2005年3月30日水曜日

ホリエモンの魅力と怖さ

 もう一ヶ月以上、テレビのニュース番組が「ホリエモン」でにぎわっている。ニッポン放送を買収し、次はフジテレビ。ホリエモンこと堀江貴文はまだ30代の前半で、そんな若造が巨大なメディアを相手に乗っ取りを仕掛けたというのだから、話題になるのは当然だろう。喝采も多いが反発も強い。僕は興味もってずっと見守ってきた。


ホリエモンを最初に見たのは「オリックス」に吸収合併される「近鉄」の買収に名乗りを上げたときだ。僕はそれまで、堀江貴文はもちろん、「ライブドア」という会社もネット上のサイトも知らなかった。それはネット・ビジネスの急成長を認識させられる機会でもあった。ところが、日本のプロ野球機構は「ソフトバンク」と「楽天」は認めても、「ライブドア」をまっとうな相手として認めようとしなかった。


堀江はその後メディアにしょっちゅう登場して童顔の太った風貌から「ホリエモン」という愛称で呼ばれるようになった。ところが、そのポケットからとんでもないものが飛び出して世間を驚かせ当惑させることになったのである。
僕がホリエモンで特に関心をもったのは、彼がネクタイを締めないことだった。それはどこで誰に会う場合でも徹底しているから、彼の中では強いポリシーになっているのだと思う。ささいなことに見えるかもしれないが、ネクタイは、大人たちがフォーマルな関係を持つ際には必ず身につけなければいけないアイデンティティ・キットとしてみなされている。だから、ノーネクタイは、守ることが前提とされているもろもろのルールや慣行が、暗黙の了解事項ではないことの意思表示にもなる。


ホリエモンの手法は実際に、このノーネクタイに象徴されるように、暗黙の了解事項を無視したり、積極的に打破することを基本にしているようだ。つまり、彼はプロ野球機構、日本の企業形態、日本のマスメディア、そして株取得の意味や方法について、明文化されたルールではないが常識化した慣例を無視し、それに異議を唱えるスタイルで行動をおこしてきた。だから反発も強いのだが、彼が切り崩そうとする壁は実際に、老朽化や腐敗などのさまざまな問題を引き起こしてもいる。


たとえば、国土計画と西武鉄道の問題は、堤義明が同族経営を維持して株式を他人に支配されないように画策した行為が犯罪として追求されている。けれども、これは程度問題で、どんな会社も乗っ取りを恐れて関係のある会社と株を持ちあうことはしている。あるいは創業家の威光が大企業になっても弱まらないところも少なくない。だからホリエモンの行動が「他人の家に土足で上がりこむ」といった言い方で非難されるわけだ。しかし、株式とは公開されたものだから、「他人の家」といった意識そのものが極めて日本的なのである。


日本的といえば、小さな国土計画が大きな西武鉄道の親会社になっているという形態も奇妙だ。同じことはフジテレビとニッポン放送の関係にも言えるが、どちらも組合を持たない企業であったという点でも共通している(フジテレビにはあった)。ニッポン放送の社員は今度の事態で急遽組合を結成して、乗っ取りに反対する声明を出した。それに同調して、出演を拒絶する人たちも出はじめたが、まったく家族主義的な発想だと思う。ビジネスは公的なもので家族といったプライベートなものとは違うはずだが、日本の社会には、そのけじめがほとんど存在しないのである。


この点の善し悪しは、「家族的」を「私物的」と読みかえたら、ずっとはっきりするだろう。プロ野球の球団を持つオーナー達の発想が一般の野球ファンから反発を買った点がここだったはずである。そしてニッポン放送やフジテレビ、あるいはマスコミ関係者が共通感覚(常識)として訴えようとしているのも、まさにこの点に他ならない。 

日時:2005年3月30日

2005年3月25日金曜日

農鳥その後

 

notori1.jpeg・いつも富士山を眺めていて気づかなかった「農鳥」を見つけてから、毎日、その姿が気になるようになった。そうすると、鳥はしょっちゅう見える。だから、「な〜んだ」という気がして、ありがたみがなくなってきた。
・しかし「写真館」に農鳥?を載せて、知人に連絡したら、たくさんの反応がかえってきた。事後承諾で、そのいくつか紹介してみよう。

・『富士山の農鳥』、見ました。ほぉ、こういうのが富士山にあるのか、と思いました。たしか、北アルプスだったかにもありますね。あれは『タネを蒔くおじさん』だったような(記憶が不鮮明です)。それに比べれば、鳳凰のようにも見えますし、やはり富士山のイメージにピッタリです。(桃山学院大学のHさん)
・「農鳥、拝見しました。たしかに鳥ですね。長い首と頭の鶏冠からして、私には孔雀か軍鶏のようにも見えます。新潟魚沼地方には「牛」の出る山があります。2年前5月、妻の父の葬儀の合間、残雪の山々を皆で眺めながら牛ヶ岳に牛が出てる、などと語り合ったことをこの農鳥を見ながら想い起こしました。」(東経大のIさん)
・確かに鳥に見えますね。今日は霞がかって6号館から富士山がよく見えませんが入試の最中の1日、空気が澄んでいて、滅多にないほどきれいに、しかも気のせいか、いつもより大きく、近くに山が見えました。方角があえば農鳥が見えたかな。(東経大のUさん) ホームページで農鳥写真を見ました。本当に珍しいことがあるのですね。さっそくカラーでプリントアウトしました。足利からも晴れていると富士山が見えます。本当に珍しい写真で家族で鑑賞させて頂きました。(東経大のSさん)

