BSで吉田類が各地の居酒屋を巡る番組「酒場放浪記」をやっている。毎日15分。僕は酒飲みではないが時々みている。しばらく前に吉祥寺の立ち飲みの屋台を紹介していて、僕も行ったことがあるから、興味深くみていたのだが、突然、カメラの前を高田渡が横切った。知らぬフリしてわざとやったのかもしれない。だとしたら、いかにも彼らしいいたずらで、僕は笑ってしまったが、同時に、昼間からしょっちゅう来て飲んでるんだ、と思って、体のことがまた気になった。
・僕が彼に最後にあったのは「中山容さんを偲ぶ会」だった。それについての文章に、彼との出会いを次のように書いた。

wataru2.jpg 30 年前、僕は予備校の授業をさぼって吉祥寺の南口にあった「青い麦」でフォークソングのレコードを聴いて過ごし、井の頭公園でギターの練習をした。そこで高田渡と何度か会った。彼をはじめて知ったのは四谷の野中ビルで開かれた「窓から這いだせ」という名のコンサートだった。その後、東中野や阿佐ヶ谷、あるいは豊田など中央沿線で小さな会場を借りたコンサートが行われ、僕も何度か歌った。会を設定し、若い歌い手を集め、歌の批評やアドバイスをし、相談に乗ったのが中山容だった。

wataru3.jpg・中山容は片桐ユズルと一緒にフルブライト留学生としてアメリカに渡り、ビートニクの影響を受けて日本でビート詩を書いた人だ。公民権運動や反戦活動とともにフォークソングが注目されると、ピート・シーガーやボブ・ディランの歌を訳して若い人に歌わせるようになった。場を設定して小さなコンサートを開き、やんちゃな連中を引率してフォーク・キャンプをして回った。そんな活動がやがて「関西フォーク運動」になったのだが、高田渡はひときわ脚光を浴びるフォークシンガーだった。
・高田渡に久しぶりにあったのは、その容さんを見舞いに行った京都の病院だった。中川五郎も来ていて、容さんは「渡ちゃん」「五郎ちゃん」と呼んで、懐かしい昔話に花を咲かせた。その時に、高田渡が死ぬほど体が悪くなり、琵琶湖の病院で療養生活を過ごしたことを聞かされた。原因は酒の飲み過ぎで、話したのは、同席したその病院の院長だった。彼もまた、学生時代にフォークソングにのめり込んでいた一人だが、その時のやりとりを中川五郎の小説をレビューしたときに次のように書いた。

goro3.jpg 2年半ほど前にボブ・ディランの訳者の中山容さんが死んだが、ぼくは入院先の病院でたまたま彼と会った。高田渡ともう一人、滋賀県の病院長をしている人と一緒に容さんを近くの喫茶店に連れだして話をした。みんな関西フォーク運動を経験した仲間達で、年長の容さんには世話になった。その時、渡ちゃんか五郎ちゃんかどちらかが、「なまじ音楽の才能がない方が出世したみたいだね」と言った。確かにこのメンバーでは、才能がなくて早々音楽の道をあきらめた者が医者や大学の教員になっている。「あー、そういうことになるのか」と思ったが、それはあくまで30年も経った後の話でしかない。

wataru4.jpg・高田渡にも中川五郎にも「容さんを偲ぶ会」以来会っていない。しかし、彼らの歌は最近のCDの復刻版で改めて聴くようになった。高田渡の歌は、明治時代の演歌士添田唖然坊の歌詞をフォークやブルースの古い曲に乗せたものであったり、黒人の詩人ラングストン・ヒューズの詩であったり、あるいは金子光晴や山之口貘の詩であったりもする。しかし、どんなものも、彼の手にかかると高田節になって違和感なく聞こえてしまう。しかもそれは、もう三十数年前に吉祥寺の井の頭公園で聴いた時の印象から変わらない。大学ノートに書き込んだ歌詞をめくって次々歌ってくれて、その場で腹を抱えて笑ったのを今でもよく覚えている。その時から、僕よりずっと年上の人に思えたが、枯れつきてしまうのもまたあまりに早すぎた。ご冥福をお祈りします。

2005年4月12日火曜日

S.ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)

 

sontag1.jpg・スーザン・ソンタグが死んだという記事を目にして、驚いた。9.11以降のアメリカを危惧して活発な活動をしていたのに、なぜ、あー、残念という気がして悲しくなった。『写真論』『ラディカルな意志のスタイル』(晶文社)や『反解釈』(筑摩書房)、そして『隠喩としての病い』(みすず書房)など、彼女の本から得たものは少なくない。何より、思慮に富んで歯切れがいい文章が好きだった。で、まだ読んでいない本を何冊か買って読んだが、報道写真をテーマにした『他者の苦痛へのまなざし』がおもしろかった。
・9.11以降、戦争によってもたらされた悲惨さを記録した写真やビデオを見る機会が増えた。これでもかという愚行のくりかえしに、暗澹とした思いにさせられる。けれどもまた、食傷気味という感じを覚え、その説明のつきにくい矛盾した感情にとまどう自分も自覚してしまう。暗澹とした思いはわかる。しかし、食傷気味とは、どういうことなのだろうか。たまに見て刺激にしたいということなら、バイオレンス映画に期待するものと変わらない。いったい僕は戦場の悲惨の写真に何を見ているのだろうか。
・『他者の苦痛へのまなざし』には次のような文章がある。