notori5.jpeg・はじめ、鳥の姿がどこにもみれず、「ああ、先生疲れすぎてとうとう・・!」と思ってしまいましたが、それは僕の感受性が死んでいたせいでした。自己嫌悪です。(笑)確かにこれは、美しい鳥ですね!絵でしか不死鳥を見たことがないのでなんなんですが、鶴とか農鳥という感じよりも、不死鳥の姿といった表現のほうがしっくり来るようにかんじますね。でも不死鳥は炎の中で再生を繰り返すというイメージが強いため、これは雪なので「不死鳥の影」といった感じになるんでしょうか。なんだか幸せになれそうですね。(追手門卒業生のK君)
・九州の、それも海沿いの育ちで、山と雪には縁のない生活が長かったので、山肌の残雪に何かの形をよみとるということは実に新鮮な体験。吹き溜まりに残った雪、ということなのでしょうが、・・・。おもしろいなと思います。<しろうま>も、いつか見てみたいものだとおもいました。で、あの鳥の正体は、ドタバタと飛び立つ白鳥に見えなくもないのですが、首の短さからアヒルかガチョウか、偕成社文庫の表紙に描かれたガンにもみえますが、色違いなので、やっぱり、アヒルの「ムース」、というのが我が家の漫画少年たちも巻き込んでの鑑定結果です。(院生のYさん)
・1枚目の写真では、・・・?どこ???と思いましたが、わかりました!2枚目で。綺麗に鳥の姿が浮かび上がってますね。自然がつくりだす姿にしては、あまりにもはっきりとしていて、思わず感動してしまいました。その後、雪の予報とありましたが、その美しい鳥は、もう姿を消してしまったのでしょうか?(追手門卒業生のMさん)
・農鳥、拝見しました。モノは見ようで、確かに白鳥のように見える気がしました。富士山に真っ白な鳥が舞い降りる…なんて随分洒落ていますね。先日の雪で飛び立ってしまったんでしょうか。先生は、こんなキレイな日本一を毎日拝んでいるんですね。ちなみに、ジェットコースターから眺める富士もいいものデスヨ!(ゼミのSさん)

notori4.jpg・静岡に住むいとこから右のような記事が送られてきた。静岡新聞の一面に載ったようだ。河口湖より東の富士吉田か忍野あたりから撮ったもののようで、角度が少し違う。同じ日に、NHKの夜のニュースでも紹介された。どちらも春をつげる鳥という紹介だった。例年なら連休頃に出て田植えを告げるといわれているのに、今年は1月から見えている。春を告げるのではなく、凶作の兆しなのだが、NHKはそのことにふれずに、季節の話題として取りあげていた。
・冬の間、東経大からもきれいな富士山がよく見える。しかし残念ながら農鳥は見えない。東京から見える富士山は、方向的には山中湖から見える富士山で、農鳥は隠れてしまう。そのかわりに丹沢山地の上に出た富士山は全面真っ白である。
・河口湖はこのところ暖かい日が続いている。雪ではなく雨が久しぶりに降った。雨上がりに大学に出かける朝、湖畔で富士を見たらまた雪化粧で農鳥の形がはっきりしなくなっていた。

2005年3月16日水曜日

懐かしい歌

 

tomobe1.jpeg・洋盤でめぼしいニュー・アルバムがない。スティングの「Sacred Love」はまあまあだったけど、U2の「 How to Dismantle an Atomic Bomb」は完全に期待はずれ。そんなこともあって、早川義夫以来、日本人のミュージシャンに関心が移っている。昔懐かしい人たちが今も歌っていて、昔のアルバムがCDで次々復刻されている。すでにレコードでもっているものがほとんどだが、何枚か改めて買い直してみた。
・友部正人はずっと歌い続けていて、アルバムもコンスタントに出している。しかし、初期の「大阪にやってきた」や「にんじん」にくらべると、いまひとつぴんとこない気がしていた。
・『にんじん』を聴きなおしてみると、このアルバムのすごさがあらためて実感される。浅間山荘事件と新宿の雑踏を重ね合わせて歌った「乾杯」、JR中央線の阿佐ヶ谷駅から見えた夕日を描いた「一本道」、富山県高岡での暴走族の様子を語る「トーキング自動車レースブルース」等々。いい感覚をしている。歌の一つ一つが一枚の傑作画のようだ。同じ印象はもちろんデビュー作の『大阪へやってきた』にも感じた。
・1991年に出た『 ライオンのいる場所』にも湾岸戦争をテーマにした「モンタハ」といった曲がある。その時々に出会った出来事や、した経験を歌にしたものを「トロピカル・ソング」というが、彼の歌作りにはそんな姿勢が一貫しているようだ。しかし、いまひとつぴんとこない。
・たぶん、これは友部がつくる歌以上に、それを聴く僕の姿勢のせいなのだと思う。『にんじん』や『大阪へやってきた』を聴きながら僕の頭に浮かんでくるのは、それをよく聴いていた頃の僕自身であるからだ。そうすると、改めていいと思っているのは、それが僕にとっての懐メロであるからなのかもしれない。