写真は混じり合った信号を発信する。こんなことは止めさせなさい、と写真は主張する。だが同時に写真は叫ぶ。何というスペクタクルだろう。(p.75)

・写真にたいする二つの相反した反応。ソンタグはそれを、前者は理性や良心にもとづくもの、後者は身体が暴力を受けるイメージにつきまとう性的な興味だという。もちろん常識的には、誰もが前者を肯定し、前面に出し、後者を否定、あるいは隠蔽する。しかし、忌まわしいものではあっても、あるいは、忌まわしいものであるがゆえに、後者は誘惑力を持つ。
・このような指摘は、もちろん全く新しいというものではない。新聞が部数を増やしてマスになったのは、世界中どこでも、戦争の報道がきっかけだった。惨事があれば売れる。それは現代の新聞でも変わらないし、何よりテレビに明らかだろう。今や、ニュース・レポーターが戦車に乗って生中継する時代なのだから。
・だから、特にテレビによる報道のスペクタクル化が批判されたりもする。そこで言われるのは、残忍な行為や犯罪を記録した写真は楽しみではなく、義務として、事実を直視するために見るべきものということだ。それは正論だが、正論でしかないから、またほとんど、説得力を持たない。そうは言っても、心の底から湧き出てくる関心や興奮は抑えがたいからだ。
・ソンタグは、そう考える基盤にあるのは、平和が規範で戦争を例外とする倫理観だという。そして、人間の長い歴史を見れば「戦争は人間が常習的に行うもの」だったことがわかるという。

現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。それは報道が娯楽に転化されているような、世界の富める場所に住む少数の知識人のものの見方の習性を一般化している。(p.110)

2005年4月6日水曜日

「男」と「女」

 

・テレビのニュースでは事件の容疑者の性別に「男」「女」をつかっている。たとえば、「殺人の容疑で逮捕されたのは〜。この女(男)は………」といったようにだ。実際、いかにも悪いことをしたヤツという印象を受ける。いつからこうなったのかはっきりしないが、最近変えたのだとしたら、それ以前は何と言っていたのだろうか。とにかく、この呼び方、特に「女」が気になって仕方がない。もちろん不快にである。
・ニュースでは容疑者と区別して、被害者には「女性」「男性」という呼び方をするから、「女」「男」は明らかに敬称なしという扱いである。しかし、新聞で読むぶんにはさほど気にならないのに、耳からはいる「おんな」「おとこ」からはどうしても、侮蔑や叱責のニュアンスを感じてしまう。読むと聞くの違いか、あるいはアナウンサーやキャスターの読み方の問題なのだろうか。
・僕が気になるのは、容疑者の人権といったことではない。「女」と「男」ということばの扱いかたについてである。これではニュートラルな意味での「女」「男」の使用を躊躇せざるをえない。「女性」「男性」を使えばいいではないかと言われるかもしれないが、僕は以前から「性」をつけることの方に抵抗感をもっている。
・「ウーマンリブ」の運動が社会的に認知されたときに、「ウーマン」は「婦人」や「女性」ではなく「女」なんだと教えられたし、丁重な言い方が隠す蔑視や差別の意識の方が問題なんだということにも気づかされた。たとえば、排泄の行為を直接示す「便所」の代わりに「手洗い」が使われたり、「トイレ」や「レスト・ルーム」が使われたりする。しかし、ことばを婉曲的にしても、それが指すこと、示すもの、あるいは行為に変化があるわけではない。
・確かに「女」には、男にとっての「性の対象」(いい女)、あるいは「男の所有物」(俺の女)といった使い方がある。「あの女」と言ったら、そこには敬意は感じにくいかもしれない。しかし、「いい女」「あの女」は誰がどこで誰にどんなふうに言うかによって多様だし、「俺の女」は所有物として考える男の意識の方が問題なのである。
・ニュースでの「男」「女」の使い方は、こういったニュアンスを無視して、叱責ばかりを強調する。このような使い方が定着すると、「男」「女」は「便所」と同じような使いにくいことばになってしまう。僕はあくまで抵抗して、「男」「女」を使うつもりだが、いったいいつまで可能なのだろうか。
・そんなことを考えていて、今まで見過ごしていたことに気づいた。「ウーマンリブ」が「フェミニズム」と名前を変えた理由は何だったのだろうか。一部の人たちの運動から一般的な意識への広まりにともなった婉曲的な言いかえだったのだろうか。ちょっと調べてみたくなった。「フィメイル」や「メイル」には「雌」「雄」という意味があって、人間以外にもつかわれる。英語のニュアンスとしてはどうなのだろうか。
・ついでに「性」に関連して、気になっていることをもう一つ。院生や若い研究者がやたら「〜性」ということばを使いたがる点だ。たとえば「関係」と言わずに「関係性」と言ったりする。「男と女の関係」ではなく「男と女の関係性」。ここにどのような意味の違いがあるのか、よくわからない場合が多いのである。「性」をつけるとそれらしく感じられるということなのだろうか。一種のアカデミックな婉曲語法なのかもしれない。しかし、これははっきり言えば「曖昧さ」と「深遠さ」の取り違えである。僕はこんな使い方にも不快感をもってしまう。