minami1.jpeg・同じような印象はディランIIの『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』や、南正人の『回帰線』と『ファースト・アルバム』にももった。思い出す光景は、彼らをライブで何度も聴いた時の僕であり、その時代の僕自身の心もちや行動なのである。別れをつげて忘れてしまっていたはずの思い出がよみがえる。ちょっと前なら、ぞっとするほどやりたくないと思っていたことだが、それがそれほど不快でもない。というより、素直に懐かしいと思って、感慨に耽ってしまったりする。
・たとえば、早川義夫の「風月堂」は『言う者は知らず、知る者は言わず』ではじめて聴いたが、そこで歌われている登場人物が、まるで自分であるかのように思ってしまった。ただし、その場所は新宿風月堂ではなく、京都ほんやら洞で、70年代の前半である。

黒い上着と 長い髪
本を抱えて 煙草を吹かして
ぼくはいつも 外を眺めてた
石のテーブルで コーヒーを飲んでいた

・もちろん、友部も、南も、そしてディランIIの大塚まさじもずっと歌い続けていて、新しいアルバムも出している。高田渡の映画もできているようだ。それぞれが、どんなふうに年月を重ねてきたのか、今度は新しいアルバムをじっくり聴いてみようと思う。 


2005年3月9日水曜日

ハワイからのメール


2月の末から1週間ほどハワイに出かけてきた。息子夫婦からのプレゼントだが、こちらも母親の喜寿の祝いにと両親をともなっての旅行だった。本当はハワイから更新のつもりでわざわざPower bookをもっていったのだが、うまくはいかなかった。

今回のメインは「キラウエア火山」。オアフ島ではなくハワイ島にある。その火口にあるヴォルケーノ・ハウスに2泊した。右の写真はそこの庭から写した火口の一部である。もうすでに噴火はしていないが、ところどころから湯気が上がっていて、圧倒される風景だった。

ハワイ島はいくつもの火山が集合して一つの島になっている。キラウエア火山の西にはなだらかなマウナロアがあって、その頂には雪が見える。とてもそうは見えないのだが、富士山よりも高く、標高は4000メートルを超える。もっとも、宿舎のある火口自体が海抜1200mもある。山の気候は変わりやすい。晴れたかと思うと雨。だからしょっちゅう虹が架かる。虹の向こうにマウナロア。


 

ハワイ島に出かけた理由の一つは、パートナーの知人を訪ねることだった。陶芸家のロンさんだが、彼はもともとは地質学を専攻していてキラウエアの博物館でも働いていたことがある。その彼に一日中火口から海岸まで案内してもらった。ガイドというよりはレクチャーを受けながらの見物で、ずいぶんいろいろなことを教えてもらった。おまけに昼時になったら、彼のバッグからスパム・ムスビが出てきてまたビックリ。ついでに、彼の工房によって、名産のコナ珈琲までごちそうになった。本当に親切で、お礼を言うと、「これがハワイ人のやり方」とおっしゃった。

ところでスパムとは豚のソーセージの缶詰のことで、おむすびはそれを挟んで海苔で巻いたものだ。おいしかったが、名前が気になった「スパム」といえば「スパム・メール」。なんで同じ名前なのか。さっそく帰って調べると、語源はやっぱり缶詰らしい。詳細を知りたければ「spam考古学」がいい。
ハワイ島で一番大きな町はヒロという。ホノルルから飛行機を乗り継いで、ここからレンタカーで移動した。久しぶりの右側通行、左ハンドルのアメ車もすぐに慣れた。島の南半分を走ってコナで返却。溶岩ばかりの荒れ地の島だが、コーヒー、ナッツ、果物などが豊富にとれる。日系人の多さを改めて実感した。家の雰囲気や商店の看板に、何とも言えず昔懐かしさがあった。
ハワイ諸島はプレートの割れ目の上に乗っている。だから噴火してできた島が少しずつ東に移動して、次々と島が生まれた。実は今一番活動しているのはハワイ島ではない。その西に新しい火山ができていてロイヒ火山と言う。次々と生まれているが、またそれらはいつかは海底に消えてもいくようだ。海山はカムチャッカ半島にまで届いている。
そのハワイ諸島の一番東にはニイハウ島がある。イギリス人が個人で所有する島でネイティブのハワイアンだけが住む。TBSの番組で見たことがあったから、飛行機からきれいに見えた時はうれしかった。

最後に、アメリカの入国管理の厳しさについて。ホノルルに到着したときより、ヒロに向かう便の搭乗手続で、執拗なボディ・チェックを受けた。もちろん、外国人に限ってのことである。これでは、迂闊にアメリカ国内を移動することなどできない。 

日時:2005年3月9日